旅先での読書は、いつもの自分の時間に戻れるためか気分が落ち着く。
今回はあまり読書の時間がなかったが、それでも佐藤優と北原みのりの「性と国家」を楽しく読んだ。
佐藤優はポストモダンの嵐が吹き荒れた80年代から90年代にかけてロシアに駐在していたために、影響をもろに受けていないので冷静な目でポストモダンを批判している。
特に宮台真司については、両者かなり否定的である。
反知性主義とポストモダンは同時に進み、新しい規範を何にも残さなかった点では、団塊の世代=全共闘と類似しているように見える。
反知性主義は今も色濃く残っているが、ポストモダンはバブル崩壊と共に消えたようで、大きな物語が出来ていないことや、定義や意味が喪失している事を思うとしぶとく生き残っているのかもしれない。
しかし、大きな物語に弱い人間に、魅力的で悪い物語が語られるよりましなのだろう。
山に向かう途中で、タイ・ビルマ方面戦病死者慰霊碑に花を手向け線香を上げたが、大東和共栄圏という大きな悪い物語の当事者であり犠牲者である。
ピーアンの説明によれば、日本への帰国の際は、ビルマ方面からチェンマイを経由してバンコクへ向かったらしいが、ここで病死した日本人が多くいたとのことだ。
加藤隼戦闘隊の軍記を読んだときに、隊は主にビルマ方面に展開していたがチェンマイの飛行場にも一時展開ていて、機会があればその飛行場を訪ねてみたかった。
現在のチェンマイ空港隣の空軍基地を、かつては帝国陸軍航空隊が使っていたのかも知れないが、今回忙しくてその場所を特定できていない。
加藤建男隼戦闘隊長はビルマの海に撃墜されて沈んでいるが、せめてチェンマイ基地に花を手向けたかった。
悪い大きな物語だったとはいえ、国のために命を捧げた人たちを顕彰し霊を慰めることをしたい。
観光や海水浴、酷いのになると買春ツアーでタイにやって来る人達は多いが、かつて日本が侵略した事実と国家に尽くした人たちに思いを寄せる人は少ない。
思えば明治に富国強兵という大きな物語に向けて、日清・日露を勝ち抜き、大東和戦争まで一気に進んだ。敗戦で振り出しに戻り、吉田茂の独断で国の威信回復を捨て経済復興に邁進した結果、思いもよらず短期でことがなってしまった。
さて、国の威信回復をと考えたとき、衣食住が足りたにもかかわらず、その先の贅沢へ欲望の一本道を邁進するのみで、国の威信なぞ何になるのかと忘れ去られた。
ここへ来て、快適で豊かな生活という大きな物語の物質面での限界が見え、人間の尊厳と独立国家の威信を考えるときが来ているのではないか。
朝、パパイヤ、豚のミンチ粥、豚肉とソーセージ、卵の粽と山岳民族の茶を飲んだ。
近所へ散歩に出るが、農家や一般の家が平台に野菜や菓子、惣菜を並べて小商いをしていて、田舎の小道に店の数がやけに多い。
夜、車で帰ると、そういった店で近所の人が集まって飲んでいる。
ここは基本的に持ち込みOKで、私ならラムを持ち込んで氷とソーダを買えばいい。
肴も柿の種でも持ち込んで飲んでいても、とやかく云われない。
そうなると、家で一人で飲もうなんて気は起きない。
店は儲かっているんだかどうだか分からないが、人が集まって楽しくやれる場所を提供出来ることを功徳と考えているようである。
とにかく人に何か尽くすことが功徳である国と、人を出し抜いて儲けることしか考えない国では、幸福感が違って当たり前だ。
二三の店で菓子や見たこともないへんてこなもの買い、寺を幾つか参詣して、マッサージを受けて帰ってきた。
今回はあまり読書の時間がなかったが、それでも佐藤優と北原みのりの「性と国家」を楽しく読んだ。
佐藤優はポストモダンの嵐が吹き荒れた80年代から90年代にかけてロシアに駐在していたために、影響をもろに受けていないので冷静な目でポストモダンを批判している。
特に宮台真司については、両者かなり否定的である。
反知性主義とポストモダンは同時に進み、新しい規範を何にも残さなかった点では、団塊の世代=全共闘と類似しているように見える。
反知性主義は今も色濃く残っているが、ポストモダンはバブル崩壊と共に消えたようで、大きな物語が出来ていないことや、定義や意味が喪失している事を思うとしぶとく生き残っているのかもしれない。
しかし、大きな物語に弱い人間に、魅力的で悪い物語が語られるよりましなのだろう。
山に向かう途中で、タイ・ビルマ方面戦病死者慰霊碑に花を手向け線香を上げたが、大東和共栄圏という大きな悪い物語の当事者であり犠牲者である。
ピーアンの説明によれば、日本への帰国の際は、ビルマ方面からチェンマイを経由してバンコクへ向かったらしいが、ここで病死した日本人が多くいたとのことだ。
加藤隼戦闘隊の軍記を読んだときに、隊は主にビルマ方面に展開していたがチェンマイの飛行場にも一時展開ていて、機会があればその飛行場を訪ねてみたかった。
現在のチェンマイ空港隣の空軍基地を、かつては帝国陸軍航空隊が使っていたのかも知れないが、今回忙しくてその場所を特定できていない。
加藤建男隼戦闘隊長はビルマの海に撃墜されて沈んでいるが、せめてチェンマイ基地に花を手向けたかった。
悪い大きな物語だったとはいえ、国のために命を捧げた人たちを顕彰し霊を慰めることをしたい。
観光や海水浴、酷いのになると買春ツアーでタイにやって来る人達は多いが、かつて日本が侵略した事実と国家に尽くした人たちに思いを寄せる人は少ない。
思えば明治に富国強兵という大きな物語に向けて、日清・日露を勝ち抜き、大東和戦争まで一気に進んだ。敗戦で振り出しに戻り、吉田茂の独断で国の威信回復を捨て経済復興に邁進した結果、思いもよらず短期でことがなってしまった。
さて、国の威信回復をと考えたとき、衣食住が足りたにもかかわらず、その先の贅沢へ欲望の一本道を邁進するのみで、国の威信なぞ何になるのかと忘れ去られた。
ここへ来て、快適で豊かな生活という大きな物語の物質面での限界が見え、人間の尊厳と独立国家の威信を考えるときが来ているのではないか。
朝、パパイヤ、豚のミンチ粥、豚肉とソーセージ、卵の粽と山岳民族の茶を飲んだ。
近所へ散歩に出るが、農家や一般の家が平台に野菜や菓子、惣菜を並べて小商いをしていて、田舎の小道に店の数がやけに多い。
夜、車で帰ると、そういった店で近所の人が集まって飲んでいる。
ここは基本的に持ち込みOKで、私ならラムを持ち込んで氷とソーダを買えばいい。
肴も柿の種でも持ち込んで飲んでいても、とやかく云われない。
そうなると、家で一人で飲もうなんて気は起きない。
店は儲かっているんだかどうだか分からないが、人が集まって楽しくやれる場所を提供出来ることを功徳と考えているようである。
とにかく人に何か尽くすことが功徳である国と、人を出し抜いて儲けることしか考えない国では、幸福感が違って当たり前だ。
二三の店で菓子や見たこともないへんてこなもの買い、寺を幾つか参詣して、マッサージを受けて帰ってきた。