キュヴェ タカ/cuvee taka 「酔哲湘南日記」

新鮮な山海の恵みを肴に酒を吞み、読書、映画・音楽鑑賞、散歩と湘南スローライフを愉しんでいる。 

メダリスト記念切手

2018年02月28日 | Weblog
久し振りで自転車でJA湘南中里店へ行った。
ただし開店後小一時間たっていたので、レジのKさんに拠れば、棚にあったブロッコリーなど幾つかの野菜は売れてしまったとのことだ。
それでも一時消えていた蜜柑とキウイフルーツがたくさんあり、晩柑類も何種類か出ていた。
菜花、蜜柑、キウイ、梅干しを買った。
WAKWAKへ回り、ほうれん草を買った。

妻と下の息子が平塚の病院に行って、帰りに昼を食べてくるので、昼は焼きそばにしようと思い、西友に寄り深蒸し焼きそばと、ヨーグルトと中粒納豆を買った。

母の昼飯は、ほうれん草を入れた卵焼きを作り、栗饅頭を付けてだした。
深蒸し焼きそばをフライパンに入れ表面をパリパリにして、豚バラに紹興酒と片栗粉をまぶし炒め、人参、ほうれん草、モヤシを加え、塩胡椒で味を調え片栗粉で餡にして、麺にかけ辛子と酢で食べた。
かなりうまく出来て美味かった。
家庭のガスの火力は限界があり、炒めものは一人分で作るとうまくゆく。

プレシネは観たやつだったので、のんびりと本の整理をして、池澤夏樹「むくどりは千羽に一羽」やグルーチョ・マルクスの「好色一代記」などを日向で拾い読みしながら楽しんだ。
湯川豊の本では池澤夏樹の評価が高かったが、あまり読んだことのない作家で、どんなものかと覗いてみたのだが、1995年に週刊朝日に連載していたエッセイの一年分で、これが3冊目らしい。
阪神大震災のことが出てきたが、このあとオウムのサリン事件が出てくるのだろう。
この年は日本の安全神話が崩れた年で、時代の流れが大きく変わった。
私的には、前年の秋に名古屋の丸市青果の子会社として、中部貿易横浜支店を設立した年で、南仲通りの新事務所で地下鉄サリン事件の第一報を聞いた。
それまでブランデーを中心にしたハードリカーの輸入販売からワインに舵を切った年でもあり印象深い。

マルクスは、資本論じゃなくてボードビリアンのほうね、翻訳者が高平哲郎のお仲間で、あとがきに高平の名前が出てきたら、それだけでぐっと身近な本に思えるから不思議だ。
2冊とも何処でいつ頃買ったのか全く覚えていないから、新鮮な感じがし、部屋の中にも掘り出し物があるんだなあと、灯台下暗しってあと言葉が浮かんだ。

午後は良く晴れて夕方まで日が差したいい一日だった。
つい最近まで西部邁ゼミナールや桜テレビでの対談を毎日観ていたが、ここのところ荻野目洋子から始めて、好みの歌手の動画を順に視聴している。
この日はかつてお世話になった取引先のかたがカラオケで良く歌ったJ-Walkを視聴したが、カラオケ以外で観るのは初めてで、ちょっと衝撃的だった。
とにかく1975年から2017年春まで、TVをあまり観なかったから、世間で流行っていたことに疎く当たり前のことを知らない。
その反動なのか、この一年はTV漬けで、BSの視聴時間は、朝の海外ニュースから始まり、時にアーカイブ、昼の再放送番組とプレシネ、夜の幾つかの好みの番組と、日によっては7,8時間観ていることがあり、中毒症状を呈している。
まあ熱中していることはその内飽きて見向きもしなくなるから、やりたいときにやっておかないとね。
年を取って熱烈な恋をしようと思っても出来るもんじゃないから、何でもやるべきタイミングがあるんだよね。

4時過ぎに下の息子と東へ向かい散歩に出た。
オリンピックのメダリストの記念切手を買おうと郵便局に寄ったら、申込を受けて宅配になるとのこと、誰のが欲しいのですかと問われ、小平さんと言ったら窓口の女性が意外な顔をしたね。
申込用紙のようなものを持ってきて、配送料が一枚につき510円かかり、要は82円の切手5枚=410円がシートになると1,400円となり、それに配送料がかかるから410円の切手を1,910円で買う馬鹿馬鹿しさなのだ。
ネットで買うと4枚で送料無料になると、そちらのほうを勧めてくれた。
多分この企画はJPからあがったのではなく、委託している広告代理店の発想だと思うが、郵政民営化の酷く悪いところを見て嫌な気分になった。

散歩には目的地のようなものがないとケリがつかないのか、結局ヤオマサに寄り、豆腐、バタピー、チーズクラッカー、牛乳プリン、茹で落花生を買って帰ってきた。

帰ると5時半で薄暗く雨戸を閉めた。
昨日閉め忘れて11時過ぎてから閉めたので、その反動でちょっと早い気もしたんだけどね。
妻がやっと元気になってきたようで、今日はチキンスープを煮込んでいたので、ゆっくりと風呂に入って出てきたら、下の息子がスープを飲んでいた。
湯豆腐と豚肉の厚い塊があるのでオーブンで焼くつもりでいたが、妻が紫の菜花を茹で、鰯を焼いていた。
スープはトマトが入っていて、どうもカレーとトマト味を妻は好み、この二つの味が苦手になってきている。
予定通り湯豆腐を作り、茹で落花生を肴にカナディアンウヰスキーをストレート+チェイサーで飲んだ。
息子が何となく物足りなかったのか、豚のグリルを所望したので、塩胡椒してグリルに入れ7分焼いて同じ時間寝かせた。
5個入れたうちの一番小さな塊を、待ちかねていた息子が食べたが、中がピンクに焼き上がっていた。
大きい塊4つは更に3分焼いて寝かせたら、火が通りすぎてピンク色が失せていた。
火の入れ方は難しいね、それでも肉が固くなっておらず、久し振りに美味いなあと思った。
カナディアンの後、フランスのりキュールを飲んだが好みの風味がありつい杯を重ね、チーズクラッカーまで出して飲んだのですっかり酔ってしまった。

9時になったので、アナザーストーリーズと出汁についての番組がBS3と1であり、ザッピングをしながら観ようかと母の居間へ移動したが、居眠ってしまい番組が終わって目が覚めた。
2階へ上がり、湯川豊の本をそろそろ読了しなけりゃとページを開いたが、そのままの姿で眠っており、3時に目が覚めた。
今は5時でお寺の鐘がなっているが、こうしてblog原稿を書いている。
駄文に2時間もかかるのだから、その非生産性たるや充分隠居仕事に見合ていて満足である。
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リッター99.9㎞

2018年02月27日 | Weblog
朝風が強くて寒かったので、寒い一日になると思っていたら、車で出かけて日向に駐車して、乗ろうと思ったら暑くて窓を開けて走らないと堪らないほどの好天気になった。
そんなわけで朝の散歩が出来ず、だらだらと一日を過ごしてしまったが、佛花を買おうと午前中秦野のジバサンズに行ったが、思った花がなくカーネーションとフリージアを買った。
野菜も少なかったね.
ここのところしゃきっとした大根が無くてだらんとしたのを食べていたので、触ってみたら良さそうなのがあったので買った。
名前を忘れたが、何とか学園という所で造った豆腐があったのでそれも買ってみた。

渋沢のBOに廻り本を2冊買ってしまったが、家に帰って妻に見つけられ、「今ある本の始末が付かないのにまた買ったのですか?」と言われてしまった。
「てやんでい、うるせい!」と言い返したかったが、心のなかで啖呵を切っただけで、なんとも気勢の上がらない。

石田千「月と菓子パン」晶文社 2004年
これ変な本で、表紙にIBNコードと定価が付いてなくて、後から白い紙に印刷して貼ってあった。
これがないと本屋じゃ売りようがないよね、それも2刷でこれだから、晶文社も暢気なもんだなあと思った。
まあ、こういったミスって滅多にないから、それでつい買ってしまったのだが、石田千というひと嵐山光三郎の助手をしていたそうな、という事はきっと面白いひとだから務まったに違いなく、この随筆集も面白いだろうと想像している。
家に帰って調べてみると結構本を出していて、これが最初の単行本のようで、2007年には新潮文庫になっているので、皆さんご存知のかたなんだろうね。
現在東海大学教授っていうから、近所に住んでいるのかもしれない。

橋本治「幸いは降る星のごとく」集英社 2012年
橋本治は集めてるからね、つい手が出てしまったが、店頭で少しだけ読んだら面白かった。

帰りに中井の「あおば」に寄って、鰯、牡蠣、椎茸を買った。
二宮から秦野までは基本的に登りで、アクアの1ℓ当たりの走行距離は中々20㎞を超えないが、帰りは下りになるので、99.9㎞の表示限界を出すのを楽しみに運転している。
かつて坂井三郎は零戦で画期的な航続距離をたたき出し、太平洋戦争緒戦の台湾からフィリピンクラーク基地への攻撃や、1947年8月7日から始まったラバウルからのガダルカナルの奪還戦を可能にしたが、それも操縦技術に拠るところが大きく、基本的に零戦パイロットの車の運転は美味いと、名前は失念したがインタヴューを重ねて零戦空戦記を書いたノンフィクションライターが書いていた。
そんなこともあり、この走行距離を出すことに快感を覚えているのだが、左捻りこみの技術を真似て、狭い道をかなりのスピードで走り事故を起こしたことがあるので、零戦の先回機能の優秀さを真似することはそれ以来していない。

昼は、妻と二人だけなので、肉まんと焼売を蒸し器に入れ、沖縄のピーマンを細切りにして炒め、もつ煮を食べた。
1時からは珍しく妻と一緒に台所のテレビでプレシネ「荒野の用心棒」を観た。
黒澤明の「用心棒」に啓発されて作った映画とのことだが、構造が似ていたが、今まで観た西部劇の中では一番よく出来ているなあと感じ面白かった。

3時過ぎに下の息子が帰って来たので一緒に散歩に出た。
南に下り、海の中道に出て梅沢まで歩き、東海道線沖田に出て吾妻山の裾にある梅を観てから帰って来た。

晩飯は牡蠣鍋にした。
鰯を焼いてたべるか、肉野菜炒めにする手もあったが、簡単な方に流れてしまうもんだ。
酒は呑まずに終わったが、9時からのプレシネで主人公のジャスミンが、ウオッカを煽っているところを観て、ホワイトリカーを飲みたくなったが、辛うじてやめておいた。
アルコーリックになると、ホワイトリカーを好むと云われるが、朝から街のバーで飲んだくれてるオッサンをハワイにいた頃良く見かけたが、長患いしないでコロッと死ねたらそれも悪くない。
詐欺師の夫の元で贅沢三昧をしていたが、権力があり金持ちの男に女が群がるのは世の常で、夫の浮気に怒りFBIに悪事を通報し夫が逮捕され、本人も一文無しになり、養父母に一緒に育てられたサンフランシスコに住む妹のところに転がり込んだ。
ニューヨークのセレブ生活が身についていて、西海岸の開放的な貧乏生活とはそりが合わず、悶着を起こしながらも、姉妹揃っていい男を捕まえるが、結局捨てられてしまう。
妹の方は、身の程に合った生活をしているので、お似合いの男とよりを戻すが、ジャスミンはかつての生活と現実のギップに対応が出来ず病んでいた心身症が悪化する。

人生の前半に裕福な生活をして、ある日突然落ちぶれた人に良くある心の問題だと思うが、新たな生活に順応するには時間が必要だし、時間を経過しても順応できない人も多いね。
今の僕の隠居生活も、ある意味去年までの生活とはまるっきり違い、中々順応するのは大変だったし、まだ完全に今の生活に慣れたとも思えない。
社内や取引先との関係は利害で結ばれているが、地縁関係にあまり利害はなく、もし強く結ばれることがあれば、趣味や地域活動という事になるが、男は強制されないと人と付き合おうとしないからね、孤立が深まってゆくんだなあ。
映画の中のジャスミンは、その落差が凄く大きかったから、はたして平穏な心を取り戻すことが出来るかどうか、残念ながらひじょうに厳しいように思えるね。





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宇宙人の妻

2018年02月26日 | Weblog
昨夜は遅くまでTVを観ていたので、今朝は7時近くに目が覚めるまでぐっすりと眠ったが、少し疲れているようだ。

雨戸を開けて風呂に入った。
朝飯は、ほうれん草の卵とじ、さつま揚げ焼き、納豆を食べた。
2階で少し書き物をして10:30に東に向けて散歩をした。
ヤオマサの南を通って不動川に流れ込む、月京のほうから来ている小川があるが、そこでは初めてカワセミが上流へ飛ぶのを観た。
帰り道に、ミモザが咲きだしているのを見て、イタリアで春を呼ぶ花として華やかに咲いていたのを思い出した。
彼の地では、この花を手折って女性に捧げる風があるとかで、同行の女性がその栄誉に浴したが、それにどんな意味があったんだか聞いたはずだが思い出せない。

ヤオマサでは、鮪赤身、鶏モモ肉、豚肉、饂飩、蒲鉾を買った。
昼の鍋焼うどんのためだが、やっぱりこれが一番簡単だな、妻が作りたがるのも分かる。

午後、珈琲を淹れて飲んでから、昨日ニトリが交換で持ってきた書棚に元あった本を戻して、少しだけ整理をして2階に上がった。
荻野目洋子の「ダンシングヒーロー」を視聴していたが、昨年、大阪の登美丘高校のダンス部がこの曲に振り付けをしてリバイバルヒットしたらしい。
その動画は面白く、高校生でもここまでやるんだなあと感心したが、日本全体が浮足立っていて、女性も派手な格好で街を闊歩していた1980年代半ばのバブリーな時代を揶揄したダンスで、当時を彷彿とさせるところが、オジサンオバサン連中にも受けたのだろう。
しかし、圧倒的にデヴューした頃の本人の映像が輝いていて魅力的でいいなあ。
歌が流行っていた頃に聴いたことはなく、1995年頃にこれを十八番(おはこ)にしていた会社の同僚がカラオケで歌うのを聴いたのが初めてで、オジサンが歌うダンス曲がちぐはぐでそぐわず、面白くて何時も要望したもので覚えたが、30数年たってから当時の映像を観ていいなあと思うなんて遅すぎるねえ。

その後も女性歌手の若い頃の動画を夕方まで視聴したが楽しかった。
TJLを聴いているときと同じく、ものすごく楽しい気分になった。
年を取ると物事が楽しく感じられるようになり、幸福感が味わえるが、まさか天国に近づいてるってわけだからでもないだろう。
まあ、天国があったとしたらだけど。

ベッドに横になり湯川豊「一度は読んでおきたい、現代の名短編」を読むが、色川武大と向田邦子の二人の作家を読んで眠てしまった。
6時前に起きて風呂に入る。

妻がモツ煮を作っていたので、鮪を切り、鰊を焼き、湯豆腐を作り、麦乙湯割りを2杯呑んだ。
その後、落花生を出してシュナップスを飲んだが、割りとあっさり切り上げて母の居間で、ヘルパーさんが来るまで母と話をした。
オリンピック閉会式を観ていたが、あまりにも詰まらないので、10時からの水川あさみの「家族の問題」が始まるまで、海野弘「私の東京風景」を読んだ。
これは海野弘コレクション1で2006年刊、2巻「新版年風景の発見」、3巻「歩いて、見て、書いてー私の100冊の本の旅」が続いて出たようだ。
あまり聞いたことがない神田の右文書院が版元で、2,600円+税とかなり高い本だが、最初の「ランプの江戸―『半七捕物帳』の世界」を読んだが、わざわざ買った甲斐があったなと思う。
岡本綺堂はかねてから本を集めていたが、蔵書を引き取った友人も綺堂のファンで、重複するものが多かったが、「半七捕物帳」は全編揃ったし、他のかなりの著作が網羅出来た。
綺堂は「半七捕物帳」を書くに当たっては「シャーロックホームズ」も参考にしており、原書で読む能力があったから、海外の知識にも長けていて、なおかつ江戸情緒を偲んだところが画期的なんだよね。
そこのところを抑えてある小文で、その通りと膝をたたいた次第である。
こうやってわずかな時間に短文を読むのは、かなり楽しい。

水川あさみは好みの女性なんで眺めてるだけでいいんだけど、今日のドラマはあまり面白くなかったな。
宇宙人になって河原で騒いだ第一回の妻が一番凄かったなあ。
うちの妻も宇宙人と同じくらい交信しにくいけど、未だ宇宙人の衣装で現れたことはない。

我がイナリヤト食文研のワインとビールはこちらからご覧になれます
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メディアの誤算

2018年02月25日 | Weblog
朝一度夜明け前に起きてお寺の鐘を聴いたが二度寝をしてしまい寝坊しそうになった。
玄関と雨戸を開けてヘルパーさんが入れるようにして、朝飯の準備をした。
母には柳葉魚を焼いて、自家製ピクルス、葱と油揚げの味噌汁を出し、納豆、金目煮凝り、味噌汁で朝飯にする。

妻の具合が悪く、午前中は耳鼻咽喉科の医院を探してたりして時間が過ぎ、散歩は午後にして、昼の浅利炊き込みご飯の準備をした。
酒蒸しにした浅利の殻を取り、醤油と味醂で味付けをしたが、醤油が多すぎて醤油ご飯のようになってしまったが、炊いてるときの匂いで味の濃さって分かるものだね。
夕方、肉まんを蒸し器で蒸したときにブロッコリーを一緒に蒸したが、何時も茹でていて蒸し加減が分からなかったにもかかわらず、何のことはない匂いで分かった。
考えてみれば、酒の肴の落花生は何時も自分で炒っているので、匂いと音で加減が分かる。
家事なんが真剣にやったことがなかったが、4日も3食飯を作ってみると色々と分かってくるもんだ。

昼にニトリが書棚を届けに来て、午後には妻を耳鼻科に連れて行くので、昼は浅利ご飯ととろろ昆布の汁で簡単に早めに済ませた。

少し食休みをしてから、妻を車に乗せ耳鼻科におろし、あおばに買い物に行った。
ここは肉の印象が強いが、地の魚は扱っていないが、魚が中々いいと思う。
多分バイヤーの腕がいいのだろう、。
何軒店舗があるか知らないが、雑にならずある程度の量が仕入れられる程よい販売量なんだろう。
鰊と鰤を買った。

妻から電話があり、西友で待ち合わせ買い物をした。
でかい荷物を持っていて、クリエイトで母の介護用品や薬品を買ったようだ。
西友でもずいぶんと色々と買ったが、僕とはかなり違う品目を買っていた。

家に帰ってきてから下の息子と海の中道を梅沢から下町まで小一時間散歩する。
何処の家の庭でも梅が盛りになって、沈丁花も咲いて強い香りが立ち込めすっかり春だ。

こどもの頃から好きで、フランスなどへ出張するときに持っていっていたが、久し振りに食べたくなり西友でカップヌードルを買ったので食べてみた。
ずいぶん塩気が強いなあと感じ、美味くもなかった。

耳鼻科の医者に黄色いはなも出てないし、中耳炎でもないと見立てられ、鼻を洗ってもらっただけで帰ってきて、その後、歯医者に出かけ傷口を消毒してもらい帰ってきたが、安心したのか久し振りに台所で妻とお茶を飲みながら話をした。

6時近くになり、蒸し器に肉まんと野菜を入れ、鰤を切って晩飯にした。
ブロッコリーは茹でるより蒸したほうが美味い、赤ジャガイモも美味かった。
鰤は大きなやつの頭の下の男節だったが、苦手な血あいを取って刺身に切ったが、実に美味かった。
島根か京都の鰤だったが、日本海側を北上するやつの方が脂が乗っていて太平洋側の鰤より滋味深い、その脂の少ない男節が僕にはちょうどいい。
麦乙の湯割りを呑んだが、美味くなく、シュナップスをストレートで飲んだ。

母の着替えを手伝って寝かせ、カーリング女子の対英戦を観ていたが、ニュース速報で高木那菜の金メダルのテロップが出たので、慌ててBSに切り替えて、レースのビデオを観た。
この子はこのレースに向いているなあと思った。
有力選手の後ろにぴったりと着き、体力を温存して最後の勝負時にはそのまま後ろについてスピードを上げ前に出て、最後のコーナーで内側を回れる得意のコーナーワークで前に出る理想的な試合運びだったが、もっとも重要なのははしっこい性格だったのではないかと思っている。
妹はのんびりした感じで、緊張に動じない強さがあるが、姉は自分に集中するより周りを細かく見る能力が高いのではないか。
何度かレースのビデをを観ているうちに、今度はカーリング銅メダルのテロップが出たので慌てて総合テレビに切り替え10エンドの藤沢と英のラストショットを観たが、英チームが負けた瞬間に握手の手を日本チームに差し伸べたが、その速さに驚いた。
勝負事の本質を心得ているなと感心した。

結局両方とも勝った瞬間を生で見ることが出来なかったが、メディアが大騒ぎをしなかった高木那菜の金メダルが、ざまあみって感じで今大会一番痛快だった。
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スポーツの祭典

2018年02月24日 | Weblog
朝は睡眠十分で快調に起きた。
ベッドの中でblog原稿を作っていたら7:30を過ぎてしまい慌てて起き出し、雨戸を開けて、風呂に入り、朝飯を作る。
母の朝飯はお粥、柳葉魚とさつま揚げ焼き、昨夜仕込んだピクルス、胡瓜、大根、人参、セロリを出した。
自分の朝飯はタマゴサンドとハムサンド、牛乳、アールグレイにした。

下の息子が平塚に出掛けたので、家の片付けをやっていたら散歩に出るタイミングを失い、YouTubeで懐メロを視聴して遊んでいた。
昼に浅利の炊き込みご飯を作ろうと思って朝やっておいた砂出しの具合を見たが、全く砂を吐いてないので、鶏の炊き込みご飯に急遽変更して、米を洗い笊に入れて、人参と牛蒡、鶏モモ肉を切り、正油、酒、味醂を適当に混ぜた調味液に浸し、少しおいてから固形物を取り出し、笊の米と水、調味液を釜に入れ、人参牛蒡鶏を米の上に載せた。
炊き上がったので、葱と油揚げの味噌汁を作り、刻み生姜を用意して食べたが実に美味かった。
初めて作ったにしては、味付け、水具合が抜群だった。

プレシネは去年やったジャン・ギャバンとスランソワ・アルヌールの「ヘッドライト」で、中々よかったのでまた観ることにした。
いつ頃のパリとボルドーを撮しているんだろうか、町の風情が堪らなくいいね。
ジロンドの河岸が整備されてからは、綺麗なだけの風景になってしまったが、1980年代に訪れた頃は、昔の商館と倉庫が並び薄暗い町並みで、夜には売春婦が歩いていた。
若い女がオジサンにホレる物語なんで、結末は哀しいけど希望が湧いてくるね。
前回も書いた気がするが、パリからボルドーへ向かう直前のコニャック辺りの道にポリニャックの看板があるが、20年前に取り扱ったブランドで、メーカーの担当者が癌で亡くなったが、彼とあの辺りの川で釣りをして、昼飯を河岸のレストランで取り、普通ならボンドーだが僕の我儘でシュブレ・シャンベルタンの古いヴィンテージを開け、それが抜群に美味かったことが懐かしく思い出される。
古きよき時代の思い出だが、この映画はさらに古い。

映画が終わり、買い出しに東へ向かって歩いた。
磯っこへは開店から大分経っていたので期待していなかったが、それでもブロッコリー、白菜、銀杏、生落花生が買えた。
ヤオマサでは、O君が二宮で揚がった金目を薦めてくれたので2尾買った。
他に白滝、ラーメンスナック、ヨーグルト。

家に帰ると妻が痛みが酷く、蓄膿症か中耳炎のように感じ、耐えられないので救急車を呼んで直ぐに痛み止の点滴してもらいたいと訴えたが、すでに歯科医院に5時に予約をしてあるので、多分そのほうが早いし、今までの経緯を知ってる医者に見せた方がいいと説得して、車に乗せて駅裏の歯科医院へ連れていった。
痛みは痛み止の薬の効き具合で間欠的に襲ってくるらしく、調子がいいと少し仕事もし出しているが、痛みが襲ってるときは可哀想で見ていられない。
確か火曜日に抜いているので、普通なら今ごろ痛みは消えてきて、急激に回復に向かっていなければいけない時期なんだけど、今まで虫歯もなく歯痛の苦しみを経験したことが無いだけに不安もあるのだろう。
それに、結婚してから何度か風邪で床に臥せったことがあったが、2日寝ていたことはなく、4日も寝ているのは初めてのことだと思う。

ともあれ、治療を受け、抜糸したところは割りと順調で、抗生物質を変えてもらい、薬屋まで車で送ると一人で歩いて帰ってくると降りていった。

家に帰ると、母がデイサーヴィスから帰っていて、引き取りを平塚から帰っていた下の息子がやってくれていた。
母と少し話し、朝洗っておいた風呂に湯を張り、雨戸を閉めてから風呂に入り、晩飯の支度をした。
金目を煮付け、今日も簡単な鍋の水炊きにした。
酒を切らしたので、アプリコット・シュナップスの湯割りを飲み、カーリングを観ていたが、9時になったので母の居間へ移動して、「新日本風土記」熊本を観ながら、時々カーリングの推移も見守った。
到来もののキリンが作ったビールとブルゴーニュの有機ビールを飲んだが、同じスタイルのビールて今までは個別に飲んでいて、今回初めて続けて飲んだがキリンの方がピュアな味わいで、本気でやると大したもんなんだなあと感心した。
「新日本風土記」が終わり、カーリングに集中すると、試合は佳境に入っていて、ずっと押していた韓国に綻びも出て流れが日本に傾いた。
先手不利の最終ラウンドで韓国の最後一投が外れ同点になり、延長になったが、流れは完全に日本で勝つと思った。
しかし、延長戦で後手有利の韓国に最後の一投を決められ負けた。
流れが日本に傾いたなかで、それを断ち切ったのだから大した力を持っている。
試合は混戦になり長引いたので、最後は紹興酒を飲みながら応援していたが、今夜も飲みすぎた。
オリンピックで身体を壊しそうだが、スポーツの祭典じゃなかったのか。
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ノルディックはシュナップスで

2018年02月23日 | Weblog
妻が親不知を抜いて臥せっているので、何かと家事に忙しい。
三度の食事を作っているが、複雑な料理はしないし、もっとも作れと言われても出来ないから、簡単な刺身、煮物、麺類、パンなどになってしまうが、この時期一番簡単なのは鍋だなと思ったね。
昨日は水炊きにして最後に饂飩を入れて食べたが、今日は豚肉と水菜を基本に白滝、豆腐、葱、拉麺を入れた。
塩鯨があれば水菜とハリハリ鍋に出来るんだけど、今では夢だね。

午前中、大磯まで行きリーさんのカンパーニュを買って、昼はサンドイッチにしようと思ったが、インフルエンザにかかって休んでいた。
パン蔵で食パン二斤とデニィシュ一斤を買った。
せっかくやって来たのだから和菓子屋で桜餅、ほっこりで沖縄のピーマンを買った。
駅の南側を西に行ったところ、「祥月」の南の駐車場とレーズンサンドで有名な洋菓子屋の間にクリエイトが出来掛かっていた。
落ち着いた駅前に醜悪な看板と建物が忽然と現れた。
出店を拒否できないだろうし、駅前にコンビニとほっこりしかないから、便利になる住人も多いだろうが、京都や鎌倉のように町に合ったデザインに換えさせるような条令を作っておかなければ駄目だよなあ。

大磯駅から東海道線の北側を歩き、ヤオマサに寄り、ティシュペーパー、豆腐、茶、落花生、鶏モモ肉、豚ロースチョップ、水菜、米神の朝とれ槍烏賊を買った。
生活臭のする買い物は嫌だけと仕方ない。

昼はサンドイッチとミルクティーにした。

プレシネは「Creator」1986年 米映画で、一度観たやつだったが、ピーター・オトゥールが大学教授を演じるコメディでは、大学の雰囲気が僕が行っていた千葉大学とは比べ物にならないくらい自由でいいなあとおもった記憶があり、つい二度観をしてしまった。
僕の大学生活はすごく楽しかったが、勉強を全くしなかったから、大学そのものは詰まらなかった。
学業成績が良ければいいところだったのかもしれない。
それにしても、全くやる気の無かったアホな学生に文句の一つも言わず、いい加減な卒業研究で卒業させてくれた野田教授は、大変慈悲深い人格者だった。

プレシネを見終わってから直ぐに午後の買い物に出掛けた。
WAKWAKで葱、さつま揚げ二種を買い、西友で、白滝、白粥、ラーメンスナック、豆腐、拉麺、中粒納豆、浅利、塩鯖を買った。

家に帰り雨戸を閉めて、風呂を沸かし、2階で本を読もうと思ったが小一時間寝てしまった。
6時前に風呂に入り、母の食事を作って出して、鍋の準備をして、烏賊の刺身を切る。
近頃上の息子が包丁研ぎに熱心で、動画で研究し、茅ヶ崎の刃物屋で、プロに研いでもらって柄も換えてあるので、刺身包丁も抜群の切れ味、烏賊の細造りも軽快だった。
槍烏賊は今が旬のようで、柔らかくてもっちりして甘く絶品だった。
下の息子が最近ようやく以下の美味さが分かって来たようで、米神の烏賊をかなり気に入っていて半分以上食べた。
妻と息子が、腹を空かしていたので、酒を燗する暇もなかったが、調理の合間に「箱根山」を2合浸けて呑む。
コンバイン団体を観ながら呑んでいたので、2合の酒が終わってからはノルディック王国に敬意を表してオーストリアのアプリコット・シュナップスを飲んだ。
距離はLH個人戦に続き渡部暁斗の孤軍奮闘で、なかなかカッコよかった。
画面にはあまり写らなかったが、前の選手が落ちてくるかもしれないとの試合後のコメントは冷静沈着だった。
アナウンサーが素人にもわかるような無理なコメントをして番組を盛り上げようとするバカバカしさにうんざりしているので、なおさらクールに感じたね。

お陰で気持ち良く酔い2階に上がって懐メロを視聴した。
若い頃大ファンだった南沙織は「17才」でデヴューした頃は光り輝いてたね、顔を観ていて僕の好みの女の原型なんだなあと、それ以前とその後にホレた女を思い出した。
「氷雨」の日野美香も30代後半の頃かなあ綺麗で惹き込まれたね、この人に似た女にホレてたこともあった。
「ダンシングヒーロー」の荻野目洋子もバブル期だったねかなデヴューしたのは、当時の服装、髪型、メイクは今も好きなんだが、若くて耀いていて魅力的だった。
特に目に惹き込まれたが、似た人にホレたことは無かったような気がする。

魅力的な女性3人の動画を視聴したこともあり、華やかな気分で眠りについた。
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パシュートって何だ

2018年02月22日 | Weblog
朝5時に目が覚めて、トイレに行ったら上の息子が早朝トレーニングから帰ってきたところで顔を合わせた。
娘は東京駅8:40のバスで成田へ行くと言っていたが、二宮発何時の電車に乗るのだろう。
6:30頃に階下で娘が動いてる気配がしたので、降りて行くと、すでに出掛ける服装になっていた。
7:01二宮始発で行くとのことだが、何時ものように出掛ける前の大騒ぎはなく、淡々としていたので少し大人になったのかなあ。
緑茶を淹れ、梅干の握り飯を作ってやったら、握り飯は時間がたったほうが美味いなあと言いながら食べて出掛けていった。
家に居つかないが、日本よりタイのほうがいいんだろうな、未だ娘がチェンマイ大学にいた頃、10日ほどの短い滞在を彼の地にしたが、日本のように人間関係の詰まらないストレスが少ないところで、その気持ち分かるような気がするね。

風呂に入り、風呂の掃除をして新しいお湯を張って、訪問看護師の介助による母の入浴の準備をした。
今日も妻は歯痛で臥せっているんでね。

紫の茎の菜花で卵とじを作り、納豆で朝飯を食べた。母には、卵焼きを作り、お粥、ブロッコリー、大根浅漬けの朝飯を出した。
今までは娘がいたので料理と食洗器での食器の処理をやってくれていたが、いなくなったので後片づけは下の息子と二人でやった。
洗濯は何故か上の息子がやるので任せてあるが、妻の洗濯好きが遺伝してるんだろう。
ただし、取り込みは下の息子がやっているようだ。

午前中は西部邁と佐高信の対談=漫才を視聴していた。
鈴木邦男と佐高信の漫才も面白かったが、皆さん見識と余裕があるから話が面白くなるんだろう。
気になっていたテキサスと中東の関係についても調べてみた。

昼近くに妻が部屋に顔を出し、鍋焼うどんを作って食べると言う。
大分元気になってきたようだ。
母の昼飯は親子丼と牛乳プリンを出した。
僕も親子丼を作り食べたが、かなり上手く出来たと自賛しながら、美味いなあと思いながら食べた。

母に聞きながら風呂の準備と着替えなどを出して看護士の訪問入浴に備えた。
プレシネは「Labyrinth」、最初に出て来る皿の両親とサラ、それと魔法の国のキング、デヴィッド・ボーイが人間で、後はこの世のものでない人形が出てくるだけ、それと赤ん坊の弟ドビーも人間でした。
両親が出掛けベビーシッターをやらされたサラと泣き止まない赤ん坊に、「お願い、この子を何処かに連れてって」と言ったら、デヴィッド・ボーイが待ってましたと魔法のお城に連れ去り、12時間以内にお城に連れ戻しに来なければ、いただいちゃうと脅さた。
魔法の国の小人の人形、怪獣、犬に乗った騎士に助けられてドビーを奪還する物語。
怪獣は「怪獣たちのいるところ」の中に似たのがいたな、騎士はドン・キホーテのパロディぽかった。
人形たちがが可愛かったし、当たり前だけどデヴィッド・ボウイの歌がよかった。

明日の今晩と明日の食事の材料をロピアまで買いにいった。
今までは野菜と酒の肴を買っていただけだったが、家族の食事を作るとなると買い物も大変だ。
豆腐、お粥、柳葉魚、「箱根路」純米を買う。
野菜は駅裏のJAが4時まで開いているので足を延ばし、泥葱、白滝、牛蒡を買う。

家に帰ってきたら、楽天で頼んであった湯川豊「一度は読んでおきたい現代の名短編」小学館新書が届いていたので、ざっと目を通す。
取り上げられた44人の作家は、目利きの湯川豊の目に敵ったもので、なるほどねえといった感じだ。
好き嫌いがあるから、湯川の好みが出ていてそこが面白い。
松田哲夫、川本三郎、池内紀が編んだ新潮文庫の短篇アンソロジーも面白いが、こういった仕事は、人柄や好み、読みの深さが出ちゃうから怖いもんだね。

5時を過ぎたが、曇り空の寒い日だったので日の暮れが早く、雨戸を閉めて風呂に入って暖まった。
ストーブを点けて、「箱根山」を燗につけ、落花生と雪花菜で呑む。
母の晩飯にお粥を温め、雪花菜と柳葉魚を焼いて出す。
下の息子が降りてきたので、浅利の酒蒸しを作り、鍋に昆布と煮干の出汁を張り、鶏を切って入れ煮立てて、白菜の芯と糸蒟蒻を入れ、卓上コンロに移す。
葱と豆腐を入れて、酒を呑む。
仕舞いに饂飩を入れて食べた。

カルバドスを飲みながらパシュートの準決勝を観たが、日本は強いね、優勝するだろうなと思った。
決勝まで時間があるので母の居間へカルバドスを持って場所を移し、猪俣公章の番組を途中から観た。
食えなくて貧乏したが、森進一の「おふくろさん」の頃にピークを迎へ、銀座の帝王になり、その後ヒットが出せず酒浸りになり、坂本冬美とマルシアを内弟子にしたことで仕事に戻れたらしい。

10時に近くなったので、チャンネルを換えパシュート決勝を観た。
勝つとは思っていたが、実際に勝って本当に嬉しかった。
宿敵のオランダは、個人レベルで観ると優れた選手が揃っていて、去年日本が3度世界記録を出していても、1週間3人揃って練習すれば日本に勝てると考えていたらしいが、日本チームは300日一緒に暮らして練習したそうだ。
僕は、3分間隔で正確に新幹線を走らせる日本人の能力と同根とみるが、日本的訓練は伊達じゃなかったね。
構造改革、規制緩和で台無しにしてしまった日本的なシステムがこんなところで再び蘇ったわけだが、埋もれて見え難くなっている伝統的な慣習を吟味して採り入れると、欧米やお隣の大国と渡り合えるわけで、アベノミクスにこの視点は無いでしょう。

ちなみにパシュートの意味なんですけど「追跡」なんだよね。
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テキサスの事

2018年02月22日 | Weblog
テキサスと中東の関係について少し調べてみたが、テキサスでの石油採掘が先で、そのノウハウを中東に持って行ったために、中東での石油についての発言権がアメリカに長く残っているという事らしい。
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送別の夜

2018年02月21日 | Weblog
やや二日酔いの感じがしたが、朝、食べるものがなく、かき玉饂飩を作って食べたのがよかったのか、二日酔い独特の頭の重さとだるさをあまり感じず、その内に忘れてしまった。

妻が今日も寝たきりなので、必要な食料を買い出しに行かなければならず、ヤオマサに下の息子と散歩がてら出掛けた。
妻から上の息子が毎日ワンパック食べ、僕も三分の一パック食べ、マルも薬を混ぜて食べているので、ヨーグルトを沢山買ってきて、それにヨーグルトドリンクとプリンを食べたいのでと頼まれた。
母の昼飯にカツサンドを買った。
魚はO君からヤリイカを薦められたが、昨日食べたのでと断り、生の帆立、明日の味噌汁か昼のパスタ用に浅利を買った。
前回は細かな砂が残ったので、今回は前回より薄目の塩水にしたら、水管を出して盛んに水の出し入れをしているが、容器の底に砂はまだない。

昼は妻にヨーグルトドリンクとプリン、母にカツサンドとプリンを出した。
上の息子と娘は夫々平塚に行って居なかったので、下の息子と二人、赤ジャガイモの味噌汁、焼売、豚のテイル煮、サンマの甘露煮、大根浅漬、生姜の甘酢漬ととりとめのないモザイクランチを食べた。
息子が、何時も料理が大量にあるので、夫々がちょっとずつのこういうのだと大切に食べるから美味く感じていいと喜んで食べた。

プレシネは「ジャイアンツ」1956年 米映画で監督はジョージ・スティーヴンス、今週はジェイムス・ディーンの特集のようで、農場の使用人から石油を掘り当てて大金持ちになる準主役ジェットを演じた。
この映画の後に自動車事故で死んでるから見納めの演技になる。
ヒロインはエリザベス・テイラー、写真で見たことはあったが映画で観るのは初めてで、この時代の美人なんだろうね、マリリン・モンローも同じタイプだなあと感じた。
ロック・ハドソンが主役なんだけど、もちろん初めて観たが、エイズで死んだことで名前だけは知っていた。
時代は20世紀初めのテキサスの開拓時代で、インデァアンやメキシコから略奪した砂漠で牧場経営を始め、大きな牧場経営をしている3代目のロック・ハドソン演じるビックが東部でエリザベス・テイラー・演じるレズリーにと会い結ばれ、テキサンとして生きるが、妻の洗練された東部の考え方の違いの中で、徐々に変わって行く物語。
テキサスの石油と中東の石油の絡み合いを良く知らないが、あの時代のアメリカを支配した資本がこの地にあり、ついこの間まではブッシュなどの後ろ楯になっていた。
僕はアメリカ嫌いだったから、あの「鉄の爪」フィリッツ・フォン・エリックがプロモーターだったテリトリーの印象だけで、政治的なこの地の重要性を気にしていなかった。
映画は3時間21分の大作で、主人公の結婚から孫が出来るまでの30年間を描いていて、途中に1分間の休憩時間があったのが、なんとなく愉快な気分だった。

見終わってすぐに、下の息子と妻に頼まれた買い物のため西友に向かった。
またヨーグルト2個、納豆4個、低脂肪牛乳、お粥5個、玉子、鰹、地蛸、「大山」純米を買った。
6時前に帰り、夕飯の支度をする。
といってもたいした料理を作るわけでもなく、鰹、帆立、地蛸を切って刺身にして盛付け、湯豆腐を作り、ブロッコリーを茹で、冷凍してあった雪花菜を戻した。
「大山」純米は、燗にして呑んだ。
娘が明日からタイに行くので、下の息子がカネを出し、二人で酒肴を調え、簡単ではあるが門出を祝ったのだ。
8時を過ぎ、息子は母の着替えを手伝い、娘はパッキングをするのでいなくなったが、そのまま台所でひとりストーブを背負い、オリンピックを肴にして呑み続けた。
コニャック、フランスの有機ビール、カルバドスと気分よく呑み続けたが、渡部の金メダルは呆気なく夢と消えた。
勝負は負けることのほうが多いから、その無念さを味わえなければ、勝負の妙味であるコクを知ることもなく、底の浅い楽しみで終わってしまう。

ところで、手持ちのカルバドスが、残り少なくなった。
死ぬまでに飲むハードリカーとして、コニャック、アルマニャック、カルバドス、マール、グラッパ、オルホなど貯めてきたが、供給が止まり消費一方となると思いの外無くなるのが早い。
このカルバドスは23年前にメーカーを訪ね買い付けたものだが、長い間楽しませてくれた。
このブランドはもう生産してないが、出来ることならフランスに行き、新たなカルバドスを10ダースほど買ってきたいと思っている。
生きているうちに飲み切れないかもしれないが、誰かが読んでくれるかもしれないと溜め込んでいる本同じで、妻か息子か娘か、その友達たちか、誰かが飲んでくれればそれでいい。
ふと気が付いたが、日本人の新し物好きは、100年先、時には200年先の人達が飲むことが出来るハードリカーの伝統を持たず、毎年出来る新酒を愛でてきた習慣により培われたものかもしれないね。
日本人には、女房と畳に加え酒も新しいほうがいい。
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冬季五輪を酒の肴に

2018年02月20日 | Weblog
オリンピックを肴にして毎晩呑んでいるが、体調は悪くないし、目覚めも快調だ。
今朝はやや寒かったが、大寒の頃の寒さとは明らかに違い、ちょろいもんだが年なんだから侮ってはいけない。

朝、目覚めて起きるまで小室直樹を読んだが、現在のところ整理をして出てきた本は30冊近くになっている。
重複してたのが五六冊あったが、まあ仕方がない。
20年ほど前に好んで読んで、隠居してから宗教論を読んだが、アカデミズムから離れているので何でも思ったことを書いていて面白い。
人間制約いてになるのはカネと権威だが、命を惜しまず、カネも要らず、名誉も要らないやつは御し難い。

10時過ぎに東へ向かって歩くが、プリンスのゴルフ場とドイツ大使館の別荘だった間の小路から海へ出る。
潮が入り組んで、よく流れていたので、釣り船は釣果が上がっただろう。
テニスコート脇へ上がったが、照明灯の天辺に鳶が止まり、ヒュールルルルと啼いていた。
近くで観ると思っていたよりでかい、すぐに飛び立ちテニスコートのネットの支柱に止まったが、2本先にも他の個体がいた。
繁殖期なのだろうか。
富士見スポットからは、雲に隠れて富士山は見えず残念。
葛川へ降りて、川沿いを下流に歩き、東海道を横切って不動川へ出て上流に歩きヤオマサへ向かう。
ここのところ地の魚は少ないが、エイ、海鼠、米神のヤリイカがあり、イカを2杯買う。
東海大学前大磯病院の前を通り、六所神社の脇を通って帰る。

昼は下の息子が平塚へ、娘が横浜へ行っており、妻と二人の飯なので饂飩になるのを恐れたが、上の息子がインドカレーを土産に持って帰ってきたので、ナンに極辛の野菜とキーマカレーを少しつけて食べ、肉まんとおでんでモザイクのような昼飯だった。

久し振りにプレシネを観る。
ジェイムス・ディーンの「EAST OF EDEN」で、何時ものように題名と主演俳優の名前は知っていたが初めて観る映画で、こういった内容だったのかと長い間の持っていたイメージが霧散し世間並になった。
世間で流行っているものに背を向ける質を改めるつもりはないが、廃れた頃にそっと観てみるのも悪くない。
父親の厳格な生活について行けないジェイムス・ディーンが演じる次男キャルは、かつて母親が父の性格と合わずに家を出てしまい、近くの町で飲み屋をやっていることを知り会いに行く、父の性格は兄に引き継がれるが、そのフィアンセはその厳格さについてゆけず、キャルと親しくなってキスをしてしまう。
母に捨てられ父に愛されない息子が、母を探しだし、兄のフィアンセの力=妹の力で、父から愛される=承認されるようになった物語。
原作者のジョン・スタインベックの小説も読んでいないが、神話の構造を20世紀初めのアメリカに置き変えたものだ。

昼寝をしたいところだったが、勤勉に本の整理を行う。
途中、鈴木邦夫と佐高信のジュンク堂での公開対談を視聴してサボる。
鈴木邦夫の髪が大分あったので、そうとう前の動画だろう。
右翼は人間を観るが左翼は構造を話すと分類していたが、右翼に大人が多く、左翼に子供っぽい人間が多いのはそういうことなんだろうね。

妻が親不知を抜いて思いのほか痛みが酷く臥せっていて、晩飯を作れないからと言われ、母の晩飯はお粥を温め、さつま揚げと焼売、下曽我で買った大根の浅漬けを探し出し出す。

僕と下の息子の晩飯は娘にたのみ風呂に入る。
ヤリイカの刺身、げそ焼き、ほうれん草玉子炒め、中華スープと拉麺が出来ていて、「大山」純米を燗して娘と呑み出した。
ヤリイカの皮剥きを娘がやったが、初めてにしては簡単に剥いて上手く刺身にした。
柔らかくて美味かったが、息子はこれが好物なのでよく食べた。
えんぺらを一杯分残してあったので、刺身にして出したがコリコリして美味かった。
札幌ではエンペラのほうが好まれているが、夫々美味い。
娘はげそ焼きが美味いと感嘆していたが、これまで朝どれの烏賊を食べる機会があまり無かったから、これで新鮮な烏賊の美味さが分かったろう。
酒がすぐに無くなり、麦乙を水で倍に割って燗につけて呑んだ。
落花生、バタピー、ラーメンスナック、ジャガリコ、おかき、銀杏とつまみになりそうなものはすべて食べつくし、麦乙の900mlのボトルが空になった。

女子パシュート、男子ジャンプ団体、女子カーリング等を観たが、高木美帆も小平と同じでキョトンとしていて可愛いが、このタイプの女子は物事に動じなくて強い、二人とも地獄を見たってことらしいけどね。
男子ジャンプは札幌で日の丸飛行隊を観ている身としては無惨に感じる。
葛西をレジェントと云って頼ってるようでは駄目だね。

しかし、1972年には未だ社会の中枢に帝国陸海軍の飛行隊だった人達がいたし、多くの人達が札幌の青空に上がった三本の日の丸に日本の敗戦からの復活を感じていたんだなあ、じゃなければ日の丸飛行隊と云う命名は思いつかなかったろうね。

カーリングは1981年に中にスコッチ、ベンイーグルが入ったカーリングストーンの形状をした陶器製ミニュチュアボトルを輸入して売ったが、だれもカーリングをを知らなかったし、売っている僕自身も試合を観たこともなかった。
日本カーリング協会というのがあったと記憶しているが、変なことに情熱を傾ける人たちがいるんだなあと思っていたが、そのうちに忘れてしまった。
それでも中身が蒸発してしまったボトルを長い間記念にとっておいたが、世間にこのゲームが認知される前に捨ててしまったようで今は手元に見当たらない。
スコットランド発祥のこのゲームが今ではオリンピックに採用されてメジャーな競技になっている。
氷上のチェスといわれもするらしいが、カーリングストーンは花崗岩で造られていて、チェスの駒は木製が多いから、たとえるなら碁が相応しいだろう。
もっとも黒は那智黒といわれる粘板岩だが、白は蛤なんだけどね。

時差がなく夜試合が行われるので、このオリンピックは酒がすすむ、そして日本人選手が活躍してくれるから酒が美味い。
だけど今夜はいささか呑みすぎた。
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