キュヴェ タカ/cuvee taka 「酔哲湘南日記」

新鮮な山海の恵みを肴に酒を吞み、読書、映画・音楽鑑賞、散歩と湘南スローライフを愉しんでいる。 

幻の津軽蕎麦

2009年08月31日 | Weblog
津軽蕎麦というのは幻だそうで、幻であったら喰えない筈ですが、弘前の蕎麦屋のメニューに、「幻の津軽蕎麦」として堂々と出ておりました。同行者は南部の人間で、津軽には詳しくはないものの津軽蕎麦が幻であることは知っており、その店に入った次第です。当然その津軽蕎麦を注文いたしましたが、漬物はセルフサーヴィスで喰い放題との説明をお運びのオネエサンから受け、当然てんこ盛りに白菜の浅漬けと昆布の漬物を取ってきて蕎麦が来るまで賞味いたしました。あっさりとしてなかなか美味かったですが、20年前信州佐久の蕎麦屋で出されたてんこ盛りの漬物を思い出しておりました。

津軽蕎麦は、昆布出汁の効いた汁に、筍、椎茸、蒲鉾、若布が乗っかっていて卓袱蕎麦のような感じがいたしました。同行者の酢が湯辺りでの津軽蕎麦体験では、食べてるうちに蕎麦がぽきぽき短く切れてしまうとの事でしたが、まったくその気配はなくしぶとく繋がっており、淡白でこしがある感じでした。あまり好みの蕎麦ではありませんでした。

帰りがけにレジ裏の説明を読んでおりましたら、津軽蕎麦はつなぎに特徴があり、大豆の割り粉を使用して、蕎麦の味わいを引き出してるとのことでしたが、どうもその店の津軽蕎麦に限っては蕎麦の風味が感じられませんでした。

米どころの津軽平野で蕎麦が美味いはずもなく、酢が湯あたりの八甲田山系に入って行って初めて蕎麦を如何に美味く食うかの研鑽工夫ががあり、その伝統が継承されているはずで、米を喰っていればいい街中では美味い蕎麦を望むことに無理がありました。街中では、酒とその肴に工夫があるはずで、一泊してそこいら辺りを研究するのが米どころ酒どころの津軽平野での過ごし方でありました。
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初栗

2009年08月30日 | Weblog
一色農協小売部で二宮産の栗が出ていましたので、すかさず買い求めました。残念ながら調理に失敗して美味しくいただくことが出来ませんでした。昼飯を喰いながら調理していたので、茹で時間がわからなくなり、十分加熱調理できなくてゴリゴリしておりました。きちんと時間を見ながら調理するか、試し食いをしてみるべきだったと大いに反省しております。昔、われわれの世代に対して「ながら族」という言葉を冠せられ、ずいぶん世間から批判されたものですが、今ではそんなこと言う人も見かけられず、ただただ懐かしく思い出しておりました。

この時期に実るのですから早稲品種であり、栗がもつ本来の奥行きある味わいはないものの、晩夏あるいは初秋の気候に合った浅い味のものではあるのですが、初物の楽しみというのは味わいの良さだけの話ではなく、来るべき季節を感じ取る粋ですから、晩秋まで続く栗喰いの嚆矢となるべきものであったのです。

湘南地方は台風の影響で風が回って強くなっております。午後からは雨の予報ですが、政権交代に影響のない雨であってほしいものです。
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ガマズミ

2009年08月29日 | Weblog
ここ湘南もすっかり秋の気配になってきました。朝夕の爽快なことといったらありません。いよいよ良い季節が巡ってきます。海で釣りをするのも良いし、山歩きも面白くなってきます。

先週、南部の酒造メーカー桃川で「ガマズミ」のリキュールを試飲してきました。その辺の野山に生息している、秋に細かな赤い実が纏まって実る低木です。たぶん皆さんも何度か見たことがある筈で、名前を知らないだけだと思いますが、実は私も今回初めて名前を知りました。酸が強い果実の性格を反映した爽やかなリキュールで、アルコール度数7度そのまま飲める状態になっているスタイルでした。スーパーマーケットなどへ出しているそうですが、女性に人気でよく売れているとの事です。

山でこれからいくらでも見つけることが出来るので、秋深まってよく熟した頃味見をしてみましょう。完熟果といえども相当すっぱいとの事です。しかし、決して山中の果実を漁って自家製リキュールをつくろうなんて考えないでください、野鳥たちの大切な食料となっております。
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夏のジャスミン

2009年08月28日 | Weblog
夏ちょっとした山や川の土手などに見られる花でクサギという好ましくない名前の花があります。海老色のガクに白い花弁が印象的で、芳香があります。葉をちぎると臭い匂いがするので、そのまま臭木と名付けられたらしいですが、触れなければその被害に合う事は無く、その花の美しさと香りを愛でているぶんにはご機嫌な樹です。

先日、大磯まで釣行のおり、葛川べりを歩いていたらこの花に出くわし、その香りを楽しみましたが、急に45年ほど前の夏休みの記憶が蘇りました。裏の吾妻山へ蝉やクワガタを採りに行くのがその頃の日課でしたが、山を登ってゆくとこの香りが漂ったものでした。当時その香りのもとであるこの花を認識しておりませんでしたが、というのも蝉やクワガタなどの昆虫には興味がありましたが、植物には大きな注意を払っておりませんでした。それでも山百合の華麗な姿と香りには魅せられておりましたが、少年のある夏の日を喚起するこの香りの持ち主は、やはり夏のジャスミンと呼んだ方が似合います。少年時代のように、なまじクサギなどという名前を覚えなかったほうが幸せだったかもしれません。
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酒、煙草、女

2009年08月27日 | Weblog
かつて山田風太郎は「酒も煙草も女もやめて、百まで生きた馬鹿がいる」といっておりましたが、世間では酒も肩身が狭く、煙草は尚更、女も現実の女性には興味が無く、追い求めているのはヴァーチャルな女です。「酒は要らない、煙草などもってのほか、現実の女には興味なし」これが現代の若者の典型とすれば、山田風太郎にシンパシーを抱く私が、若い人達と共感し合えることは無いのでしょうか。

でも、でもですよ、煙草はきっぱりと辞めましたし、加齢からくるポテンシャルの低下で現実の女には相手にされず、ヴァーチャルな方向に走っているではありませんか。だとすれば若い人達との接点もあるはずで、これで酒をやめれば20代の人達と何処が違うというのでしょう。

逆に言えば、酒をやめたら今の若い人達と同じになってしまい、無駄にではあったかもしれませんが、長い間生きてきた甲斐というものが無くなってしまいます。百まで生きる事が出来ないかもしれませんが、酒だけは死ぬまで嗜んでいたいものです。
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車、酒、海外旅行

2009年08月26日 | Weblog
マーケッティングについての本を読んでおりましたら、かつてもてはやされて、今若い世代に人気が無くなったものの代表は、自動車、酒、海外旅行だそうです。若い頃はハワイに駐在してフォード・フィアモントを運転しておりましたので、車は下駄のような感覚を持っておりました。会社の車でしたから、たまにガソリンスタンドで洗車をする程度で、動けばいいやとの感覚でした。私にとって車は欲望の対象ではありませんでした。

酒については、サントリー全盛の頃に飲酒を始めましたので、ウイスキー水割りに馴染んでおりまして、学生時代からホワイト、角、オールド、リザーブ、ロイヤルとグレードを上げながら飲んできました。経済成長をウイスキーの銘柄で感じてきた世代でもあります。確かに欲望と複雑に絡み合っておりました。

海外旅行については、外国というのがまったく嫌いでしたから、欲望を感じる事がありませんでしたが、会社から2年のハワイ駐在など命じられ嫌々出かけました。しかし、どうしても馴染めず1年で逃げるように帰って来てしまいました。同世代の女の子などには当時フランスが大人気で、皆さん波のようにパリに押し寄せ、その結果、お酒でいえばシャンペイン、キールなどが日本に定着いたしました。

車の人気が無くなり、ピッカピカの車をこれ見よがしに運転する輩が居なくなった事は慶賀すべきです。旅については、国内各地を車を使わず時間を掛けてゆっくりと観る旅をする人が増えたらいいと思います。現地の言葉が堪能であればその国に長期滞在してみるのもいいかもしれませんが、そうでなければあえて海外まで行きたいとは思いません。しかし、しかしです、酒が欲望の対象から外れるのは困ります。それは主に酒によって録を食んでいるという功利的理由からなのですが、「酔っ払うのはかっこ悪い」との若い人達の価値観は、友達でさえも心を開き安心できる相手ではないとの、すさんだ現代の人間関係に起因しているような気がします。かつて酒は人の心を繋ぐ大切な液体で、こじれそうになった関係修復や浅い関係を深くするのに役立った妙薬だったはずです。
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仙台からのニュース二つ

2009年08月25日 | Weblog
今日はこれから仙台へ出かけます。彼の地にメーカーからの資料の翻訳などをやってくれる社員がおり、年二回顔を出して打ち合わせをいたします。そんな日の今朝、テレヴィを観ていたら、珍しいことに仙台から二つもニュースがありました。

市内の欅並木は青葉茂れる仙台を象徴する樹木ですが、昨日樹齢60年の大木が自然に倒れたとの事です。見かけは立派でも幹と根がやられていたようです。

もう一つは市内の薬屋さんが、中高年の人たちの運動管理をしているとの事で、計器をつけて一週間後に薬局を訪れると、運動量の評価をしてくれるそうです。これは日本初の試みらしいです。

ちなみに仙台市では残っている欅すべての健康チェックをするそうですが、民間の薬屋さんのように、倒れる前に健康管理をする周到さが必要な気がいたします。お役所仕事は何時も後手ですね。




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天然鰻も喰いすぎると

2009年08月24日 | Weblog
昨日に続き鰻の話で恐縮ですが、噂によりますと四万十川の天然鰻しか捌かない鰻屋が川の側のどこかにあるそうで、日本最後の清流というイメージと共に清冽な味わいの鰻が喰えそうで、鰻が居るうちに一度訪ねてみたいなと思っています。

人生において鰻との距離がひじょうに近付いた事があります。子供の頃、近所の押切川の上流に当たるところで、大きな笊に魚を追い込みながら1kmばかり川を遡った事がありますが、鮒、鮠、鯰、泥鰌、川海老、鰍などがバケツに5杯ぐらい獲れました。その時40センチほどの鰻が一匹入り、それを家に持って帰って庭の池に放して泥を吐かせ、母が蒲焼に作ってくれたのを食したのですが、鮠、鮒などが余り美味ではなかったのに比べ、醜い魚なのに味は抜群だったことを覚えております。海が近い漁師町でしたので、川魚をお金を出して食べるという思想がなかったので、鰻にたいする憧れというようなものは、成人してからも長く皆無でした。

数年前淡路島に行ったら、その年鰻が大量発生して島の中のどの川でも大型鰻が獲れたそうです。メタルジグでも掛かったといいますから、入れ食いウハウハ状態であったと思われます。皆さん最初の頃は焼いて食べたが、そのうち飽きて誰も手を出さなくなったとのことです。

中々手に入り難くて、しかも高価であるから憧れるのであって、毎日喰わされたら見るのも嫌になるかもしれません。最近母が豆腐に箸をつけないのですが、先日理由を聞いたら数年前に豆腐でダイエットをしたときに、嫌というほど食べたのでもう生きている間には喰いたくないそうです。さて、淡路島では鰻屋は未だに存在しているのでしょうか。

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天然に拘りたいが

2009年08月23日 | Weblog
昨年の土用に、市場では突然中国産の鰻が消えて国産鰻ばかりになりましたが、さすがに老舗の鰻屋の鰻はもとから国産養殖鰻が主流でした。たまに国産天然鰻が供されますが、それをいただくだけのお足が不足している事もあって、老生最後にいただいたのは、横浜梅林でかれこれ10年前になるでしょうか。お値段のところが時価となっておりまして、食い物屋で時価というのに出会ったら絶対頼んじゃいけないなんて、祖父の遺言なんかありましたが、あの当時は何故か何時も重量感のある財布を抱えておりまして、遺言を無視して友人の分も含めて支払っちゃいました。それでも鰻重が4,000円位、それに肝焼き付けて燗酒を数本いただいて二人して20,000円くらいなもんでした。ええ、かるいかるい。支払った後の財布のことでございます。

前置きがやけに長くなりましたが、麻布の野田岩は天然鰻にこだわったお店で、前もって頼んでおくと季節にもよりますが、天然鰻がいただけます。今回は軽い財布との付き合いが長く続いておりますので、天然鰻ではなく養殖鰻をお願いする事にいたし、土用の鰻の時ですとやけに混みますので、ほとぼりが冷めた盆明け行ってきました。寒鰻を食べに伺った時にそれまでと較べてやけに味が薄くなっていて、机にタレが置いてあったので驚いたのですが、今回お邪魔していただいたところ、繊細な味わいが絶妙でした。この冬に何かが変わろうとして、その過渡期に味わいのバランスが崩れた感じがいたしましたが、実際素人には分からない何かを変えたのでしょうが、再び高い水準にたどり着いた感じがいたしました。

ちなみに、パリの支店にもしばしば出かけている5代目が作ったワインリストは、鰻屋のレヴェルをはるかに超え、白ワインをチョイスして蒲焼をいただいても楽しめそうです。パリのお店での鰻とワインの組み合わせの実践がここ麻布で生かされているようです。お足に余裕のある方はぜひお試しください。

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夏の花

2009年08月22日 | Weblog
「東京百話」という種村季弘さんが編んだ面白い本が、ちくま文庫で天地人と三冊出ておりまして、東京に関する短編小説や随筆がてんこ盛りになっております。これがいいんですね、種村さんの好みというのは実に私に合っていて、どれをとっても実に味わいがあり、尚且つヴァリエーションに富んでいて飽きる事がありません。そのため時間を余す事があればこの本を手にとって、何処からとも無く眺めております。

その本の“人の巻”に永井荷風の随筆があり、秋の虫について書かれているのですが、その前段に凌霄花、夾竹桃、百日紅がでてきます。永井荷風というのは研究書や言及する方がひじょうに多い作家ですが、昭和初期に既に東京散歩をしていて、家族を捨て、家に執着せず東京を歩き回ったところが男受けするようです。その人が花について書いているのはイメージに合わないのですが、凌霄花、夾竹桃、百日紅の、オレンジ、濃いピンク、紅の色彩が鮮やかに立ち上がってききます。

散歩の途中、夏の強い光とこの暖色系の色彩をグラスの向うに映して、ビールを飲めるようなお店はあり得るのでしょうか。昭和初期には、木陰に茶店のような絶好なところがあったのでしょう。今で言えば、ちょうど増上寺の桜の木陰にある茶店のような設えのところが、花を愛でながらビールで喉を潤してみたいものです。

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