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キュヴェ タカ/cuvee taka 「酔哲湘南日記」

新鮮な山海の恵みを肴に酒を吞み、読書、映画・音楽鑑賞、散歩と湘南スローライフを愉しんでいる。 

関内・桜木町・辻堂

2018年01月30日 | Weblog
薬が効いたのか10時間睡眠が効いたのか、胃の具合は悪くない。
全快とはいかないので朝飯は控えめに食べた。
おでんが大量に残っていたので温めて、海老芋2ヶ、大根2ヶ、黒はんぺん、鰯つみれをいただいた。

今日はツウファーと中性脂肪の薬が切れたので医者に行かなきゃいけない。
麻薬じゃないから禁断症状が出るわけでもないが、横浜へ行くいい機会なんだ。
9時半二宮発の東海道線に乗ったが混んでいた。
10両編成で最後まで行くので、車掌も車内放送でこの電車は混むので云々と放送していたが、現場が分かっているんだから本社がその情報を引き上げて15両編成にして混雑を改善しろよ、と言いたい。
大磯でオネエチャンが降りたのでボックス席に座ったが、平塚と茅ヶ崎で前の席に和服の女が続いて座った。
目の前の女はブスだったが、右斜め前の女は美人で眺める価値があった。
正月は和装で出掛ける機会が多いのだろうか、姿の美醜を問わず中々いいものである。

大船で根岸線に乗り換えて関内まで行き、さくらクリニックへ行き受付を済ませ、桜木町へ向かう。
郵便局の隣で「駒」の親方に声を掛けられた。
美濃屋へ行き、母の依頼の煎餅を買い求め、さくらクリニックへ戻る。
最近流行っていて今日も小1時間待ちだったが、車先生曰く月末は空いていて昨日今日は暇なんだとのこと、医者が商売繁盛ではストレートには喜ぶわけにはいかないだろうが、人柄ゆえの人気なんだろうね。

平安堂薬局に処方箋を置き「駒」に行くが空いていた。
雪が降ってから客足がばったりで、カウンターの好きなところに座ってと言われ、職人の目の前に座り握るところを眺める。
寒くなるとどうしても温かいものを喰いたくなるから、僕も横浜へ通っていた頃は寒い日に寿司屋に向かった足が途中から蕎麦屋へ向いたことが何度もある。
胃の具合を考慮して握りの1.5人前を諦め、量が普通のチラシを頼む、刺身は鮪、蛸、鮃、帆立、〆鯖、それにアラの味噌汁、茶碗蒸。

平和堂で薬をピックアップするが、何時ものように数量不足で送りとなる。
TJLの前に時間があったので、芳林堂、有隣堂で新刊のチェックをする。
文庫で買うべきものがあったが、何処でも買える本なので近所の本屋で買うことにする。
JRAに向かったが改装のためTJLは3月まで休みと貼り紙があった。
知人からまた4月にTJLで会いましょうと年賀状をもらった意味がハッキリと分かった。
ちょっと予想はしてたんだけどね、ガッカリだった。

伊勢佐木町BOに行き、本を眺め2冊を購入。
マイク・モラスキー「ひとり歩き」幻戯書房 2013年
この人の「呑めば、都」を一昨年の台湾旅行の折に面白く読んだが、白人の勤勉さ生真面目さと居酒屋ってのは何故かよく合うんだな、サインデスデッカーも同様だったが、現役にマイク・モラスキーがいることを知って嬉しくなった。
ジャズについての本が文庫化されて最近出ているが、それはまだ買っていない。

葉室麟「古都細見」新潮社 2017年
最近の作家の動向をほとんど気にしてないので、巻末の著者紹介を観るまで、この人が直木賞作家であることを知らなかった。
少し中を読んでみて木屋町辺りの小料理屋に入って呑む場面があり、いいなあと思い買った。
家に帰って詳しく調べてみると「蜩ノ記」で直木賞を取っていて、その映画を観たことがあるのを役所広司、岡田准一、堀北真希、原田美枝子の配役と粗筋を観て思い出したのだが、その結末と何処でみたのかが思い出せない。

関内から大船に出て、辻堂で降りてBOに行く。
前回に買いそびれた本があり、未だあれば買おうと思ったが跡形もなかった。
「欲しい本は見かけたときに必ず買え」が鉄則だが、度々それを忘れ失敗する。
かわりに思わぬ掘り出し物に遭遇した。
亀和田武「ホンコンフラワーの博物誌」本の雑誌社 1987年
亀和田武2冊目の雑文集、僕が結婚をした年に出た本だ。
だから何だってことはないけど、もうそれから31年も経ってるんだ。
面白そうな本が3冊手に入ったので、そそくさと家に帰ってきた。

ホットココアを飲んだり、ヨーグルトを食べてくつろいでいたら、母が病院から帰って来たので、一緒に美輪明宏のテレビ番組を観る。
若いころは痩せていて魅力的だったが、「私は人の裸を見て、その先の魂の品格を観ているので、権威なんて何とも思わない」と言って怖いもの知らずだったので、川端康成や三島由紀夫に田舎出の東京を恐れない生意気な奴だと思われていたらしい。
2階に上がり、晩飯まで新たにアップされた西部邁の追悼番組の動画を観る。

晩飯は先日「今日の料理」で栗原はるみが紹介した蕎麦大根を娘に見せたが、それを作っていた。
栗原はるみは豚肉に三枚肉を推奨していたが、我が家ではそれに加え肩ロースの薄切りも使い、大根、豚肉、芹以外余分なものは入れないほうが美味いとの栗原説に逆らってエノキも入れていた。
確かにこの鍋は絶品だと思う。
大根がくどくなりがちな鍋をさっぱりさせ、いくらでも食べられるので腹もくちくなり、それでいて食いすぎた感じがしなくて済む。
栗原はるみは新しい料理を考えるときに、今までにない素材の切り方を考えると言っていたが、これは凄い発明だと思うね。
当家の悪癖で大量の豚肉を使っているので、汁に旨味が濃縮して出ていて、饂飩を入れて食べ、そのあとおじやにして最後の一滴まで堪能した。
食後は娘がタイで収穫して家で焙煎した珈琲を二種類飲んだが、味わいがハッキリしていてそれでいてマイルドで中々美味かった。
1年前に僕も収穫をしたが、あの山岳地帯の冷涼な気候が酸味を生んでいるのだろうか、しかし凄い雨季があるので黴系の病気の発生があり心配なんだけどね、はたして産業として成り立つのだろうか。
最後に飲んだミャンマーのお茶も美味かったね。

TVでは、「イッピン」で珠洲焼をやっていたが、窯の口をふさぎ空気を遮断することで、窯内にCOを発生させ、粘土に含まれる酸素と結合させることで、酸化鉄を還元して黒い色を作り出しているとのこと、その素朴な平皿に肴を載せて酒を呑んでみたいなあと思ったね。
そのあと「世界街歩き」でサルディーニアをやっていたが、島なんで漁師が多く、男だけでバーに集まって呑んでいていいなあと思ったね。
街の男の社交場って今の日本には無いねえ、ああいったのが二宮にあれば入りびたりになるんだがなあ。


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野菊の墓

2018年01月30日 | Weblog
昨夜から胃の具合が悪かったが、朝方胃痛がひどくて目が覚めてしまった。
二三日ヨーグルトを食べなかったので、善玉腸内細菌の割合が減り腸の調子も良くないのだろうが、昨日の朝食べた天綴じ丼の飯が玄米だったので、丼物は飯をかっこむので胃に負担がかかり、おまけに夜コニャックとカルバドスをストレートで飲んで追い討ちをかけたんだなあ、起きるのも辛かったが、僕が起きないとヘルパーさんが閉め出されるので、雨戸を開けて風呂に入り温まった。

母の朝飯、お粥、柳葉魚、白菜漬け、プリンを用意して出し、僕のほうはヨーグルトを食べた。

身体全体がだるく胃が締め付けるように痛いので、2階のベッドで日向ぼっこをしながら横になったら眠ったようだ。
妻が昼は家族で「あがた」へ行くと誘われたが、僕はやめておくから白粥を作っておいてくれとたのんだ。
日本の名随筆「釣」開高健編を読む。
昨日、この随筆シリーズを少し整理していたが、この「釣」は3冊買ってしまったようで、僕はやっぱり釣となると見境なくなるのかなあ。
今までに色々なことをやって来たが、自分から積極的にやりたいと思ったのは釣だけだったからね、あとは嫌々やっていたことが多かったので、若いうちに釣と巡りあっていたら、これを職業にしたのにと残念に思ったくらいだからね。
あたしと釣とどっちを取るのと女に言われ、釣を取って女に呆れられたことがある、内緒だけどね。

井伏鱒二の「釣人」を読んだが、友釣りの師匠佐藤垢石、笛吹川での師匠矢崎さん、河津川での師匠かわせみの親父さんの話なのだが、井伏のとぼけた感じと達人とのやり取りがすこぶる面白い。
だが、釣随筆ばかり読んで代表作の「黒い雨」を読んでいないなあ。
わざわざ初版本を探して、30年も前に、今はなき二宮の古本屋で買ったのにね。

1時からプレシネで「野菊の墓」があり、小学校高学年の頃、母に連れられて平塚の近代書房へ行き、生まれて初めて買ってもらった文庫本が、伊藤左千夫の「野菊の墓」新潮社文庫であった。
そのためこの本や映画には格別の思い入れがあり、さらに大学の学部はこの小説の舞台となった所に建ってもいたので因縁が深い。
ちなみにこの映画は原作として集英社版のを使っている。

愛し合っている二人が従兄弟同士で、しかも女の民子が2つ歳上ってんで、生木を引き裂くように別れさせられ、民子は他所に嫁に出されるが恋の病で死んでしまう。
恋愛小説ってのはこのパターンしかないのだが、分かっていても涙なしには読みきれない。
生木を裂くようなことをしたらろくなことにならないんだから、添わしてやりゃいいが、それじゃあ小説にならない。
民子役の松田聖子が死んだときに握り締めていたものを、親父役の愛川欣也が見ると、政雄からの手紙と竜胆だった。
家族が皆出払っていたからいいようなものの、ここで涙が流れて止まらなかったね。
澤井信一郎、ジジイを泣かせるんじゃないよ。

「野菊の墓」「伊豆の踊り子」「潮騒」は、繰り返しエポックメイキングな新人女優が出ると撮影されたが、最近は若い人達が純愛の切なさを味わう前に、肉欲の快感を知ってしまうので撮られないのだろう。
AVも悪くないが、情緒に訴えて涙を流す作品はなく、せいぜい潮が噴くのを観るだけだ。

1時間半の映画だったが、このくらいから2時間くらいの長さがいいね、それ以上長いと飽きる。
2階に上がると未だ日が差し込んでいて暖かく、日向ぼっこをしながら、島村利正、葉山嘉樹、今西錦司、森秀人、中山善三郎の釣随筆を読む。
最後の中村は毎日新聞社記者で釣り堀のへら鮒に凝っていて、毎日のように釣り堀に通い3か月後遂に尺鮒を仕留めた。
僕の知人にも毎日新聞の記者がいるが、原稿を送れば出退勤自由でワインの研究をやっている、新聞社はいいねえ。
へら鮒釣はやったことがないが、この随筆は釣師の葛藤がよくでていて面白かったな。

妻は昼中華に行って大量に食べたらしく、晩飯はおでんだけだった。
昨日買った海老芋を入れてくれと頼んだら、下茹での手間が嫌で渋っていたが入っていたので少しだけ食べてみた。
ホクホクとしてねっとりした感じもあり美味かった。
黒はんぺんとつみれも食べたので、昼のお粥の残りに卵を入れて食べたが、少しだけ食べて残した。
胃の具合が悪いと詰まらんねえ、人生の楽しみの多くは食べることと寝ることだが、寝るほうは最後に大いなる眠りにつくから、そこにクライマックスがあるんだろうけど、食べるほうは十代に丼飯を何杯も際限無く食べられるときがクライマックスで、それを何時までも追い求めてるところがある。
何処其処の何が美味いなど言い出すのは、生のエネルギー減退の証だね。

飯のあと母のところへ行き少し話をして8時には2階へ上がって横になったが、時々目が覚めたように思うが6時20分に完全に目が覚めるまで休むことが出来た。
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赤報隊

2018年01月29日 | Weblog
朝5時に目が覚めたが、南側の窓のカーテンを昨年暮れに替えて薄いもにしたので、寒さが忍び込んでくる度合いが増えた。
窓から50㎝ほどのところに頭があり、ベッドについていた板を外してあるので、冷気が直接やって来てかなり冷たい。
その分日中は日差しが直接当たり好都合なのだが、頭寒足温と言っても限度があるだろう、脳溢血、脳梗塞のことが頭を過り、毛糸の帽子でも被って寝た方がいいのだろうかと思案した。

今朝も風呂の窓が凍りついていたが、吾妻山に登っていたら雪がちらついた。
昨日までと朝晩の寒さは同じだが、日中の天気はまるで違って寒かった。
だが、昼を食べて2階に上がり横になったら日が差し出し、急に暖かくなり春めいた。
日の光の恵みは大変ありがたいものだ。

朝飯は昨日の天婦羅を卵で綴じて丼にし、浅蜊の味噌汁、白菜の漬け物で食べる。
散歩は中里口から吾妻山に登ったが、天気が悪く富士山は見えなかった。
それでも相模湾は穏やかで船がたくさん出ていた。
駅裏に降りてJAに寄り、蜜柑、菜花、海老芋を買う。

昼は昨日の馬鈴薯のポタージュスープにペンネと菜花、ベーコンを入れて食べ、紅茶を飲んだ。

午後は前述のように、2階で横になって食休みをしていたら日が出てきたので、日向ぼっこをしながら本を読んだ。

昨日さぼったので、今日は本の整理を1時間ばかりやった。
ベッドの足元に積んである本の山が低くなり、向こうが見渡せるようになったので晴れ晴れとした気分である。

4時半になったので相撲を観る。
遠藤が上手く相撲を取ったが栃の心とは勢いが違ったね。
鶴竜はどうにか勝てたのでほっとした。

晩飯に妻が焼売を作り出したので、風呂に入り、出来上がるまで2階で本の整理をした。

「箱根山」をチロリで燗にして、焼売と豚肉の水炊きを肴に呑んだがチロリ2杯で終わり、「松竹梅純米大吟醸」に変えた。
「箱根山」の2杯目は上手い具合に燗がつき、フルーティな風味が出て美味かったなあ。
「松竹梅」もぬる燗にして呑んだら割りと良かった。
酒はぬる燗に限るが、ワイン同様新しい酒は開けて少したってからのほうが美味いのかも知れない。
酒に飽きたので、落花生とチーズ、アーモンドなどを出してコニャック、カルバドスを飲む。

娘が帰ってきたので、そのまま台所でNHKの赤報隊の番組を観ながら飲んだ。
鈴木邦男が出てきて自宅でインタビューを受けていたが、質素で雑然と本が並んだ部屋だったが、足の踏み場もない状態ではなく、年に300冊読了するというが、読んだものは処分しているんだなと思う。
赤報隊と名乗る男と会って話をしたことがあるが、まあ当然のことではあるが、誰とは言えないと答えていた。
だがこの番組構成では右翼の思想が伝えられていないし、そもそも解釈が間違っていて、取材が甘く、基礎的な勉強不足もあり、偏向報道の誹りを免れないだろう。

娘に珈琲をたのみ、母の居間へ行き「平成細雪」を観る。
美人四姉妹はそれだけで華やかでいいねえ、AKBは48人も居るから若い男の子には堪らないんだろうね。
オジサンには銀座のクラブがあるけどね。
男はタイプの違う美人が選り取り見取りってのが種族保存本能を満喫させるんだなあ。
だが、近頃セクハラで女性からの訴えが多いけど、自然界では牡が牝に対して、謳うにしろ踊るにしろ、身体に擦り寄るにしろ、牝の気を惹く種固有のルールがあり、牝の判断で受け入れるか拒絶するか決めるが、拒絶された牡は牝に危害を加えることなく去る。
人類は社会的なルールや規範が複雑に絡み合うから、こう単純にはいかないが、セクハラにならない求愛のサインを決めて、女性に可否を判断させ、否定されれば諦めることにすれば女性が嫌な思いをしなくて済むと思うけどね。

ドラマの最終回のほうだが、四女の妙子が恋人に死なれ髪を切るが、その後のシーンにロングヘアーで出ている。
監督の撮影の手順が破綻してるんだけど、フィクションであっても白けるね。



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西邊節を観る

2018年01月28日 | Weblog
今朝も窓が凍りついていたが、今は日が当たりポカポカして暑いくらいだ。
2階のベッドに横になって日向ぼっこをしていると読書どころではない、どうしてもこの気持ちのよさに文字を追うことができなくなり、目が開けていられない。
この時間帯はマルが下の廊下のソファで丸くなっているが、ヤツの気持ちが良く分かる。

朝はPCに向かい書き物をしてから10時半に北へ向かって散歩に出た。
80代の友人と電話で話しながら葛川べりに佇んで川面を何気無く見ていたら、翡翠が翔んできて向かいの枝に止まった。
火曜日に大和で呑む約束をして電話を切って眺めていたら、糞をし、左右眺めた後川面目掛けて突っ込んだ。
だが獲物は無かった。
元の枝に戻らず、そのまま川上に翔び流れ込みのほうへ行き、枝に止まったはずだが姿を見失った。
背は鮮やかな青、腹はオレンジの美しい姿は、見かけると得した気分になる。

JA湘南には11時過ぎに着いたので目ぼしいものが無かったが、蜜柑と梅干を買った。
時間が遅く客も居なかったのでレジのオバサンとしばらく話をした。
僕より少し上かと思っていたが喜寿だと聞いて驚いた、酒も煙草もやらず、旅が趣味で日本国中回ったが、海外は中国で怖い目に遭ったのでもう行きたくないと話した。

WAKWAKへ回り、原木椎茸とわさび菜を買う。
西友で広島の牡蠣を買った。

葛川の桜並木の下を歩きながら札幌の友人に電話をした。
今年69歳になるとのことだが、未だ元気に働いている。
ワインが好きで仕事が生き甲斐だから、仕事を辞めたら一気に老け込むだろう、僕のように仕事嫌いだと時間をもて余さないが、彼の場合は動ける内は仕事をしていた方がいい。
その内札幌に行きますからと電話を切った。

帰りに山下の前を通ったらすごい行列で、この店の人気のほどは大したもんだ。
2年前の開店当時は、通り掛かると良くパンを買って帰ったが、この行列を見ると買う気が失せる。
しかし、二宮で若い人が新しく店を始めても中々成功しないが、こうやって流行っている店を見るのはいいもんだ。
良いものを作れば売れるんだから、後から若い人が続けばいい。

昼飯は妻が昨日から天丼にすると騒いでいたが、牡蠣を天婦羅用に買ったので塩で洗って笊に並べて、出来上がりを母の部屋で蜜柑を食べながら待った。
天丼のたねは、海老、鳥笹身、牡蠣、平茸、椎茸、蓮、獅子唐、かき揚げで、それに山牛蒡の漬物、浅蜊の味噌汁でいただいた。
牡蠣、椎茸、蓮が特に美味かった。

日向での居眠りから目を覚ましたのは3時半だった。
ぼんやりした頭で西部邁の「破壊主義者の群れ」を読みだした。
題名から価格破壊、人事破壊などの蛮行について、歴史と伝統による慣習により出来た財産を一夜にして壊すことへの警鐘と、予想可能な社会があって初めて社会の安定があると書かれていると想像できたが、分かっているなら何故読むのか。
年寄りは同じことを何度も繰り返さなければ覚えられないし、理解も深まらないのだから読むにしくはなしということだ。

だが意気込みとは裏腹に瞼が閉じて再び起きたら5時だった。
あわてて起き上がり雨戸を閉めて相撲を観る。
しかしまあよくぞ4時間近くも眠られたものだが、気が付かないうちに疲れが蓄積していたのだろうか、お陰で本の整理が進まなかったではないか。

相撲は栃の心がすんなり優勝を決めて、鶴竜が高安に負けた。
勝負の世界は厳しいが、場所中に反省などしてはいけない、その様子が鶴竜に見えた。
ここ数日、栃の心が風呂から上がり、若手と報道陣に囲まれて国技館から春日野部屋に歩いて帰る姿を高いところのカメラが捉えた映像を流している。
初春の江戸の風情を少し感じて中々いいもんだ。

晩飯は妻が昼の天丼を食い過ぎて腹が減らないと、ポタージュスープだけとなった。
本来は天婦羅蕎麦にするつもりで大量に天婦羅を揚げてあったんだけどね。
スープだけでは気が引けたのか、豆腐を買ってくるからと出掛けて、7時前に豆腐入りのポタージュスープが出来て晩飯に呼ばれた。
「箱根山」をチロリに入れてストーブのお湯で燗をして、天婦羅をグリルに入れて焼き、落花生を出して肴にした。
ポタージュスープに豆腐を入れて食べるのも中々乙なもんで、豆腐百珍に出ているのであろうか。
竹下景子がマドンナのウィーンロケの寅さんを観ながら8時半まで呑んで、母の着替えを手伝った。

かつて三鷹に住んだことがあり9時から「アド街」の三鷹を観ていたが、プライムニュースで西部邁の追悼番組をやっていたので15分頃から観始めた。
一昨年と去年に出演した3回分の西部の発言部分を編集したものだが、西部節全開で面白かった。
神経痛等の体調不良で本の読み書きが出来なくても、時々この番組で何時もの主張を西部節に乗せて喋ってもらいたかった。
言論は虚しいが、TVは文字より格段に影響力があるので、言論が虚しくない可能性があったのになあ。

出身で弱者に目配りを忘れず、抜群の実務能力を誇った野中広務も亡くなった。
加藤の乱のときに幹事長として反乱を鎮静化させたが、その時に最後まで宏池会のプリンス加藤に対して矛を収め秋を待つように説得した姿が忘れられない。
政治の現場での実績も色々あるが、本人アルコールが飲めないのに、自宅の冷蔵庫にビールを置いて深夜担当記者に振る舞っていた逸話に人柄を感じた。

僕が未だ若い頃、目を掛けてくれた先輩から「年を取ると寂しくなるもんだ」と言われたことがあるが、今更ながらその言葉が身に染みる。
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ジョージア・オン・マイ・マインド

2018年01月27日 | Weblog
今朝も風呂の窓が凍り付いていたが、大寒真っただ中なんだなあと思う。
雀が群れを成して庭にやってくるが、餌が少ないのだろう大量のご飯粒を撒いておいてもチョット見ないうちに綺麗さっぱりと間食している。

ホッケ、納豆、菜花の味噌汁、白菜漬けの朝飯を食べる。
フランスの友人からメールが来ていて、息子がハワイに短期留学するようなんだが、ノースショアというからサーフィン留学かも知れない。
友人のガールフレンドが大切そうにその子を抱えて乳首を銜えさせて母乳を与えていたのを思い出すが、あれから20年も経ってしまったのかと思い愕然とする。
僕もハワイには1981年に1年ちょっと駐在してその後も何度も仕事で訪れたが、ここ25年くらい行っていない。
81年と最後に訪れた10年間でもかなり変わってしまっていたから、今頃はもう浦島太郎だろう。
死ぬまでに再訪してみたいところの一つである。

今日も西に向けて散歩に出たが、日差しが強く風が無かったので暖かく感じた。
途中近所の知り合いに会い、彼はこの地の歴史に興味を持っていて、動川の源流を調べているという。
前に鎌倉古道の話を聴いていたが、五代路子の「相模のもののふ」有隣堂新書の話に及び、この本が基本書籍なので持っていたほうがいいと話していた。
前から買おうと思っていたが、何せ小冊なのに効果なので逡巡したままでいた。
この地を治めた何人かの豪族の館の痕跡などが残っていて面白いとのことなので買ってみるかと思っている。
自転車でその痕跡を回ってみるとこの地の権力構造と地形についての理解が実地で出来て興味が深まるとは思う。

ヤオマサに行き、鮟鱇と浅蜊を買う。
杉山のバアサンにカネを返し、絹ごし豆腐2丁を買う。
最近息子が全然来ないなあと、僕の息子の話をしばしする。

昼はお好み焼きをするというので二階で調べ物をして待っていたら、キャベツが焦げる香しい匂いがしてきて、その内出来たと云われ階下に降りて食べたが久し振りで美味かった。

プレシネは「Night in the City」、口先三寸で世渡りをしてきた不良弁護士ハリー・フェビアンがボクシングに目覚め、かつての名ボクサーアル・グロスマンを頼りに古き良き時代の興行を目指し、本人は金策に走りバーの経営者フィルが資金調達を約束する。
だが彼の妻のヘレンと不倫関係にあり、興行の中止をするよう脅されもしていたアルの弟の興行師ブンブンにより、その事実を密告され資金が得られず、金貸しから1,200ドルを懐に会場に向かうが、アルが心臓発作で死んでしまい興行は中止となる。
病身の兄に無理をさせて何かあったらお前を殺すと脅されていたハリーは、偽許可証がバレて一人開店予定のバーにいた愛人ヘレンと逃げるが、ブンブンが差し向けた殺し屋に撃たれる。
救急車に乗り込むときに無駄なことを喋りまくり、ヘレンに喋りすぎよと言われるが、何故俺がこんなに喋っているかというと、ハリーの真似をしているからなんだと答える。

寝返りが打てなくなったので、ベッドの上に置いた本を片付ける。
西邊邁を纏めて読もうと思って初めてすべての本を一か所にまとめてみたが、ベッドの上からほとんどの本が見つかり、全部を合わせると10冊以上あった。
気にしながら買い求めていたらこんな冊数になっていたのかと驚いたが、半分以上を読んでいるので、彼の思考方法のパターンが分かって来ていて、新たに読む本が理解しやすいんだなあと思う。
この際あるものはすべて読んでしまおうと思う。

相撲は栃ノ心の気迫が凄かったねえ、身体が真っ赤になって昔なら赤鬼とか言われたんだろうけどね、それと比べて鶴竜が横綱の責任を負っているだけ硬くなり相撲にならなかった。
明日優勝が決まるだろうが、これでジョージアが脚光を浴びる。
本人は珈琲は「ジョージア」しか飲まないらしいが、来月当たり珈琲を飲んでるCMがオンエアされるかもしれないねえ感氏て晩飯は、あんこう鍋、モヤシ炒めを肴に「箱根山」純米寒造りをチロリで燗してぐい吞みで呑んだ。

「美の壺」漆器、沈金、蒔絵の美しさと技術の妙に感心する。
「新日本風土記」有明の特殊な環境に生息する生物を愛する19歳の水族館長、夢中になるものがあると人間何処までもいけるんだなあと逞しく感じる。
海苔を養殖する家族の結束に希望を感じた。
家族の崩壊は最終的に核家族も崩壊させ個人主義の最終段階の孤独そして、孤独死を迎えるが、数百年かけて作り上げた慣習を僅か100年程度で壊してしまっていいのだろうかと思う。
ムツゴロウを引っ掛ける漁は頭に引っ掛けないと商品価値が落ちること、生きたまま焼かないと味が落ちるというのを初めて知った。
料理屋でオヤジさんが「ムツゴロウは頭からだ」と齧って「美味い」と言っていたが、一度食べてみたい。
「女子的生活」初回を観て2回3回を観そこない最終回だったが、新味がなかったなあ、もう少し捻った物語なのかと思ったが、なんだか在り来たりに終った。
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海豚を食べる

2018年01月26日 | Weblog
今朝は風呂に入ろうとして窓を閉めようとしたら凍りついていて動かなかった。
力を入れて開けたらバリバリと音がして氷が粉砕され開いた。
東京では-4℃とかで、昭和45年以来の冷え込みらしいが、僕の記憶では昭和30年代はもっと寒くて、毎日氷を割りながら登校した。

朝飯は、ホッケを焼いて、昨夜の豚汁に葱を入れ、白菜の漬物を出して食べた。
白菜の漬物は1日でガラッと味が変わっていて、芯の部分もしんなりとして、塩が馴染んでいたが、乳酸の旨味はなく中途半端な段階であまり好みではない。

散歩は東に向かい、日の当たる畑の真ん中の道を歩き大磯プリンスホテルのテニスコートまで行き、富士山を眺めたが、先日の雪とこの冷え込みで雪の量が増え、青空にくっきりと白が映えて綺麗だった。
北の大山と丹沢山系もうっすらと雪化粧して、冬の山の姿になっている。
相模湾の眺めも素晴らしく、南の大島、利島は光る海の向こうにぼんやり見え、東の房総半島はやや霞んでいたものの久し振りに見ることができた。
西の真鶴半島と伊豆半島は光が南東から射し込んでいるので見やすいが、多分箱根連山になるんだろうが、吹き溜まりのように雪が積もっている部分が鳥の足のように見えた。
光る海は波が静かで釣り船がたくさん出ていた。
多分、沖釣りが好きなご隠居さんがたが船に乗って鱚釣りでもしてるのだろう。
僕より上の団塊の世代は年金も多く、体力も衰えていない人達が多数いらっしゃるので、ウイークデイの遊漁船も今までにない活況を呈しているのだろう。
ただし後10年とは続かない仮初の賑わいだろう。

ヤオマサで幼馴染みの釣友に会った。
「去年は相模湾から鱚が消えたと云われた」と話していたが、投げ釣りは悪かったんだな。
僕は夏から秋のサーフトローリングをやっただけだが、酷い釣果だったもんな。
今年は5月から本格的に釣りを再開しようと思っているので、彼とも会う機会が増えるかもしれない。
その内呑もうぜと言って別れた。

スミイカ、オシツケ、海豚、殻付き落花生を買った。
久し振りに杉山のバアサンに会い、絹ごし豆腐2丁を買ったが細かい金がなく借りた。
先行きのことなど話をしたが、そんなに広いとは思わなかったが、母屋と作業場を合わせると150坪あるようで、自分が死んだら息子一人になるが、土地があるからどうにかやって行くだろうと、本人歩くのもままならないのに心配は息子のことなんだなあ。
母親っていうのは死ぬまでそういうものなんだね。

昼飯は、またもや鍋焼うどんで、鍋の1つにヒビが入ったので新しいのを買ったらしく見せてくれた。
この調子だと、暖かくなるまで鍋焼うどんが続きそうだが、叉焼麺にやや飽きが来たので、まあいいか。
出汁は例のごとく一晩冷蔵庫で水出しにした昆布と煮干出汁、饂飩は冷凍品、鶏肉、油揚げ、椎茸、葱、蒲鉾、薄口醤油、卵、柚子。
これが定番になりつつある。
だんだん完成度が上がり、特に薄口醤油を使うようになったので具材が綺麗に見えて鍋焼きのくどさが軽減され美味く感じる。

プレシネは「地下室のメロディー」で、ジャンギャバンとアランドロン、この映画の題名は知っていたが、愉快な泥棒映画だとは予想していなかった。
ナチスの拷問にたいするフランスのレジスタンスか、犯罪組織の地下の粛清を題材にしたものかと思っていた。
監督はラストのプールに札が花開く様を決めてから映画を作ったような気がするが、途中までの緻密なジャンギャバンの計画と指示のレベルだったら、最後に札の入ったカバンを受け渡すときに、更衣室でアランドロンに別の入れ物に札を詰め替える筈で、そこがちょっと引っ掛かるね。
それでも当時のカンヌのバカンスに集まる人達の生態が分かり面白かったけどね。
ちょっとドストエフスキーの「賭博者」を思い出したね、偽侯爵夫人とか、売春婦とか、表向きは金ぴかで一文無しの金持ちとかが集まってね。
高級リゾートホテルでもチップさえ弾めば、何でも出来ちゃうんだなあと、金持ちの遊びをしてみたかったね。

今日も相撲を観るまで本の片付けをやった。
ほんの僅かだが毎日やっていると、確かに前に進んでいることが実感できるね。昨年立てた予定の3月末までに本の片付けが終わりそうだ。

相撲は栃の心が気合いが入っていて観ていて惹かれ、人間が集中している姿は魅力があるんだねえ。
遠藤が淡々として鶴竜を押し出したが、これで高安にもチャンスが出てきたね。
風呂に入り、今夜も肴があるので少し呑もうかと思っていたら、妻が「箱根山」純米寒造りの1升瓶を買ってきたので、娘と二人でかんにつけて呑み出した。
「箱根山」は今月瓶詰めされたもので、未だ酒が荒く、前回まで呑んでいた夏を越したものより落ちたが、寝かせれば」同じようにバランスと奥行きが出るだろう。
オシツケとスミイカの刺身、湯豆腐、海豚と牛蒡煮と酒にぴったりの肴が並び、結局かなり呑んだ。
オシツケは久しぶりで美味かったが、海豚は薄味だが臭み消しに入れた牛蒡が効力を発して抜群の出来で時間をかけて料理したかいがあった。
下の息子と二人で海豚を全部食べてしまったが、昔と違い捕獲しにくいので大変高価なものとなっている。
この冬のうちに、また食いたいなあ。

オシツケと海豚が無くなりモッツァレラの熟成したのを出したら、やっぱりパンが欲しいねと言って娘が買ってきたバタールを切り食べ出したが、このパンが予想外に美味く、そうなるとテーブルの上のカラフェに残っていたポルトガルの白に目がゆき、妻と娘と僕でグラスに分けて終わってしまった。
今からいいの開けるのはもったいないからと安物のイタリアの白を開けたが、やっぱり美味くないなあと半分ほど飲んで、娘がミャンマーで買ってきたラムを開けて飲み出したので僕はそのご相伴にあずかった。
熟成感はないが如何にもラムだなあと思える味わいで、南国なら技術さえ持って行けばいいラムが造れるんだなあと思った。
沖縄でもやっているが生産コストが高いので、東南アジアで造れば安くていいのが出来る。
妻はラムなんて飲みたくないと1962年のアルマニャックを勝手に僕のセラーから持ってきて、グラスに並々と注いで飲み出した。
酒の大切さを知らないやつで、先日は僕の生まれ年の1955年のアルマニャックを勝手に飲んでいたので、飲むなと怒ったものだから、1962年ならいいでしょうと既に毎晩飲んでいるらく残り少ない、御しがたいやつだ。

結局23時過ぎまで飲んでしまい、最後は息子と今の世の中についての考え方で激論になり、日本はどうなって行くのだろいかと暗い気持ちになったが、今の時代がいいかといえばそんなことは全くないなあと、我々も何も出来なかったのに次の世代に夢を託すのも勝手なもんだと思って寝た。
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僕は縄文人だ

2018年01月25日 | Weblog
「なぜ日本売りは起きたのか」を読了した。
90年代半ばから起こった事象についての解説が書かれていたが、西部邁の幾冊の本を読んできたので、具体的に物事をどう考えれば良いのかについて書かれていて分かりやすかったし、一貫した考えが既にこのときには固まっていたことがわかる。
僕は若い頃から営業畑を歩き、たまたま業績が良くて、そのまま何の考えもなく雇われ経営者になったが、単なる馬鹿だったなあと思っている。
西邊邁との邂逅がもう少し早かったら、世の中を劇的に変えたってことも無いだろうが、もう少しましなことが出来たろうと思うと、残念な気がする。
まあ、「言論は虚しい」が西部の最後にたどり着いたところなんで、虚しさという点では同じなのかもしれない。
西部の自死は、人間は短い時間を大したこともせずに生きて死んで行くだけなら、せめて自分で死を選びたい、そういう事だったような気もする。
西部は、「命より大切なものがある、それは個人が存在するための前提である家族と共同体、国柄ネイションフッドであり、歴史と伝統による慣習により成り立っている」こう言い続けた。

起きたのはいつもの通り7時半、大寒だけに寒いが衣料品が良くなったのか、気候変動で暖かくなっているのか昔のように寒くない。
風呂に入って朝飯を食べるが別に暖房の必要を感じないが、家人が後から来てストーブを点けると点け始めが臭いから、風呂に入る前に点けて換気扇を回しておく。
20分ほど風呂に入り出てくると、やかんのお湯も沸き12畳の台所がいい具合になってる。
おでんの残りにウインナーソーセージを入れて、ボロニアソーセージを切り、野菜は数日前に漬けた白菜を樽から出した。
前回の白菜漬は塩が甘く台所の外の貯蔵庫に置いたので、塩が上がるのに時間がかかった。
今回は塩を強くして、台所に置いたので温度も高く、見事に漬かっていて美味かった。
漬かり始めの白菜は、新鮮で甘くサラダのようにたくさん食べられて、冬の野菜不足を補ってくれる。
この後、乳酸発酵が進むと酸味と旨味が出てきて、また別の美味さを味わえる。
白菜を250円で買って、昆布と唐辛子と塩は、よくは知らないが100円程度のものだろう、低価格でいとも簡単に作れて美味いのだからやらない手はない。

10時過ぎまでPCを眺め、北に向けて散歩に出る。
何時ものように葛川沿いを歩くが、今日は鴨がずいぶんたくさん泳いでいた。
冬の鴨は見るからに美味そうで、昔、友人に神田の偏屈なオヤジがやっている店に連れていかれ、天然の鴨を別の客が鍋にしていて、そのおこぼれをオヤジから頂戴したが、偏屈なオヤジも美人には弱かったなと思い出した。
友人は妙齢の美人だった。
僕は女性は美人か面白い人が好きなので、親しい女性に美人が多い、そのため寅さんの気分が良く分かるんだな。

JA湘南で蜜柑2袋、菜花を買う。
WAKWAKで鶏ガラスープの拉麺、梅干、原木椎茸を買う。

昼飯は、昨夜大量に準備されてあった八宝菜の材料で五目うま煮そばを作った。
海老、烏賊、豚肉は、紹興酒をふりかけ片栗粉をまぶし既に炒めてあり、白菜の芯と玉葱、白菜の葉、木耳、エリンギ、下茹でした人参、鶉の卵があったので、長葱を切り、一気に炒め、片栗粉でとろみをつけて茹であげた拉麺にのせて食べたが、こんなに美味いものかと感心した。
よく中華屋で料理人が同じように下処理された材料を中華鍋に火の通り難いものから順番に入れて一気に炒めるのを見事なもんだなあと見とれていたが、これで火力が強かったらもっと気分良く美味いのが作れるなあと思う。
定年後、台所を改造して料理に凝るご同輩の気持ち、実によく分かりますぜ。

プレシネは「The Man Who Would Be King」1975年英・米映画で、昨日に引き続きショーン・コネリー主演だったが、アナザーストーリーでも「007」についてやっていたが、最近のNHKは番組を面でとらえて組み立てている。
「城崎温泉についても、幾つかの番組で取り上げているが、視聴率を稼ぐために公共放送がこの手法を採っていいのだろうかとも思う。
映画だが、二人の仲のいい退役イギリス兵、ショーン・コネリー扮するドラボットとマイケル・ケイン扮するカーネハンが、インドで密輸や詐欺、窃盗などをしていたが、新聞記者のキプリングから時計を盗むが、フリーメイソンであることが分かり慌てて返す。
キプリングが二人の悪事のたくらみを密告して、二人が拘束されるがフリーメイソンであることで釈放に向かう。
その後二人は、カフィリスタンの王様になる計画を立て、キプリングから地理的な情報を得て、出発前に女と酒は絶つとの契約をキプリングを立会人として結び、彼からフリーメイソンのメダルをもらい、アフガニスタンを越えて山岳地帯の彼方にあるカフリスタン国へ向かい、そこで英国式軍事訓練を施し近隣の主民族を統合してドラボットが王様になる。
キプリングからもらったメダルがかつてその国を統治したアレキサンダー大王の末裔の証となり、神として崇められ財宝を受けとることになる。
だが、現地の女を王女に迎える際に人間であることが露見し、ドラボットは殺され、カーネハンは磔になるが、奇跡的に生き延び、王冠を被ったドラボットの首を土産にキプリングの元に持ち帰り、事の顛末を話す趣向になっている。
こういった物語の構造が好きだなあ。
この間観たハサミの手を持ったロボットの物語の構造も一緒で、この手法を使うと荒唐無稽な嘘話がリアリティを帯びるんだな。

遊んでばかりではいけないので、本の整理を行う。
何があるのか本の山をひっくり返して見ているのだが、家の各所の収納場所に作家別・項目別のコーナーを設けたので、そこに該当するものが出てくると運んでいる。
これが頭にも身体にも適度な刺激と運動になっているような気がして楽しくないこともない。
本の題名を見ると内容を思い出すものや、項目を見ると内容が類推できるものがあり、何だか一遍に大量の読書をしているような気分になるのも嬉しい。

外が暗くなってきたので、佳境を迎えている相撲を観る。
平幕の栃ノ心に優勝争いの期待をかけなければいけないのが寂しいが、どうにか勝ってくれたので優勝の興味が継続した。
しかし今場所の栃ノ心の身体の充実は凄いね、外人にしては尻から太股にかけての下半身が充実していて、腕っぷしの強さは角界NO1かも知れないくらい定評がある。
結びで鶴竜が負けて星が5分になったので、明日の相撲を意識しなきゃいいんだがね。

晩飯は手巻き寿司だった。
鮪、卵焼き、干瓢、かっぱ、帆立と何時目より少なく、ようやく妻は量から質に転換したのかも知れない。
子供たちもこのセレクションに評価をしたので今後改まるかもしれないなあ。
鮪の質がよく、卵焼きはお得意なんでたいがい美味い、干瓢も上手く煮えていて、何時もやれば失敗はなくなるだろう。
上の息子が干瓢が好きだと前回言っていたので、今回いつも嫌がっている干瓢を作ったのは間違いない。
そして今回娘が、今日は何時もの養殖の白身の魚や海老が無いのがいいと言ったので、次回からはこのパターンになる可能性が大いに高まった。
一人、「白鶴純米」と「松竹梅純米大吟醸」を燗にして呑んだ。
テレビを観ながら、昼に買った原木椎茸をストーブで焼いたが絶品だった。
この人が作る椎茸は身が厚くて見るからに美味そうだが、この時期だと温室栽培かも知れないが、冬の椎茸は成長が遅く味が濃縮していてさらに美味い。

テレビでは黒田あゆみが司会をして弥生時代の食生活についてやっていたが、赤飯を食い、猪と中国伝来の豚を掛け合わせた豚の養豚をしていたらしい、生野菜、果物、ドングリなどの木の実を食べ、海女海士がいて貝も常食していて、少量多品種の現在の和食の原型が出来上がっていた。
縄文人と弥生人は、夫々顔の堀が深い、浅い、目が二重、一重、髪の毛が縮れ毛、直毛などの差があるが、決定的なのは口を動かさずウインク出来るのが縄文人とのことだ
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残雪なし

2018年01月24日 | Weblog
朝からいい天気になった。相変わらず家族は朝が遅い、毎日会社に行っていた頃は家族が夫々どんなことをして1日を過ごしていたのか知らなかったが、あまり生産的なことをしてないものだと分かった。
この解離はいったい何故なんだろうかと考えるが、やっぱり我が身のほうの一種のワーカホリックに原因があるのだろう。
その証拠に隠居してからはなるべく無駄に1日を過ごす様にと思っていたが、中々その様には出来ないもので、つい詰まらぬ効率を考えていたりする。

まあ、いずれにしろ朝一番で起きるのは僕で、妻は早ければ8時、今日などは9時に起きてきた。
下の息子は9時頃に起きることが多く、上の息子は不定期で何時起きて何時寝ているのか分からない。
母は毎日ヘルパーさんが8時に来て着替えをしてくれるので、8時20分頃には朝飯を居間に持って行くことになる。
娘は今日はバイトが休みで、9時には未だ寝ていた。
僕がやるべきことは自分の好きなことだけやり、家のことは何もやらないことなんだが、そうは上手くいかないものなのである。

外に出ると昨日の雪が僅かに残っているところがあったが、ほとんど無い。
テレビの宇宙衛星の写真でも、大磯・二宮・・国府津に雪が無かったが、北に山並を背負っているためにこの地区は暖かいのだ。

朝飯はおでんを暖めて食べたが、大根が絶品だった。
また練り物から出汁が汁に出て、飲んでみるとその味わいがなんともいえず素晴らしかった。

今朝もネットで西部邁の自死についての記事と追悼番組を観ていたが、桜テレビの水島総の追悼番組が強く僕の胸に迫った。
僕が考えていた自死の理由と同じことを話していたが、彼は最近まで親しく往き来があったのでショックと無念は大きく、悲しみで顔が歪んでいた。
僕の場合、ほんの一年程度の本とネット配信によるゼミや対談での一方的な付き合いだが、最晩年に間に合った幸せに感謝したい。

昼に駅前のピザ屋へ娘を連れて行くので予約をしてくれと妻に言われて電話をしたが出ないので、散歩がてら店まで行ってみたが、「22日23日と連休します、すみません」と貼り紙があった。
昨年末、タイへ行く前に行こうとしたら火曜日」の定休日だったので叶わなかったが、今年は休みが月曜日に変わったので丁度良かったと思っていたが、間が悪いことに臨時休業で、どうも娘とは相性が悪いみたいだ。
2年ほど前に娘と下の息子を関内の「シチリア」へ連れていったことがあるが、そこのピザがひどく美味かったらしく再度連れて行けと言われていたが、人気店でその後行く機会がなく、近所にそこそこの店が出来たので良かったと思っていたが、巡り合わせは不思議だ。

結局、昼は娘がパスタを作ることになり、玉葱をバタで炒め薩摩芋とベーコンで煮込んだのにショートパスタを入れたのと、スティクブロッコリーとベーコン、ニンニク、唐辛子のスパゲティにした。
ロピアのベーコンの味が頼りないので、泣く泣く先日イタリアで買った赤ワイン用に秘蔵してあるパルミジャーノを擦って掛けた。
薩摩芋のほうは、甘くて味わいも深く、それほど期待していなかったが抜群に美味かった。
ブロッコリーとベーコンのスパゲティは先週娘が作ってくれたやつのほうが美味かったが、今回はブロッコリーの芯を炒めるタイミングが早すぎたと思う。
ワインは友人にいただいたポルトガルのヴィーニョ・ヴェルデを開けたが、さっぱりしているがはっきりした旨味のような味わいがあり、お昼のワインとしては上々だった。
食後に娘が焙煎したエチオピアの珈琲を飲んだが、豆の香りは良かったが、娘による前宣伝とは裏腹に、味わいが平坦で大したことなかった。
まだまだ焙煎の要領が掴めていないね。

プレシネは「The hunt for Red October」1990年米映画で、ショーン・コネリー扮するソ連潜水艦の艦長が、高性能の最新式潜水艦ゆえソ連が保持する危険性を憂慮し、アメリカへの亡命を企図するのだが、両国の安全保障と思惑により危機的な状況となる。
だが、CIA職員の仲立ちに拠り、ソ連と米潜水艦お互いの船長と技師たちの技量で危機を切り抜ける物語なのだが、潜水艦を爆撃機に変えて同じ設定の映画を数ヵ月前に観たなあと思う。

ここのところの飲み食いと散歩の不足が原因と思われるが、朝体重を計ったら3㎏も増えていたので、ヤオマサまで買い物がてらの散歩に出掛けた。
良く食べて飲んで体を動かして痩せる方針なんだが、若い頃のように走ることが出来ないのが苦しい。
あの頃は今よりたくさん食べて、毎日夕方に7㎞を走って64㎏を維持していた。

帰ってきて相撲を観たが、阿武咲が今日から休場していて、休場力士がが多すぎるね。
西部邁が相撲について、ガチンコを推奨している親方(貴乃花)がいるが、そんなことやってたら怪我人ばっかりでどうしようも無いだろう。
元来見世物なんだから、ある程度考えながらやるべきじゃないのかと、この2日で手当たり次第観た対談動画のなかでこう言っていたような気がするが定かではない。
まあ、昔は年に10日しか取り組みが無かったから、怪我をしても治す時間が十分にあったと思う。
年6場所になり、相撲が大型化したことが怪我の多発を招いているが、力士の健康を取るか利益を優先するか、相撲協会が決めればいいことなのかもしれない。

晩飯は昼に大量に食べたので、昨夜妻が大鍋に2杯おでんを作った残りを食べればいいやと思っていたが、何故か八宝菜の準備がされていて、多分10人分はあったろう。
喰いきれないからと、半分だけ炒めたが、大皿に収まりきらない量で、家庭の火力では均一に炒めること叶わず、斑のある火の通り具合で失敗作だった。
妻はてっきりおでん屋を始めるのかと思っていたが、どうも中華屋も視野に入れているらしい。
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ピーター・メイル死す

2018年01月23日 | Weblog
朝から寒かったが、昼頃から霙になり午後は雪になってさらに気温が下がった。いつもの様に雨戸を開け、風呂に入り、鮭を焼き、けんちん汁に菜花を入れ朝飯を食べて、読売新聞を観て西部邁の死亡記事を探した。
昨夜のNHKは10年ほど前の西部の写真を使っていたが、最近の写真を使っていた。
2階に上がり西部邁の記事を見たが、各社の記事を総合すると、21日3時半に家族が西部邁が家に居ないことに気付き探しに出て、6時40分に息子が多摩川で飛び込んだ人がいると通報し、病院に搬送され死亡が確認されたようだ。
1939年生まれ78歳だった。
読売新聞を眺めているときに、プロヴァンスもので一世を風靡したピーターメイルの死亡記事を見た。
偶然にも西部と同じ78歳。
ワイン業者としては馴染みの深い名前で、南仏の風物を世間に広め、馴染みの彼の地のワインの名声も広めてくれた功労者である。
元気にトリュフ取りをしながら暮らしていると思っていたが、意外に早く亡くなられた。

9時半に自転車でJA湘南に行ったが、娘がギアチェンジがある何時も乗っている自転車で平塚のバイト先に行ったので、仕方なく昨年末友人からもらったママチャリで出掛けた。
北風が寒くて、手袋と毛の帽子をかぶって行ったが寒かった。
白菜と大津2袋、スティックブロッコリーを買う。

小雨が降りだし、魚と豆腐を買いに行くのを断念して、白菜を漬けてから2階へ上がり、YouTubeで西部邁の追悼番組を観る。
2007年の宮台真司との討論では、すでに今と同様なことを話しており、主張が一貫しているともとれるし、そこから深まっていないとも言えるが、桜テレビの新しい映像で40年色々なことを訴えてきたが最後に思うのは「言論は虚しい」であると発言していた。
本人の希望とは裏腹に、日本という国は自分の運命を人任せにしたまま、経済の繁栄を謳歌し、一たび経済が不調になると先行き真っ暗な時代に失望するだけで、手をこまねいているという国家に成り下がったのだから、その虚しさたるや救いようのないものであったろう。

YouTubeを観ているときに妻が、今からマルの薬をもらいに行きますが、お昼はなんにしましょうかと聞いたので、大納言のおじやと焼売でもと言ったら、焼売の材料を買ってきて作った。
玄米のおじやには大納言と大根が入っていて、出汁を入れて煮たので美味く出来ていた。
焼売は僕の好物で、肉の水分を良く絞りとると美味くなると秘訣を教えてからは、家族の評判も良く、度々やるうちに素早く作れるようになり苦にしなくなった。
寒い中、温かいものを食べたのでなおさら美味かったなあ。

プレシネは「アンタッチャブル」1987年米映画を観る。
テレビドラマだったのを警察官であった叔父好んで、さんざん聞かされたのでエリオット・ネスの名前を知っていた。
シカゴのマフィアのボス、アル・カポネとの禁酒法時代の抗争を描いたものだが、多分叔父の話だけでなく子供の頃観ているのであろう、その時の古びた映像の方が、当時をリアルに感じさせてくれ味わいが深かった。
この映画は僕にはスマートすぎた。

底冷えのする寒さで、母の居間で床暖房とエアコンをつけて観ていたが、寒いので2階に上がり雨戸を閉めて暖房をつけて布団に潜り込んだ。
5時に母がデイサービスから戻ってくるので階下に降り、雨戸を閉めて暖房を入れたが、玄関先に置いてあった車椅子に雪が振りかかっているのを拭いていたら、横の道を母を乗せたワゴン車が上ってきた。
係りの人が裏山の向こうの富士見ヶ丘には雪が大分積もっていると言ったが、二宮に雪が積もることは滅多に無く、この分だと平塚は大分雪が積もり娘は自転車では帰ってこれないだろう。

雨戸を閉めたので母の居間は暖かくなっていて、蜜柑を食べながら相撲を観た。
一人横綱の鶴竜の独走で面白く無いのに、人気がすごく、ひとたびブームになると西部邁言うところのマス(大衆と誤訳されている)が、詰まらないものにも喝采を送る。
これが民主主義からヒトラーが生まれた原理なんだけど、よその国のことだけではなく先の戦争を遂行した原理がこれだってことですぜ。

相撲が終わり、風呂に入って温まっていると娘が帰ってきたようだ。
台所へ行き聞くと、車で大磯まで送ってもらい東海道線で帰ってきたらしい。
午後、妻が殊勝にも車が動く内に買い物に行くと、小田原の練り物を売っているWAKWAKで、おでんの種を大量に仕入れて、大鍋に2杯おでんを仕込んであり、すでにそれが食べ頃になっていた。
スーパーの練り物はまずいから買うなと口うるさく言ってきたので、雪の日にわざわざ遠いところまで行くというのは、「言論は虚しい」ばかりでもないのかもしれない。
娘と二人でストーブで「高清水純米」を燗につけておでんを肴に酒を呑み始めていたら、その内2階から妻が降りてきて酒宴に加わり、「白鶴純米」を買って来てあげたから、どんどん燗を浸けてくれと言う。
僕は既に風呂に入って寝巻き姿で、9時からのプルシネ「The Judge」を観て寝るだけだから、それまで悠々と酒を呑めるわけで、3合ばかりぬる燗で呑み、おでんを大根2、厚揚げ豆腐、牛筋、昆布2、竹輪、はんぺん2、さつま揚げ、ウズラの卵の練り物、すじ2、卵、鰯つみれ、糸蒟蒻2とたっぷり賞味し、その後銀杏を煎って肴にし、最後は大納言に砂糖を入れて餡にし、餅を焼いて汁粉にして食べた。
ストーブがあると、燗にしろ煮る煎る焼くが、傍らで火に当たりながら楽しんでできる。
子供たちが小さかった頃はファンストーブだったが、でかくなったのでこの楽しみが味わえるようになった。
昔は囲炉裏端で家族が揃って過ごしたのだが、今は各人の部屋にエアコンがあるので、集まるのは飯時の一瞬しかない。
文明の進歩は文化を退化させる。
エアコンによって心理療法師が増えたのは間違いない。

「The Judge」は、思いのほか面白かった。
田舎町の頭の固い判事に3人の息子がいて、長男は野球が凄くて大リーガーに行ける可能性があったが、次男の不祥事で叶わなかった。
その次男が主人公学生で学生時代不良だったんだな、親父にとっての問題児で、それでも名門大学で法律をやり主席で卒業し、辣腕弁護士になった。
だが、親父は今も彼を認めていない。
3男は少し頭が弱くカメラを趣味としている。
次男は母親の死で久し振りに故郷に帰ってくるが、葬式の夜、父親が車で人をひき殺してしまい拘束される。
ひき殺した相手というのが、かつて判決を下した不良で、事件に対して30日間という軽い刑を科したが、出てきて直ぐに人を殺し、それに対し20年の刑を終えて出てきたところであった。
次男が親父の弁護人となり裁判が進んでゆくが、何故不良に対して考えられないような軽い刑を求めたのかが、次男と似ていたので可愛かったからだと明らかにされる。
父と子の関係は、心の奥底には子を思い、父の愛を求める関係があるのだが、男同士というのはそれが簡単に現れず難しい。
もう一つ、次男は仕事一筋で妻が浮気をして離婚するのだが、昔この町で恋人だった女と再会する、20歳の娘が自分の子ではないかと疑うが、女から長男と一度だけセックスをし、その時に出来た子供だと言われショックを受ける。
だが、この女と再び愛し合い一緒にやっていくような暗示があり映画は終わる。

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西部邁入水自殺

2018年01月22日 | Weblog
今朝は4時半に目が覚めて、携帯でblogの原稿を校正してアップしたが、久し振りにお寺の鐘を聞いた。
除夜の鐘を聞いて正月を迎えてから早二十日が過ぎ、いよいよ大寒を迎え、瞬く間に立春だ。
近所の早咲きの梅は昨年末から咲いているが、熱海の梅祭りが始まり、曽我の梅もそろそろ咲き始める頃だろう。
かつては湯河原幕山の梅を共に観て、その後は曽我の梅を毎年観に行っていた親しい友人が去り、もう何年も弁当と酒を持っての観梅に行っていないが、そういった季節を愛でることをしないと、季節が移ろうだけで、きちんと年を重ねることが出来ず、老いた人間になるだけだが、近頃そういった年寄りがなんと多いことか、気を付けなきゃいけない。

6時まで西部邁の本を読んだが眠ってしまった、良く寝られるもんだなと思う。

朝、比較的暖かくて雨戸を開けるねが楽だった。
風呂に入るときも床暖房だけで寒くなかったね。
朝飯は鮭とポテトサラダ、菜花の卵とじ。

2階で西部邁と中山恭子の対談を桜テレビの番組で聴き、吾妻山へ散歩に出たが、夜、NHKの7時のニュースで西部邁が入水自殺をしたことを知った。
近い内に死ぬとは言っていたが、本当に死んでしまってがっかりした。

中里から登り、駅裏に降りて、JAで蜜柑と銀杏、菜花を買った。

昼は朝から妻が叉焼を焼いて煮干と鶏、野菜でスープを取っていたので叉焼麺だった。
スープが良くできていて美味かったなあ、醤油はヤマサのフレッシュパックだったがサッパリして良かった。

午後、昼寝をしながら西部邁をよんだ。
3時を過ぎたので本の整理を始めた。
5時前になったので、母と一緒に蜜柑を喰いながら相撲を観たが、「ゴルゴ13」のさいとうたかおが正面の解説席でNHKのアナウンサーと春日野親方に挟まれてゲストとして出ていたが、中々面白かった。
81歳だとのこと。

晩飯は叉焼、鮭の塩焼き、ポテトサラダ、けんちん汁で、昨日の二日酔いの反省もなく、カラフェに残ったモンテプルチアーノ・ロッソを飲んだが、開けたときに感じた細菌汚染のような嫌な香りがなくなっていて、優しい芳香に包まれていて美味かったなあ。
年を重ねると強い味わいを避けたくなるが、このように繊細に変化してくれると嬉しい。
昨日から水に浸けて、今朝から煮ていた大納言を小鍋に取り砂糖を入れて練り、焼いた餅を入れてコニャック、カルバドスと共に食したが、北海道の新豆と謳っていたが、豆の味が柔らかく、しみじみ美味いもんだなあと思った。
そんなときに西部邁の自殺のニュースを観たのだが、アメリカの属国から抜け出そうともしない今の日本を見るに忍びず、全身の神経痛による体調の不具合、奥さんを先に亡くした寂寥など色々と生に対する執着を喪うことが重なったのであろうが、ニュースに拠れば遺書を残しているとのことで、それに書かれているだろう生きているものに対するメッセージを早く知りたい。
それにしてもあれだけの知識と見識を持った人間を喪ったことは日本の損失であり、ほんとうにがっかりした。
韓国人の暴力団の友人を喪い、ピストルの入手が出来なくなって自殺の方法を別に考えてあると、何処かで読んだか聞いた気がするが、暖かな日であったとはいえ、大寒に入水自殺とは寒かったであろう。
せめて書斎でピストル自殺の希を叶えさせてやりたかった。
銀杏などを肴に一人で通夜を始めていたが、娘が帰ってきて飯を食べるのを眺め、ストーブに当たりながらあれこれと西部邁の思想を思った。

10時になったので、母の居間へ移り「平成細雪」を観る。
3女雪子役の伊藤歩が綺麗だなあと眺めたが、和装より洋装が似合い、役柄とは違う人柄なんだろう。
しかし、どんなときでも綺麗な女は慰撫となる。

早く西部邁の遺書を見てみたいが、どこから発表されるのだろう、藤井聡か水島総あたりが駆けつけているだろうから、早くネットで配信して欲しい。
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