『孤火の森』 目次
『孤火の森』 第1回から第10回までの目次は以下の 『孤火の森』リンクページ からお願いいたします。
『孤火の森』 リンクページ
お頭の部屋の中に入り腰を落ち着かせたところに、ポポが皿に乗せた魚の干し物と水の入った瓶を抱えて入ってきた。
お頭が瓶を受け取ると隅に置いていた木椀二つに水を入れる。
「ポポもここに居ろ」
どういうことだと上目遣いにお頭を見たが、サイネムの前に木椀を置いたお頭が目顔で座れと言う。 お頭の斜め前にサイネムが座っている。 仕方なく、そのサイネムの正面から少し外れるところに腰を下ろした。
お頭が木椀の中の水を飲み干し、魚の干し物に手を伸ばした。 一つを取るとサイネムの前に皿を滑らせたがサイネムが首を振った。
「水は頂くが、そちらはいい」
「腹が空いてないのか?」
「わたしたちは肉というものを食べないのでな」
「肉って? これは魚だぞ?」
割って入ったポポを見てほんの少し口の端を上げた。
「魚も肉だ。 ポポは肉が好きか?」
お頭が眉を上げ意外な、という顔をした。 だがよく考えるとポポは森の民の生まれだ。 森の民同士ならこういう顔でこんな話し方もするのだろう。 干し魚を食いちぎると木椀にもう一度水を注ぐ。
「ああ、どんな肉でも好きだ。 腹が一杯になるからな」
「そうか」
「肉を食わないんだったら何を食ってるんだ?」
「そうだな、木の実、茸、葉や根、そんなところか」
森の民の食材など聞いたことがなかった。 そんなものだけを食べていたのか、と驚きながらも知らぬ振りをして干し魚にかぶりつく。
「へ? そんなんじゃ腹が減るだろう?」
そこに布を撥ね上げて若頭が入って来た。
「ポポは年中腹を減らしてるからな」
「んなことねーよ」
「おめーも座って食いな、昨日から食わずだ腹が減ったろ。 旦那は食わねぇんだってよ」
ポポの隣に座った若頭の前にポポが皿を滑らせると、お頭が若頭の分の水を木椀に注ぐ。
「食いながらでいいだろ? これからどうするんでぇ」
「まずはザリアンに説明をする」
ザリアン? それは誰だと言う風に若頭がお頭を見るが、お頭は素知らぬ顔をしている。
サイネムがポポを見た。
「え? なに? だれ?」
「ザリアン・ローダル・ポスイル、それがお前の本当の名だ」
「へ?」
「ザリアンは誰もが呼ぶ名。 ローダルは御子の男の系列に付けられる。 ポスイルというのが真名。 真名でお前を呼ぶことが出来るのは王女と女王だけ」
ポポに目を合わせて言っている、ということは今サイネムが言ったことはポポに言ったということ。 何が何だか意味が分からずオロオロとお頭を見るが、お頭はポポの方など見ずただ干し魚を食いちぎっている。
「お前は森の民」
「森、の?」
お頭から視線を外してサイネムを見ると、サイネムの黒い髪の毛が一瞬にして白銀の髪色に変わった。 そして瞳の色も変わっていた。
「あ・・・」
「森の民は呪を使う」
(呪で黒くしてたのかい。 驚かす前に説明しろってんだい)
憎々し気に干し魚を飲み込むと木椀の水を煽る。
本来なら森の民以外に真名を聞かせることは無い。 だがポポに説明するに今ここで真名を言わなければならなく、また、お頭に今まで育ててもらった礼としてブブとポポの真名を聞いてもらうと言う。
「そりゃどーも」
森の民にとって真名がどれほど大事な物かは知らないが、それでもその話をちゃんと受け取ろう。
「お前とゼライアは生まれてすぐこの男に託した」
この男と言ってサイネムがお頭を見ると、それにつられるようにポポもお頭の方に首を振る。
お頭が片眉を上げてポポを見る。
「ポポとブブを預かった。 この旦那からな、それは間違いねー」
「・・・なんで」
「事情があったんだよ。 まずはこの旦那の説明とやらを聞きな」
この旦那と言われたサイネムが森が兵に襲われたこと、その時に森の女王が双子を産んだこと、女王の命(めい)の元、生まれたばかりの双子をお頭に預けたこと。 真名の最初の名である一文字 “ブ” と “ポ” を使って短い名を付けるように言ったこと。 もちろん森の民であることは秘しておくこと。
そして次期女王である、いま王女の立場に居るブブが徴を迎えると女王の儀式を行わなければいけないこと。 そのブブにその徴が現れた。 それらを淡々と話していった。
夜は既に明けていた。 部屋の中で仲間たちが起き動き回りだした音や声がする。
「な・・・なんだよ、それ」
わけが分からない。
森の民と聞かされヤマネコから聞いた話がすぐに頭に浮かんだが、そんなことじゃなかった。 その程度のことじゃなかった。
「ポポ、隠してて悪かったな」
「なんだよ! なんだよそれって!!」
謝ったお頭を見ることなくサイネムを見据えている。
洞の中を歩いていた仲間たちがポポの声に、どうしたことかと足を止める。
「ポポ、落ち着け」
立ち上がろうとしたポポの肩を若頭が抑える。
「なんだよ! なんだよ! 徴って何だよ! ブブはブブだ!」
自分のことなど二の次だ。 ブブのことを勝手に王女とか女王とか、ふざけるんじゃない。
「ポポ、ブブは女になった。 それが徴だ」
今度はそう言ったお頭をねめつけた。
「ブブはブブだ! ブブが女になったからって! それがなんだってんだ!!」
足を止めていた仲間たちが顔を見合わせて小さく笑った。
「ポポのやつ、まだブブが女になったことにこだわってんのか?」
昨日のポポの状態は誰もが知っている。 アナグマはお頭に言われて何かあると思い、ポポについていたのだが、そういう事情を知らない仲間たちは単に落ち込んでいるポポにアナグマがついていると思っていた。
「可愛いもんじゃないか」
「教育が足りなかったなー」
「教育って、そんな教育してない・・・ってか、おれたちそんなにこだわったか?」
「ないな。 うーん・・・双子は別なんじゃないのか?」
「あんたら、さっさと歩きな! 後がつかえてるじゃないか」
後ろの方からヤマネコの声が響いた。
「それがザリアンたる証拠」
「なにがザリアンだ! オレはポポだ!」
「ポポ、みんな起きてきた。 声を抑えろ」
若頭が言うが聞こえているのかいないのか、ポポの握りしめた拳は今も怒りに震えている。
「双子で生まれた男は、ローダルは、誰よりも己よりも王女、女王のことだけを想う。 その為の双子だ」
「勝手なこと言うんじゃない!」
「女王になるための徴があらわれる前になると、王女が徴を静かに迎え入れられるよう離れるようになる。 何を考えなくともな、自然に。 心当たりはないか?」
言い返そうと思ったポポの喉がグッと詰まる。
心当たりがなくはない。
森を見に行こうとブブを誘ったが、それにブブが乗ってこなかった。
(あの時・・・腹が痛いと言っていたから下痢だと思った。 だから出すもんを出せと言って外に連れて出ようとしたのに、出るもんはないって言ってた)
あの時からだ、あの時からブブが変わっていった。 一人考え込む様子があったり、話していても上の空の時があった。 話をしていてもポポが思った返事が返ってこない時もあった。 そう感じていた。
それにポポ自身も自分自身が今までと違ってきたとも感じていた。
そしてブブとは距離をとる方がいい、そう決めた。
「わたしもそうだった」
一瞬、お頭の部屋の中の空気が止まった。
「最後まで森を守り切った女王と共に生まれた。 わたしの名はサイネム・ローダル・ライダルード」
「ローダル、だって?」
お頭の口から洩れた。
さっきこの男はポポの名を説明した時に『ザリアンは誰もが呼ぶ名。 ローダルは御子の男の系列に付けられる。 ポスイルというのが真名。 真名でお前を呼ぶことが出来るのは王女と女王だけ』 そう言っていた。
「旦那・・・」
そう言ったお頭には目を向けなかった。
「女王を守り、女王の想いを遂げるのがローダルの名を持つ者のすべきこと。 そして女王は命に代えて森を守ることをす」
前を見据えて答えたサイネムがポポを見る。 今も若頭に肩を抑えられている。
「女王は・・・ずっと一緒に居たわたしの大切なピアンサは命に代えて森を守った、それが女王としてすべきことだから。 だがピアンサの想いはそれだけではない。 お前たちが帰って来ること。 お前たちが帰ってこられるようにあの森を守った」
お頭が若頭をちらりと見る。 そのままポポを抑えていろということだ。
「守たって、あの森にゃー兵が居るじゃねーか」
「あの時、言っただろう、森は眠りに入ったと」
「あ、ああ、たしか仮死状態のようなものだって」
「そうだ。 女王が森を眠らせなければ森は今ごろ死んでいる」
上がって力の入っていたポポの肩が下がっていく。 僅かに肩が震えだしたのが若頭の手に伝わってくる。
「森が・・・死んでる?」
口の中で言ったポポに応えるようにサイネムが頷く。
「女王が何もしなければ、ということだ。 だが女王は守り切った。 あの森はちゃんと生きている。 眠っているだけ、深い眠りにな。 兵はそうとは知らず森を占拠した気でいるがな」
森が生きていようが死んでいようが、それこそ深い眠りと言われる仮死状態であろうが、兵が占拠していることに間違いはないというのに、どういうことだろうかとお頭が首を傾げたが、山の民である自分がそこまで知る必要もないだろう。
若頭がまだポポの肩に手を置いたまま尋ねる。 その返事によってはこの手を下ろそうと思いながら。
「森が気になるか?」
「オレは・・・オレは山の民だ。 森のことなんて・・・」
お頭が両の眉を上げ、若頭がそっとポポの肩から手を下ろした。
「ポポ、ポポがそう思ってるならそれでいい。 お頭もおれも群れのみんなもだ、ポポのことを仲間だと思っている、ブブもな。 だが話だけは最後まで聞かないか?」
「・・・」
若頭がサイネムを見る。
サイネムが小さく頷くのを礼として話を続ける。
「徴のあらわれた王女は本来ならすぐにでも儀式を行わなければならない。 でなければ王女の身体を害する」
「・・・え?」
「本来なら、夕べ儀式が行われた」
「害する、って・・・」
「単なる森の民ならばそんなことはない。 だが女王の身体は民と同じではない。 どういう風に害するか、どんな儀式かは森の民にのみ伝えられる」
ここにはお頭も若頭もいる。 これ以上言えないということである。
「おれたちゃ、出て行った方がいいか?」
「いや、必要ない」
「ブブが・・・」
「わたしはピアンサと離れるなど一度も思ったことは無い。 ましてや引き裂かれるなどということは許さない。 これがどういう意味か分かるな?」
ポポだってブブと離れるなんてことを思ったことは無い。 でもそれは双子だから、唯一の肉親だから。
いや、待て・・・。 肉親・・・それならどうして仲間たちは肉親から離れてこの群れに来たんだ。 肉親を捨ててお頭を選んだんだ。
ブブがお頭を見た。
「お頭・・・」
「なんでぇ」
「お頭は・・・なんで、生まれた群れを出てきたんだ?」
「ヤなことがあったからな」
「父ちゃんや母ちゃんや・・・兄弟と離れても良かったのか?」
お頭が両の眉を上げる。
「そうさ。 少なくとも山の民はみんなそうさ。 自分の為に生きてる。 父ちゃんや母ちゃんや兄弟の為に生きてるんじゃねーからよ」
ポポが若頭を見る。 若頭もそうなのか? そういう目をして。
「少なくとも川の民もな」
川の民も山の民と同じように群れを移ると名を変えている。
「森の民は女王の手の中で森の為に生きる。 だが双子は違う。 森の女王から生まれたローダルは皆わたしと同じように考える」
「双子・・・」
「そうだ。 森の女王は必ず双子を生む。 王女とローダルをな」
「・・・それって、男と女の双子」
「王女を儀式から守る男」
「儀式から、守る?」
「常に女王を守っているが、とくに儀式の時には王女は無防備になる。 女王となった先が守れなくなるとしても、儀式の時には命に代えて王女を守る」
「・・・女王を守るって。 女王は死んだんだろ? さっき言ったよな、女王の想いを遂げるって、だから森から逃げてオレたちをお頭に預けたって。 ・・・だからって・・・だからって、オレはブブを置いて逃げることなんてしない」
「そう思うことこそ、ローダルの証」
「オレはそんな平気な顔でブブを見捨てない! 見捨てることを言わない!」
「平気、だと思うか?」
ポポが唇を噛んだ。 その歯が震えている。 どうしてそんな反応をしてしまったのか、ポポ自身分からない。
「たとえ女王の想いを遂げるといっても、お前の言う通りそれはピアンサを見捨てたこと。 だがそれが死を覚悟した女王の願いなら・・・いや、ピアンサは女王として命(めい)さえわたしに出した。 それに反することなど出来ようか」
そして、この男が言うには、と若頭を一度見て続けた。
「お前たちの呼び方で女州王。 その女州王がピアンサの髪の毛を持っているという。 ましてやその髪の毛に呪をかけると・・・。 ピアンサは・・・女王は、お前たちを三日かかってやっと産んだ。 体力も何も残ってはいなかった。 その身体で森を眠りにつかせ・・・その場で息をなくしたのだろう。 いや、なくした。 長い髪を切ったのは女王自身だろう。 だが残った女王の髪の毛を女州王が・・・切った。 汚れた手でわたしのピアンサの髪を。 何もかもを置き捨て今すぐにでも取り戻しに行きたい。 この想い、お前なら分かるだろう」
「・・・」
ブブがそんな目に遭ったら・・・。
ポポの顔が段々と下がっていく。
静かな時が流れる。
穴の中で米が炊けた匂いが漂ってきた。 外で炊いて兵に見つかるのを防ぐためだ。 まだ米を炊く以外は何も焼くことが出来ない。 米を炊く蒸気と魚や肉を焼く煙とでは全く違う。 いくら穴の中で焼いてもその煙が外に漏れてしまうからだ。
布の向こうから声がかかった。
「お頭、飯ができた」
「ああ、ちょっと待ってくれ」
そう言うとサイネムに訊ねる。
「米は食うのか?」
「食べるが遠慮をする」
「ちっ、なんでぇ」 と言い、布に向かって「おい! 握り飯を四人分頼まぁ」 と言うと「はいよ」 と返事が返って来た。
「遠慮をすると言ったが?」
四人分ということはサイネムの数も入っている。
「しっかり食わねーでどうするよ、これからあの森に入んなきゃいけねーんだろが」
「・・・森? あの森に?」
咄嗟にポポの顔が上がった。
「ゼライアの身体が心配だ。 少しでも早く儀式を行いたいからな」
「ゼライア・・・。 あ、ブブ」
思わずポポが立ち上がる。
「お頭、ブブの具合を見てくる」
お頭が片方の口の端を上げて鼻から息を吐いた。
「行ってきな」
ポポが走ってお頭の部屋を出て行くと、お頭が畏まったようにサイネムを見る。
「な、いい子だろう」
「当たり前だ」
ちっ、負けず嫌いが、と小さく言うと話を続ける。
「で? どうやって森に入ってその儀式ってーのをするんだ?」
どうやって森に入る。 そこが問題だ。
五年ほど森の様子を見に行くことが出来ていない。 最後に森の様子を見に行った時には兵も呪師もいた。 それもある程度力の有る呪師だった。
今も呪師が居るだろうが街の呪師になど負けはしない。 だが呪師と対峙していては兵が駆けつけてくるだろう、そうなれば儀式に邪魔が入る。
それにどれだけの兵が居るか分からないし、儀式の間は騒がれたくはない。 そうなれば兵に気付かれず森に近づけるのかどうかも分からない。
どうしたものか。
そこに若頭の声が入った。
「まだ完成はしていないがお頭が穴を掘っていた。 役に立ちそうか?」
「穴を掘った?」
『孤火の森』 第1回から第10回までの目次は以下の 『孤火の森』リンクページ からお願いいたします。
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孤火の森(こびのもり) 第11回
お頭の部屋の中に入り腰を落ち着かせたところに、ポポが皿に乗せた魚の干し物と水の入った瓶を抱えて入ってきた。
お頭が瓶を受け取ると隅に置いていた木椀二つに水を入れる。
「ポポもここに居ろ」
どういうことだと上目遣いにお頭を見たが、サイネムの前に木椀を置いたお頭が目顔で座れと言う。 お頭の斜め前にサイネムが座っている。 仕方なく、そのサイネムの正面から少し外れるところに腰を下ろした。
お頭が木椀の中の水を飲み干し、魚の干し物に手を伸ばした。 一つを取るとサイネムの前に皿を滑らせたがサイネムが首を振った。
「水は頂くが、そちらはいい」
「腹が空いてないのか?」
「わたしたちは肉というものを食べないのでな」
「肉って? これは魚だぞ?」
割って入ったポポを見てほんの少し口の端を上げた。
「魚も肉だ。 ポポは肉が好きか?」
お頭が眉を上げ意外な、という顔をした。 だがよく考えるとポポは森の民の生まれだ。 森の民同士ならこういう顔でこんな話し方もするのだろう。 干し魚を食いちぎると木椀にもう一度水を注ぐ。
「ああ、どんな肉でも好きだ。 腹が一杯になるからな」
「そうか」
「肉を食わないんだったら何を食ってるんだ?」
「そうだな、木の実、茸、葉や根、そんなところか」
森の民の食材など聞いたことがなかった。 そんなものだけを食べていたのか、と驚きながらも知らぬ振りをして干し魚にかぶりつく。
「へ? そんなんじゃ腹が減るだろう?」
そこに布を撥ね上げて若頭が入って来た。
「ポポは年中腹を減らしてるからな」
「んなことねーよ」
「おめーも座って食いな、昨日から食わずだ腹が減ったろ。 旦那は食わねぇんだってよ」
ポポの隣に座った若頭の前にポポが皿を滑らせると、お頭が若頭の分の水を木椀に注ぐ。
「食いながらでいいだろ? これからどうするんでぇ」
「まずはザリアンに説明をする」
ザリアン? それは誰だと言う風に若頭がお頭を見るが、お頭は素知らぬ顔をしている。
サイネムがポポを見た。
「え? なに? だれ?」
「ザリアン・ローダル・ポスイル、それがお前の本当の名だ」
「へ?」
「ザリアンは誰もが呼ぶ名。 ローダルは御子の男の系列に付けられる。 ポスイルというのが真名。 真名でお前を呼ぶことが出来るのは王女と女王だけ」
ポポに目を合わせて言っている、ということは今サイネムが言ったことはポポに言ったということ。 何が何だか意味が分からずオロオロとお頭を見るが、お頭はポポの方など見ずただ干し魚を食いちぎっている。
「お前は森の民」
「森、の?」
お頭から視線を外してサイネムを見ると、サイネムの黒い髪の毛が一瞬にして白銀の髪色に変わった。 そして瞳の色も変わっていた。
「あ・・・」
「森の民は呪を使う」
(呪で黒くしてたのかい。 驚かす前に説明しろってんだい)
憎々し気に干し魚を飲み込むと木椀の水を煽る。
本来なら森の民以外に真名を聞かせることは無い。 だがポポに説明するに今ここで真名を言わなければならなく、また、お頭に今まで育ててもらった礼としてブブとポポの真名を聞いてもらうと言う。
「そりゃどーも」
森の民にとって真名がどれほど大事な物かは知らないが、それでもその話をちゃんと受け取ろう。
「お前とゼライアは生まれてすぐこの男に託した」
この男と言ってサイネムがお頭を見ると、それにつられるようにポポもお頭の方に首を振る。
お頭が片眉を上げてポポを見る。
「ポポとブブを預かった。 この旦那からな、それは間違いねー」
「・・・なんで」
「事情があったんだよ。 まずはこの旦那の説明とやらを聞きな」
この旦那と言われたサイネムが森が兵に襲われたこと、その時に森の女王が双子を産んだこと、女王の命(めい)の元、生まれたばかりの双子をお頭に預けたこと。 真名の最初の名である一文字 “ブ” と “ポ” を使って短い名を付けるように言ったこと。 もちろん森の民であることは秘しておくこと。
そして次期女王である、いま王女の立場に居るブブが徴を迎えると女王の儀式を行わなければいけないこと。 そのブブにその徴が現れた。 それらを淡々と話していった。
夜は既に明けていた。 部屋の中で仲間たちが起き動き回りだした音や声がする。
「な・・・なんだよ、それ」
わけが分からない。
森の民と聞かされヤマネコから聞いた話がすぐに頭に浮かんだが、そんなことじゃなかった。 その程度のことじゃなかった。
「ポポ、隠してて悪かったな」
「なんだよ! なんだよそれって!!」
謝ったお頭を見ることなくサイネムを見据えている。
洞の中を歩いていた仲間たちがポポの声に、どうしたことかと足を止める。
「ポポ、落ち着け」
立ち上がろうとしたポポの肩を若頭が抑える。
「なんだよ! なんだよ! 徴って何だよ! ブブはブブだ!」
自分のことなど二の次だ。 ブブのことを勝手に王女とか女王とか、ふざけるんじゃない。
「ポポ、ブブは女になった。 それが徴だ」
今度はそう言ったお頭をねめつけた。
「ブブはブブだ! ブブが女になったからって! それがなんだってんだ!!」
足を止めていた仲間たちが顔を見合わせて小さく笑った。
「ポポのやつ、まだブブが女になったことにこだわってんのか?」
昨日のポポの状態は誰もが知っている。 アナグマはお頭に言われて何かあると思い、ポポについていたのだが、そういう事情を知らない仲間たちは単に落ち込んでいるポポにアナグマがついていると思っていた。
「可愛いもんじゃないか」
「教育が足りなかったなー」
「教育って、そんな教育してない・・・ってか、おれたちそんなにこだわったか?」
「ないな。 うーん・・・双子は別なんじゃないのか?」
「あんたら、さっさと歩きな! 後がつかえてるじゃないか」
後ろの方からヤマネコの声が響いた。
「それがザリアンたる証拠」
「なにがザリアンだ! オレはポポだ!」
「ポポ、みんな起きてきた。 声を抑えろ」
若頭が言うが聞こえているのかいないのか、ポポの握りしめた拳は今も怒りに震えている。
「双子で生まれた男は、ローダルは、誰よりも己よりも王女、女王のことだけを想う。 その為の双子だ」
「勝手なこと言うんじゃない!」
「女王になるための徴があらわれる前になると、王女が徴を静かに迎え入れられるよう離れるようになる。 何を考えなくともな、自然に。 心当たりはないか?」
言い返そうと思ったポポの喉がグッと詰まる。
心当たりがなくはない。
森を見に行こうとブブを誘ったが、それにブブが乗ってこなかった。
(あの時・・・腹が痛いと言っていたから下痢だと思った。 だから出すもんを出せと言って外に連れて出ようとしたのに、出るもんはないって言ってた)
あの時からだ、あの時からブブが変わっていった。 一人考え込む様子があったり、話していても上の空の時があった。 話をしていてもポポが思った返事が返ってこない時もあった。 そう感じていた。
それにポポ自身も自分自身が今までと違ってきたとも感じていた。
そしてブブとは距離をとる方がいい、そう決めた。
「わたしもそうだった」
一瞬、お頭の部屋の中の空気が止まった。
「最後まで森を守り切った女王と共に生まれた。 わたしの名はサイネム・ローダル・ライダルード」
「ローダル、だって?」
お頭の口から洩れた。
さっきこの男はポポの名を説明した時に『ザリアンは誰もが呼ぶ名。 ローダルは御子の男の系列に付けられる。 ポスイルというのが真名。 真名でお前を呼ぶことが出来るのは王女と女王だけ』 そう言っていた。
「旦那・・・」
そう言ったお頭には目を向けなかった。
「女王を守り、女王の想いを遂げるのがローダルの名を持つ者のすべきこと。 そして女王は命に代えて森を守ることをす」
前を見据えて答えたサイネムがポポを見る。 今も若頭に肩を抑えられている。
「女王は・・・ずっと一緒に居たわたしの大切なピアンサは命に代えて森を守った、それが女王としてすべきことだから。 だがピアンサの想いはそれだけではない。 お前たちが帰って来ること。 お前たちが帰ってこられるようにあの森を守った」
お頭が若頭をちらりと見る。 そのままポポを抑えていろということだ。
「守たって、あの森にゃー兵が居るじゃねーか」
「あの時、言っただろう、森は眠りに入ったと」
「あ、ああ、たしか仮死状態のようなものだって」
「そうだ。 女王が森を眠らせなければ森は今ごろ死んでいる」
上がって力の入っていたポポの肩が下がっていく。 僅かに肩が震えだしたのが若頭の手に伝わってくる。
「森が・・・死んでる?」
口の中で言ったポポに応えるようにサイネムが頷く。
「女王が何もしなければ、ということだ。 だが女王は守り切った。 あの森はちゃんと生きている。 眠っているだけ、深い眠りにな。 兵はそうとは知らず森を占拠した気でいるがな」
森が生きていようが死んでいようが、それこそ深い眠りと言われる仮死状態であろうが、兵が占拠していることに間違いはないというのに、どういうことだろうかとお頭が首を傾げたが、山の民である自分がそこまで知る必要もないだろう。
若頭がまだポポの肩に手を置いたまま尋ねる。 その返事によってはこの手を下ろそうと思いながら。
「森が気になるか?」
「オレは・・・オレは山の民だ。 森のことなんて・・・」
お頭が両の眉を上げ、若頭がそっとポポの肩から手を下ろした。
「ポポ、ポポがそう思ってるならそれでいい。 お頭もおれも群れのみんなもだ、ポポのことを仲間だと思っている、ブブもな。 だが話だけは最後まで聞かないか?」
「・・・」
若頭がサイネムを見る。
サイネムが小さく頷くのを礼として話を続ける。
「徴のあらわれた王女は本来ならすぐにでも儀式を行わなければならない。 でなければ王女の身体を害する」
「・・・え?」
「本来なら、夕べ儀式が行われた」
「害する、って・・・」
「単なる森の民ならばそんなことはない。 だが女王の身体は民と同じではない。 どういう風に害するか、どんな儀式かは森の民にのみ伝えられる」
ここにはお頭も若頭もいる。 これ以上言えないということである。
「おれたちゃ、出て行った方がいいか?」
「いや、必要ない」
「ブブが・・・」
「わたしはピアンサと離れるなど一度も思ったことは無い。 ましてや引き裂かれるなどということは許さない。 これがどういう意味か分かるな?」
ポポだってブブと離れるなんてことを思ったことは無い。 でもそれは双子だから、唯一の肉親だから。
いや、待て・・・。 肉親・・・それならどうして仲間たちは肉親から離れてこの群れに来たんだ。 肉親を捨ててお頭を選んだんだ。
ブブがお頭を見た。
「お頭・・・」
「なんでぇ」
「お頭は・・・なんで、生まれた群れを出てきたんだ?」
「ヤなことがあったからな」
「父ちゃんや母ちゃんや・・・兄弟と離れても良かったのか?」
お頭が両の眉を上げる。
「そうさ。 少なくとも山の民はみんなそうさ。 自分の為に生きてる。 父ちゃんや母ちゃんや兄弟の為に生きてるんじゃねーからよ」
ポポが若頭を見る。 若頭もそうなのか? そういう目をして。
「少なくとも川の民もな」
川の民も山の民と同じように群れを移ると名を変えている。
「森の民は女王の手の中で森の為に生きる。 だが双子は違う。 森の女王から生まれたローダルは皆わたしと同じように考える」
「双子・・・」
「そうだ。 森の女王は必ず双子を生む。 王女とローダルをな」
「・・・それって、男と女の双子」
「王女を儀式から守る男」
「儀式から、守る?」
「常に女王を守っているが、とくに儀式の時には王女は無防備になる。 女王となった先が守れなくなるとしても、儀式の時には命に代えて王女を守る」
「・・・女王を守るって。 女王は死んだんだろ? さっき言ったよな、女王の想いを遂げるって、だから森から逃げてオレたちをお頭に預けたって。 ・・・だからって・・・だからって、オレはブブを置いて逃げることなんてしない」
「そう思うことこそ、ローダルの証」
「オレはそんな平気な顔でブブを見捨てない! 見捨てることを言わない!」
「平気、だと思うか?」
ポポが唇を噛んだ。 その歯が震えている。 どうしてそんな反応をしてしまったのか、ポポ自身分からない。
「たとえ女王の想いを遂げるといっても、お前の言う通りそれはピアンサを見捨てたこと。 だがそれが死を覚悟した女王の願いなら・・・いや、ピアンサは女王として命(めい)さえわたしに出した。 それに反することなど出来ようか」
そして、この男が言うには、と若頭を一度見て続けた。
「お前たちの呼び方で女州王。 その女州王がピアンサの髪の毛を持っているという。 ましてやその髪の毛に呪をかけると・・・。 ピアンサは・・・女王は、お前たちを三日かかってやっと産んだ。 体力も何も残ってはいなかった。 その身体で森を眠りにつかせ・・・その場で息をなくしたのだろう。 いや、なくした。 長い髪を切ったのは女王自身だろう。 だが残った女王の髪の毛を女州王が・・・切った。 汚れた手でわたしのピアンサの髪を。 何もかもを置き捨て今すぐにでも取り戻しに行きたい。 この想い、お前なら分かるだろう」
「・・・」
ブブがそんな目に遭ったら・・・。
ポポの顔が段々と下がっていく。
静かな時が流れる。
穴の中で米が炊けた匂いが漂ってきた。 外で炊いて兵に見つかるのを防ぐためだ。 まだ米を炊く以外は何も焼くことが出来ない。 米を炊く蒸気と魚や肉を焼く煙とでは全く違う。 いくら穴の中で焼いてもその煙が外に漏れてしまうからだ。
布の向こうから声がかかった。
「お頭、飯ができた」
「ああ、ちょっと待ってくれ」
そう言うとサイネムに訊ねる。
「米は食うのか?」
「食べるが遠慮をする」
「ちっ、なんでぇ」 と言い、布に向かって「おい! 握り飯を四人分頼まぁ」 と言うと「はいよ」 と返事が返って来た。
「遠慮をすると言ったが?」
四人分ということはサイネムの数も入っている。
「しっかり食わねーでどうするよ、これからあの森に入んなきゃいけねーんだろが」
「・・・森? あの森に?」
咄嗟にポポの顔が上がった。
「ゼライアの身体が心配だ。 少しでも早く儀式を行いたいからな」
「ゼライア・・・。 あ、ブブ」
思わずポポが立ち上がる。
「お頭、ブブの具合を見てくる」
お頭が片方の口の端を上げて鼻から息を吐いた。
「行ってきな」
ポポが走ってお頭の部屋を出て行くと、お頭が畏まったようにサイネムを見る。
「な、いい子だろう」
「当たり前だ」
ちっ、負けず嫌いが、と小さく言うと話を続ける。
「で? どうやって森に入ってその儀式ってーのをするんだ?」
どうやって森に入る。 そこが問題だ。
五年ほど森の様子を見に行くことが出来ていない。 最後に森の様子を見に行った時には兵も呪師もいた。 それもある程度力の有る呪師だった。
今も呪師が居るだろうが街の呪師になど負けはしない。 だが呪師と対峙していては兵が駆けつけてくるだろう、そうなれば儀式に邪魔が入る。
それにどれだけの兵が居るか分からないし、儀式の間は騒がれたくはない。 そうなれば兵に気付かれず森に近づけるのかどうかも分からない。
どうしたものか。
そこに若頭の声が入った。
「まだ完成はしていないがお頭が穴を掘っていた。 役に立ちそうか?」
「穴を掘った?」