goo blog サービス終了のお知らせ 

ヌルボ・イルボ    韓国文化の海へ

①韓国文学②韓国漫画③韓国のメディア観察④韓国語いろいろ⑤韓国映画⑥韓国の歴史・社会⑦韓国・朝鮮関係の本⑧韓国旅行の記録

石丸次郎氏の講演(1) 北朝鮮の食糧、「絶対量は不足してはいない」

2012-04-19 23:57:48 | 北朝鮮のもろもろ
 一昨日(4月17日)18時30分~20時30分、アムネスティ日本支部(千代田区小川町)で開かれた石丸次郎氏の講演「金正恩体制下での朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)の今」を聞きに行ってきました。

 金正日総書記の死亡と三代世襲、核兵器問題、ミサイル発射問題、金日成生誕100周年の「太陽節」(4月15日)、脱北者強制送還問題等々、北朝鮮をめぐるニュースが最近次々と報道される中で、私ヌルボ、先着70名だと早めに行かないとダメだろうと思って30分ほど前に会場に行ったら30人くらいしかいなくてちょっと拍子抜け。
 しかし講演が始まって少し経つと椅子は全部埋まり、さらに後から来た人たちは床に座って、結局80人以上にはなったかも・・・。
 また、このような集会は近年年配者ばかりが目立つのがふつうのようですが(反原発集会は別かも・・・)、今回は若い人たちの姿がわりと多く見られたのはけっこうなことでした。
 一方、石丸次郎氏の追っかけ(?)のような人も相当数いるようで(ヌルボもそうだって!?)、神戸や奈良からの参加者もいました。

 さて、本ブログでは一昨年(2010年)11月20日やはりアムネスティ主催で開かれた横浜での石丸氏の講演会についての報告記事を載せました。(→コチラと→コチラです。)

 今回もアムネスティの主催ということもあって、副題に「北朝鮮の人権改善に向けて私たちは何ができるか?」とあるように人権問題をメインとした講演です。

 石丸氏、まず最初に前回同様「北朝鮮に行ったことがある人は?」と訊ねてましたが、手を挙げた人は4~5人くらい。(石丸氏の言葉通り「やはり多いですね」。)
 講演の冒頭の語りも、ほぼ前回と同じ内容です。つまり、ポイントは次の2点。

①北朝鮮の人たちは、決して洗脳されたロボットのような存在ではない。 
②北朝鮮の人権問題を語る際、まず胸に手をおいて考えなければならないことは、「植民地支配とは何だったのか?」ということ。つまり「補償」「慰労」「謝罪」という課題がなされないままになっている、ということである。


 ・・・①について。この点から語り始めるということは、やはり多くの日本人が「北朝鮮人民=洗脳されたロボット」と誤解している現実があるからでしょうか? 石丸氏はこれまで約30年の間に800人くらいの北朝鮮難民・越境者と会ったが、彼らはなんとか変えたいという希望を持っている、とのことで、「(石丸氏自身としては)全然絶望していない」と語っていました。
 ・・・②について。会場で配布されたレジュメに「ややこしい朝鮮問題」との見出しで人道支援に熱心な人は、拉致問題、脱北問題に消極的、逆もまたしかり。ねじれ構造の克服が課題とあります。ヌルボが日頃はがゆく思っていることそのままです。政治的・思想的立場に由来する恣意的な解釈や独善的な主張、見たくないことは見ないという姿勢を排して、人権が脅かされている「さまざまな」事実を正視することが大切、とヌルボは理解しました。

※この講演では語られなかったのですが、「朝鮮学校の無償化問題」で私ヌルボは→コチラと→コチラの記事で無償化から朝鮮高校を除外することに反対しながらも「1.学校は、生徒に間違ったことを教えてはいけない。」「2.公的機関といっても、学校は政治(とくにその時の政権)のための道具になってはいけない。そのためにも、教育の自立性・自主性は尊重されなければならない。」という観点から無償化賛成派・反対派双方を批判しました。どちらの側に対しても批判する人が他にいるかな、と思っていたところ、それ以前に石丸氏が<アジアプレス>のサイト中でほぼ同内容の記事を載せていることに気づきました。(→コチラ。)
 「反対派は思想教育や総連の支配という負の部分をクローズアップしようとする傾向が強く、一方の賛成派には、「除外は差別」ということは主張しても、醜悪な独裁者崇拝教育の問題点には触れようとしない態度が多い。関心が高まっているこの機会に、朝鮮学校を無償化の内側に包摂しつつ、教育内容と学校の運営を改善していくにはどうしたらよいのか、タブーなく議論してほしいと思う。」と記しているのは、まさに同感。

 今回、とくに石丸氏が強調したのは、北朝鮮の独裁体制はスーパーウルトラ真性独裁であるということ。これは軍事独裁、プロレタリア独裁、宗教独裁等と異なる北朝鮮式絶対主義であり、これこそが人権侵害の根本要因である、とのことです。
 その独裁のシステムが唯一指導体系とよばれるものです。
 同義の「唯一思想体系」のための十大原則がレジメにありました(→参考)が、「唯一」「指導(領導)」するのは金日成・金正日だけということで、たとえばいかに有能でも、工場等で「指導者」はいてはならず、現場では「了解」するのみ。この体制や金父子への批判あるいは皮肉のような言葉を口にすると、密告等により管理所(収容所)に送られてしまいます。これは革命化(!)と称され、裁判のような手続きはありません。(※刑事犯が送られる所は教化所といいます。)
 北朝鮮では個々に誰かが誰かの監視任務を負わされているという疑心暗鬼にならざるを得ない体制で、また50~60世帯で構成される最末端組織の人民班が相互監視の役割を持たされています。
 この密告制度が、自分の職場等での「敵」を追い落とすために用いられたりすることもあるとか・・・。

 このような唯一指導体系が社会の発展を阻害していることは容易に理解されます。またこの体系を守るために、多くの酷い人権問題が起こるというわけです。

 ところが今、金正恩が権力を受け継いだ北朝鮮は「われわれは絶対に変わりません」と繰り返しています。これは唯一指導体系を変えないということで、人権状況の好転は期待できません。

 多くのメディアでは、金正恩が第1書記に就任したことで権力継承がなされたと報じていますが、石丸氏は「権力継承は今から始まる」とみています。
 北朝鮮の政策決定は(意外なことに)上意下達ではなく、ボトムアップ式で、金正恩の役目は下から上がってきた提議書の決裁をすること。しかし当然経験不足なので、今は金正恩唯一指導体系をつくるための「過渡的な側近集団指導体制」だとの分析です。

 講演会は、この後最近の北朝鮮の内情を伝える映像の上映と、それについての説明がありました。

 下に載せたのは、「リムジンガン」の第6号(2012年2月)に載っていた10歳のコッチェビ(浮浪児)の写真と、飢えてやせ細った兵士たちの写真です。上映されたのは、これらの元の動画です。

   
  【左は平安南道の市場(2011年2月)。子どもの顔が黒いのは焚火で暖をとる時に付いた煤のため。右も平安南道(2011年7月)。】


 石丸氏の説明でヌルボが(たぶん他の多くの人も)意外だったのは、食糧の絶対量は不足してはいない、ということ。このコッチェビのいるところは市場で、背景にはたしかにいろいろ食料が映っています。
 またコッチェビも見かけは汚れているが「けっこうふっくらしている」、つまり食べてはいる、ということです。市場に行けば物乞いをしたり、拾い食いをしたりできるのです。

 ただ、市場で食糧を得るには現金が必要です。コッチェビは「食べ物をめぐんで・・・」ではなく「お金をください」と言うそうです。

 今、厳しい飢餓状態にあるのは、商売をして金を稼ぐことも、物乞いもできず、市場(=食糧)にアクセスするすべのない兵士等だといいます。

 かつては、体制維持のために重要とされる軍隊・警察・行政機関幹部等は「優先配給対象者」とされて恵まれていたが経済不振により配給が滞るようになり、それにもかかわらず市場(=食糧)からは遠ざけられたままの状態で、慢性的に飢えるしかないということです。
※この点については、上掲の「リムジンガン」第6号に詳述されています。
※レジュメに次のような引用がありました。
 「厳しい飢餓が発生し続けていることは、民主的政治が制度としても実践としても欠如していることと密接に関連している」(アルマティア・セン「貧困と飢饉」より)

 この後、2年前の集会にも来られた脱北者の方から体験に基づいた話がありましたが、以下はつづきということにします。

中国による脱北者強制送還に対する韓国の進歩系新聞「ハンギョレ」の社説は悲しい

2012-02-26 22:40:48 | 北朝鮮のもろもろ

 <朝・中・東>といわれたりもする韓国の代表紙「朝鮮日報」「中央日報」「東亜日報」がいずれも保守紙であるのに対して、進歩陣営の代表紙ハンギョレの存在意義は非常に大きいものがあります。

 軍政時代、民主化を主張して職を追われた新聞記者が中心になって1987年民主化宣言とともに発刊され、市民株主によって刊行されるという、創刊の経緯からして上記の<朝・中・東>とは対極の位置に立っている新聞です。ウィキペディアによると、「書きたいことを書ける新聞」がキャッチフレーズで、「役員は選挙で選ぶ」「広告主にも意見する」と民主的な姿勢をアピールしているということです。
 また、創刊当時は他紙は日本の新聞と視覚的に非常によく似た縦書きで、漢字も多く用いられていましたが、「ハンギョレ新聞」(1996年から「ハンギョレ」)は韓国の全国紙では初めて横書きを採用し、また漢字は一切使わないことを売り物にしてきました。
 なお、「ハンギョレ(한겨레)」とは「ひとつの(大きな)同胞」という意味です。

 上述のような背景・性格を持つ「ハンギョレ」には、韓国内はもちろん日本にも共感を覚える人が多く、<朝・中・東>がそれぞれ日本語版をネット上にも公開しているのに対して、独自に有志(ファンクラブ)として「ハンギョレ」の記事を翻訳し公開する「ハンギョレ・サランバン」というサイトも2009年からスタートしました。その設立趣旨は→コチラ

 さて私ヌルボも、本来は(たぶん今も)サヨクっぽい傾向の人間なので、80年代には韓国の民主化闘争にも共感を寄せ、「ハンギョレ新聞」にも創刊当初から注目してきました。
 以後、現在に至るまで、とくに政治的な問題については<朝・中・東>だけでなく「ハンギョレ」にも目を通すようにしています。ただ、納得できる記事も多い中で、時には強い民族主義臭にヘキエキすることもあります。

 ここまでが例によって長い前説。
 1つ前の記事で、中国による脱北者の強制送還の問題について記しました。
 その中で、「ハンギョレ」の記者が俳優チャ・インピョさんに「なぜよりによって脱北者関連示威に出たのか?」と質問していることに引っかかった、と書きました。
 そしてその後、「ハンギョレ」が2月23日の社説で「脱北者、南北および韓-中関係改善と連動させて」と題した社説を載せているのに気づきました。
 さいわい、上記「ハンギョレ・サランバン」で日本語訳を読むことができます。→コチラ

 ところがその内容。予想の範囲内とはいえ、失望せざるをえませんでした。

 「チャ・インピョ氏が言うように脱北者を助けることに左右の理念の違いがあってはならない。彼らが強制的に北に送還されて死の危機にひんしてはならない」としながらも、「中国に対するプレッシャーを強める場合、中国も反発の度合いを一層高めることは当然明らか」で、「そうなると最も大きい被害を受ける者はまさに脱北者だ」と論を進めます。
 また「事の是非を別にして(!)、中国が・・・・同盟国である北の要求を黙殺して韓国政府の要求をより尊重すると期待するのは非現実的」であり、「非難と圧迫が激しくなるほど中国はかえって脱北者の取り締まりと強制送還を強化する公算が高い」から、「脱北者の問題は騒ぐほど、政治・外交問題化するほど解決はさらに難しくなる」と説きます。
 そこで、中国を非難して政治・外交問題化するのはことを一層こじらせかねないので、過去の東西ドイツのように、南北関係がさらに改善されれば、非公式的な直接交渉を通じて、北へ拉致された人や国軍の捕虜などを含んだ北朝鮮内の政治・経済的難民の韓国入国を経済支援などと引き換える手段も模索できる、と結論とづけています。(そういえば、姜尚中先生の本にもそのようなことが書かれていたなー・・・。)

 しかし、乱暴ないじめっ子がいて、周りの注意を受け容れないばかりか、注意をするとさらにいじめがひどくなるからといって、何も言わないのが正しいのでしょうか? それは強者へのご機嫌取りか泣き寝入りというものでしょう。
 また、80年代の東ドイツと、現在の北朝鮮の違いをよく認識していないように思われます。

 そして何よりも疑問に思うのは、今強制送還されている人たちがいて、彼らがその後強制収容所に送られたり、悪くすると処刑されたりすることが予測される中で、救いを求めているに違いない声が「ハンギョレ」の論説委員の心には響かないのか、とうことです。「将来の南北朝鮮の平和と幸福のために、あなた方は犠牲になってください」と言うのですか? 今危機にある1人の、あるいは何人かの命を救おうとしないで、多くの人々の命を大切にするような政治や言論はありえないでしょう。
 ここはチャ・インピョさんの言葉のように、左右の理念の違いを越えて反対の声を上げ、国際世論を高めるべきです。

 韓国内の言論で、「ハンギョレ」のような進歩系の立場以外に、中国による脱北者送還に否定的な見解もあるようです。
 それは、「経済的に、韓国との結びつきが強くなっている中国との関係を悪化させるようなことはすべきではない」というものです。
 なんとまあ臆面もなくこのようなことが言えるものです。自分は金儲けや現在の生活の安定のためなら北朝鮮の人々の命は犠牲にしてもよい、ということと同義なのに・・・。
 まあ日本政府も、東アジア情勢の安定を何よりも(もちろん北朝鮮の人たちの声明や人権よりも)優先しているようだから、恥じ入らなければならないのはお互いさまなんですけどね・・・。

※前の記事では書きませんでしたが、アムネスティ・インターナショナルも2月14日「中国 : 朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)の脱北者を強制送還してはならない」という声明を出しています。
 アムネスティの韓国支部は、これまで保守政権の言論政策やデモの規制等を批判したりして、かなり明確な<左派寄りの政治性>を帯びていただけに、今回は「ハンギョレ」のように一歩二歩引いた対応をするのかな?と私ヌルボ、考えないでもなかったのですが、2月18日の「東亜日報」の記事によると「北朝鮮への送還中止を求めるオンライン嘆願運動を始め、数千人の署名を集めた」とか。また2月21日の「朝鮮日報」は、アムネスティ韓国支部が20日在韓中国大使館を訪ねて、駐韓中国大使に強制送還をやめるよう求める公開書簡と、5521人の嘆願署名と、中国の胡錦濤国家主席に対する嘆願メール9163人を手渡したことを伝えています。
 (アムネスティ韓国支部の皆さん、よけいなことを勘ぐってすみませんでした。)


「週刊文春」掲載の南北朝鮮の比較写真 と 中国政府による脱北者の強制送還問題

2012-02-24 23:44:38 | 北朝鮮のもろもろ

 昨日(2月23日)発売の「週刊文春」3月1日号に、「韓国と北朝鮮、分断国家の肖像」というタイトルで、韓国・北朝鮮各9枚ずつの写真が掲載されていました。たとえば「地下鉄」とか「町を走るバス」、あるいは「海水浴」や「女子生徒」、「赤ちゃん」等の9つのテーマごとに、南北それぞれの似て非なる町や人々のようすを対照させて並べたところがミソです。まさに副題の<38度線を挟んだパラレルワールド>というわけで、見るだけでいろいろなことがわかります。
 撮影は菱田雄介さんで、略歴を見ると、近年さまざまな場面で注目すべき仕事をしている写真家であることがわかります。ご本人のサイトは→コチラ、twitterはコチラです。

 さて私ヌルボ、この写真や、菱田さんのことを本論の導入として軽く扱うつもりはありませんが、これらの写真を見ながら、ぜひこういうテーマでも写真を撮り、載せてほしかった、と思いました。
 それは、仁川空港から外国に観光旅行に出かける韓国の家族たちと、中朝国境の川を命がけで越えようとする北朝鮮の家族の比較対照写真です。

 こんなことをなぜ考えたかというと、たまたまその前日(2月22日)、「毎日新聞」の「韓国:脱北者送還に芸能人ら抗議」という記事を読んでいたからです。記事の主旨は「中国で数十人の脱北者が拘束され強制送還の危機に陥っていると韓国で報道され、21日人権団体や脱北者団体がソウルの中国大使館前で抗議する騒動に発展している」というもので、デモにはお笑い芸人や俳優らも参加し・・・とくに、脱北をテーマにした映画「クロッシング」に主演したチャ・インピョさんは、「腹が減って脱北したことで処刑されるのはおかしい。中国市民に(協力を)訴えるためにここへ来た」と語った」と伝え、その写真も載せています。

 韓国と北朝鮮の町の外貌や人々のようすは、似て非なるところもあれば大いに違うところもあります。
 しかし、南北の人権状況や自由の度合いは決定的な差があります。
 
 「朝鮮日報」(日本版)2月17日の記事によると、「最近北朝鮮を脱出した24人が中国で公安当局に逮捕され、このうち9人が中朝国境の都市・吉林省図們市に移送されている」、また「遼寧省瀋陽市や吉林省長春市で身柄を拘束されている脱北者15人も、18日中に北朝鮮に送還される予定」との情報を伝えています。(※保守政党の自由先進党・朴宣映議員発表の情報なので、たぶん左派系の人たちは聞き流したのでは?)
 同紙の翌18日の記事「脱北者:国連、中国に身辺保護を要請」によると、「国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)ソウル事務所の代表は17日、中国当局に対し、北朝鮮への送還の危機に直面しているとされる脱北者の身辺の保護を要請した」とのことです。

 つまりは、人権という以前の人命というレベルの問題。
 そんな重大な(はずの)問題が、まさに現在進行していることを、「週刊文春」で上記の写真を見た皆さんにも考えてほしいものです。

 しかし、もし日本人や欧米人が北朝鮮に拉致されたら大きな騒ぎになるでしょうが、北朝鮮と中国の間のことなら「またか」という受けとめ方をしてしまう日本人が多いのでは?
 私ヌルボのみるところ、北朝鮮の人の命の重さは、日本人の命の100分の1ほどにも意識されていないと思われます。

★「朝鮮日報」(日本版) 2月22日では「脱北者:チャ・インピョさんら、送還反対訴える」との見出しで先の「毎日新聞」の記事よりくわしく、コメディアンのイ・ソンミさん、チャ・インピョさんのほか「キム・テヒョンさん、ファン・ボさん、ソイさん、リッキー・キムさん、シム・テユンさんなど、約20人の芸能人たちが立っていた」と記しています。
 また「脱北者の子どもたちを対象としたフリースクール黎明学校の児童・生徒たちが、脱北者の強制送還に反対する集会を開いたのに合わせ、これを助けるために集まったのだ」とあります。
 チャ・インピョさんがこの集会に参加したのも、黎明学校の女性教監(教頭)チョ・ミョンスクさんの求めに応じたものとのことですが、YouTubeにあった動画をみると、とても訴える力のあるアピールだと思います。



 またチョ・ミョンスクさんの涙のよびかけも(韓国語のわかる方はとくに)聞いてみてください。→コチラ

★同じく「朝鮮日報」(日本版) 2月22日の記事「脱北者:「友人を助けて」 中国大使館前で懸命の訴え」という記事では、「「SAVE」という単語が書かれた白いマスクをした」脱北青少年が通うフリースクール黎明学校の在校生と卒業生約30人が、中国大使館に向け「助けてあげてほしい」と目尻を涙で濡らしつつ叫んだ」ことが記されています。

 以前、韓国の脱北者関係のサイトでたまたま見つけた脱北者たち何人かの手記を読んだことがあります。北朝鮮での生活、必死の脱北だけでなく、韓国で懸命に生きるようすを書きいているそれらの中に、黎明学校での学びの苦心と喜びを綴ったものもありました。
 それが何というサイトにあったかは覚えていませんが、たとえば<北韓人権市民連合(북한인권시민연합)>のサイトの中で多くの脱北者の手記を読むことができます。

★以上、韓国の代表的な保守系新聞「朝鮮日報」の記事を多く参照しました。
 一方、代表的な進歩系新聞「ハンギョレ」もこの集会の記事を載せ、チャ・インピョさんにも話を聞いています。
 見出しは「脱北者の北送に反対する理由? 「困難にある人を助けるのに左右はないでしょう」」続く本文の冒頭が、ヌルボとしては引っかかるものがありました。訳してみると次のようになります。

 事実インタビュー前、俳優チャ・インピョ氏(45)に訊きたかったことは、なぜよりによって(하필)脱北者関連示威に出たのかということだった。脱北者支援活動は右派の専有物のようになっている。彼の答えは明快だった。「困難にある人を助けるのに左右は重要ではない」ということだった。彼は「今回の示威に参加したら「セヌリ党の側かと訊かれる」て、「個人的には性向は進歩の側だが、今回はそんなことは問題にはならなかった」と語った。

 ・・・この記者の質問中の「하필」という言葉に、とくに「なんだ!?」と引っかかりました。「何必」という漢字語で、辞書には「よりによって」のほかに「こともあろうに」「何の必要があって」等々の訳語も載っています。
 こういう認識が韓国の脱北者支援活動への一般的な見方ということは、ヌルボもおよそはわかっていましたが、なんとも悲しい状況です。

★今日の「中央日報」(日本語版)には、脱北者の一部が強制送還されたこととともに「韓国外交部は26日から開かれる国連人権理事会で脱北者問題を取り上げることにし、発言のレベルを調整している」と伝えています。
 また今日の「サンケイ」は「北朝鮮が韓国の動き非難」という共同通信配信記事を載せています。

 北朝鮮国内でも、東アジアの国際情勢の中でも、政治に翻弄さけつづけている今回の送還される(された)という人々の今後が懸念されます。


北朝鮮の名物アナ・李春姫さんのインタビューと若手女性アナの動画をみる

2012-01-25 23:16:36 | 北朝鮮のもろもろ
北朝鮮の有名なアナウンサー・朝鮮中央テレビの李春姫(リ・チュンヒ、リ・チュニ)放送員のことは、本ブログ2011年2月20日の記事で少し書きました。また、その翌日の21日には、彼女のパロディが台湾のTVで放映されているという記事を書きました。

 その後、昨秋10月19日以降約50日ほど姿を見せなかったことからさまざまな憶測が飛び交ったりもし、金正日死亡のニュースに久々に登場したりと注目されてきました。

 昨日(1月24日)の「毎日新聞」に、<北朝鮮:「きれいで若い人必要」朝鮮中央テレビ看板アナ>という見出しの記事があり、読んでみると「李春姫さんが23日、中国中央テレビ(CCTV)平壌駐在記者の取材に応じ、「画面にはきれいで若い人が必要だ」と述べた」とのことです。

 もしかして、と思ってさっそく動画検索してみると、ありましたね、YouTubeに。
 まあ見てみて下さい。→コチラです。
 中国語が全然わからないのが残念。李春姫さん、ここではずいぶんリラックスしてます。いつもキツい口調で人を叱責しているわけではありませんね、もちろん。

 <北朝鮮看板アナ李春姫女史、中国のテレビ取材に応じる>と日本語の表題がついていますが、一体どういう人がどういうふうにupしたのか、私ヌルボにはよくわかりません。
 
 北朝鮮のアナウンサー事情については、1月9日の「中央日報」に<'150대1' 北여성 아나, 출세하려면 김정은에・・・('150対1'北の女性アナ、出世するには、金正恩への・・・)>という見出しの記事がありました。
 それには、朝鮮中央テレビの記者だった脱北者チャン・ヘソン氏の話として、朝鮮中央TVアナウンサーになるには、平壌演劇映画大学放送科を卒業した後、中央テレビ放送員育成訓練に入るか、150人余りが参加する全国話術コンクールで入賞しなければならない等々と記されています。
 しかし、'150対1'という高い倍率を突破して看板アナウンサーになるためには、実力と出身成分、そして最高指導者による賞賛のお言葉が重要な評価基準となるとのこと。

 本ブログの先の記事で紹介した「新東亜」2011年2月号の記事とほぼ同じですね。・・・って「新東亜」の記事もチャン・ヘソン氏のインタビューをまとめたものでした。

 さて、上記「中央日報」の記事の後の方に最近李春姫さんに代わって登場したアナウンサーのことが書かれています。「落ち着いた口調(차분한 어조)の若い女性は、金正恩時代の新しいアナウンサー上に見える」と評しています。そしてその動画も見ることができます。

    
      【背景の平壌市街は実景ではなく写真であることは、上記のインタビュー動画でわかります。】

 動画は→コチラ
 たしかに落ち着いた雰囲気。もっと下の原稿を見ないようにしないといけませんねー。

北朝鮮に関心を持つ人の必読書! 国分隼人「北朝鮮の鉄道事情」(新人物文庫)

2012-01-07 23:57:11 | 北朝鮮のもろもろ
        

 4ヵ月近くツンドクになっていた国分隼人「北朝鮮の鉄道事情」(新人物文庫)をイッキ読み!

 結論を先に書いておきます。決して鉄道マニアのためたけの本ではありません。北朝鮮の社会・政治に関心のある人、これは必読書です。

 2007年刊の「将軍様の鉄道 北朝鮮の鉄道事情」(新潮社)を改題し、新編集をして11年8月に刊行された本です。

 この本は、北朝鮮の鉄道にとことん絞って、車両や路線、鉄道の歴史等々、いかにもマニアらしくつぶさに調べ上げていますが、まさにそのことによって、北朝鮮の社会全体が相当程度見通せるのではないかと思います。
 
 今回の記事では、私ヌルボがとくに関心を持った点について列挙します。

①北朝鮮の鉄道は遅い!
 中朝国境(丹東)から平壌までの225㎞に5時間もかかる。戦前の蒸気機関車の時代には4時間15分だったから、退化しているのです。その理由は、補修作業が行き届かないため。バラストが間引かれ、腐食した枕木も多く、脱線のおそれがある。早い列車で時速40㎞、地方路線では20~30㎞、山岳地帯では15㎞がやっと。また自動信号化率はわずか1%。日本では骨董品ともいえる腕木式信号機やタブレット交換等、手動で安全確認が行われているとか。

②時刻表は機密文書!
 北朝鮮では時刻表はあるものの、ふつう必要とされない、というのはよくわかります。しかし「国外持ち出し禁止品目に指定されているため、海外からの旅行者は購入すらできない」とは!
 それでも「北朝鮮からの行商人によって持ち出され、中国国内の闇市場で高値で取引されることもある」そうで・・・。
 本書の「おわりに」によると、著者は「藁半紙に印刷された粗末な北朝鮮の時刻表」を「ふとしたことで手に入れた」そうです。本書に(小さくて見づらいですが)そのページの一部と路線図のコピーが載せられています。

③「1号列車」(将軍特別専用列車)の運行のものものしさ!
 防弾防爆のため床部に鉄板を入れ、窓ガラスは電動で上下する防弾二重窓。装備はテーブルやソファ等はもちろん、映画やテレビの観賞用に大型スクリーンが2つあるとかパソコンが設置されているとか・・・。また3台のベンツを格納する車載車もあるとか。
 しかし、この金正日を載せた1号列車の運行自体が一大行事。ダイヤの変更だの、安全を期しての先発列車と後発列車の運転、沿線には50mおきに兵士や鉄道員を立たせる。金正日が降り立つ時には真っ先に狙撃兵が降り立つ等々。
 さらに大変なのは沿線の住民。以前金日成が中国に行く時は、「線路周辺のあらゆるものを磨き、ペンキを塗り、掃除をして装飾をする」とある駅員の証言。その平壌~新義州の沿線は外国人の目にもふれるので、倒れそうな家や建物はなく、観賞用にごまかすために建てた家や建物があるのみだそうです。
 おおよそは「さもありなん」という感想のヌルボも呆れたのは、「学生までも動員して、線路と道路横の石ころを並べて五色模様で塗り、線路周辺の草は全部抜かなければならない」というくだり。まさにホンマカイナ!?という感じです。

④一般国民が鉄道に乗るのは一苦労、どころではない!
 私ヌルボが北朝鮮に行った時も、荷台に人々を満載したトラックを目にしました。しかし、本書によると「都市間バスは存在せず、乗り合いトラックは料金が高額なため、国内の中長距離移動は鉄道に頼らざるを得ない」し、「平壌へ向かうには鉄道が唯一の移動手段」なのだそうです。ところが、この鉄道旅行というのが並大抵の大変さではないのです。その<関門>を順序通りに書きます。
 (1)公民証(住民登録証)
 (2)役所発行の通行証
 (3)切符・・・座席数が限られ、高価で購入困難。賄賂が必要。一般人民が乗れる一般座席者には窓ガラスのない車両もある。
 (4)食料と飲料・・・列車の遅れが多く、途中で飢える危険性もある(!)
 (5)客車内には切符や通行証等をチェックする<列車安全員>、実弾を込めた銃を携帯する<列車保安員>がいる。
 (6)平壌に入るには特別な承認番号が必要。警務取締官が乗り込み検査をするため、平壌駅に到着するまで相当数が強制的に降ろされる。
 (7)改札を出る際のチェック・・・公民証や通行証等のチェックのため確認口に並ばされて出るまでに30分以上かかる。通行証は保管される。

⑤報道されない大事故!
 本書中の<北朝鮮鉄道事故史>には1970年代から2006年まで13の大事故がリストアップされています。1996年12月の慈江道熙川郡で、屋根まで人を乗せたため過積載で制動が利かなくなった12両の列車が断崖から天せくして2千~6千人死傷した事故、2004年4月22日龍川駅で貨物列車が爆発し、周辺住民3千人以上が死傷した事故(これは金正日を乗せた列車が狙われたのでは?と伝えられましたね)、06年4月23日に咸鏡南道浮来山駅付近で急行列車と貨物列車が正面衝突し、千人以上が死亡した事故等々。・・・しかし、事故や犯罪が報道されない国なのに、どこから情報を得たのでしょうね?

⑥金正日専用の鉄道駅をグーグルアースで確認!
 平壌中心部から車で北へ15分の所に<22号招待所>、すなわち金正日の専用施設があり、そして専用の鉄道駅があります。
 本書によると、その駅とアクセス線の存在はこれまで噂レベルの話でしかなかったとのこと。しかしそれが「近年、「グーグルアース」によって確認できてしまった」そうです。
 その位置(北緯39゚0638.19東経125゚4721.02)も書かれているので、ヌルボもさっそく見てみました。たしかに駅舎とプラットフォームが確認できます。しかし、よくこれがその駅だとわかるものです。

  
    【本書にあるように、敷地の北側には機関車庫や転車台(上部右の小さな円形の所)もあります。】

⑦3つの鉄道博物館に展示されている歴史的機関車!
 平壌駅近くの<鉄道省革命事績館>には、日本の統治期の伝説の存在とされる、今は廃された金剛山電気鉄道の電車が美しく整備され展示されているとか。
 平壌市北方の100haという広大な<三大革命展示館>中の重工業館の外部には現代の鉄道車両が並んでいるとのこと。また同じく平壌市内にある<地下鉄革命事績館>には、韓国より早く1973年に開設した地下鉄の1号車がガラスケース内に収められていて「一見の価値はある」と書いてあるからには著者は見たのでしょうね。

⑧外国製の機関車もすべて自国製とプロパガンダ!
 1961年に北朝鮮最初の本線法電気機関車<赤旗1型>誕生。北朝鮮製造と報じていたが実はチェコスロバキア製。1960年代末に登場して今も現役の内燃機関車(ディーゼル機関車)<新星>(実はソ連製)も、70年代の地下鉄(実は中国製)も、80年代の路面電車(実はチェコスロバキア製)も、すべて自国製とされているそうです。

⑨大きな謎は著者その人!
 上記以外に、本書にはまだまだ詳細な情報がいっぱい。外国人が北朝鮮に行っても自由な取材が困難な国で、どのようにしてこんな内容の本が書けたのか、驚きとともに疑問もわいてきます。先に出た「将軍様の鉄道 北朝鮮の鉄道事情」ではSLの運転室の映像まで収録したDVDまで付録についていたとか! 誰がどのように撮ったのか? また時刻表は一体どこでどうして入手したのでしょうね?
 国分隼人さんはトラベルライターとなってますが他の著作もないし、名前自体鹿児島県にある2つの隣接した駅名を合わせたもの。イラストの国分錦江の錦江も同じ鹿児島県の駅名です。つまり、どう見ても偽名(というかペンネームというか・・・)ですね。
 北朝鮮にとってはおそらく書かれるとまずいような内容の本なので実名を避けたのかな?
 すると誰が書いたか?ということについて、ヌルボなりの推定はないこともないですが、確証のないことは書くべきではないと思われるので書きません。

 オマケの話。
 私ヌルボが北朝鮮に行った1991年当時の板門店ツアーは平壌~開城は鉄道で行ったのですが、本書によると1992年4月に高速道路が水通したため、海外旅行者の移動は自動車に転換されたということです。あの古~い中国製?客車に乗ったのは、思えば貴重な体験でした。

アンドレイ・ランコフ「民衆の北朝鮮」を読む ②北朝鮮の景勝地に刻まれた数万(?)の悲しい文字

2011-12-12 01:45:48 | 北朝鮮のもろもろ
 → アンドレイ・ランコフ「民衆の北朝鮮」を読む ①日常生活を多岐にわたり詳述 の続きです。

 私ヌルボが20年前(1991年)北朝鮮の開城を訪れた時は、善竹橋が有名な歴史の舞台であることも、朴淵の滝が名高い景勝地であることも知りませんでした。

 その朴淵の滝で印象に残っているのは、滝の水が落ちるその岩壁に、人の名や詩句がいくつも、大きく刻まれていたことです。
 説明によると、昔の両班が石工に彫らせたものだそうで、朝鮮では古くから景勝の地ではそのようなことが行われていたとのことです。

 龍岩という大きな岩には、李白の詩が流麗な書体で彫られています。黄真伊が髪の毛で彫ったと伝えられるものです。→写真
※岩に字を彫るのは中国が本家本元でしょう。泰山は行ったことはありませんが、画像を見るとさすが。

 ところが、そのような伝統を踏まえて(?)、北朝鮮では1970年代から金日成を、あるいは金正日を賛揚する言葉が北朝鮮のすべての景勝地に数多く刻まれています。
 開城に行った時にも、具体的な記憶は残っていませんが、たしかに見ましたね。金日成と刻まれた字に対するわれわれ日本人観光客の否定的な受けとめ方を感じ取った北朝鮮案内員(か、総連関係者)が、上記のように「昔からの伝統」を言いわけ的に話していたように思います。
※1984年発行の「凍土の共和国」に金剛山の刻字についての記述があったので、北朝鮮訪問時にはすでにそのことを知っていました。
※参考:開城旅行記(日本のブログ)

 「民衆の北朝鮮」によれば、この「岩に文字を彫るという狂気じみた活動」(原文のまま)は1972年に始まった、とあります。金日成の生誕60周年を祝った年です。そのアイディアは、初期段階では金日成自身のものとされていましたが、現在では金正日将軍の輝かしい発明と説明されているそうです。
 本書に引用されている北朝鮮の歴史家の文章には次のように記されています。

 速度戦突撃隊と地元住民の支援者は、偉大な首領に対する熱烈な献身の感情に鼓舞されて、1982年2月までに、金剛山に61ヶ所(3690文字)を彫り込んだ。その規模と深い思想的内容において、世界のどこにも比類のないものである[確かに!-筆者]。このように、自然石に書かれた“チュチェ”という碑文は高さが27m、幅が8mあり、その文字は1.2mの深さがある。
[確かに!-筆者]は著者(ランコフ)の皮肉。

 ランコフによれば、その後1990年代前半に、上記の碑文を超える碑文がやはり金剛山にできました。김일성(金日成)の3字が各々高さ20m×幅16m、深さ90㎝で彫られたそうです。
 また、「北朝鮮の当局者は最近(21世紀初頭?)全国で約2万の文字が彫られたと豪語した」とあります。

 「朝鮮日報」(日本語版)の2001年の記事(※登録しないと読めません)
にも、スローガン岩(구호바위)は、金剛山だけでおよそ60ヶ所、約4500字に達し、全国的には2万字を超えるものと伝えられている」とあります。

 より新しい情報としては、やはり「朝鮮日報」の今年(2011年)3月28日の「名山の岩の字4万字・彫像3万5千、軍は北の政権崩壊の時、偶像化の象徴物なくす」という記事が見つかりました。(→同 自動翻訳
 それによると、2002年に金正日の60回誕生日に合わせて、金剛山で最も広いバリ峰に「천출 명장 김정일 장군(天出名将金正日将軍)」という字を彫ったそうです。写真を見ると、その大きさがわかります。
※この文言に関して、2004年南北離散家族再会事業で、韓国側の関係者が「천출(天出)は賤出とも読める」と冗談を言って問題化した<賤出名将事件>が起こりました。

 またこの新聞記事によると、見出しにあるように岩に彫られた字の数は4万字にのぼるということで、事実だとすると10年足らずの間にさらに倍増(!)したということになります。

 この間金剛山観光で現地を訪れた韓国の人たちのブログに載っている写真を見ると、たしかにその字の多さと大きさが目に着きます。たとえば→コチラ
 このような自然破壊の「落書き」に嘆き、あるいは憤っているブログ記事もいくつもあります。たとえば→コチラ。上記の巨大な「주체(チュチェ)」の刻字の写真も載っています。

 また、→コチラのブログでは、「統一が成ったら、これらの字は消すべきなのか、歴史の痕跡として残すべきなのか、アタマが複雑になります」と記しています。(「後の日の教訓としてすべて残すべき」とのコメントあり。)

 この点について先の「朝鮮日報」の記事では、「北の急変事態に備えた計画には、"共産主義の遺物遺跡は抹消させ、一部は保存して、歴史の教訓とする"という規定が含まれていることがわかった」とあります。
 しかし、銅像等は壊すことができても、こんなに多くの岩に刻まれた字は消しようがないと思いますが・・・。

 ランコフは、これに関して次のように結んでいます。

 こうした碑文は金日成の時代と彼の野望への、長く続く記念碑になるであろう。何十年にもわたり、それらは怒りといらだち(おそらく、賞賛がまじりあって)を引き起こすであろう。しかし、遅かれ早かれ、それらは古代のバビロニアやアッシリアの王たちの同じような巨大建築物の石碑のように、遠い過去の面白い名残になるであろう。

 何世紀も先のことを思えばランコフのように「面白い名残」になるかもしれませんが、私ヌルボ、近い将来(北朝鮮の体制崩壊後)を考えると、いや、今もうすでに哀しい気持ちになっています。かつては多くの人々が理想を持って国づくりに携わった社会主義体制のなれの果ての、これもまたひとつの象徴です。

 歴史遺産の中に、「負の歴史遺産」というのがあります。
 アウシュヴィッツ収容所とか、(アメリカが反対した)原爆ドームとか・・・。
 そして現在の北朝鮮の政治犯収容所は、すでにして「負の歴史遺産」当確の施設だと私ヌルボはひそかに考えています。
 それらとは違うレベルですが、ヌルボが思うに、岩に刻まれた金父子の賛揚の文字も一種の「負の歴史遺産」として残ることでしょう。また将来それらを見て恥ずかしさを感じるべきは、北朝鮮や韓国の人たちばかりでもないと考えます。

 しかし、国際社会はこんな自然破壊に対して抗議をしないのでしょうか? 抗議をしても何の得にもならないから? それとも、内政干渉になりますか?

アンドレイ・ランコフ「民衆の北朝鮮」を読む ①日常生活を多岐にわたり詳述

2011-12-11 18:46:21 | 北朝鮮のもろもろ
       

 図書館で借りたアンドレイ・ランコフ「民衆の北朝鮮」(花伝社.2009年)をとても興味深く読みました。

 以前ブラッドレー・マーティン「北朝鮮「偉大な愛」の幻」(青灯社)を読んだ時にも思ったことですが、日本人でも韓国・朝鮮人でもない人が書いた北朝鮮本はあまりよけいなことを考えなくてすむ点がいいですね。
 「よけいなこと」とは、たとえば「差別感」、「政治的立場」、「歴史認識」等々のことです。左翼・右翼、「反日「・「嫌韓」を問わず、もろもろの思い込みは事実を見る目を曇らせてしまいます。
 また、発行出版社を非常に重視する人もいますが、花伝社や青灯社のサイトを見ると、右翼出版社では全然なく、リベラルな書籍を多く刊行していることがわかります。本書を翻訳した鳥居英晴氏も「日刊ベリタ」の記者をしている人だし・・・。

 決して薄くはない、というより部厚い本書を読んでみる気になったのは、たとえば次のようなくだりが目にとまり、共感を覚えたからです。

(裏側の袖=カバー見開き部分)
 長期的には北朝鮮の運命を決めるのは、平壌の宮廷の錯綜した政治でも、複雑な外交交渉でもない。
 北朝鮮の指導者は、改革は自殺行為であると信じており、彼らに変化を期待することはできない。
 経済制裁-圧力と孤立化-の効果も疑わしい。
 唯一の真の希望は、下からの変容の中にあり、そのためには、北朝鮮の人々と外の世界のあらゆる種類の接触を増やすことである。それは、著者ランコフがソ連崩壊で身をもって体験した教訓でもある。

(序文より)
 私は、1984年において、ほぼまちがいなく世界で最も残忍な独裁国にいることは承知していた。・・・けれども、明るい九月の日々の中で、恐怖や抑圧の痕跡を多く見ることはなかった。・・・(談笑するきれいな女性、オフィスに向かう尊大な事務員や小役人、孫を連れて歩く老婦人、学校に急ぐ学生、遊ぶ子供たち・・・。)・・・要するに、すべてはまったく正常に見えた。
 実際、そうであった。私は無邪気で、1つの単純な真実を理解することができなかったのである。最も抑圧的な社会政治的な状況下であっても、大多数の人々は普通の生活をしようとし、一般的にはそうやっていけるのである。


 著者のランコフが初めて北朝鮮を訪れたのは1984年9月。当時のソ連と北朝鮮の間の交流計画により、交換留学生として金日成総合大学に留学した時。1963年生まれ、21歳(?)だった彼の初めての外国行だったとのことです。以後レニングラード国立大に戻り、博士課程修了(朝鮮史)後は、同大学で教鞭を執った後、1992年に韓国へ。その後1996年からオーストラリア国立大学講師を経て、2004年に韓国に戻り、国民大学准教授(→教授)として継続して北朝鮮の政治社会の研究に携わっています。

 つまり、自身北朝鮮で生活した経験があると同時に、かつて社会主義体制下にあったソ連出身ということで、共通点の多い北朝鮮の体制を比較して洞察することができるという点からも信のおける著者といえると思います。

 本書では、後の方の章で経済、外交、密輸、拉致、脱北等の問題も取り上げていますが、とくに興味深いのは、タイトル通り民衆の日常生活について詳述している点です。
 学習活動や自己批判のための集会、ラジオやテレビ等のメディアの状況とその番組の内容、女性の地位、平壌という街(食堂や記念碑等々)、風呂・たばこ・電話・ファッション・余暇の過ごし方・結婚・乗り物・学校生活等々・・・、と実に多岐にわたって記されています。
 私ヌルボも含めて、これまで刊行された北朝鮮本をいくつも読んできた人にとってはとくに驚く新情報はないにしても、記述が具体的で、信頼度が高いと思われます。

 訳者あとがきによると、本書は著者が韓国の英字紙「Korea Times」と「Asia Times」に寄稿した一連のコラムを基に1冊にまとめたもので、2007年に「North of the DMZ:Essays on Daily Life in North Korea」として刊行されているとのことです。
 訳者が、事実関係が古くなったところは著者の了解を得て割愛し、2005~09年の関係情報を注記としてつけ加えている点も、現在の北朝鮮の状況を知る上で役に立ちます。
※たとえば、本書では「未刊のホテル」柳京ホテルの建設(1987年着工)と、工事中断(89年)及びその後の経緯とともに、「北朝鮮の「威信」をかけたすべてのプロジェクトで最大のものである柳京は恐らく、絶望的である。・・・」等と記しています。
これには次のような[訳注]が付いています。
 2008年5月19日の聯合ニュースの報道によると、エジプトのオラスコム社の協力で柳京ホテルの建設工事が同年4月に再開された。金日成生誕100周年に当たる2012年4月15日にオープンすると伝えられる。
 (柳京ホテルについては今年8月「まもなく完成」とのニュースが伝えられました。)

 今回は、この本にある「岩に彫られた巨大な金父子賛揚の碑文」について書くつもりでしたが、すでに字数が多くなってしまいました。次回に回します。

 → アンドレイ・ランコフ「民衆の北朝鮮」を読む ②北朝鮮の景勝地に刻まれた数万(?)の悲しい文字 に続く。

北朝鮮の強制収容所についてのアムネスティのアクション(下)

2011-08-27 23:52:05 | 北朝鮮のもろもろ
 (上)で記したように、アムネスティのサイトから朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮):政治囚収容所の実態と題された調査報告をダウンロードできます。上記リンク先から、<朝鮮民主主義人民共和国メディアブリーフィング>を選んでください。

 その報告から、具体的な収容所の実態についての記述を、読みやすい形にまとめました。

○管理所(政治囚収容所)に移送される人々
・指導部を批判した人々(ほとんどが公務員)。
政策の実施で失敗したと見なされた公務員と党幹部
・他国(たいていの場合、中国)で韓国人と接触した人々。
・食糧危機で政府の政策を批判した人々を含む、反政府勢力に属しているとみなされた人々。
韓国の放送を視聴した人々
・朝鮮戦争時の未送還戦争捕虜。
・韓国NGOと一緒に、または宗教書を所持して、あるいは軍・政治指導層と関係して、韓国へ向かう途中に国境を越えて中国で捕らえられた人々。

○収容所の概況
・耀徳(ヨドク)収容所(第15号管理所)では推計20万人の犯罪者と家族が2種類の区域に収容されている。
・耀徳収容所の冬季の平均気温は、零下20~30度だが、ほとんどの収容所に毛布はない。衣類は作業着を年1回支給。
・耀徳収容所では200人に一つのトイレしかない。
・各収容所でトウモロコシ、ジャガイモ、スイカ等の栽培、豚、羊、アヒル等の飼養、味噌、菓子、麺類、酒類、料理用油、タバコ等の食品・嗜好品の製造、軍服、タイヤ、セメント、紙、硝子、陶器、箸、陶器、屋根瓦、セメント等の製造、石炭、石灰石の採掘等をさせている。

○公開処刑とその「罪状」
・収容者の面前で公開処刑が行われる。インタビューを受けたすべての元被収容者は、それぞれ少なくとも一つの公開処刑を目撃した。公開処刑の数は、ここ数年で急増している。2010年には60人が公開処刑されたことが知られている。処刑は射殺または絞首で、看守の裁量で行なわれる。
・シン・ドンヒョクは第14号管理所で生まれ、23年間をそこで過ごした。彼は母と兄の公開処刑(銃殺)を父とともに群衆の最前列で目撃するように強制された。(2人は逃亡を図ったため処刑された。)
・チェ・クワンホは「北朝鮮ではもう暮らしていけない」と言ったために耀徳収容所に送られた。飢えに負けて作業班から抜け出して野イチゴを取りに行き、2001年4月に公開処刑された。
・26歳のドン・ジュルミは、宗教を理由に1999年に処刑された。

○食糧事情・衛生事情
・价川(ケチョン)市の第14号管理所では食物は1日1人につき700グラム支給。耀徳管理所では、1日にトウモロコシ600グラム(子どもは300グラム)、1年に粥を1回、米を2回支給。得長里の第18号管理所では1日1人につき300~900グラム支給。
・被収容者の推定40パーセントが栄養失調で死亡する。
・収容所の元看守は、囚人は蛇やネズミを捕まえて食べ、豚の餌さえも食べていると話した。
・シン・ドンヒョクの証言。ある日運よく、牛の糞の中にトウモロコシの実を見つけ、拾って袖で拭いて食べた。
・パク・インシクは、酔って国の経済構造を批判したため2001年9月38 歳で第15号管理所に送られてきた。2003年ハチの巣から蜜を取って食べて捕まり、独房に送られ栄養失調で死亡した。
・適切な医療を受けられない。
・耀徳の元収容者の証言によると、囚人たちは何年間もシャワーを浴びていないため体は悪臭を放ち、シラミに覆われていて、垢が厚い層になっているが、全員が臭いので、その悪臭に気づかなくなっていた。

○連座罪
・被疑者の家族の3世代までが耀徳管理所に送られる。父母、祖父母、兄弟姉妹、甥姪、従兄弟までが含まれ得る。数万人が連座罪で管理所に収容されていると思われる。連座罪で収容所に送られた人は裁判を受けられず、いつ釈放されるかも分からない。

○拷問
・秩序を乱すとされた者は、立つことも横になることもできない独房に入れられる。独房には最低限で1週間閉じ込められる。13 歳の少年が8ヵ月間収容されていたケースもあった。
・「飛行機」という拷問。手足を後ろにして縛って、顔を地面に向けて吊るす。1日に最高5回、1回に30分間吊るされる。
・水責めの拷問。ビニール袋を頭からかぶらされ、長い間水に沈められる。元収容者の証言。「低い机に縛り付けられ、ヤカンを口に押し込まれ、無理やり水を飲まされた。鋭い痛みを感じ、息がつまって失神した。気がつくと尋問官が腹の上に置いた板の上でジャンプして水を吐き出させた。・・・腕を縛られて繰り返し吊るされた。別の時には、黒いビニール袋を頭から被され、長い間水の中に沈められた。5ヵ月間、毎日ではないが拷問が続き、拷問がある日は一日中続いた。最後には彼らの思い通りに自白してしまった。」
・シン・ドンヒョクは、13歳の時、失敗に終わった母親と長男の脱獄計画のことで拷問を加えられた。彼は手錠をかけられ目隠しをされて管理所の地下拷問室に連れて行かれ、暗い小部屋に拘禁された。翌日拷問室で裸にされ、足には手錠をかけられ両手はロープで縛られて天井から宙吊りにされた。・・・誰かが炭火を起こし、彼は腰が焼けるのを感じて金切り声をあげると、拷問者たちは彼が身をよじるのを止めるために、鋼鉄の鉤針で股間のあたりを突き刺した。痛みのあまり彼は失神した。
・その他、睡眠剥奪、爪の下に鋭利な竹片を刺す、手錠、手首を縛って吊るすなどの拷問が行われている。

○強制労働
・ある元囚人の証言によると、10歳の時、1日に3回、土30キロ入りの袋を持ち上げるように言われた。きちんとできないと先生たちに棒で叩かれた。
・シン・ドンヒョクの証言。管理所にある5年制の小学校で読み書きと足し算引き算のみを習った。12歳になった時に母親から離されて中学校へ送られた。中学校では実際の授業はなく、草刈り、収穫、肥やし運び等の肉体労働をさせられた。13~16歳の頃危険な作業を強要されたが、作業中に多くの子どもたちが死ぬのを見た。時には一日に4~5人の子どもが死んだ。一度は事故で8人の人が死ぬのを目撃した。高いセメントの壁の上で3人のが作業をして、下の方で15歳の少女3人と少年2人がモルタルの補給作業をしていたが、男性がモルタルを子どもたちの所に運んでいる最中にセメントの壁が崩れ落ち、8人は何トンものモルタルに生き埋めになった。しかし誰も助けようとする者はなく、それどころか警備員たちは『作業を止めるな』と言った
・カン・チョルファンの証言。彼のクラスの子どもたちは土を掘り、その土を200メートル離れた作業場に運ぶよう命令された。12人の子どもたちがシャベルで穴を掘り、その他の子どもたちが土を袋やバケツに入れて運んだ。とても柔らかい土で、いつ崩れるか分からないと恐れていたが、監督の先生たちは子どもたちに掘り続けるよう言った。3日後にこの小山が突然崩れた。その頂上には6人の子どもがいたが、3人が死亡し、あとの3人が重傷を負った。それにもかかわらず、先生たちは子どもたちの不注意だと責めた。

○「思想闘争会議」
・シン・ドンヒョクの証言。彼は1982年~94年の間の最初の12年間を母と一緒に第14号管理所で暮らした。母は農業の任務を課せられ、朝5時に仕事を始め、夜の11時に戻ってきた(11時以降は外出禁止)。夜9時半には仕事を終えても、他の囚人と同じく強制的に「思想闘争会議」に毎日1時間半参加させられていた。母は忙し過ぎ、疲れていて私に愛情を示すことができなかった。だから、母のことを思い出しても特別の感情を持てない。1992年10歳の時、苗を植えるのを手伝うよう命令されていたので母について田圃に行った。母は顔色がとても悪く衰弱していて頭痛を訴えていたが、仕事は免除されなかった。母の仕事がのろく割り当て量をこなすのが無理に見えると、役人は激怒して、他の囚人たちの昼食時間中、母に、陽が照る中で両手を挙げ、泥道にひざまずいているよう命令した。1時間半後に戻ってくると、役人は母に仕事を始めるよう命令した。母はできる限りやったが、3時半頃意識を失った。その晩の「思想闘争会議」で母は2時間ひざまずかされ、他の40人の囚人たちに怠慢さを罵られた。
・元収容者のキムとリの証言によると、彼らは農場で午前7時から午後8時までトウモロコシを栽培していた。10~15人の班に分けられて生産目標を与えられ、その日の目標を達成できない場合は班の全員が罰せられた。収容されていた3年の間、飢えと衰弱で目標を達成できないことがしばしばあった。罰として殴打され、食料の割り当てを減らされた。仕事の後の「思想闘争会議」で、目標を達成できなかった者は他の囚人から厳しく非難され叩かれた。病気になれば、生産しなかったということで食事は与えられなかった
北朝鮮では、「思想闘争会議」がすべての社会階層において、地域社会で定期的に持たれ、そこでは人々が自らの欠点を述べ、他人を批判するよう仕向けられている。一般社会では、このような集会はほぼ週単位で行なわれ、しばしば中年の女性が取り仕切り、見つけたことを当局に報告する。当局が政治的だと見なした罪で報告された人は収容所送りということになる。


 ・・・このような生存権さえ否定されている人々が20万~30万人(?)もいて、運よく中国に脱出しても、<経済難民>は「難民条約上の難民とはいえない」との理由で北朝鮮に送り返されたりしているという現実、またナチス・ドイツによるユダヤ人虐殺の時とは違って北朝鮮の場合は脱北者の証言等から実態がかなり知られているという現実、またこんなひどい状態が何十年も続いているという現実・・・。これをどう考えればいいのでしょうか?

 言いたいことはいろいろありますが、今回の記事の趣旨はアムネスティの報告の概要を知らせるということですので、ここまでにしておきます。

北朝鮮の強制収容所についてのアムネスティのアクション(上)

2011-08-25 20:41:52 | 北朝鮮のもろもろ
 最近、アムネスティ・インターナショナルが、北朝鮮の政治囚収容所について信頼できる証言をもとに、その恐るべき収容所の実態の一部を公表しました。
 そして同日本支部では、この実態の公表にもとづいて、隣国に住むものとして、同国の政治囚収容所の即時閉鎖と被収容者たちの即時釈放を求めるアクションをスタートさせています。

 その北朝鮮に対する要求項目は以下の通りです。

勧告:アムネスティは、朝鮮民主主義人民共和国政府に対し、以下の事を求める。  
○移動の自由の権利
 同国を許可無く出国しても犯罪行為とならないように同国の刑法を改正し、国内外を旅する際に必要とされる許可証を撤廃すること。
 出国者が強制送還されたり、拷問や虐待にさらされないよう保証すること。
○言論や表現の自由の権利
 憲法および関連する国際人権文書にある、表現の自由および宗教の自由を、実際に、完全に保障すること。
○拷問およびその他の虐待について
 刑務所における囚人に対する拷問ならびにその他の虐待および強制労働を直ちに止め、囚人の処遇への国際基準を確実に適用すること。
 収容所および留置所の状況を改善して最低限の国際基準を満たすようにすること。
○死刑について
 公開処刑および裁判無しの処刑を直ちに止めること。
 死刑廃止への第一歩として、死刑の正式な執行停止を導入すること。
○拉致および強制失踪について
 すべての拉致および強制失踪を公に非難し、直ちに止めさせること。
 拉致および強制失踪に関する過去および現在の申し立てを徹底的、且つ独立して公平に調査すること。
 拉致あるいは強制失踪の被害者全員の消息および行方に関する政府としての正確で決定的な情報を作成すること。
 拉致ないし強制的失踪の被害にあった人びとは、国際法に合致した明らかな犯罪事実で起訴されない限り、自らが望めば、同国を離れることができるよう保証すること。


 具体的な要求項目や収容所の実態は→コチラからダウンロードできます。

 ただ、北朝鮮の強制収容所については、すでに脱北者の手記や証言が多数刊行されていて、その数や位置等もウィキペディアに具体的に記されています。

 本ブログでも2009年10月26日の記事申東赫(シン・ドンヒョク)「収容所に生まれた僕は愛を知らない」(KKベストセラーズ)を紹介しつつ、北朝鮮の収容所について書きました。

 今回のアムネスティの調査による収容所の実態報告に目を通してみると、「15人のかつての被収容者と収容所看守の証言に拠る」ブリーフィング・ペーパーということですが、上記の申東赫さんの証言は本の記述にある通りで、また「北朝鮮脱出」を書いた姜哲煥さん(現・朝鮮日報記者)や、その外の人たちの証言も目新しいものでもない感じです。
 しかし、なんともひどい事例のオンパレードであることに違いはありません。

 その具体例については(下)に記します。

 しかし今回は、アムネスティがようやく積極的に北朝鮮の人権問題に対してアクションを起こしたこと自体に注目したいと思います。

 日本では、一般的に「左翼」「人権団体」とみられる組織・団体は、北朝鮮の人権問題についてほとんど声を上げることなく、時には逆に過去の植民地支配や、在日に対する差別を引き合いにして反発することもこれまでにありました。
 アムネスティ日本支部でも、ウィキにも記されているように、「2006年にはアムネスティ日本の総会において北朝鮮の人権・拉致問題への積極的な取り組みを求める決議案が提出されたが否決された」ということもありました。
 しかし、その後状況が変わってきているようです。
 本ブログでも、昨年(2010年)11月22日27日の記事で紹介したように、アムネスティ主催の「北朝鮮の現状」についての講演会が横浜で石丸次郎氏を講師に招いて開かれたりもしています。

 今、アムネスティ日本支部のサイトから、「朝鮮民主主義人民共和国の政治囚収容所の即時閉鎖を!」という内容の、金正日総書記へのハガキがダウンロードできるようになっています。→コチラ
 また、国連人権理事会の理事国で、北朝鮮に強い影響力を持つ中国・ロシア・フランスの大使館に対して、北朝鮮に働きかけるよう要請するハガキもダウンロードできます。→コチラ
 なお、金正日総書記へのハガキは、<北朝鮮帰国者の生命と人権を守る会>のサイトでもダウンロードできるようになっています。→コチラ
 この<北朝鮮帰国者の生命と人権を守る会>の方は、ハガキに金正日・正恩父子の写真入り。北朝鮮では、彼らの写真は「破棄しても踏みつけても厳罰、「丁重に扱う」よう義務付けられています。70円切手をはれば将軍様のいるところに届きます」ということです。なるほど、ですね。

 最近、「朝鮮日報(日本語版)」を見ていたら、「開かれた北韓放送」の河泰慶代表が、かつて民主化闘争をともに闘った民労党・李正姫代表に、「民労党よ、北の人権問題になぜ沈黙するのか」との公開書簡を送ったことも報じられています。
 その書簡で、河代表は次のように記しています。
 私は、民労党と李代表の今後を心配しています。民労党のような従北派は、日帝強占期の親日派よりむごい運命に遭う可能性があるからです。金正日政権の暴政は、日帝と比較してもさらにひどいものです。北朝鮮の人権じゅうりんに匹敵するのは、カンボジアのポル・ポト政権や、ナチ政権くらいしかありません。

 ・・・同様のことは日本についても明らかにいえますね。カンボジアの軍事政権・中国の人権問題・イスラエルによる攻撃等々について声を上げている皆さん、多くの人々が生存権さえ危機にさらされている北朝鮮に対する国際世論をもっと高めてほしいものです。
 北朝鮮・韓国・中国・ロシア・アメリカ、そして日本の6ヵ国政府は、どこも政治的・軍事的な観点から現状維持を望んでいるようです。その中で多数の北朝鮮住民が犠牲になっています。このような状況を変えるには、国を問わず多くの人々が声を発し、情報を広めていく必要があると思います。

※2011年9月8日の追記
「朝鮮日報」「聯合通信」によると、昨日(9月7日)世界15ヵ国から30の人権団体が7日、東京の明治大学に集まり、北朝鮮に非人道的犯罪をやめるよう求める国際機関「北朝鮮の非人道的犯罪撤廃のための国際連帯(ICNK)」を立ち上げたとのことです。
 ヒューマン・ライツ・ウォッチが「各国政府が合同で、国連に非人道的犯罪調査委員会を設置し、北朝鮮の政治犯収容所の実態を調べる必要がある」と主張しているのは大賛成。

[北朝鮮の話題]太陽節、韓国の親北ブログ、パルコルム、平壌を撮った写真家等々

2011-04-17 23:58:01 | 北朝鮮のもろもろ
 最近のニュースから、北朝鮮関係の話題4つ。

①一昨日4月15日は「太陽節」でした。これが何の日なのかすぐわかる日本人は1000人中何人かはいるでしょうか? ヒントは北朝鮮、で見当がつく人はそれなりにいるのでは? 正解は金日成の誕生日。  1997年に制定されました。この時に、彼の生年1912年を元年とする「主体(주체.チュチェ)歴」も定められました。ということは、今年2011年は主体100年にあたります。(「大正」と同じ)
主体歴が実際にどれくらい用いられているかというと、朝鮮総聯や朝鮮新報のサイトで使っていないばかりか、本元の北朝鮮の公式ウェブサイト「우리 민족 끼리(ウリミンジョクキリ.わが民族同士)」にもなく、「로동신문(労働新聞)」「통일신보(統一新報)」のような新聞に「주체100(2011)년」と表記されています。

 太陽節(태양절)が近づいてくると、「ウリミンジョクキリ」にさまざまな関係記事が掲載されます。画像や音楽等々も含めて、よくこれだけ次々に特定個人を称揚するネタがあるものだと感心(?)するほどです。
 たとえば、太陽節前日の14日には、「화면음악 우리의 영원한 태양절」という歌がuriminzokkiriによってYouTubeにupされました。当日の15日には金日成の少年時代の肖像写真が載っていました。

   
 【4月17日(日)の平壌。太陽節の装飾はあるが、人も車も少ないです。】

上記「ウリミンジョクキリ」の昨日(4月16日)の記事中に「공화국의 현실을 격찬(共和国の現実を激賛)」という見出しの記事があったので、一体どこの御仁が北朝鮮の現実を激賛しているんだろう?と読んでみると、南朝鮮(韓国)のあるブログ。「내가 본 강성대국이란!(私が見た強盛大国とは!)」という題の記事で、抗日闘争を戦い、戦後は日本の支配を引き継いだアメリカと戦った北の指導者と人民を称えています。
 もしやと思い、韓国の諸サイトを探すと、案の定次のようなニュース記事がありました。
 「警察、北韓の'太陽節'賛揚記事のブログ捜査」。13日の「朝鮮日報」をはじめ各紙に載っています。
 このニュースによると、利敵の嫌疑が明白に表れていれば、運営者を召喚して立件する計画とのこと。
 また「東亜日報」は社説でこのような「親北ブログ」を厳しく非難しています。
 いわく、朝鮮戦争を起こして数百万の犠牲者を出し、北の住民を餓死と収容所の恐怖で苦しませ、1990年代の「苦難の行軍」の時には300万人を餓死させた民族の大逆罪人金日成を称揚するブログは「表現の自由」として見過ごすわけにはいかない、国の指導層・知識人・教師たちも責任をまぬかれない・・・。 しかし、ニュース記事中で親北ブログの実例として挙げられていた「이민위천(以民為天)」や上記の「내가 본 강성대국이란!」は今現在フツーに見られます。これからどうなるのかな・・・?
 私ヌルボなんかは、韓国にも4800万人もの人がいるわけだから、中にはそんな頓珍漢人もいるだろうと鷹揚に構えてもいいのでは、と考えるのですが・・・。そんなに影響力があるとも思われないし・・・。

 あ、日本にも<朝鮮労働党万歳!>という熱烈な親北ブログがありますが、これを読んで北朝鮮に憧れる人が増えるかどうか? (北朝鮮歌謡のファンは少し増えるかも。)

上記の親北ブログ<朝鮮労働党万歳!>中の記事で知ったのですが、金正恩を称える歌「パルコルム(足取り)」の動画がYouTubeにupされていたんですね。昨年この歌について一部で報道された直後に探したものの、見つかりませんでしたが、その後登場したんですね。
 1つはシンクロナイズドスイミングの音楽として使われている動画。→YouTube
 もう1つは中国のサイト中の「朝鮮紀行」という記事内にあるもので、これは見ものです!→YouTube この8:50のところから「パルコルム」が流されていますが、画像の兵隊の整列行進に注目。足をピンと伸ばして、跳ぶように行進するので、瞬間的に両足とも地面から離れるのです。
 ・・・ふー、御疲れさまなこってす。

14日に、白金のMISA SHIN GALLERYで開かれていた韓国の写真家バク・スンウ氏の「Blow Up」と題した展覧会を見てきました。彼が2001年カメラマンとして1ヵ月平壌に滞在していた時に撮影した写真です。撮影は徹底した監視と統制のもとに行われたうえ、検閲を経て残った平凡な風景写真を「Blow Up」(拡大)することにより、「北朝鮮という非現実的な世界を一層現実的に浮かび上がらせた」ということだそうです。
 詳しくは→コチラの記事を参照のこと。そしてコチラの記事では、MISA SHIN GALLERYの展示のようすを写真で紹介しています。
 また「Utopia」と題して、平壌の写真に作為を施した作品群も展示していました。思うに、北朝鮮では普通の風景でも、外の世界から見ればそのままで十分に非現実的な印象が感じられるのでは、というのがヌルボの感想。
 MISA SHIN GALLERYは、以前は鉄工所だったそうで、外からだととても画廊には見えません。半開きの戸の隙間ごしに金日成の肖像写真などが目に入ると、なんとも不思議な感覚にとらわれてしまいます。(下写真)

      

「新東亜」の記事から- 北朝鮮の夜の暗さの推移を分析する

2011-04-14 23:56:46 | 北朝鮮のもろもろ
 311東日本大震災後、被災地や首都圏の夜は暗くなりました。<NAGLLY.COM>というブログに、アメリカ海洋大気圏局(NOAA)による夜間の衛星写真が載せられていました。震災の前後の明るさの違いが歴然としています。

 NOAAによる夜間の衛星写真といえば、たまたま先日横浜市立図書館で「新東亜」3月号を読んでいたら、「美 NOAA 야간 위성사진으로 분석한 북한의 경제상황(米国NOAA夜間衛星写真で分析した北朝鮮の経済状況)」という記事がありました。
 →日本語(自動翻訳)

 NOAA夜間衛星写真による南北朝鮮の明るさの極端な違いについては、これまでも報道されてきました。下のように、北朝鮮の夜は平壌以外はほとんど真っ暗と言っても過言ではないほどです。

     

 今から20年前の1991年、私ヌルボが初の海外旅行で北朝鮮に行った時も夜の暗さを実感しました。平壌の街中でも、夜の暗さは足元もよく見えないほどで、節電している現在の横浜市街地の比ではありません。高麗ホテルは日中でも薄暗く、夜はほとんど真っ暗。その中で1ヵ所小さな灯で照らされている所があったので、何かと思って行ってみると、売店に置かれている金日成像でした。
 その後平壌から開城に鉄道で移動した時も、日没後は闇の中を走っているようでした。たまに地方の町を過ぎる時、電気が点いてるな、と見ると、そこにはやっぱり金日成の銅像が・・・。
 夜の北朝鮮で、例外的に灯が点いているのはすべて金日成像がある所ではないかと思いました。(真偽のほどは定かではありません。)

 さて、「新東亜」の記事を読んで知ったことは、NOAA夜間衛星写真が単に明るさを比較するだけでなく、光の数が1992年以降継続して細かく数えられているんですね。また、このSOL(Sum of Lights)と呼ばれる数値の推移から、北朝鮮経済の実情を垣間見ることができるということなのです。

 そのグラフを見てみます。
    

 北朝鮮は韓国の約50~60分の1という、けた違いの格差も目を引きますが、ここでは北朝鮮の18年間の変化に注目。
 1997年、大きく下落しているのは、いわゆる「苦難の行軍」が頂点に達した時で、96年のSOLに比べて20%以上急激に減少しました。
 その後国際社会の支援が続き、金大中~盧武鉉政権の頃には南北の経済交流が進められたこともこの数値に反映されていると思われます。またこの記事では、2002年の7.1経済管理改善措置によって住民の個人的な市場経済活動を一定程度認めたこととも関連づけています。

 ところが2005年に増加傾向は停止し、4万のレベルに急落。7.1措置の主要な政策が後退し、配給制が復活してきた年でした。
 さらに2008〜09年には、過去18年の中で最低の状態に落ち込みました。
 理由として考えられるのは、李明博政権発足後、韓国の対北経済支援が急速に減ったこと。毎年30万〜40万tほど送られていた米や、30万tほどの肥料の対北支援が中断され、金剛山観光などの主要な交流事業も絶たれました。2009年の長距離ミサイル発射実験・核実験により主要国の対北朝鮮経済制裁は一層強化され、中国以外の外の世界との交流がほとんど失われて、北朝鮮全体が一層閉鎖的な経済体制になりました。

 光の数の推移を見ると、そんな経済状況をそのまま反映しているようです。

 20年前、ヌルボが行った時あれだけ暗かった北朝鮮が、その後は多少なりとも明るくなっているのかなと思ったら、逆に暗くなっているとは・・・。まあ、さもありなん、といったところかもしれませんが・・・。

朝鮮中央放送・李春姫アナのパロディが台湾で・・・

2011-02-21 23:58:22 | 北朝鮮のもろもろ
 1つ前の記事で、北朝鮮のTVニュースでのアナウンサーの威圧的な語調に対する違和感について記しました。

 強権的体制の国にはあの語調はつきものかもしれませんが、日本の戦時中の、大本営発表の戦況を伝えるニュースも高揚した語調ではありましたが、北朝鮮レベルには達してないですね。
 私ヌルボが思い出すのは、1960年代頃の北京放送の日本向けラジオ放送。「アメリカ帝国主義は張り子の虎である」の最後の「ある」が「aru」ではなく「al」になっていたのが耳に残ってます。これも堂々たる語調でしたが、北朝鮮のような激烈な感じではなかったですねー。

 YouTubeで、その朝鮮中央放送の動画を見ることができます。

①先の記事で紹介した李春姫(リ・チュニ)人民放送員が北朝鮮の核実験を伝えるニュースです。


 このような北朝鮮のニュース・アナが日本だけでなく、台湾でもからかいのネタになっていることを、ご当人や北朝鮮の人たちは知っているのでしょうか?

②台湾のTV局・中天電視のサイト中の<娯楽影音>では、北朝鮮のニュース番組のパロディがいろいろあるようです。
 [2018年12月5日の追記] 今確認したところ、最初の男性による(!)李春姫パロディ動画はその後削除されたようです。
 その代わりに、同じ台湾の、チマチョゴリを着た女性によるパロディ動画を貼っておきます。


③ついでに、タモリの代表的持ちネタにデタラメ外国語がありますが、その中に<南北朝鮮の違い>というのがあったので、これも貼っておきます。

 もちろん、北朝鮮のふつうの人がこんな話し方してるわけではないですけどね。誤解しちゃう人はいないでしょうね・・・。

「新東亜」2月号 北朝鮮の<放送員>(アナウンサー)の記事等に注目

2011-02-20 23:52:10 | 北朝鮮のもろもろ
 韓国語が中級の上くらいになると、多少わからない単語があっても、新聞や雑誌、易しめの小説等はおよそ読めるようになります。しかしそれらをいくら読んでも、語学力upにはならないという忠告(?)が何かに載っていました。
 なるほどたしかに、と思いつつ、やっぱりテキストや問題集に取り組むよりも、ついつい韓国雑誌を読んだり韓国サイトのネットサーフィン等々に走ったりしてしまいます。

 ・・・ということで、例によって横浜市立図書館で「新東亜」2月号拾い読み。この号で私ヌルボが着目したのは次の3つの記事。

①장해성 전 조선중앙TV 작가가 말하는 북한 아나운서들(チャン・ヘソン元朝鮮中央TV作家が語る北朝鮮のアナウンサーたち)
②신작 ‘소년을 위로해줘’ 펴낸 은희경(新作「少年を慰めてやって」を著した殷煕耕(ウン・ヒギョン))
③국가인권위 상임위원 내정 논란 전향한 김일성주의자 홍진표(国家人権委・常任委員内定論難 転向した金日成主義者ホン・ジンピョ)

 コピーをとって一通り目を通しました。
 とくに興味深かったのが①。北朝鮮のアナウンサー事情を、1996年脱北したチャン・ヘソン元朝鮮中央TV作家の話を中心に伝えています。
 リンク先の写真左は、日本でもおなじみの有名な女性アナウンサーの李春姫(리춘희.リ・チュニ(リ・チュンヒ))さんです。

 記事によると、北朝鮮ではアナウンサーのことを<放送人(방송원)>といいます。北朝鮮でも女性アナの人気は高く、やはり一種のスターで、髪型・ファッションは注目されているそうです。ただ、名前はTVに出ることはないので、北朝鮮の専門家の間でも好奇心はあっても知られていない部分があるとか。
 アナウンサーは待遇もよく、放送局幹部を上回るほどで、平壌市内の蒼光街のような一級地(冬に暖房や温水が切れない)に住むことができたり、運転手付きの日本製の新型車を支給されたり、給料以外の現物給与の恩恵を得たりしている等々・・・。
 朝鮮中央放送にはTVアナが20余名、ラジオアナが100名近くもいます。放送時間や番組数に比して大人数です。評価の高い一部のアナ以外は他の部署をまわらざるを得ません。視聴率や世論調査のない中で、彼らに対する評価の決め手は金正日の<お言葉>。一言でもお褒めのお言葉をいただければ即座に昇進とか。

 李春姫さんは1943年生まれ。現役中唯一の<人民放送員>の称号を得ているアナウンサーで、1974年デビューし、定年を過ぎた今も主要事件の際はアナウンサーを任されています。

    
   【有名なリ・チュニ(李春姫)放送員(左)と、彼女に続く人気アナのリュジョンオク放送員(右)。】

 さて、北朝鮮の放送というと誰もが思い浮かべるのが、例の威圧的な話し方。あの話し方は、公式的には金正日の指示を伝えたとされるが事実上は往年の名アナウンサーのリ・サンビョク人民放送員が1980年代後半に著した「話術論」に拠るものだそうです。この本は2003年「朝日新聞」が入手し、報道しました。たとえば「敵を強く非難するときは威圧するように・・・」等とあるそうです。
 ※くわしくは、→コチラの記事参照。ホントに、とても詳しく紹介されています。

 しかし、「新東亜」の記事によるとリ・サンビョク氏は1966年イギリスW杯直後、北朝鮮の軍隊式放送姿勢を改めようと主張し、「われわれも美しい言葉遣いを学ぼう」と放送員たちに韓国の放送を聴かせもしたことがあったといいます。ところが金日成の主体路線が明確化する中で批判を受け、農村に下されます。その後、やはり朝鮮中央放送の伝説的人物なので結局は復帰し、1997年に世を去るまで最高の地位を享受しました。

 記事によると、それでも2005年以降朝鮮中央放送TVも変わってきているそうです。
 以前は民族服だけだったのが、洋装も見られるようになったり、髪型も多様になってきていることや、絶叫型の話し方も以前よりはソフトになっているとか、また画面の背景も大同江を中心とした平壌市内の映像にする等々。

 とはいうものの、やはりあの話し方は奇異というか、滑稽ささえ感じてしまうのがふつうの感覚ですね。終戦以前の日本もあれほどではなかったでしょう。
 ・・・と思うのは日本人だけではない、ということで、この件続きます。

付記:2007年の「朝鮮日報」に関連記事がありました。

北朝鮮政府だけは擁護する<人権派>って・・・・

2010-12-20 23:45:41 | 北朝鮮のもろもろ
 「週刊金曜日」の最新号(12月17号)。
 投書欄に「日本人を盲目的にする北朝鮮情報」と題する一文が寄せられていました。

 不確かな情報だけで北朝鮮という国や国民を罵倒したり嘲笑したりすることを批判してるのかな、と思ったら、次のような冒頭からしてアレレのレ。

 本誌11月26日号の「北朝鮮」石丸次郎氏の記事を読んでがっかりした。これでは、右寄り新聞の情報と変わらない。「北朝鮮」におどろおどろしい国のようなイメージを焼き付けている。

 ・・・11月26日号の石丸次郎氏の記事というのは、同誌10月29日号で成田俊一というジャーナリストが書いていた「先端技術の応用で生産力増強に突き進む 「自給自足国家」へ向かう熱気」という記事を<北朝鮮の提灯持ち記事>と批判した記事のことです。要するに、北朝鮮に都合のよいことだけを書いてくれる人たちは歓迎して、良いところだけ見せる、ということです。

 私ヌルボ、11月14日の記事で「週刊金曜日」に石丸氏の寄稿が載ったことを記しました。
 ようやく「週刊金曜日」も北朝鮮の人権問題についてのスタンスが少し変わってきたのかなと思いましたが、抵抗勢力というべきジャーナリスト&読者はいまだ根強い力をもっているようです。

 上記投稿者も去る9月29日~10月6日、「長年、日朝国交回復に努力されている元国会議員や著名な学者、平和運動団体代表に同行して」北朝鮮を訪問したとのことで、一面しか見ていないことは事実かもしれないが、「まるでブルーのカーテンがかかって何も見えないかのような報道は誤り」と書いています。外国人ホテルであるとしてもテレビはNHKもCNNも写るし、食事もいろいろあった。「国民全部が飢えているかのごとく報道するのはいかがなものか」というわけです。さらに、
 「日本だってブルーテント村と駅前でたむろしている人たちだけを写真に撮れば「貧困なる日本」が描けることだろう。モノがあふれる国ではないが、医療費や家賃がタダ、という社会を一概に否定はできない。・・・・日本だけが北朝鮮を知らない。西側の諸国には、広く開かれている」
 ・・・と、まあこんな感じで、もう何をかいわんや・・・。(北朝鮮の一般家庭でふつうにNHKが視られるか? 映画「クロッシング」に描かれているような医療の実態はご存じないか? 家だって闇の市場ができてきてるようなのに・・・。)

 この方を含む訪朝団一行の記録が<平和フォーラム>のサイトにありました。「週刊金曜日」10月29日号に「先軍政治を修正し党体制を整備」という記事を書いている和田春樹氏がこの訪朝団に参加している「著名な学者」だったんですね。

 成田俊一という人は「週刊金曜日」の昨年6月5日号にも北朝鮮の現地ルポを寄せています。 タイトルは「あらゆる制裁を恐れない国」。そのあらましは、「5月25日の核実験当日に北朝鮮を訪れていた筆者が聞いた生の声とは。 ・・・北の脅威を煽る日本と、揺るがない北朝鮮。日本では溜飲を下げるために 闇市や飢餓ばかりが報道されるが、この国は着実に力をつけている」。これだけでも北朝鮮の提灯持ちっぽい雰囲気が漂っています。

 ・・・ヌルボが北朝鮮の飢餓や政治犯収容所等を問題にするのは、純粋に人権を、それも生存権を脅かされている人たちが数多くいるためで、決して溜飲を下げるためなどではありません。中にはそういう人もいるのかもしれませんが、なんで一番低レベルの相手を想定して非難するのでしょうか? ビルマの軍事政権やイスラエルの所業等については厳しく批判するのに(それは正しいのだが)、まさに「人権派を盲目にする朝鮮に対する贖罪意識」ってとこですか? 

 上記の投稿者のSさんや成田俊一氏、やはり「週刊金曜日」にしばしば記事を寄せている長沼節夫氏等々は、1984年刊行の金元祚「凍土の共和国」を皮切りに、張明秀「裏切られた楽土」(1991)、姜哲煥・安赫「北朝鮮脱出」(1995)等々、数多く出されている北朝鮮の内部を知る人が書いた本を読んだことがないのかなあ? 読んだとしたら、どう判断したんでしょうね?

 ヌルボも元来<人権派>たることを自認している人間で、こういう方々とも近しい間柄のはずが、どこらあたりから違ってきたのか・・・? 
 どうも、大人になってもサンタクロースの実在を疑わない人たち、という感じがしてしまいます。

金正恩の「肉のスープ」発言、「韓流ドラマを見て約1200人拘束」の記事を考える

2010-12-17 21:46:32 | 北朝鮮のもろもろ
 先週「読売新聞」は、北朝鮮についてちょっと目をひく2つのニュースを相次いで伝えました。
 1つ目は12月5日。「「3年以内に肉のスープ」正恩氏が経済目標」というのがその見出しです。
 2つ目は12月7日の「北朝鮮、韓流ドラマ視聴で1200人収監」という記事。

 案の定、すでに多くのサイトやブログ等でこれらの記事をそのままコピーして流したり、コメントをつけたりしています。

 どちらも確かに興味深い記事ですが、なんとなくありそうな話ではありますが、「ひどいなあ」と反応する前に、私ヌルボはいろんなことを考えてしまいました。
 今回の記事はとりあえず最初の「米のご飯と肉のスープ」の方についてです。

 記事の要点は、金正恩氏が11月上旬頃、平壌での会合で「3年以内に国民経済を1960~70年代のレベルに回復させ、(金日成(キムイルソン)主席の目標だった)『白米を食べ、肉のスープを飲み、絹の服を着て、瓦屋根の家に住む』を、真に成し遂げねばならない」と述べた、というものです。

 「米のご飯と肉のスープ・・・」は、金日成が1962年10月22日掲げた言葉です。しかしその後もこの目標は実現されることなく、1990年代、彼の死の前後には100万~300万人(?)、人口の5~15%ともいわれる餓死者を出し、さらに<DKコリア>の伝えるところでは、今年1月「金正日が『米のご飯に肉のスープ、絹の服に瓦の家』という金日成の遺言を達成できなかったと言い、人民生活の向上には手が回らなかったことを認めた」という記事を報じています。

 しかし今、金正恩がもし庶民相手に「3年以内に米のご飯と肉のスープを・・・」と言ってもおそらく反応は「何をいまさら・・・」だろうし、むしろ逆効果ではないでしょうか? すると、彼はどんな場で、どういう意図でこう言ったのか? またそれを誰が伝えたのか? そもそも、これは信頼できる情報なのか?

 この読売の報道後まもなく、韓国の各メディアが「日本の読売新聞によると・・・」として一斉にこのニュースを流しました。各社がどの程度ちゃんと「ウラをとった」かはわかりません。その中で、「読売」の記事では「平壌での会合で・・・」となっているのを、SBSテレビでは「평양에서 경제 관료들을 모아놓고(「平壌で経済官僚たちを集めて」)としているのが、なにか根拠があるのかな、と思ったくらいです。
 読売の記事を読みなおすと、「中朝関係筋が5日、本紙に明らかにした」とあります。もし庶民向けのアナウンスではなく、対経済官僚のような内輪の会議の情報だとすると、どんな情報入手経路があるのでしょうか?

 ・・・という疑問があるので、このニュースの内容が事実か否かについては、私ヌルボは保留にしておきます。

 しかし、北朝鮮の食糧事情があいかわらずひどい状態であることは事実です。
 11月22日の当ブログ記事中で、講演会「北朝鮮の現状」の報告を載せましたが、その日会場に掲示されていた北朝鮮の写真中に食膳が撮られていたものがありました。
 メニューは、米とトウモロコシが半々のご飯、コチュジャン、ニンニク少し、サンチュ。これで全部です。コチュジャンで肉などを包むのでもなく、コチュジャンをつけて食べる何かがいろいろあるわけでもありません。
 また先の記事で8月17日にテレビ朝日「報道ステーション」放映の「北朝鮮デノミ崩壊」と題したDVD映像について記しました。いちばん印象に残っていると書いたのがウサギ飼育のための雑草集めをしている女の子(実は23歳)の姿でした。
 ところが、ヌルボが購読しているメルマガ<モーニング・コリア>(←8月22日の記事参照)から最近送られてきた情報中に「ホームレス女性、ついに餓死」という見出しで彼女のことが載っていました。(→記事本文) 上述のテレビ番組中のテロップではウサギのエサとありましたが、自分が食べるウマゴヤシだったんですね。

 これも今月初め、たまたま「朝鮮日報」のサイトで「北朝鮮の人口構成、90年代の食糧難でひずみ」とという見出しの記事を観ました。
※リンク先の記事が見られない場合は→コチラそこに北朝鮮の人口ピラミッドが載っていますが、経済活動の主力となる青年層(20-34歳)の人口が少ない「S字型」となっていて、それは1990年代の深刻な経済難と食糧難で、新生児や育ち盛りの子どもが栄養失調や病気で死亡したためとみられるそうです。
 また、各種報道によると、北朝鮮人は韓国人より身長が6㎝(orそれ以上)低いともいわれます。

 北朝鮮の窮迫した食糧事情を示す例はそれこそ枚挙にいとまがないほどです。
 ことほどさような状態なのに、なぜ金正日や北朝鮮指導部はフツーの常識をもっているならすぐわかる解決策、すなわち開放政策に踏み切らないのか、というと、やはり現在の地位とその<役得>を失いたくないということと、また開放政策をとるとわが身がチャウシェスクのような悲惨な末路においやられるかもしれないという恐れにとらわれていると考えていいんでしょうね?
 北朝鮮当局がこれまでしばしば外国に対して求めている<体制保障>というのは、国際的・軍事的な安全保障だけでなく、<現在の北指導部の組織・地位等の保証>のようにも読めてしまうのですが、いかがなものでしょうか? (外国に求める筋のものでは当然ないが・・・。)

 「読売」の記事の通り金正恩が語ったことが本当だとすれば、いよいよ経済がジリ貧になって、このまま沈みゆく船に乗っているよりも、父の金正日を踏み切り台にして果敢に開放政策に打ってでるなんてことを企図しているのかしら!? ・・・結論は、「よくわからん」、としかいいようがありません。(ここまで読んでくださった方、すみません、です。)

 ※プロの評論家諸氏は、よくいろいろ語れるなあと思います。北朝鮮のように情報自体が少なく、正確度にも乏しい中、「わかりません」という方が誠実かつ妥当な答えだという場合もあると思いますが・・・。