キュヴェ タカ/cuvee taka 「酔哲湘南日記」

新鮮な山海の恵みを肴に酒を吞み、読書、映画・音楽鑑賞、散歩と湘南スローライフを愉しんでいる。 

痛風が痛い

2016年10月31日 | Weblog
今日は朝から体調が悪く、右足踵の痛風が痛く全うに歩けません。
左足親指は生爪を剥がし、そこにばい菌が入ってフランクフルトくらいに腫れて膿んでます。
ここもちょっと何かに触れるだけで、飛び上がるほど痛いのです。
右足の痛風がなければ、左足を誰かに踏まれたら、2mのバーくらいは軽く跳び越すことが出来る様な気がしてます。
尿道結石は下腹部の痛みは治まったものの、背中に鈍痛があり、気分がいいものではありません。
右足、左足、背中の痛みが緩衝作用を起こし、無痛になる可能性は無いものかと期待していますが、現時点では3の3乗で痛みを感じています。

気分は最悪ですが、天気は雲はあるものの秋晴れで、爽やかで気分が良く、東海道線の車窓から富士山を見ようと、進行方向に背を向けたボックス席に陣取り、城山公園、大磯駅入線前の富士見ポイントで眺めました。
山の端に水分があるのでやや曇っておりましたが、頭にうっすらと雪をかぶった蒼い偉容を久し振りに拝みました。
湘南育ちは、毎日のようにこの富士を眺めているので、雄大稀有な美しい心を持った人物が輩出することになっています。
しかし、今までのところ、現実にそのような人物に巡り会ったことはありません。



昨日はブログが膨大になってしまい、買い求めた古書のコメントを書くことが出来ませんでした。
自分のためのメモ書きなので書きますが、お読みいただいている皆さんが面白いかどうかは分りません。

西部 邁「思想史の相貌」
このかたの物は今まで買ったことが無いような気がしています。
若い頃はどちらかというと左翼陣営の人のものを読んでいたので、右系統のかたの物は避けていました。
最近、右翼の論客として時々テレビで観ますが、すっかりお年を召し、全体としてはダンディですが、何だか変な手袋をやっていてみすぼらしい感じがします。
見た目と人の評価は異なるもので、服装で人を見くびってはいけないと両親からきつく言われておりますが、近頃では見た目のほうを重要視する考え方が主流となっていて、世間はそれに踊らされて薄っぺらいポピュリズムが席巻しています。
読んで無いので、何とも言いようがありませんが、テレビでの発言は面白い部分があり、大いに期待しています。


平松洋子「忙しい日でも、おなかは空く。」
この方は、先日購入して少しだけ読んだ、小川洋子との書物に関する対談本で、正統的な読書遍歴を子供の頃からしていて、単なるグルメエッセイの書き手のオバサンと認識していてはいけないなあと感じました。
この本は既に文庫化されていて、多分新潮文庫で持っていると思いますが、この単行本の装丁は素晴らしく、本は内容だけじゃなくて、見た目と持った感じが大切であることを納得させられます。
本文中に添えられている写真も見事なものです。


江國滋「あそびましょ」
娘さんの本がずらっと並ぶ棚に、娘さんの本に挟まれてぽつんと一冊だけあり、見逃してしまう所でした。
それを見て、父親の孤立感と孤独を感じ、思わず落涙しそうになりました。
かつて、このかたの落語に関する本が欲しくて、探し回ったのですが、何冊か入手し、当初の目的は達成したのです。
娘の派手な活躍に隠れた寂寥感が本にも現れているのでしょうか、背表紙に滋の文字を見るとぐっと胸に迫って来るものがあり、俳句の本でもつい買ってしまうのです。
変哲こと小沢昭一が参加していた「やなぎ会」のメンバーでもあります。
娘さんも優れた作家で、オヤジを越えているという評価も多いのですが、そちらのほうは二三冊だけにとどめています。
集めだすと、膨大な本を積んで置くことになりはしないかと恐れますが、親父を裏切って娘に鞍替えしたら、世間様の目が厳しくなりますからね。

養老孟司『「自分」の壁』
先日河合隼雄と筒井康隆の3人で笑いに付いて書かれた本を読んで、考えかたがユニークなので実に面白いなと思い、そういや最近、角川か新潮文庫で3冊に纏めた物を買って置いたなと思い出し、本の山を探索したのですが見つからず、仕方ねえなあ、BOに行けばいくらでもあるから、よさそうなのを買おうと思って買い求めた次第です。
人間の思考というのは、世間の流れに流されて、世間の考え方と同じになってしまい、そのうちその思考方法が癖になるので、中々新しい視点から物を見ることが出来なくなります。
そのため私は若い頃、普通の人になっちゃうといけないてんで、長い間新聞を読まず、歯も磨かずやってきたのですが、非常識で歯無しの人間になっただけで、いいほうには出ませんでした。
このかたは死人が出ると死体を貰い受けに出向いて、運んで来て解剖をするというユニークな生活をしていたことが、思考方法の面白さにつながっているようです。
この本で、私の脳が揺さぶられることを期待したいですね。


茨木のり子「詩のこころを読む」
この方については既に度々書き、もう加えることも無いのですが、これも2冊目です。
もしかすると3冊目かもしれませんが、茨木のり子、須賀敦子、武田百合子は同じ本が何冊あってもいいんです。
文学好きの女性にプレゼントします。

しかし男というものは不思議ですね、このようなキリッとした女性が好きな一方で、風間ゆみのようなAV女優が好きで、巨乳ですが二段腹で、経験豊かで強かな熟女の風情に惹かれます。
昔であれば、トルコ風呂などで多くの男性の性欲を満足させたのでしょうが、現代は画像によって男性の射精を促しているわけです。
延べ数万から数百万の男性が彼女のエロスを消費しているのでしょうが、本人の性交の回数は少なくて済みます。
このかたは熟年になっても人気で長くAV女優をなさってますが、800本に出演して一回当り3回の性交をしても高々3千回です。
効率が良い反面、AVは視覚と聴覚による刺激だけですから、味覚、嗅覚、触覚による快感は置き去りにされてしまいます。
男の性は頭の中で行われることを考えれば、それでよいのでしょうが、五感による全体性の喪失が性の領域だけでなく、他の事柄を認識する場合にも影響するのが問題と思います。

現代は、自由なようで不自由な所があり、女性と知り合って肉体関係を結ぶと面倒なことがあり、それが嫌でAVに走る男性も多いようです。
面倒が起きない女性かどうかは分りにくく、もし分っても人気が高く取り合いになりますから中々機会が訪れません。

江戸時代や明治以降でも地方では、男と女が情交をする機会が多く仕組まれていて、盆踊り、祭り、筆おろし、若衆宿、夜這い、歌垣など色々とあったことが分っています。
少なくともそういった機会があれば、パートナーを選ぶ時にかなり踏み込んだ所まで、お互い吟味が出来たのではないでしょうか。
例えば、ある村では筆おろしが神社のお堂などで行われ、村の後家さんやら有志の女房たちが、元服の年頃14歳前後の、童貞男子の筆おろしをしました。
二三日お堂にこもって性交を繰り返すわけですから、出てくる頃には一端の男になっているというわけで、通過儀礼として凄く有効で、しかも、このとき出来た子供は神の子ですから、庄屋や村が後ろ盾になり共同体の子供として育てるわけです。
神の子を大切に育てるという感覚がいいですね。

時代は少し古くなりますが、宣教師ルイス・フロイスが本国に当てた報告書に、日本という国は礼儀正しく清潔な国だが、性に関しては開放的で女は貞淑という概念を持たない。
と書き送っているので、明治にキリスト教の処女性を尊ぶ概念が入るまでは、性交に対する罪悪感は少なかったと思われます。

惚れた腫れたは3年もたつと覚めてしまうので、覚めた後にもパートナーとしてやっていける相手はどういった人かを見極めるには、若い頃から複数の異性と性交を頻繁にして、のぼせ上った恋は終わることを知り、見た目ではなく、共に生活をしてゆくうえでの性格の良さや相性を見極める目を身につけることだと思います。
そういう仕組みを社会で持てば、未婚や離婚の問題も少なくなり、人間関係が円滑にしかも深くなり、少子化にも歯止めが掛かるのではないかと思います。

この日、昼は駒でチラシを食べましたが、刺身が鮪、鰹、小鯛の酢〆、蛸、昆布締め鱚とちょっと変わっていました。
味噌汁は蜆、それに茶碗蒸しは何時ものとおりでした。

馬車道で屋台が出て近在の商店がボロ市みたいなことをやっていました。
痛い足を引きずりながら、そこを抜け、関内駅前のセルテに行き芳林堂に行きましたが、探している本がなく、目に付いた「柳家小三治の落語 5」小学館文庫を購入しました。

この人も江國滋、小沢昭一の「やなぎ会」のメンバーです。
落語は何となく暗さがあるので、好きではないのであまり聞きませんが、何回かテレビで聴いた感想では上手いと思います。
過去に何度も好みの落語家を書いていますが、先代のば馬生がなんといっても艶っぽくて粋な感じでよかったですね。
浅草の並木で酒盃を傾けている写真は堪らなく良い。
その粋な感じは娘の志乃に遺伝しまして、美人じゃないけど色っぽいでしょ。
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

日本シリーズ終わる

2016年10月30日 | Weblog
10月29日 土曜日

午後に庭木の剪定をした。
椿二本、赤い実の木、一体あれはなんだろう、園芸学部果樹研究室出身として恥ずかしい、月桂樹、黄色い花が咲く木、八ツ手をやって、清々とした。
風呂に入り、ウルメ鰯のタタキ、イベリコ豚のロースト、胡瓜と湘南レッドのサラダ、林檎、ヨーグルトを食べて、日本シリーズを観る。
日ハムが流れを掴んでいるが、未だ4回なのでもう二波乱あるだろう。

結局、一度は広島が追い付いたが、押し出し、ピッチャーのタイムリーではもうしょうがない、レアードの満塁ホームランが出て勝負は決まった。
レアードがホームランを打った時にやる寿司を握るパフォーマンスは、空海の親方が教えたらしいが、あのオヤジとも色々あったなと思いだし懐かしい。
北海道の鮨は海老と貝が美味い。
牡丹、縞、葡萄海老、粒、北寄、蝦夷鮑、帆立貝。

世界で一番入りにくい居酒屋を観る。
ボローニャのトラットリア、ミートソースのパスタが美味そうだった。
42度の樽酒ってのも美味そうでした。

先日、イタリアワインの試飲会で通訳をしてくれた、若い美人がボローニャ大学出身で、行ったことがあるので町のことを話し、斜めになってる塔のことも話したが、このトラットリアはその斜塔の近くにあった。
大学の町なので安い食い物屋が多いと聞いていたが、地元のワインをでかい瓶で出して、呑んだだけ精算するってのがいいなあと思った。
日本なら、さしずめ地元の酒蔵の一升瓶をボンと机に置いて、コップ酒で呑む感じだな。

健康に関する番組を二つ観たが、セントレニアには慢性炎症を防ぐ食生活が有効で、地域の伝統食が良く、イタリアの長寿村では、魚、野菜、ナッツ、オリーブオイルが日本では、魚、海草、豆、根菜類などの野菜がよいようだ。
地域で遺伝子の選抜が行われているので、長寿食は地域性を持つようだ。
生き甲斐をもって楽しく生きることも有効らしい。
ストレス解消の番組では、社会貢献などで得られる満足感が有効で、性欲、食欲、物欲を満たす満足感は逆にストレスを高めるようだ。
当たり前のようだが、身体に付加を与える運動もよい。
末端の毛細血管の血液循環が良くなり、老廃物を処理するらしい。

最後に驚くべきことに、高齢になると幸福感が増すらしい。
家から一歩も出られない老人が、今が人生で一番楽しく充実していると感じている。
実験によれば、高齢になると、嫌なことは忘れやすく、好ましいことは記憶しやすい傾向が強くなる。
また、記憶力、決断力は衰えるが、感情を司る脳は衰えないらしい。
年を取ると感性が衰えるから、絵画や音楽に接して感性の衰退を抑えろは、間違いだったんだな。
まあ、積極的にそういったものに触れるのは良いことなんだが。

10月30日 日曜日

今朝、WAKWAKまで散歩をしたが、桜の紅葉やハゼの木の紅葉が美しかった。
川縁の柿もオレンジの実と緑から赤までのグラデーションの紅葉が美しく、一つ頂戴し食べてみたが固くて甘くて美味かった。
葱、ピーマン、黒枝豆、冬瓜、柿、蕪、レタスを買った。
レタスなどという珍しいものを買ったのは、芦の屋の食パンでハムサンドイッチを喰いたくなったのだ。

母の要望の靴下を前回西友で買ったが、どうもイメージしたものとは違い、長めで厚手の靴下を求めて、しまむらへ寄り、それらしきものを二足買った。
ハムを買うのを忘れたので、薬屋にあるかと思い入ってみたら売っていて驚いた。
30年前ハワイに居た頃のアメリカンドラッグストアより凄い。
さすがにパンは忘れることなく買い求めた。

昨日農家で買った胡瓜と中井の農家のレタスでトーストにバターと和がらしを塗り、故障と南仏のハーブソルトを振りかけて食べるのだが、めっぽう美味い。
スープは人参と玉葱、里芋を軽くゆでて、牛乳とミキサーにかけたもので、温かいものがあるとほっとする。
ハムサンドイッチで二枚食べ、三枚目はアールグレイで余市の農家の婦人部が作ったさくらんぼジャムをたっぷりつけて食べる。
これも美味い、サクランボが粒のままめちゃくちゃ入っていて、贅沢な気分が味わえる。
最後に柿を食べて終わり。

午後、昼休みをしてから庭木の剪定を一時間だけ行い、四時前、東海道線で平塚へ向かう。
BOで一時間以上じっくりと本を眺める。
西部 邁「思想史の相貌」世界文化社 1991年、平松洋子「忙しい日でも、おなかは空く。」日本経済新聞社 2008年、江國滋「あそびましょ」新しい芸能研究社 1996年、養老孟司「「自分」の壁」新潮新書 2014年、茨木のり子「詩のこころを読む」岩波ジュニア新書 1979年第一刷 2011年改版第71刷を買う。

オネエサンの顔を見に行く、今日は何かイベントがあり、ほとんど売り切れていて、残ったものから、黒砂糖がけラスクとビスケットのようなものを買う。
暫し話をして別れる。

東口のラスカに向かい魚屋を見るが、北海道の鰤があったが、脂が強すぎたので止めた。
5階のさくら書店で、橋爪大三郎 大澤真純「げんきな日本論」講談社新書を買う。

夜、冬瓜挽き肉餡掛け、黒枝豆、湯豆腐、肉野菜炒め、イベリコ豚ロースト、黒砂糖がけラスクを食べた。
ご飯を食べなくても、糖質の塊を喰っちゃ何にもならないが、まあ時には良いでしょう。

いつものように真田丸を観たが、大阪城から伏見京都に出て家康を打ち取ったら勝機があった。
これが史実かどうか知らないので何とも言えないが。

その後、支那農民の苦悩を撮った番組を観た。
共産主義だったのに貧富の差がこんなにあるとは酷いもんだが、暴動が起きないのだろうか。
農民はいつの世でもどこの国でも忍耐強いのかもしれない。
やはり支那は陸の国である、海洋進出なんてしたら国が亡びるのに。
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

牛肉とお好み焼き

2016年10月29日 | Weblog
会う外人ほとんどが神戸ビーフを知っていて、やけに食いたがるが、野瀬康申「文学ご馳走帖」冬幻社新書を読んでいたら、明治5年に「神戸牛の肉が世界一と、在留外国人の間で名声高まる」とあるから、根は深いものであるようだ。
しかし、江戸の末期には牛肉食いが流行りだしていたとはいえ、この時期に神戸牛の品質を確立していたとは日本人とはやるものだ。
ちなみに横浜の牛鍋屋は明治2年に開業をしている。
牛飯屋、今の牛丼屋の出現はちょっと遅れて明治20年頃のようだ。

しかし、江戸から明治にかけての激変に日本人は良く耐えることができたもんだなと思う。
昭和から平成への穏やかな変化でさへ嫌だなと、昭和を懐かしんでいるくらいなのに、人間長く生きているといかんのかな。
当時の寿命は50年も無いわけだから、時代の変化に戸惑う前に自分の生き方を押し通して死んで行けたのかもしれない。
「私は長く生きすぎた。この辺でおさらばしよう」ってのはカッコつけた言葉ではなく、人間の英知なんだなと気が付く。

同書に戻るが、お好み焼きの源流は東京にあったものだと知り驚いた。
江戸時代の棒振りの文字焼き、後の駄菓子屋のもんじゃ焼きが、重ね焼きのお好み焼きになり、戦後の食料難で一時廃れて、大阪から出戻ってきた時に混ぜ焼きになったとのことだ。
浦安出身の大学時代の友人は、子供の頃駄菓子屋でもんじゃ焼きをやっていたという。
家では母がペロ焼きと称して、溶いたうどん粉をフライパンに広げ、桜えび、おかか、葱を載せて焼いた。
駄菓子屋や家庭では重ね焼きが残ったのであろうか。

病気で臥せっていると、体を激しく動かすスポーツや食い物のことが気にかかると見えて、プロレスとグルメ本を読んだ。
昨日一日大人しくしていたら、時々左下腹と左背中が重くなり、ああ、ここに石があるのだなと感じる程度で、耐えられない痛みが襲ってこなかった。
今日は雨が降らない予報なので、起き上がって散歩に出てみようと思う。

朝、雨が降らないはずだったが、霧雨が降るなかを大磯方面へ下の伜と散歩に出掛けた。
左足親指の爪が剥がれ腫れていて歩くと痛かったが、寝てばかりだと筋肉が落ちるのでゆっくりと歩いた。ヤオマサでウルメ鰯を30匹ほど、イベリコ豚1㌔、ヨーグルト、小松菜、クリームコロネ、拉麺を買った。農家で胡瓜4本、杉山のバアサンから絹ごし豆腐2丁を買う。
何時もニコニコして元気だ。

昼、叉焼麺を食べる。
秋田豚の腿を焼いたが最後に余熱で熱を入れたのが良かったのか、中がピンクで柔らかくて実に美味かった。
麺は札幌の菊水であったが、最近札幌に行く機会がないので、近所で買えると便利だ。

三度、野瀬康申「文学ご馳走帖」に戻るが、悪い癖で興味のあるところから読み始め、前に戻るか後ろへ行く事が多いのだが、今回は少し後ろに行き、前に戻った。
最初は織田作の「夫婦善哉」を題材にして、紅生姜の天ぷら、カレーに生卵などについて書かれているのだが、先日NHKで放送した「夫婦善哉」の蝶子の尾野真千子を思いだし、綺麗だったなあと暫しボーッとしていた。
尾野真千子はこの後に足尾鉱山の被害にあった村の娘役をやっていて、その後が先週までやっていた漱石の妻鏡子だから、NHKのドラマにやけに出ている。
何が理由でもあるのだろうか?若し、次があるのなら、川端康成の雪国の駒子を観たい。
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

夢は枯野を駆け巡る

2016年10月28日 | Weblog
尿道結石の痛みというのは独特のもので、ひじょうに嫌な感じだ。
鈍痛があったのを我慢していたのでいざ痛みが出ると、すでにかなり悪くなっていたようで、昨夜は痛みで七転八倒して中々眠りに就けなかった。
この痛みも周期的にやってくるので、寝起きは快調であったが大事を取って休むことにした。
何が理由で痛みが出てくるのかわからないが、周期的に痛くなるのでベッドでおとなしく休んで読書をしている。

体調が悪い時に重い本を読むと頭に入らないので、大好きなプロレスの本を読んで過ごしているが、大木金太郎の章を読んで、厳しい人生を歩んで大変だったなあと改めて感じた。
以前自伝を読んで、密航して力道山に拾われて、人種差別や言葉の問題で、ずいぶんと苦労をして、ロサンジェルスでタッグチャンピオンのベルトを取って、これからというときに後ろ盾になっていた力道山がやくざに刺されて死んでしまった。
一本足原爆頭突きのせいで、耳鳴りがいつもしていたそうだが、引退式でルーテーズに車椅子を押してもらっていた姿は、韓国の貴族の衣装を纏い穏やかに見えた。

35年間無茶をして飲み食いし仕事をしてきて、この夏を過ぎたころから蕁麻疹が出たり、尿管結石で苦しんだりしているが、ここで積年の問題点が発現してくれて、そいつをどうにか手当てしてやり過ごし、新しい時代に快調とはいえないまでも、どうにかやれる体調で臨みたいものだと思う。

1年ほどかけて世界を色々回って見聞を広めてみたい。
5,000冊に達した蔵書のうち未読の積読本を読了したい。
湘南海岸で釣可能な日は毎日釣りをしたい。鱚釣り、ルアーフィッシングで鱸、鮃、真鯒、サーフトローリングで宗田鰹、若衆など。

病気でベッドに横になっていると、こういったことを思うもののようである。

昼前から雨が降りだした。
結局一日門間忠雄のプロレス本を読んでいた。

ジプシー・ジョーは、始めて就職したシズオカヤで、魚を担当していた大川さんが好きでね、慶応ボーイなのに泥臭いタフガイが好みで金網デスマッチに痺れてたな。

ビル・ロビンソンは親父が好きで、確かに国際プロレスに来た頃は、体型も良く技も多彩で切れていた。
でも後年全日本に来てた頃はもう駄目だったな。

ウィレム・ルスカは猪木との対戦でバックドロップ2発に沈んだが、柔道の実力は一級品だったらしい。
プロレスでは凄みが上手く伝わらなかった。

ディク・マードックのブレンバスターは良かったな、風格もハリー・レイスと遜色がなかったが、欲がなくてNWAのチャンプになれなかった。

ブルーノ・サンマルチノは、人間発電所だからね、東スポの一面を見て衝撃的だった。

荒法師ジン・キニスキーは、赤ら顔であまり好きじゃなかった。
だが、今となっては懐かしい。

ディク・ザ・ブルーザー、生傷男、スタミナ抜群で最初から最後まで手繰る蹴るですごかったが、上品な色気があった。

鉄の爪フィリッツ・フォン・エリック、息子5人がプロレスラーになって、3人が自殺、1人が不審死、ダラスは呪われている。

ボボ・ブラジル黒い魔神、力道山とやった頃は素晴らしい身体でスピードがあった。
白黒テレビで目だけが見えた。

フレッド・ブラッシー、噛みつき流血を観た老人が何人もショック死した。
プロレスにインパクトがあった時代だ。

カール・ゴッチ、技か多彩で上手い、プロレスの神様と云われたが、魅せる技術はなかった。

哲人ルー・テーズ、摂生して体型を維持したねで晩年でも見られた。
バックドロップをかわず掛けでかわした力道山の試合が忘れられない。

読み終えて、一人を残して皆さん鬼門に入られていて、昭和は遠くになりにけりを実感する。
平成はバブルが崩壊して資本主義が行き詰まり、新たなパラダイムを模索している閉塞した時代だが、昭和の後半は、資本主義の繁栄を謳歌した時代だった。
右上がりの勢いのいい時代に青春時代を過ごした者には、華やかな気分が何時までも纏いついていて、うわっ調子のままで死んで行きそうだが、若い世代の事はいざ知らず、楽しい老後が過ごせるのはいいもんだなあと思う。
昭和歌謡、昭和プロレス等々花盛りである。
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

尿道結石

2016年10月27日 | Weblog
日本シリーズ4戦を観ていたが、札幌へ来て日ハムに流れが変わってきた。
ジャイアンツファンなので、どちらが好きということもないが、日ハムが勝つと嬉しいので、日ハムを応援しているのだろう。
札幌へ行くまでは在京球団であったし、何しろ江川のデビュー戦のチケットを日ハムの営業の人からもらい、バックネット裏から眺めたのだから、大恩義がある。
既に40年近く前のことなんだが、恩義というものは死ぬまで忘れちゃいけない。
大谷と中田と二人のスーパースターがいるのも魅力的だ。

朝、早く起きたら腹の具合が悪く痛くて堪らなかった。
風呂に入って温まれば少しは良くなるかと思ったが全く効果がなく、痛みをこらえて出かけた。
電車の中で激痛が走り、脂汗が出ていたのだろう、前に座った女の子が私の顔をじろじろ見ていた。
魅力的な顔ゆえに見られるなら気分もいいが、怪獣を見るような目つきで見られるのは気分がいいものではない。
それでも、習慣というものはおそろしく大船あたりで眠ってしまい、横浜で起きた時には歩けるくらいに痛みが和らいでいた。
会社に荷物を置いて、馬車道クリニックの車先生のところへ飛び込んだ、エコーとレントゲンの結果、石が尿道に詰まっていることが分った。
痛いはずだよな。
二週間くらい前から下腹左側が重く感じていて、この数日は鈍痛のようなものがあった。
石の成分は、シュウ酸カルシウムだというが、早く溶け出していただき、すっきりしたいものだ。
今では石を溶かして体外に排出させる薬があるからいいが、なかった頃は切開して取り出していたに違いなく、それを思うだけで痛そうだ。


昼、井桁に行きチラシを食べる。
蟹、海老、烏賊、蛸、穴子、帆立煮、平目、鮪、玉子焼、蒲鉾、山牛蒡、ガリ、蜆の味噌汁。
先回頼まれたワインのサンプルを持って行った。

伊勢佐木町BOで、後藤正治「清冽 詩人茨木のり子の肖像」中央公論新社 2010年、関川夏央「家族の昭和」新潮社 2008年、茨木のり子「倚りかからず」筑摩書房 1999年を買う。

後藤正治「清冽」は二年前中公文庫で出ているのを勝ったような記憶があるが、まあ良い、茨木のり子は娘が好きなのでチェンマイ送りだ。
「倚りかからず」も、ちくま文庫で持っているが、文庫のほうをチェンマイ送りだ。

そうなると関川夏央「家族の昭和」ももっているような気がする、だがこれは娘には無理だろう。
向田邦子、幸田文あたりまでは古いが優れた女性作家なので良いかも知れないが、最後の章に鎌田敏夫「金曜日の妻たち」があり、これは当時テレビドラマを観るに耐えなかったくらいだから無理だよね。
主題歌はカラオケで良く歌うが・・・。

向田邦子は玄人向きだよね、個人的に大いに痺れている、武田百合子もいいよねえ。
茨木のり子の「清冽」の表紙の写真、これにも痺れる。
昔は良いオンナがいたもんだがねえ、今もいるって、どうせ相手にされないからねえ、もっとも昔も相手にされなかったのだが。


コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

村上春樹は読まない

2016年10月26日 | Weblog
ネットで「八月の光」の訳者、諏訪部浩一を調べてみると、1970年生まれのアメリカ近代小説研究家で、東京大学准教授である。

そこには、引き続き以下のように書いてある。
ニューヨーク州立大学に提出し高評価を得た大部の博士論文を要約した「ウィリアム・フォークナーの詩学」は、フォークナーの全盛期の作品における社会的テーマの深まりを、純粋芸術的な初期作品に対する自己批評の軌跡として論じたもの。
そこでは<他者>としての女性表象から複雑な「現実」を深いレベルで扱うフォークナーの文学的な達成が説得力をもって明らかにされており、ジェンダー批評的問題設定を通過して初めて獲得しうる視野の広い鋭い洞察は瞠目に値するとのことである。

第2作目の『「マルタの鷹」講義』では、大衆小説と見なされてきたハードボイルド小説が文学研究の題材として挑戦的に取り上げられ、ジェンダー理論などを援用しながら、精緻に読み解かれているといわれて、評価が高いとのことである。

また、将棋で奨励会にいたことがあり、かなりの腕前らしい。

40代半ばと若いので文体がポップでヴィヴィットなのは、この年齢ゆえのことだろう。
私の乏しいアメリカに関する体験としては、高校時代に植草甚一がジャズとミステリーを独特な文体のエッセイで紹介したのを読んだくらいで、その後の文学書はもっぱらフランスと日本人作家のものであった。
村上春樹がもてはやされると、それを避けていたので、読んだ本は「パン屋襲撃」と「羊をめぐる冒険」の二冊のみである。

ただし、大学時代から社会人にかけて、ハードボイルドに凝って、サミュエル・ダシール・ハメット、レイモンド・チャンドラー、ミッキー・スピレーンを翻訳で読んだ。
その頃ペイパーバックの原書で読んでいたら、今頃もっとましな英語を話していただろう。
昨日も書いたが、大学時代のテキストは、ボールドウィンの「Going to meet the man」とフォークナーの「Rose for Emily」であったから、そのときもチャンスだったかもしれない。

この日秋晴れになり、歩くと汗をかくほどだった。
昼、野毛の客先に資料を置いて少し説明をして、福家で鰻と牛蒡を卵でとじた八幡丼を食べた。
牛蒡の歯ざわりが良く、大女将の淹れてくれるお茶が美味いので、730円という廉価にもかかわらず満足の昼飯であった。
隣の女性は千葉と相模原からやって来たというから大変な人気である。
金がある人は、隣のテーブルで女を連れて、泥鰌鍋で一本漬けて良い調子でやっていた。
羨ましいですねえ。

コレットマーレの紀伊国屋で、黄民基「完全版 猪飼野少年愚連隊」講談社+α文庫、横尾忠則「死なないつもり」ポプラ文庫、笠井潔×押井守「創造元年1968」作品社を買う。

黄民基「完全版 猪飼野少年愚連隊」は既に単行本が文庫化されて、二度目の文庫化らしいが、ノンフィクションの傑作と帯に書いてあったのでその気になってしまった。
関西のこういったことに関しては疎いので、読んでおいて損は無いだろう。

横尾忠則は、大昔に『一米七〇糎のブルース 横尾忠則日記』新書館 1969 を古本屋で買った事があり、それ以降目に付くと買っている。
最初に買った本は質感が凄く良くて、考えてみると、あれが電子書籍であったら、その後横尾忠則を読み続けていなかったかもしれない。
文章家である前に芸術家だった。
ちなみに、今回のは新書本で質感は全く良くない。

笠井潔は昔哲学的な本を読んだがあまり好みではなかった。
押井守はアニメ映画の監督がメインの仕事ら仕事らしいが、あまり良く知らない。
それでも中をちょっと覗いたら、知ってる人や事件が出ていたので読んでみる気になった。
割とサブカル好きなんだよね、つうより既にサブカルがメインカルチャーになっているよね。
サブカルは反知性主義とはちょっと違うようだけどかぶる所がある。
反知性主義については、今読んでいる本で、それが出てきた社会の仕組みを佐藤優と池上彰が見事に解説していた。
要は教育に金が掛かり、金持ちしかエリートになれず、多くの若者が諦めちゃうのが原因のようです。
嫌な世の中だよねえ、と老人の繰り言を書いて寝ちゃうとしましょう。



コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

丸ビル

2016年10月25日 | Weblog
午後に丸ビルでオーストリアワイン試飲会があったので、敦皇で牛肉黒胡椒炒めを食べて、Tuesday Jazz Liveを聴いて、2時に関内駅から京浜東北線に乗り東京駅まで行った。
かつての丸ビルには三菱商事があり、珈琲とマカダミアナッツの件で何度か訪ねた。
今の丸ビルが何れなのか分からなかったが、丸の内ビルに行き、会場を探したら在ったので、丸ビルは丸いビルではなく丸の内ビルの略称であることが分かった。

試飲会はこじんまりとしたものであったが、有機、赤、ゲミシュターサッツのテーブルがあり、全て試飲した。
ワインは奥が深い、場所と時間に広がっているので、まあ生きているうちに掌握するのは無理だ。

早く終わったので、茅ヶ崎の客先に寄って挨拶をして軽く飲んだ。
帰りにBOに寄って、四方田犬彦「ハイスクール1968」新潮社 2004年、〃「航海の前の読書」五柳書院 2004年、武田花「仏壇におはぎ」角川春樹事務所 2004年第一刷 2005年 第六刷を購入する。

四方田犬彦を買い出したのは食い物に関するエッセイからだったと思うが、奥行きのある文体に魅力を感じて、新刊の単行本も買ったりしたが、棚に離れて二冊あったのは少し驚いた。
割と見つかりにくい作家なのだ。
2004年の発売と、同じ時期のものなので同じ人がBOに売ったのだろう。

武田花は、武田泰淳と百合子の娘だが、武田百合子の「富士日記」を好んでいる。
ヴィヴィットな文体が好きな事もあるが、武田家の別荘のある富士山麓は、昭和40年代に父が車の免許を取って、家族でよくドライブに行ったところで思い入れが深い場所でもある。
湘南は富士箱根と伊豆という山と海の優れた観光地近くににあるが、日帰りでドライブに行くとなると、ここ以外あまり考えられなかった。
日本という国が上り調子で輝いていた時代だ、急に生活のレベルが上がったことが実感された。
花のエッセイにもこの別荘の近辺のことが書かれているので、ざっと目を通すつもりが、懐かしくてつい読み耽ってしまった。

駅ビルで、新刊本の、津野海太郎「読書と日本人」岩波新書、ウイリアム・フォークナー 諏訪部浩一訳「八月の光」岩波文庫を買う。

最近、津野海太郎のものは買うようにしている。
これが3冊目だと思うが、まだじっくりと読んでない。

フォークナーは、大学の時に「エミリーの薔薇」を教材にしたので馴染みがあり、新潮文庫でいくつか本を持っているが、この岩波の新訳は訳文がヴィヴィットで読んでみたくなった。
しかし、上下に分かれているので、新潮より倍以上高い、岩波の営業の人はそんなことを考慮しないのだろうか?
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ポケットポンスター

2016年10月24日 | Weblog
性懲りもなく、毎晩麦焼酎のトワイスアップの燗を飲んでいる。
昨夜は多分、6種類目のブランドに差し掛かったとおもうが、それは「銀座のすずめ」というやつで、割と昔から知っていた。
未知のものに対する憧れが強い性質のため、自分で買うんだったら既知のものは選ばなかったのだが、家人が買ってきたので飲む機会を得た。
地方の業務店で「銀座」の名前が付いているので売れていると、客先の業務卸で聞いたことがあるが、割と素直な味わいで、万人向けの酒質であった。
初めて意識して飲んだ麦焼酎が壱岐の無濾過の「いるか」であったため、強烈な香りと味わいで癖になった。
その後、それを求めて飲んでいるところがあるが、あれは格別のもので、通常は皆さん一般的な味わいを好むと見えて、各社の麦焼酎はひじょうに洗練された味わいである。

昨夜は、丸工房で買い求めた二個の酒器で交互に飲んでみたのだが、天然窯で焼いたものは茶色の照りがある風合いのもので、火が流れた方向などが分り、手にした感じは良い。
しかしながら酒の色が分らない、ワインほど酒の色を愛でる風は無いが、それでも近頃は透き通った透明のものから黄味がかったもの褐色がかったものまで多種あるので、出来れば白っぽい明るい色のもののほうが色を愛でるのに良い。

もう一つのは大きめで深めな盃の形状であるが、色も白っぽく、手の持った感じも良い。
しかし、電気釜のために全体の風合いが均一で面白みにかける。
それでも上薬がたれた部分や、罅が入っているところがあり、手造りの感じを残している。

まあ、買う時からそのつもりであったが、前者を焼酎に、後者を酒に使うようになるだろう。

朝のうちは曇っていたが、昼になると日が出て秋晴れになった。
日本の10月は何時もこんな風でなくちゃいけない。
軽快に「駒」に向かいチラシを食べた。
鮪、鰯酢〆、鰈縁側、帆立、蛸、味噌汁は海老ガラ出汁、茶碗蒸しが終わって大根の剣に赤貝の紐が乗っかったサラダであった。
縁側は寒平目のやつは脂っこくていけないが、この縁側はさっぱりとして歯ごたえがあり美味かった。
赤貝の紐もかなり好きなので美味しくいただいた。

馬車道から銀杏並木の大通りへ出て、関内駅前の芳林堂へ行き本を見た。
近頃ここは新刊が出るのが遅くて酷い時には出たんだか出なかったんだか分らないぐらいなのだが、新刊書に観るべきものがあり、中沢新一「ポケモンの神話学」角川新書、門間忠雄「外国人レスラー最強列伝」文春新書、池上彰・佐藤優「新・リーダー論」文春新書を買った。

中沢新一のこの本は、多分昔出したポケモン本に加筆したものだろうとは思ったが、やはりその通りで、最近のポケモンGO人気にあやかって新書版として出したようだ。
まあ、多少なりとも最近のポケモンの変化に対する考察があるだろうから読んでみよう。
一番最初のポケモン本は、もう20年以上前に出たような気がする、調べてみたら1997年出版らしいから、やっぱり20年だよ、早いもんだね。
ポケモンの製作者田尻智との対談で、都会で昆虫採集が出来ない子供のために作ったというのが記憶に残っている。
ちなみに、ポケット・モンスターとは男根のことなので、英語圏では女性を口説く時意外は必ずポケモンといいましょう。

門間忠雄「外国人レスラー最強列伝」は、プロレス好きとしては昭和プロレスの語り部である門間忠雄の書いたものであるから見過ごすわけには行かない。
別に新しいことは書いていないだろうが、老人というのはノスタルジーに浸ることで生きている感じがするものである。
ちなみに好みの外国人レスラーは、ニックボック・ウインクル、ドリー・ファンク・ジュニア、ダスティ・ローデス、ハリー・レイス、ジャック・ブリスコ、リック・フレア、リッキー・スティンボート等々だなあ、どうもNWA系列のレスラーが好きなようだ。

池上彰・佐藤優「新・リーダー論」は先月も違う事柄について二人で語ったものを読んだ気がするのだが、佐藤優が語っている部分が多かったような気がする。
佐藤優の古い本を読んでいたら、池上彰の批判をしていたのだが、二人で討論したらスイングしだしたのだろうか、これが3冊目だという。
経済は水野和夫、社会経済政治はエマニュエルトッドと佐藤優の著作を全部読むつもりでいれば、少しは世の中のことが分ってくるだろう。
それでどうするんだといわれると、返す言葉が無いが、社会に貢献する有効な方法が分るようになるかも知れないじゃないですか。

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

秋晴れ

2016年10月23日 | Weblog
久し振りの秋晴れになった。
残念ながら午前中は庭の植木の剪定をしていたが、モチの樹に3時間かかってしまい疲れた。
昔はモチが燃えにくいというので防火のために境に植えられたらしいが、今では残り2本になっている。

昼に蕎麦を食べて、午後には大磯平塚方面へ散歩に出かけることにする。
雨や曇りのことが多かったので遠出するのは久しぶりになる。
さて何か面白いものに遭遇するであろうか。

東海道線で大磯まで行き下車、「大磯うつわの日」をやっていた。
もう6回になるというのだが、散歩していた店の前にパンフレットがあり初めて気が付いた。
平塚まで歩くのを止めて、幾つかの会場を回った。
最初のところは山の上のほうで、息を切らして訪ねたが作品が完売で終了とのこと、実に疲れた。

次のところはいつもの散歩コースで、この日は湘南平の山麓の窯から作品を持って来て、展示販売しているとのこと。
丸工房の、丸岡武二、久子親娘の作品で、親父が陶器、娘がアクセサリーを展示販売していた。
商売っ気がなく気楽なもので、アップライトピアノで若い女がピアノを奏でており、母親は服の展示販売をしていた。
焼酎トワイスアップの燗を飲むのに具合のよさそうな、電気釜で焼いた大ぶりの酒杯と窯で焼いた猪口を買った。
三軒目は、古い民家の二階で姉弟で現代的なものを焼いて陳列していて悪くはなかったが、当方酒器以外に興味がなく残念ながら買うべきものがなかった。
この二階6畳ほどで階段がある南側以外三方が窓になっており、かつての家は夏涼しいことを基準に造られたことを物語っていた。
気分のいい部屋であった。

向かいの古民家でパンを販売していて、午前中で売り切れたとお姉さんに聞いたので見に行った。
俺は知らなかったのだが、高名な「リーズブレッド」のリーさんがいてしばし話をした。
毎週土曜日、大磯港の市場でパンを販売しているが、疲れてしまったので、販売店を持とうと考えているところで、この古民家が候補らしい。
そういや、娘が日本に居た時に大磯港のバザールに行ったが、人が並んでごった返していたパン屋があったっけ、カンパーニュが得意だと言っていたから、あれがリーさんお店だったのだろう。
パンをやるならワインも一緒に売ったら面白いよと話が盛り上がり、経歴やらパン作りの哲学などを聴いた。

午後はあいにく曇ったが、陶芸家の丸岡さんとリーさんに出会えて、中々いい秋の午後だった。

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

飽きの来ない酒

2016年10月22日 | Weblog
夜、炒り豆腐と筑前煮、蒸し茄子、ソーセージを肴に麦焼酎の燗を飲んだが、物足りなくて友人が土産にくれたゲヴェルツトラミネールを蒸留したものを飲んだ。
そうなると呑みすぎたようで、新風土記を観ていたら眠くなり10時前に寝てしまった。
零時過ぎに起き、再び寝たが二時半にはすっかり起きてしまったので、早朝読書を始め、前日買ったトッドの「ドイツ帝国が世界を破滅させる」を読み始めた。

しかし、何だか身体の具合が悪く読書に集中できなかった。
アグリの社長になった頃、張り切りすぎて上手く行かなかったことが思い浮かび、当時専務をやってくれたかたを上手く遇することが出来ず、私の未熟さゆえ辞めさせてしまったことを申し訳なく思い出した。
ある意味日本的な人間関係が面倒なため合理的な方向へ一直線に進み、摩擦があっても斟酌せずそのまま進む遣り方なので、実際には思う通りの結果に成らないことも多い。
腹心の部下がいた頃は、軋轢を処理してくれていたから良かったが、年長のかたが多かったので、気が付いたら回りに誰もいなくなってしまった。
我儘な若者を回りの大人が庇ってくれたのだ。
そしてそのパターンでしか仕事ができなかったし、それ以上になろうともしなかった。
それが私の美学と云ってみたいが、要するに限界であった。
もう少し早く、盛り立ててくれた年長のかたと一緒に引退していれば迷惑も少なくて終わったのかなあと今は思うが、当時は気が付かなかった。
凡人とは大体そういうものだ。
これから出来ることは社会への恩返しだが、凡人らしく小さなことから始めようとしようか。

あおい輝彦が出ている酒旅を見る、今日は信州の「大信州」と「大雪渓」であったが、それぞれ気合の入った酒造りをしていて、どちらも飲んでみたいと思った。
特に、地元でほとんど消費されるという「大雪渓 上撰」を飲んでみたい。
日常酒にこだわっているところが気にかかる。
飽きの来ない酒、飽きの来ない女、飽きの来ない文体、飽きの来ないものには永遠に繋がる秘密が隠されている。
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする