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「法律家共同体」と「歴史研究者共同体」

2016-11-06 | 丸島和洋『戦国大名の「外交」』

投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2016年11月 6日(日)19時23分44秒

浅羽祐樹・横大道聡・清水真人氏の鼎談<憲法論議を「法律家共同体」から取り戻せ――武器としての『「憲法改正」の比較政治学』>は、樋口陽一氏を総大将とする「立憲主義」一揆をシニカルに眺めていた私にとっては肯ける点が多いのですが、内閣法制局長官人事を巡る浅羽氏と清水氏の指摘には特に賛同できて、百回くらい肯きたくなります。

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浅羽 日本でも安倍政権の下で内閣法制局の長官人事が問題になったわけですが、率直に言って、これまでも別に手を突っ込もうと思えばいくらでもできたのにそれをしなかっただけで、今さら何を驚いているんだ、という話です。そもそも(事実上)内閣(総理大臣個人)は最高裁判事を任意に任命できるわけで、すでに9名が自民党の政権復帰以降の任命で、総理総裁の任期延長が実現するとそのうち15名全員が安倍内閣による任命ということになります。それが国会承認マターですらないわけで、気にするんだったらそっちだろうと。
【中略】
清水 幸か不幸かとおっしゃいましたがまさにその通りで、こうした「司法政治」という視点は最近になって私も初めて知ったという状況です。政治ジャーナリズムではほとんどなじみがないでしょう。つまり、司法というのは政治からは非常に遠いものだ、という思い込みで今までずっと来ていると思うんです。
実は、そこは安倍首相自身もそうじゃないかなと思っています。というのは、安倍首相は2013年に法制局長官を代えたんですけれども、あの時、その前任者(山本庸幸元長官)を最高裁判事に任命しました。あれは左遷なのか栄転なのか何だかよくわからない話だったわけですけれども、あの瞬間は法制局長官を代えることのほうが大事だったわけですよね。我々もそこばかり注目しました。でも前任者は最高裁判事になっているんだから、実は気が付いてみたら、安倍さんにとって厄介な憲法解釈などを展開するかもしれない、なのにそこは手綱を放してしまったという、非常に面白い現象だったと思うんです。

http://synodos.jp/politics/18397/4

「7月クーデター」の石川健治氏は山本庸幸氏の最高裁判事就任も「左遷」と呼んでいましたが、大げさな表現はその時点で政治的運動を盛り上げるのには役だっても、平穏な時間が経過するとともに本人にとっても些か気恥ずかしいものになりそうですね。
九州大学教授・南野森氏あたりも、浅羽・清水氏の発言と比較しつつ自分の過去の表現を振り返った場合、果たしてどんな気持ちになるのか。

阪田雅裕著『「法の番人」内閣法制局の矜持』(その3)
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/5cb89e925c8d6173477ca63285cbd6e5

>筆綾丸さん
>櫻井よしこ氏
個人的な趣味としては櫻井氏の話し方はけっこう好きだったのですが、ちょっと硬直化しすぎてしまいましたね。

>「外交」
まあ、戦国大名の「外交」には文化の香りが乏しいですから、「外交」と言いたがる人も少し気恥ずかしい気持ちがあるのでしょうね。
仮に村井章介氏がラウンド君あたりの強い影響を受けてコッカ・コッカと言い始めたとしても、ラウンド君の表現と類似の表現を用いる場合には必ずラウンド君の論文・著書を引用しなければならないというような、「歴史研究者共同体」において何らかの独占権を主張できるような理論的業績がラウンド君にあるのかどうかが最初に問題になりそうですね。
私はラウンド君の著書としては『戦国大名武田氏の権力構造』(思文閣出版、2011)とラウンド君が押し売りに来た『戦国大名の「外交」』(講談社メチエ、2013)しか読んでいませんが、少なくとも両書にはそのような理論的業績はないし、そもそもラウンド君は理論家タイプではないですからねー。

※筆綾丸さんの下記投稿へのレスです。

メディア世界の革命と「 」の意味 2016/11/05(土) 22:11:54
小太郎さん
いえいえ。
同書の「はじめに」に、バルトロメウ・ヴェーリョ作「世界図」(1561年)の一部として日本の図が載っていて、こんな記述があります(なお、BANDOV=坂東)。
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 BANDOV以下六つの地域は、明瞭な境界線でくぎられ、その支配者をポルトガル人は「国王(rei)」とよんだ。この王国はみずからの意思で領土・人民の支配を実現しており、「地域国家」という概念がふさわしい。そのいっぽうでポルトガル人は、IAPAMというまとまりが存在することも知っていた。分裂が極に達した時点での「地域国家」とIAPAMの併存。そこに天下統一へと流れが転じる秘密が隠されているのではないか。(?頁~)
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一般向けの薄い新書に多くを求めるのは野暮なことですが、村井氏は当時のポルトガル人が作成した世界図を絵解きして「地域国家」という概念をかなり強引に導き出します。そして、前回引用した「中近世ドイツの「領邦国家」」が何の説明もなく突然出て来るので(後で説明されることもなく)、ポルトガル人のいう「国王(rei)」とドイツの「領邦国家」にどんな関係があるのか、さっぱりわからず、独りよがりの推論としか思えませんでした。また、当時のポルトガル人がそう呼んでいるのだから国家なのだ、という理屈は丸島説と同工異曲で、私には不毛だと思われました。

また、武田氏の虎印判状を引用して、以下のような記述があります。
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 以上の諸点に、同一の日付で多数の画一的な文書が発給されたり、大名家の代替わりがあっても同一の印章が印判状に継続使用されたり、という現象も加えて考えると、戦国大名の領国支配は当主個人を離れて非人格化し、超越的な国家権力へと上昇をとげつつあったといえよう。(16頁)
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言葉尻を捉えるようですが、「超越的な国家権力」とは意味が曖昧で、不用意な表現としか思えません。まるでドイツ観念論のようです。

石川健治氏がフジテレビに出演するのは、櫻井よしこ氏がテレビ朝日に出演するのと同じくらい、メディアの世界では「革命的」なことなのでしょうね。

追記
室町幕府と明の関係は外交(2頁)、大内氏と朝鮮の関係は外交(13頁)、細川氏と明との関係は外交(13頁)大内氏と明との関係は外交(13頁)、室町幕府と琉球の関係は外交(30頁)、島津氏と琉球の関係は外交(40頁)で、地域国家間の関係は「外交」となっていますが、この留保のような躊躇のような括弧は何を意味しているのか、何の説明もありません。外交と「外交」の相違は如何、大内氏と細川氏の関係は外交か「外交」か・・・。
「 」は謂わば精妙な「史的感覚」とも称すべきものなんだよ、わからんかね、君。

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