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もののけ学者

2008-10-16 | 高岸輝『室町絵巻の魔力』
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2008年10月16日(木)00時34分23秒

『ZEAMI―中世の芸術と文化〈04〉 特集 足利義満の時代』(松岡心平・小川剛生編、森話社)は、巻頭に梅原猛氏のエッセイがどーんと横たわっているので、梅原氏の文章に慣れていない人はきっとびっくりするでしょうね。

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 私は今年八十二歳になったが、最近日本の中世が私に乗り移って困っているのである。かつて四十代の末に、日本古代が私に乗り移って、立て続けに大部の極めて問題的な著書を書かしめた。それが『神々の流竄』『隠された十字架─法隆寺論』『水底の歌─『柿本人麻呂論』である。
 私の学問は「梅原日本学」と言われているが、この日本学は主として古代学であった。ところが最近かつてのように中世が、特に能が、観阿弥や世阿弥や禅竹が、私に乗り移ってしきりにものを書かせるのである。(後略)
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何の予備知識もない人がこの文章を読んだら、「ちょっと危ない人かな?」「ボケ老人?」といった反応になるのではないかと思いますが、梅原氏は四十年前からこんなことばかり言っている一種の名物男ですから、ま、変てこな言動があっても許されるんでしょうね。
さて、『梅原猛「神と仏」対論集第四巻 神仏のしづめ』(角川学芸出版、2008)によれば、松岡心平氏と梅原猛氏の出会いは、「先生と怨霊鎮魂についてお話をしたかったのです。私は能を鎮魂劇と考えています」という松岡氏が梅原氏に手紙を送ったのがきっかけだそうです。
同書には、

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梅原 あなたのような学者がこれまでにいたことはいましたけど、意外に少ないと思います。
松岡 そうかもしれません。そういう意味では、歴史的な実証主義を中心とする能の世界では、私も異端でしょう。私は能の本質や、世阿弥の魂、禅竹の魂に、歴史的なテキストなども使いながら迫りたいと思っています。それには実証主義の限界を破らないと迫れないと思うのです。それをやるとかなり反発がくるという面もあります。でも、そこを考えないことには、何も始まらない。
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といったやり取りがあり、松岡氏には「実証主義の限界」を超えたいという松岡氏なりの切実な事情があるんでしょうね。
ただ、そういう方向に進むと、足もとをすくわれる危険も大きくなりますね。
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