昨夜はかなり強い誘惑にかられたが最後までアルコールを体内に入れずに読書をして零時前には眠りについた。
それゆえ3時前には目が覚めてしまったが、寝ながら聴いていた中森明菜の音源のPCが明るかったので、そいつを閉じて目をつぶったら上手く寝られ、次に目が覚めたら5時半だった。
浜崎洋介の本を開いて1時間読んでから階下に降りた。
昨夜、ストーブに当たりながら、下処理してあった大根と油揚げを京都のお寺でやるように薄い醤油味で煮ておいたが、僕が寝た後、妻がさらに練り物を入れたらしく、品数の少ないおでんのようになっていた。
大根と油揚げと練り物を食べてみたが、直径が十数センチある大きな大根で、風呂吹き大根で食べた時にも美味かったが、これも実に美味かった。
塩鯖を焼き、この鯖は特大で大きければ大きいほど美味いが、ひじょうに美味かった。
シメジと豆腐の味噌汁、白菜漬けで朝飯を食べた。
チョット前まで西島三重子を狂ったように聴いていたが、何故か日野美歌を経由して中森明菜を聴いている。
結構CDを入手したが、30代になって発売したCDは販売数が少ないために入手が困難か非常に高い。
多くのファンは中森明菜が絶頂期に聴いていた人たちで、どうしてもその頃の録音を求めるから、当然需要もあり再発売されていて入手しやすくしかも廉価だ。
当時は歌をあまり聴かなかったし、偶にTVで見かけた中森明菜は随分かっこつけたオネエチャンだなと思った程度で聴きたいとも思わなかった。
思春期には歌が無いと生きていられないが、ジジイになってまた歌が無いと生きている気がしないようになるとは思わなかった。
先日、中国の少数民族に伝わる歌垣を観たが、歌は世界に共通して思春期の恋心を伝える手段となっていて日本ではその風習は廃れたが、本能は依然生きているわけだ。
年取ってからの歌は何のためなんだろう?
ちなみに今一番気に入っている楽曲は「I Missed "The Shock"」でこれを作った福地久美子ってどんな人だろうと思って調べてみた。
あまり情報はないがロッカーでコアなファンがいるらしい。
今日も2階の書斎兼寝室の掃除から始めたが、冷暖房機の内部を見たら酷い埃でフィルターなんか綿埃で一面覆われていてメッシュが見えなかった。
これをブラシのような箒で綺麗さっぱりと落としたら、1階の同じ型の冷暖房機が気になり、フィルターを見ると、もっと濃い色の埃が厚くこびりついていて、これを綺麗さっぱりと落とした。
思えば10数年前に買って以来両機ともフィルターの掃除をしていなかった。
一度1階に降りてしまうと2階の掃除が行き詰っているので、戻る気にならず、8畳の鴨居の上の柱や横に渡した梁の磨き掃除を始めた。
というのも40年前にこの家を建てた時に、大工が頭領としての初仕事で材木屋も乗ってバンバン良い材料を持って来たので、檜には節が無い。
一休みして椅子に座り部屋を下から眺めてみたら、母がお茶の教室のために建てたから細部にも工夫があり、実に良く出来ていてしかも美しい。
となると天井が気になり、固く絞った雑巾で拭きだしたらこれが結構大変で、昼飯を挟んで夕方までかかってしまった。
もちろん途中で度々休んだけどね。
昼前に南安曇野の友人から蕎麦が届いた。
今年の新そばから新たな試みをして去年よりかなり美味くなったとのことで期待したい。
昼飯は先日買った吉田工業の中華鍋を使う絶好な機会で、妻が白菜、人参、豚ひき肉が入った味噌ラーメンを作った。
使い勝手がいいからスピード感を持って作ったのかと思ったら、やや麵が延び気味だった。
それでも味わいは良かったので、多少道具に拠るメリットがあったんじゃないかな。
散歩に出ようとしたら妻が地主に地代を払いに行くと云うので出鼻を挫かれたが、蜜柑をもらってきたので一つ食べてから4時半に出かけた。
ここは昭和3年に祖父が平塚の在から二宮秦野間の軽便鉄道の経営をやるために出てきたとき、農作業をやっていた人に声をかけて借り家を建てたのが始まりで、それ以来ずっと借りっぱなしなんだけど、買っておいてくれりゃあ良かったのに、当時は土地に対する意識が今と違い買うなんて考えもしなかったらしい。
それに武士の家の精神が残っていたので、仕事は人のためにやることでカネもうけなど考えなかったため、鉄道経営も上手くいかず晩年はビンボーで素浪人のような生活だった。
家に帰ってきて「レコード大賞」を観ていたら風呂に入る機会を失い、晩飯が出来たと云われた。
「レコード大賞」に出てきた歌手で知っている人がいなかった。
最近の歌は良いのが無いと思っていたが、幾つかはいい曲があった。
でも、改めて聴きたいと思うほどではなかったな。
鮪の刺身を買ってきたので一本漬けてと妻に云われ、吞まないつもりが呑み始めてしまい、菜花の山葵和え、おでん、塩豆、おかきなどを肴に、ティーチャーズに替えて歌番組を観ながら零時頃まで飲み続けてしまった。
呑みながらも数日前に買った巨大な大根をトリミングしてストーブの上で飯を少し入れて水煮にした。
要はこれに味噌タレを付ければ風呂吹き大根になるが、味を付けて煮ても美味い。
大鍋を使ったが、今までの大根の2倍の容積があったのであふれ出そうだった。
イナリヤト食文研のワインとビールはこちらからご覧になれます
それゆえ3時前には目が覚めてしまったが、寝ながら聴いていた中森明菜の音源のPCが明るかったので、そいつを閉じて目をつぶったら上手く寝られ、次に目が覚めたら5時半だった。
浜崎洋介の本を開いて1時間読んでから階下に降りた。
昨夜、ストーブに当たりながら、下処理してあった大根と油揚げを京都のお寺でやるように薄い醤油味で煮ておいたが、僕が寝た後、妻がさらに練り物を入れたらしく、品数の少ないおでんのようになっていた。
大根と油揚げと練り物を食べてみたが、直径が十数センチある大きな大根で、風呂吹き大根で食べた時にも美味かったが、これも実に美味かった。
塩鯖を焼き、この鯖は特大で大きければ大きいほど美味いが、ひじょうに美味かった。
シメジと豆腐の味噌汁、白菜漬けで朝飯を食べた。
チョット前まで西島三重子を狂ったように聴いていたが、何故か日野美歌を経由して中森明菜を聴いている。
結構CDを入手したが、30代になって発売したCDは販売数が少ないために入手が困難か非常に高い。
多くのファンは中森明菜が絶頂期に聴いていた人たちで、どうしてもその頃の録音を求めるから、当然需要もあり再発売されていて入手しやすくしかも廉価だ。
当時は歌をあまり聴かなかったし、偶にTVで見かけた中森明菜は随分かっこつけたオネエチャンだなと思った程度で聴きたいとも思わなかった。
思春期には歌が無いと生きていられないが、ジジイになってまた歌が無いと生きている気がしないようになるとは思わなかった。
先日、中国の少数民族に伝わる歌垣を観たが、歌は世界に共通して思春期の恋心を伝える手段となっていて日本ではその風習は廃れたが、本能は依然生きているわけだ。
年取ってからの歌は何のためなんだろう?
ちなみに今一番気に入っている楽曲は「I Missed "The Shock"」でこれを作った福地久美子ってどんな人だろうと思って調べてみた。
あまり情報はないがロッカーでコアなファンがいるらしい。
今日も2階の書斎兼寝室の掃除から始めたが、冷暖房機の内部を見たら酷い埃でフィルターなんか綿埃で一面覆われていてメッシュが見えなかった。
これをブラシのような箒で綺麗さっぱりと落としたら、1階の同じ型の冷暖房機が気になり、フィルターを見ると、もっと濃い色の埃が厚くこびりついていて、これを綺麗さっぱりと落とした。
思えば10数年前に買って以来両機ともフィルターの掃除をしていなかった。
一度1階に降りてしまうと2階の掃除が行き詰っているので、戻る気にならず、8畳の鴨居の上の柱や横に渡した梁の磨き掃除を始めた。
というのも40年前にこの家を建てた時に、大工が頭領としての初仕事で材木屋も乗ってバンバン良い材料を持って来たので、檜には節が無い。
一休みして椅子に座り部屋を下から眺めてみたら、母がお茶の教室のために建てたから細部にも工夫があり、実に良く出来ていてしかも美しい。
となると天井が気になり、固く絞った雑巾で拭きだしたらこれが結構大変で、昼飯を挟んで夕方までかかってしまった。
もちろん途中で度々休んだけどね。
昼前に南安曇野の友人から蕎麦が届いた。
今年の新そばから新たな試みをして去年よりかなり美味くなったとのことで期待したい。
昼飯は先日買った吉田工業の中華鍋を使う絶好な機会で、妻が白菜、人参、豚ひき肉が入った味噌ラーメンを作った。
使い勝手がいいからスピード感を持って作ったのかと思ったら、やや麵が延び気味だった。
それでも味わいは良かったので、多少道具に拠るメリットがあったんじゃないかな。
散歩に出ようとしたら妻が地主に地代を払いに行くと云うので出鼻を挫かれたが、蜜柑をもらってきたので一つ食べてから4時半に出かけた。
ここは昭和3年に祖父が平塚の在から二宮秦野間の軽便鉄道の経営をやるために出てきたとき、農作業をやっていた人に声をかけて借り家を建てたのが始まりで、それ以来ずっと借りっぱなしなんだけど、買っておいてくれりゃあ良かったのに、当時は土地に対する意識が今と違い買うなんて考えもしなかったらしい。
それに武士の家の精神が残っていたので、仕事は人のためにやることでカネもうけなど考えなかったため、鉄道経営も上手くいかず晩年はビンボーで素浪人のような生活だった。
家に帰ってきて「レコード大賞」を観ていたら風呂に入る機会を失い、晩飯が出来たと云われた。
「レコード大賞」に出てきた歌手で知っている人がいなかった。
最近の歌は良いのが無いと思っていたが、幾つかはいい曲があった。
でも、改めて聴きたいと思うほどではなかったな。
鮪の刺身を買ってきたので一本漬けてと妻に云われ、吞まないつもりが呑み始めてしまい、菜花の山葵和え、おでん、塩豆、おかきなどを肴に、ティーチャーズに替えて歌番組を観ながら零時頃まで飲み続けてしまった。
呑みながらも数日前に買った巨大な大根をトリミングしてストーブの上で飯を少し入れて水煮にした。
要はこれに味噌タレを付ければ風呂吹き大根になるが、味を付けて煮ても美味い。
大鍋を使ったが、今までの大根の2倍の容積があったのであふれ出そうだった。
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