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アンドレイ・ランコフ「民衆の北朝鮮」を読む ①日常生活を多岐にわたり詳述

2011-12-11 18:46:21 | 北朝鮮のもろもろ
       

 図書館で借りたアンドレイ・ランコフ「民衆の北朝鮮」(花伝社.2009年)をとても興味深く読みました。

 以前ブラッドレー・マーティン「北朝鮮「偉大な愛」の幻」(青灯社)を読んだ時にも思ったことですが、日本人でも韓国・朝鮮人でもない人が書いた北朝鮮本はあまりよけいなことを考えなくてすむ点がいいですね。
 「よけいなこと」とは、たとえば「差別感」、「政治的立場」、「歴史認識」等々のことです。左翼・右翼、「反日「・「嫌韓」を問わず、もろもろの思い込みは事実を見る目を曇らせてしまいます。
 また、発行出版社を非常に重視する人もいますが、花伝社や青灯社のサイトを見ると、右翼出版社では全然なく、リベラルな書籍を多く刊行していることがわかります。本書を翻訳した鳥居英晴氏も「日刊ベリタ」の記者をしている人だし・・・。

 決して薄くはない、というより部厚い本書を読んでみる気になったのは、たとえば次のようなくだりが目にとまり、共感を覚えたからです。

(裏側の袖=カバー見開き部分)
 長期的には北朝鮮の運命を決めるのは、平壌の宮廷の錯綜した政治でも、複雑な外交交渉でもない。
 北朝鮮の指導者は、改革は自殺行為であると信じており、彼らに変化を期待することはできない。
 経済制裁-圧力と孤立化-の効果も疑わしい。
 唯一の真の希望は、下からの変容の中にあり、そのためには、北朝鮮の人々と外の世界のあらゆる種類の接触を増やすことである。それは、著者ランコフがソ連崩壊で身をもって体験した教訓でもある。

(序文より)
 私は、1984年において、ほぼまちがいなく世界で最も残忍な独裁国にいることは承知していた。・・・けれども、明るい九月の日々の中で、恐怖や抑圧の痕跡を多く見ることはなかった。・・・(談笑するきれいな女性、オフィスに向かう尊大な事務員や小役人、孫を連れて歩く老婦人、学校に急ぐ学生、遊ぶ子供たち・・・。)・・・要するに、すべてはまったく正常に見えた。
 実際、そうであった。私は無邪気で、1つの単純な真実を理解することができなかったのである。最も抑圧的な社会政治的な状況下であっても、大多数の人々は普通の生活をしようとし、一般的にはそうやっていけるのである。


 著者のランコフが初めて北朝鮮を訪れたのは1984年9月。当時のソ連と北朝鮮の間の交流計画により、交換留学生として金日成総合大学に留学した時。1963年生まれ、21歳(?)だった彼の初めての外国行だったとのことです。以後レニングラード国立大に戻り、博士課程修了(朝鮮史)後は、同大学で教鞭を執った後、1992年に韓国へ。その後1996年からオーストラリア国立大学講師を経て、2004年に韓国に戻り、国民大学准教授(→教授)として継続して北朝鮮の政治社会の研究に携わっています。

 つまり、自身北朝鮮で生活した経験があると同時に、かつて社会主義体制下にあったソ連出身ということで、共通点の多い北朝鮮の体制を比較して洞察することができるという点からも信のおける著者といえると思います。

 本書では、後の方の章で経済、外交、密輸、拉致、脱北等の問題も取り上げていますが、とくに興味深いのは、タイトル通り民衆の日常生活について詳述している点です。
 学習活動や自己批判のための集会、ラジオやテレビ等のメディアの状況とその番組の内容、女性の地位、平壌という街(食堂や記念碑等々)、風呂・たばこ・電話・ファッション・余暇の過ごし方・結婚・乗り物・学校生活等々・・・、と実に多岐にわたって記されています。
 私ヌルボも含めて、これまで刊行された北朝鮮本をいくつも読んできた人にとってはとくに驚く新情報はないにしても、記述が具体的で、信頼度が高いと思われます。

 訳者あとがきによると、本書は著者が韓国の英字紙「Korea Times」と「Asia Times」に寄稿した一連のコラムを基に1冊にまとめたもので、2007年に「North of the DMZ:Essays on Daily Life in North Korea」として刊行されているとのことです。
 訳者が、事実関係が古くなったところは著者の了解を得て割愛し、2005~09年の関係情報を注記としてつけ加えている点も、現在の北朝鮮の状況を知る上で役に立ちます。
※たとえば、本書では「未刊のホテル」柳京ホテルの建設(1987年着工)と、工事中断(89年)及びその後の経緯とともに、「北朝鮮の「威信」をかけたすべてのプロジェクトで最大のものである柳京は恐らく、絶望的である。・・・」等と記しています。
これには次のような[訳注]が付いています。
 2008年5月19日の聯合ニュースの報道によると、エジプトのオラスコム社の協力で柳京ホテルの建設工事が同年4月に再開された。金日成生誕100周年に当たる2012年4月15日にオープンすると伝えられる。
 (柳京ホテルについては今年8月「まもなく完成」とのニュースが伝えられました。)

 今回は、この本にある「岩に彫られた巨大な金父子賛揚の碑文」について書くつもりでしたが、すでに字数が多くなってしまいました。次回に回します。

 → アンドレイ・ランコフ「民衆の北朝鮮」を読む ②北朝鮮の景勝地に刻まれた数万(?)の悲しい文字 に続く。

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