キュヴェ タカ/cuvee taka 「椿庵酔哲湘南日記」

気儘な湘南暮し ー散歩に読書、映画、酒、そして時々釣り-

ニコラ来る

2014年09月30日 | Weblog
昨日ニコラがやってきた。
2月に彼が来日した時に他に用事があり会っていないので、随分久し振りに会うことになった。
しかし、その、他の用事が思い出せない。
年を取るってのはこういう事だ。
思い出さなくても大きな支障が有る訳じゃないが、気持ちが悪いもんだ。

ニコラのワインは今期全くの不調である。
毎年金メダルで売っていたので、ブランドが育っていないのだ。
金メダルやパーカーポイントに頼って売っていると、こういうことになるが、ワインを知らない人たちにとっての選択の縁になっているのだから仕方がないところもある。
人間、すべての事に精通することは出来ないので、先達の判断にすがる事になる。

じゃあどうやって売り上げを回復させるのか。
多くの人にワインを知ってもらうしかないから、根気よく案内するしかない。
要は簡単に大量に売れるやり方をとらないことだ。
同じことを先日研磨の天才小林某という人がテレヴィで云っていたなあ。
フォード方式は一時の利益を確保できるが、技術力が低下するから長期的にみたら駄目なんだということだ。
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シュナップス

2014年09月29日 | Weblog
シュナップスの美味さが、この年になって漸く解りかけてきた。
毎日のようにリンゴと梨のシュナップスを水割りにして飲んでいるのだが、かなり薄めても果実の良い風味が鼻から抜けて心地よく楽しい。

昨夜は加山雄三武道館コンサートを観ながら三度グラスを空にした。
1965年に「夜空の星」で颯爽と現れ、二三年ヒットが続いた。
私は小学校高学年で、加山雄三喜寿記念コンサートであるから、逆算してみると28歳でヒットを飛ばし、そこからスターダムへのしあがって行き、今に至るわけだ。

茅ヶ崎で飲んでいると加山祐三の同級生や知人とあうことも多く、ゲストで出て来た桑田圭祐の友人知人はさらに多い。

シュナップスの上品で爽やかな味わいは、加山雄三の楽曲に似ている。
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万歳楽

2014年09月28日 | Weblog
今日は昨年10月6日に逝った父の1周忌を行う。
姿を見なくなって1年が経つのだが、そこいらに何時もいるような気がして、生きていた頃と変わらない気もする。
逝ってから長い間不在感や寂寥を紛らわすために酒を呑んで暮らしたが、此処のところはそのように酒を呑むことはなく、呑んでいると辺りに酒好きだった父の気配を感じて、親しみを感じ穏やかな気分になることが多い。

仏教というものがいい加減なものだと分かってきたが、それでもこうやって一定の期間を決めて故人を偲ぶ機会があるのはいい。
午後は家に帰って弟の一族とともに食事をするが、婿殿が帰りの運転をするそうで、弟は呑むつもりで来るらしい。
昨日平塚まで行き、万歳楽を買ってきておいたのを開けよう。
父は類を見ない楽天家だった、その血を引いたお陰で仕事の世界でここまでやってこれたのだが、父を偲んで酌み交わす酒としては「万歳楽」はうってつけだ。

平塚では魚屋も覗いたが、北海道の秋鮭が素晴らしく、鰤も水温の関係で上がっているらしく、ここら辺りの寒ブリの肉質に近い美味そうなやつだった。
鰹も今年は出だしが不漁で悪かったが此処へ来て戻り鰹のすばらしいのが出ていた。
戻り鰹はアルマニャックの水割りで昨夜賞味したが、見た目通りの味わいであった。

残念ながら酒の肴は仕出し屋の弁当だ。
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台風接近の気配

2014年09月27日 | Weblog
名古屋でのシエラサリナスの販促活動をエドアルドの旧知のスペイン料理店のシェフの店「ル、フエンテ」で仕舞いにして、小田原に帰り、私の旧知の料理人の店で湘南秋野菜、小田原朝どれカマス、松茸ご飯をいただいた。

酒は信濃の特別純米、少し冷やして飲んだら軽快になり美味かった。
名古屋の取引先で購入したウォシュタイプのチーズ、ショームとの相性も抜群だった。
チーズは酒が一番合うのではないか。

小田原北口の三省堂をのぞき、大澤真幸「<問い>の読書術」朝日新書を買った。
ここのところ評判の悪い朝日新聞だが、大澤真幸は何時も買い求める作家なので、まさか本の内容にインチキは無いだろう。

資本主義は倫理観を減退するというサンデルの著書の解説が最初にあったが、プロテスタンティズムが資本主義を成立させたのに、それが高度に発展すると逆の流れになるのは何故だろう。

波が高くて今日は釣りができそうもない、台風の接近が恨めしい。

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ラパラCD9

2014年09月26日 | Weblog
昨日栄からホテルへ帰る途中で古書店により、開高健「オーパ」集英社文庫1981年一刷1997年31刷を見かけ、「一時間幸せになりたかったら酒を飲みなさい、三日間幸せになりたかったら結婚しなさい、八日間幸せになりたかったら豚を殺して食べなさい、永遠に幸せになりたかったら釣りを覚えなさい」という関東の中国古諺を久し振りに読み思わず購入してしまった。

今朝早く起き、メールのチェックをしてから「オーパ」のページをめくって眺めた。
ついこの間までオーパに乗っていたのはこの本に拠るのだが、それほどこの本は画期的な釣り本であった。
高橋昇が撮った、今では使われなくなったラパラのカウントダウンをみると、胸にこみ上げる懐かしさを感じる。
私が釣りを始めた1995年には、銃身移動方式の台頭により、既にラパラは時代遅れのルアーになっていたが泳ぎは群を抜いていて、飛距離の欠点を補うために尻尾のほうに鉛を巻きつけて使われていた。
今は無き上州屋の日の出町店で湘南の平目釣り用に進められたかったのがラパラCD9だったなあと思い出す。
結局、平目にはアスリート9S、K-10の9S、ショワラインシャイナーR40Sを使い数え切れないほどの平目を釣り上げた。
ラパラは使わずに仕舞い込んでしまったが、久し振りに秋の平目シーズンにラパラを使って遊んでみようか。

確かに釣りをしていると一生幸せでいられる。


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名古屋にて

2014年09月25日 | Weblog
シエラサリナスと一日名古屋で仕事をした。
朝一で業務卸店を訪ねたが、ワインも美味く感じられ、お店も良いので楽しかった。
ミラサリナス取扱店で昼食をしたが、料理が美味く、郊外店なのにフルハウスであった。
料理は美味くなくちゃいけない。
しないで試飲セミナーを行い、夜はスペインレストランでお客様とディナーを行った。
異なるパターンの仕事だったので面白かったが、かなり疲れた。
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魅惑のグラスミノー

2014年09月24日 | Weblog
昨日は台風の影響か、うねりがあって釣りにくく、メッキを一尾釣り上げて、程なく納竿してしまった。
潮が澄んでいて波が穏やかだと、この時期ソーダ鰹と鯖が岸近くに寄るので、程よい間隔で釣れ、飽きることなく楽しめる。

快晴の秋空に向かってジェット天秤を投げ、紺碧の海に白波をたて着水し、水面をダートしながら水を切って波をたて走る。
その後ろをグラスミノーSSが小さいながらも白く水面を泡立てながら付いてくるのを見ているだけでもたのしい。
時々グラスミノーを追いかけてソーダ鰹がやって来て、水飛沫をたてながら補食するのが見えるのだが、そのときは手にしているロッドに衝撃が走る。
その瞬間は何度経験しても興奮する。

峡竹桃や百日紅が未だ咲いているが、彼岸花や紫式部などの秋の花を見るのが楽しい。
わくわくでは、青切りミカン、栗、無花果、葡萄、梨が並び、野菜は茄子と茗荷、落花生、薩摩芋が大量に並んでいる。
秋も大分深まり暑さを感じない良い季節になった。

今日は鎌倉でシエラ・サリナスのディナーパーティが行われる。
鎌倉で行うディナーパーティはタリケに続いて二度目だが、古都にワインは良く似合う。
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仏陀の教え

2014年09月23日 | Weblog
副島隆彦の歴史に関する本を読んで、日本の仏教がいかにいい加減なものであるかの指摘に大いに得心し、中村元が翻訳した原典を再読しようと書庫で岩波文庫のありかを探索してみたが見当たらなかった。
昨日、ふと紀伊国屋の岩波現代文庫の新刊を眺めると「原始仏典を読む」が出ていたので、中村元には縁があるなと買い求めた。

何故日本では、高い教育を受けた中国人でさへその意味が不明な漢文をそのまま読んでいるのか、現代人に内容を悟らせず、寺院の中の秘め事にして、権威を保つための方策としか思えない。
仏事のたびに意味不明な呪文を一時間も聞いていなければならないのは大いなる無駄ではないのか。
死者に対する非礼を避けるために、ただ俯き時間をやり過ごしているが、誰一人として経の意味を解しているとは思えない。

若い頃に読んだ中村元訳の原典には、現世で出来てしまった縁を切ることの重要性が書かれていたが、浅学非才な私には、日本仏教のどこにその教えがあるのか全く分からない。


昨夜、関内のスペインバルで、シエラサリナスのエドアルドと共にワインを飲んだ。
2005年の1237が圧倒的に美味かった。

帰りに茅ヶ崎で下車してサトシの処で、ラッキョウ、蓮のキンピラを肴にビールを呑み、餃子と野菜炒めで霧島の白と黒を煽りながら、千葉からわざわざサンマーメンを食いに来たというオジサンと、北京亭が起源と云われる、茅ヶ崎辺りの特別な中華丼に涙を流すオジサン二人組と大いに話が盛り上がった。
〆に喰ったラーメンはやっぱり街道一だ。

お陰で今朝は二日酔いでぐったりしている。
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ワカシ

2014年09月22日 | Weblog
朝早くから秋晴れの目の覚めるような天気であった。
墓参りにゆき、墓の掃除をして小菊を手向け、線香をあげてきた。
アクアに乗っていったのだが、高速でリッター38キロメートル走ったのには驚いた。
身体がデカイので運転席に入るときにハンドルが腿に当たる欠点はあるものの、空気抵抗を減らすため車高が低くなければならず、仕方がないだろう。
静かだし小回りが効いて街中の運転はすこぶるしやすい。

ベッドに横になり抜けるような青空を見ながら、昼まで団伊玖磨の「舌の上の散歩道」を読む。
文筆が本業でない人の文章は気っぷが良いと面白いのだが、団伊玖磨のエッセイはじつに痛快である。
秋晴れのこんな天気に読むのにもっとも相応しい。
しかし、このかた見かけによらず健啖家で、米の飯には目がなく朝昼晩と三度三度喰わなきゃ気がすまない。
食の細いやつが、何処其処の何が美味いと云ってるのを聞いても、聞き流すだけで相手にしないが、健啖家の話には思わず耳を傾けてしまう。

仲人をした結婚式の披露宴で、土産用の折り詰めの赤飯と鯛のお頭付きに箸を伸ばし、ようやく腹が収まったのだが、家に帰り奥さんから恥ずかしくて仕方がなかったと云われ、出ているものを喰って何が悪いと反論した。
私も同じことをした覚えがある。
箸を付けずに家に持って帰るなんてさもしい根性が嫌いだ。

午後早めに大磯の浜までサーフトローリングをやりに行く。
南風で波が高く釣りにくい海だったが、実際釣果もなく二時間が過ぎた。
それでも午後四時過ぎ何かが掛かり右へ左へと走るのを慎重に上げたら30㎝のワカシだった。宗田鰹と思っていたので以外だった。五時半までやって小型の鯖を上げて納竿にした。

家に帰ってワカシを刺身にしたが、肉に厚みと歯応えがあって素晴らしく美味かった。
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逝きし世の面影

2014年09月21日 | Weblog
渡辺京二「無名の人生」を読了。
熊本に居て無名で生きたいと云っても「逝きし世の面影」は誰でも知っていて誰にも知られず生きるのは難しいのではないか。
しかし、テレビに出てるわけではないので顔は存じ上げない。
大陸育ちの骨太なかたで、戦後民主主義を率いた青白いインテリとは肌あいが違う。
戦後の教育制度で育った私は、このようなかたと巡り会うのに物凄く時間を要したが、民主主義が多様性の容認なら、なぜ渡辺京二をもっと早く世に出さなかったのか。

先週サーフトローリングで爆釣したので柳下の鰌ならぬソーダ鰹を求めて、大磯海岸で竿を振った。
ソーダ鰹と鯖を各一尾釣り上げ、刺身と味噌汁で美味しくいただいた。
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