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金沢貞顕は何故歌を詠まなかったのか。

2022-03-31 | 2022共通テスト古文問題の受験レベルを超えた解説
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2022年 3月31日(木)11時26分47秒

旧サイト時代、及び四年前の若干の検討において、早歌が金沢北条氏の周辺で発展し、「越州左親衛」が金沢貞顕で「白拍子三条」が後深草院二条であれば、二人は直接の面識があったのではないか、と考えてみました。

『とはずがたり』と『増鏡』に登場する金沢貞顕

今回、金沢貞顕の社会圏と後深草院二条の社会圏が重なっていることをもう少し具体的に確認できないかと思い、何人かの早歌作者の周辺を当たってみたところ、「因州戸部二千石行時」(二階堂行時)など、それなりの関係を窺わせる材料は出てきました。
また、今までの投稿では触れませんでしたが、「余波」(『玉林苑下』)という作品の作詞者について、早大本だけに「内大臣法印通忠作」とあり、その傍らには朱書きで「号通阿」とあります。
若干の誤記の可能性を踏まえた上での外村久江氏の考証(『鎌倉文化の研究』、p293以下)によれば、この人は久我通光の嫡子(ではあるものの相続から外された)通忠の孫・道恵である可能性が高く、二条にとっては従兄・具房の子に当たります。

久我具房(1238-89)

そして通忠は『文机談』第四冊で、二条の琵琶の師である弟・雅光と並んで登場します。
即ち、岩佐美代子氏『校注文机談』(笠間書院、1989)に、

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一、久我太政大臣通光のをとど、これも孝道にならはせ給。舎弟の孝敏などまいらせをく。また少輔大夫家季とてゆかりありしも、つねにまいりかよひき。出家の後は花下の十念とぞ申ける。をとどいみじく御すきありて、御比巴もめでたくきこえさせ給き。御嫡子右大将通忠と申、これも御比巴あそばされき。その御をとうと中納言雅光とてをはします。尾張守孝行にならはせ給。又ひめ君もせいせう聞へさせ給。されども大相国〔通光〕の御比巴には、はしたててもをよび給ざりけり。
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とあって(p116)、通阿は家系だけでなく、音楽的才能の点でも二条とつながります。
こんな具合に補強材料はあるのですが、さすがに貞顕と二条の直接の接点となるような話は見つかりません。
ところで、貞顕と二条との関係を考える上で非常に不思議なのは、貞顕が勅撰歌人ではないことです。
貞顕は古典の教養が極めて豊かなのに、何故か和歌を詠まず、勅撰歌人になっていません。
小川剛生氏の『武士はなぜ歌を詠むか―鎌倉将軍から戦国大名まで』(角川叢書、2008)などにより、北条一族の間で和歌が相当流行し、多数が勅撰歌人であったことは歴史研究者にも周知されているでしょうが、例えば北条貞時などは本当に歌が好きで、器用に京極派風の歌を詠むなど、それなりの実力の持ち主です。
しかし、貞時は勅撰集に二十五首も入集していて、これはいくら何でも多すぎであり、政治的配慮の結果ですね。

北条貞時(1271-1311)

こんな事情ですから、古典の教養溢れる貞顕は歌を詠むこと自体は可能であり、公武交渉の中心に位置していた貞顕の作品であれば、当然に勅撰集に採用されたはずです。
しかし、勅撰集には貞顕の作品は皆無ですが、これは何故なのか。
理由として考えられるのは、例えば早歌などに耽溺する息子を見て、父・顕時が和歌を含め文芸活動を禁止したとか、貞顕自身が政治家として成長するため、自ら趣味の世界を断ち切った可能性などはありそうです。
また、もうひとつの理由として考えられるのは若き貞顕が京極派に影響を受けた可能性ですね。
貞顕は永仁二年(1294)、十七歳で東二条院蔵人となっており、その政治的キャリアの出発点は持明院統に近い人ですから、伏見天皇の寵臣である京極為兼の歌風も熟知していたはずです。
しかし、為兼の専横が憎まれて、永仁六年(1298)に逮捕・流罪となるのを見て、貞顕は京極派に親しむことの危険性を感じた可能性は考えられます。
貞顕は後に大覚寺統、特に後宇多院に近い存在となり、大覚寺統は二条派なので、貞顕が内心では京極派が正しいと思っていたら、大覚寺統関係者との交際にも問題が生じたかもしれません。
もちろん貞顕の歌が存在しないので、その歌風を検証することもできませんが、貞顕は非常にバランス感覚に優れた政治家であり、そしてなまじ古典の教養があるため京極派・二条派の対立もその根本部分から理解できたので、自分が歌を作れば何かトラブルを生む可能性があるのではないかと配慮して作歌は断念した、などと考えてみたのですが、小説的な話に過ぎるでしょうか。

>筆綾丸さん
>『甘美なる誘拐』
最近、殆ど小説に手が伸びなくなってしまって、同書の存在も知りませんでした。
後で読んでみます。

※筆綾丸さんの下記投稿へのレスです。

応仁の乱で家を焼かれた人は多いが、家を建てたのは呉座先生だけだろう  2022/03/30(水) 22:02:52
平居紀一『甘美なる誘拐』を読んで、才能のある人だなあ、と感心するとともに、大森望の解説にビックリしました。
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応募時の筆名は呉座紀一。「呉座勇一先生の愛読者だから」という理由でつけたとのことだが、さすがに似すぎているので版元から変更を求められ、現在の「平居紀一」に落ち着いた(平居は中島京子「小さなおうち」の登場人物・平居時子から)。
呉座勇一の一般向けの著書はもちろんすべて読破。「いちばん目から鱗だったのは『一揆の原理』で、時代劇でイメージしていたのと全く違うのである。一揆は二人でもできる。日本史のダイナミズムとビビッドさを感じる。応仁の乱で家を焼かれた人は多いが、家を建てたのは呉座先生だけだろう」とツイートして、これが呉座ファンの目にとまって大いにバズっていたのはご同慶の至り。(407頁)
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平居紀一は現役の医師だそうで、作品を読んだ印象では専門は内科・精神科のような気がしますが、『甘美なる誘拐』は「男と女の一揆」としても読めますね。次の作品が待ち遠しい作家です。
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