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「新潟は、日本中で最悪の都会だといってよい」(by ブルーノ・タウト)

2016-12-06 | トッド『家族システムの起源』
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2016年12月 6日(火)10時26分42秒

ブルーノ・タウト(1880-1937)は群馬県高崎市の井上房一郎という実業家の紹介で同市内の少林山達磨寺に住むことになったのですが、井上は私の出身高校である高崎高校にとっても重要な人物で、井上が寄附した校内の薔薇園の世話を手伝うと井上邸の食事会に招待されるようなこともありましたね。
ま、私は行ったことがありませんが。

「小林山とブルーノ・タウト」(黄檗宗少林山達磨寺公式サイト内)
http://www.daruma.or.jp/bruno/
井上房一郎(1898-1993)
http://www.takasakiweb.jp/takasakigaku/jinbutsu/article/22.html

そんな縁もあって、私も多少はタウトに興味はあったのですが、『日本美の再発見』を改めて通読したところ、タウトもかなり臍曲がりというか俗物的というか、タウトが頻繁に用いる表現を借りれば「いかもの」(キッチュ、Kitsch)的な面がある人で、けっこう辛辣な悪口が多くて笑えますね。
白川郷みたいに誉められた場所の住民はタウトを礼賛しますが、同じ岐阜県でも下呂温泉については、

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 下呂で途中下車する、第一印象は─ひどく俗悪だ。下呂温泉へ行くには橋を渡らねばならない。ところがこの橋は駅からだいぶ離れているので、自動車でないといかれない。私達は、温泉街からそれて旧い町のほうへ行ってみた。そこでとある醤油屋の家を見せてもらおうとしたら(この家には燕が巣くっていた)、この家の若主人はひどく突慳貪で、閾をまたぐことさえ許してくれなかった。こういう邪慳な日本人に会ったのは初めてだ。いったいこの町の人達はひどく頑なだ。下呂は、以前は梅毒患者の療養地であった。この病気に罹ると家族にも嫌われるので、家を追出された湯治客の中には、そのままこの温泉場にいついてしまった人達もあるらしい。私たちは京都で、ここの新築旅館の広告を見てわざわざやって来たのだが、さて来てみるとひどい<いかもの>である。それに上野君も京都ホテルで出した紹介状を当てにしすぎたのだ。この旅館に休憩して、お茶とお菓子をもってきた女中さんに二十銭の茶代をやったら、多すぎるといった。
 水車が廻っている。軒の出の深い屋根をもつ家々、俗悪な停車場(寺院まがいの屋根を付した売店もあった)、だらしなく使われている石、いずれもざらにある<いかもの>だ。
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といった具合です(p48)。
<いかもの>は原文では傍点、「上野君」は京都の建築家・上野伊三郎で、タウトの旅行に同伴し、通訳にもなった人ですね。
少し検索してみましたが、さすがに下呂温泉の関係者はタウトの観光活用はしていないようですね。
また、新潟についても次のように語っています。(p72)

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 新潟! 私が俳句を一つ「作った」ら、上野君が日本語に訳してくれた、

   新潟や 悪臭のなかに 藤咲きぬ

 新潟は、日本中で最悪の都会だといってよい。何ひとつ興味をそそるものがない。街を貫く運河は悪臭紛々としている。この都会は、一九〇〇年頃の大火でほとんど全焼したのである。新潟へくる途中、加茂町の付近で、相当広範囲の焼失区域を見かけた。火事場跡ではもう盛んに新築工事を始めていたが、しかしここもやはり新潟と同じく、無方針で再建されるのだろうか、─残念ながら多分そうなるのだろう。
 新潟では、土地を極度にきりつめている様子がありありと窺われた。家々の間にまた家が挟まり、家と家との間隔は零だと言ってよい(せいぜい三十センチメートルくらいだ)。道幅が一メートル半ばかりの交通路(!)に面して、住居の出入口があり、そこに便所がついている怖るべき臭気だ。しかしこれは何もここだけに限ったことではない。全市を通じてそうなのだ。
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まだまだ新潟の悪口の途中なのですが、このあたりでやめておくことにします。
タウトは臭気に敏感で、他の街や宿泊した旅館などの描写でも臭気に関する記述が多いですね。
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