大福 りす の 隠れ家

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孤火の森 第23回

2024年09月09日 20時14分24秒 | 小説
『孤火の森 目次


『孤火の森』 第1回から第20回までの目次は以下の 『孤火の森』リンクページ からお願いいたします。


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孤火の森(こびのもり)  第23回




何をどう言っても傲慢に言ってきた。

『お前たちがどう呼ばれているか知っているか? 愚兵だ』

『なにを! お前らにそんなことを言われる筋合いなどない! 兵隊長からこっちが指揮を取れと指示が出たんだよ!』

『愚兵の言うことなんか聞いて失敗に終わったらどうする気だ?』

『この森を一番知ってるんだ、失敗になど終わるはずがないだろう!』

『こんな枯れた森をグルグル回っているだけだろう。 頭も何もかもこの森と一緒で枯れてるんじゃないのか?』

『てめー!!』

『ああ、それに愚兵に指揮をとらせようと考えるとはお前たちの兵隊長も・・・だな』

殴りかかったが、向こうの方が圧倒的に人数が多かった。 反対に殴られ蹴られ・・・矜持がズタズタに破られた。

(それだけじゃない、あの時のことを後悔させてやる)

あの時、この男たちがこの森に居る理由がそれである。 まだ幼い頃のポポとブブがこの森にやって来た、それを捕まえることが出来なかった。 子供二人すら捕らえることが出来なかったとはと、さんざん愚兵と呼ばれこの森に残されることになった。

「こっちだ」

男達が歩き去るのを見送ったサイネムが小屋に向かった。


「呪師さん、アンタは行かなくていいのか?」

小屋の中に居たくなくて外に出ていた。 そこへ後ろから声をかけられ振り向くと昨日の男が居た。

「あ・・・昨日は有難うございました」

下を向いたままそっと腕輪を触る。 もうこれしか残っていない呪具、そして父の形見となるであろう呪具。
新人と言われていた男が呪師の腕を指さす。

「一つ取られたんだってな」

この男が来る前のことだった。 あの男に取られた。 呪具を市で換金し賭けをしていた。 そしてその金が昨日尽きた。
呪師が頷くと男が大きな溜息を吐いた。

「呪師さん、アンタそんなじゃ呪師に向いてないぜ? 駄目元でももっと堂々としてないと」

「・・・分かっています」

「分かってんならさ―――」

「無理矢理連れてこられたんです! こんな所に来たくなかった、言われることなんて出来ない!」

顔は下げたままだが、声が段々と大きくなっていった。 もう我慢が出来なくなってきているのだろう。

「言われることが出来ないってのは分かるよ? アンタじゃ無理だろう、素人の俺にだってわかる。 けどこんな所って?」

素人に無理とはっきり言われてしまった。 普通の呪師なら屈辱に怒りを投げつけるだろう。 だが自分の力量は知っている。 素人よりマシな程度で、ましてや呪具に頼らなければいけない程度、怒りをぶつける気概などない。

「知らないんですか? ここは呪われた森」

ようやく顔を上げたが、おかしなことを言う。

「呪われた森?」

「ここは・・・ここにはその昔、森の女王がいました。 兵がこの森に押し入って女王が殺された、その女王の呪いがこの森にはかかっている。 州はひた隠しにしてるけど、山の民が見てた、だからっ、誰もが知ってること!」

市は物の売り買いという場ではあるが、ある意味情報交換の場所でもある。 市でこの森の話が流れていた。

「ふーん」

「ふーんって・・・」

「あ、俺は兵じゃないし、この州出身でもない。 流れてきた。 仕事がないかなって市をぶらついてたら、兵隊長っていうやつに声をかけられた。 ここに居るのを兵は嫌がってるんだってな、アンタの言ったことが理由なの?」

呪師が首を振る。

「そういう意味では兵は嫌がっていない、と思います」

「じゃ、どういう意味?」

「他の兵隊長に付いたら、宝物(ほうもつ)が手に入るかもしれないから」

「へぇー宝物、ね」

「あなたこそ行かなくていいんですか?」

「俺? 俺に案内なんてまだ出来ないからな、下手したら迷子になっちまう。 ああ、そう言やぁ、あの森の中を見たら呪われた森って言われても納得がいくか。 あれじゃ森じゃないな」

木も草も枯れ、泉の水は淀んで水を欲する生き物も居ない。

「アンタさ、それだけ声が張れて大声出せるんならもっと堂々としてれば? そしたらナメられることもないだろうに」

「・・・」

「じゃな・・・って、忘れてた」

ほい、と言って手から何かを投げてよこした。 咄嗟に両手で受け取ると大きく目を開けた。

「それ、アンタのだろ? そこにあるのとよく似た作りだ」

男が指さす “そこ” は呪師の腕。

「あ・・・あの」

「市で見つけた。 やるよ」

やるよ・・・いくらで買ったというのだろうか。 仕事を探していたと言っていたのに。
男が小屋に向かって歩き去って行く。

「・・・父さん」

父の作ってくれた呪具。 もう手にすることが出来ないと思っていた父の形見。

<呪われた森、か・・・>

サイネムでさえ最初に見た時、森が死んでいると感じたほどであった。 そう言われても仕方が無いだろう。 いや、どう言われようがどう思われようが構わない。 人の言うことにいちいち耳を傾けていれば、今まで心豊かに暮らせてこられはしなかった。
知ろうとしない者はそれだけのこと。 貧素な想像の中を歩き、そこに居ればいいだけのこと。
小屋の中に目を移す。

<何人かいるな>

ここに来るまでにもう一つの塊の兵と出会ったが、ほとんど無言で森の中を歩いていた。 何の情報を耳にすることも出来なかった。
小屋の中にはさっきの男を入れて三人が残っている。 その誰もが兵の服を着ていない。 ずっとここに居た連中だろう。

「何してたんだよ」

「別に。 それより俺、首を切られるのか? 来たばっかりなのによ」

「さぁーな、お前は兵じゃないからな」

「兵隊長が勝手に連れてきただけだ、兵隊長に訊きな」

「その兵隊長様は居ねーしな・・・。 アンタらは? どうすんの?」

「それこそ、さぁーな、だ」

「まっ、お前みたいに首を切られることは無いけどな、どっかに移動だろう」

「でも夕べの話じゃ、森を燃やさせないようにするとかって言ってたじゃないか。 それってどうなんだ? 失敗したってことになって、アンタたちにも責任がかかってくるんじゃないのか?」

「そりゃないな、そこんとこは上手くアイツらが案内してるさ」

「今晩から五日かけてこの森全焼、それをさせないようにな」

「一部でも残ってりゃ、アイツらのせいだ。 俺たちはちゃんと案内をしたって言やぁ、それですむことよ」

「一部って・・・それくらい残っててもいいだろうよ」

「へへへ、お前はこの森のことを知らないからな」

「残す場所によっちゃあ、燃やしてないのと同じってことだ」

「残す場所って?」

「女州王が一番忌み嫌ってるところさ」

「ふーん、それでアンタたちは移動ですむってことか」

「そっ、産屋の建っていた場所を残しておけ―――」

ビュッ、と風を切るような音がした。

呪師が顔を上げて小屋を見た。 「なに?」 そう言って眉根を寄せると小屋に向かって走り出す。

「なんの音だ?」

「なんだろ?」

窓から外を見ると呪師がこちらに向かって走って来ているだけである。
だが音は小屋の中でした。 男三人が小屋の中を見て回るが何もない。
戸が開き呪師が入ってきた。

「何かありましたか?」

「え?」

三人の男が目を合わす。

「あ、変な音がして。 勢いよく風が吹いたような音って感じっつーか」

呪師が小屋の中に目を這わす。

「・・・何かが居たようです」

「え? 何かって?」

「それは分かりませんが、呪われた森ですから・・・」

男二人が目を剥いた。 そう言えば音がした時、森を焼く話から女州王が忌み嫌っている場所という話をしていた。
ここは森の女王の呪いがかかっていると言われていたのだった。 森の女王を殺した女州王の話をし、女州王が忌み嫌っている場所、産屋、そう言った途端、音が鳴ったのだ。

「や、やめてくれよ・・・」

<今晩から森を燃やすだと!?>

それも五日間かけてじわじわと。 ましてや産屋を人目にさらすというのか。
あまりの怒りに風を切ってしまった。 物に当たらなかったのは幸いした。 当たっていれば気を乱したサイネムの足跡を取られたかもしれない。

<あの呪師、腕輪をしてから能力が上がった>

それでもサイネムからすれば六感が上がった程度。 だが言い換えれば、そのような者に足跡を取られるほどサイネムの気が乱れたということ。
今はもうこれ以上は聞けまい。 それにどこから燃やすなどと聞く気もない。 この森を燃やさせるつもりはない。

穏やかに滞りなくブブの儀式を迎えられるようにするつもりだったが、そうはいかなくなったようである。


胡坐を組んでいたサイネムの瞼の中で瞳が動いた。 大きく肺に空気を送り込みゆっくりと吐く。 それを何度か繰り返すと瞼を上げた。

「ピアンサ・・・」

森の女王だった双子の片割れの名を口の中で呼ぶ。
一度下を向き、再び顔を上げるとゆっくりと立ち上がる。

お頭、と呼んでヤマネコが顎をしゃくった。 お頭が顔を振るとサイネムが立ち上がったところであった。
こちらに向かって歩いて来る。

「なにか様子が違うかね?」

「いっつもあんなだろ」

二人に何を言われているか知らないサイネムがヤマネコの横に膝を着く。

「ゼライアの様子は?」

「一度目を開けたんだけど水も飲まないですぐに寝て・・・ああ、何かの香りがするって言ってたよ」

「香り?」

すぐには思い当たらなかったようだが、何かに気付いたのか、立ち上がると奥に走って行った。

「あの旦那が走るとはな」

「お頭より随分と早いかね」

「ほっとけ!」

お頭も立ち上がりサイネムの後を追う。
ポポたちの前を通ろうとすると三人で何やら内職をしている。

「何やってんでぃ」

男達をすり抜け、掘っている最前までサイネムがやって来た。 手の空いている男たちが穴の幅を大きくしたようで、先ほどまでと比べるとすれ違いやすくなっている。

孤火たちのあけた穴は途中から上方向に向いていた。 それに従って男達が穴を大きくしている最中だった。
そこはサイネムの思う場所の真下に来たということ。

お頭は斜めになっている崖の途中から真っ直ぐ森の下に向かって横穴を掘りだしていた。 森のある高さまではサイネムの背で二人半分ほど。
男達の人数でこまめに交代が出来たことと、孤火の穴が先導していたことも大きかったのだろう、お頭と若頭が掘っていた時よりも随分と進みが早い。

「旦那、どうした?」

穴を掘っていた男がサイネムを見て手を止めた。

(やはり)

あの香りがしている。

「いや、邪魔をした」

場所は間違っていない。 穴さえ通してもらえれば何とかなる。
踵を返すとポポの元に向かう。 丁度ポポたちの手元を見ていたお頭が腰を上げたところだった。

「ザリアン」

「ん?」

ポポもサビネコもチャトラも内職の手を止め顔を上げ、お頭もサイネムを見た。

「話がある、こっちに来い」

「いや、だってこれを完成させなくっちゃ」

「いいよ、ポポ、行ってきな。 チャトラと二人でやっとくから」

「頭も来てもらえるか」

「え? あ、ああ」

サイネムが入口の方に歩き出し、ブブを覗き込むと頬を撫で「ゼライア、あと少しだからな」 と言い残し、少し離れたところに腰を下ろした。 あまり入り口に近づくと穴から声が漏れるかもしれないからである。

お頭がサイネムに続き、チャトラにお尻を叩かれたポポも立ち上がり続いた。 サイネムの正面に二人が座る。

「時が惜しい、今から言うことをしっかりと頭に入れろ」

「え?」

「訊き返すなと言った。 同じことを何度も言わすな」

冴え冴えとした目で言うと、次にお頭に顔を向ける。

「本来ならローダルとして伝えられる話であって、他の者に聞かせる話ではないが、ザリアンが聞き洩らすことなく覚えていられるかが分からない。 悪いが頭も一緒に聞いてもらえるか」

ローダル、その名がどうしてつけられたのかは覚えている。 ポポに名前の説明をした時 “ローダルは御子の男の系列に付けられる” サイネムはそう言っていた。
その名を持つ者が伝えていく話を聞けというのか。

「そんな大事な話をおれに聞かせていいのかよ」

「ザリアンが道を誤まろうとした時には正してやって欲しい」

「・・・えらく信用されちまったな」

どういう意味だろうか。 ポポとブブはこれから森で暮らすのだろうに、そうなればサイネムがゆっくりと教えていけばいいだろうに。

「頭はわたしとピアンサの母である森の女王が選んだのだから間違いない」

それは少年お頭を森の中から出した女王。

(そういや、そうなるのか。 って、じゃあやっぱりあの時の女王はこうなることが分かってたってことか?)

なんだか釈然としない。

「分ったよ」

「サイネム、それってどういう意味?」

以前サイネムは言っていた “ザリアンには伝えなければいけないことがある、ローダルとしてな” と。 きっとその話なのだろうが、どうして今ここで? それにそんなことがあれば、サイネムが正せばいいことだろう。 正される気はないが。

「ザリアン、今から言うことをしっかりと頭に入れろ」

「ポポ、諦めな。 それより耳の穴かっぽじって聞けよ」

ポポが口を歪めるがサイネムはさっき時が惜しいと言っていた。 苦情は後でしっかりと言ってやろう。

どこを見ることも無く始まったサイネムの話は昔話からだった。 ずっとずっと昔、何代も前の女王の頃の話から。

その頃は森の中にも山の民や川の民、どこの民も森を訪ねて来ていた。 森の民はどこの民という区別もなく森に迎え入れていた。 旅の途中だと聞くと寝食を提供し、群れを離れてきたと言うと辛い話を聞いてやり、川が枯れたや濁ったと聞くと泉の澄んだ水を提供していた。

ある日、街の民がやって来た。 十人足らずの街の民は州を跨いでやって来たと言う。 その内の一人が足に怪我をしていた。

『蛇に噛まれて・・・』

足を痛そうに引きずっている。 足首の少し上の方が腫れ、青黒くなっている。 様子を訊くと痺れも感じているらしい。
間違いなく蛇の毒が回ってきている。

『ここに来れば治してもらえると聞いた、治してはもらえないか?』

『はい、すぐに』

森の民が支えてその場に座らせると薬を塗り服薬をさせた。

『暫く留まられる方がいいでしょう。 他の方もお疲れでしょう、どうぞ休んでいってください』

森の民たちは街の民たちのために食を並べ床を用意した。
肉こそなかったものの、歓待を受けた街の民は数日森に留まった。 その内、森の民たちの日常を目にし、何人もが出入りする小屋を指さした。

『あの小屋は?』

『あそこには森からの恩恵が置かれているのですよ』

『森からの恩恵?』

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孤火の森 第22回

2024年09月06日 20時30分54秒 | 小説
『孤火の森 目次


『孤火の森』 第1回から第20回までの目次は以下の 『孤火の森』リンクページ からお願いいたします。


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孤火の森(こびのもり)  第22回




交代要員の男達に言われ握り飯をほおばりながら、すごすごとブブのところに戻って来ると、ポポより先に男達の邪魔にならないようにサイネムがブブのところに戻って来ていた。 ブブの頬に手をあてると温かい。 ブブの確認をすると入口の方に足を進める。

「ヤマネコ、ブブはどう?」

サイネムに遅れて戻って来たポポ。 ヤマネコに抱えられているブブの顔を覗き込む。

「変わらないね、でもここはもう森の近くだ、落ち着いて来るんじゃないのかねぇ」

「腹減ってないかなぁ・・・」

いつもブブと一緒に食べていた。 だが今はポポ一人で握り飯を食べている。

「なぁ、ポポ、あの旦那は何をしてるんだ?」

サビネコに目顔で示され、見てみるとサイネムがこちらに背を向けて胡坐をかいている。

「あ・・・」

「なんだい?」

「多分・・・森の中を探ってる」

ヤマネコとサビネコがギョッとして互いを見た。 見てはいけないものを見てしまったのだろうか。 サイネムから目を逸らすと穴の奥に目をやる。
暗かった穴の中にポツポツと火が灯されていた。



小屋の中はかなりいっぱいになってきた。 狭いのを嫌って外に出ている者たちもいる。

本来ならこの時間ともなればこの森を見ていた兵たちが森の見回りに出ているはずだが、今日はそれどころではなかった。
昨日、伝書を足につけた鳥が飛んできていた。 そこに書かれていたのは明日夜より五日かけて夜だけに森を焼くというもので、それにあたり、いま森に居る兵はやってきた別兵に森の案内をせよ、指揮は総隊長から出るというものであった。

そしてやって来た別兵の方には、森の案内を受け、明日夜より五日かけて夜に森を焼けというものだった。 延焼をして一日で終わらせてはいけなく、六日かかってもいけない。 そして夜以外は焼くなということであった。

「ある程度集まったか」

「そうだな、延焼をさせないために木を切らねばならんだろう、そろそろ森の中を見るか」

「広いからな、まずは六つ・・・いや七つに分かれるか」

「そうだな。 おい、案内を始めろ」

ついさっきやって来たばかりだというのに、この森のことを何も知らないというのに上からの物言いをされてしまう。 だが逆らえない。 この男達に逆らうということはセイナカルに逆らうということにもなってしまう。 とっとと総隊長から指揮の命令が出ればいいのに、そう考えながらも案内をせよと書かれていたことを遵守(じゅんしゅ)せねばならない。

「こっちだ・・・」

案内の男たちが七方向に分かれて歩き出した。



お頭が後ろから首根っこを摑まれ後ろに引っ張られた。

「って、何しやがんでぇ!」

「交代だよ」

「テメェー、やり方とか言い方ってもんがあるだろうが!」

「んじゃ、年寄りは引っ込んでな」

このヤローが、と言いかけたが、次から次に後ろに追いやられる。 最終的に一番後方となってしまった。

「口の利き方を教えなきゃなんねーな」

ブツブツ言うと後ろを振り返りヤマネコ達を見る。 いつの間にかチャトラも一緒に居る。 その先にサイネムがこちらに背を向け座っていた。

「よぉ」

「なんだい、もうへばったのかい?」

「追い出されたんだよ」

シッシ、と手を動かすとチャトラとサビネコに場を譲らせブブの顔を覗き見る。

「どんなもんだ?」

「変りがないんだろうと思うよ。 だけどこの状態だ、手足が冷えてると言っても身体が汗をかいてるかもしれないし、蒸れてるかもしれないからねぇ、身体を拭いてやりたいんだけどねぇ」

「蒸れてる?」

言った途端、チャトラにペチンと頭を叩かれた。

「男がそこんところをあれこれ言うんじゃないよ」

そっちの話だったのか。
口の利き方もあるが、手を出さないようにとも教えなければいけないようだ。 一応、お頭と呼ばれているのだから。
チャトラに言われどんな顔をしていいのか分からない。 話を逸らそう。

「旦那は何をしてんだ?」

「森の中を見てるみたいだよ、ポポが言ってた」

ねぇ、ブブ、と言ってブブの頬を指先で撫でている。 まるで赤子にするかのように。

「・・・ヤマネコ」

「なんだい」

「オメー・・・おかしくなってないだろうな」

ヤマネコがブブから目を外すとお頭を睨む。
今度はヤマネコから拳を下ろされた。 ゴン、と良い音が穴の中に響く。

「ッテー・・・」

思わず頭を抱える。

「ヤマネコのは効くからな、うん、オレも経験がある。 お頭、ご愁傷様」

他人事のようにポポが言うが、目からどころか頭からも星が出たと思うほどだ。

「頭がおかしくなったのはお頭じゃないのかい!」

この群れ・・・解散しようか・・・。

「分かった、わかったよ、ちょっと心配になっただけだろうが・・・」

「ははは、今のブブは赤子みたいだからね。 お頭、自然とヤマネコみたいになるんだよ」

「そうかい・・・」

だがどうしてそれで叩かれなくてはいけないのか、どこか納得がいかない。

「泣いて乳を欲しがってくれたら嬉しいんだけどね」

「ああ、水も飲まないねぇ」

そういったチャトラの後にサビネコが続ける。

「で、お頭だったらチャトラみたいなことを言わないで、オメー、もう乳なんて出ないだろうがぁ、って言うんだろ?」

当たってる。

「だね、だからヤマネコに叩かれんだよ」

男たちにも女たちにも散々なことを言われる。 何故だ。

「放っとけ、な、それよりヤマネコ、訊きたいことがある」

「なんだい」

「オメー、思い出したのか?」

ヤマネコがお頭を見た。 そしてゆっくりとブブに顔を戻す。

「・・・そう、みたいだね」

チャトラとサビネコが目を合わせる。 聞いてはいけない話だろう。 ポポを手招きして呼び寄せると男達の最後部まで歩いた。

「気付いてたのかい?」

「ああ、兵が向かってるのがこの森って分かった時にな、オメー、どこまでも邪魔ばっかりしてって、怒鳴っただろう」

ヤマネコがブブの頬で指先を遊ばせる。

「ああ。 思い出したよ、あの時に。 ・・・あたしの居た群れが兵に潰されたってね」

「え?」

「全滅」

「いや、待て、あの時そんな話なんてどこからも聞いてなかったはずだ」

ヤマネコが首を振る。

「この州にまで話しは届かなかったんだろう」

「州?」

「あたしの居たのはこの州の群れじゃない」

「他の州ってのか!?」

そんな所から赤子を抱いて歩いて来たというのか!?

「て言っても、ほとんど境だけどね」

「なにがあったんでぇ」

突然だった。 何の前触れもなかった。 兵が群れの穴に突然入って来た。 兵隊長だろうか、ふんぞり返った男が『穴を潰す』 そう言った。
群れの長が理由を訊くと『ここにブドウ園を作る』 それだけを言った。 あの群れのねぐらはお頭の群れのねぐらように岩山ではなかった。 土が豊富にあった。

『今すぐ出て行かねば・・・覚悟があるのだな?』

小首をかしげてまるで操り人形のように、邪念さえない、心の無いような言いぶりで、穴を潰すことに関心がないといった様子だった。

『今すぐって、まだ生まれて間もない子が居る』

『そんなことは私の知ったことではない』

『あと、あと半年待ってくれ、難産だったんだ、あと半年待ってくれたら子も親も安定する』

兵隊長らしき男が踵を返した。 『逆らう者はヤレ』 と言い残して。

「だけど兵は逆らう逆らわないは関係なかった。 有無を言わせずだ。 子供も男も女も」

剣を振り回されるさなか、ヤマネコの亭主がヤマネコを庇い穴の外に出た。 ヤマネコの腕の中には我が子がいた。

「逃げろ、って言ったのが最後だったかね。 押されて振り返ったら、背中を突きさされて倒れてった。 父親が守った子さ、母親であるあたしが守らないでどうするって、走ったさ、無我夢中で」

兵からは逃れられた。 だが我が子にはまだ母乳を飲ませていた。 それなのにヤマネコ自身が何日もまともに食べ物を口にしていなかった。

「木の実や草をむしって食べたんだけどね、その内にほとんど乳が出なくなっちまってね」

我が子が死んだ。

(だからあれほど痩せてたのか・・・)

見た目もそうだったが、ヤマネコからそっと子を抱き上げると殆ど重さを感じなかった。

「それからどれだけ漂い続けたのかは覚えてないね」

「そうかい、漂ってたことは思い出さなくていいだろうよ。 オメーは守られてた、それだけだ」

「・・・」

「オメーの群れにも亭主にもな」

ヤマネコを捨てた、探さなかった、待っていなかったのではない、探す身体を、待つ身体を失くしてしまっていただけだった。
ヤマネコからはやっとできた子だと聞いていた。 その子をその母親を群れと亭主が守ろうとした。 それだけで十分だ。

「ヤ、マ、ネコ・・・?」

ブブの声にハッとして見ると、ブブの頬が濡れていた。

「泣い、て、る?」

え? と思って自分の頬を触ると濡れている。
いつの間に涙を流していたのだろうか。

「ああ、ごめんよ、そうじゃないよ」

慌ててブブの頬に落ちた涙を指で拭く。

「泣、いて、ない?」

「ああ、泣いてなんてないよ。 どうだい? 水を飲むかい?」

ブブが緩く首を振る。

「香り、する、の」

「香り? いったい何のだい?」

「わか、ら、ない」

何のことだろうかとサイネムを見るが、相変わらずこちらに背を向けているだけである。 ポポからは邪魔をしないようにと言われている。
サイネムから視線を戻すとブブの瞼は再び閉じられてしまっていた。


「なぁー、聞いたんだけど、チャトラはサイネムに助けられたんだって?」

「誰に聞いたんだよ」

サイネムと言う名は知らなかったが、ここに来るまでに散々聞かされてきた。 誰のことを指しているのかくらい分かる。

「イワキツネ」

「喋りが」

「チャトラ、喋りって、あそこに居たのは全員聞いてるよ」

「まぁ、な。 言ったのはアタシだしね」

「ポポじゃないけど、アタシも気になる。 アタシはさ、ブブが旦那を認めたから認めてるってだけで、旦那がどんな奴かも知らないし、何より森の民だろ? 森の民が誰かを助けるって・・・、あ、ポポごめん」

「いいよ。 オレもそんな風に聞いてたから」

でもきっとそうじゃない。 サイネムは悼む心を持っていた。

「森の民全員がどうかは知らないよ、でもあの旦那は。 雨の日で緩んでたんだろうね、上から岩が転がってきてさ、思いっきり肩を打ったんだ、挙句にもう一つ転がってきて足を挟まれて動けなくなったんだ」

「雨の日に外に出てたのか?」

「ちょっとね、探検さ」

「オレとブブと変わらないじゃないか」

「ははは、だからアタシはポポもブブも怒らなかったろ?」

「うーん、そうだったっけ?」

「アタシと似たようなことをしてたんだしさ、怒るわけないだろ」

「ってかさ、群れの大人たちは怒るっていうより叱ってるよね? ポポとブブが雨に濡れて帰ってきたりしたら、風邪ひいたらどうすんだーって、身体拭きまくりの、湯を沸かしまくりだったよ、きっと」

「間違いない。 羨ましいよ、ポポ」

「そうなのかな」

「そうだよ」

「で? サイネムがどう関係してくんの?」

「それが昼前だったんだよ、動けなくてそのうち暗くなってくるし、もう泣いても泣いても誰も来てくれなくてさ。 諦めた時に旦那がふわりと下りてきたんだよ」

「ふわり?」

「そう、上からね」

そう言って指を上に立てた。

「すぐに岩をどけてくれて、打っていた肩を治してくれて、ついでに岩の下になって痛めた足も。 で、歩けるかって訊いてきたんだよ」

「治したって、その場で?」

「うん、呪だと思う。 すぐに痛みも引いたしね」

「呪ってそんなことも出来んの? 呪うだけだと思ってた」

「じゃないみたいだね、アタシも大人達からそう聞いてたんだけどさ。 で、雨の中帰ったってこと。 もう散々怒られた。 その怒り方が気に食わなくてさ、お前のせいで散々だ、とか、お前を探しに歩いた群れのみんなの服を明日洗えとか」

「えー? それって誰も心配してくれなかったのか? 怪我しなかったかとか、獣に会わなかったかとかって」

チャトラが首を振る。

「だから群れを出た。 すぐにじゃないけどね。 ま、その時にはアタシも落ち着いてた。 けどさ、いつまで経っても大人たちは同じ様なことを子供に言ってたし、それを庇うとこっちも言われたりで嫌気がさした」

「そっか、群れにも色々あるんだ」

お頭の群れに居ると当たり前と思っていたことがそうではなかったということ。 だからさっき羨ましいと言ったのか。

「あれ? もしかして “ふわり” って・・・」

チャトラはここに来るまでの道をよく知っていた。 それにさっき “探検” と言っていた。 “ふわり” ということは、森を出ないであろう森の民のサイネムが上から下りてきたということ。 チャトラ自身も上からと言っていた。

「そっ、探検してたのはここ」

サビネコとポポが目を丸くしてチャトラを見ると、また二人で目を合わせた。

「偶然って・・・あるんだね」

その時にサイネムがチャトラを助けなければ、こうしてやって来られなかったかもしれなかったし、探検していなければここまでの隠れ道も知らなかっただろう。


サイネムが森に意識を飛ばし出した時には森の中に兵は居なかった。 少なくともサイネムが見た中では、であるが。 この森は広い、意識を飛ばしていないところに兵が居たかもしれないが、危険を避けるために意識を広げることはしなかった。

<どこにいる>

お頭と若頭の話では何人もの兵がこの森に向かったはずだ。
もしかして見ていないところで呪師も来ていたかもしれない。 それを思うと無暗に意識を広げられない、飛ばせない。

<小屋か・・・小屋に集まっているのだろうか>

下を見ていた意識を上げると小屋に向かって飛ばしたが、その途中で兵に行き当たった。 少なくともそこに呪師はいない。 兵に近づくことが出来る。

「この辺りは木が多いな」

「ああ、それに上手い具合にどの木も完全に幹が枯れてやがる」

「火が回りやすいか」

<火?>

「おい」

おい、と呼ばれて先頭を歩いていた男が振り返った。 返事をする様子がない、それに先頭の男は何度か見た山の民を真似た服を着ている。 他の者は兵の格好をしているのに。

「焼くとしたら、森の奥からの方がいいのか、表からの方がいいのかどっちだ」

<・・・焼く?>

「表からだろう」

「理由は」

「奥に行くほど木は多い」

そう言ってまた前を見た。 話す気がないと言った具合である。

<どういうことだ>

奥に行ってもさほど変わらない、ここより木が多いわけではない。

「延焼の可能性か」

「これだけ枯れている、火が大きくなればいくら木を倒していても延焼を免れられないかもしれない、か」

「どこで区切りをつけるかだな」

「一応、奥も見ておくか」

「ああ。 おい、奥まで案内しろ」

先頭を歩いていた男が無言で歩きだした。 だがその方向は奥から逸れる方向だ。 方向を錯覚させるように今まで歩いて来た。 地図を作っている様子もない。 完全に森の中のことはこちら任せなのだろう。

(お前たちに手柄をやるとでも思っているのか)

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孤火の森 第21回

2024年09月02日 20時35分47秒 | 小説
『孤火の森 目次


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孤火の森(こびのもり)  第21回




「暫くは安全なようだ」

いつの間に居たのだろう、若頭がポポの横を歩いていた。 思わずポポが若頭を見たが返事をしたのはサイネムである。

「言い換えると、兵がこの辺りを出たということか」

「まぁ、そうだな。 新たに後ろから来るかもしれないがな」

「いったい何を目的に・・・」

「さぁ、それは分からんが、俺が見たのは行列じゃない。 五、六人が歩いてた。 それを幾つか見た」

「行列ではない・・・」

「街の方から来たわけでもない。 考えられるのは、あちこちの森に散らばっていた兵が数人づつあの森に向かってる、ってとこか」

「そんなっ、それじゃあ、ブブの儀式は?」

「情けない声を出してんじゃないよ」

追い抜きざまにチャトラが言うと走って行った。 お頭に場所を聞き終えたのだろう。

「兵が居ない間に急ごう。 足元は悪いがこっちだ」

隠れ道はポポもブブも知らない。 教えでもしたらこの双子は何をしでかすか分からなかったのだから。

「ポポ、木の中に入ったら迷子になるなよ」

隠れ道を知らないのはポポとブブだけではない。 他の領域の山の民もそして兵も知らない。

兵が見当たらないと言ってもどこから見られているか分からない。 岩穴を出て暫く岩に隠れて歩いていたが、木々の中に入るとあちこちの木の枝や草が音をたてて揺れている。 まるで獣が木々や草の間を歩いているように。 だがそれはきっと仲間が先に歩いているのだろう。 獣を蹴散らすために、様子を見るために。

緑に囲まれた川のせせらぎに出た。 そこにヤマネコとサビネコが待っていた。

「ここからは当分水がとれないらしい」

差し出された手元を見ると竹筒を持っていた。 その中には水が入っている。

「ブブには冷た過ぎるかもしれないけどね」

それを聞いてサイネムがしゃがむと、片手で掛布からしっかりとブブの顔を出してやる。

「ゼライア?」

水を飲んでいた男たちが一様に頭を上げた。

少し体を揺すられたからか、ブブが薄っすらと目を開けた。
陽の光が葉の間から射しているのが何となく見える。

「そ、と・・・?」

「そうだ。 しばらく水が飲めなくなるかもしれない。 冷たいが口を湿らせるだけでもいい」

ヤマネコから竹筒を受け取るとブブの口にあてる。 外の空気に触れ喉が渇いたのか、コクリ、コクリと飲む。

「もう少しどうだ?」

ブブが緩く首を振る。

男達が目を合わせると眉尻を下げ竹筒に水を入れる。
男達は竹筒を常にいくつか腰に下げている。 その一つを借りたのだが、ヤマネコが返そうとすると「ブブと一緒に使いな」 と押し返されたのだった。

「旦那も水を飲んでおくほうがいい、ブブは俺が抱いておく。 ほら、ポポも今のうちに飲んでおけ、飲んだ後、竹筒に水を入れるのを忘れるな」

「では頼む」

ブブを若頭に渡すと手で水をすくってせせらぎの水を飲む。 水の中に緑の香りがする。 懐かしい森の中の緑の香りが。

少しの休憩を入れてすぐに歩きだした。
山を越える頃には灰色の雲の向こうで陽が真上に上がろうとしていた。



「来ねーな」

「ああ、あれっきりだ」

山の上から道筋を見ていた男達の声にセキエイが振り返った。

「台車に乗った大砲を持って帰っていったきりか・・・」

早朝、街の兵が数人馬に乗り道筋を辿ってやって来た。 やがて馬に台車を引かせて戻ってきたが、それっきり街の兵がくる様子が見受けられなかった。
大砲を使ったのか使わなかったのか、それを知る術はなかったが、それにしてもあんな小さな森に大砲を打ち込めば森はひとたまりもなかっただろう。

「なぁ、長(おさ) 見に行ってもいいか? この様子じゃあ、もう兵は来ないだろう」

まだ日が暮れたわけではない。 兵が様子を見に来て、追々、横たわっている兵を回収に来る可能性はまだ残っている。

「ずっと先にも兵の姿は見えないしよ」

確かにここから見える道筋に兵がいなければ、ここから森近くに行って戻ってくることは出来る。 あの森の辺りはこの群れの領域だ、放っておくわけにはいかない。 だからと言って危険を冒してまでその必要があるだろうか。

「少なくとも明日まで待て」

「って言ってもよ、兵が来なけりゃどうすんだ?」

横たわっている兵をそのままにしておくのか? 自分たちの領域内で。
セキエイが口を歪める。 そんなことをしてしまえば獣が集まって来るだろう。 喰い散らしたあとには鳥もやって来る。 獣や鳥がこの領域には餌が豊富にあるという勘違いをするだろう。 そうなればこの群れに危険が及ぶかもしれない。

「森の民がどんなことをしたか分からねーしよ、それを見に行くためにも、な?」

たとえ森の民といえど、人間の身体を霧散させてはいないだろうが、兵と森の民の間に何が行われたのか気になるのだろう。 まだ若い連中だ、大砲が使われたのかどうかも見たいのだろう。 それにセキエイとてこの領域内のことだ、気にならないわけではない。

「さっさと戻って来いよ」

「よっしゃー」

若い男たちが声を掛け合って走って行く。

「長、いいのかよ、あんな若いのばっかで」

「気になるならタンパクもついて行けばいい」

「オレは遠慮しとく。 また分けのわからないジジィに会いたくないからな」

お頭のことである。

「ちゃんと謝れよ」

「分かってるよ」

若い者たちが面白半分で喜び勇んで森の近くまで走って来た。
兵たちの亡骸は森の外に・・・いや、何故だ、森に全然到達していない。 そこに沢山横たわっている。 中には逃げ惑ったのだろうか、かなり離れているここにも倒れている。 そしてその目が抉(えぐ)られている。

「抉るって。 いくら何でも、酷いことをしやがる」

ポツリと一人が言う。
その声を片耳に聞き、歩を進め兵たちが横たわる間を進んでいく。 一人として息はないようだ。 だがその姿にどこか納得がいかない。

「おい、おかしいと思わないか?」

「なにが?」

「森の民は呪を使うんだろ?」

「ああ、そう聞いてるけど」

「じゃあ、何故、兵は切られて死んでるんだ?」

それに所々に転がっている銀粒は何だろうか。

「呪で惑わせたんだろ」

「ああ、それで切り合いをさせたんだろ」

「森の中に入ってないのにか?」

森の中に入ると呪で惑わされる。 だが森の外に居る限りそんなことは無い。 現に今ここに居る自分達もそうだ。 この辺りに来たからと言って惑わされることは無い。

「あんな大砲を持ってきてたんだ、森に入っていなくても呪を使うだろうよ」

森は今も変わらず在る。 大砲は使われなかったということになる。

「そうかな・・・」

考えようとした時「森の中で何か動いた」 という声がした。 慌てて全員で場を離れ木陰に身を隠す。

少しすると森の中から灰色のローブを着た者達が出てきた。 ローブについている頭巾をすっぽりと被り、手には穴掘手を持っている者と板を持っている者が居る。
その者達が横一列に並ぶと、声を合わせ兵の亡骸に向かって何かを言っているようだ。 だがほとんど口の中で言っているのだろう、その言葉を聞くことは出来ない。
言い終えたのだろうか、ほんの数十人、それが二手に分かれた。 一手は離れた所に穴掘手で穴を掘りだし、もう一手は亡骸を板に載せ運ぼうとしている。 亡骸を運んでいる一手は、時々何かを拾う仕草も見せている。

「何を拾ってんだ?」

兵が身につけていた金目の物だろうかとも思うが、兵の身からは取っていないように見えるし、金目の物が落ちているのも目にしなかった。 地に転がっているものを拾っているようである。

「・・・銀だ」

「え?」

「銀粒が落ちてただろ」

「あ? ああ、そういやぁ」

「銀粒を拾ってなに・・・え? あ、あれって・・・埋めようとしてるのか?」

板に乗せた亡骸を穴を掘っている近くに横たわらせ、そしてまた二人一組で板を持って亡骸の元に歩いて行く。 それを数組が繰り返している。
誰もが黙った。

頭巾をすっぽりと被っている為はっきりとは分からないが、森の中から出てきたのだ。 髪の色を見ずともそれがどこの民か簡単に想像が出来る。
自分達を攻めてきた兵の為なのか、それとも腐臭を嫌ってなのかは分からないが、その亡骸を埋めようとしているのか。 いや、単に腐臭を嫌ってならば最初に列を作りはしなかっただろうし、亡骸をもっとぞんざいに扱うはず。
最初に何か言っていたのは悼みの言葉だったのかもしれない。
山の民とて掟にのっとって亡骸を葬る時には悼みの言葉を口にする。

「目を抉られていたのは・・・鳥だな」

嘴(くちばし)につつかれた跡が手や顔にもあった。 餌にしたような跡ではなかった。 それがどうしてなのかは分からないが。

「戻ろう」

銀粒のことを言った男が踵を返すと全員があとに続いた。



チャトラの先導で兵に見つかることなく、森の裏側近くに回り込むことが出来た。 お頭の知っている道、ずっと使っていた道であったのならば、先に歩く兵に足止めを何度も食らっていただろう。

軽く見上げるとそう高くはなく、手足を使えば簡単に上ることの出来る斜めになった崖がある。 その上に森があるのだが、崖の数メートル手前で森の木々が途切れ、歩けなくはない程度で岩がゴロゴロとしている。

「こんな道があったのかよ」

ここまでの道のりで何度目かに言う言葉であった。
それはお頭が長年歩いて来た道よりもずっと近道だった。

「こそこそしてるからだよ」

ポポとブブのことを黙ってないでとっとと言っていれば、遠回りなどしなくてすんだ話だと迂遠にチャトラが言う。
男達は誰も囮になることなく、全員がチャトラについてきていた。 もちろんヤマネコもサビネコも居る。

「で? 穴ってのはどこ?」

「こっちだ」

お頭ではなく若頭が歩き出し、少し歩くと蓆(むしろ)をひっぺ返した。 穴が見つからないように筵で隠していたらしい。 その筵の下には筵が穴に落ちないように、木の枝を縦横に組んで置いてあった。

「よくこんな穴を掘ったねぇー」

斜めになった崖の途中、チャトラの胸の高さから掘られていた。 木の枝を取ると横長の穴が掘られていた。 真っ直ぐに掘っていくと森の下に出る。

「お頭が何年もかけたからな」

穴は岩の間にある土の部分を選んで掘ってあるようだ。 だが土の中にも岩がある。 かなり岩に邪魔をされたに違いない。

「掘りきれちゃいねーがな」

ゆっくりと歩いて来たお頭が穴に入ろうとしかけたのをサイネムが止めた。

「なんでぃ」

「頭も群れの者もここまでで充分だ。 あとはわたしがする。 世話になった」

もう森に呪はかけられていない。 このまま森に入ってもいいが、どこで兵とばったり会うかもしれない。 それどころか森に入る前に急に兵が出てくるかもしれない。 ブブを抱いていれば自由が利かなく、その上ポポもいる。 やはりお頭の開けた穴を利用するのが得策だろう。 だがこれから先は一人で行く。

「おれが邪魔ってか?」

「そうではない。 ここまでも危険が伴ったが、ここからは伴うどころではない、見つかればそれで終わりだ。 ここも危ない、すぐに引いてくれ」

「この穴はまだ森の中に入れない状態でぇ、何のために穴掘手を持ってきてると思ってんだよ」

「旦那、ブブを森の中に入れるまでお頭も俺たちも引かない、ここまで来りゃ、それくらい分かるだろう」

諭すように若頭が言うがサイネムが首を振る。

「ゼライアとザリアンをここまで大きくしてもらった、それだけで十分だ」

「言ってな」

そう言い残すとお頭が穴に手をかけ跳び入った。 続いてチャトラもお頭の後に続く。

「へぇー、お頭もまだまだってか?」

ブブを抱きながら立ち尽くしているサイネムの横を男達が過ぎていく。

「待ってくれ」

サイネムが言うが男達がちらりと振り向いて「お頭だけにいい所を持って行かれたくないしよ」 などと言って次々と穴の中に入ってしまった。
サイネムの肩をポンとアナグマが叩く。

「うちの群れはお頭譲りでしつこいからな、諦めた方がいい」

そのアナグマも穴の中に入って行った。

「取り敢えず旦那も入ろう。 ここに居て兵に見つからないってことは無いだろう、穴の中の方がまだ安全だ」

サイネムが大きく息を吐きだした。

「ヤマネコもサビネコもポポも先に入んな、最後に俺が筵を被せる」

諦めたサイネムがブブを一旦若頭に預け、穴の中に身を入れると方向を変えブブを受け取る。

穴の高さと幅は、ある程度のことを考えてのことだったのだろう、入口は大きくはなかったものの、そのまま膝を着いて四つん這いになるようなものでは無かった。 特に背が高くなければ男が立てる高さ、幅も両手を動かすに不便を感じない巾である。 時々岩が飛び出てはいるが、そうでなければ男二人が壁面にへばりつきながらすれ違いが出来る。 またそうでなければ掘り進めることが出来なかっただろう。

サイネムがブブをヤマネコとサビネコに託すと穴を進んで行った。 どこまで森に近づけているのかを確かめるためである。

「おっかしーなぁー」

お頭の声である。

薄明りの中、男達をすり抜けてサイネムがやって来た。 ここまで外の明かりは届いていないというのに、先がほんのり明るい。
ふと見ると、いつ点けたのか、お頭の足元に火が灯されていた。 火種を取ろうと男がお頭の足元に一人いる。

「こんな穴、あけてなかったはずなのによぉ」

こんな穴、それは子供が通れる程度の穴だった。 それが先に延びている。 大きな穴と繋がって、まるで漏斗(じょうご)のようになっている。

「アタシなら手を着いて入れそうかな?」

「オメーだけが入れてどうすんだよ」

「まっ、それもそうだけどね」

お頭とチャトラが話しているところにサイネムが入ってきた。 すれ違いに火種を取った男が引き返していく。 山の中で暮らしているのだ、男達の腰には竹筒以外にも色々と吊るされている。

「わたしが孤火に頼んだ」

「は?」

孤火に頼んだ?

「頭から穴のことを聞いて、すぐに続きを掘ってくれと孤火に頼んだ、が、これでは通れないな」

キツネサイズより大きくはしてくれているが、人間サイズでは到底ない。

お頭が記憶を遡らせる。 と思い当たる時があった。 サイネムが急に黙ったあの時か、だが孤火に頼むとは・・・。 やはり森の民は分からない。

「いや、これで掘りやすくなる」

この穴を大きくしていけばいいのだから、気の遠くなる壁面を一から掘るより随分と捗(はかど)りが良い。

「この穴を追っていくと、わたしの出たい所に出られるはずだ」

「まかせときな、旦那はブブを頼む」

お頭が穴掘手を振りかぶり小さく空いた穴を広げていく。 出てきた石を男達が取り除いていく。 ポポも混じって何かをしたそうだが、そうなると生憎と狭い。

「ポポはブブについててやりな。 っと、これでも食ってろ」

ポイっと投げられたのは握り飯であった。 それはヤマネコが盆を投げた時に盆に乗っていた攫った握り飯である。

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