学問空間

【お知らせ】teacup掲示板の閉鎖に伴い、リンク切れが大量に生じていますが、順次修正中です。

三浦周行「鎌倉時代の朝幕関係 第三章 両統問題」(その7)

2022-04-16 | 2022共通テスト古文問題の受験レベルを超えた解説
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2022年 4月16日(土)14時45分14秒

「第五節 持明院統の御主張」の続きです。

-------
 他の一証として持明院統側にては多宝院供養の時、後嵯峨法皇より近衛司にあらずして楽行事を勤仕するの例ありやとの仰ありし時、後深草上皇が康和五年安芸守経忠の勤仕したりし例を御記憶ありて御答ありしかば、法皇は叡感斜めならずして、諸家の記録を悉く上皇に進らせんと宣ひしことを挙げ、当時堀河前相国、雅言、経任が祗候してこれを承りしことを主張せらる。
 多宝院は文永八年九月十五日後嵯峨法皇大宮院と共に摂津四天王寺に御幸あり、尋で同寺の金堂に模して亀山殿に立て給ひ、救世観音太子影像を安置せられしものにて、供養の日の導師も円助法親王にましませり。
 後深草上皇の故実に練達あらせられしことは、増鏡 老の波 に、弘安二年三月、亀山上皇の持明院に御幸の際、後嵯峨法皇が、後深草上皇に謁せらるゝ日は朕と均しく朝覲に准ずべしとのたまひし為め、客の御座を対座より下げ給ひしに、上皇これをみそなはして、朱雀院の御堂には主人の座をこそ直されけるに、今日の御幸には、御座をおろさるゝとのたまひしことの見えたるにても窺はる。
 而して此場合には前に漠然近習の輩といへると異なりて、これを承れる諸卿の人名を載せたるも、是等の人々の中堀河前相国は名は基具、伏見天皇の正応元年後深草院の評定衆たり、同二年八月准大臣より太政大臣に任ぜられ、同三年三月これを辞し、永仁四年十一月出家して翌年薨ぜる人、雅言は源氏、弘安八年八月権大納言に任ぜられしも、閏十月辞し、正応元年四月伝奏に補せられたり。勘仲記同日の条に、「日来平相公○忠世 一人勤之、昨日始被加云々、彼父卿雅具土御門院御時旧労奉公之人也、仍故院御時、令雅言卿殊被召仕予于伝奏評定衆也、已為三代伝奏珍重々々」と見ゆ。正安二年十月薨ぜり。
 経任は藤原氏、もと後嵯峨法皇の近臣にして、文永五年四月法皇の御使として東下せることあり、同八年二月、権中納言として太宰権帥を兼ねしめられしば、吉続記に此事を記して、「凡都督寵愛抜群、官禄只如思、天下権只在此人、毎昇進無不超越、摂州泉州日来知行、今又宰府相加者均陶朱歟、只先人之余慶也」といへり。斯ばかり御覚えの目出度かりし彼れが、法皇の崩御に遭ひ奉りて、悲歎に暮れたりしはさること乍ら、(五代帝王物語、増鏡)当時の慣例に倣うて出家をなさゞりし為め、時人の非議を招きたりしが、(増鏡)其後正応二年亀山上皇御落飾の時も亦出家せざりしかば、吉続記に「帥卿尤当其仁歟、而無其儀、世成奇、如何、(九月七日条)都督不出家、人以加難云々、官禄無所残、被召仕之事異他、尤可御共歟、而人心如面、無力事歟」といへり。彼れは遂に持明院統に走れるなり。
 されば是等の諸卿は持明院統側の人か、然らずんばもと後嵯峨法皇の旧臣なりしものも、後には皆翻つて持明院統に奉仕せしもの共なれば、以上の場合と同じく、亦証拠力の薄弱なるを免れず。

http://web.archive.org/web/20061006212841/http://www015.upp.so-net.ne.jp/gofukakusa/miura-hiroyuki-ryotomondai-02.htm

いったん、ここで切ります。
この部分は『宸翰英華』六九「宸筆御事書」の第七条に、

-------
多宝院供養時、非近衛司勤仕楽行事例有無如何之由、被仰之時、康和五年安芸守経忠勤仕例、当時有御覚悟被申出之処、故院頻有叡感、被仰云、為老者記録不中用、不得引勘、於今者、誰家記悉早々可進新院、如此沙汰尤神妙之由、勅定及度々、其時堀河前相国、雅言、経任等卿令祗候奉之事、

https://web.archive.org/web/20061006195521/http://www015.upp.so-net.ne.jp/gofukakusa/shinkaneiga-fushimi.htm

とあることについての説明ですが、そもそもこれは後深草院が後嵯峨院から故実をよく知っていると誉められた、というだけの話ですね。
ただ、ここに出てくる後嵯峨院の近臣たち、「堀河前相国、雅言、経任」の名前には興味を惹かれます。
まず、堀川基具(1232-97)は『徒然草』第99段に「堀川相国は美男のたのしき人にて・・・」と登場する人で、『とはずがたり』では二条の父・中院雅忠の臨終の場面の後、基具が弔問に来なかったことが厳しく非難されています。
私は二人の経歴を細かく比較してみたことがありますが、後嵯峨院が二人を意識的に競わせていたことは明らかですね。

『徒然草』第99段
http://web.archive.org/web/20150502062113/http://www015.upp.so-net.ne.jp/gofukakusa/genbun-ture-99-horikawano-shokoku.htm

源雅言(1227-1300)は後嵯峨院の出家に関して「亀山殿御幸記」(『群書類従』第三輯、p696以下)という細かい記録を書いている人です。

「巻八 あすか川」(その7)─後嵯峨院、出家
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/e1a0d4d670c6f0b1be347c720a307bc3

中御門経任(1233-97)は実務官僚なのにもかかわらず、『とはずがたり』や『増鏡』にけっこう重要、というか奇妙な役回りで登場する人ですね。

中御門経任とは何者か。(その1)
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/b0b16426ff409283177f5dffee79fa8b
【中略】
中御門経任とは何者か。(その8)
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/a9fd7a341a1c77eb211bdc799f6cf5dd
『とはずがたり』に描かれた中御門経任(その1)─女楽事件
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/d8797cb0c18b28115d6de1f3e2ddc0a7
【中略】
『とはずがたり』に描かれた中御門経任(その9)─近衛大殿
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/f71f109655ed3559cb528b1ffc346a00

これらの人々を三浦氏のように「後嵯峨法皇の旧臣なりしものも、後には皆翻つて持明院統に奉仕せしもの共」とするのはいささか乱暴であって、持明院統・大覚寺統の対立が本当に深刻化する前の時期に、その時々の治天の下で仕事をしていただけ、と考えるべきだと思います。
ま、そももそこの話は後嵯峨院が皇嗣を明確に定めていたか、という問題とは関係がないので、結果的に「亦証拠力の薄弱なるを免れ」ないのは三浦の言う通りです。
なお、「後深草上皇の故実に練達あらせられしことは、増鏡 老の波 に、弘安二年三月、亀山上皇の持明院に御幸の際」云々について、『増鏡』の原文を見ると、

-------
 弥生の末つ方、持明院殿の花盛りに、新院わたり給ふ。鞠のかかり御覧ぜんとなりければ、御前の花は梢も庭も盛りなるに、ほかの桜をさへ召して、散らし添へられたり。いと深う積りたる花の白雪、跡つけがたう見ゆ。上達部・殿上人いと多く参り集まる。御随身・北面の下臈など、いみじうきらめきてさぶらひあへり。わざとならぬ袖口ども押し出だされて、心ことにひきつくろはる。
 寝殿の母屋に御座対座にまうけられたるを、新院いらせ給ひて、「故院の御時、定めおかれし上は、今更にやは」とて、長押の下へひきさげさせ給ふ程に、本院出で給ひて、「朱雀院の行幸には、あるじの座をこそなほされ侍りけるに、今日のみゆきには、御座をおろさるる、いと異様に侍り」など、聞え給ふ程、いとおもしろし。むべむベしき御物語は少しにて、花の興にうつりぬ。
 御かはらけなどよき程の後、春宮おはしまして、かかりの下にみな立ち出で給ふ。両院・春宮立たせ給ふ。半ば過ぐる程に、まらうどの院のぼり給ひて、御したうづなど直さるる程に、女房別当の君、又上臈だつ久我の太政大臣の孫とかや、樺桜の七つ、紅のうち衣、山吹のうはぎ、赤色の唐衣、すずしの袴にて、銀の御杯、柳箱にすゑて、同じひさげにて、柿ひたし参らすれば、はかなき御たはぶれなどのたまふ。

http://web.archive.org/web/20061006193728/http://www015.upp.so-net.ne.jp/gofukakusa/genbun-masu10-jimyoindono.htm

とあって、「上臈だつ久我の太政大臣の孫」である後深草院二条が亀山院から「はかなき御たはぶれなど」を言われた、という話です。
このエピソードに対応する場面は『とはずがたり』にもありますが、時代がずれていて、『とはずがたり』と『増鏡』の関係を考える上では興味深い場面ですね。
ま、三浦はそもそも『とはずがたり』を知らないので、三浦論文とは全く関係ありませんが。
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 三浦周行「鎌倉時代の朝幕関... | トップ | 三浦周行「鎌倉時代の朝幕関... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

2022共通テスト古文問題の受験レベルを超えた解説」カテゴリの最新記事