キュヴェ タカ/cuvee taka 「酔哲湘南日記」

新鮮な山海の恵みを肴に酒を吞み、読書、映画・音楽鑑賞、散歩と湘南スローライフを愉しんでいる。 

鰯ピラフ

2019年04月30日 | Weblog
朝、上の息子から下の息子に日章旗を飾ってくれとのメールがあり、庭に日章旗を飾った。
そのまま下の息子と一緒に北に向かって散歩をした。
少し眩暈がするが、医者によると動いたほうが良いとのことで、気にせずに歩いている。
とにかく若葉が綺麗だ、曇っていたので歩きやすかった。
中里の苗屋に行ってゴーヤとミニトマトの苗を買った。
数年前からいつもここで苗を買っていたが、昨年はゴーヤはここで買ったが、ミニトマトを坂本で買った。
坂本では、去年レモンと無花果の苗も買ったが、それぞれ元気に育っている。


昼めに鰯ピラフを作ると妻が張り切っていて、カイワレを買ってくるように頼まれたので、西友に寄った。
今は鰺が旬なので、鰯じゃないだろうと思ったが、きっとレシピが鰯なんだろうね。
単純に刺身かたたき、あるいは塩焼きにしてレモンを掛けて喰ったほうが美味いような気がするんだけどねえ。
新鮮な鰯が手に入らないところの料理を真似るこたあないのになあ。
新鮮な素材が手に入るところでは料理に工夫が生まれないのは事実だけどね。

妻が娘たちを昼ん誘ったらしいが、カレーデイなので遠慮するとのことだったが、量が莫大なのを懸念してどうもやって来るようだ。
夜は娘たちが七輪パーティをやるので来ないかと誘いのメールがあったな、直ぐに上の息子が反応して参加を表明した。
そのメールと一緒に、イナリヤト食文化研究所のロゴが頼んでおいたデザイナーから4種送られてきて、それぞれどれがいいか表明したら、一つに人気が集中した。
こういう場合は決定するのが簡単でいいね。


家に帰って件の料理の仕込みを見たが、鰯が15尾ほど3枚に卸されていた。
これがピラフに入るとすると出来る量は15人前は下らないってことだなあ。

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ダンパ

2019年04月29日 | Weblog
「恋と就活のダンパ」を観た。
ストーリーは実に単純で詰まらないものだったが、人手不足で悩んでいる今とは違い、一昔前の就職難の話なんだろう。
僕自身は就職難の時代で、当時躍進していたSMの求人ばかりで、秋口に応募をしたら全国チェーンの内定が出たが、東京・神奈川から離れるのが嫌で地場スーパーへの就職をして、結局1年ちょっとで辞めてしまった。
要するに自分の一生の事なんか考えずに、目の前にあった就職口にとりあえず飛びついて、仕事を始めてから真剣に考えだしたってことで、じつにいい加減だったなあと思う。
それに比べるとこのドラマの時代には何十社も面接を受けて、自分の将来をきちんと見据えているように見えるのだが、入社した会社が本当に自分の進む道だったと思えた人は何人いたのだろうか。

ダンパは僕の学生時代盛んに資金集めのために開かれていたような気がする。
その志が低いのとダンスが踊れなかったので一度も参加したことが無かったが、今思うとその後ヨーロッパで過ごす時間が長かったので、ダンスが出来ればもっと楽しく仕事が出来ただろうと残念に思っている。

「食の実験場アメリカ」を読了したが、アメリカ食文化史研究の書で、同時に現在のアメリカの成り立ちと問題点その解決を食文化から考察していて、凄いもんだなあと感心して読み終わった。
ファーストフードに集約される現代アメリカの問題点は、所得格差の問題を反映していて、効率と利益を追求した結果であり、ほんのわずかの金持ちにデブは稀で、有機野菜と新鮮な魚介類の食事が基本になっていて、4割を占めるデブは低所得者層に集中している。
高カロリーで低価格なファーストフードしか選択肢が無くなっている食文化の行詰まりをどう打開するかの回答は、食文化史をたどることで、所得格差是正の打開策につながる可能性を持っている。

「国際政治学」を再び読み始めたが、高坂正尭という人は、本当に現実主義者で、現実に起こっている事象をややくどいくらいに丁寧に積み重ねて理論を検証しているので説得力がある。
この方法論というのは見習わなけりゃいけないなあと思う。
つい理想論や正論を振り回して事に当たっているが、現実はそんな風には動いていないから、考えるべき方向は逆なんだ。

相変わらずめまいがするし腰痛も出てきて、黄金週間なのに気分は最悪だが、少し散歩をした。
新緑が凄く綺麗で川面を燕が飛び回っていた。
オオムラサキと霧島が満開で緑とのコントラストが美しい。

我がイナリヤト食文研のワインとビールはこちらからご覧になれます

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十連休とは云うけれど

2019年04月28日 | Weblog
昨日、東海大で書いてもらった紹介状を持って二宮の山本耳鼻咽喉科へ行った。
雨が降っていて、歩くのに不安があったので娘たちに車で送ってもらった。
ここへは、去年妻を車で送って来た事があったが、初めて中に入った。
小綺麗な待合室の真ん中に熱帯魚が泳いでいて、受付のオネエサンの感じも良かった。
開業しているのは同級生の女の子の弟で、子供の頃は目がくりっとして可愛かったが、流石にあら還だからジイサンになっていたが、面影はあるもんだ。
聴力検査と目の揺れを診て、耳骨が剥離して三半規管の体液に浮遊しているのが目眩の原因と特定して、改善するには頭を動かすほうがよく、その方法が印刷されている紙を渡された。
耳の構造がイラストになっているカードを使って解り易く説明してくれ、眩暈はよくある症状で手慣れてるんだろつけど鮮やかだったな。

娘に電話して迎えに来てもらって帰ったが、一時間ほどで家に戻り、目眩の原因にけりがつきスッキリした。
ただし、加齢により高音が聴こえにくくなっているようだ。


二階のベッドで休んで読書をしていたが間もなく昼になり、山西小学校前で週に二日くらい販売しているパン屋で妻がバケット、カンパーニュ、ライ麦パンを買ってきたので、スクランブルエッグ、ハム、フランクフルトソーセージ、笹身のグリル、レタス、胡瓜、野菜スープで昼を食べ、アールグレイを愉しんだ。

午後も大人しく二階に上がりベッドで横になって音楽を聴いていたら眠ったようで、妻に大工さんが雨戸の直しが出来たので見てくれと云われたのが4時過ぎだった。
年を取ると睡眠時間が短くなるが、昼間だと横になるといくらでも寝られるんだなあ。

表の雨戸は6枚あり、新築してから35年経っており、土台がすり減って5年前に修理をしたが対処療法だったので、今回土台の上部7㎝程を鑿で削り、そこへ雨戸が走る溝を掘った木材を取り付ける本格的な直しをした。
大工二人で二日かかったので鑿で削る作業が如何に大変かが分かるが、今では鑿と鉋の仕事はほとんどなくなってしまい、今どきこんなことをやってくれる大工は少ない。
何故今回こんなことが出来たかと云うと、この家を建てた時に職人として親方について各部の細工をしてくれたからで、自分の仕事に誇りを持っていてぜひとも直したいと半年考えてこの工法にしてくれた。
普通であれば、金属製の出来合いのいわゆるサッシのユニットに付け替えるだけなんだけどね。
少なくとも僕が死ぬ迄はこれでいけるだろう。

今日は十連休の初日だが、毎日が日曜日の身にとって、世間も休みというのは生活がしにくいもので、何処へ行っても混んでいて家から出るのが億劫になるものだ。
特に湘南は、首都圏から伊豆箱根への通路に当たり、車の混雑がひどく、それに掴まってしまうと身動きが出来なくなる。
今年の連休は眩暈がして散歩にも出られないから、今のところ家に閉じこもっているだけだが、ウエーダーとリールが手元にあるので、連休明けに海岸へ出てのんびりとルアーを投げたいと思う。
ちなみに今日息子から山王で3枚平目が上がった写真が送られて来ていたので、夏のシーズンインだ。
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目が回る

2019年04月27日 | Weblog
昨夜からその傾向はあったのだが、今朝起きてみると目が回った。
起き上がるとくらくらして、ベッドに手を付いてようやくひっくり返るのを避けたが、歩いてもくらくらするので、どうにか朝めしを食べて、再びベッドに横になった。
11時過ぎまで寝ていたようだが、頼んでおいたウエーダーとダイワのリールを買ってきたと上の息子が部屋にやって来たので起きた。
朝より多少は具合が良いようだったが、まだ目が回るので、妻に東海大大磯病院へ連れて行ってもらった。
時間外だったが、神経内科の若い女医さんが観てくれることになり、目の動きや、手足の運動能力を検査してくれ、MRIと血液検査をし、再度問診を受けた。
父が脳梗塞で倒れているので心配したが、脳細胞は正常で血管も動脈瘤や流れが停滞しているところはなく一安心だった。
血液検査は、2月に車先生のところで測った中性脂肪が倍の値を示しており、膵臓炎になる可能性を指摘された。
もともと中性脂肪の値が異常に高いことは分かっていたが、脂肪分解酵素を出しているこの臓器を悪化させ膵臓炎につながるとは知らず、血管を詰まらせるだけだと思っていたが迂闊だったな。
酒と脂質の採り過ぎを直す必要を言われたが、ストレスになるようなことはしないほうがいいとのことで、中性脂肪を下げる薬の服用を勧められた。
若いのに、中々の名医だ。


家に帰ると3時半で、庭で大工の河口さんが雨戸の直しをしていて、大丈夫かよと心配してくれた。
家にいた上の息子に様子を聞いていたようだ。
妻がハヤシライスを作っておいたので、それを温めて食べた。


眩暈は完治したわけではないので、二階のベッドで休みながら「食の実験場アメリカ」読んだが、この本は、グルメ本に飽き飽きしている身には実に面白かった。
著者の鈴木透は、アメリカの暴力と性、スポーツと健康についての著書がこの中公文庫にあり、多面的にアメリカ文化を考察していて、食文化の成り立ちだけでなく、アメリカという国家の成り立ちについて研究分析しただけあって、その関連性の考察に目を見張るところが多く刺激的だ。
現在のアメリカ発のファーストフードの出自についてこれだけ説得的に考察した論文に接したのは初めてだ。
まあ、アメリカには文化などないと馬鹿にしていて、アメリカの文化について書かれたものをあまり読んで無いのだけれどもね。

風呂に入り、三たびベッドで横になり、8時過ぎに腹が減ったので下に降りると、妻がフルーツゼリーを買ってあり、桃とマンゴーのゼリーを食べ、フランクフルトソーセージを2本食べて晩飯とした。

9時から「新日本風土記」伊賀を観た。
寝ていると眩暈がするのに、ソファに座っていると眩暈がしないことが分かった。
忍者の国は戦国時代で終わり、その後は農業や参勤交代の道案内護衛などで暮らしたところらしい。

10時から「ミストレル」を観た。
長谷川京子が魅力的だ、ネットでは顔が変わったとか評判が悪いが、女優なんだから整形をしようが何をしようが、見せるのが商売なんだから、魅力的ならば結構じゃないかと思うんだけどね。
愛人、レズビアン、部下との不倫、中年の恋と4人の中年女性の恋模様を描いた人気イギリスドラマのリメイクだ。
産業革命後の発展期に男は外で働き、女は家を守ると言うパターンがあったころには、比較的典型的なモデルがあったけど、女が社会進出すればそれだけ男と巡り会うケースが多く、人類も動物だから、より複雑なDNAの可能性を求めるわけで、その頃の規範が通用しなくなっても仕方がない。
しかし、放縦は虚無に繋がるから、新たな規範が求められるが、それには長い時間が掛かるだろうね。
さてこのドラマでは、どの女性が最後に幸せをつかむのか、すなわち生きてるって感じるのか、見ものだね。

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キャンティ

2019年04月26日 | Weblog
3年振りに目黒雅叙園に行き、娘と一緒にキャンティの試飲商談会に出た。

娘は昨日は名刺を忘れ、今日は筆記用具を忘れて仕事にならなかったが、一昨年迄暢気にチェンマイ大学で修士課程をやっていて、帰国してからもバイト稼業だったので、仕事のイロハが良く分かってない。
カネ儲けを一生懸命やる気が無いが、それでも生きてゆくだけのものは稼がないといけないから、短時間に集中して仕事をしたらいいのになあと思う。
僕は仕事が嫌いだったから、とにかく短い時間で仕事を片付ける工夫をした。
四六時中打ち込めるような仕事、いわゆる天職だったらもっと真剣に仕事したのだろうが、何事も中途半端だった。
日本人は何事も突き詰めるきらいがあり、そこを評価されるが、広く浅くやって来たやりかたが良かったんだよ、と言ってくれる先哲が現われたから救われた。
イナリヤト食文化研究所はワインだけじゃなく、広く口に入るものの研究をするのだけど、仕事に対する基本姿勢だけはきちんとしないとね。

キャンティの造り手は皆さん裕福だから、昼飯が出たが結構なものだった。
10時前に来てくれという事で出かけたがまだ皆さん、メーカーも買い手も少なく、通訳の女性を付けてくれたので空いているメーカーの処へどんどん行って試飲商談をした。
疲れたなと思って時計を見たら1時だった。
他の通訳の人達は皆さん休み休みやっているのに、3時間も休みなく連れまわして悪いことをしちゃったが、お蔭で8社と試飲商談が出来て面白かった。
やっぱり今のキャンティの状況を知るには、試飲をして造りての話を聞く以外に無いわけで、それには出来るだけ多くのワインを試飲することなんだよなあ。
味が分かっても分からなくても浴びるようにワインを飲むことが肝心だから、娘にはいい経験になっただろう。
かつては一獲千金を夢見てスーパータスカンとしてギンギンに固くて重いワインを造っていたのに、軽くて飲みやすいものを造るメーカーが3社あり、人の成功を羨んで後追いをしてもだめだってことが分かって来たんだろうなあ、それにしてもそれに気が付くのに30年はかかっているから、欲に目が眩んだ己の姿を見つめるのが如何に難しいかってことだね。
僕のようにひねくれた性格だと、皆さんが右って言ったら必ず左へ行くんだけど、これもけっこう苦労するんだよ。
ルフィーノを5年くらい前に現地で飲んで、強いワインで日本人には、少なくとも僕には無理だなあと思ったが、今回改めて飲んでその感を強くした。
稲生夜刀(イナリヤトを漢字で書くとこうなるんだけど)では有機ワインだけをやるので、対象となるメーカーが4社あった。
その内いいなと思ったのが2社、でもこれじゃなきゃって訳じゃないから考えちゃう。


丸二年湘南の片隅で隠棲してたので、こういった場所に出て来たのは3年振りだが、かつての知人に親しく声を掛けてもらって嬉しかったなあ。
40年近くこの業界にドップリ浸かって生きてきたので、この雰囲気、やっぱり気持ちよかった。
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落語から遠ざかって

2019年04月25日 | Weblog
「二十八人二十八演」を読了した。
好きな落語の話なので楽しんで読んだが、最近落語を聴きに行ってないなあ。
マイク・モラスキーじゃないがジャズは生演奏を聴いてなんぼのもんだとすれば、落語は寄席に通ってなんぼのもんだろう。
二年前に落語好きの女友達がスペインに去ってから、一人でわざわざにぎわい座迄出かけるのが億劫になった。
旅は道連れと云うが、横浜までの旅でも相方は大切だなあ。
それでも月に一度くらいのペースでTJLに通っているから、今夢中なのはジャズってことなのか。

今朝は4時に目が覚めて志らくの「立川流鎖国論」を読み午前中に読了した。
志らくの落語を生で聴いたことはないが、立川ブラザーズの相方の談春は一度知人が独演会に招待してくれ、にぎわい座で聴いたことがある。
談春の「赤めだか」は読んだが、内容はすっかり忘れてしまった。
談志亡きあと、志の輔、談春、志らくで立川流を背負っている感があるが、志の輔も同じ知人が独演会に招待してくれ関内ホールで聴いた。


読書の間、音楽は蒲地幸子を聴いていた。
最近「あの日言えなかった言葉は、今もこの胸の中に眠ってる」のフレーズが急に浮かんできて、なんて歌の歌詞にあったのかと4時間聴いていたが、読書をしながらなので分からずじまいだった。
ネットで検索したらすぐに「遠い日のNOATALGIA」と出てきたから、この手の検索機能は凄いなあと感心した。
このフレーズの後に「あの日もう少し勇気を出せば君を失わずににすんだかも It's too late」と続くのだが、胸に染み入って忘れることが出来ないなあ。
男ってのは若い頃、恋についてバカみたいに内気で、云えなかった言葉が37年もこの胸の中に眠ったきりになっててね、Too lateという言葉では納まりきらないよなあ。


午後、平塚の税務署に会社の件で行くので、早目に昼を食べた。
妻に早目の昼をお願いしたら、待ってましたとばかりにカレー炒飯を作ってくれた。
不味くはないのだが、カレー味が飽きるんだよね。
スープが無かったので、南瓜のスープを作った。

税務署での要件は30分ほどで終わり、仕事を依頼した方と社長である娘と3人で駅ビルの蕎麦屋で一応の節目を祝してビールで乾杯、2合徳利の菊正宗を5本ほど呑んだ。
アボカドとカマンベールの天婦羅、ハムカツ、烏賊一夜干し、卵焼きを肴に2時間ほど昼酒を愉しんで4時過ぎに散会。
僕は同じ階のさくら書店で新刊を眺め、朝、新聞広告で見た鈴木透「食の実験場アメリカ」中公新書を買い求めた。
その後、地下の食品売り場で娘を探したが見つからず、オネエサンのところへ行ったが、パンはよく売れたらしく白餡パン一つしかなく、それとクッキーを買った。
BOで小一時間古書を眺めたが、短期間に3度来たので欲しいものがなかった。


6時前に家に帰り、風呂に入って、7時前に晩飯になった。
本マグロの刺身、これは妻が本鮪だぞーっと自慢していたが、自慢する程美味くはなかった。
蕨のお浸し、ブロッコリーのチーズ焼き、空豆と挽き肉が入った卵焼き、如何にも酒を呑みたくなるおかずだったが、昼酒が覚めておらずお茶を飲むにとどめた。


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上野昼下がりクルージング

2019年04月24日 | Weblog
上野まで出かけて、都立美術館で開催されている「二科展」を観た。
秋に比べて規模が小さいが、絵画と彫刻が展示されていた。
絵画についてはこの素材を描く必要があるのだろうかと思われるものが多かった。
それは逆のいいかたをすれば、長い伝統の中でほとんどのものが描かれてしまって、新たな素材を見出すことが出来ないともいえるが、天才は見慣れたものを全く違う視点で描いてみせる。
そういった天才は世紀に一人出るかどうかだろうから、多くの絵を観ないとそういった僥倖に遭遇出来ないってことで、凡庸さにめげちゃいけないってことなんだよね。

彫刻についても同じ傾向があったものの、三次元の世界は二次元の世界より多様だという事だろうか、面白いものが多かった。
だが残念なことに作品に触れることが出来ず、質感を触感で愉しむことが出来ないんだな、大きくて頑丈なものだけでも触れることが出来るようにしてもらいたい。

思いの外早く観終わってしまい、3時過ぎに上野「藪」に着いたが、生憎休憩時間を取るようになっていて、昼下がりの蕎麦屋酒の愉しみが奪われた。
近所に地酒を飲ます居酒屋があり、カウンター・テーブル共に人で一杯だった。
良さそうな店だなあと思い、友人と二人入り口付近のテーブルに席を取ってもらった。
生ビールでノドを潤し、萬歳楽、船中八策、大七、春鹿など八種類ほどの酒を冷で愉しんだ。
法被に鉢巻で神輿にしがみついているような感じのオネエサンが居て酒がより美味く感じたねえ。
肴は4時までのメニューになっていて、そこから剣先烏賊、浅利燻製、ハムカツ、鮪ぶつ、薩摩揚をたのんだ。
特に上野当たりの名物薄いパリパリしたハムカツに期待したが、厚くてソーセージみたいな中身だったので失望した。
次のもっと下賤な飲み屋でも注文したが、同じようなやつだった。
今の若い人はこっちの方でなければ満足しないんだろうね、薄くてパリパリしたやつにウースターソースをたっぷりかけて食べるのはジジイのノスタルジーなんだなあ。
4時になると新たなメニューに変更になり肴も増えたが、オネエサンがたが交代になり、鯔背なオネエサンが居なくなったのが残念であった。

御徒町のガード下はかつてのアメ横なんだけど、近頃は立ち飲み屋や簡便な居酒屋が沢山あり、スペインでタパスをつまみながら梯子をするような感じで、外人客も気軽に入れるから若いやつらと共にごった返していた。
何しろ安いから美味いものは期待出来無いけど、ビールはビールだし、ハイボールはハイボールなので、少ない小遣い銭で梯子を楽しんで酔うには絶好だ。

2軒目で友人とは別れて、芸大で写真を教えている娘のパートナーと待ち合わせて念願の「藪」で飲んだ。
酒は菊正宗、燗で3本ほど、穴子の柳川、蕎麦掻を肴に呑み、〆にもりを手繰った。
蕎麦、酒、肴は良かったが、お運びのオネエサンの質が悪かったね、つい行きつけの「利休庵」と比べてしまうが、あそこは日本でも有数な蕎麦屋という事だ。
昼下がりの蕎麦屋酒も出来るしね。

上野から東海道線が直通になったので、東京駅近辺で飲むのがめっきりと減り、都内で飲むときは上野で飲むことが多くなった。
上野からだと確実に座れるから、この夜も直ぐに寝て、目が覚めたのが辻堂だった。
一人じゃなかったので安心して二度寝をして二宮で降りた。
CVSでビールとつまみを買い、家で酔い覚ましをした。


「戦後日本のジャズ文化」を読了した。
著者はかつてあったジャズ喫茶の独特の雰囲気も懐かしんでいるが、やっぱり地方のジャズクラブであっても、一流プレイヤーの演奏でなくても、生演奏を楽しむことをジャズに対する基本的な態度としているところにいたく共感した。
横浜野毛に有名なジャズ喫茶「千草」があったが(今も形を変えて存続している)、一言もしゃべらず押し黙ってレコードを聴いている雰囲気が大っ嫌いで、クソクラエと思って敬遠していた。
隣のレバカツ屋に入った後で一度だけ紛れ込んでしまい、その頃は厳格なオーナーが病気で、奥さんか他の人が店にいたと思うが、それでも身体が縮こまる様な感じがして面白くなかった。
マイク・モラスキーは実際にジャズピアノを弾く演奏者でもあり、本当は聴くよりプレイするが最高って思ってるけど、それは書き難かったんだろうね。


朝、JA湘南まで出かけて韮と落花生を買った。
運動のために行き帰り30分のサイクリングをしているわけだが、最近は品数もなく買うものが無い。
今年は筍が少なくて高いもんだから、店の意気も上がらない。
この時期は大量の筍が並んで、皆さん5本くらい抱えて帰り、あく抜きをして若竹煮や中華の炒め物、筍ご飯など飽きるほど食べて旬を愉しむのだが、これだけ高価だと控えめに買う事しか出来ない。
うちは清水の先輩が茹でたのを10本ほど送って来てくれたから、色々な料理にして大いに楽しんでいるが、西に向かって手を合わせないといけないなあ。


昼は山菜蕎麦を食べた。
蕨、筍、椎茸を載せて食べたが、トッピングに味付けをしなかったのでいまいちだった。
午前中に妻が豚カツを揚げてあったので、ミニカツ丼も作って食べた。
蕎麦屋によくある「カツ丼と山菜蕎麦のセット」ってやつだが、トッピングの味の薄さをカツとじの濃厚な味が補った。


プレシネは1967年の米映画「The Hours of Gun」だった。
邦題が「墓石と決闘」だったのでOK牧場の決斗 Gunfight at the O.K.Corralだとかは気が付かなかったが、幾つかのOK牧場の決斗を描いた映画を観たので何となく話の成り行きが分かった。
この映画が一番史実に近く描いてあるとのことだ。
牧場での決斗と云うと広大な所での大人数の決斗を思いがちだが、牧場という訳は大げさで誤訳だが、この映画の中では囲いと訳されていた。
前に調べた時にCORRALというのは牧場ではなく、馬などを入れておく町外れの囲いであるというのを知ったが、アープ兄弟とクラントン一家との果し合いで、アープ兄弟とドク・ホリデイの4人は町のメインストリートら、クラントン一家は囲いの中から銃を撃ち合った。

Wyatt EarpをJames Ganner、Doc HollidayをJason Robards、Ike ClantonをRobert Rynが演じているが、魅力的な女が出て来ないでこの3人の俳優で見せてしまうところが凄い。
特に結核末期のドクを演じたジェイソン・ロバーツが魅力的だった。

午睡を2時間して5時から大磯方面へ散歩に出た。
6時過ぎに家に帰り、風呂に入って春の宵を愉しんで、7時に晩飯になった。
鯖を南フランス風の香辛料でオーヴン焼きにしたもの、切り干し大根のサラダ、赤もく、バナナ、柑橘2個、チョコレート、落花生、3週間振りに酒は無し。


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坂井泉水の作詞法

2019年04月22日 | Weblog
昨夜は妻が念願の鱸のポアレを作った。
上の息子が釣ってくるまで待てばといっていたのに、魚屋の店頭で鱸があるのを見て、矢も楯もたまらず購入してしまったようだ。
大体妻が思い詰めて作った料理でよかった試しは無いのだが、満足できるいい皿になっていた。
もし鱸の切り身がもっと大きくて新鮮だったら、きっと絶品だったね。
この料理のポイントとは、皮をパリパリに焼き、身の方にはあまり熱を入れないこと。
ソースはバタ、レモン、白ワインに香辛料だが、マッシュルームを入れると旨味が増し奥行きがでる。
これは美味いと妻を褒め、上の息子が鱸を釣って来た時に大きな切り身でもう一度やってみたらと勧めた。
その時は冷えたいい白ワインだね。

肴に葱ぬた、エシャレット、野蒜、落花生などがあり、この日は、ティーチャーズのソーダ割を飲みながら、TVで若き松坂慶子の美しさを堪能した。
昭和56年第27作の「浪速の恋の寅次郎」で、マドンナの松坂慶子29歳、大阪の芸者に扮し、寅さんとは祖母の葬儀に帰った呉の丘にある墓前で出会う。
大阪の石切神社で再開するが、寅が長逗留した宿屋の駄目息子を演じた芦谷雁之助が、如何にも浪速って感じで実に良かった。
関西弁を喋るが藝ナシで五月蠅いばかりの芸人がTVに沢山出て来るが、味わいのある大阪らしい芸人が居なくなったなあ。


9時からお待ちかねの、坂井泉水の2時間番組を観た。
40歳で事故死するまでに151曲の作詞をしたが、そのもとになったメモが500枚あり、気になった言葉を都度手元にある紙に書き溜め、作詩の時にそこにあるフレーズを組み合わせて作っていた。
初期のコーラスをやっていた同じ事務所BEINGの大黒摩季が、「何百回もデモテープを聴いていると言葉が出て来る」と坂井から聞いていた。
言葉にはこだわって、四六時中探していた。

蒲地幸子のプライベートな恋について詳しくないが、若い頃同棲をしていたらしい。
同棲をした男とは別れたようだが、その後多く恋をしたとも思えない、恋をしたとしても相手は一人だろう。
恋をしている時の瞳の輝きを何度も歌にしているが、それは同じ相手に対することを言葉のヴァリエーションで表現していると思う。
それだからこそ繰り返される言葉が強く深く相手に突き刺さるのではないか。
また、気に入った言葉やフレーズを詩にはめ込んでいるため、その部分が文脈から強く立ち上がって鮮やかに輝くのだろう。

それにしても坂井泉水の多くのヒット曲を書いた織田哲郎は、落ち着いたブリティッシュロックをイメージして作曲したらしいが、好きだなあ。
一番好きな楽曲の「こんなにそばにいるのに」は栗林誠一郎だけどね。

1993年一世を風靡したZARDだけど、世の中の風を掴んでいられるのはほんの短い期間で、1997年の「永遠」以来急激にシングルの売り上げは低迷した。
入院中、怖いという気持ちをスタッフに伝えているが、もう一度大きなヒットを出してみたいとの焦る気持ちも凄く強かったんだろうなあ。

うちの近所、平塚で生まれて渋沢で育った美人の歌姫は、世に言われる通り美人薄命だったが、バブル崩壊で低迷した時代に応援歌を作り、脳天を突き抜けるような鮮烈な歌声と印象的な言葉を残してこの世を去った。
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柑橘が好きだ

2019年04月21日 | Weblog
先日イオンで買ってきたべッドカヴァーをようやくベッドに掛けた。
やっぱり新しいシーツは気分がいい、今までのは起毛で温かく冬季には良かったが、これからの爽やかな季節にはサテンの生地がいい。
ベッドの右半分に置いてあった本を除けたが、これが思いのほか大量で70冊ほどあり、置き場所に苦労した。
その甲斐あって、広々と敷いたセミダブルを全面使って寝ることが出来、寝返りが自在で気分のいいこと、再びベッドが本に占領されないようにしたい。

今朝は4時前に目が覚め「戦後日本のジャズ文化 映画・文学・アングラ」を昨夜に続きよんだが、ジャズってのは黒人の差別や貧富の差を無化するような思想を持っているが、基本的にプレーヤーは男ばかりで、リスナーも男を想定しており、自由を掲げたジャズ評論も男女の不平等についての配慮が無いことを指摘している。
ジャズに関わっている男は自由を標榜して演奏しているが、この矛盾についての自覚がない。
最近は女性ヴォーカルが多いので、何となく男の世界とは思っていなかったが、指摘されて初めて気が付いた。

下の息子が6時から起きて騒いでいたので、7時前に起きて風呂に入り朝めしの支度をした。
エノキと油揚げと小松菜の味噌汁、青梗菜とモヤシと豚肉炒め、青梗菜と帆立のクリーム煮、胡瓜の糠漬け、若竹煮で食べた。
昼は清水の筍で筍ご飯の予定。

9時に下の息子と北へ向かい散歩に出かけ、JA湘南で椎茸、蕨、落花生を買う。
ワクワクに周り、柏餅、草餅、原木椎茸、分葱を買う。
秋葉山の西側から登り、娘の家に寄って珈琲を飲むつもりだったが、朝から鎌倉に仕事に出かけていていた。
パートナーが珈琲を淹れてくれ、しばし相模湾を眺めて歓談した。

家に帰り喉が渇いたので、清水から送られた柑橘を食べ比べた。
説明書きと食べた感想
あゆみ
〈説明〉黄金柑と蜜柑の交配種で、神奈川県で育成された品種です。果実はそれほど大きくありませんが、黄色で果皮はなめらかです。爽やかな酸味があり、手で皮がむけます。
〈感想〉芳香があり、酸が綺麗で美味いなあと思った。

めぐみ
〈説明〉キング蜜柑と向かく切舅の交配種。果実は小さめですが種はありません。果汁にも果皮にもβ―クリプトキサンチンなどの機能性成分が多く含まれています。果皮がむきにくいので、カットしてお食べください。
〈感想〉芳香と酸はないが果実味が濃縮していた。


清見
〈説明〉早生蜜柑とオレンジを交配して清水で育成された品種。名前は近くの清見潟に由来しています。果皮がむきにくいのでかっとしてお召し上がりください。
〈感想〉めぐみをやや薄くした感じで果実は大きく食べやすい。


この柑橘を送ってくれた先輩は、千葉大学園芸学部熱川団地農場で檸檬と柑橘の挿し木に関する研究を一緒にやり、僕は発根の栄養推移を先輩は植物ホルモンの消長を調べたが、発根に関する決定的なメカニズムは見いだせなかった。
仮に発見できればノーベル賞も夢でなかった。
なぜなら、クローンが最も簡単な方法で作れるからだ。


まあ、隠居したジジイが大言を吐いてもしょうがないので、この辺で止めるが、柑橘の品種名は最後「み」で終わるのがお決まりなのかなあ。
もしそうなら、まゆみ、ひろみ、いずみってのも作って欲しいなあ、食べるたびに涙ぐみながら昔の女を思い出すのも、この年になると悪くない。

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燕飛ぶ

2019年04月20日 | Weblog
「畸人巡礼怪人礼讃 新忘れられた日本人2」を読了した。
佐野眞一の本はあまり読んだことがないが、それでも「旅する巨人 宮本常一と渋沢敬三」「阿片王 満州の夜と霧」「甘粕正彦 乱心の曠野」を読んでいるので、宮本常一と満州の人脈については少し知識があり、戦後日本の政治の裏側で活躍した人たちは、かつての満州でのネットワークが生きていたから、「畸人巡礼怪人礼讃」にも随分取り上げられていていて馴染みがある。

甘粕正彦は主義者殺しと云われ随分不人気だったが、満州で仕事をし、終戦時に自決している思いの外まっとうな人間だった。
その他の悪党が戦後日本の裏社会で暗躍したわけだが、本当の悪党は国防婦人会や在卿軍人会の戦争を煽った連中だと思う。
その理由は何度も書いたので繰り返さないが、大義名分を振りかざす輩にはクソクラエって言ってやりたい。

物凄く有名な人については誰でも大体知っているけど、本書の副題に「新忘れられた日本人」とあるように、名前があまり表に出て来ない、著名な人の下で働いた人や裏社会で支えた人たちが実はすごく面白いわけで、全編一気に読んでしまった。
これは2らしいけど、このシリーズは4まである、おたのしみが残ってるってのはそれだけで気分が華やぐものだ。


この辺りでは1週間前からツバメが飛んでいる。
槙の木団地の南土手の霧島がだいぶ咲き、オオムラサキが咲きだした。
藤も5分咲きになっているから、この2,3日で見頃を迎えるだろう。


朝、JA湘南へ行ったが余り野菜の品数が無く、矢車草を買った。
近頃花ばかり買っているが、部屋に花があるのはいいもんだ。
妻は午後2時から月水金に開くJA大磯の「磯っ子」で野菜を買っているが、最近花を買うようになり、桜、クリスマスローズなどを買ってきて活けてある。
問題は活けっぱなしで水替えなどのアフターケアをしないことだが、マルのエサやり、水替え、トイレ掃除はやるから、結局花が好きじゃないんだろう。
可哀想になり、6か所の水替えを僕がやることになり結構大変なんだな。

昼まで二階で寝そべっていたら、妻が何やら奇怪な匂いをさせて料理を作っていて、二階までそれが漂ってきた。
聞いたらヤオカイっていう鶏肉の煮込み料理で、八角とかいろいろ中華風の香辛料を使ったもので、娘を呼んで今日の昼飯になるらしい。
昼前に清水の先輩から筍と柑橘類他種多数と蕗、野蒜が送られてきたので、その中から夏ミカンを食べて昼飯が出来るのを待った。
中華風スープと胡瓜とツナの甘酢サラダも出来ていて、ヤオカイライスは思いの外美味かった。
スープには熟成白酒と泡盛に唐辛子を漬け込んだ調味液を入れたので、深味のある味わいに変わり中々乙だった。


プレシネは「フェリスはある朝突然に」1986年のアメリカの青春コメディ映画で面白かった。
学校に逆らっている人気者のフェリスが、学校をずる休みして、病気がちのキャメロンを誘い出し、一日悪ふざけをして遊びまわり、オヤジに逆らえず自分の意志を表に出せなかったキャメロンを目覚めさせる物語。

高校時代までは勉強をしなかったが、真面目に登校していた。
大学時代は滅多に学校へ行かなかった。
でも誰にとがめられることも無く自在に遊んでいたので、ある意味面白味が無かった。
僕の青春時代は、大人たちが敗戦で規範を喪失した時代で、身に付けた戦前の日本の規範を子供たちに伝えようとしなかったので何でもありだった。
その後規範が出来たかというとそんな事はなく、伝統やしきたりの喪失に歯止めが掛からないまま今に至っている。
この映画は何時頃のシカゴを舞台としているか分からないが、ある種の生活のルールが色濃くアメリカに残っていた時代ではないかと思う。
そのルールをすり抜けて遊ぶ悪ガキフィリップが如何にも楽しそうだった。


大磯方面へ向けて散歩に出かけ、郵便局で南安曇野で有機米を栽培して送ってくれている友人に3回分の代金を送金した。
品種はササニシキだが、べっとりしなくて中々美味い。
泥鰌やタニシや水生昆虫が田んぼにいることを思うだけで楽しいが、長野県に視察に行った時には鯉を放したり鴨を放して田んぼの管理をしていた。
黴系の病気とイナゴや画などの虫の被害があるので収穫量は2割から3割少なくなる。


6時過ぎに家に帰り、風呂に入って二階のベッドで横になって休んだが、春の宵は実にいいなあ。
晩飯は、妻がマサで黒ムツを1本買って、娘と半分ずつ分けたという半身をわざわざ見せに来たが、それを刺身にして食べた。
身が柔らかいが脂が乗っていたのにべたっとせず抜群に美味かった。
3,000円で求めたと言っていたが、目の前の海で捕れるのでこんなに安いのだろう。
これが赤いと「のどぐろ」と云ってべらぼうな価格となる。
清水から送られた筍は若竹煮となって出てきたが、掘ったそばから茹でているので根元まで柔らかく抜群に美味かった。
刺身とこれがあれば、当然酒となるが、「開運」「自然郷」はこの夜一升瓶が空になった。
蕨のお浸し、これは今までお湯をかけてすぐに鰹節と醤油をかけて苦みを味わっていたが、中毒の可能性と発がん性物質があることが分かり、きちんとあく抜きをして食べた。
やり方は灰汁を振った蕨にお湯をかけるところまでは同じだが、そのまま一日浸け置きすると、鮮やかな緑になり苦みが消失する。
水洗いして出し汁に浸け込み、適当に醤油で味付けをして食す。
青梗菜と帆立のクリームになどもあり、この夜も呑み過ぎた。







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