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『中世京都首都論』

2008-08-23 | 中世・近世史
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2008年 8月23日(土)10時25分46秒

>筆綾丸さん
「寮家領」が気になって大村拓生氏の『中世京都首都論』(2006、吉川弘文館)を購入してみましたが、雑誌掲載論文を若干改稿されてはいるものの、「嵯峨亀山殿近辺屋敷指図」については特に新しい指摘はありませんでした。
「寮」で間違いないと思いますが、一応、現物の写真を確認してみたいですね。
「寮」とすると、掃部寮などより、もっと実質的な役割が伴っていた役所の関係で何かないのかなと思うのですが。

大村氏の論文は今までいくつか読んでいましたが、一冊にきちんとまとまったものを読むと、また印象が違いますね。
優れた研究者だなあと思います。

>道雄
『鎌倉政権得宗専制論』基礎表によると、正安3年(1301)8月の貞時出家に従ったものと推定されるとのことです。
宗秀は延慶2年に七番引付頭人を辞してからも、寄合衆には残っていたようですね(永井晋氏『金沢貞顕』p66)。

※筆綾丸さんの下記投稿へのレスです。
「サナトリウム嵯峨」
http://6925.teacup.com/kabura/bbs/4704
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