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キュヴェ タカ/cuvee taka 「酔哲湘南日記」

新鮮な山海の恵みを肴に酒を吞み、読書、映画・音楽鑑賞、散歩と湘南スローライフを愉しんでいる。 

梅雨の走り

2018年05月30日 | Weblog
茅ヶ崎ナイトクルーズをやったわりには体調がよく、七輪パーティの後のような不快さはない。
ひとつには店を呑み歩いているのでそれが程よい運動になっているのかも知れない、また友人に付き合って折々にビールを飲んだのも良かったのだろう。
家に帰ってから寿司、アイスクリーム、柿の種と食べただけで飲まなかったのも良かった。
最近二日酔いが酷いので、とにかく呑みすぎないようにしないといけない。
翌日が丸一日無駄になるし、何となく寿命が縮まっているような気もするんだなあ。

今朝は6時に目が覚めてblogを書いてアップして、7時半に起きて戸を開けて風呂に入り、筍と若布の味噌汁、タンスモーク、納豆、胡瓜の糠漬けで朝飯を喰い、二宮09:32の東海道線で小田原の日比野歯科へ向かった。

歯に関しては父母は80歳過ぎまでかなり健全に保ったのに、僕は不摂生がたたり奥歯が風前の灯火で入れ歯が目前に迫っている。
左下の奥歯、といっても奥から2本は既に抜いたので犬歯の隣のやつなんだが、それが虫歯になって治療をした。

帰りに守屋で餡パン2とクリームパンを買ったら480円で、高いのに驚いた。
オネエサンところより大分高いし、一時は人気店だったが前回買った時も、客人が違うパン屋の名前を出してたずねたが、不機嫌に違いますと答えていた。
もう最先端の人達は守屋のパンに重きを置いていたいってことだよ、かつての人気に甘えていると廃れるぜ。
その高価なパンを喰うつもりだったが、家の中の大きなネズミと近所から中くらいのネズミがやって来て全て食い尽くしてしまった。

駅ビルの有隣堂で30分ほど本を観るが、茅ヶ崎の長谷川書店と売り場面積は違わないのに、並んでいる本に売る人の意志が感じられない。
取次店から送り込まれる本を自動的に平台に並べているような気がして、明らかに伊勢佐木町の本店のレベルではない。
そうはいっても新刊を買い求めることが出来て有難い、年寄りはぶつぶつ文句ばかり言っているが許されたい。
正田道人「昭和歌謡の謎」祥伝社新書と白井聡「増補 昭和の墓碑銘」角川文庫を買う。
歌謡曲というのは、昭和10年頃から出てきた新しいもので(鈴木としお「浅草の女」にはっきりと年代が書いてあった)、太古の昔から伝わる歌の系譜なんだろうけど、詩や俳句、短歌に比べると貶められて見られる傾向がある。
人口に膾炙している点では、他の文学形式のものに比べて群を抜いているので真剣に考慮されるべきだし、今後これが洗練されれば、後世に残るものが作られるだろう。
だが真剣に研究をしている人の数は少ないし、論文として高く認められたとも聞かない。
僕は歌謡曲がすごく好きだが、音痴という大きな欠陥があり、研究者となれないのが残念でならない、しかし、音痴でなければギタリストになっていただろうから、何れにしろ研究者にはなっていないか。

白井聡は2013年の「永続敗戦論」で一躍注目され、2015年の本書でその論を進め、今年「国体論」を出している。
本性は2015年の「昭和の墓碑銘」に新たに稿を加え増補版としたもので、対米従属からの脱却を目指しているので、西部邁の日本の自立という部分と合う所があり西邊ゼミナールのも出ていたと記憶するが、白井は保守主義者ではない。

昼は冷蔵庫に弁当があると言われたが、海苔弁に竹輪の磯辺揚げと内容不明の揚げ物が載ったやつで、観るからに不味そうで、実際に喰ってみると人間の喰うもんじゃなかった。
焼売と餃子のパックもあり、マイクロウェーブで温めたが、まだこっちのほうが喰えた。
筍と若布の味噌汁を作り、奈良漬を出してきて、どうにか人間らしい昼にした。

プレミアムシネマは、「スラップショット」1977年アメリカ映画、殺人はなかったがアイスホッケーの暴力を描いたもので、アメリカのマッチョでタフな男たちの物語。

3時から6時まで昼寝をしたが起きたら疲れが一気に出た。
晩飯はイベリコ豚のカツレツと蒸したジャガイモ、スナップ豌豆、隠元、玉蜀黍、糠漬けの胡瓜、ミニトマトだった。
烏龍茶を淹れて飲みながら食べたが、酒を飲まないようにするには中国茶がいいかもしれない。

野球とサッカーを観るが、野球は前半に巨人が8点入れてワンサイドゲームになりそうだったが、四死球押し出しで3点取られてバカバカしい試合になった。
こんなことやってるとサッカーに持っていかれるぜと思いながら、サッカーにチャンネルを換えたが、これまたひどい試合で観るべきものが無かった。
西野監督はこの期に及んで選手を選抜しなければいけないし、その駒で戦法を考えなければいけないから気の毒に思う。
基本的に直前で監督を替えるなんてのは気が知れない。
アメリカンフットボールも酷いことになっているが、サッカー協会もまともじゃないね、レスリングも酷かったし、健全な協会もあるんだろうけど、日本のスポーツは最低な状況になっていて鈴木大地も参っているだろうな。
僕は素人だけど、監督が優勝請負業になっていて勝てる監督に権力が集中しすぎるんだろうね、まあスポーツだけのことでは無いけど、日本人は物事の本質を観ずに価値基準を安易にお金と勝ち負けにしてしまう。
それを是正するには、グローバリズムなんて一面的な価値基準のアメリカ追随を止めて、個別の文化の楽しみを享受できるような感性を磨くことだろうね。
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久し振りの茅ヶ崎ナイトクルーズ

2018年05月30日 | Weblog
今朝はさすがに二日酔いの症状はなく、まあまあの調子だが、夕刻茅ヶ崎で友人と飲むので、いきなり酔いが回りそうだな。
4時に駅で待ち合わせたが、そんな時間にやっているいい店はなく、昔なら駅前食堂で適当な肴を見繕ってビールか酒を呑めたが、今は駅ビルの食道街がそれに当たるのだろう。

朝飯は豆腐と若布の味噌汁、塩鮭、納豆、胡瓜と人参の糠漬け。
味噌汁が美味かったな。

妻と下の息子が母を病院へ連れていったので留守番、2階で寝転んで本を読んだ。
11時を過ぎたので風呂に入り、粽と肉饅を蒸器にいれ蒸していたら、娘がやって来て青椒肉絲を作るというが、粽と肉饅に合わないので、豚肉、筍、木耳、椎茸、トマトでスープを作るように言ったら不貞腐れて消えた。
粽と肉饅の数か足りないのでスープで麺も食べようと思ったのだが、スープの味を調えて麺を茹でて食べたが、いまいちだった。
スープとして食べたら素材の味が感じられ美味かったので、麺を入れると味が薄まるのでインパクトのある味の要素が必要なんだな、時間があれば搾菜を塩抜きして細切りを入れる予定ではあった。
納戸から友人が広州から買ってきた中国茶を探しだしてきて淹れたが、良いものはさすがに美味い。

二宮13:30の東海道線で茅ヶ崎に向かうが、この電車10量編成のためかやけに混んでいた。
東北線、常磐線の直通運転が始まってからのことだ。
茅ケ崎では毎日履いているニューバランスのウォーキングシューズが切れたので、AEONに新しいのを買いに行く。
以前はジョギングシューズを履いていたが、このウォーキングシューズがすごく具合がよく、ワングレード上のがあったので、より具合が良いことを期待して買ってみた。
冠婚葬祭に革靴を履く程度で、年に数回しかなく、他はほとんどウォーキングシューズなので大切なんだ。
スペインの友人に頼まれた甚平を探したが、AEONにもイトーヨーカ堂にも要望された価格のものがなかった。
BOで1時間本を眺めたが、残念なことに本売り場を縮小するらしく、大きく棚が空いていた。
いよいよ茅ヶ崎店にもこの流れがやって来たんだなと暗い気分になった。
鈴木としお「浅草のおんな」冬青社 を購入。
長谷川書店で新刊を眺めるが、西部邁のコーナーがあり、1990年に光文社から出た「マスコミ亡国論」が青志社から新装版で出ていたので購入した。
他にも新刊で西部ゼミナールでの対論が出ていて、それと中公文庫にある著作などを並べてコーナーにしているところに長谷川書店の高い志を感じ、凄いもんだなあとちょっと涙ぐむ。

4時半に友人と会い呑み始めようと店を物色したが、この時間に開いている馴染みの店がなく、少し街を歩き、チェーン店には入りたくないので「金栄」という居酒屋に入る。
38年やっている68歳の親方の店で麒麟麦酒2本を飲む。
肴は突き出しに筍、鶏、椎茸を煮、これ美味かったね、それとスナップエンドウの唐揚げ、小一時間に浜あげ祭、新極真、料理屋修行時代の話をする。
「ほとり」で酒と焼鳥、アボガドに刻んだ茗荷が載ったのを食べたが、この組み合わせ中々良かった。
カウンターに常連客が二人、後からカップルが来たが3組知り合いのようで、尿酸値、宅配料金が高くなり地酒のコストが上がった話などを一緒にした。
薬研、股肉、葱肉、つくねを食べ、酒は福島のものから呑み始め、産地失念の純米無ろ過生詰めを呑み、最後は古酒を呑んだ。
「凜」で酒を3種類、〆に焼酎を呑んだ。
肴は付きだし3種といぶりがっこクリームチーズとポテサラ、2年前までは毎週来て食べていた肴だが懐かしいね。
料理人のいさおちゃんが辞めてからは、刺身が喰えないのでめっきり来なくなってしまった。
呑み始めは刺身に酒が何といってもいいからねえ。

友人が相模線で八王子まで出て飯能まで帰るので8時半にお開きにして茅ヶ崎駅で別れた。
友人とは学生時代に付き合っていた女性について話をしたが、家庭を省みずに自分勝手にやって来たので、別れたのは相手にとって良かったと話していた。
僕よりずっと真っ当な人間だが、自分の欠点を冷静に観てるんだなあと感心した。
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二日酔いの一日

2018年05月29日 | Weblog
完全な二日酔いで朝寝をしたが、窓を開けてベッドで横になっていると曇り空で暑くもなく寒くもなく爽やかでいい気分だ。
日本はいいなあとつくづく思う。
長部日出雄の「マックス・ヴェーバー物語」を台湾へ持っていったが、ほとんど読まずに帰ってきた。
500ページを越える大冊だが、ベッドにひっくり返ってつらつら読んでいたら200ページほどまで読み進んでいた。
本をもっと読まなきゃいけないなあと思うが、本の整理もしなきゃいけない、一年以上掛け声だけで一向に片付いてない。
6月12日からはスペインへ出掛けるので、その前にどうにかして置かないと、帰ってくる頃には暑くてその気も失せ、また秋になって涼しくなってからにしようって先延ばしになること間違いないからなあ。

午前中いっぱい横になり、昼に下へ降りたら娘が来ていて昼を食べていた。
空模様を気にしていたが、自転車でバイトに出掛けて行った。
胃の具合が完全ではなく、妻にお願いして昼は素麺と卵焼きにしてもらった。
薬味がワケギ、生姜、大葉、茗荷とあり、やっぱり薬味が色々とあったほうが美味いね。

1時からのプレシネは「パトリオットゲーム」だった。
元CIA職員が王室一族を狙ったテロに遭遇し、応戦して一人を射殺し、一人を捕まえる。
アイルランド系の犯人だがIRA過激派で、脱走した犯人に命を狙われる。
一応家族愛を主題にしてるんだろうが、暴力が前面に出た映画だった。
そういった時代なんだなあとつくづく思う。
3時に映画が終わったが、その直前に郵便局員が書留を持ってきて、対応に玄関に出て居間に帰ってきたら字幕が出ていてラストを観損なった。
絶妙なタイミングでやって来たもんだな。

二日酔いは未だ続いていて2階に上がりベッドで横になって6時まで寝たが、階下から妻がTVを観て作ると言っていた烏賊のフリッターらしきものの匂いが漂ってきた。
鯵のなめろう、フリッター、アボガドと豆腐のスープがあったが、フリッターは油の塊で不味く、スープはアボガドだけにすれば食えた可能性があったが、不味くて喰えなかった。
ミニトマトを洗い、肉饅を蒸して、タイ茶を淹れて晩飯にした。
何故時間をかけて不味いものを作るのだろうか、TVもネットも質の低い情報を撒き散らしているが、観ただけでその料理が良くないことが、判断できないのだろうか。
料理なら捨てれば済むが、日本の未来に関するような事柄の善し悪しが判断できないようでは危うい。
僕もこうやってblogを何のスクリーニングなしに出しているが、かつて物を書いたら編集者や校閲者が文章の質と正誤をチェックして、読者には一定のレベルのものが提供された。
今は読者一人一人の審美眼と広範囲にわたる教養が試される、物凄く大変な時代になっている。

夜8時から茨木のり子の「金子光晴」、長部日出雄の「マックスの・ヴェーバー」を読み、10時半に風呂に入って寝た。
二日酔いだと多少読書が捗るのかも知れない。
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義理人情の世も廃れ

2018年05月28日 | Weblog
昨夜は2時に寝たが7時に目が覚めて、8時前に起きて雨戸を開けて朝飯を作った。
疲れが残っていたが、介護の人が8時にやって来るので玄関を開けて、母の朝食の用意をしなければならない。

朝飯は、小松菜と椎茸の味噌汁、塩鮭、納豆、胡瓜の糠漬けで食べた。
糠床に人参やら株などが入っていて水が出ていたが、数日見ないうちに妻が大量に色々と漬けてとこの様子が変わってしまっていた。
これをもとのフルーツの香りがする状態に返したいが、はたして出来るだろうか。

北へ向かい下の息子と散歩に出かける、椋鳥が桑の大木に群がって実を食べていたが、声を上げて嬉しそうだった。
ワクワクでスナップ豌豆、胡瓜、ロピアで純米酒とマッコリを購入した。
昨日の朝は台北で36℃の町を歩いていたが、今朝はたぶん25℃以下で爽やかな感じがした。

帰って来てからトマトとゴーヤに水と肥料をやり、貝塚息吹の生け垣の剪定をしていたら娘とBFがやって来た。
台湾土産の粽、肉まん、パン、パイナップル菓子などを昼にみんなで食べようと妻が読んだのだ。
粽は卵と肉の2種を買ったが、玉子は肉に卵が入っていて卵単独ではないんだな、そうなると肉のより豪勢な感じがした。
肉まんは小と書いてあったが、蒸し器で蒸すと日本で普通に食べているサイズで、餡は少な目でさっぱりとしていて、皮がものすごくふっくらとして美味かったなあ、これならもう1袋(10ケ)買ってきて食べたかったね。
兄弟飯店のパン屋で買ったカップケーキのようなのは、ナッツとドライフルーツが入っていて、甘くなくて美味かったね。
パイナップル菓子は、旗隆に本店があり、売店が中山から復興松山の間の露地にあったメーカーのもので格別に美味かった。
お茶はホテルに会ったお茶2種で双方香りが良かったが、片方は間違いなくジャスミン茶で、双方ともうまかった。
三越で茶を買おうとしたが、まあ何でもそうだが上手いのと不味いのとの差が大きく、どれを買っていいか分からず諦めたが、店頭試飲が出来たら買うのになあ。

「アイアン グランマ」を観たが、昨日機内で観た「探偵はBarにいる」もそうだったけど、暴力が入るドラマや映画が多いね。
ストレスが多い世の中で、こういった形で発散しているのだろうけど、随分批判が集中してる、実は日大アメフット部の暴力プレイを観て喝采している人も多いってことじゃないのかなあ。
監督はさしずめ親分で、コーチが若頭、選手は鉄砲玉とすれば、アメリカンフットボールなんて新しい意匠を施しているが典型的な古い日本の構造で、親分が若頭に先方の玉を獲れと指令して、若頭が頭の悪い鉄砲玉を呼んでやってこいと指令したんだろうけど、そういった場合、鉄砲玉は自首して臭い飯を食うわけで、その前夜には親分が金を出して女を抱かせるものなんだが、今回は鉄砲玉にした選手を干していたというから、せこい時代になったもんだ。

2時半から5時まで昼寝をする。
相撲を観に下へ降りたら最後の一番で鶴竜が白鳳に買ったが、モンゴル会の約束通りなら、この結果になるのが当たり前で、面白くもなんともなかった。

7時に娘たちが七輪パーティーをやるというのでマッコリ、肉団子トマト煮などをもって出かけた。
七輪で焼いたのは、椎茸、獅子唐、玉葱、筍、蓮、空豆、ヤゲン、カシラ、ラム、黒毛和牛、自家製ベーコン、ホッケ、おにぎりなど、それ以外に隠元胡麻和え、ピーマンと干しエビ和え、モロキュウ、エシャレット、アルコール類はマッコリ、チリのスマイルが輸入しているスパークリング、アグリが輸入しているブルガリアのカベルのソーヴィニョン、長野の酒、福岡の麦焼酎の古酒、これは実に美味かったね、シャトーボーロンVSOP、これは最後の一本を開けた。
10時になったので家に入り、ナッツを肴にハードリカーを飲み、娘が淹れた珈琲を飲んで11時にお開きとなった。
家に帰ってから妻とフィーニュ・ド・・ブルゴーニュを飲み、気が付いたら辺りが明るくなっていて、台所のテーブルの下で寝ていた。
息子に拠れば、妻が2階に上がって寝た後に台所でドカンと音がして、僕がぶつくさ文句を言っていたのでマルが様子を見に来たが、そのうちいびきをかいて寝たらしい。


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台湾は朝飯だ

2018年05月27日 | Weblog
いよいよ台湾も最終日で、今朝は昨夜計画的に晩飯を食べたせいと朝飯の時間が何時もより遅かったので大量に朝飯を食べた。
何時ものようにトマトを中心にレタスやアルファルファをあしらったハムサラダ、それにサボテンのような葉っぱを3日間食べていたのだが、今朝は美人の日本人女性が給仕をしてくれたので、これは一体なんて言うのかと聞いてみたら中国語の発音で教えてくれた。
もちろんそんな名前は直ぐに忘れたが、石蓮と書くとも教えてくれたので美人の効用だね、そっちのほうは忘なかった。
調べてみるとベンケイソウ科の植物でメキシコ原産らしい、だが一説に中国南部の原産ともいわれているが、そのほうがもっともらしく感じるが俗説の多い世の中であり、今朝のものが何であったかは定かではない。
妻が大量に観葉植物を買い集めほとんどをからしたが、この石蓮ににた植物が玄関先に生き残っており、帰ったら食べてみることにしよう。
とにかく歯応えが良く酸味があってなかなか美味い、アロエの感じに似ている。
オムレットに、食パンとクロワッサンに中華風のバターのようなものを塗り食べるのだが、これが結構うまいのだ。
スクランブルエッグ、ソーセージ、茸の炒め物なども食べ、焼売5種と小籠包をお粥と一緒に食べた。
最後にパッションフルーツヨーグルトとパパイヤを食べ、珈琲を飲んで終わりにしたが、息子は最初からご飯を中華風のおかずと共に食べ、蓬莱米の子孫にあたる米だと思うが、実に美味いと褒めていた。
最後にケーキを3種類並べて満足そうに食べていた。

11時を大分過ぎてからチェックアウトをして、双連駅に地下鉄で行き228事件の発生地を探したが中々見つけられず、地元のオニイサンに訊いたら、近くだったのでわざわざ其処まで連れていってくれた。
道端に地味な石碑があるだけで、通り過ごしていた。
台湾の人達にも228事件は日々忘れ去られているんだなあ。
二日前の記念館の入場料の安さと過剰なサービスに、この民主化運動の契機となった事件を忘れさせないという強い思いを感じたが、歴史の重要な出来事は風化させてはいけない。
縁結びにご利益あるとかて人気の台北霞海城隍廟があり観に行ったが、酷いもんだった。
1971年に建てられたもので、ご利益があるとオネエチャンがたが群がっていたが、ご利益なんてあるわけがない、変な坊さん紛いのオッサンがそれらしいことを宣っていたが、占い師の類いだね。
不愉快になって隣の永楽市場で肉、野菜、惣菜などを観て、麺40元と小振りの肉饅頭を10個120元で買った。
近所の肉饅屋は、今一番美味いとネットで評判だったが、怪しげな店で、フェイクニュースを誰かが拡散させているに違いないと感じ寄ることもしなかった。
やはり店に行ってみて、現地の人が集っているのが一番のよい徴で、日本人観光客が集っているところは紛い物が多いようだ。
観光局を相手にせず、地元の人達だけを相手にまっとうな商いをしている店に行くためには、中国語を勉強しないといけない。

淡水川に出て、水天宮を観たが、小さな神社で地元の人が周りの木陰でトランプをしたり、寝そべったりしたりと寛いでいた。
双蓮駅まで戻り、あまりにも暑いので、多分35℃以上、冷房の効いたファミレスっぽい店に入り、小籠包、牛肉麺、ザーサイ豚肉細切り麺、焼き饅頭のようなものを285元で食べたが、予想通り不味かった。
店の女の子は親切で、息子はこの程度の味で十分だと喜んで食べた。
牛肉麺の牛肉は五香の風味が強く、町を歩いていても牛肉麺の看板の近くでは何時もこの匂いがした。

中山駅まで、車の部品屋の路地の街や、若い人たちが始めた新しいスタイルの街を観ながら歩いた。
新しい街は言ってみれば世界中同じで面白くもないが、繁華街のすぐ裏が昔ながらの町で、実に面白かったな。

中山駅では土産を買おうと三越に入ったが、台北の三越と同じで欲しいものが無かった。
小籠包で有名な鼎泰豐があり日本人観光客などでごった返していた。
皮を伸ばし餡を入れて包むところを観ていたが、大阪の551を思い出した。
そこから復興松山駅まで歩き、途中でパイナップルの菓子210元を買った。

南京復興駅まで地下鉄に乗り、駅脇のショッピングセンターを観たが寂れていた。
兄弟飯店を覗いたが、こちらは土曜日という事もあり大繁盛で、オジサンたちが酔っ払って土産を手に騒いでいて、父の世代の飲み会帰りを彷彿させ懐かしかった。
パン屋でカップケーキみたいなのを190元で土産に買った。
残金が100元になった。
いージカードの残高が250元ほどあったので、コンビニで紹興酒を買おうと思ったが、7-11もファミマも日本で売っている1種しかなくて止めた。

ホテルに帰り、汗を拭い着替えをして、買った土産をパッキングした。
出掛けにオネエサンが水をくれたが、気が利いている。

空港の7-11で台湾ビールを買ったが、原材料に蓬莱米とあり、ちょっと嬉しくなった。
帰りの便では大泉洋と松田龍平、北川景子が出ていた日本映画「探偵はBARにいる3」を観た。
出来の悪い映画だったが、ススキノが舞台だったのが嬉しい。

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台北帝大農学部

2018年05月26日 | Weblog
連夜に渡る暴飲暴食のためいささか疲れていたが、冷房のコントロールが上手くゆかず3時前に起きてしまい、帰りのフライトのチェックインや海外からのメールに返事をしていたら外が明るくなってきて、それから慌てて寝たが、寝不足が否めず三日目は疲れた状態で外へ出かけた。

台北大学農学部を目指してMRTの公館駅まで行き、外へ出ると直ぐ大学のキャンパスだった。
ヤシの木の並木を真っすぐに10分ほど歩き、立派な建物に着いたが、どうやら図書館らしく、受付で蓬莱米の発祥の場所に行きたい旨を伝えると、受付のていオネエサンやオニイサン、横にいた学生も一生懸命探してくれて、それが「磯栄吉記念室」であることを教えてくれた。
台湾最高学府の職員と学生だけに流暢な英語を話し、しかも親切であったが、この国の未来も明るいなあと勝手に思っていたりした。
稲の圃場の先に随分古い木造の建物があり、そこがかつての稲の品種育成の研究所であったらしく、その前に磯永吉を顕彰する碑があった。
とはいえ石碑ではなく木製の立て看板程度のものであったのだが、少なくとも誰かが磯永吉の偉業を顕彰したわけだから文句のだを言う筋合いではない。
このインディカ米とジャポニカ米のハイブリッドにより、台湾の農民はどれほど潤ったか、日治時代の対日輸出は飛躍的に伸びた。
施政者が搾取をして農民が潤ったかどうかは分からないが、甘藷か米かで大いに揉めたらしいので、多分農民の生活も楽になったのではないか。
実はこの件は前日総統府でガイドの陳さんに聞くまで知らなかったので大言は吐けないが、日本の農学者がどれほど台湾農業に貢献したことかの証である。
台北大学農学部を訪れようと思ったのは、千葉大学園芸学部に在籍していた時、かつて台北大学で熱帯果樹の研究をしていた田中由一氏に、2日間の「熱帯果樹概論」の特別講習を受け、田中氏が台湾を失ったのは熱帯果樹の研究にとってどれほどマイナスだったかと嘆かれたことが忘れられず、爾来、氏の謦咳に触れたことで熱帯果樹好きが高じたのだが、台北でぜひとも訪れてみたかった所だったが前回はかなわず、今回初めてその望みがかなった。
蔬菜の圃場、花卉の圃場など息子とともに回ったが、そんなものに興味の無い彼は随分と詰まらなかったことだろう。
この辺りに100年前、田中先生が闊歩していたのかと思うと、台北帝国大学をそのまま大学として残してくれた台湾に感謝したい。
半時間、南国に木下のベンチで行き来する学生を眺めていたら、息子がみんなまじめで同じような顔をしていると感想を漏らしたが、人間まじめじゃないと実験が続けられないが、不真面目でないと発見が出来ない傾向がある。

その後、台北植物園を散策したが、蓮池に多くのカメラマンがニコン、キャノンの高級機種をもって集まっていて、ああ、台湾もこういった経済状況に来ているのかとちょっと前の日本のことを思い出した。

中正記念堂まで歩いて向かい、南門市場で昼飯を喰ったが、フードコートに20軒ばかり屋台のような店が出ていて、なぜかその中の1軒だけに20人が列なしていたので並んでみた。
順番が近づくと、そこが刀削麺の店であることが分かったが、はたしてその手の店にあるオーダーシートがなく、どうやってオーダーしたらいいかと途方に暮れた。
前に並んでいるオネエサンに声を掛ける寸前、英語名が壁に併記されているのに気が付き、Traditional Beef Noodle 110元とPork & Seefood Noodle 90元を注文した。
息子と二人何時ものように半分まで食べて交換して食べたが、牛肉麺は肉が臭くて好みではなく、豚魚介類麺は香菜が入っていて具沢山でかなり良かった。
だが所詮はB級グルメ洗練は無い。

中正記念堂を訪れる前に、階下の市場でネットで調べた粽を真空パックにしてくれる店を捜して、粽の種類とその内容だけ聞いておいた。

中正記念堂は、蒋介石が権威を示すための建物で、俗なものだなあと思ったが、洗練さのないデカさには驚いた。
中に入ったら14:01で衛兵の交代式があると慌ててエレベーターで4階へ行ったら、人だかりの中でやっていたが、あまりに形式が肥大してバカバカしい感じのものだった。
蒋介石という人物をよく知らないので軽々には評価できないが、好悪の勘で言わせてもらうと嫌いな人物である。

帰りに南門市場に寄って、豚肉と卵の粽をそれぞれ7個購入した。
息子は妻から粽を買ってきてと云われていたらしく、購入できて肩の荷が下りたようでほっとしていた。
龍山寺でも圓山でも市場に粽を売っている店は多く価格も安いのだが、言葉が通じないことと、雑多な感じで良し悪しの判断がしにくく、南門市場の店は清潔で若い男の子が日本語を話すので、日本人がひいきにしていることが頷ける店だった。

過去二日と同じように、4時前に部屋に帰りシャワーを浴びて、部屋に置いてある果物、ライチ、バナナ、リンゴを食べて一息ついた。
このバナナ、台湾バナナなんだろうけど、半世紀前はフィリピンバナナより高級で大人は台湾バナナに憧れていたが、じっくり味わってみても現在主に日本に輸入されているフィリピンバナナとの差が良く分からないなあ。
ライチはハワイにいたころ浄土宗のお寺の庭からかっぱらって喰ったが同じ味がした。

相撲を観たが、栃ノ心が負けてしらけた気分になったね。
その後野球を観ていたが途中で飲みに出てしまったので結果はどうなったのだろう。
菅野が投げていると、大概勝つような気がして力を入れて観ない傾向があるね。
ホテルのラウンジで何時ものようにマティーニと白ワインを食前酒として飲み、町へ繰り出した。
と云っても今日も前二夜と同じ店なのだが、店の前にお客が並んでいたが、こちとら馴染み客なんで、列の脇から中に入り店主の息子とお運びの女性に予約席に案内してもらった。
優遇してもらった割には渋ちんの客で、両替した金が底をついて来たので控えめに計画的に食べた。
小籠包、烏賊団子揚げ、白菜炒め、海老炒飯、搾菜と豚切り細切り麺、餡饅頭、酒は陳年5年の紹興酒が6割ほど残っていたので、お茶をたのみ控えめに飲んで呑み切った。
〆て会計が1,023元とのことで、単純計算では840元なのに、端数があるところを観ても、やはりサービス料か何か取られているんだなあと思う。

大人しくホテルに帰り、汗を流してから「新日本風土記」「Daisy Luck」を観る。
慣れてきたせいか、主役の役柄がいいのか佐々木希が良く見えてきた。

いよいよ明日の夜には台湾ともおさらばだが、台北帝大農学部の圃場を観られて嬉しい。
思えば園芸学部を卒業して何ら農業についての貢献をしてこなかったが、先人の業績を顕彰、紹介することでも多少の役に立つのではないかと思っている。
熱帯果樹はマンゴ、パパイヤ、バナナ、パッションフルーツ、チェリモヤ、ドリアン、ライチなど何でも好きなので、それが市場にあふれている台湾が好きなのかな。

次回は坂井三郎が対米戦争の緒戦にフィリピンのクラーク飛行場の攻撃をした台南空があった台南に行ってみたい。




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台湾二日目

2018年05月25日 | Weblog
昨夜飲み食いしすぎで3時前に胸がむかついて起きてしまったが、2時間ばかり読書をして二度寝をして7時に起きたら快調で、風呂に入って朝飯を食いに行った。
どちらかと云うと西洋風なブッフェで、サラダがあり、ミニトマトがあったのでこれを中心にレタスやサボテンの葉やハム、ソーセージなどをあしらって一皿にして食べた。
ヨーグルトはパッションフルーツが入ったやつで、久し振りの生のパッションんの香りを楽しんだ。
輸入会社に入って初めて売ってこいと言われたのがニュウエイ島のパッションフルーツだったので思い出深い果物でもある。
そういえば前回の台湾のホテルではパッションフルーツが半分に切られて出ていて、同行者がむさぶるように食べていた。
暖かいお皿はコロッケを頼んだが、まあどうっていうほどのものでは無かった。
それより後から出てきたマンゴが美味しく4切れ食べてしまった。

10時前に総統府に行き、内部見学の列に並んだら、直ぐにパスポートチェック、持ち物検査を結構厳重にやり、ペットボトルは呑んでくださいと言われて飲んだ。
まあこのやり方が一番理に適った内容チェックだなと感心した。
日本人専門のガイドの84歳になる陳さんという方が丁重な案内をしてくれた。
中公新書の「台湾」を読んでいたので台湾の歴史とこの総督府についての概要は分かっていたが、台湾中部の阿里山の樹齢1000年以上檜が切り出され、日本の神宮造営や明治神宮の二の鳥居などに使われたり、戦艦大和の甲板にここの檜が使われたというのは初めて知ったことだった。
明治神宮の二の鳥居は日本最大の木造の鳥居で、高さ12ⅿ、幅17.1ⅿ、直径1.2ⅿで、昭和45年に初代の鳥居が落雷で損傷したのを東京の材木商川島泰資が台湾の丹大山で樹齢1,500年の檜を捜し奉納したもので、損傷した檜は樹齢1,200年の阿里山産の檜だった。
金鵄勲章の意味も教えていただき、大変勉強になったが、我々以外の日本人の方たちは説明時間が長過ぎるので途中で消えてしまった。
1時間以上かけて説明していただいたが、もしこのかたに説明を聞きたいと思われる方がいれば、月曜か木曜に訪れ、陳さんをお願いしますと指定するといいですよ。

228平和公園を散策して台北博物館へ行こうと思ったら、途中で228平和記念館があり、この運動は闇でタバコを売っていた林さんという女性が、取締官にピストルで殴られ、周りの人たちがこの取締官を追いかけたため、発砲され死者が出たことで民衆の不満が一気に爆発し、全台湾に暴動が広がった事件で、結局蒋介石に鎮圧されてしまったが、台湾の民主化の礎となった運動だ。
これも「台湾」のお陰で概要は知っていたが、資料を観られるのかと思い20元(80円)を払って入館したら、無料で日本語の音声案内機を貸してくれ、1時間以上展示資料を観ながら案内を聴くことになった。

僕も随分疲れてしまったが、息子はあまり興味がなかったはずで、付き合わせてしまったためにさらに疲れていて、平和記念塔の前のベンチに座り、水を呑んで休みながら疲れたねえ、これからどうしようかと話した。
昼時なので公園の中を昼に向かうサラリーマンや女性が歩いていたが、人気店は混雑して日本語では席の確保も注文も覚束ないので、博物館を見てから昼飯を食べることにした。
前回もこの博物館へきて、日本では統治時代に高砂族と言って一括管理していた先住部族が、実は10部族以上あり、高砂族などという部族が無かったことに驚いたが、今回もう一度展示資料を観た。
二年前にタイの山岳民族のへ行って生活様式や織物、住居、シャーマンなどを観たので、今回はそれとの比較が出来てより身近に感じた。

一度外へ出て昼を食べることにした。
台北駅三越近くの饂飩屋で肉、海老、餃子が入ったようなスープを喰ったがやけに美味く、野菜餃子の入った麺を注文して食べたが、拉麺かと思ったら饂飩だったので饂飩屋だと分かった次第だ。
人気店らしく台湾人がひっきりなしに出入りしていたが、昨日同様日本語は全く通じず、安くて美味いところはこの問題があるねえ。

勧業銀行の建物が博物館別館になっているが、そこでは統治時代のビデオが前回印象的で、今回もそれを目当てに見学したが、入り口でガイドのオバサンが日本語すこしだけわかると付いてきてくれたので、展示物の内容については前回よりも格段に理解できた。
前回、だかやけに狭いところで迷路のように感じた部分は、かつての金庫の内部で、建物全体にある漆喰部分が傷んだので日本から左官を呼んできて補修をしたこと、建物全体に空調システムがあり、床下の冷気を循環させて冷房にしていたことなどがオバサンによって分かった。

帰りがけ三越で前回購入した冷凍の粽を土産に買おうと思って地下の食品売り場へ行ったが、売っていなかった。
台北駅から乗って興駅まで帰り、部屋で相撲を観た。
栃ノ心ががっぷり四つで白鳳を寄り切ったが、時代が変わったことを印象付けたね。

風呂に入って汗を流し、ホテルのラウンジでマルティーニを飲んでから「京鼎小館」へ行ったら、昨夜飲んだ老酒の残りがテーブルの上に置かれ予約席としてセットされていた。
気分がいいもんだね、15年前に父と弟と霧島観光ホテルへ泊まった時に、前夜飲んだ芋焼酎の瓶がテーブルにセットされていたのに感激したのと同じ気分だった。
小籠包、ソーセージ、海老焼売などを食べて新しいボトルを頼んで、明日の夜も来ると言って帰って来た。
ちなみに今、「京鼎小館」の店のカードを裏返してみたら、恵比寿が本店で千葉、横浜、池袋、お台場に支店があるんでブッタマゲタ。
それにしちゃあ日本を喋るやつがいないなあ。

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台北初日

2018年05月24日 | Weblog
3:17に起きたので機内でも目が疲れていて、映画を観ることが出来なかったが、機材の調子が悪いのかジャズも音が途切れたりして楽しめなかった。
松山空港には9時過ぎに着き、地下鉄のMRTで南京復興駅のLes Suites Taipeiにチェックインをしてから荷物を置いて龍山寺と孔子廟に行ってきた。
台湾は思っていた通り蒸し暑く、半日外にいたらべっとりと汗が纏わりつき気持ち悪いのなんのって、ホテルの部屋は広くかなり豪華でさすがに評判のいい5☆で、携帯ルーターの貸し出しや、日本への電話が無料、フルーツのサービスなど行き届いていて、使っている石鹸もオリーブのやつで肌にいいんだなこれが、ひじょうに気に入った。
18時からハッピーアワーでカクテルかワインが2杯無料だ。

昼は龍山寺の「海天香水餃」で雲吞麺、什錦麺、雲吞湯を息子と二人で食べたが、麺がじつに美味かったな。
中国の漢字が無いので麺の種類をここに表記できないが、細くてコクのある麺で、ハワイにいるときによく食べていたので懐かしくもあり美味かったねえ。

ハッピーアワーでマルティーニ、白ワイン、ジントニックなどをチーズやかなり手の込んだつまみでいただいて、勇躍台北の夜の街に繰り出したが、来る前に長い間検討して思い定めた「京ケイ小館」に向かったが、方向感覚が磨かれてきたのかちょっと離れていたにもかかわらず難なく到着した。
思い描いていたより明るくて現代的な店で、地元の方はもとより日本人客が半数近くを占めていたので驚いた。
店の女の子に聞いたら日本の雑誌複数に取り上げられたとのことで、9時近くになって日本のオバサン4人がやって来たのには驚いた。
かくいう僕もネット上に拡散する良い噂につられてやったわけで、オバサンの集団を悪く言うつもりは毛頭ないが、チョットしらけたことは隠しようがない。
日本人ていうのは、こんな場末の小さな店まで来るんだからすげえもんだなと思う。
台湾ビールをたのみ、紹興酒の陳年5年を頼んだが、これが掴むようなものを持っていて秀逸な酒だった。
料理は、ヘチマの小籠包、粳米の小籠包、牛肉煮込み、麺だけ、胡麻饅頭、空菜芯などを食べたが、やけに勘定が高かったような気がする。
しかしそこは江戸っ子もどき、ぐっとこらえて美味かった割にはやけに安いじゃねえかと、釣りはいらねえから取っときなと心にもないことを言っちゃうんだよね。

息子が酒をあまり飲まないもんだから陳年5年は40パーセントくらいが残り、オネエサンと交渉して、ボトルキープにしてもらい明晩も来ることを約した。
気に入ったら通い詰める、花魁も裏を返して初めて馴染み、台湾だって女心は同じだろう、明日も来ますぜ面長の好みの色っぽいオネエサンよ。
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蒲田の夜

2018年05月23日 | Weblog
午前中家を出て関内の駒寿司で寿司を食べ、TJLを聴いてから蒲田のホテルへ入り、高名な豚カツ屋にでも行って浅酌し、翌朝、羽田0710のフライトに乗ろうかと思っていたが、忙しいので昼下がりの東海道線で蒲田迄やって来て駅前のホテルの部屋で相撲を観ている。
豚カツ屋は超人気店なので開店と同時に行かなければならないが、昼に妻がカレーを作り喰ったので、食指が動かない。
まあ腹が減ってくるまで相撲を観て、その気になったら喰いたいものを喰えばいいや。
阿炎はもろ手突きから頭を当てて押し切るのと、右へ変わって相手の縦褌を取って送り出す相撲をするようになって強い。
栃ノ心の相撲を期待して観ていたが、左右の上手を取って一気に押しだした。

相撲が終わり、6時にホテルを出て東急プラザのドラッグストアへ日焼け止めを買いに出掛けた。
30年以上前に知り合いの女性がここで受付をやっていて、一度その姿を観に来たことがあったがそれ以来だ。
いや、蒲田止まりの最終電車で掏りにあって有り金20万を盗まれ、駅前の交番で金を借りてビジネスホテルに泊まった悪い記憶も思い出した。
そういえば確かに未だ同じ場所に交番があった。
蒲田は因縁浅からぬ場所なんだなあ。

息子は酒を呑みたがらないので、食事ができる場所を要望したが、僕は駅前の老舗の居酒屋「三州屋」の風情が気になり、街を一周して舞い戻り、結局入ることにしたが、綺麗なオネエサン二人の隣の席で息子も満更でも無さそうだった。
聞けば二人とも1992年生まれで、岐阜と浜松のご出身だった。
右隣の御老体三人に囲まれた75歳になると言うご婦人も美人で、この方たちとも話が盛り上がり、実に楽しい時間を過ごした。
老舗の居酒屋の力ですねえ。
肴は葱ぬたがいい味で、直ぐに鮪ぬたもたのみ、ドジョウの柳川、鶏豆腐、浅利酒蒸しなどで、ビールを1本に2合のお銚子3本を呑んですっかりいい気分となり、9時前に左のお嬢さんがたが出て、右のご一行もお開きとなり、我々も仕舞いにした。
小腹が好いていたので「まるやま食堂」でヒレカツ定食を1つだけたのみビールを飲みながら二人で摘まんだが、美味かったなあ。
オバサンが親切だった。

今宵の蒲田はいい夜だった。
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旅行前夜

2018年05月22日 | Weblog
昨夜は早く寝たが、今朝は5時過ぎまでたっぶりと寝た。
昨日は昼寝をしなかったので、よく寝られたのかも知れないね。
今朝は気持ちよく起きて、下の息子と一緒に印刷用紙を西友に買いに行きながら北へ向かい散歩をした。
葛川の大きな桑の木には椋鳥の群れがたかって桑の実を食べていた。
僕も負けじと食べたが、英語でマルベリー、フランス語でミュールだがジャムやリキュールを思い浮かべるが、日本語の桑の実は童謡を思い出す。

昼は稲庭うどんを食べた。
暑くなってくると、井戸水で冷やしたうどんが美味くなる。

食後、真面目に台湾の情報収集を行うが、前回2年前の台湾旅行は友人に任せっきりだったので、何が何処にあったのか全く分からなかったが、地図で場所を調べてみると成る程と合点が行くことが多かった。
しかし、孔子廟は龍山寺の横に在ったものだと思っていたのに、遥か彼方、圓山の私立美術館の反対側に在って愕然としたりした。

2時間ばかりPCと戯れていたが疲れたので休み、相撲を観た。
今日も栃ノ心が勝ち全勝を維持したが、13日目と14日目の横綱戦が観られないのが残念だ。
白鵬は汚い待ったをして、次にやけに早く立って勝ったが、あんなことしなければ勝てないなら辞めるべきだろう、晩節を汚しているね。

風呂には入って、ウヰスキーソーダを飲む。
空豆、モロキュウ、エシャレットと新鮮な旬の野菜が美味い。
鯵のなめろう、トマトも美味かったが、妻がTVを観て作った生姜肉野菜炒めは、何これって感じで不味かった。
僕ならレシピを聞いただけでダメだなと思うが、TVは料理でも質の悪い情報をタレ流していて、それをまともに信じてしまう人がどれ程いるのかと思うと空恐ろしい。

9時からプレシネがあったが、PCに向かい台湾情報をあれこれと楽しんだ。
食い物屋の情報が日本人と台湾人で全く違うので面白かったが、今回は台湾人の評価に従って食べてみようと思っている。
だが、そういったところは日本語が全く通じないという問題がある。
前回はホテルに聞いて3晩ともホテルの前の日本人観光客がいない料理屋で食べたが、日本語の分からないオバサンが、初日は日本語の分かるお客のオジサン、2晩目は若いお客に通訳してもらい、3晩目にはすっかり我々の好みが分かり、言葉は通じないまま酒も料理も思ったように出してくれた。
その店は、昼に弁当を販売しているので回転がよく素材が新鮮だったし、オバサンとも馴染みになり、ホテルから10秒で行けたから有名店を調べて他に行く気もしなかった。
3日とはいえ行き付けの店が出来るといいもんだ。
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