キュヴェ タカ/cuvee taka 「酔哲湘南日記」

新鮮な山海の恵みを肴に酒を吞み、読書、映画・音楽鑑賞、散歩と湘南スローライフを愉しんでいる。 

餡について

2008年01月31日 | Weblog
本日も名古屋におりますが、当地のお天気は快晴ぽかぽか陽気です。こんな天気が続くと春は一気にやってきます。まことに結構で御座います。

さて、先日別府で知人から製餡業について興味深い事を聞きました。この知人は別府で製餡業を生業としているお店の跡取り娘で、てな事を書くと若い娘さんを連想される方がいらっしゃると思いますが、いわゆる世間で言う昔娘さんだった方です。昔娘さんだった方の取柄は昔のことを良くご存知な事で、先々代が静岡出身からやって来て別府に店を構え製餡を始めたそうです。昔あの有名な虎屋は静岡にあり、随分と盛業で羊羹作りの行程が夫々の専門業者に分化したようです。そのため製餡業も虎屋へ納品する業態の一つとして発達したようで、静岡は米が取れにくい地形のため、多くの農家の子弟が製餡業につき、やがて日本全国へ拡散していったとの事です。また、流派が三派あり彼女の家は北川流、他の二つも聞いたのですが物忘れの年頃、当然失念いたしました。流とつくからには免許があり、免許皆伝になると布張りの立派な奥義書のようなものが親方あるいは家元から授けられ、一市に一軒の開業が許されるようです。

饅頭怖いの私としては、美味い餡子を喰うのを無類の楽しみとしておりまして、最近では伊勢佐木町美濃屋の饅頭、最中、羊羹を事あるたびに喰いまくっております。美味い餡にじっくりと淹れた玉露、良くぞ日本に生まれけりの瞬間です。果たして美濃出身の美濃屋さんはどこの流派の餡をお使いなのでしょうか、また流派による餡の味わいに違いがあるのでしょうか、横浜に帰ったら店の奥にいつもどっしりと座っている和服姿の女将に伺ってみる事にいたしましょうか。
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野上弥生子文学記念館訪問記

2008年01月30日 | Weblog
本日はうららかな陽気の名古屋に来ております。先週きたときと比べると厳寒の冬からのどかな春に激変しております。昨日は小雨もよいの臼杵で、さすが九州は暖かいなあと暢気なことをつぶやいておりましたが、ここ名古屋も捨てたもんではありません。


臼杵というところは、現在では小室哲哉さんの奥さんの生家の「山田屋」で有名ですが、もともと天然の良港で、大友宗麟が臼杵城を築き、南蛮貿易が盛んだったところです。まあ、昨日仕入れた情報なので大きな顔も出来ませんが。また郊外には石仏群があり、タクシーの運転手によると国宝であるとの事です。私が臼杵に対して旧来から持っていた知識はなんと言っても河豚の街、いつの日か「山田屋」ででもコースで喰ってみたいなあと憧れておりました。もう一つ持っていた知識は野上弥生子さんの生地であり、文学記念館があるということで、これは先回来た時に仕入れた知識です。

今回客先との商談が早く終わり、その野上弥生子文学記念館を訪ねる機会に恵まれました。この方は臼杵の造り酒屋小手川酒造の娘さんで、記念館はその酒造店を改造した部屋にあり、入場料300円を払い、10分間のビデオを観て、二回の資料室を見学いたしました。野上弥生子の名前は轟いているものの、その著作は読んだ事が無く、どのような経歴の方かまったく知らなかったのですが、このビデオと資料館はまさに30分で即席に野上弥生子さんを知るのに大いに役立ちました。ご主人が野上豊一郎、漱石門下で弥生子さんもその影響で文学を始めたとの事。漱石の直筆の掛け軸、鏡子夫人4人の娘と一人の息子、木曜会の面々が写った写真、谷川徹三やその息子俊太郎が写った昔の写真、大江健三郎が葬儀の司会をしたときに書いた生原稿などを見ることが出来、深く感じ入りました。

見学をしているうちに、野上弥生子さんの作品群の題名が記憶の底からよみがえってきました。海神丸、秀吉と利休、迷路、大石良雄、ギリシャ・ローマ神話、これらの題名を書店で見かけたことがあります。一つくらい読んでいれば大したものなのですが、積読のリストにも入っておらず恥じ入るばかりです。
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別府にて

2008年01月29日 | Weblog
別府は今朝も雨、それでも時々薄日が射す小降りの雨で傘も必要ないくらいです。
昨夜は当地の知人に河豚をご馳走になり、厚手に切られた刺身の歯ごたえは流石河豚食を伝統的にしてきた土地ならではの豊かさを感じ、かつて海軍の連中もこれで飲んでいたのではと思わせる懐かしい酒器で燗酒をいただき、時の流れを味わいながら口福の時を過ごしました。
駅の周りは爆撃にあわず、未だに魅惑的な路地が残っておりますが、酔い醒ましの徘徊にはたまらない風情、ぶらぶらと細い迷路を駅前まで逍遙いたしました。

今回の出張はJALがつくる格安のセットツアーですが、セットされたホテルも温泉岩風呂付き、湯量日本一を誇る別府の面目躍如です。あさホテルから駅に向かうタクシーの運転手のお国自慢を信ずるとすれば、湯布院が韓国ビールのあっさりした味わいとすれば、別府の湯は恵比寿ビールのコクを備えており、肌にまとわりつくような粘度がたまらないとのこと。確かに今朝の肌の具合はしっとりとして、何より小雨の中体の芯がホカホカしていて、別府の湯の効能を感じております。

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赤と黒に出てきたワインⅢ

2008年01月28日 | Weblog
今日はこれから大分へ出張いたします。南国へ行くので喜んでおりましたが、生憎予報は雨、陽が出ないので気温が上がらず寒いとの予報、一足早い春を満喫というわけには行かないようです。

昨夜長くかかった「赤と黒」が読み終わりました。作中出てくるワインについて全容がわかりました。最初の愛人レナール夫人を銃で撃って捕らえられ牢に入ってからは、何か事あるたびにシャンペンを飲んでいたようです。精神に毒を盛られたとき・・・シャンパンが必要であると、シャンペンの効能を作者が説明しておりますし、「親御さんが見えた後には、何時も上等のシャンペンをお持ちする事にしています。一本6フランと少々お高いのですが」と看守がシャンペンを囚人に販売していたようです。また囚われの身になってから、上等のワイン2本が差し入れされています。社会的な地位があるものや金があれば、牢の中でも飲酒は比較的自由であったようで、シャンペンは気晴らしの妙薬としてプザンソンの監獄に常備されていたようです。

さて、少しづつ時間をかけて長篇を読み終わったあとには、その小説世界が頭に残っていて虚脱感があり、次の書物に進むのに少し時間が必要です。しかし二日間の大分への旅に読み物は不可欠です。さて機中何を読みましょうかね。
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見応えのある相撲でした

2008年01月27日 | Weblog
久し振りのぽかぽか陽気が良いですね。陽だまりの梅の花も一気に開きだしました。菜の花の黄色も鮮やかで、目から春はやってくるようです。夕暮れ時の陽の光も長くて強く、日差しだけは冬を置き去りにしました。

今日一日なんといっても久し振りの優勝がかかった千秋楽の横綱対決が待ち遠しくて、楽しみにしておりましたが、これぞ相撲の醍醐味という大一番でした。千秋楽の打ち止めにこんな相撲が観れるなら、初日から毎日通って観たいものです。これで相撲人気も大幅に持ち直すことでしょう。白鵬の腰の割れ方は、往年の輪島を髣髴させる魅力があり、土俵入りのシコにもそれが現われ、久し振りに観る価値のある良い姿の土俵入りです。四つに組んだときの地力は可也のものである事が証明されましたが、まだまだ休み明けの相手ですから、次の場所を観たいものです。朝青龍は反射神経と瞬発力が抜群ですが、四つに組んで引き付けあって白鵬の腰を浮かしたのですから決して劣る事が無いとの証明をしたわけです。期するところがあったとは思いますが、大阪場所に真価を見せて欲しいものです。

白鵬が優勝したのだから表彰式の国家吹奏はモンゴル国歌にすれば良いのになあと思いながら観てました。国技ではあっても世界に開いていないと衰退してしまいます。世界中色々な国から相撲を目指して来てくれて、上位に随分と食い込んでいるのですから、大変ありがたいことですが、それに甘えて変えるべきところは変えていかないと取り残されてしまいます。ただし、変えてはいけないところは変えてはいけません。ま、その判断が実に難しいんですがね。





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赤と黒に出てきたワインⅡ

2008年01月26日 | Weblog
湘南の一日は少し寒かったにしろ、日の光が春です。薄日が差すだけでしたが、なかなか良い一日でした。ここのところの寒さのせいで一輪二輪咲いた梅も後が続かずつぼみを見るだけですが、これで陽気が良くなればいっぺんに咲き誇りそうな気配です。

ここのところ出張が多く「赤と黒」もなかなか前に進まず、いまだ下巻の第十章といったところですが、先回ご紹介してから後に幾つか飲食に関して興味を引く場面がありましたので書き留めておこうかと思います。ジュリヤン・ソレルがブザンソンの神学校で生活している時、友人の森に住む材木商から鹿と猪の差し入れがあり、他の生徒たちから裕福な家の出だと思われた事。いわゆるジヴィエというやつですが狩猟シーズンにこれにありつけるというのは贅沢な事だったようです。江戸の初鰹のような感じだったのでしょうか。

それと小腹ふさぎに当時の人はビスケットとマラガを合わせていたようで、この場面が二度出てきました。甘いものは当時は贅沢だったと思われるので、可也上等な小腹ふさぎだったと思われます。この頃既にマラガの名声はフランスに達していたのですね。まあ地続きでもありますし、地中海交易は国境を越えていますから。

パリに出てきて上流階級が集うサロンでは、当時もパリジャンは深夜まで飲み食い喋っていたようですが、真夜中の夜食にシャンペンがついて出されたとあります。翌日胃にもたれないように消化剤としてシャンパンが添えられたのでしょうか、それとも現在のようなイメージが既にシャンペンに備わっていたと考えるべきでしょうか。

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フランスのサプライヤーを名古屋へ迎える

2008年01月25日 | Weblog
名古屋勤務も常態化してきたため、海外のサプライヤーを止むを得ず名古屋オフィスミーティングを受け入れてくれるようになってきました。昨日はその第一号のサプライヤーがわざわざ砂場の本社へ来てくれました。名古屋駅で落ち合い、例の名鉄パノラマをエンジョイして、青果の加工場を見学してもらい、打ち合わせをいたしました。気分が変わってなかなか良い感じでありました。せっかく来ていただいたので、西春で名高い「直来」の櫃まぶしを食べていただきましたが、このかた横浜に来たときに「わかな」で鰻を食わしたおり、やけに美味いと感動していましたので、名古屋風鰻にも大いなる賞賛の意を示し、ご機嫌で名鉄に乗って帰ってゆきました。

今後も来日メーカーの日程は限られており、名古屋へ着ていただく事も多くなりそうです。フランス人が多いので商談の内容より、美味いものを食わしてやることがとても大切で、いくつか手持ちの札を持っていることが必要ですが、当地は味が濃いので基本的に彼らには受けが良く、この櫃まぶし、味噌煮込みうどん、味噌カツ、土手焼きなどは評判が良い料理といえます。ミッシェランの調査員が名古屋へ来てこれらの店に星をつけたら面白いなあと思いますし、少なくとも日本料理の多様性と安さに感服すると思われます。いわゆるB級グルメに当たるこれらの庶民的な料理が各地で高い実力を秘めているところに、首都東京で☆☆☆がかくも多く授けられた基盤があると思われます。

しかし名古屋の食い物は味が濃いのでワインがもう少し売れても良さそうなもんだと思いますが、まだまだ構成比はそれほど多くありません。もう少し肩肘張らずに飲んでいただくスタイルが定着すると劇的に需要が増えるかもしれません。世界の山ちゃんでジョッキにぶっかき氷を入れてワインをジャブジャブ注いで売ったら爆発的に出たという例もあるのですから、ご当地独自の気取らない飲み方を提案できたら良いんでしょうね。


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新年会も終わりです

2008年01月24日 | Weblog
一月は新年会や賀詞交換会が頻繁に続きました。ましてアグリという新社名を広めなければいけないわけですから、出なくていいところまで顔を出し、名刺を配ってはアグリをよろしくお願いしますと繰り返しております。今年のアグリの経営方針など良く聞かれますが、別にこれといった特殊な戦略があるわけではなく、営利企業ですから“みんな楽しく黒字でニコニコ、給料いっぱい財布にザクザク”てなところが会社員、株主が望むところと相場は決まっているわけで、この状態にするためにがんばろうと少し頭を使うだけです。

しかし、新年会にはやはり和食と清酒が似合うようで、ワインが出されるケースはよっぽど特殊です。夕刻早い時間から賀詞交換会で件の料理と酒を飲み、処を替えて天麩羅屋で飲みなおしをいたしました。経験的に天麩羅屋の刺身は中々捨てがたく、どちらかというと刺身を肴に杯を傾け、最後に天丼か天茶をかっ込むというのが良い流れです。一同を店に引き連れてくれた方の選択眼は確かで、今までにも気取らず美味いものを食わせ、しかも財布に負担の掛からない店を何件も紹介してくれており、今回もカワハギ、釣り鯵、鰯の刺身は活きが良く、飲みなおしの酒に良く合い見事なものでした。酒も最も好みの大七純米生酛造りがあり、島根の辛口の純米酒開春はそのキリットした味わいが飲みだれた舌にすっきりとして良く、新春に飲む酒としてその名前がいかにも春を感じさせ良いものでした。考えてみると清酒につけられた名前は、我々日本人にダイレクトにその意味が表すものを感じさせてくれ、今まで名前を味わう事をおろそかにしていた事を恥じました。

新春にふさわしい銘柄を列記してみますと、竜梅、窓の梅、梅錦、松竹梅、呉春、梅の宿、ヒカリ百春、竹葉春、春鹿、春の坂道、早春、越乃梅林、越路乃紅梅、越乃寒梅、越乃里梅、雪中梅、峰乃白梅、雪椿、七福神、玉の春、宮寒梅、三春駒など実に多くあります。夫々の蔵が売れるようにと祈りを込めて名づけた銘柄で、こう並べてみただけで春を感じ、見事なものです。これらの銘柄を並べて片っ端から猪口に一杯づつ飲んでみたら、目出たさは一体どれ程のものになるのでしょう。
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ミクロクリマ

2008年01月23日 | Weblog
今朝の湘南は春雨かと思わせる明るい雨が降っておりましたが、東海道線に乗って戸塚へ近づき足元がやけに冷え込んできたなあと、ふと窓の外を見るとうっすらと雪が積もっておりました。さらに横浜が近くなると、空から盛んに白いものが舞っております。大磯、二宮、国府津は、前が相模灘後ろが小高い山が迫った地形で、神奈川県でも特異的に温暖なところ、雪はめったに降りません。冬の平均気温は神奈川県の平均より2,3℃高いところで、夏は逆に涼しく過しやすいところです。私の体感では、電車に乗込んだ二宮と降り立った横浜では5℃位温度差があるような気がいたしました。

ワインの生産地で盛んに論議されるミクロクリマ=小気象というのが有りますが、まさに湘南の西、いわゆる西湘地区は東の平塚、西の小田原から隔離されたミクロクリマを持った地域です。はて、ここで生産される特殊な農産物が有るのかといわれるとすぐには思いつかないのですが、なまくらな人間が生産されている事は間違いないようで、生まれ育った人間で世間を動かすような大人物は輩出していないと言われております。

ところが温暖な気候のため、既に世間で名を成した人物が別荘を構えたり、仮の住まいにすることは多く、伊藤博文、島崎藤村、吉田茂、大岡昇平、立原正秋、阿川弘之、羽仁五郎、堤清二、村上春樹、変わったところでは猫に出てくる金田さんが別荘を構えておりました。

仮にこの地でワインが造られるとすれば、フルーティーで飲みやすく、万人に好まれるものの、酸に乏しく、奥行きが無く個性に乏しいワインが出来るのではないかと思われます。ただし、海が近いので塩っ辛い顕著な特徴があると言われるかも知れません。
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哲学書ブームにつられて

2008年01月22日 | Weblog
今日の横浜は寒い朝を迎えております。昨夜は8時過ぎに二宮駅にの降り立ったのですが、小雨に混じり雪がちらついておりました。それでも今朝の横浜はか弱いながらも冬の日が差しており、陽だまりでは多少の暖が期待できるかもしれません。

最近は哲学書の出版ブームらしいのですが、先日読売新聞を読んでいましたら、木田元さんの記事が出ておりまして、実は今まで分からなかった事が随分ありましたが、そんなことを言ったら飯の食い上げになってしまうので、商売上わかった振りをして講義を重ねてきたと書かれておりました。いやビックリいたしました。木田元と言えばハイデカー研究の第一人者の碩学、私なんかビンボーワイン業者の浅学、ソクラテスもプラトンもニーチェもハイデカーもちんぷんかんぷんで当然ですが、木田元たるものそんな大切な商売の秘密ばらしちゃっていいものなんでしょうか。氏に拠れば西洋と東洋は元々考え方が違うので、我々日本人が西洋哲学がわからなくて当たり前、なんら苦にすることは無いとのことです。その考え方を分かりやすく昨年暮に上梓されたのが「反哲学入門」、昨日関内駅前の芳林堂をうろついていたら平台に並んでいたので思わず購入してしまいました。関内は有隣堂以外にもそこそこの規模の本屋がある誘惑の街なんです。

お陰さまで木田元さんの指摘で永年の憂鬱が随分とはれましたが、この言は日本人たるもの東洋思想について解るのが当たり前ともとれます。はたして東洋思想についての見識が有るのかといわれると何とも心もとなく、仮に最大最古のシナの思想について多少なりとも知っているのかと言われれば、孔子は弟子の子路が塩辛にされてから塩辛を口にしなかった偉い人であるという事くらいで、その思想について何ら思い当たる事がありません。

はたして「反哲学入門」を読んだら、こんな私でも救われる事がありえるのでしょうか。より深い憂鬱が襲ってくる可能性があるんじゃないか、このまま積読ほうが精神衛生上良いのではないか、フィロソフィの原義が知にたいする愛とすれば、今知が身についている必要はなく、ソフィストではないかも知れませんが、フィロソファ足りえているのかも知れません。
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