学問空間

『承久記』『五代帝王物語』『とはずがたり』『増鏡』『太平記』『梅松論』等を素材として中世史と中世文学を研究しています。

江戸時代の識字率

2016-03-06 | グローバル神道の夢物語

投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2016年 3月 6日(日)09時43分49秒

速水融編『歴史のなかの江戸時代』(藤原書店、2011)には「終章 江戸時代と現代」として速水氏と『武士の家計簿』の著者・磯田道史氏の対談が載っていますが、そこで次のようなやりとりがあります。(p403以下)

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江戸時代の識字率

磯田 ただ、一つ江戸時代に関する誤謬だと思うのは、江戸時代の識字率を過大に評価しすぎていることです。最近、リチャード・ルビンジャーさんの『日本人のリテラシー─1600-1900』(川村肇訳、柏書房、二〇〇八年)や明治期のさまざまな調査を見ても、イングランドや北欧社会よりも、日本の識字率は高かったなどといった議論にはとても賛成できません。地域差が大きかったことを忘れてはいけない。
速水 そうですね、地域差はものすごく大きい。
磯田 大都市とそれ以外ではかなり異なっている。男女差も大きい。明治期の調査を元にすれば、例えば京都、大阪、江戸の男性に限って言えば、識字率は七割程度まで推定しうる。京都の男性なら、八─九割を想定してもおかしくない。あるいは農村でも、近畿の滋賀の村なら、男性で七─八割、女性で四─五割といった識字率でもおかしくない。それに対し、薩摩などでは全く状況は異なります。鹿児島県の明治十五頃の調査では、女性だと識字率は一割程度。江戸時代まで遡れば、おそらく一割に達していない。男性でも、薩摩なら五割を超えるかどうか、という程度ではないか。そうしたことをトータルに合算すれば、国民全体の識字率はせいぜい四割程度ではないか。
速水 四割でもひょっとすると過大評価かもしれない。
 『いさなとり』という幸田露伴の初期の作品がありますが、「いさな」というのは魚のことです。この小説に、娘が学校で字を習って、母親に新聞を読んで聞かせる、という場面が出てくる。これは、貧しい家の話ではなく、むしろ豊かな大きな家の話なんです。江戸時代の全体としての識字率を過大評価してはいけません。
 とはいえ、江戸時代に書籍の出版が非常に盛んだったことは確かです。一定の読者層は確実に存在していた。杉仁さんが『近世の在村文化と書物出版』(吉川弘文館、二〇〇九年)で詳しく描いていますが、村の庄屋や上層農民などの読者層のネットワークが地方にまで広がっていた。全国民的な識字率とは区別する必要がありますが、こうした文化のネットワークは存在していました。
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「せいぜい四割程度」「四割でもひょっとすると過大評価かもしれない」の時期がいつ頃なのか、必ずしも明確ではありませんが、男女合わせて四割前後なら、エマニュエル・トッドの言う「二十歳から二十五歳の男性の識字率五〇%というハードル」 は軽く超えていそうですね。
杉仁氏の『近世の在村文化と書物出版』には上野(群馬県)の事例が出てくるので、私も一応読んでいたのですが、次の磯田氏の発言に出てくる杉亨二の曾孫云々は知りませんでした。

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磯田 「日本の近代統計学の父」と言える、杉亨二の曾孫さんですね。この前も、国会図書館の中でばったりお会いしました。
 一定の読者層の形成は見られても、識字率は、男女差、個人差、地域差が非常に大きいということですね。カルロ・チポラが作成した一八五〇年頃のヨーロッパ諸国の識字率一覧表がありますが(佐田玄治訳『読み書きの社会史─文盲から文明へ』御茶ノ水書房、一九八三年)、これによると成人識字率はそれぞれ、スウェーデンは約九〇%、プロイセンとスコットランドは約八〇%、イングランドは六五─七〇%、フランスは五五─六〇%、ベルギーは五〇─五五%、イタリアは二〇─二五%、スペインは約二五%、帝政ロシアは五─一〇%です。敢えて言えば、おそらく同時代の日本は、このイタリアとベルギーの間、約三〇─四〇%程度ではないかという気がします。
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以上のやり取りを見ると、全体として江戸時代のいつの時点で「二十歳から二十五歳の男性の識字率五〇%というハードル」 を超えたのかを確定するのはけっこう難しそうですが、ただ、その時点を推定することが可能な地方もそれなりにありそうですね。
また、神仏分離・廃仏毀釈を調べていて、この出来事も地方差が大きそうだなという印象は受けていたのですが、寺院を全廃した薩摩は識字率の点でも相当特殊な感じですね。

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