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「修道士団は基本的に俗人の集団」

2016-12-23 | トッド『家族システムの起源』
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2016年12月23日(金)11時40分1秒

大川小学校の件、ズルズルと検討を遅らせているうちに年の瀬になってしまいましたが、既にマニアックな法律の話になっていますので年末年始にやる気分にもなりません。
そこで来年、『判例時報』に若干の解説付きで出るのを待って、改めて仕切り直しをしようと思います。
『贖罪のヨーロッパ』も雑用のために毎日カタツムリ程度のスピードでしか読めませんが、クリスマスの時期にはちょうど良い本ですね。
私も基礎知識がないので、p39に「修道士団は基本的に俗人の集団であるから、修道院内で聖餐式のような秘蹟を授ける資格を有する人物が必要になるとき、近隣の司祭に依頼しなければならない」とあるのを見てびっくりしましたが、この点は少し先に説明がありました。(p73以下)

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 ここで教会法のうえで修道院と修道士がおかれていた地位について、いささか説明をしておかなければならない。
 古代後期ローマの法典であり、ガリアではメロヴィング朝期にもローマ系の住民を規制した『テオドシウス法典』は、修道院に対する司教の監督権を定めている。そもそも修道士は、先にも触れたように基本的には秘蹟を授ける権能を有しない俗人であった。その意味では修道士は聖職者身分には属さない。だが現実には、修道院のなかでさまざまの典礼や行事では秘蹟を授ける機会が少なくない。そうした必要から、修道士のなかの誰かひとりを選んで、司祭として叙階することが制度化された。われわれがすでに見たベネディクト戒律にも、それに関する規定があったことを想起されたい。
 助祭や司祭や司教などの聖職者と、修道士との身分的な区別は厳然としてあり、修道士は信徒が教会に対して支払う収入の十分の一、すなわち十分の一税を要求することは禁じられ、逆にその支払いを求められるほどであった。カロリング朝期の教会知識人であったラバヌス・マウルスは「キリスト者世界としての教会は三つの職能に分かたれている。教会を管理し、奉仕する聖職者、この世の活動から遠く離れていて、戒律を遵守して修道院で修行するのであれ、隠棲の地で最善を尽くすのであれ、俗世のことがらから自由な修道士、そして平信徒である」と述べており、九世紀にもこうした観念は健在であった。
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税金を要求できないのはともかく、「逆にその支払いを求められる」のでは「俗世のことがらから自由」とはほど遠いですね。
税金こそは俗世そのものですから。
ま、もちろんこの桎梏は後に変化する訳ですね。

>筆綾丸さん
>ご引用の文でよくわからないのは、ソワソンはまるで方向違いだ、ということです。

私も佐藤氏の文章を丸写ししているだけですが、ウィキペディアを見ても、

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Soon after the ship set sail from Nantes, a severe storm drove the vessel back ashore. Convinced that his holy passenger caused the tempest, the captain refused further attempts to transport the monk. Columbanus made his way across Gaul to visit King Chlothar II of Neustria at Soissons where he was gladly received. Despite the king's offers to stay in his kingdom, Columbanus left Neustria in 611 for the court of King Theudebert II of Austrasia in the northeastern part of the Kingdom of the Merovingian Franks.[1]


ということで、それなりの出典付でソワソン滞在に言及していますね。

※筆綾丸さんの下記投稿へのレスです。

ブレゲンツ音楽祭 2016/12/22(木) 14:07:12
小太郎さん
鑑真和尚などは、仏教上の「緑の殉教者」とも云えなくもないですね。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BD%E3%83%AF%E3%82%BD%E3%83%B3
ご引用の文でよくわからないのは、ソワソンはまるで方向違いだ、ということです。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%96%E3%83%AC%E3%82%B2%E3%83%B3%E3%83%84%E9%9F%B3%E6%A5%BD%E7%A5%AD
ブレゲンツは音楽祭で有名で、一度は行きたいと考えていますが、『トゥーランドット』(2015-2016)の湖上舞台は大変な評判だったようですね。

https://en.wikipedia.org/wiki/Territorial_Abbey_of_Wettingen-Mehrerau
ブレゲンツ修道院は、現在、ヴェッティンゲン・メーレラウ修道院と云い、湖上舞台の近くですね。リュクスーユ( Luxeuil )の lux は光(ラテン語)で、seuil(仏語)は敷居・門口のことだから、Luxeuil は光の射し入る門くらいの意味になるのでしょうね。
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The first monastery at Mehrerau was founded by Saint Columbanus who, after he was driven from Luxeuil, settled here about 611 and built a monastery after the model of Luxeuil. A monastery of nuns was soon established nearby.
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https://en.wikipedia.org/wiki/%C3%89ditions_du_Seuil
フランスの有名な出版社にスイユ社というのがありますが、
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It owes its name to this goal "The seuil (threshold) is the whole excitement of parting and arriving. It is also the brand new threshold that we refashion at the door of the Church to allow entry to many whose foot gropes around it" (letter of father Plaquevent, 28 December 1934).
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とあって、やはり宗教的な意味が込められていますね。

https://www.kinokuniya.co.jp/f/dsg-02-9782757859575
トッドの「シャルリとは誰か?」の版元はスイユ社でした。
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