不適切な表現に該当する恐れがある内容を一部非表示にしています

キュヴェ タカ/cuvee taka 「酔哲湘南日記」

新鮮な山海の恵みを肴に酒を吞み、読書、映画・音楽鑑賞、散歩と湘南スローライフを愉しんでいる。 

チェンマイ郊外で

2016年12月31日 | Weblog
旅先での読書は、いつもの自分の時間に戻れるためか気分が落ち着く。
今回はあまり読書の時間がなかったが、それでも佐藤優と北原みのりの「性と国家」を楽しく読んだ。
佐藤優はポストモダンの嵐が吹き荒れた80年代から90年代にかけてロシアに駐在していたために、影響をもろに受けていないので冷静な目でポストモダンを批判している。
特に宮台真司については、両者かなり否定的である。

反知性主義とポストモダンは同時に進み、新しい規範を何にも残さなかった点では、団塊の世代=全共闘と類似しているように見える。
反知性主義は今も色濃く残っているが、ポストモダンはバブル崩壊と共に消えたようで、大きな物語が出来ていないことや、定義や意味が喪失している事を思うとしぶとく生き残っているのかもしれない。
しかし、大きな物語に弱い人間に、魅力的で悪い物語が語られるよりましなのだろう。

山に向かう途中で、タイ・ビルマ方面戦病死者慰霊碑に花を手向け線香を上げたが、大東和共栄圏という大きな悪い物語の当事者であり犠牲者である。
ピーアンの説明によれば、日本への帰国の際は、ビルマ方面からチェンマイを経由してバンコクへ向かったらしいが、ここで病死した日本人が多くいたとのことだ。
加藤隼戦闘隊の軍記を読んだときに、隊は主にビルマ方面に展開していたがチェンマイの飛行場にも一時展開ていて、機会があればその飛行場を訪ねてみたかった。

現在のチェンマイ空港隣の空軍基地を、かつては帝国陸軍航空隊が使っていたのかも知れないが、今回忙しくてその場所を特定できていない。
加藤建男隼戦闘隊長はビルマの海に撃墜されて沈んでいるが、せめてチェンマイ基地に花を手向けたかった。
悪い大きな物語だったとはいえ、国のために命を捧げた人たちを顕彰し霊を慰めることをしたい。
観光や海水浴、酷いのになると買春ツアーでタイにやって来る人達は多いが、かつて日本が侵略した事実と国家に尽くした人たちに思いを寄せる人は少ない。

思えば明治に富国強兵という大きな物語に向けて、日清・日露を勝ち抜き、大東和戦争まで一気に進んだ。敗戦で振り出しに戻り、吉田茂の独断で国の威信回復を捨て経済復興に邁進した結果、思いもよらず短期でことがなってしまった。
さて、国の威信回復をと考えたとき、衣食住が足りたにもかかわらず、その先の贅沢へ欲望の一本道を邁進するのみで、国の威信なぞ何になるのかと忘れ去られた。
ここへ来て、快適で豊かな生活という大きな物語の物質面での限界が見え、人間の尊厳と独立国家の威信を考えるときが来ているのではないか。

朝、パパイヤ、豚のミンチ粥、豚肉とソーセージ、卵の粽と山岳民族の茶を飲んだ。

近所へ散歩に出るが、農家や一般の家が平台に野菜や菓子、惣菜を並べて小商いをしていて、田舎の小道に店の数がやけに多い。
夜、車で帰ると、そういった店で近所の人が集まって飲んでいる。
ここは基本的に持ち込みOKで、私ならラムを持ち込んで氷とソーダを買えばいい。
肴も柿の種でも持ち込んで飲んでいても、とやかく云われない。
そうなると、家で一人で飲もうなんて気は起きない。
店は儲かっているんだかどうだか分からないが、人が集まって楽しくやれる場所を提供出来ることを功徳と考えているようである。
とにかく人に何か尽くすことが功徳である国と、人を出し抜いて儲けることしか考えない国では、幸福感が違って当たり前だ。

二三の店で菓子や見たこともないへんてこなもの買い、寺を幾つか参詣して、マッサージを受けて帰ってきた。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

この旅も後二日

2016年12月30日 | Weblog
いよいよチェンマイも9日目で、明日には帰ることになる。
二泊か三泊でやって来ていたら、世話しなく動き回ったことだろうが、後半はのんびりとやっている。

昨日は昼まで読書などをしてぶらぶらと過ごし、ピーアンの車でチェンマイで一番古い寺、ワット チェンマンを見学した。
ロア族を追い払ったタイ族の王が、ここに鹿が2頭いたので寺を建てたらしい。
仏教と鹿とは切り離せない深い縁を持っている。

昼飯をギャラリーの近所のカフェで食べるが、私は海老のワンタンスープとマンゴスムージーだけにした。腹の具合が悪く、唐辛子とタイの香辛料は喰えない。
スーパーマーケットでパパイヤやスナックなどを買う。
見知ったマシュマロがあるので裏を見たら、ウイングエースの名前があったのでビックリした。

この日帰国する友人が粽を土産に買いたいとのことで、中華料理店で調達し、その近所のワットジェットヨートを見学した。
菩提樹を支える白い三又が99バーツで売られていて、信心深い人たちが買いもとめ、菩提樹の梢を支えていた。
まあ、日本には菩提樹がないから、この風習が伝わらなかったのだろうが、初めて目にした。

ギャラリーに帰って、再び展示を観るが、山に行ってきたので、展示内容が身近に感じられ、良く理解できた。
ここの写真とビデオは、水牛を生け贄にしているが、村で観たのは豚であった。
だが、その雰囲気が実感として伝わって来た。
息子も同じ感想を漏らしていた。

昨年5月に山の畑に蒔いた綿花を収穫して、それを紡いで織り上げたものが最終作品として展示されているが、ようやく展示の意図がハッキリ分かった。
生け贄のシーンが強烈なので、綿花の栽培から織物までの主旋律が聴きとりにくかったのだ。

ロア族は今、綿花の栽培は僅かしかやっておらず、最も現金収入のいい資料用玉蜀黍の栽培をメインにやっていて、綿糸は中国製のものを買っているとのことだ。

夜、中華粥を所望し、24時間営業の粥屋で、海老の粥と焼売、肉まんなどを食べる。
雑多な店だが存外美味いので驚いた。

胃腸をかなり酷くやられていて、こんなに快復に長引くのは久し振りのことだ。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

チェンマイ郊外娘のアパートで

2016年12月29日 | Weblog
チェンマイ郊外のホテルに帰ってきたが、前夜の暴飲暴食が祟り、胃が痛く下痢をしている。
体調が悪いので、タイ北部料理の味と匂いが鼻に付きだしてきて、銀シャリに漬物と鯵の干物に豆腐と若布の味噌汁が食いたくなってきた。
讃岐うどんにおあげさんでもいい。
とにかく胃に優しいのを食いたい。
タイに来て1週間なので、疲れがたまってきているようだ。
後4日間はのんびり過ごして新年を迎えたい。

朝飯を食堂で食べるが、またオーナーのピーアンが沢山用意してくれて、トーストにハギスのタイバージョン要は血のソーセージ、ベーコン、ソーセージ、目玉焼き、マッシュルーム、トマト、タイ粽、珈琲、オレンジジュースが出てきたが、さすがに少し手をつけただけで喰えなかった。
ピーアンは二日間山の往復12時間を運転してくれたが、疲れた様子もなく、上から下までタイの民族衣装を身に付け、スッキリした出で立ちで、快調に朝飯を平らげた。
44歳は還暦過ぎのジジイとは違うね。

珈琲を飲みながら民俗学、歴史学、地形学、文化人類学などに話がおよび楽しい時間を過ごした。
話の後に広大な屋敷の一つに集められた、舞踏の仮面、楽器、陶磁器、彫刻等のコレクションを見せてもらう。
最後はピーアンの太鼓の演奏を聞かせてもらった。

かつては縫製工場を経営していて、数百人で英国向けの服を作っていたが、支那の価格に対抗できず閉鎖したが、当時蓄積した富を注ぎ込んで建てた邸宅の維持費が莫大で、ホテルに改造したが、郊外ゆえに客が来ないらしい。
だが、贅を尽くした建築や、マホガニーの家具などは、もう今では作れないと思われるシロモノで、いったいどれだけ稼いだのか想像も出来ぬ。

ピーアンのお母さんの運転手をかりて、直しを依頼したタイシルクのワンピースを市内のブティックに取りに行き、系列店のスタジオの方で、手織りの綿布で茶と紺のシャツをオーダーした。
ここはオーストラリアの女性がオーナーで、娘が最初の頃に世話になったかただ。

腹の具合が悪いので、昼を抜きにして喫茶店でマンゴスムージーを頼むが3分の1飲むのがやっとであった。
両替所で4万円ほどをバーツに替えた。

娘の展示会のギャラリーへ寄るが、プロフィールと織器が盗まれていて、犯人の手掛かりはなかった。
盗みが禁じられているタイの人の仕業ではないような気がする。

ギャラリーまで運転所に来てもらい、娘のアパートまで帰る。
途中、お粥とフルーツを買ってもらったが、パパイヤ、グアバ、ジャックフルーツを少し食べて、娘のベッドに横になった。

隣の部屋では、姉弟が近所から借りてきた布団を敷いて仲良くあれこれやっている。
体調が最悪でも、娘のところに厄介になるのは嬉しいもので、生まれたときの頃からの思い出に浸りながら、きっとニタニタしていることだろう。
憎まれ口をきくので喧嘩ばかりしているが、目の中にいれても痛くないというやつで、端から見たら親バカ丸出しでみっともないが、一方的に偏愛している。。
4年間の集大成の展示は、閉所恐怖症で飛行機に乗れず来れなかった、妻にも見せてやりたかった。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

山二日目

2016年12月28日 | Weblog
朝、鶏の声で目覚め、囲炉裏の埋火に薪をくべて火をおこし、中華饅頭を蒸して食べた。
クリーム、胡麻餡、アプリコット餡の三種類四個を湯の中にコップを立て、その上に一個ずつ乗せて蒸したので、小一時間掛かったが、ゆったりとした時間を過ごした。
ここは茶を飲む習慣がなく、それに従って白湯を飲んだ。

前夜、夜に薫る南国の花の香りを嗅ぎ、ハワイに住んだ遠い昔を思い出した。
山は1,000メートル以上の標高でチェンマイに比べても冷涼な気候だが、それでも庭にはハイビスカスやブーゲンビリアが咲いている。
寝る前に見上げた夜空は、まさに星屑で大学時代の白樺湖の合宿で眺めた夜空以来であった。

朝飯の後、死者の霊を慰める儀式をやっているとのことで、観に行ったが、すでに生け贄の豚は殺されていて、梢2本で作られた祭壇には、野菜と果物を細かく刻んだものや豚の血が葉に盛られ、胆嚢が吊るされていた。
それをシャーマンが見守り、他の男たちは内蔵をすべて取り出した豚の肛門から口に10㎝程の生木の枝を通し、火で毛と皮を焼いてスプーンでこそぎ落としていた。
これをやると香ばしくなり肉が美味くなるとのことである。
葉をひきつめた上に豚を移し、山刀で耳、後脚、背中の肉の順に解体して行き、内蔵と一部の肉は切り分けられ村の長老10人に分けられ、大振りの葉に包まれ稲藁で結ばれた。

足先や耳などは鍋で煮られ、参加した男たちに焼酎と共に供される。

この儀式は、死人の霊を祭る家が豚と酒を準備できるときに行うようで、日本のように死後何年と決められていない。

その後、織物をやっている家に数件寄り、ロア族の様式の肩に掛ける袋を10枚ほど買った。
訪れた家のオバアサンは、ロア族の伝統衣装を身に付けていたが、働き盛りの女は動きやすいなりをしていて、年を取ってから伝統衣装を着るのかどうかは分からない。
14歳の少女が織りを見せてくれたが、腰に当て物をして、日本の反物と同じ幅に織るのだが、高等教育を受けるには山を降り町の生活となり、そこで織りは中断してしまう。
成人してロア族の男と一緒になり、その村で子育てをして、その後でまた織りを再開してくれればいいのだが、日本ではそうはならなかった。

娘によれば、すでにこの村にも外部から人が入っているので、織物の値段は高いという、ただし二日かけて織ったものが500円とか1,000円である。
目利きの能力や輸送コストを考慮しなければならないが、日本ではそれが5倍くらいの価格で販売されている。
また、チェンマイのコーディネーターが、現代のファッションにアレンジして町で販売しているので、織り手の収入が増えたら、織りの技術は伝承されて行くのかもしれない。
手織りの風合いは、暖かみがあり、使い込むほどに味わいが増すのは、他の手作りの品物と同様である。
こういった技術は後々まで残したい。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

バーンムットロン

2016年12月27日 | Weblog
山に入った。
高床式の家に泊まったが、娘がソーラーシステムをセットしてあったので、小さな小屋に電気があり明るい所で囲炉裏で酒を燗して飲むことができた。
この村では各家庭で焼酎を造っていて、割とアルコールは低めだが皆さんそれを飲んでいるためなのか、酒の評価は低かった。
柿の種を肴に、焼酎と酒を飲んだが、火を見ながら飲むと気分が落ち着くように人間は出来ている。

水は上流の水源から取っていて、ホースで高床のベランダにあたるところに取り込んで料理や洗い物に使い、隣に並んだ水風呂と便所にも引き込んであり、各々2つの水溜めがある。
人間が生きて行きにはまずは水である。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

チェンマイ4 日目

2016年12月26日 | Weblog
朝、タイの織物の店に行きスカーフ、トートバッグ、巾着、ブラウスを買う。
3年ほど前に、娘にスカーフ、シャツ、グラスなどを買ってきてもらった店で、知っている柄や織りの商品があり懐かしい感じかして買いすぎた。
同行の知人などは更に多くのものを買った。

手織りの布で作ったものは味わいがあり、使い込むほどに馴染んで来るので、新品のよさと、時間が経つにつれた味わいを楽しむことができる。
絹織物も山繭を使っているためか、手洗いができのがいい。

昼は最初の晩に食事をした店が美味かったので、そこにした。
この三日で北部料理を食べてきたが、やはりここはレベルが高いと再確認した。

乗り合いタクシーでトラブり次の洞窟の寺まで1時間かかった。
タイの人は善良であるのが通説だが、何処でも酷いのもいる。
寺を参詣して、予約してあったマッサージに行く。

途中娘の友人の陶芸家のところに寄りマグカップを買い求めた。
ブルーが素晴らしい、薄手のもので、450バーツであった。
この辺りにはアーティストやハンドクラフトの作家が多く、楽しい通りで、かつて娘も近くに住んでいて知人も多い。

マッサージのところは、娘が通っている名人と聞いたが、1時間半とにかく痛かった。
娘によれば施療してくれたオバサンが、身体中どこも固くて一年通わなければ、まともにならないくらい悪い状態と云っていたとの事だが、まあ、自分でも身体が凝り固まっていると思う。
身体だけでなく精神の柔軟性も損なわれているに違いない。
35年間の気がつかないストレスも含めて蓄積した結果だ。
秋からタイに半年ばかり暮らして、このオバサンにお願いしようかと真剣に思っている。

連れの人たちが近所の東屋でタイの屋台料理を食べ始めてるとの事で、タイ産のラム「サングソム」を280バーツで買い、ソーダ割にして飲んだ。
川魚の唐揚げが思いの外美味かった。
途中で娘が烏賊焼きが来たと叫び、買いに行ったが、バイクの串焼き屋がやって来ていて、スルメや肉や野菜を串に刺したのを炭火で焼いていて、小ぶりなスルメとシロを買って肴にした。

道のはす向かいの、娘の友人のピザ屋に場所を代えて、ピザでラムソーダを飲む。
ピザはタイの香辛料の風味がした。

帰りの車にトラブルがあり、ホテルに帰るのに1時間かかり、そこから娘の友人の次の宿泊場所に移ったが、郊外の豪勢なホテルで、郊外過ぎて客が居ないとのこと。
今日は移動にトラブル続きの日であったが、最後にでっかい部屋で、のびのびと寝ることが出来た。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

チェンマイ3 日目

2016年12月25日 | Weblog
朝、近所の寺院を見学した。
タイの人たちは入口で寄付をして蓮の花をもらい、仏壇に手向けていた。
外国人は20バーツの入場料を払い、仏前に向かい正座して合掌3度礼拝をする。
そこかしこにアンドロイドの僧侶が鎮座しているのが不快だが、15名ばかりの生身の僧侶も鎮座していて、研修僧が晴れて僧侶になる儀式を執り行っていたらしい。

本堂以外にも経典の保管庫だとかね建造物があり、壁面に極彩色の絵が描かれ、柱や戸は朱の漆に金で紋様や仏の姿が描かれていた。この建築様式をラーンナー様式と云うらしいが定かではない。
壁画には当時の女性の姿が描かれていて、トップレスで布をまとっていたが、娘が盛んにそれを指摘していた。

日本も最近まで授乳時には人前で乳房を出していたし、夏は上半身裸になって暑さを凌いでいた女性がいたものだが、戦後マッカーサーにより、その意識に変化があったと読んだことがある。

ハワイ駐在の折り、日本人の女性はビキニの上にTシャツを着て町を歩いてたのにたいし、アメリカ人女性はシヨートパンツをはいて街を闊歩していた。
これは日本人女性は乳房を隠し、アメリカ人女性は性器を隠す意識が強いことを意味していて、半世紀の内に彼我の意識が逆転したのだろうかと、当時いぶかしく思った。


次にチェンマイ最古の寺まで歩く予定だったが、娘と友人が雑貨屋に引っ掛かり買い物をしたり、娘に講演のオファーが来ている展示センターに寄ったりした。

最後はホテルでやっているモン族の写真展を観て決定的に時間を食ってしまった。

文化人類学は古い儀式を持った部族が消滅してしまったので存在しなくなっているのかと思っていたが、白人女性により、儀式が写真とビデオ映像に残されていて、幾つかの楽器も展示されていた。
娘によれば、モン族は他所から布地を買ってきて刺繍やアップリケを縫い付けて衣装を作っているとのことで、派手な色彩にチャラチャラした飾り物が付いている民族衣装である。
ただし、大麻の繊維から布を作っていて腰に掛けた織り器の構造は珍しいものだそうだ。
多分、葬式の儀式と思われたが、犬の生首が長い棒の先に飾ってあったのは、気味が悪かった。

日本でも400年前は、褒賞金目当てに下級武士が戦の後に人の生首を幾つも持って歩いていたわけだから、気味悪さは慣れによるもので、儀式の当時者が持っている感情は推し量ることは出来ない。

この展示を観るのに長い時間を費やし昼を過ぎてしまったので、最古の寺を諦めて、乗り合いタクシーでホテルの近くのローストチキンの店に戻り昼を食べた。
日本語のメニューがあったので日本人観光客も押し寄せている人気店なのだろう。
出掛けにオヤジがチキンを店先で焼いているところを見たが、熱源が縦になっていて、その回りで20羽ほどの鶏が回っていて、バームクーヘン、饂飩、蕎麦、煎餅、饅頭飴などの実演販売と同じで、人気の秘密はここにあるとみた。

出てきた鶏は塩が効き過ぎていたが、まあまあ美味かった。
ローストチキンより、他の料理が思いの外美味かった。
白人も押し掛けていていたので、白人向けのガイドブックにも載っていて、観光客全般に人気の店なのだろう。


ホテルの隣の盲学校でマッサージを2時間受けたが、私の担当は女性の学生であまり上手く無かった。

4時頃大学の教授がスピリッツメーカーを紹介してくれるとの事で、乗り合いタクシーをチャーターして出掛けた。
チェンマイの北東30キロ位のところのようで30分くらい走った。
工場の近くは昭和30年代の日本の農村のようで、懐かしい風景であった。

製造場はオーナーがこじんまりと家族だけでやっていて、そこではココナッツの花と若い実を発酵させ、3度蒸留して水を加え40度にして瓶詰めまで行っていた。
他にも製造場があり、バナナと馬鈴薯からスピリッツを生産していて、月産2,400本位を生産しているようだ、小売価格は400バーツらしいが、タイでは高級品なのかもしれない。

マンゴー、パッションフルーツを使った二種類のカクテルのレシピーもあり、シェイカーを使って作ってくれた。
最近日本でも夏になるとオーセンティクバーでフルーツカクテルが全盛だが、南国産のスピリッツを使うところにアピールポイントがある。
少なくともチェンマイのバーでは人気となるだろう。
庭の大きな東屋で、ナッツを肴に飲み始め、カレーや魚の唐揚げなどを出していただき、夕焼けを観て、暗くなってからは虫の声を聴きながらバナナ、ココナッツ、芋の三種類を飲み続けたが、バナナは柔らかく、ココナッツは原料のイメージとは裏腹にシャープで、芋はウオッカに似ていた。
真っ先にココナッツの瓶が空になったのが物語っているが、これが酒飲みには一番だった。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

チェンマイ2 日目

2016年12月24日 | Weblog
ホテルの朝食は、紅茶、珈琲、ココア、バナナ、ミカン、トーストにマーマレードとイチゴ?ジャム、それにバター、それが全てだがけっこう満足した。

朝飯を食べているとき、東洋人の女が一人プールに入っていた。
熱帯のタイとはいえ、チェンマイは高原であり、しかも冬である。
気温は20℃に満たないし、水温はさらに低いはず、そこへ珈琲を持って行き、自撮りをしながら、珈琲を飲み、プールに入っている。
自己愛を見せつけられて気持ち悪かった。
近頃こういう女が多い、男の性欲が衰えていて女全般に行き渡らないからかもしれない。

川のそばの市場へ乗り合いタクシーで行き、ヌードルを食べたが、美味いのでワンタン入りのやつをお代わりした。

市場の中を覗いて観たが、活気に溢れていて楽しい。
木耳を土産に2袋、サンダル1足、大量生産の安物であるがタイの民族衣装をアッパー2枚、ボトム1枚を買った。

娘の写真と織物展の会場に行き、山岳民族の写真と映像、織物を観る。
中々いい写真があり、感心したが、カメラが良くなったので、写真の技術よりも構図と時間を捉える運が写真の出来に影響するのでプロの写真家は大変な時代だなあと思う。

ビデオ映像は村の男たちが牛を殺し、その肉を分けあって食べて一体感を確認する儀式を映していたが、牛は山の神に対する生け贄で、シャーマンが神と交感して媒介となり、神からくだされた牛を体内に納めることで神と民の穢れを除いているように思えた。

娘はメキシコからやって来たバックパッカーに説明していて、儀式の意味を聴く機会を逸した。
会場は観光客が多い場所で、かなり色々な国の人が入ってきて観て行くらしい。
娘を四年間ほっぽりぱなしにしていたが、チェンマイで、ここまで成長したかと嬉しかった。
小さい頃からの事が思い起こされ、会場裏から眺められる青空を眺めながら暫し感慨に浸った。

織物の先生とランチをすることになっていてモンスーンティの店で各種のお茶を飲みながら食事をする。
去年バイクで事故を起こして介護が必要だったときに、この先生の家でお世話になった恩がある人だ。
バンコクの少数民族の人らしく濃い顔だが穏やかな慈愛に満ちた顔をしていた。
車で先生の店まで送ってもらいスカーフを買う。
娘と友人はアッパーとワンピースなどを買った。

並びの小物の店で、この二人がイヤリングを買うのに付き合った。
息子はほとほと嫌になっている様子であった。

向かいの娘の友人のギャラリーでカンパリソーダを飲んで休む。
陶器や絵画などがあったが、好みのものはなかった。
陶器は日本のものが格段に優れていると思う。

寺院の見学をするが、女人禁制のところが多い、ミニスカ、短パン、肩を出した服装も禁じられている。
多くの人が参拝しているが、その形は決まっている。
別の寺にマッサージを受けに乗り合いタクシーで移動する。
お寺にマッサージ師が集まって仕事をしているのだが、何ヵ所か同様なのがあるらしい。1時間150バーツ約500円である。
緑の梢と青空を眺めながらやってもらったが極楽であった。

ディナーの店を予約しながらホテルへ歩いて帰る。
ジャワーを浴びて、部屋の前のベンチでウヰスキーの水割りを飲む。
予約の時間に乗り合いタクシーでレストランに行き、ベランダの席で巨岩に作られた寺院と巨木を眺めながら持ち込みのウヰスキーをソーダで割って飯を食う。
前夜と似たような料理を10皿ほど食べたが、ホテルのレストランで観光客も多いためか万人向けの味で食べやすかった。
肉を発酵したやつがひじょうに美味く、ウヰスキーソーダが進んだ。

九時に店を出て、眺めていた巨岩に作られた寺院を見学した。
昼は金を取るのに夜は無料で開放されていた。
タイは仏教国だなとつくづく思わせる偉容であった。

娘が勧めるジャズライブへ行く、白人客が7割といったところで、ビールをらっぱ飲みしながら聴いているおじさんが多い、ミュージックチャージが無いのがいいねえ。
ジンリッキーなど3杯飲んで、結局最後まで聴く、ギターが素晴らしかった。
俺はギターが根っから好きなんだなと思う。
ギタリストと握手をして技量を讃えた。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

チェンマイ

2016年12月23日 | Weblog
バンコックは33℃とムッとして暑かった、昔ホノルルへ降り立った時の感じに似ている。
チェンマイへのドメスティクフライトが分かりにくく30分ほどあらぬ方向へ歩き、最初の地点へ戻り、ようやく入口を発見した。
チェンマイでは娘が出迎えてくれたが、久し振りに逢って嬉しかった。
娘はチェンマイ大学に来て4年になるが、一度も家族が来てないので、教授たちから、お前は家族に嫌われているんじゃないのかと怪しまれていたらしい。
他の国からの留学生の両親は早い時期にやって来て、教授に挨拶をしているようだ。

思えば娘は小さい頃からバスケットをやっていて、運動神経がよくスタープレーヤーだったが、一度も観に行ってやれなかった。
遅ればせながら娘に申し訳ない事をしたと思うが、子供たちにとって一番大切なことは、親が見ていてくれているという事なのである。

ホテルは高原とはいえ南国のリゾートぽい雰囲気で、新築なので清潔でスッキリしている。
娘が花を買って部屋に飾ってくれたので、中々いい感じである。

ここのタクシーは小さなバスのような感じで、後が空いていて、向かい合わせにベンチがあり、窓は開いている。
娘が乗る前に行き先と値段の交渉をしているが、基本的には一人20バーツらしい。
そのタクシーに乗って旧市街の中心地に行き、北部タイ料理を喰った。
四人で8種類くらいの料理を注文し、娘はレオというビールを飲んだが、俺はジン、ラム、グラッパ、メコンウイスキーなどを頼み、ライム、氷、ソーダで好みのスタイルにして飲んだ。
葉や茎、花、豆、豚の背油を揚げたものやソーセージ、ミンチ、魚の干物など食材が多岐にわたり、植物性のものが多く、たくさん食べられるのが嬉しい。
ただし、デップするソースが辛い。
日本に帰ってくると娘がタイ料理を作ってくれるので、その基本的な味には慣れているが、食材は日本で調達出来ないものがあるので、大いに好奇心を持って食べた。

今朝は娘が9時に迎えに来て、市場へ行き朝飯にヌードルを食べる予定になっている。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

チェンマイ前夜

2016年12月22日 | Weblog
昨夜、旅の支度が終わり、十時過ぎから下の息子と酒を飲み出した。
今朝、チェンマイの娘のところへ行くので緊張し不安のようなので、寝られるように百薬の長をいただいたわけだ。
三井郡大刀洗、みいの寿の美丈夫山廃純米を最初冷やでその後ぬる燗で呑んだ。
原料米は糸島の山田錦、精米歩合が70%と米を尊重した磨きで、交換が持てる。
ある種の雑味があるが、ただ綺麗な味わいの酒とは違う厚みとか旨味が感じられ、こういったスタイルも支持する。
酒を造ったことがないので、何が結果としてどのような味になるのかわからないのだが、一度プロと一緒に利き酒をして、その辺りを指南してもらいたい。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする