キュヴェ タカ/cuvee taka 「酔哲湘南日記」

新鮮な山海の恵みを肴に酒を吞み、読書、映画・音楽鑑賞、散歩と湘南スローライフを愉しんでいる。 

猫に出てくる酒

2008年01月09日 | Weblog
漱石の猫がやっとのことで読み終わりましたが、酒のプロとしては酒が出てくる場面に大いなる関心があります。漱石の事はそれほど詳しいわけでもなく、この猫を読んでおりますと漱石がモデルと思われる珍野苦沙弥先生はあまり酒を嗜まないようで、漱石も胃弱ですし、砂糖を絡めた落花生が好みだったと記憶しておりますので、左党ではなかったと思われます。それでも記憶するだけで三箇所酒を飲む場面があります。一つ目は猫連載中に大町桂月が漱石は酒でも飲んだらもっとましな物が書けると批評した事に対して、いつもなら猪口二杯の晩酌を四杯も飲んで奥さんに、今日はやけにあなた飲みますねと嗜められると、いや桂月先生が仰るんだから飲んだほうが良いに決まってると応える場面。清酒が出てきます。

次に味醂を飲む場面があります。味醂好きの人がビール瓶に味醂を買ってきては楽しみにしていたのを、苦沙弥先生が酒も飲めないくせに、人の味醂だからと言って盗み酒をして、顔を真っ赤にしたものだからばれてしまったという件です。味醂を酒として飲んでいることに驚きました。今、味醂飲む人は少ないと思います。それこそ酒の飲みすぎで奥さんにアルコールを止められ、調味料として買い置きしてある味醂しかなくて盗み酒、こんなケースか正月の屠蘇として飲むくらいなものでしょう。調べてみると清酒より起源が古そうで、酒が一般化したのが江戸時代、味醂はその前から飲まれていたようです。明治後期にはまだ味醂を嗜む方がいたものと思われます。これだから浅学非才の謗りを免れないのですね。

最後に門下生の多々良三平君が苦沙弥先生の近所の酒屋で買ってきたビールを門下生一同で飲む場面があります。明治後期ビールはそこそこに飲まれていたものと思われます。このビールを飲む前にシャンペンの話が出てきます。三平君四円や五円の安物のシャンペインは不味くていかんと話しておりますから、かなり良いものが手に入るルートも確立されていたものと思われます。苦沙弥先生は多分東京帝国大学出身、門下生も各地の高等学校を出ている事は間違いありませんから、当時としては彼らは特権階級であり、シャンペンを飲む機会もあったのでしょう。さて100年前の三平君お薦めのシャンペンは如何な味であったのでしょうか。

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