東京のスペイン料理のレストランでのディナーの席で、最近モスクワ詣でをするサプライヤーが矢鱈多く、実際相当な売り上げをして大いに潤っているようだとの話題から、アグリにはロシア語が堪能な社員がいるのでいっそのことモスクワ支店を開設して、ロシア語に不自由しているフランス・イタリア・スペインのサプライヤーの出先機関として機能させる価値があるんじゃないかとの話になりました。またそんな話をしているうちに、昨年光文社から発売された亀山郁夫さんの新約「カラマーゾフの兄弟」が契機となって、ここのところ日本ではドストエフスキーがブームになってるなあとの話題から、ついには「罪と罰」「白痴」などまで話が広がりました。
残念ながら私は、「水道管の水垢理論」を信奉しており、確かに「罪と罰」「白痴」などを読んでいるのですが、登場人物、粗筋などほとんど覚えておりませんので、具体的な物語の細部の話は拝聴するのみで、皆さん大したもんだなあと感嘆するばかりでした。
ドストエフスキーに関して、ひとつだけ印象深い事柄で、多少曖昧ではありますが強く記憶に残っていることがあります。30年前まではドストエフスキーというと、人生の重大問題を眉間にしわを寄せて、その著作から読み取らなければいけないんだというような雰囲気が強かったのですが、文化人類学者の山口昌男が、バフチンなどのロシア・フォルマリストの紹介を日本にして、それを受けた大江健三郎が「小説の方法」の中で“異化”という文化人類学の理論を小説に敷衍して、「罪と罰」は祝祭空間や哄笑によって異化作用が働いているんだと、硬直した小説の解釈方法ををまさに異化した事でした。私としては「罪と罰」を哄笑の文学として楽しく読んだ記憶があり、シリアスな内容を一切忘れてしまっております。
品種がどうだ、土壌がどうだとかの話題も重要ではありますが、硬直したワイン業界の異化作用として、ヴァルフォルモサというスペインのカバのディナーで、ドストエフスキーを話せたことがとても面白かったですね。なぜ、ジョージ・オーウェルで無いんだとおっしゃる方もおいででしょうが、そこはまあ。次回9月のカスターニョのディナーでは、正統的にセルバンテスの「ドン・キホーテ・デ・ラ・マンチャ」などを話題にして一夕を過ごせたら面白いでしょうね。そのためには細部をすっかり忘れてしまっているので密かに再読をしておかないといけません。“スペインワインやるのにドン・キホーテは基本中の基本だよ”と日頃から社員に公言しており、事実何名かは葦編三絶の打ち込みようですからね。
残念ながら私は、「水道管の水垢理論」を信奉しており、確かに「罪と罰」「白痴」などを読んでいるのですが、登場人物、粗筋などほとんど覚えておりませんので、具体的な物語の細部の話は拝聴するのみで、皆さん大したもんだなあと感嘆するばかりでした。
ドストエフスキーに関して、ひとつだけ印象深い事柄で、多少曖昧ではありますが強く記憶に残っていることがあります。30年前まではドストエフスキーというと、人生の重大問題を眉間にしわを寄せて、その著作から読み取らなければいけないんだというような雰囲気が強かったのですが、文化人類学者の山口昌男が、バフチンなどのロシア・フォルマリストの紹介を日本にして、それを受けた大江健三郎が「小説の方法」の中で“異化”という文化人類学の理論を小説に敷衍して、「罪と罰」は祝祭空間や哄笑によって異化作用が働いているんだと、硬直した小説の解釈方法ををまさに異化した事でした。私としては「罪と罰」を哄笑の文学として楽しく読んだ記憶があり、シリアスな内容を一切忘れてしまっております。
品種がどうだ、土壌がどうだとかの話題も重要ではありますが、硬直したワイン業界の異化作用として、ヴァルフォルモサというスペインのカバのディナーで、ドストエフスキーを話せたことがとても面白かったですね。なぜ、ジョージ・オーウェルで無いんだとおっしゃる方もおいででしょうが、そこはまあ。次回9月のカスターニョのディナーでは、正統的にセルバンテスの「ドン・キホーテ・デ・ラ・マンチャ」などを話題にして一夕を過ごせたら面白いでしょうね。そのためには細部をすっかり忘れてしまっているので密かに再読をしておかないといけません。“スペインワインやるのにドン・キホーテは基本中の基本だよ”と日頃から社員に公言しており、事実何名かは葦編三絶の打ち込みようですからね。