キュヴェ タカ/cuvee taka 「酔哲湘南日記」

新鮮な山海の恵みを肴に酒を吞み、読書、映画・音楽鑑賞、散歩と湘南スローライフを愉しんでいる。 

一家揃って飲む

2021年10月31日 | Weblog
妻と嫁の要望で早川の海の駅のようなところへ出かけた。
秋の晴れた週末は西へ車を走らせるのは悪手で、ましてやこの手の店は観光客相手で不味い刺身を法外な値段で食わされるから僕なら絶対に行かないが、思いの外西湘バイパスが空いていて目的地までは難なくついた。
でも、店はやっぱり酷い人だかりで、日頃から美味い魚を喰っている人間が行くべき所じゃないのに、詰まらない計画を立てた妻を呪ったが、とにかく頭が固くて、思い込んだら絶対に曲げないやつだから付き合った自分が悪かった。
夜、娘夫婦が来て高橋家全員で会食をした折に、長男が、こうなることは分かっていたが、妻は実際に駄目だと分かるまで納得しないから行ったんだと卓見を披歴した。
なるほどなあ、僕より長男のほうが血が繋がっている分だけ妻のコントロールの仕方に長けていて、教えられた。
僕の場合は妻と口論になってしまうが、それは無益なことで、実際にやってもらって自ら愚策を悟ってもらう方がいい。
まあ、妻と二人だけなら、僕はいかないよで終わっていたんだけどね。

その後小田原で「だるま」に寄ってみたが、予約がすごく入っていて、更にフリで来た客が30人以上店の前でたむろしていたので、駐車場に車を停めて降りる間もなく直ぐに大磯へ向かった。
緊急事態宣言が解除されて、素晴らしい秋の天気の終末、予約を入れなければ美味い昼飯はありつけないのは常識だ。
予約を取らない大磯の鳥屋「杉本」へ向かったが、駐車場が空いていて、店に行くと1組待っているだけだったので待つことにした。
思いの外早く席に案内されて、焼き鳥と鳥わさで燗酒3本、きじ焼き丼を食べて満足した。

「マーリ・モンターニャ」へ寄って、ディエゴの白をナッツのつまみで飲んだ。
妻と息子夫婦がお礼の品や調味料などを買っていた。
何組かお客が来ていたが、ワインは2本売れただけで、女の人がやけに、ナッツ、ドライフルーツ、塩の量り売りを買っていた。

4時ごろ家に着いて、ほろ酔い気分でのんびりと欧陽菲菲と金子由香利を聴いて過ごした。
散歩に行かなきゃいけなかったが、怠くて止めた。

8時に娘たちがやって来るので30分ほど前から落花生とチキンラーメンを肴に、ホワイトホースを飲みだし、鱈の唐揚げでギリシャの白を飲んだが香りが割と強くてね、思いの外合わなかった。
大磯の帰りにマサで買った小田原の鰹を肴に「夜明け前」を冷で呑み、今年は鰹が豊漁で小田原で随分上がって、美味い鰹がずっと喰えたいい年だった。
サーロインステーキが焼き上がったのに合わせて、ギリシャの赤を飲んだが、樽香があって、牛肉にはうってつけだった。
和牛もも肉も味はいいんだが、筋があったなあ、きっと、この前喰ったやつのダチだね。
妻が作った人参サラダに蜜柑を絞って加えて、干しブドウをトッピングして、そいつをほうれん草の上に盛り付けたら、色鮮やかで良かった。
味のほうも好評だったなあ。
その内妻がメカジキと塩麴漬けの鶏でグリーンカレーを作ったが、娘と僕で一斉に「何で茄子を油通ししないんだ」と非難したのが面白かった、娘とは料理の思想が一緒なんだよね。
実は長男も舌がよく料理が上手いんだけど、妻は舌が悪い。
その仕返しで、僕の耳の悪さを音痴だと非難するんだけど。

リーさんのオリーブ入りのカンパーニャや柿の種を肴に、ワイン、ホワイトホース、カクテルと入り乱れて飲み、前夜のアルバムをみんなで観たりしていたら0時を過ぎていた。

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古いアルバム

2021年10月30日 | Weblog
昨日は寿司屋、結婚式場、中華街と3か所で飲んだので二日酔いになるかと思ったらならなかった。
歌って発散したのが良かったのか。
今朝は7時近くに起きて、昨日の味噌汁を温め、鰯の丸干しを焼き、ピーマンと卵炒めを作り、大根の糠漬けを出して食べた。
ひじょうに食欲があり美味しくいただいた。

JA湘南へ自転車で行き、無花果、葉付き大根、柿、ブロッコリーを買い、帰り道の農家で南瓜を買った。
昼まで欧陽菲菲を聴きながら調べ物をしていた。
昼は妻がフィリピン風豚肉煮込みを作ったので、それを叉焼代わりにしてラーメンを食べた。
昨日買った小籠包を白菜の上で蒸して食べた。
台湾で次男と一緒に無茶苦茶喰ったのが思い出深いが、横浜中華街のオバサンが作ったのは大振りで皮の皴が寄っているところにボリュームがあって、そこが売りなんじゃないのか、美味い。
花の中国茶を飲んだ。

プレシネは2007年アメリカ「3:10 to Yuma」だったが途中可成り眠っていたので良く分からず、もう一度観ないと駄目だね。
でも何だか無理がある設定だったなあ。

4時にイナリヤトの運転資金を下しに銀行を回り、4時半に大磯方面へ散歩に出た。
5時を過ぎるとかなり暗くなり、帰るころにはすっかり陽が落ちて箱根伊豆の山際がオレンジ色に変わって、黒とのコントラストが綺麗だったね。
空には宵の明星が輝いていた。

風呂に入り、晩飯だが、妻が張り切って出かけた肉の日、とにかく売るほど肉を買って、来て煮込んだり、調味液に漬けこんだりしていたが、晩飯はイベリコ豚のカツレツを作ることになっていた。
息子夫婦が来ているので、南瓜のポタージュも作ってあり、ひじきをコーンとシーチキンで煮たのとか出来ていたが、ブロッコリーを茹でてあったのが良かった。
ディエゴのカバを開けてイベリコ豚のカツレツを食べたが、この時にブロッコリーが美味かったこと。
魚は息子がマサへ一緒に買い物に行った時に、いち早くショゴ(カンパチの子)を見てけて太ったのを選んだらしく、捌く前のを見せられたが40㎝程のグラマラスなやつだった。
朝、相模湾で揚がったもので歯応えがあり、この手の魚の中ではカンパチが一番好きだが、繊細な味わいで美味かった。
ほとんど息子が食べ、嫁も喜んで食べていた。
父も若い頃はいい刺身が無いと不機嫌だったが、晩年は刺身より煮魚が好くなり、最晩年は酒も美味くないと言い出し、アンパンなどの甘いものを好んだが、僕も刺身は2,3切れ食べたらそれでよく、煮魚が良くなってきたから、そろそろそういう時期に来ているんだろうなあ。

妻が沢山青檸檬を買ってきていたので、それにジンを入れてソーダで割って飲んだ。
最近はイナリヤトのワインを家の置いてあり終末に飲んでいるらしいが、息子はあまり酒を飲まない。
嫁がジントニックに付き合ってくれたが、妻が納戸から秘蔵のポテトチップを出してきた。
晩酌のつまみなんだろうけど、親知らずの具合が悪くて飲む機会が減っているみたいだ。

嫁が見たがっていた子供の頃のアルバムを息子が妻の部屋の天袋から出してきて見た。
アルバムは10冊ほどあって、長男が生まれたころから次男が生まれて2,3年経ったころまでで、この頃はよく写真を撮っていて、子供を連れて旅行に行っていたんだなあ。
思いの外妻が綺麗だったが、すっかり忘れていて、こんなだったのかと驚いた。
89年に大学時代の友人が奥さんと子供を連れて家に来て、晩飯を食べて一緒に花火をやっていたので、きっと泊まっていったのだろうが、全く記憶になく、そんあ事があったのかと驚いた。

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結婚式

2021年10月29日 | Weblog
長男の運転する車で横浜まで行き、駒寿司の前で降ろしてもらい、妻と次男と3人で久し振りの暖簾をくぐったが、若女将が直ぐに気が付いてくれて言葉をかけてくれたのが嬉しかった。
多分1年半ぶりくらいになるのに親方もイクラが喰えないことを覚えてくれていてね、時間が急に蘇ったようで、20年以上通った時間はそう簡単に失われるもんじゃないんだなあと思った。
握りの1,5を三つと燗酒を1本たのみ妻と吞んだ。
ここの寿司が当たり前だったので、家の近辺で食べる寿司が美味くなくてね、久し振りに堪能した。
妻もひどく美味いと感激してたが、閉所恐怖症で電車に乗れないために世界が狭くなっていて、可哀想だなあと思った。

タクシーで結婚式の会場の「メルパルク」まで行き、控室から外を眺めると銀杏並木が目の前にあり、ああ横浜だなあと感じたが、さらに汽笛が聴こえて来たのですっかり浜っ子の気分になっていた。
横浜に勤めている頃は浜っ子を馬鹿にしていたところがあったが、定年が近くなると急に横浜に愛着を感じた。
型どおりに両家の紹介を行い、チャペルへ行って結婚式に参列した。
これは先方のお父さんのヴァージンロードをエスコートして歩きたいという要望に応えたものだったが、やけに緊張して機械仕掛けの人形が歩いているみたいだった。
夢が実現する時は日常とは異なる時間にいるので、日常に慣れた身体がこわばるものなんだ。
きっと夢がかなってうれしかったと思うが、その喜びを噛みしめるのは後日だろう。
集合写真を撮った後に、僕と妻だけ残るように言われたが、34年前にここで結婚式をやったので、その後の夫婦を撮るサービスだった。
ちなみに2台に渡り結婚式をやると割引なるサービスがあったらしい。
屋外ガーデンで写真撮影をしたが、港の眺めが素晴らしかった。いい天気に恵まれたなあ。

披露宴では、ディエゴのカバ、フォーロングの白、ポルトガルの赤を持ち込んだので、これを中心に飲んでいた。
「揺れる思い」はあまり上手く歌えなかったが、既に場がばらけていたので、上手いも下手も無い感じだった。
お嫁さんは従兄弟と一緒に「赤いスイトピー」を歌ったが、34年前の結婚式で歌った曲だ。
2面の窓からは、氷川丸からベイブリッジまで見渡せるいい眺めだった。
やっぱりこういう席には酒が不可欠だが、25日に非常事態宣言が解除されたので、ほぼ無制限にアルコール提供がなされたので良かった。
最後に式場が提供している安いウイスキーをストレートでグラスにたっぷ持って来てもらって、実と義理の弟と飲んだ。ソムリエ曰く宝のやつで安物ですよとことだったが、やっぱり最後はハードリカーだね。

中華街の「一楽」で妻の弟夫婦、娘夫婦、息子夫婦、次男と先方のオバサンの10人で紹興酒を3本、叉焼、海老餃子、小籠包、五目焼きそば、叉焼炒飯、葱そばを食べた。
化学調味料を使わない店だが、やっぱりここは美味い。

妻と娘夫婦は妻の弟のタクシーで一足先に帰り、残りは長男の車で帰ったが、車を出してくるまで北京飯店の所で待っていたが、オバサンが一人でやっている上海点心が美味そうだったので土産に買った。
家に帰ってから白菜を敷いて蒸して長男と二人で喰ったが美味かったな。

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「揺れる思い」は難しい

2021年10月28日 | Weblog
今朝は曇っている、折角の10月がこれじゃあね。
去年も雲り空が多かったが、実際のところ湘南は11月から12月のほうが天気が安定して、いわゆる小春日和の日が多い。
この辺りは神奈川県の中でも暖かいところで、初冬のは本当に寒い日は少ないから、実はこの時期が一番いいのかもしれない。

三浦定之助の「さかな談義」は時代を感じて何ともいえずいい。
伊東の水産試験場にいたので相模湾の魚に詳しいが、既にその頃、昔の豊漁を懐かしんでいるから、今はもうどうしようもないってことか。
シャチは海のヒエラルキーでトップに位置するが、このシャチが沖で包囲網を敷くと、すべての魚が沿岸に寄り、鰯が浜に打ちあがるのは当然として、定置網にあらゆる魚種が入り、鯨も追い詰められて浅瀬で立ち往生し、一頭の鯨が七浦を豊かにしたと言われるから、シャチを神様と崇めたところが多かったらしい。
このシャチが近頃激減したので、沿岸の魚影が薄くなっているのかなあ。
先日TVでシャチが横に綺麗に並んでいる映像を流していたが、どうもお見合いだったらしく、各地で生活しているシャチのグループが、年に一度集まってパートナーを探し、気に入った相手が見つかると列を並び替えて傍らに寄り添うらしい。
どうも高度な頭脳を持っていて、近親相姦を回避している節があるね。

今朝は4時に起きてYouTubeで気になる解説を何本か聴いたが、画期的なのなかったな。
結局松原みきを景気づけに聴いて6時半過ぎに起きて、朝飯を作った。
シメジと茄子と豆腐の赤だしに三つ葉を入れ、塩鮭を焼き、茄子のオリーブオイル焼、大根の糠漬け。
JA湘南へ自転車で行き、無花果、椎茸、柿、ピーマン、大根を買った。
大根はすぐに米を入れて茹でて置いた。
昼までは母の居間で小川知子と欧陽菲菲を聴いて「さかな談義」を読んだが、どうも気儘に思いついたことをスマホで調べたりしているので先に進まない。
まあ、先を急がなきゃいけないこともないので、これでいいんだけど。

昼は冷蔵庫に残った白い飯、筍ご飯、サフランご飯を処理するために妻がチキンライスを作っていた。
卵は自分でやってと言うので、卵焼き用の銅の鍋で焼いたが、ついオリーブオイルを入れすぎて酷く脂っぽくなり大失敗だった。
大きく切ったベーコンと塩麴に漬けた鶏肉が入っていた。
アールグレイを淹れて飲んだ。

プレシネは2度目の「ホタル」高倉健と田中裕子が夫婦になって、生き残った特攻の生活を描いたものだが、特攻で出撃突入した隊員が、蛍になって戻ると言った晩に、隊員が集う食堂に現れたのが題名になっている。
舞台は知覧なので陸軍の話だが、映画の中の説明では、学徒出陣と少年航空兵が主に特攻に選ばれていたらしい。
父は海軍の予科練丙だったから、鹿屋基地勤務となったため、20年ほど前に弟と3人で鹿屋基地の特攻の記念館を訪れたが、映画で観たのと同じように壁面に突入した隊員全員の写真が貼ってあった。
確かに技量未熟で未帰還になるパイロットが多かったから、それならば最初から帰還を考えない作戦でも損耗は同じと言えるが、初期の戦果はあったものの相手も対応するから最後は突入できた着はほんの少しだった。
はっきり言ってこれは作戦じゃない、特攻を考えた大西瀧治郎は終戦と共に自刃しているが、若者を死に追いやった責任と軍人としての無能を自覚していたのだろう。

4時半に葛川沿いに大磯方面へ散歩に出かけ、5時半に帰り風呂に入った。
晩飯はふろふき大根、薩摩揚げと蒟蒻と油揚げで根菜類を煮たのとアオリイカの刺身とげそ焼きがあった。
げそ焼きは柔らかくて実に美味かった。多分烏賊が小さかったんだね。
「箱根山」を2合燗で呑み、その後ホワイトホースのソーダ割りを1杯、青檸檬とジンとソーダを2杯飲んだ。
明日は長男の結婚式だが、そこで歌う「揺れる思い」を練習した。
音痴なのでBメロの音程が掴めなくてね、不安なところがあると巧く歌えないから、その部分を繰り返し聴いたり歌ったりしたが駄目だね。

いよいよ今日は結婚式だ、出かけるまで時間が許す限り「揺れる思い」を練習しよう。

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季節外れの筍ご飯

2021年10月27日 | Weblog
夜、雨が降っていたけど、朝方上がった。
今朝は6時前に目が覚め1時間ほど音楽を聴いて7時前に起きて、残ったカレーを温めて食べた。
最近楽しみにしている「マー姉ちゃん」を観ていると、磯野家に職人連中が始終やって来て何かと世話を焼いている.
こんな情景を観ていると山口瞳の名編「さぶ」を思い出す。
山口の母親は職人を大事にしたが、例えば葬式の時に、さぶが駆けつけて来て、案内の提灯をぶら下げて道案内に立ったりしてるんだ。
昔は大工の棟梁とか出入りの植木屋とかが、何かあれば駆けつけて来て、大概の事を解決してくれた。
大工でも土建屋でも植木屋でも屈強だから、その家に出入りをしているのを見れば、泥棒や強盗も押し入るのに二の足を踏んだろうから、警備会社の役割もしてたんだろうねえ。
磯野家の末娘が迷子になったら、職人連中が手分けして探してくれた。
そういった優れた仕組みが出来ていたのに、血縁地縁を鬱陶しく思う奴らが切り捨ててしまった。
それでいて、近頃は人間関係が薄れたとか、何か事があると絆だとか言っているからちゃんちゃらおかしい。
自衛隊も日頃違憲だと存在を否定していながら、いざ災害となると何で早く出動しなかったのかと文句を言う奴がいる。
首尾一貫するなら、早いも遅いも無く、そもそも災害時の出動要請なんかするなってんだい。

JA湘南へ自転車で行き、無花果、筍、ほうれん草、柿を買った。
午前中は母の居間で欧陽菲菲と小川知子をKenwoodで聴いた。
筍は買ってきてすぐに茹でて、妻に筍ご飯を要望しておいたが、小松菜の味噌汁とホッケの干物も用意されていた。
あまり風味が無かったのは、初夏の筍の生命力に比べて、この季節のは耐え忍ぶって感じなのかなあ。

プレシネは1941年のアメリカ映画「How Green was My Valley」で、じつにいい映画だったな。
ウェールズの炭鉱の町の貧しい一家のお話だが、貧乏で苦難に耐えながらも誇りを失わない生き方が凄い。
仲間の炭鉱夫達もいいんだよねえ、そういった人間関係は、今では彼の地でも失われてしまっているんだろうか。
モーリス・オハラが綺麗だった。

4時半過ぎに次男と散歩に出て、5時半に帰って来て「箱根山」を燗して呑み始めた。
次男が珍しく晩飯を喰ったので、豆腐を湯豆腐にし、カワハギを刺身にして、肝を叩いて味噌醤油味醂を入れ、この付けだれで喰ったら美味かったなあ。
昨日の鰹の刺身が残っていたが結構喰えた、足が速いんだけど新鮮だったんだろうねえ。
次男は筍ご飯を3杯も喰ったが、冷えて味が馴染んでからのほうが美味かったのかもしれない。

僕のほうは、刺身と湯豆腐があればそれで十分なんだが、3合呑んだ。
チーズとおかきを肴にして、マルサラのレゼルバを1杯、本味醂を2杯飲み、最後の一個のスダチを見つけたのでジンとソーダで飲み、檸檬に代えてジンとソーダのカクテルを作り3杯飲んだ。
きっと明日は二日酔いだ。

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散歩の途中で墓参り

2021年10月26日 | Weblog
読みかけの本2冊が終わって、枕元に転がってた佐伯啓思の「20世紀とは何だったのか」を読み始めた。
最近2度目を読んだばかりだが、京都大学の教養課程で教えた内容で、じつに分かり易くていい本だと思う。
政治学者や社会学者になるんじゃないから、世の中のことが少し分るようになればいいわけで、それにしても今更遅いんじゃないのかと言われそうだが、仕事をしていた頃は政治・経済・社会について本来ならば良く知ったうえで会社経営をしなきゃならなかったが、多分、仕事が嫌いだったから文学・音楽・絵画などの情緒的な方面に逃げていたんだろうねえ、隠居になってみると仕事のストレスから解放され、政治・経済・社会・歴史のほうに興味が移ったのかもね。
あるいは、単なる臍曲がりなのかもしれない。
仕事を辞める前だったかな、西邊邁を知って急に世界が広がったような気がした。
この佐伯啓思も西邊の弟子筋に当たるし、西邊のグループにいた人たちのものは一通り目を通してみたが、優れているものが多かった。

この本ではヨーロッパを覆ったニヒリズムについてそれを指摘したニーチェに沿って解説しているが、近代が本質的に持っていたニヒリズムも、強引に近代を引き寄せた日本にも大分遅れて蔓延している。
ニーチェがキリスト教が席巻する前のヨーロッパに可能性を求めているように、明治維新と大東亜戦争で破壊された伝統的な文化や規範を検討吟味することで乗り越えられるんじゃないかと思う。
でも残念ながら、力不足でそこの研究をどうやっていいか分からない。
中国の影響がない頃のことは文字が無いから分からないので、中国から文字が伝来した後に著わされた「古事記」と「万葉集」にその縁を求めるしかない。
日本人でありながら、この重要な書物を自在に読みこなすことが出来ないから切歯扼腕している。
それでも去年解説書を読み、この二つの書物が身近に感じるようになったが、原書に当たってみるまでの気力がない。
最近思うんだけど、小さい頃に万葉集を丸暗記するような教育をすれば、その中から出来のいいやつが現れて、この問題に取り組んでくれるんじゃないか。
僕が小さかった頃は丸暗記の教育が非難されていてね、やれ想像力だとか個性だとか言われたけど、そんなものは小さな子供には無理で、将来それを発揮するために基礎資料となるものを丸暗記させた方がいい。

今日は昨日と打って変わって雲が多く肌寒い陽気だ。
朝、6時に目が覚めて松原みきを聴いて勢いをつけてから起き、薩摩芋とシメジと豆腐の赤だし、塩鮭、ピーマンの卵炒め、大根と茗荷の糠漬けで朝飯にした。
最後に食べてから12時間経っているので、朝飯っていうのは美味いんだなあ、杉浦日向子は朝飯を重要視していて、窯で炊いて食べていたようだが、その位の価値がある。

雨戸を開けて、マルのトイレの掃除をして、お茶を持って二階に上がって、PCの前に座り遊んでいたが、音楽は自分で作った「このみ3」を聴いた。
松原みき、ZARD、南沙織、荒井由実、森高千里、大橋純子、福島邦子、竹内まりやの特に好きな曲で構成されていて、ある意味4番バッターをズラッと馴れべているのに、個性が違うから一日中聴いていても飽きない。

JA湘南へ自転車で行き、小松菜、里芋、柿を買った。
帰ってからブラブラして、昼に台所へ降りるとカレーが出来ていた。
昨日の昼に嚙み切れなくて食えなかった和牛に筋肉を加えて、妻が昨日から熱心に煮込んでいたが、今朝、炒めた玉ねぎを加えて更に煮込んだらしい。
サラダは無いのかと言ったら、歯痛で苦しんでる時に出来るわけがないでしょと怒られ、言ってくれりゃあいいのにねえ、レタスと胡瓜で簡単なサラダを作り、お湯を沸かしてアールグレイを淹れた。
ビーフカレーは、かなりいい肉を使っているので美味かった。
妻にあまりカレーを作るなと言っているのは、カレーが嫌いなわけじゃ無く、美味いので食い過ぎるからなんだよね。

プレシネは中井貴一が伊賀忍者をやった1999年の「梟の城」を観た。
敵対するくノ一の鶴田真由は好みだなあ、でもちょっと背が低い。
まあまあ面白かった。

4時半まで昼寝をして、梅沢方面へ散歩に出た。
父の生家の墓が海岸段丘にあるので、そこへ寄ってお参りをした。
5時半に帰って来たら郵便受けに三浦定之助「おさかな談義」博品社 1995年が来ていたのでチョット読んでみた、古くさくていいねえ。
この本は昭和18年1月に畝傍書房から出た「おさかな談義」と昭和16年11月に興亜日本社から出版された単行本を合本にした445頁の大冊、今でいえば、おさかな君が書いたような本なので、実地に即した知識が披歴されていて興味深い。
先日読んだ杉浦日向子のエッセイ集に書評が出ていて、いかにも良さそうなので購入したが、さすがにいい本を読んでいたなあ。

風呂に入って晩飯を喰った。
鰹の刺身と練り物と蛸、塩麴に漬けた鶏、豆腐、エノキ、シメジ、葱が入った鍋。
酒が底を突いたのでホワイトホースのソーダ割りを2杯、マルサラを1杯飲んだ。

日本語の歌ばっかり聴いて、すっかりジャズを聴かなかったので、マリーン、ブロッサム・ディアリー、キャロル・スローンを聴いたが、久し振りだったのか酷く良かった。
9時からBSで真木よう子と上白石萌歌主演のドラマを観たが、一度観たやつだった。
お二人ともあまり好みじゃないんだけど、前回気が付かなかったが、真木よう子巨乳なんだ、と気が付いたら急に愛おしくなった。

二階に上がって2時間ほど音楽を聴いて、シャトーボーロンVSOPを飲んだ。

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久し振りに吾妻山に登った

2021年10月25日 | Weblog
今朝は4時に目が覚めて岡潔の「春宵十話」を読んで、6時前に起きて飯を炊いて朝飯を食べたのは既に書いたが、その後、10時に次男と一緒に吾妻山へ登りに出かけた。
秋晴れだったので富士山も相模湾も綺麗に観られるだろうと期待したが、はたして富士山に少し雲が掛かっていた。
だが、相模湾は潮が動いていて実にいい眺めだった。
ただ久し振りに登ったので、しかもここの所膝と踵を痛めていて足腰が弱り、喘ぎながらになった。
階段が駄目なので、登りも下りも穏やかな坂道の中里からの登山道を歩いたんだけどね。
膝は多分軟骨が減って痛いのだろう、一番有効な対処法は痩せる事だけど、隠居した時に立てた減量計画はすっかり頓挫してしまった。
あれが実行されていれば今頃20㎏は痩せていたんだがなあ、計画は変更するためにあるとだれか言ってたなあ。

昼飯は豚の生姜焼きとのことだったが、妻が豚肉をたれに漬けこんでしまったのでがっかりした。
せっかくいい肉だったのに、漬け込むと肉本来の味を損なうし焦げるから、いい肉の場合は焼いてから最後にたれを絡めるべきだ。
期待していたんだけど生姜焼きは諦めて、和牛を焼いて食べたが、これは筋が多くて喰えなかった。
確かに見た目はいい肉だけど、筋があるの分ってるなら、煮込み用で売るのが売り手の誠意ってもんじゃないのか。
仕方がないので焼売を温めて食べたが、出来合いのものなので美味く無かった。
それでも、牛肉と一緒に焼いた甘長唐辛子が思いの外美味くて救われた。
薩摩芋とシメジの赤だしを作り、大根の糠漬けを出して食べた。

母の居間に移動して小川知子を聴きながら「粋人・田辺茂一伝」を読了した。
談志は銀座・赤坂・六本木・渋谷と茂一の鞄を持ってゴチになってたわけだが、昔は年長者というだけで何から何まで奢ってくれる人がいた。
小田高の先輩と言うだけで引き回してくれた人、同郷の先輩というだけで引き回してくれた人、ただ年長というだけで引き回してくれた人がいて、カネがない若い時に多くの得難い経験をさせてもらい、本当に世話になったなあと思う。
だが、同じことを年少の人にしないで今日まで来てしまったのは、人間としてのモノが違うからなんだなあと思う。

凄く眠くなって3時に2階に上がり、ベッドで横になって音楽を聴いていたが眠ったようで、気が付いたら辺りが薄暗かった。
二日酔いと久し振りの吾妻山で思ったより疲れていたんだね。
近頃、急に体力が落ちて疲れるようになったが、自分の年齢をようやく実感している、良いことだ。
「春宵十話」を読了して、今日は読みかけの本を2冊読了した。

ゆっくり風呂に入り、晩飯を喰った。
妻は相変わらず親知らずが痛いらしく、真っ当な料理を作れない。
そこいら辺にある野菜と塩麴で漬けた鶏で鍋を作ってあったが、これが美味くなかったなあ。
言ってくれりゃあ、もうチョットましなのを作ってやったのに。
刺身はショゴ、最近ショゴと鰹ばっかりで食指が動かないんだけど、美味いって言うとそればっかり出すから困るんだ、だから迂闊に今日の料理は美味かったよと言えない。
次男が珍しくやって来て晩飯を食べたので、食べてもらった。
炒り銀杏とチーズで「甲子政宗」を2合燗して呑み、その後「天鷹」を1合燗して呑んだら酒が底を突いた。

7時から「映像研には手を出すな!」を観た。
以前、夜中にやっていて愉しみに観ていたが、久々に浅草みどり、金森さやか、水崎ツバメのトリオを観られて嬉しかった。
これ傑作だ。
3人とも芝浜高校1年生、芝浜というからには、作者は落語の世界の住人を想定してるんだろうね。

この後観るべきTVも無く、というより嘘垂れ流しの情報番組と白痴化番組ばかりだから、なるべく観ない方がいいんだけど。
2階で調べ物をしながらテレサ・テンを聴くが、やっぱり名曲が揃ってる、このCDが1,000円で買えるんだから、日本は高度な文化国家であるのに、TVがそれを台無しにしてるねえ。

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軽い二日酔い

2021年10月24日 | Weblog
昨夜比較的暖かだったので雨戸を〆ず寝たが、4時に起きたらやっぱり寒かったので暖房を点けた。
夏には熱中症が想定されるので躊躇なく冷房を点けろとTVでやっているが、秋も深まったら躊躇なく暖房を点けるように喧伝したほうがいい。
人間寒いのが一番身体に悪い、寒さで死ぬのは血管系統の病気かな、とにかく寒くなると死者が増える。

5時前まで岡潔を読んでいたが、昨日から妻が親知らずの具合が悪くて炊事をしていなかったのを思い出し、慌てて起きて米を研いで早炊きにした。
土鍋で炊いたほうが美味いけど、みそ汁と炒め物でガス台が占有されるので炊飯器にしたが、やっぱり美味くなかったな。
それでも30分で炊きあがるから、その間に料理をしたり、雨戸を開けたりとちょうどいい時間なんだ。
シメジと椎茸とエノキに茄子を加えて赤だしで味噌汁、ホッケの干物、甘長唐辛子とピーマンの卵炒め、納豆、胡瓜の煮家漬けで次男と二人で朝飯を食べた。

「新日本紀行」再びは井波の木彫師をやっていたが、今では欄間の需要が減り、木彫師の成り手が居なくなっているが、寺社からの注文があり存続している。
「黄金の日々」は栗原小巻だけしか出なかったが、痩せたのか若い頃より壮絶な感じの美しさで良かった。

二階に上がり渚ゆう子を聴きながら北の空を眺めているが、雲一つない秋晴れじゃないかな、他の方角を観ると雲があったりするけど、空の青が高いからきっといい天気だと思う。

昨日は、妻の親知らずが暴れていて具合が悪く、昼は出来合いの弁当とカツサンドを買って来たのでそれを食べた。
とろろ昆布汁を作って弁当を、アールグレイを淹れてカツサンドを食べた。

夜も何もしなくていいようにと、小田原の鰹の柵、練り物2種、豆腐を買ってあった。
鰹は刺身に切って、練り物は出汁で煮て、春菊を入れて食べ、鍋に隙間が空いたところへ豆腐を入れて食べた。
鰹は血合いが多かったが鮮度が良く絶品だった。
練り物の煮物は妻が作るより美味かったなあ、特に春菊は味を引き締める。
後で起きて来て食べた妻も美味いとお代わりしてた。
「甲子政宗」を2合徳利で燗して呑み、次の1本で銀杏を炒って呑んだ。
酒はある程度呑むと飽きるので、チーズを出してスダチを絞りジンとソーダを足して2杯飲んだ。

その2杯目を持って母の居間に移動して、「松田聖子40周年記念番組」を観た。
初期の頃、作曲に携わった財津和夫が出てきて、次に大瀧詠一と組んで「風立ちぬ」を提供した松本隆がでて、新たな作曲者として組んだユーミンが出て、最後に、ニューヨーク進出の時に写真を撮った篠山紀信が出て話をした。
同時代に聴いて知っていた曲は「青いサンゴ礁」だけで、ユーミン(呉田軽穂)の曲は大分後になって聴いたと思うが、87年の結婚式では「赤いスイートピー」を歌ったから、少なくともこの曲はその当時に知っていた。
最近では土岐麻子が歌っていた「小麦色のマーメイド」(呉田軽穂作曲)をいいなと思ったが、松田聖子が歌った曲だとは知らなかった。
当時はぶりっ子で、僕のような知性があると勘違いして気取っていた男は歯牙にかけなかったからね。
最近、ZARDを聴くようになって、坂井泉水の本名は蒲池幸子なんだけど、松田聖子の本名が蒲池法子で、この蒲池というのは九州北部の氏族で、縁戚なのかなあと思って調べた。

10時に番組が終わり、そのまま母の居間でKenwoodで門あさ美を聴いたりして零時まで過ごした。
酒4合弱、スダチダブルジンサワーで2杯で止めておいたが、ここのところ飲み過ぎが続いているせいで内臓が弱っているんでしょう、今朝は軽い二日酔いの感じだ。

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ししまいナイト

2021年10月23日 | Weblog
昨夜は1時間ほど寝て零時過ぎに目が覚めて、それっきり目が冴えて眠れず、杉浦日向子のエッセイを読み切り、日野美歌の「横浜フォール・イン・ラブ」を繰り返し聴き、柏原芳恵ちゃんのカヴァーアルバムを聴いた。
まあ、9時過ぎからウトウトしていたし、朝方もウトウトしていたからそんなに眠くはないけどね。

6時半過ぎに起きて台所へ行くと、昨日の晩飯のちらし寿司が残っていて、酢飯の所を取り分けて好物の稲荷寿司を4個作って2個食べ、ちらしもレンジで少し温めて酢を振りかけてたべたら喰えたね。
味噌汁はシメジと豆腐と三つ葉で赤だしにした。
ガリとほうれん草の胡麻和えもあり、けっこう寿司を喰っちゃったのでやっぱり寿司が好きなんだねえ。
妻とは食い物の趣味はほとんど合わないが、寿司だけは合う。

今朝は雨が降り続いていて、予報も冬のように寒いってことだから、「氷雨」の世界だねえ。
夜半に何度も聴いたので、自然にメロディーが体の中を流れてたね。

小雨の中を自転車でJA湘南へ向かったが、思いの外寒くて途中で引き返し小磯の農家の直売所へ向かい胡瓜を買った。
妻が変な料理を作るのに、胡瓜と人参の糠漬けが必要なので糠床を貸してくれと云うので貸したが、漬けっぱなしで1週間以上そのままで糠の具合が随分悪くなってきてる、引き上げるように言ったが一向にその気配がないので、手を入れて新たに胡瓜を漬けこむことにした。

二階で音楽を聴いていると暢気に妻がやって来て、Twitterでイナリヤトのワインが、小磯のラーメン屋で午後3時から「ししまいナイト」で販売されるとのことで、そこへ出かけて飲み食いしようと言う。
それじゃあ早めに軽く昼を喰おうと言ったのに、それからマサに買い物に出かけたので帰ってきたのが昼を随分過ぎていた。
レトルトのおかゆを食べることが決まっていたが、おかずとしてスミヤキの煮つけ、小烏賊と里芋の煮ものを作った。
それが出来るまで、茹で栗、焼銀杏を食べ、最初に出来たスミヤキを食べ、次に出来たお粥に搾菜を刻んで入れ、今年漬けた梅干しで食べた。
食べ終わった頃、小烏賊と芋煮が出来てきたので食べたが、赤芋はやっぱり美味かった。

プレシネはジョン・ウェインが3枚目、ジェームス・スチワートが2枚目を取る1962年の「The Man Who Shot Liberty Valance」で、開拓時代も末期、西部が腕力から知力へ変わる頃のお話だった。
キャラクターの造形のメリハリが効いていて面白かった。

3時過ぎに次男が帰ってきて、妻は一緒に連れて行くと考えていたが、そんな事ばっかりしてたら飲み過ぎ食い過ぎになるから行かないと言う。
最近、色々新しい料理を作るのはいいけど肉料理、揚げ物、濃い味で如何にもカロリー過多のものばかり、体型維持に気を配っている頼みの次男にそっぽを向かれることが多かったのだ、そして今日随行を拒否された。
痛いところを突かれたねえ。
それでもメゲナイところが妻の凄いところで、僕を連れて車で出かけたんだよね。

「ししまいナイト」のラーメン屋へ着くと、ラーメン屋のメニューは喰えないって言われ、すごくガッカリした。
大体「ししまいナイト」が何であるのか分かっていなかった、獅子舞が披露され、そこでワインが供されるのかと思っていたのだ。
もう大分前からここのキャベツの入った拉麺を喰いたくて何度かトライしたが、休みの時に当たって食べたことが無かったのだ。
昔は「高橋ストアー」と言ってSMだったところで、その後、パン屋が週に何日か引き売りをして、ラーメン屋が入ったのだが、後で手伝いをしていたそのラーメン屋の女将に訊いたら、もう10年以上前からやっていたと言うので、何時もながら時の経つ速さにぶっ魂消た。
「ししまいナイト」は今回が初めてで、ラーメン屋を2時に終わりにして3時から小磯に住む若い人が主催して、イタリアンシェフと2人で料理とワインを提供するとのことで、イナリヤトのディエゴのカバ、南仏の木樽風味のシャルドネ、カタロニアのテンプラーニージョをグラスで提供していたのだ。
前菜サラダ5種の盛り合わせとソーセージ、最後にカツオのたたきを食べた。
妻は運転で飲めず、というよりここの所親知らずが痛んでアルコールを飲めないらしい、僕は白でサラダとソーセージ、赤2杯でカツオのたたきを愉しんだ。
ソーセージは手作りで、プレーンとトマト入りで美味かった。
妻はハムと叉焼を作るがソーセージを全然作らないので、シェフにソーセージ作りのポイントを教わった。
肉、脂、氷を8:1:1にして混ぜること、腸に詰めた後皮を乾燥させること、この2点が重要らしい。
「ししまい」の女将は「花水ラオシャン」の娘で、この店は昔をたどると駅前に在る「ラオシャン」2店の暖簾分けだったらしいが、今は全然別経営で「花水」を頭につけて商標登録もしたらしい。
多分、何度も説明しているんでウンザリなんだろうけど、お客が一番気になっているところなので、諦めてもらうしかない、でも、すみませんでした。
海沿いにあるけど出は公所で、そこはうちの墓へ行くバスの乗り換え地点だったのでよく知っており、懐かしくて話が弾んだ、そうなると「花水ラオシャン」でタンメンが喰いたくなり、混む前にと急いだが、どうしても駐車場が見つからず店の周りを3周して諦めた。

妻が娘に晩飯のおかずを渡すので「マーリ・モンターニャ」に寄った。
カップルのお客が来てワインを飲んでくれていた。
わざわざ真鶴から来てくれたらしい、有難いねえ。
ピエモンテのバルベーラとブルゴーニュのピノを飲んだ、つまみはリーさんのカンパーニャ。
妻が買い物をして、小一時間で切り上げ「杉本」に行ったが生憎の休み、帰り道の「AGATA」も休みだったので、諦めて家に帰り出汁を引いてうどんを食べた、お揚げと三つ葉とほうれん草を入れたので中々豪勢なうどんだったね。
有機純米「天鷹」を呑んだからすっかり出来上がり、8時に2階に上がって中原めいこをかけて横になったらそれっきり眠ってしまった。
寒いので目が覚めたのが9時、毛布を持って来て暖房を点けて眠り、次に気が付いたのが零時で、4時間寝たのでそう簡単には寝られない。
YouTubeで気になる番組を10本ほど視聴して、2時からは「横浜フォール・イン・ラブ」を聴きながら立川談志の田辺茂一伝を読み始めた。
4時半ころまで断続的に読んでいたが、そのうち眠ったらしい、目が覚めたら7時半だった。

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「冷や」と「冷酒」

2021年10月22日 | Weblog
今朝は5時に目が覚めたのかなあ、6時半過ぎまで音楽を聴いて起きた。
朝飯はシメジと豆腐と三つ葉の赤だし、茄子のオリーブオイル焼、もつと野菜の煮込み、茗荷だったので比較的カロリーは少なかったんじゃないかな。

9時半過ぎにJA湘南へ自転車で行き、無花果、栗、ジンジャー・オレンジを買った。
ジンジャーは割ともたないんだけど、香りがいいからあると買ってしまう。
白のほうが香りが強いが、香りが強過ぎて台所には置けない。

午前中はタンスの夏物を仕舞い、納戸から秋物を出してきたが、半袖シャツはなんと30枚もあって半分以上はこの夏一度も袖を通さなかった。
ポロシャツも15枚ほどあって半分は着なかった。
一番意外で驚いたのがショートパンツで、何と20枚もあった、もちろん半分以上は穿いてない。
Tシャツはローテーションして寝間着代わりにしていたので15枚は着たが、毎日2,3枚着たので、選択の頻度が高く、夏の日差しでボロボロになってるのが多い。
まあ寝間着代わりにも着るから、穴が開いても襟が擦り切れても構わないんだけど、日差って繊維をすごく劣化させるねえ。
羽根布団を使っているが、これを天気がいい日に干していたら、カヴァーが弱って切れてしまった。
取りあえず秋物と思しきものを引っ張り出してきたが、冬物が衣装ケースに4本あるから、もうこれ以上タンスに入らない。
安物ばっかり沢山買ったからこういうことになってしまったが、Tシャツ、靴下、パンツ以外はもう死ぬまで買わなくてもよさそうだけど、そうなると詰まらないなあ。

昨日妻が時間をかけてジャガイモのポタージュスープを作ったので、昼は芦の屋でパンを買って来てサンドイッチにして食べた。
先日、小田原でアールグレイを買って来たら、妻も買って来てあり、そいつが棚に積み上げてあるんだけど、空缶をお茶の保存に使っているから同じ缶が10個以上積み上がっている。
一番上のがそれだろうと思い、そいつを開けて淹れた。

プレシネは1983年アメリカ「Uncommon Valor」で面白かったな、ヴェトナム戦争で撤退の時に間に合わず捕虜になっている息子の居場所を10年かけて突き止め、ラオスの北部へ奪還にい行くんだが、息子の戦友に声を掛け、訓練をして救出に向かうも、戦死者を出し、アメリカ兵捕虜4人を解放したが、息子は既に病死していた。

4時半に大磯方面に散歩に出た。
新宿橋で上流に飛翔する翡翠を見たが、夕暮れ時で鮮やかな色を見られなかった。
風呂に入って少し休んでいると、妻が飯が出来たと迎えに来た。
昨日、鰻のかば焼きと海老を買って来て、今日はちらし寿司にすることになっていた。
寿司飯ってやつは食が進み、かなり喰ってしまってから酒を吞むのを思い出した。
トッピングされている蒲焼と海老を摘まみながら「夜明け前」を冷やで呑んだ。

杉浦日向子のエッセイに、「冷や」って頼むとギンギンに冷えた酒が出されるが、それは「冷酒」で、「冷や」は常温だとあったが、全くその通りで、もはや日本では日本語が通じないとガッカリすることしばしば。
「燗」って頼むと、「熱燗ですね」と答えるオネエチャンがほとんどだが、「ぬる燗」でとお願いしても、酷く熱い酒が出て来ることが多い。
夏のある日、高名なスペインレストランで赤ワインをたのんだら、オネエチャンが生ぬるいのを持って来たので「冷やしてくれ」って頼んだら、「赤は常温です」とツンとして答えたのに驚いた。
ヨーロッパの人達の常温は大体15℃から18℃のイメージなんだね、30年以上前の冬、アルマニャックのメーカーで昼飯をご馳走になったが、赤ワインのボトルを暖炉の前で温めていた。

ほうれん草の胡麻和え、生姜の甘酢漬け、沢庵、チーズなどがあり、スダチ+ジン+ソーダとスダチ+ブランデー+ソーダを飲んだ。
途中で今年初の銀杏を炒って食べたが、初物は美味いね。

しつこくなりそうだったが、ストーブの季節だと燗をしながら炒って、呑んでは食べるのでキリが無い、辛うじて切り上げ2階に上がり、田村英里子、田村直美、佐藤奈々子を聴いた。

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