投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2008年 8月25日(月)01時08分30秒
>筆綾丸さん
昨日投稿してから、暫くネットを見られなかったので、レスが遅れてしまいました。
長井貞秀の命日については、先に少し引用した永井晋氏の「長井貞秀の研究」(『金沢文庫研究』第315号、2005年)に詳細な分析があります。
永井氏の現在の結論としては、「筆者は『人物叢書 金沢貞顕』で長井貞秀の卒去を延慶二年三月十二日を貞秀の命日としたが、一年繰り上げて延慶元年三月十二日卒去に訂正したい」とのことです。
他に森幸夫氏が延慶元年六月十二日説を出されているそうで、いずれにせよ没年は延慶元年(1308)で間違いないようですね。
また、長井氏クラスだと鎌倉で複数の屋敷を構えていたはずであり、また宗秀が同時に京都に別邸を持っていたとしても不思議ではないと思いますので、個々の邸宅の存続と宗秀居住地は直接には関係ないのではないか、と思います。
眠いので、続きはまた後で書きます。
※筆綾丸さんの下記投稿へのレスです。
「洒掃禅門之御悲嘆・・・」
http://6925.teacup.com/kabura/bbs/4706
>筆綾丸さん
昨日投稿してから、暫くネットを見られなかったので、レスが遅れてしまいました。
長井貞秀の命日については、先に少し引用した永井晋氏の「長井貞秀の研究」(『金沢文庫研究』第315号、2005年)に詳細な分析があります。
永井氏の現在の結論としては、「筆者は『人物叢書 金沢貞顕』で長井貞秀の卒去を延慶二年三月十二日を貞秀の命日としたが、一年繰り上げて延慶元年三月十二日卒去に訂正したい」とのことです。
他に森幸夫氏が延慶元年六月十二日説を出されているそうで、いずれにせよ没年は延慶元年(1308)で間違いないようですね。
また、長井氏クラスだと鎌倉で複数の屋敷を構えていたはずであり、また宗秀が同時に京都に別邸を持っていたとしても不思議ではないと思いますので、個々の邸宅の存続と宗秀居住地は直接には関係ないのではないか、と思います。
眠いので、続きはまた後で書きます。
※筆綾丸さんの下記投稿へのレスです。
「洒掃禅門之御悲嘆・・・」
http://6925.teacup.com/kabura/bbs/4706
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