学問空間

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大川小学校事件の判決全文

2016-12-07 | 大川小学校
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2016年12月 7日(水)21時35分42秒

掲示板投稿を保管しているブログ「学問空間」で、今日は妙に大川小学校関係の記事を閲覧する人が多いなあと思いましたが、「裁判所」サイトの「最近の裁判例─下級裁判例」を見たら仙台地裁10月26日判決の判決文が載っていました。
「裁判所」サイトは暫く覗いていなかったのですが、あるいは今日公開されて、それを見た人が検索をかけてきたのでしょうか。
ざっと眺めてみたところ、事実認定に関して私が新聞報道から何となく想像していたのとは違う箇所がかなりありました。
今日は所用で少し疲れたのでもう寝ますが、明日きちんと読んで、少し感想を書くつもりです。


>筆綾丸さん
幕府の法制上の制約云々はあくまで原則であって、例外も多かったようですね。
例えば天領の白川郷に隣接する加賀藩領の五箇荘ではけっこう分家を認めていたようですが、地理的条件は白川郷と同じようなものなので貧農が極めて多く、明治維新後には国の奨励もあって大量に北海道へ移住したそうです。
白川郷からは北海道への移住者は比較的少なかったようですね。

>タウト周辺の日本の文化人が、タウトに有る事無い事を適当に吹き込んだ、
確かにそんな感じもしますね。

※筆綾丸さんの下記投稿へのレスです。

Yo soy Fidel 2016/12/06(火) 13:20:53
小太郎さん
「幕府の法制上、分家に当たって高十石地面一町より少なく分与するのは許されなかった、即ち持高二十石以上を所有しなければ分家ができなかった、という制約があった」
なるほど、そういうことだったのですね。

久しぶりに、『日本美の再発見』を拾い読みしたのですが、タウト周辺の日本の文化人が、タウトに有る事無い事を適当に吹き込んだ、という感じもしますね。一亡命者にすぎない建築家の言説を有り難がるのは、ル・コルビュジエ設計の美術館を世界文化遺産にしてもらって嬉しがるのと同じ精神構造で、こういう浅ましい文化風土は明治以降に発生したものなんでしょうね。

http://www.eltelegrafo.com.ec/noticias/mundo/9/yo-soy-fidel-el-viaje-final-del-lider-de-la-revolucion-cubana
左の頬に赤く「Yo soy Fidel」(ジョ・ソイ・フィデル、私はフィデル)と描いた女性が涙を流す姿を外国のテレビ局が放映していましたが、文脈は全然違うものの、これはキューバ版「Je suis Charlie」で、さらに、fidel は信徒のことだから、私はカストロの崇拝者だ、という意味が重ね合わせてあるのでしょうね。
あまりに旧式なのでわからなかったのですが、カストロの遺灰を乗せた軍用車は旧ソ連製でしょうか。

追記
トッドの分類では、キューバ社会は「共同体家族(famille communautaire)」に相当するのですよね。

蛇足
http://www.nhk.or.jp/docudocu/program/46/2586787/index.html
NHKスペシャル『戦艦武蔵の最期』は期待外れでした。
アメリカ軍に沈められた武蔵の残骸を発見したのもアメリカ人とは、なんとも情けない話で、絶句するしかありません。
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