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速水融・経済学部名誉教授の「名講義」

2016-12-14 | トッド『家族システムの起源』
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2016年12月14日(水)10時12分44秒

速水融氏についてはこの掲示板でも何回か取り上げましたが、若い頃は自らが進むべき方向がなかなか見つからず、三十代半ばでの留学を契機に歴史人口学に目覚めるまではけっこう苦労されたようですね。
ただ、学者一家に生まれた育ちの良さからか、その苦労話も実に軽妙で説教臭くなく、読んでいて楽しいですね。

【復活!慶應義塾の名講義】
「苦しかった講義、楽しかった講義~歴史人口学・勤勉革命・経済社会~」

>筆綾丸さん
せめて最初の方で「十五類型とはずいぶん増えましたね」みたいなことを言って、トッドの体系全体について少し議論してほしかったですね。
磯田氏には充分その能力があるはずだと思いますが、何でいきなりローカルな話になってしまうのか。
ま、さすがに磯田氏のローカルな話は興味深くて、例えば「薩摩潘の特殊な家族システム」については、トッドも、

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 日本の社会が、秩序を重んじる直系家族によって固定化してしまったとき、それを打開するために薩摩の人たちが、あるいは薩摩風の人たちが無秩序というか、フレキシビリティを発揮するのですね。それは直系家族より前に存在した、原初的でアルカイック(古風)な家族システムによるのかもしれません。
 普段、日本人は非常に規律正しく礼節を重んじる民族ですが、と同時にもっと柔軟で、「自然人」とでも言うべき奔放な側面も併せ持っている感じがします。同じ直系家族のドイツやスウェーデンで「自然人」を見つけようとしたら、もっともっと深く地層を掘り返さないといけない。
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といった具合に好意的に受け止めてくれているのですが(p132以下)、これに対して磯田氏は、

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なるほど。丸山真男がいうところの「古層」のようなものでしょうか。
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みたいな頓珍漢な応答をします。
丸山真男なんか日本国内でだけ有名な田舎知識人であって、トッドが興味を持つはずもなく、あっさりスルーされていますが、こういう野暮ったいというか、慶應らしいスマートさを全く感じさせない部分は読んでいて非常にイライラしますね。

>佐藤彰一氏『贖罪のヨーロッパ 中世修道院の祈りと書物』
これは面白そうですね。
早速読んでみます。

※筆綾丸さんの下記二つの投稿へのレスです。

読書欄 2016/12/12(月) 13:38:01
小太郎さん
磯田氏の著書は数冊読みましたが、『武士の家計簿 「加賀藩御算用者」の幕末維新』に尽きていて、理論家ではないですね。

昨日のマイナーな新聞(毎日)の読書欄に、「2016 この3冊」というのがありました。
磯田氏は呉座勇一氏の『応仁の乱』を、佐藤優氏は柄谷行人氏の『憲法の無意識』を、鹿島茂氏は『家族システムの起源? ユーラシア 上下』を、各々、そのひとつに挙げていました。私は以前、『憲法の無意識』は駄本だ、と書きましたが、最良の書に推奨する人もいるのですね。また、呉座勇一氏の『応仁の乱』は退屈だ、とも書きましたが、諸氏の評価は高いようです。鹿島茂氏は、僭越ながら、さすがに見識が高い。

蛇足1
暫く前までは、分野を問わず本を読まなければ、という衝動に常に囚われていて、つまり、ある種の強迫神経症を患っていたわけですが、ここ数年、嘘のように病気が治癒し、読書は盆栽のような趣味に変じました。したがって、まともに本を読めていない可能性が高く、『憲法の無意識』や『応仁の乱』の価値がわからないだけなのかもしれません。

蛇足2
http://live.shogi.or.jp/eiou/
昨日、『叡王戦』が終わり、天彦名人がPONANZAと対戦することになりました。人間の発想には興味がなくソフトを師と仰いでいるらしい千田五段と名人との、PONANZAの読み筋を参考にした感想戦を興味深く読みました。来年の電王戦は名人と最強のソフトの対戦となり、これほど面白い興行はなかなかないですね。かりに名人が二連勝するようなことになれば、将棋史上、「事件」になるでしょうね。逆の場合は、AIにとって、ごくありふれた日常の一コマにしかなりません。

所領明細帳(Polyptyque) 2016/12/13(火) 12:55:15
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 西洋の経済史を論ずる場合、修道院の存在は極めて重要な位置を占めている。その理由は、われわれが中世の初発の段階での経済現象を、事実に基づいて理解しようとするとき、最も豊富にその素材を提供してくれるのが、修道院が所領経済の管理のために作成した台帳、すなわち「所領明細帳(Polyptyque)」と称される史料だからである。これは常日頃から文字を記録することに慣れ親しんだ修道士集団の組織である修道院であったからこそ、可能であったともいえる。
 所領明細帳のほかに、所領の構造を垣間見せてくれる国王証書や、寄進状、私的な売買文書、文書作成の範例となる書式集などの記録も存在するが、やはり何といっても所領明細帳がそなえている具体性、直接性には遠く及ばない。
 現在所領明細帳の名前で知られているのは二〇点ほどで、ごく断片的なものからサン・ジェルマン・デ・プレ修道院のそれのように、二五の所領が記載され、二八〇〇世帯合計一万人以上の家族構成、身分、地代や賦役の負担などが詳しく記載されている浩瀚なものまで多様である。
(115頁~)
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http://www.chuko.co.jp/shinsho/2016/11/102409.html
https://fr.wikipedia.org/wiki/Polyptyque_(diplomatique)
佐藤彰一氏『贖罪のヨーロッパ 中世修道院の祈りと書物』は、「はじめに」にあるように「五世紀から十二世紀までの修道制」を対象にしたものとのことですが、現在知られている所領明細帳(Polyptyque)が20点というのは、ずいぶん少ないのですね。Polyptyqueというと、普通は多翼祭壇画を思い浮かべますが、これは文書の方なんですね。

「・・・菩提修道院では、創建一門の物故者の魂の救いのために、周年祈禱をはじめ、さまざまな機会に供養のための祈りが捧げられた・・・」(81頁)にある「菩提修道院」は、ヨーロッパ中世史において定着した専門用語なのかもしれませんが、仏教臭い「菩提」とキリスト教臭い「修道院」とが混淆して、異臭の薫修というか、何か奇異な印象を受けます。ラテン語あるいはフランス語の原語があるとして、何というのだろうか。(もっとも、供養も仏教臭いのですが)

口絵の写真に中世の写本によくある字体で、REDEMPTIO ANIMARUM PECCATORUM と書かれていて、何の説明もないのですが、このラテン語は、罪ある(PECCATORUM)魂の(ANIMARUM)贖い(REDEMPTIO)ということらしく、一般向けの新書としては、やや衒学的ですね。 
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