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転ばぬ先のコルンバヌス

2016-12-22 | トッド『家族システムの起源』
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2016年12月22日(木)11時29分50秒

>筆綾丸さん
ツイッターで『ロマネスク美術革命』の著者・金沢百枝氏のアカウントにはまってから、同氏のフォロー先を芋づる式に辿っているうちに、いつしか古代・中世美術関係のフォロー先が100を超えるほどになりました。
当初はキリスト教美術を理解するために必要最小限の範囲でキリスト教の歴史を勉強すればいいや、みたいな安易な気持ちでいたのですが、さすがにある程度本格的に学ばないと美術の理解も進まない段階に入ったようで、『贖罪のヨーロッパ』は今の私にはちょうど良い入門書です。

>ケルズの書
コミカルな絵も多いように思うのですが、作ったのは極めて厳格な、コチンコチンに固い戒律を守っていた修道僧のようで、ちょっと不思議です。


>故人ながら、エーコ先生にご教示願いたいところです。
『薔薇の名前』のモデルになった修道院はボッビオだそうですが、ここは聖コルンバヌスの終焉の地なんですね。(p61以下)

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 コルンバヌスは護送隊の厳重な監視のもとに、アイルランドに帰還する船の出発地であるナントに向かった。ブルゴーニュ地方を横断し、ロワール川に出て川船で河口のナントに出るというルートを取ったのである。伝記作者のヨナスは数十年後にこのルートを忠実に辿り、途上に残されたコルンバヌスの帰路の伝承を蒐集し、伝記の著述に生かそうとした。
 ところがコルンバヌスはナントから船に乗ったものの、突然の嵐の到来で再び港に戻ることになった。その後でコルンバヌス一行はネウストリア分王国の宮廷があるソワソンにおもむき、キルペリク一世の遺児で国王のクロタール二世(在位五八四-六二九)に謁見ししばらく滞在する。そこからアウストラシア分王国の宮廷であるメスに行き、ついでライン川に出て、マインツ、バーゼルと遡り、コンスタンツ湖(ボーデン湖)東端の地点にブレゲンツ修道院を建てた。ここもまた「かつてのオッピドゥムの廃墟があるブリカンティアス(=ブレゲンツ)と称されたところであった」と、ヨナスは述べている。コルンバヌスはこの修道院の修道士にリュクスーユとの接触を絶やさぬように指示した。
 コルンバヌスはアウストラシア分国王テウデベルト二世と、一貫して友好的な関係を保持していたが、アウストラシアとブルグンドとが敵対関係に入ると、ブルグンド分国王テウデリク二世とブルンヒルデは、コルンバヌスの影響力を警戒するようになる。身の危険を感じたコルンバヌスはあらためて旅に出、イタリアのランゴバルド王国に向かった。六一四年にランゴバルド国王アギルルフスの許可を得て、パヴィーアの南の山間の地にボッビオ修道院を建設した。そしてこれからほどなく、六一五年一一月二三日にこの世を去った。緑の殉教を成就したのである。
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嵐に吹き戻されるところはいかにも聖人伝風ですが、単にアイルランドを出てからの移動距離だけを考えてみても大変なもので、人生そのものが「緑の殉教」ですね。

Columbanus
Abbazia di San Colombano

※筆綾丸さんの下記投稿へのレスです。

風信子の名前 2016/12/21(水) 17:10:23
小太郎さん
https://fr.wikipedia.org/wiki/Glasmartre
Glasmartre の項には、なぜか英訳がないのですが、ミシェル・バラールというフランスの中世の専門家によれば、ゲール語やブルトン語で「緑の殉教」という場合の Glas はラテン語の hyacinthinus の色と等価である、というようなことになるようですね。
有名なケルズの書でも、Glas は hyacinthinus を意味する、とウィキにありますね。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%92%E3%83%A5%E3%82%A2%E3%82%AD%E3%83%B3%E3%83%88%E3%82%B9
Hyacinthe といえば、ギリシャ神話の美青年ですが、緑の殉教とどんな関係があるのか、わかりません。故人ながら、エーコ先生にご教示願いたいところです。ちなみに、風信子は風魔一族のくノ一ではありません。

付けたり
https://shogidb2.com/games/84d3f7d17f3288118cfd55c3a979b8effa8b8bb9#6c10ad38575e44ca33fb8f3d2e151cac2ae1d276
千田六段が棋王戦の挑戦者になりましたが、僭越ながら、これは切れ味の鋭い快心譜ですね。タイトルを取れるのではないか。
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