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キュヴェ タカ/cuvee taka 「酔哲湘南日記」

新鮮な山海の恵みを肴に酒を吞み、読書、映画・音楽鑑賞、散歩と湘南スローライフを愉しんでいる。 

今日にて打ち止め

2017年03月31日 | Weblog
朝早くから日が差して春らしい陽気になった。
十時半頃忽然と弟夫婦が母の誕生日のお祝いにやってきた。
三女と共に日光へ遊びに行っていたらしく、彼の地の最中と東照宮の御守りをもって来た。
黒沢明の「用心棒」を観ていたが、後半は話をしたりで集中できなかったが、黒沢明の映画を初めて観た。どうも長い間嫌っていたのだが、単純だが淡々とした話の流れが面白い。

頼んであったワインが届き、弟に3本持たせた。

11時を過ぎてから自転車でヤオマサに魚を買いにいったが、相模湾の朝どれは鯖と鯔、鯖はサイズが小さく、鯔はどうも食べる気がしないので無駄足に終わった。

帰ってきて生垣の剪定をした。
隣の家との間に私道があるが、裏の家2軒でこの道を使って車の出し入れをするので、なるべく刈り込んで通りやすくしたい。
だが、貝塚息吹なのでバッサリやると芽が出ないので厄介なのだ。

2日間休んで、4月からの予行演習をしているようなものであるが、今後はこの一年より更に人と会わなくなるなあと思う。
人と会うのが苦手で人恋しい厄介な性格ゆえ、仕事で頻繁に人に会っているときは良かったが、家に籠ると1日誰とも話さない日が多くなるような気がする。
昔、菓子職人になった高校の同級生が、何日も人と話さないことがあると云っていたが、彼は鬱屈して、健康を害し40代の若さで死んでしまった。
取引先の年長者で、会社のトップとして働いて、退職後は無聊をかこち酒の量が増え、3年と経たずに急死してしまった。
生物学的に考えても、そういう事は多分にあるんだろうと思う。
それでは気を付けるかと云えば、子供たちも成人し、母親を看取らなければならないが、もうやるべき事は然程なく、酒を毎日呑んで死ぬならそれはそれでいいなあと思っている。

昼、野菜粥、磯辺焼き、最中を食べる。

2階の陽の当たるベッドで日向ぼっこをしながら清水健一の「ワインの秘密」を読了する。
理科系の端くれのためか、清水健一の「ワインは能書き不要、飲むのにわかっている必要はない」との主張に多いに賛同する。
後二日でワイン屋を辞めるが、ワインがたくさん飲まれるためには、ああだこうだと言わないことだと思う。
酒、ウヰスキー、コニャック、アルマニャック、マール、カルバドス、オルホ、グラッパ、ジン、ラム、白酒、紹興酒と何でも好きだが、これからも美味いアルコールに巡り合いたいね。

二時半過ぎに東海道で辻堂に向かう。
行くところと云っても本屋かBOしかなく、他に楽しみはない。
ワインの本を書かなければならないが、先ずは何事も整理が先で書籍と書類の整理だ。
資料を探すにも現状では多大な時間が掛かってしまうからね。

結局、寄ったのはBOだけで、「佐高信の昭和史」 角川学芸出版 平成27年 1,900円、四方田犬彦「ラブレーの子供たち」新潮社 2005年 2,400円、堀田平七郎「江戸そば一筋」柴田書店 1995年 1,500円、新海均「深沢七郎外伝」潮出出版 2011年 2,095円を買った。
先が思いやられますね。

朝やけに早く起きて仕方なく「佐高信の昭和史」を読んだ。
ついこの間読んだことをますますはっきりと思い出したが、前に買った本はいったいどこへ行ってしまったのだろう。

今日が最後の日と知って息子たちが起き出して来た。下の息子は見送りまでしてくれた。
子育てはほとんど上手くいかなかったが、この一事だけをもって了といたしましょう。
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庭で鶯啼く

2017年03月30日 | Weblog
春らしいいい天気になった。
朝、上の息子が零戦は開戦時最優秀戦闘機だったんだねと聞いてきた、坂井三郎の講演の映像を観たらしい。
ひとしきり当時の航空機の話、アメリカの一撃離脱戦法が何故考案されたのか、陸軍では沖縄戦がなぜ結構持ち耐えたのか、玉砕から戦法を変えたことなどを話した。

神風攻撃までやって軍神と持て囃されて戦後は手の平を返した扱いをされた事や、あれだけやられてリベンジをしない摩訶不思議な日本人の心性についても話した。

下の息子と大磯方面へ散歩に行く。
休市日なのに二宮で朝揚がった鯵があったので買う。肉の日でイベリコ豚があり買う。

昼、ベーコンとキノコのクリームソースでスパゲティ、ベーコンパン、揚げあんパン、カレーパンを食べアールグレイを飲む。

午後、第一生命の女性がくる、美人でてきぱきしているので成績がいいんだろうなあと思ったが、ヤッパリ契約をした。

3時過ぎに平塚へ行き、BOでゆっくりと本を眺める、至福の時である。
1時間以上眺め、保科武「ととやのたわごと」昭和57年 第1刷 昭和60年第10刷 定価1,000円、松本絋宇「中国米紀行すしの故郷と稲の道」現代書館 2009年 2,300円、「養老孟司・学問の格闘」日経サイエンス 1999年 1,400円を買う。

夜、鯵の刺身、おから、厚揚げ焼きで、乾坤一特別純米辛口の燗を呑む。
鯵は梅雨に向けて脂が乗るが、新鮮でさっぱりしていて絶品であった。
おからは随分久し振りに家で喰ったが美味かったね、どれ程食べたねだろう、丼2杯くらいか。
厚揚げ焼きも美味かったなあ、と云うわけで酒はチロリで三つ、その後落花生とチーズパンを焼いて、数日前に開けたVDPオックのピノ・ノアール2005を飲んだが、良く熟成して黒砂糖の風味があり美味かったね。
スティルヴァンに対する信頼が更に深まった。

インドネシアで日本軍及び軍属が現地の女性との間に生んだ子供達が、父親を探す番組を観た。
日本に肉親を探す組織があり、今では90歳を過ぎた高齢のかたがその業務に携わっていた。
ある人は、義理の兄弟に受け入れられ行き来があり、ある人は義理の兄弟に拒絶され、ある人は父親が特定できないままにいる。
戦後72年経ってアイデンティティークライシスに苦しんでいるインドネシアの人達がいるんだなあと目の当たりにしたが、オランダでは日本に対する賠償請求運動が今でも行われているのをほとんどの日本人は知らない。
中国残留孤児はまさにこの反対のケースだが、その人数は遥かに多く、ロシア兵による強姦略奪はどれ程の数に上るのだろう。
外交問題の解決に戦争と云う手段を使うのは、後々まで悲惨が続く悪手である。

先週、NHK職員と地元の日本語を話す人が、コルシカの道を歩く番組を観たが、今週は別のコンビでプーリアのサレントを歩いていた。
プーリアへは1度か2度行ったと思うが、野菜とパスタが美味かった。
ワインについてプーリア出身の案内役の女性が黒いと云っていたが、ムッとして濃すぎるくらいだ。
個人的には南の国のワインは合わない。

道中の野菜農家の人が綺麗な空気を吸って、上司もなく、働きたいときに仕事を始めて、止めたいときに止める素晴らしい仕事だ、サラリリーマンの貴方はお気の毒だとNHK職員に話していた。
サレントの農民に同情されないように、来週からなれるのに漠然とした不安が募ってきた。
つい先頃までは、その日が待ち遠しくて指折り数えていたのにだ。
年を取ると日々変わらぬ生活が一番好ましくなり、そしてそのような気持ちになったときが隠居の適齢期なのだろう。
だが、一時の事で新しい環境に慣れるとまた冒険がしたくなるかもしれない。

朝早く起きて、佐藤優の「国家論」を読み始めたが、隠居が読む本ではないなあと苦笑いしている。

朝夜明けと共に庭で鴬が啼きだした。
耳を澄まして聴いていると、たいへん幸せな気分になる。
年を取るとこの幸せな気分が強くなるらしく、それは何をなせという太古からの遺伝子のサインなのだろう。
先日来、清水健一の「ワインの秘密」を読んでいて教えられることが多いが、人間が体内の過分なNaを排出する仕組みを持っているのは、かつて海のなかに住んでいた名残だと書いてあったが、そこに最も惹き付けられた。
果たしてこの幸福感は海由来の事なのだろうか、あるいは生物として活動範囲が狭まり自ら幸福を求める能力が落ちても、その分感受性が高まり、居ながらにして、わずかな刺激に対して反応が出来るということなのであろうか。
若い頃には恋愛小説や冒険譚に心奮わせたが、あるときから日常を淡々と書いた渋い私小説が好みとなった。
その事と連関しているような気がする。
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クラブ活動

2017年03月29日 | Weblog
本日の予定。
出社するのも今日を含めて後2日、仕事関係の後始末がきちんと出来ているのか不安ですが、まあこれで良しといたしましょう。

問題は飲み歩いた先へ行ききれなかったことで、何も言わずに行かなくなると、あの人はどうしたんだろうと、通った頻度数によって、数ヶ月から半年後くらいに思い出されることになるのかなあ。

この10年良く通った大阪の北新地、クラブのママにもその内また行くだろうと何も言わずに去って1年が経過してしまったが、ママはひじょうに親しかった一人を除いて何にも言って来ないのは、この世界のマナーなのだろう。
かつてバブル期の頃から、自前で福富町のクラブ通いを始めて随分通い、美人とも親しくなり、面白い時代を過ごしました。
その後、会社を経営されていた郷里の先輩に連れられて銀座も随分通いましたが、ここはほとんどその先輩が払ってくれたので、財布が軽くなることはなかったが、身に付くことも少なかったのかも知れません。
ものすごく親しくなった美人もいなかったですね。
札幌のすすき野でも、長い間クラブに通いましたが、ここは半分仕事、半分自前でしたね。

横浜で仕事を始めて、福富町・関内、湯島・銀座、中州、すすき野、北新地と良くクラブ活動をしたものです。
1995年からピエールバルマンというコニャックを販売したので、そのときには仕事でクラブに売り込みに行きましたが、そのときは中州に行って、タクシーに乗り一番高くて有名なクラブに行ってくれといって、降ろされたのが「クラブ島津」でした。
ここは、ママはお年でしたが、複数いるチーママの一人が美人でした。
その人がPBをやってくれれば愉しかったのですが、力を入れて販売してくれたのは、お笑い系のホステスで、良く売ってくれました。
美人は年を取ると容姿が衰えますが、お笑い系の人は息が長いで、仕事をするならこのタイプのホステスと親しくならないと結果は出ません。
岡山の酒業務卸の社長がPBを気に入ってくれ夜の街を一緒に歩いて、そこそこに売ってくれたのですが、時代がクラブ衰退の方向でしたので大爆発することはありませんでした。
大阪の北新地でもしかり、鹿児島出身の薩摩のママが良くしてくれましたが、広がることはありませんでした。
ここへはPBのメーカーのカトリーヌと店を訪れ販促をしたのを懐かしく思い出します。

3月29日は母の誕生日で、車椅子生活ながら米寿を迎えました。
1996年の3月29日だったと思うのですが、母の誕生日の祝いをしてから、「お前今日行ってみてはどうか」と母に言われ、梅沢海岸に鱸を釣りに出掛けました。
その年の正月の朝、レッドへッドにヒットした鱸を波裏に見たが、技量未熟のためバラし、寝ても覚めても鱸が目の前をチラチラし、ことある度に竿を振り回していたのですが、2回目の幸運は訪れなかったのです。
生ぬるい南風の吹く夜だったが、K-10アユカラーに鱸がヒットし無我夢中でリールを巻き、やり取りしていたら砂浜にシルバーブラックの魚体が横たわっていた。
直ぐに家に持ち帰り、2度目の誕生日パーティを深夜に開きました。
あの頃は母も元気で、鱸を卸して刺身にし、粗を煮付け、今は亡き父と酒を呑み直しました。
20年以上前のことになるのか、思い出すのは昔の事ばかりだ。

吉村昭「東京の下町」を読了した。
戦前の暮らしは美化され勝ちだが、今の方がよっぽど良くなっていることの方が多い、蚊取りや蚊帳もなくなり、汲み取り式の便所も無くなり綺麗になった。
単純に昔を美化することは出来ない。
東京下町の時代が大きく変わったのは、関東大震災と大空襲である。
大まかに要約するとこんなことだが、しかし、個々の生活の記載は魅力的で懐かしく、これが書かれた1988年から更に30年近くがたち、二重の懐かしさを感じる。

たかだか「零式戦闘機」を読んだに過ぎないが、この作者は資料を納得が行くまで読み込み、ストイックに歴史小説を書いていると言われるが、百田尚樹「永遠の0」が、読むに耐えなかったことを思うと、そんなに間違っていないと思う。
気質は山本周五郎に似ているのではないだろうか、司馬遼太郎とは異なる事は間違いないと思う。

縁あって調べた高山彦九郎について書かれた唯一の小説「彦九郎山河」が気になっているのだが、書店、古書店で見掛けないので読んでいない。
ネットなら直ぐに入手できるのだが、出会いを大切にしており、読む最善の機会がまだ訪れてないのだろうと考えている。
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最後のTJL

2017年03月29日 | Weblog
昼、生香園で叉焼麺を食べたが、海源楼なきあと、私にとってはここのがNo1ですね。
澄んだ醤油スープにシャキッとした青菜、刻み葱、適量な支那竹、厚手のしっかりした叉焼3枚、見事なバランスです。
出てきた時の麺は硬く、仕舞いの方には延びて柔らかくなって、硬軟の味わいが楽しめます。

さっと昼飯を済まし、馬車道から吉田橋、そして伊勢佐木町JRAホールへ足早に歩き、今日が現役最後のTJLになるんだなあと、ちょっとした感慨があった。
最後にふさわしく、一番多く聴いた構成、V福山詩織、G小田島伸樹、B小沢基孝だった。
小田島さんの穏やかなギターは、年を重ねた落ち着きの賜で独特の良さがある。聴いているのはほとんどが老人で、落ち着いた音楽が好まれるんだろうね。

6時に会社を飛び出して野毛の福家に行く、知人と待ち合わせて、福寿の純米を燗で呑む。
肴はシラスと茗荷の刻み和え、蛸ぶつ、小肌、しこ鰯、鰻肝わさ、奈良漬け、鰌鍋、おじや。
鍋にしてからは、久し振りにスーパーニッカのソーダ割りを呑んだ。

連日の飲酒で内臓も疲れていて、この夜は一軒でお開きにした。

帰りの電車で吉村昭「東京の下町」を読んだが、この1ヶ月皆さんからお声が掛かり、読書が捗らなかった。
大変嬉しいことだが、残すは1日、その後は先輩諸氏に拠れば、時間をもて余して何をやるにも詰まらないもんだぜとのこと、仕事の合間を盗んでやりたいことをやるから楽しいが、朝から晩まではいどうぞとなると面白くも何ともない。
多分そうだろうなと思うな、比較的自由な時間が多くなったら、時間潰しにテレビにかじりついてるものね。
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春は名のみの寒さかな

2017年03月28日 | Weblog
朝、多少雨がぱらつく中、傘を何処へやら無くしたようで、4年振りにカッパを着てヤオマサまて買い物に出掛けた。
大した魚はなかったが、それでも朝獲れの鰯があった。
しかし、サイズが小さいのでやめて、千葉の鰹を買った。
牛乳と落花生を買う。

帰りに杉山に寄りバアサンを探すが、寒いので家の奥に引っ込んでいた。
霙が混じる陽気で、国府でも塩て陽気と云うのかと聞いたら、そう云うとの事で二宮だけの言葉ではないらしい。
絹ごし豆腐二丁と厚揚げ2ヶを買う。
厚揚げは二丁が正解なのだろうか。

昼、かねてより一度喰ってみたいと思っていた平塚花水台の天婦羅屋に天丼を喰いにいった。
大海老三本がのったやつで豪快であったがタレが辛かった。
人気の店で1時を過ぎていたのに12人ほど客がいて、親方が一人で切り盛りしているので忙しく働いていた。

午後、大磯から平塚まで歩く、和菓子を買おうと思ったが、菓子屋は月曜休みが多く買いそびれた。
平塚市民ギャラリーに幟が見え、飛騨高山と読めたので駆けつけた。
駄菓子、漬物、酒などがあり、酒を四種類試飲させていただき、?とソーダ煎餅の様なのを買う。

オネエサンのところで、カレーパン、ベーコンパン、揚げドーナッツを買う。

晩飯は、湯豆腐、大根と挽き肉の炒め煮、鰹刺身、チーズ、南京豆、酒は三夜連続で到来ものをいただく、ついに一升が空になった。
飛騨高山原酒、日立の純米吟醸、スペインのオルホを呑む。

オルホを持って母の部屋に行き、テレビで加藤一二三と美術品鑑定士の番組を観る。
76歳の最多敗棋士に励まされ、諦めたら終わりだと知る。
好きなことに情熱を傾ける飾りのない姿に心うたれる。

名前を忘れたが、53歳の美術鑑定士の審美眼に驚愕する。
幼い頃から父に連れられて京都奈良の寺社仏閣を回ったのが嫌で仕方なかったらしいが、良いものをたくさん観る以外に審美眼は養われない。
自由放任教育とは人を何者にも導かない。

吉村昭「東京の下町」を読んでいるが、テレビジジイとなっていて一向に先に進まない。
若い頃、竜雷太や夏木陽介の青春学園ドラマの再放送を毎日テレビで観たせいで、深味のない軽薄な楽天家になってしまったが、後年、割りと読書をしたつもりだが、やはり若い頃に出来上がった性格は変わるものではなく、気を許すとテレビ小僧はテレビジジイとなって仕舞うようだ。
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吉野川

2017年03月27日 | Weblog
雨の一日だった、まったくダルな一日を過ごした。
多少何時もと違うのは、朝、上の息子と朝鮮併合、在日韓国朝鮮人等について話をしたことだ。
今回が初めてではないが、桜井誠の日本第一党員になり、政治や歴史の勉強をしていて教えられることも多い。
桜井誠は一度息子から著作を借りて読んだが、視野の狭いところはあるが、中々マトモな意見をもった人のようで、悪名高き在特会に対しての偏見を捨て良く見るべきと思った。

昼、五目焼きそばを食べて、余りに寒いので暖房をつけて本を読んでたら寝てしまったようで、一日何もせずに無為に過ごした。

3時頃起きて、カートヴォネガット「国のない男」を読了する。
ブッシュの時代の自国にたいする懸念、地下埋蔵エネルギーを使って地球を台無しにしていることへの懸念等が書かれている。
インターネットにより、金と情報が国境を無意味化し、世界中から金を掻き集めた米国が、今更保護主義とはちゃんちゃらおかしいが、最後にハゲ鷹資本主義が国内の貧困層から金を巻き上げたのは、質の悪い喜劇だった。
同じことを今支那がやっているのは政治が経済の下部になっているせいで、それをどうにかしようとしているトランプは思ったより純真な男なのかもしれない。
同じドイツ系移民の末裔ですぜヴォネガットさん。
大統領になって、あなたと正反対の考えの政策が懸念されたが、当初から私が考えていたように、貴国は三権分立がキチンと機能していて、純真で極端な政策は現実性によって牽制されている。
インディアンの皆殺しで出来た国であるが、そういった意味ではまっとうな国ですね。

東京大空襲や広島長崎を忘れて受益のためにアメ様に媚を売るだけの日本人にはなりたくないが、敗戦に際し武士(もののふ)の妻や母が日本男子のだらしの無さを嘆いて徹底抗戦を説き心動かされたが、武力によるリベンジだけは止めましょうね。

千秋楽は進行が早いので、4時半にベッドを抜け出し母の部屋で一緒に相撲を観る。
高安が勝って12勝にしたから、5月はいよいよ大関取りだ、その高安が兄弟子の稀勢の里に水をつけて、大一番を迎えたが、勝利をまったく期待していなかった。
立ち会い右に変わって待ったがかかり、次に左に変わって痛手を負った左手で照の富士の頭を押さえて押し潰した。
急いで風呂に入って身体を清め優勝決定戦を観たが、まともに立って両差しを許し、土俵際で右手一本の小手投げ見事に決まり、勝った時には精神力に呆れた。

晩飯は、湯豆腐、鰹たたき、切りたんぽの竹輪麩バージョン、ニュースで相撲を観ながら、昨夜開けた到来ものの美山錦を家人と共に連続的にチロリで温め祝盃をあげた。

コニャックを持ち台所から母の部屋に移動して船村徹の歌を聴きながらあれこれ話す。
母が寝た後、9時から歌舞伎「妹背山婦女庭訓 吉野川」を観て、11時から坂崎・なぎらのフォークソングセミナーを観る。
佐藤公彦「さみだれ五月」を聴いたが、この歌があったことを40年振りに思い起こす。
こういうことがあると嬉しいよね、まだまだ同様のことがあるんだろうな。

コニャックからマール、アルマニャックと随分飲んでしまった。
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庭の目白

2017年03月26日 | Weblog
吉村昭「東京の下町」18章の内、最初の3章、夏祭り、黒豹事件、町の映画館を読んだ。
夏祭りでワッショイワッショイと町御輿の正統的な掛け声が、どんくさい掛け声に変わったことを、名前は出していないが、浅草か神田の宮惣代に聞いたら、いつの間にかこうなっていたとのことだ。
この文章がオール読物に連載されていた昭和58年以前に起きた変化で、今ではワッショイワッショイの掛け声を覚えている担ぎ手など皆無に近く、長く続いた伝統はいともたやすく失われてしまうものだと分かる。

カート・ヴォネガットのほうも最初のほうを齧ってみたが、とぼけた感じが面白い。
昔は、カート・ヴォネガット・ジュニアとジュニアがついていたが、この本では外れている。
没後10年を記念しての文庫化らしいから、本人がこの世にいないので、ジュニアもシニアもないであろうからどうでもいいようなもんだが、馴染みが薄いといけません。

今日は朝からよく晴れて、気分良く散歩に出かけた。
昨夕と同じコースであったが、足元に春の花がたくさんあるのに気が付いた。
出がけに庭を眺めていたら、椿の花を啄みにくる目白が庭石に家人が撒いているご飯粒を夫婦で変わり番こに啄んでいた。
庭に来る鳥では目白の姿が美しい。

ヤオマサでは、朝獲れの鰯があり三枚におろし皮を引いてもらったが作業料は一尾28円であった。
安い魚はそのままお持ち帰りが多かったが、捌いて欲しいとの要望が多いのだろう。
小川さんの胡瓜、泥葱、麩菓子、フレンチトースト、挽き肉、芋饅頭のような駄菓子、蕎麦、蒲鉾を買う。

杉山のバアサンは元気に店に出ていたが、寒い寒いと言っていた。
絹ごし豆腐1丁とがんもどき5ヶを買う。

帰り道の農家でほうれん草を買うが、朝採ったのだろう、抜群に鮮度がいい。

昼、蕎麦を食べる。
田辺の鰹節で出汁を取ったのでやっぱり味が格段にいい。

午後2時過ぎに平塚へ行きBOに寄る、大川周明「復興亜細亜の諸問題」中公文庫 1993年 720円、井筒俊彦「ロシア的人間」中公文庫 1989年 480円、保坂和志「カフカ式練習帳」河出文庫 2015年 830円、森茉莉「紅茶と薔薇の日々」ちくま文庫 2016年 740円、森まゆみ「昭和文芸史」中公文庫 2012年 762円を買う。

最近右系の人の著作を読むことが多く、大川周明はたびたび出てきている、そのため本人の著作に当たってみなくてはと思っていた。
本が古くて活字が値策読みにくいが押さえておいた。
イスラム圏からユーラシアまで広い視野で書かれたものだ。

かつてイスラム圏の本はこの人の影響が強かったと思う、若いころに何冊か買い求めた。
今の山内昌之のような存在だったのだろうか。
だがこの本は19世紀のロシア文学について書かれたものだ。

保坂和志は娘の要望によるもので、来月帰ってくるので買い求めておいた。

森茉莉のこの本は去年出たもので、食い物に関する文章を集めたものだ。
出た時に買おうかと思ったが、緊急に読むことはないと思い、古本市場に出るのを待ったが、こんなに早く手に入るとは。

森まゆみさんのこの本も、表紙が印象的だったのでよく覚えている、あれからもう5年がたってしまったのか、月日は加速度を持っているのだろうか。
中央公論に拠った作家のことが書かれている、その内読むかもしれないので買っておいた。

紅谷町通りで骨董市をやっていたので冷やかしたが、興味を引くものはなかった。

都まんじゅうで久し振りに10ヶ買い求める。
太子堂で母に煎餅と、酒の肴の空豆の三色ビンズを買う。

早めに家に帰り相撲を観る。
高安はようやく平常心に戻り、しつこく攻めて勝った。
稀勢の里は出たのは立派だが相撲にならなかった。

晩飯は、湯豆腐、鰯刺身、がんもどきと里芋煮に、陸奥の社員から送別に送られて来た、山本合名会社 純米 白瀑(しらたき)秋田県産美山錦 60% 15度 白神山地湧水仕込み 瓶燗火入れ  湧水急速冷却 低温貯蔵 を先ずは冷やで呑み、燗にしてじっくり呑む。
冷やの時はフルーティで生酒のような風味があり美味いが、燗にすると酒が落ち着きどっしりした深みを見せる。
落花生と三色ビンズで、さらにチロリに3杯呑んでしまった。
いい酒ですありがとう。

母の着替えを手伝い、寝かせる。
アド街が川崎だったので観る。
父が昭石に勤め、伯父が東芝にいた。
前に勤めていた会社の子会社が川崎にあり、倉庫も日本鋼管の子会社で川崎の浮島にあった。
そんなことで川崎とは子供の頃から馴染みが深く、その当時は公害で東海道線で通過するだけで臭かった。大人になってからは飲み食いも良くしたが、特殊浴場へも通った。

番組ではパンチパーマのオジサンが多かったことや、銭湯及び特殊浴場が多かったこと、朝から飲み屋が開いていること、桜町など韓国人に焼肉屋が多いことなどを取り上げていたが、これも日石、鋼管、味の素、東芝などの工員の街であり、夜勤明けの人が風呂に入り一杯やった名残である。
桜町の朝鮮半島の人は鋼管が作業員として連れてきたのが始まりだ。

さいか屋の役員に知人がいて、スーツやジャケットを買いに行き、飯を食ったりしたのは20年ほど前か。
浮島の倉庫に通い所長と隣のフェリー乗場の食堂で良く昼飯を食った。
何時もピラフかスパゲティで盛りが多かったが、25年も前のことだ。
その時の給仕のオジサンの顔を思い出したくらいだから繁く通ったのだろう。
その所長とは、川崎大師の門前町の蕎麦屋にも行ったし、高砂町の和食の店やクラブでも良く呑んだ。

扇町に家があった会社の先輩と野毛で呑んで、良く泊めてもらったが、あれは1983年の事で、34年も前のことだ、気前の良い人でほとんど奢ってもらったが、気前の良さか禍して借金で身を眩まし連絡が取れない、随分とお世話になった。
テレビを観ながら川崎とは深い縁があったなあと思いに耽った。
何処の駅前も再開発で同じような店が入っているが、ラ・ゾーナは日本3位の売り上げを誇る商業施設らしい、だが雑多な川崎に馴染んだ身としては、面白くもなんともない。
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昼下がりの寿司屋で呑む

2017年03月25日 | Weblog
快晴ではないがそこそこの天気だ。
昼、野毛の福家に「たる」を届けて八幡丼を食べる。鰻の細切れと牛蒡のささがきを卵でとじた丼だが、牛蒡の風味と歯応えがよく、漬け物と味噌汁、それにお茶が食前食後に出る。

昼前に行ったが、昼になると大入り満員で、前に女性が二人座ったので、食い終わって早々に席をたつ。
桜木町からの予定の時間に間があったので、紀伊国屋で山田仁史「いかもの喰い」亜紀書房 1,600円をさっと買う。

前に見ていて買おうかなと思ったやつだ、作者は民俗学者で、犬、土、人喰いの話が書かれている。
先の戦争で人喰いがフィリピン等で行われたが、戦記を読んで、死に逝く人が「俺の肉を喰って生き延びてくれ」と戦友に懇願したことが書かれていた、敗走で飢餓状態になり、戦友の一人でも生き延びて、最後を家族に伝えて欲しいと思うのが人情なんだ。
また、親族の肉や骨を食べて、体内に宿らせるというのは良く理解できる。
実際、焼かれた親父の骨をかじってみようかなと思ったものね。
三国志に出と来るような、客人に振る舞うものがなかったので、妻を殺してスープにして出したというのは嫌だな。

海老名でのソムリエ協会のセミナーは盛況であった。
日本人こういった資格を取るの好きなんだなあと思う。

会社に出るのも後3日、何時も昼を食べたり、酒を呑んでいた店を回りきれない事が最近になって分かったが後の祭りだね、心のどこかで本当に終わりだって認めてなかったんだな。
それでも井桁へはどうしても行きたくて、今日は半ドンにして、1時に店に行き、燗酒とチラシをたのんで最後のランチを楽しんだ。

ここは酒を頼むと肴にキャラ蕗が出て来るが、チラシが来るまで、それでゆったりと杯を重ね、チラシが来ると上に乗った刺身で2本目を呑むわけだ。
今日は、白身が3、多分平目と環八だろう、青柳、蛸、煮ホタテ、蟹、海老、小肌、卵焼き2、中とろ、赤身2、蒲鉾、ガリ、絹さやだった。
寿司屋で長っ尻は、田舎もんのやることだ、小一時間でさっと呑んで喰って出るのが粋ってもんだ、と教えられたが、先人のお教えの通りに40分で出た。

いやあ美味かったな、酔い加減も最高で、帰りの電車での、うたた寝の気分のいいこと。
東海道線の快速に乗ったので、平塚で途中下車しなければならなかったが、茅ヶ崎から美人二人が目の前に、失礼しますと乗って来たので降りるかどうか少し迷ったが、さくら書店の誘惑が勝り下車した。

カートヴォネガット 金原瑞人訳「国のない男」中公文庫が目についたので買う。
30年くらい前に一世を風靡したので、何冊か読んだがすっかり内容は忘れている。
だが懐かしくてね、年を取ったんだなあ。

吉村昭「東京の下町」文春文庫も買う。
これは平成元年の文庫の新装版で字がでかくなっている。
文庫各社年寄りに優しい戦略を取っているが、当たってるんだろうねきっと、良書を長く供給する文庫の使命を守ってるね。

4時、大磯まで散歩する。
日向の白木蓮は終わっているが、日陰の白木蓮が鮮やかに咲いている。

夕方早くに店を閉めるので真っ先に杉山へ寄るも、バアサンは家に引っ込んでいて息子が店番をしていた。絹ごし豆腐二丁を買う。

ヤオマサの魚はこの時間にはもう良いのがなかった。
まあそのくらいじゃないと魚屋は信頼できない。
オーストラリアの生ラム肉、牛乳、葡萄ゼリー、落花生を買う。

5時すぎに帰り相撲を観るが、高安は不甲斐なく負け、稀勢の里は日馬富士の気迫に敗れた。
立ち会いが遅れ高いよね、後手に回るから怪我をする、筋肉を断絶してるんじゃないか。

肉豆腐、鶏をトッピングしたサラダの晩飯を食べる。
2005年のオックのピノノワールを開ける。
オリビエに作ってもらったスクリューキャップのワインでポールサパンで瓶詰めした。
5年ほど前に、シャルドネと共に福家で開けたときも良く熟成して美味かったが、今回も香りが素晴らしく味わいも穏やかで、劣悪な環境に置いたのに、スクリューキャップの安定した熟成を凄いなと思った。

プライムニュースで森友学園の問題について討議をしていたが、昭恵さんは優しい人柄で天使のようだなと感じた。
数年前に一度だけフーデックスでお見かけしたが、それだけではこのようなかたとは分からなかった。

9時から新日本風土記を観た。
日本各地の花に関しての人人の関わりを編んだもので、二宮の吾妻山の菜の花が出てきて驚いたが、新潟出身の80過ぎのかたが28年前から研究して作り上げたものだと知った。
6年かけて樹木診断士の資格を取り、今でも菜の花畑の向こうにある桜の木の剪定をして、その先の富士山の眺望を考慮している。

淡路島の水仙、南房総のキンセンカは、戦後の苦しい時期に農家の若い嫁さんたちが栽培し家計を支えたのだが、現在は80を過ぎたオバアサンの若い頃の映像が出てきた。
今ではこんな若々しい人たちが働く姿を農村で観ることはないなと時代のエネルギーを感じ感動した。
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酒セミナー

2017年03月24日 | Weblog
日本ソムリエ協会神奈川支部が主催する日本酒セミナーが海老名で行われた。
会長の田崎真也が講師になり「ソムリエのサービスと日本酒テイスティング」をテーマに6種類の酒の試飲をした。

酒は、好適な肴、例えばスルメ、塩辛、このわたなどが少しあれば、二合や三合の酒が呑めてしまうが、酒が主で肴(食い物)が従の飲み方が主流である。
晩飯前の晩酌を思い描いてみると、お父さんがちょっとした肴で呑んだ後に、さあ皆さんご飯ですよといって、子供たちが席に着き15分くらいで食事が終わってしまうのが普通だ。
また、会席料理の際に供される酒は、個々の料理に対応したマリアージュを考慮されることが無い。
最後に、「お食事にいたしますか」と聞かれ、ご飯、椀物、漬物が供されるが、この言葉は、「もう呑むのは終わりですよ」と言われているのに等しく、酒は食中酒というより、限りなく出てくる前菜の食前酒のようである。

これを、この料理には素材に鯛が使われていて、ライムが搾られ、オリーブオイルがかけられ、ハーブ類がトッピングされているとすれば、ワインならソーヴィニョン・ブランをすぐに思い浮かべるが、同じように鱧の椀に木の芽が添えられていたら、生酛系純米酒をあわせるといったような、料理に対応する酒をきちんと提案することを目指している。

まあ、こんな方針みたいですね。
しかし、ビールがこれだけ日本で浸透したのは、飲酒温度、グラス、合わせる料理など細かなことを言わず、勝手に消費者に選択させたことに大きな理由があると思うので、さて、酒を広く広めるとするなら、異なるアプローチが必要なんだろうと思う。
だが、ソムリエを念頭に置いたらそうは行かないわけで、酒と料理のマリアージュを徹底的に研究する必要があると思う。

もう一つ、面白いなと思った点は、ワインの評価は美点を数え上げていくのに対し、酒の評価は減点法であり、表現する言葉に否定的なものが多く、これは鑑評会の目的が生産者の技術向上を目指したもので、欠点を指摘してそれを補う酒造りをするためのものであった。

今回配られたテイスティングにおける香りのカテゴリーは果実、花、植物、茸、スパイス、ナッツ、乳製品、土、ミネラル、ロースト香、蜂蜜、スモーク香、劣化臭などワイン出お馴染みの用語に加えて、米という項目があった。

では具体的に試飲した酒のコメントに移りましょう。
試飲した酒は、ブラインドテイスティングで、後で酒の銘柄等の資料が配られました。
全て県産酒でした。

1.熊澤酒造 特別本状酒風露天青 五百万石 9号酵母 15% 60% 
  日本酒度5.5~6.5 酸度1.2~1.4
  
  透明な色合いで、酒の風味がきつく無いのですぐに本醸造と分った。
  ライチ、白い花の香り、味わいは、甘み酸がまろやかで、チャーミング、フィニッシュに苦味が広がる  スタイル。やわらかい酒の印象。
  
  田崎コメント
  米、乳製品、クリーミー、白玉や新米を研いでいる時、大福の粉、蒸栗の薄皮、バナナの維管束
  ブリアサヴァランのようなクリーミーなチーズ。かつて、チーズには赤ワインという時代があったが、  今は会わないことがわかっていて、ほとんどの場合、白ワインを薦める。
  鮨で言えば、白身の魚に柚子を振りかけたもの

2. 熊澤酒造 純米酒 吟望天青 五百万石 9号酵母 15% 60% 
  日本酒度5.5~6.5 酸度1.5~1.7
  
  ほんのり緑黄、酸化した感じの米の風味があり、純米酒であることが想定された。
  強さがある。嫌いなタイプの風味。
  
  田崎コメント
  コリアンダーシード、檜の皮、樹脂、カプロン酸エチル、酢酸エチル
  チーズは少し熟成したタイプ、カマンベール
  鮨は、昆布〆

3. 大矢孝酒造 純米酒 生酛原酒 昇龍蓬莱 山田錦 17% 77% 701号
  日本酒度8 酸度2.3 アミノ酸度1.2

  順番から生酛系だろうなとの想像はついたが、米の香りが強く、金属的な揮発性の香りも感じた。
  味わいにも米の風味を強く感じ、酸味が強く、時間がたつと酸が鮮やかになる。
  フィニッシュに苦味。

  田崎コメント
  黄色いリンゴ、スイカズラ
  チーズは若いコンテ、チェソマンチェゴ
  鮨は、鰤の男節の炙り、鮪の赤身で脂のあるもの  

4. 泉橋酒造 純米大吟醸生酛 楽風舞 16% 35% 1801号 901号
  日本酒度 非公開 酸度1.8 アミノ酸度1.9 

  青リンゴから黄リンゴまでの香り、華やかな花、トロピカル、私の嫌う2.3の香りは無い
  米の風味がたっぷりとして、やわらかく、華やかでなめらか。
  やさしく、完成度が高い。

  田崎コメント
  カプロン酸エチル 熟したメロン
  チーズは、バランセ・シェーブル
  鮨は、冬のコノシロ

5. 黄金井酒造 五年古酒 純米酒 盛升 アケボノ 18% 80% 901号
  日本酒度 3 酸度2.2 アミノ酸度2.5
  初期には茸、後期にはロースト香、クレームド  ブリュレ
  ハチミツやカラメル
  酸がしっかりとあり、味わいが綺麗で厚みがあり実に美味。

  田崎コメント
  チーズは、ウォッシュタイプ、エスポワーズ
  鮨は、穴子

6. 泉橋酒造 とんぼスパークリング 山田錦 15% 麴60% 掛80%
  日本酒度-1~±0 酸度1.8 アミノ酸度1.5
  白いフルーツ、花、洋ナシ
  甘い

  田崎コメント
  鮨は、卵焼 ワインだと、黄身が持っている硫黄の香りが強く感じられて合わない。
  花見にロゼを勧めているが、桜餅に合いそう。


今回久し振りに田崎真也のセミナーを聴いたが、多分15年ぶりくらいだと思う。
以前聴いた時は、言葉使いが町のお兄ちゃんを出ておらず、これじゃあ日本のワイン業界を引っ張ってゆくには力不足と感じたが、今回、言葉使いに関して不快感は無く、テイスティングコメントに、チーズと鮨を入れたのが分りやすくて実によかった。
人は歳月によって変わるものだとしみじみ感じた。

後半になるに連れて田崎コメントの記載が少なくなっているが、これは疲れのため全てを拾い上げていません。
気になるかたは、他の人のものを参考にしてください。
300名が参加しているので、何方かブログかフェイスブックで書いていらっしゃると思います。


清水健一の「ワインの秘密」を読んでいるが、この方刺身と言えば、もうワインなど考えずに酒を呑む事にしているらしいが、ワイン業界もそのような気持ちが無ければ広まらないよね。

ソムリエも飲み物全てを扱うと定義されているらしいので、ワインとの関わりの印象が強いが、アルコール飲料のみならず、ジュースや水、珈琲、お茶などまで視野に入れているらしい。

  
 
   

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真珠婚式

2017年03月23日 | Weblog
忘れていたが、今日は30回目の結婚記念日であったのを晩飯前に思い出した。
家人がコンベックでラザニアを焼いていたので、赤ワインをあけて祝した。
真珠婚式というらしいが、生憎真珠は手元にない。

30年前に今はメルパルクというらしいが、横浜の郵便貯金会館で式を挙げた。
親父のほうの伯父さん伯母さんのほとんどが生きていて、母の兄弟も健在、父は13人兄弟、母は7人兄弟であったが、友人知人を合わせて200人くらいの大掛かりな披露宴を行った。

当時横浜駅24:23の最終電車のボスで、福富町のキャバレーでバンドマスターをやっていて、この電車の15両目に乗る面子を紹介してくれていた。
私は当時桜木町駅ガードにあった「とんぼ」で彼と落ち合い、チューハイを1杯飲んで一緒に帰ったものだ。
ヒルトンホテルのソムリエ、さいか屋の役員、税務署の人達、西武の人、銀座のホステス、ピアノ弾き、アコーディオンの流しのおじさん、色々な人の知遇を得た。
その彼の伝手で郵便貯金会館を抑えたのだが、ネットワークは広かった、それにしても急な話によく対応できたと思う。
仲人を会社の社長と専務にお願いして、ひな壇から皆を眺めていたのがつい昨日のようだ。
皆さんお元気でした。

バブル期が始まろうとしていた頃だった。
会社も売り上げに不安がなく、大きな利益を残していて、給与もどんどん上がっていたから、入った金をみんな使ってしまっても何ら不安を覚えなかった。
今は、時代がさらに悪くなることを考えて、とにかく使わないようにしてため込んでいるが、隔世の感がありますね。
まあ、30年もたっているのだから当たり前か。

WBC負けてしまってがっかりだね、ライブで観たわけじゃないが、守備でミスをしてしまったんでは勝てないよな。
ミスを犯したことを非難しているわけじゃなく、こういった力が拮抗したゲームでは、勝利の女神に好かれたほうが勝つのだから、潔く諦めましょうというお話。
高安も負けちゃったなあ、しかし、横綱に下手から投げを打つんだから力がついてるねえ。


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