「サド侯爵の生涯」を友人から借りて呼んでいる。
この本は1960年に出版された桃源者の選書の一つだが、一番最初に出版されたのはもっと前である。
高校生時代、澁澤龍彦が人気を博していて、サドの翻訳ものも澁澤龍彦訳で買い求めた記憶がある。
新潮文庫か角川文庫で「悪徳の栄絵」「美徳の不幸」がでていて、「ソドムの120日」や「恋のかけひき」などが順次文庫に加えられていたと思う。
サド侯爵は肛門愛の強い人で、どちらかと言えば幼稚な性愛傾向を持っていたと考えられ、今からみれば大した事をしていないが、キリスト教が強かった18世紀に鶏姦は死罪であったことを思うと先進的な人物であった。
今でなくとも18世紀江戸期の日本において、あの程度のことをやっても誰もとがめだてはしなかったであろう。
性愛については当時から日本は世界最先端であった。
しかし制限が強ければ強いほど、エロチシズムという幻想は強まるわけだから、キリスト教が果たした役割は大きい。
ニーチェがヨーロッパにキリスト教が無ければ、人間はこれほど長い時間足踏みをしなくて良かったと嘆いているが、幻想を膨らませるに多大な役割を果たしたともいえる。
義母のモントルイユ夫人が、初期の段階で婿を庇護をし、途中から手がつけられない乱交振りに、牢獄につないで世間へ出ださない方針に変わった。
母がサドを牢獄に閉じ込めようとすると、娘のルネは夫の脱獄に加担している。
母と娘の心理の綾も味わい深い。
アグリでやっている「マルキ・ド・サド 赤・白」というワインとサドとの関係を確かめるためにこの本を読んでいるのだが、100ページ読み進めたところででてきたことと言えば、サドがマルセイユ事件で官憲に負われ、義妹とイタリアに逃避行をしているときにマザン伯爵という偽名を使っていたところだけで、この本の中での領地の居城はラ・コストである。
現在、「マルキ・ド・サド」を造っているワインメーカーの近くにマザンというところがあり、かつてのサドの館であり、そのことがワインメーカーにサド伯爵の名を冠したワインを作らせたのだが、今後読み進めるうちにマザンが重要な役割を果たすときがあるのかもしれない。
この本は1960年に出版された桃源者の選書の一つだが、一番最初に出版されたのはもっと前である。
高校生時代、澁澤龍彦が人気を博していて、サドの翻訳ものも澁澤龍彦訳で買い求めた記憶がある。
新潮文庫か角川文庫で「悪徳の栄絵」「美徳の不幸」がでていて、「ソドムの120日」や「恋のかけひき」などが順次文庫に加えられていたと思う。
サド侯爵は肛門愛の強い人で、どちらかと言えば幼稚な性愛傾向を持っていたと考えられ、今からみれば大した事をしていないが、キリスト教が強かった18世紀に鶏姦は死罪であったことを思うと先進的な人物であった。
今でなくとも18世紀江戸期の日本において、あの程度のことをやっても誰もとがめだてはしなかったであろう。
性愛については当時から日本は世界最先端であった。
しかし制限が強ければ強いほど、エロチシズムという幻想は強まるわけだから、キリスト教が果たした役割は大きい。
ニーチェがヨーロッパにキリスト教が無ければ、人間はこれほど長い時間足踏みをしなくて良かったと嘆いているが、幻想を膨らませるに多大な役割を果たしたともいえる。
義母のモントルイユ夫人が、初期の段階で婿を庇護をし、途中から手がつけられない乱交振りに、牢獄につないで世間へ出ださない方針に変わった。
母がサドを牢獄に閉じ込めようとすると、娘のルネは夫の脱獄に加担している。
母と娘の心理の綾も味わい深い。
アグリでやっている「マルキ・ド・サド 赤・白」というワインとサドとの関係を確かめるためにこの本を読んでいるのだが、100ページ読み進めたところででてきたことと言えば、サドがマルセイユ事件で官憲に負われ、義妹とイタリアに逃避行をしているときにマザン伯爵という偽名を使っていたところだけで、この本の中での領地の居城はラ・コストである。
現在、「マルキ・ド・サド」を造っているワインメーカーの近くにマザンというところがあり、かつてのサドの館であり、そのことがワインメーカーにサド伯爵の名を冠したワインを作らせたのだが、今後読み進めるうちにマザンが重要な役割を果たすときがあるのかもしれない。