昨夜から生暖かい空気が横浜湘南を覆って春らしい宵を楽しみましたが、今朝も引き続きぽかぽか陽気の気配です。しかし、北にある寒冷な高気圧が日本を覆うためこの陽気もかりそめ、次第に寒くなるとの予報です。春の典型的な天気ですね。
今日は予告通りリオハで昼食を終え、いよいよヴァルファルモサ・リオハのボデガ訪問、リオハのサタデーナイトの街の様子をお伝えいたします。
ヴァルファルモサ滞在記1月27日Ⅱ
長い昼飯が終わると次は試飲だった。ボデガは2001年に建てられており、その後倒産。2005年3月にヴァルファルモサが購入いたしました。小さな建物です。ワインの醸造はまだ行なっておらず、コーペラティヴ、農家からワインを購入樽熟成を行なっています。リオハの多くのボデガがこの方式でワインを購入して樽熟成をした後ボトリングして市場に出しているようです。将来はヴィニフィケーションをボデガ内で行なう予定で、その用地が既に準備されておりました。販売したワインの収益からボデガを拡大してゆく心積りだそうです。オリオールがここの責任者で、モンセというワイン技術者の可愛いお嬢さんがワインの購入、熟成等の仕事をしております。昨年は年間2,000ケースをボトリングし、カヴァの既存の輸出先に販売して完売したそうです。この方式でリベラ・デル・デュエロとルエダにボデガをもち、カヴァの客先にサンドイッチ方式で販売してゆこうとの企みのようです。オリオールがマドリッド、ディジョン、カルフォルニア・デーヴィス校などでワインを学んだ技術者で、色々なワインを造りたいとの彼の欲望も、この計画の大きな推進力になっているようです。親父さんから“ワインを造るのはいいけど、売ることを忘れるな”と言われた事からも、何となくうなずける気が致します。今年の製造予定は2,500ケースの予定との事です。カヴァの輸出先で取り扱いが無いのがうちだけらしいので、200ケース程度の取り扱いを熱望しています。でもねえ、うちはディナスティア・ヴィヴァンコ、カルロスセレスという立派なリオハを既に取り扱っているんでねえ、うーん。
クリアンザ、レゼルヴァの試飲を幾つかのヴィンテージで行ないました。要は新しいボデガなのでヴィンテージが新しくなるほど品質が向上しています。スタイルは果実味が強く、フレンチオークの風味を利かせた新しいタイプです。それにしてもダイニングルームの寒かった事、朝からモンセが気を聞かして暖房をつけていてくれたにも拘らずです。この冷涼な気候がこの赤ワインに酸をもたらし、エレガントな風合いに貢献しているのでしょうか。
試飲が終わると既に夜の帳がボデガを覆っており、外へ出ると信じられない寒さが肌を刺します。車に乗って一分の村のバールへ入ると、若い村長さん以下十名の老若男女がビールを飲んで談笑しております。オリオールもモンセもその全員と知り合いでいちいち挨拶を交わし冗談をひとしきり言い合い20分ほどで街へと車で向かいました。街の名前忘れましたが、オリオールもモンセもこの町に住んでおります。その街の一つの通りにバールが密集しており、とにかく道は人で溢れ、熱気で寒さも感じないほどです。バールは夫々どうも名物料理があり、一品を食べては次に行くという面白いパターンでみんなが移動しています。ちなみに我々の最初のバールではヴァルファルモサのマリアという微発泡性のワインを片手に羊の腸の団子をスライスして焼いたものを摘み。次のバールでは小さな烏賊を串に幾つか刺してソテーしたものやムール貝を焼いたやつをヴァルファルモサのリオハでかぶりつき。魚介類には白じゃないのかって、この店にはヴァルファルモサはリオハの赤しか置いてないからそんなことを言っている余地は無いわけで。次の店ではサンドイッチの中に鰯の塩漬けが入っていて、その次のバールはハムが名物らしくパンに挟んで出されたのを名前も分からぬ白ワインで流し込み。その後ディスコのようなバーでジンリッキーを頭から被りながら胃の腑に落とし込み。少々喫茶店でコーヒーを飲んで休み。怪しげなクラブでウイスキーを飲んで、この喧騒な暴飲暴食酒池肉林(残念ながら肉林は無かったのですがつい筆の勢いで)のサタデーナイトにも終わりがやって来たことを知り安堵したという次第です。
今日は予告通りリオハで昼食を終え、いよいよヴァルファルモサ・リオハのボデガ訪問、リオハのサタデーナイトの街の様子をお伝えいたします。
ヴァルファルモサ滞在記1月27日Ⅱ
長い昼飯が終わると次は試飲だった。ボデガは2001年に建てられており、その後倒産。2005年3月にヴァルファルモサが購入いたしました。小さな建物です。ワインの醸造はまだ行なっておらず、コーペラティヴ、農家からワインを購入樽熟成を行なっています。リオハの多くのボデガがこの方式でワインを購入して樽熟成をした後ボトリングして市場に出しているようです。将来はヴィニフィケーションをボデガ内で行なう予定で、その用地が既に準備されておりました。販売したワインの収益からボデガを拡大してゆく心積りだそうです。オリオールがここの責任者で、モンセというワイン技術者の可愛いお嬢さんがワインの購入、熟成等の仕事をしております。昨年は年間2,000ケースをボトリングし、カヴァの既存の輸出先に販売して完売したそうです。この方式でリベラ・デル・デュエロとルエダにボデガをもち、カヴァの客先にサンドイッチ方式で販売してゆこうとの企みのようです。オリオールがマドリッド、ディジョン、カルフォルニア・デーヴィス校などでワインを学んだ技術者で、色々なワインを造りたいとの彼の欲望も、この計画の大きな推進力になっているようです。親父さんから“ワインを造るのはいいけど、売ることを忘れるな”と言われた事からも、何となくうなずける気が致します。今年の製造予定は2,500ケースの予定との事です。カヴァの輸出先で取り扱いが無いのがうちだけらしいので、200ケース程度の取り扱いを熱望しています。でもねえ、うちはディナスティア・ヴィヴァンコ、カルロスセレスという立派なリオハを既に取り扱っているんでねえ、うーん。
クリアンザ、レゼルヴァの試飲を幾つかのヴィンテージで行ないました。要は新しいボデガなのでヴィンテージが新しくなるほど品質が向上しています。スタイルは果実味が強く、フレンチオークの風味を利かせた新しいタイプです。それにしてもダイニングルームの寒かった事、朝からモンセが気を聞かして暖房をつけていてくれたにも拘らずです。この冷涼な気候がこの赤ワインに酸をもたらし、エレガントな風合いに貢献しているのでしょうか。
試飲が終わると既に夜の帳がボデガを覆っており、外へ出ると信じられない寒さが肌を刺します。車に乗って一分の村のバールへ入ると、若い村長さん以下十名の老若男女がビールを飲んで談笑しております。オリオールもモンセもその全員と知り合いでいちいち挨拶を交わし冗談をひとしきり言い合い20分ほどで街へと車で向かいました。街の名前忘れましたが、オリオールもモンセもこの町に住んでおります。その街の一つの通りにバールが密集しており、とにかく道は人で溢れ、熱気で寒さも感じないほどです。バールは夫々どうも名物料理があり、一品を食べては次に行くという面白いパターンでみんなが移動しています。ちなみに我々の最初のバールではヴァルファルモサのマリアという微発泡性のワインを片手に羊の腸の団子をスライスして焼いたものを摘み。次のバールでは小さな烏賊を串に幾つか刺してソテーしたものやムール貝を焼いたやつをヴァルファルモサのリオハでかぶりつき。魚介類には白じゃないのかって、この店にはヴァルファルモサはリオハの赤しか置いてないからそんなことを言っている余地は無いわけで。次の店ではサンドイッチの中に鰯の塩漬けが入っていて、その次のバールはハムが名物らしくパンに挟んで出されたのを名前も分からぬ白ワインで流し込み。その後ディスコのようなバーでジンリッキーを頭から被りながら胃の腑に落とし込み。少々喫茶店でコーヒーを飲んで休み。怪しげなクラブでウイスキーを飲んで、この喧騒な暴飲暴食酒池肉林(残念ながら肉林は無かったのですがつい筆の勢いで)のサタデーナイトにも終わりがやって来たことを知り安堵したという次第です。