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「巻五 内野の雪」(その3)─皇子(後深草)誕生

2018-01-09 | 『増鏡』を読み直す。(2018)

投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2018年 1月 9日(火)15時27分16秒

続きです。(井上宗雄『増鏡(上)全訳注』、p245以下)
皇子、即ち後の後深草天皇誕生の場面です。

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 内には更衣腹に若宮おはしませど、この御事を待ち聞え給ふとて、坊定まり給はぬ程なり。たとひ平らかにし給へりとも、女宮にておはしまさばと、まがまがしきあらましを思ふだに、胸つぶれ口惜し。かつは御身の宿世みゆべき際ぞかし、と思せば、いみじう念じ給ふに、既にことなりぬ。まづ何にかと心騒ぐに、御兄の大納言公相、「皇子誕生ぞや」といと高らかにの給ふを、余りの事にみなあきれて、「まことか、まことか」と、大臣のたまふままに、喜びの御涙ぞ落ちぬる。あはれなる御気色、見る人もこと忌みしあへず。御修法の僧どもをはじめ、道々の禄たまはる。したり顔に汗おしのごひつつまかづる気色、今一きはめでたく、ののしりたちて、さらに物も聞えず。げにこの頃の響きに、女にておはしまさましかば、いかにほしほと口惜しからまし。きらきらしうもしいで給へるかし。されば大臣年たけ給ふまでも、「その折の嬉しうかたじけなかりしを思ひ出づれば、見奉るごとに涙ぐまるる」とぞ、後深草院をば常に申されける。
  御湯殿の儀式はさらにもいはず、人々の禄、なにくれ、例の作法に事をそへて、いみじう世のためしにもなるばかりとつくし給ふ。御はかし参る。心もとなかりつるままに、二十八日親王の宣旨ありて、八月十日すがやかに太子にたち給ひぬ。大臣御心おちゐて、すずしうめでたう思す事限りなし。
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少し微妙な表現があるので、井上氏の訳を紹介させてもらうと、

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 後嵯峨天皇には更衣腹に若宮(宗尊親王)がいらっしゃるが、この中宮からの皇子誕生を待ち申しなさるというので、(お誕生までは)まだ東宮がお決まりになっていない時期なのである。たとい御安産であっても、皇女でいらっしゃったら、と不吉な予想を思うだけでも、胸がつまって口惜しいことである。一方では実氏公は御自身の前世からの運の現われる機会であるとお思いになるので、一心にお祈りされているうちに、もはやお生まれになった。まず第一に、皇子か皇女か、と胸がどきどきしていると、中宮の御兄の大納言公相が、「皇子誕生です」とたいそう高らかにおっしゃるので、あまりのうれしさにみな呆然となって、「ほんとうか、ほんとうか」と実氏公がおっしゃると同時に、喜びの御涙が流れ落ちたのであった。感激されているその御様子に、見る人も、(こういう折に涙は不吉だと)忌むこともできず、ともに涙にむせぶのであった。御修法の僧たちをはじめ(医師以下)その道の物に祝儀をくださった。得意気に汗を拭いながら退出する様子も、またいちだんとめでたくにぎやかに騒ぎたてて、何にも聞こえないほどだ。ほんとうに最近世の騒ぎとなったこの御産について、もし皇女の御誕生だったら、どんなに悄然として残念だったことであろう。期待にこたえて見事になさったことであった。そこで、父実氏公は年をとられて後までも、「その時のうれしく有難かったことを想い出すと、(後深草天皇を)お見上げ申すたびに涙ぐまれることだ」と後深草院のことをいつも申されたのであった。
 御湯殿の儀式はいうまでもなく、人々へのお祝儀、何やかや、従来の習慣の上にさらに追加のものをくださって、ほんとうにこれからの先例になってしまいそうに十分になさった。お守り刀を差上げる。お生まれになるのを待ちかねておられたので、二十八日親王の宣旨があって、八月十日とどこおりなく立太子された。実氏公は御安心になって、このうえなくさわやかにすばらしいこととお思いになった。
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ということです。(p247)
冒頭の「更衣腹」とは平棟基女棟子のことで、棟子は後嵯峨践祚と同じ年の仁治三年(1242)十一月に「若宮」、即ち後の鎌倉幕府第六代将軍・宗尊親王を産んでいます。
なお、平安中期以降、実際には「更衣」は存在せず、ここも西園寺建立の場面の「北山」同様に『源氏物語』的な雰囲気を出すための文飾ですね。
さて、皇子誕生は確かに重要な事件かもしれませんが、『増鏡』において「巻一 おどろのした」からここまでに描かれた皇子誕生の場面は後鳥羽だけで、それもごくあっさりしたものです。

「巻一 おどろのした」(その1)─九条兼実
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/25f4a89f6c5e5554fa9364d4c9012a47

土御門・順徳・仲恭・後堀河・四条の場合、立坊ないし践祚の際に、既に何年か前に誕生しています、といった感じで少し触れるだけですね。
ところが後深草誕生の場面は極めて分量が多く、詳細を極め、臨場感に溢れており、何故にこの人の誕生だけがこれほどまでに大袈裟に語られるのか、ちょっと不思議な感じがします。
そしてこの場面は西園寺家関係者が読んだらすこぶる愉快でしょうが、摂関家にとっては些か微妙な記事で、「すずしうめでたう」思えそうもないですね。

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