キュヴェ タカ/cuvee taka 「酔哲湘南日記」

新鮮な山海の恵みを肴に酒を吞み、読書、映画・音楽鑑賞、散歩と湘南スローライフを愉しんでいる。 

ようやく海豚にありつけた

2024年02月29日 | Weblog
夕方、散歩に出て公園で運動をして葛川縁を大磯方面へ歩いた。
川べりの道は舗装されていないので土の感覚が楽しめる、雨のときはぬかるむが、水たまりを越えて歩くのも面白い。
帰り道で初めて沈丁花の香りが漂っていたが、花を観るともう終盤だった。
そうだよなあ2月に強い芳香を放つから貴重な花なのになあ。

プレシネを観ていたら妻が買い物から帰って来て、生の海豚があったから買ってきてあげた、料理してねと云われた。
ここのところずっと冷凍の海豚を売っていたのに、今日のは岩手の海豚だった。
海豚を喰わないと、関西の人間が河豚を喰わないのと同じように冬をしみじみと感じられない。
映画が終わってから早速二切れの切り身を細かく切ったが、身がしっかりしていて包丁がすんなり入った。
たっぷりの水で煮て何度も悪を取り、水が澄んでから酒と生姜を入れて煮て、砂糖を入れて20分弱火で煮て、牛蒡と醤油を入れてさらに弱火で30分煮て、具を取り出して煮汁を煮詰めてかけるのだが、味見をしたら実に美味かった。

晩飯は、この海豚を煮たのとカマスの刺身、茹でブロッコリー、葱ぬたで飯を喰ったが、実に美味かったなあ。
海豚は脂身が美味いのだが、この癖のある匂いが好きになると虜になる。
葱ぬたも美味かったなあ、残念なことに妻は海豚と葱が嫌いなので、僕と次男が二人で食べて喜んでいた。
妻は厚揚げの卵とじに三つ葉をあしらったのと、自分で作ったキムチで食べていた。



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オアシス都市敦煌

2024年02月29日 | Weblog
昼はマレーシアの薄焼きパンのパラタだった。
挽肉をくっ付けて焼いたのに、リーフレタス、スティックブロッコリー、トマト、オニオンスライスに妻が作った特製ソースをかけた。
小麦が良くないので、玉蜀黍のトルティーヤを買おうとしたが、売り切れでこれにしたとのことだが、中々美味かった。
豆と茸のソースもあり、それにはプレーンのパラタに件の野菜を載せて食べたが、これも味が違って良かった。
紅茶を淹れて飲んで、食後にあんぽ柿を食べた。
妻に拠れば僕の父母が好きで良く買っていたらしいが、僕も子供の頃は好きで八百屋で母にねだって買ってもらった記憶がある。
だが、大人になってからは執着が無くなった。

プレシネで「敦煌」を観たが、井上靖の小説は知っていたが読んだことが無く、シルクロードを旅する物語と思っていた。
だが全然違って、宋にいて科挙試験に失敗した主人公が、西夏の女と知り合い、西夏へ行って西夏語と文字を習おうとしたが、紆余曲折があり、西夏の漢人部隊にさせられ、新疆の王女と恋仲になるが、西夏語との二者択一になり、恋は成就せず西夏語の習得は出来た。
敦煌と西夏の争いに巻き込まれ、経典や本や絵を戦火から守るために莫高窟に隠した。
それが1900年に発見された敦煌文書である。
歴史をよく知らないが、宋は北からの蛮族に追われ南へ逃げ南宋になって生き延びたが、北から攻めたのが西夏だったようだ。
だが、その西夏も13世紀にモンゴルによって滅ぼされている。

一時NHKに拠りシルクロードがクローズアップされ、平山郁夫などの絵画ももてはやされたが、オアシス都市敦煌もあこがれの対象だった。
実際は周りが砂漠で大変なところだったが、人はカネ儲けのために命をかけて行き来したので、東西をつなぐルートが出来、その中継地として栄えた。


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もうそんなに経ってしまったのか

2024年02月29日 | Weblog
早朝はどんよりしたはっきりしない天気で寒かったが、JA湘南へ行き待っていると俄に日が出て急に暖かくなった。
白菜、ブロッコリー、菜花、泥葱を買って公園へ行き運動をしてから図書館へ行き、読了した石原慎太郎の本を返し、新たに「石原慎太郎の文学7 生還・弟」文藝春秋社 2007年を借りた。
これは2007年1月から10月まで毎月1巻ずつ10巻が発売されたもので、石原慎太郎の主要な小説が網羅されていて、これを読めば石原文学について把握できるいい選集だ。

年表を見ていたら、ついこの間、田中角栄について書かれた小説「天才」を友人の出版社の編集長が貸してくれて読んだが、2016年とあり、その翌年の春会社を辞めたが、もうそんなに経っているのかと、ショックだった。
退職後に計画していたことが何もできていない。

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長い時間をかけて出来た伝統や文化を壊しちゃいけない

2024年02月29日 | Weblog
昨夜は良く寝たなあ、今朝目が覚めたのが6時過ぎで、久し振りにSMSL50というアンプとOnkyoのD2Dというスピーカーの組み合わせでAmazonPrimeのストリーミングでJUJUと柴田淳を聴いた。
多分数か月ぶりだったと思うが、Bluetoothのコネクションがすんなりできていたのに驚いた。
女友達からもらった古いスピーカーで2005年頃の製品だが、繊細な音が出て朝の音楽としてはうってつけだ。
12畳8畳6畳の三つの部屋で音楽を聴いているが、この程度の広さだとオンキョーの10㎝ウーハーが適しているのかなあと勝手に思っている。
日本人技術者が日本の住宅事情を考慮して、小音量で繊細さを追求した結果じゃないかと思っているが、ほとんどOnkyoの3台のスピーカーしか聴かないので耳慣れているのが理由かもしれないから、あまり参考にはならないかもしれない。

今日は次男が休みなのでゆっくりでいいので、7時近くになって台所へ下りて朝飯を作った。
シメジと豆腐と葱の味噌汁、塩鯖、茹でスティックブロッコリー、聖護院大根と生姜の糠漬け。

2本の朝ドラの後チベットの旅の様子を観たが、首都のラサに着き、お茶屋で現地の人の話を聞いていたが、いよいよ旅も終わりに近い感じがする。
共産主義は伝統や文化を破壊してしまい、ワンパターンの考え方に従わせる碌でもない思想なので、共産党が支配する中国は嫌いだ。
出来れば彼らが少数民族の生活を破壊しないうちに崩壊し、伝統的な生活が保たれることを願う。
そうしたら万難を排してでも出かけてみたいが、生きている内にはその機会が無いだろうなあ。



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「ヒタメン」を読み始めて思った

2024年02月29日 | Weblog
三島由紀夫が付き合っていた待合のの娘とのことを書いた本が「ヒタメン」だが、これって石原慎太郎と坂本忠雄の「昔は面白かった」で知り、さっそく大磯図書館で借りて読み始めたが、作者の岩下尚史の文体が変わっていて面白い。
この二つの本はもとはと云えば福田和也の本で知ったのだが、その本を読むきっかけになったのが西部邁と佐伯啓思と福田が小林よしのりの「戦争論」について話し合った本だった。

要は、何か読みだすとそこに出て来る本が読みたくなり、芋蔓式に関連した本がずらずらっと現れて際限が無くなるってわけだ。
そうなると本の収集に歯止めが利かなくなり、家に本が溢れるってことになる。
そして、すっからぴんになるって寸法だ。
それでも昔は多少のカネが何時も財布の中にあったから、本屋巡りをしては気になる新刊を購入していた。
古本屋を知り多少出費が少なくなったり、稀覯本に手を出して却って多くなったりしたが、Bookoffを知ってからは廉く手に入れることが多くなった。
そして隠居してカネが無くなると図書館通いが始まり、カネも家のスペースも減らない、しかも妻の怒りをかわない巧い手を覚えた。

何年か前に一体僕は本に幾ら使ったんだろうと計算してみたことがあったが、改めて少なめに見積もって1万冊に、少なめに見積もった平均単価@千円を掛けると、一千万円の解が得られ、塵も積もれば山って諺が身に染みて感じられる。
まあ、一気にこの金額を使って何かするとか、買うとかといったことが出来るような、度胸が無いせこい性格故の結果だなあと眺めることもできる。
だが、本以外に残ったものが無いのであれば、これが僕の人生であるわけで、蔑ろにするわけにはいかない。
となれば残り少ない人生に、更に本に時間とカネを注ぎ込むしかないだろう。


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文壇があったころ

2024年02月28日 | Weblog
晩飯前に「昔は面白かった」を読了した。
新書は達成感を味わうためにデカイ文字で200ページ前後になっているのが多い。
この本もそのパターンであった。

石原慎太郎は逗子に住んでいて、手前の駅の鎌倉に小林秀雄、永井龍雄、川端康成などの所謂鎌倉文士が住んでいたから、都内で文壇の集まりがあり、銀座や新橋で呑んだ帰りに、新橋から横須賀線で一時間一緒に帰って交流を深めていたようで、その模様が面白かった。
大岡昇平と城山三郎は、大磯と茅ケ崎に住んでいたから、新橋で隣の東海道線のホームにいたのを眺めていたようだ。
もうあの頃のような文壇はあり得ないのかなと懐かしんでいたが、文壇や小説が歌謡曲と同様な運命をたどったのは偶然ではないような気がする。

石原が都知事なったときに単式簿記でやっていたのを複式記に改めて、逼迫していた財政を大きな黒字に転換したらしいが、僕も地区長になって町や地区の経理が単式簿記であるのを見て吃驚した。
単式簿記って、いわゆる大福帳で、足し算と引き算だけの受け払い台帳なんだよね。
何時も財務省が国の赤字云々と騒いでいるのは、まさにこれが原因で、単年の受け払いだけをみていて、資産が計上されていないから、単年で見ると1,200兆円マイナスだけど、資産(家計だと貯金)が1,200兆円あるからプラマイゼロってとこなんだけど、増税のための目くらましに使っているんだよね。
石原は一橋大学で経理や財務を習っていたから、単なる小説家じゃなかったんだよ。

もう一つ意外だったのは吉行淳之介と仲が悪かったことだね。
文壇では江藤淳と一番仲が良かったようだ。
江藤淳は奥さんを失くして酒を呑むと何時も泣いていて、孤独を癒すために美人で気立ての良い家政婦を紹介したが、身の回りの物を取りに田舎へ帰っていたが、悪天候で帰りが遅れ、見放されたと思って自殺したらしい。
文学や政治についての確固たる発言の裏に、深い孤独を抱えていたのが意外だった。
小林秀雄の悪行や川端康成の女好きの素顔が分かったことや、三島由紀夫についても面白いことが書いてあった。



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味噌煮込みうどん後散歩

2024年02月28日 | Weblog
読みだしたら馴染みがあるんで面白くて、石原慎太郎の本をそのまま読んでいた。
鍋焼きうどんだから早く来てと妻に云われ、台所へ行ったら、出汁と油揚げ茸二種と鶏肉が小鍋でぐらぐらやっていたので、冷凍を流水で解凍していた饂飩を入れ、仙台麩と葱と卵を入れた。
味は八丁味噌にして名古屋風味噌煮込みうどんにした。
大玉の冷凍うどんを買って来たとかで食いでがあった。
食後は鳩サブレと煎餅をいただいた。

マサまで買い物に行くと云うので、妻の車に便乗させてもらって国府別館へ行き、福田和也の本を返し、岩下尚史「ヒタメン 三島由紀夫が女に会う時・・・」雄山閣 2011年を借りた。

午後もポカポカ陽気で素晴らしい天気だったので、久し振りに月京のほうを回り、公園でストレッチをやって帰って来たら2:45だった。
トム・クルーズが都会の有名弁護士事務所に入り浮かれていたが、そこは悪徳事務所で、その悪と戦う映画の最後のほうを観た。
一度観ているので途中からでも楽しめた。
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人生の最初の頃

2024年02月28日 | Weblog
いやあ凄いいい天気だ。
都内は風が吹いたらしいが、こっちは差ほどでもなく如何にも春のポカポカ陽気だ。
自転車で図書館とJA湘南まで行って来たけど、気持ちいいのなんのって、このまま海に突っ込んでしまってもいいような気分だ。
折角だから大磯図書館へも行ってこようかと思っている。

ちなみにJAでは分葱と春菊を買って来た。
先実食べた春菊の美味いこと、蕎麦に入れて食べてその後はお浸しで食べたが春の香りがして歯応えが良くて絶品だった。
季節の最初に食べるときは、久々なんで美味く感じるものだけどね。
分葱はぬたにしてもらって食べたい。

借りた本は石原慎太郎と坂本忠雄「昔は面白かったな 回想の分断交遊録」新潮新書 2019年だ。
中学化高校時代夏休みになると決まって「太陽の季節」を読んだ。
数年前に読み返したら細部の文章を覚えていて驚いたが、流石に稚拙なところがあることも年の功で分かった。
ともあれ、人生最後の時に、最初に最も影響を受けた小説家の一人を読み返してみたいと思っている。
坂本忠雄は云わずと知れた「新潮」の鬼編集長。
残念ながらお二人とも二年前に鬼籍に入られている。



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巡礼

2024年02月28日 | Weblog
昨夜は11時前にはすっかり寝入っていたと思う、目が覚めたら未だ零時前で参ったなと思い二度寝をし、次に目が覚めたのが2時頃だったかなあ、三度寝をして目が覚めたのが4時過ぎで、YouTubeで福井義高が出ているのを視聴したがいつの間にか眠っていた。

6時前にハッキリ目覚めストレッチをやり、松原みきを聴き起きた。
起きるときに好みの音楽をかけないと勢いがつかないのは若い頃もそうだった。
あの頃はブランデンブルク協奏曲第五楽章をPanasonicのコンポで聴いていたが、日本の家電メーカーが世界を席巻していた頃だった。

朝ぶろに入り十分温まり出てきたら7時近かったのでチョット焦って朝飯を作った。
金目の干物、シメジと蕪と豆腐の味噌汁、菜花の辛子和え、春菊のお浸し、菜花と蒸し鶏とパスタのサラダ、ひじき煮で朝飯を喰った。

今日も飯を喰いお茶を飲みながらTVを見たが、朝ドラの後の中国国道318号線のチベットの旅で、五体投地で聖地に向かう巡礼をやっていた。
故郷を出たのが4年前で何時着くのかは問題じゃないと云っていたが、大地に身を投げ出して神との一体感を感じていることがすべてで、信仰の深さを感じた。
日本のいい加減な百万の神が好きだが、この巡礼は幸せだなあとつくづく思った。


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植物は凄い

2024年02月27日 | Weblog
朝早くに風呂の入ったので、晩飯まで「日本存亡のとき」を読んだ。
昨日も書いたが、あの頃の雰囲気を思い出して、日本が自信を持っていてイケイケだった頃が良かったなあと思う。
コロナも失われた4年て感じがするけど、この30年はそういった意味じゃあ本当に面白くなかったな。
特に若い人たちが可哀想だと思う。
僕は自分の子供たちを見ていて、こんな世の中じゃあ面白くないだろうなあと思って来た。

雨戸は外から閉めるのを常としているが、返事をしてるのに聴こえないらしく、家の中から「ご飯です」と妻が何度も言って大騒ぎしているのが聴こえた。
玄関から家に入ると凄くデカい声で「ご飯です」と念押しされた。

鯛の刺身があって一瞬酒を燗して呑みたい欲望にかられたが、炊き立ての飯で食べる刺身が一番美味い、と思い踏みとどまった。
蒸鶏と菜花のサラダ、菜花の辛子和え、茹でスティックブロッコリー、豚肉スライスのソテ、ひじき煮があり、それをおかずに食べた。
やっぱりどんなにゆっくり食べても20分で食べ終わっちゃう。
食後に煎餅3枚を食べた。これがいけないんだよなあ。

織田裕二がやっている番組を此処何回か観ているが、今日は植物の生き残り戦略のようなものをやっていて、師管の中をイオン化したCaが通って信号を伝えていたり、害虫にやられると匂いを出して周りの植物に知らせ、ポリフェノールなどを分泌させ虫を避けさせたり、稲が稔っても落ちない形質を突然変異に拠り獲得して食糧として有用な植物になったことや、茶のカテキンが癌細胞の受容体について死滅させる作用があるなど興味深いことをやっていて、仮にも園芸学部を卒業したのに知らない事ばかりでがっっくり来たね。
まあ、最近発見されたことばかりだから余り失望しなくてもいいんだけどね。
ちなみに稲は外来植物で、もともと日本にあったわけじゃないのご存じだろうか。

8畳に移動して坂本冬美をかけて「日本存亡のとき」を読むことにしたが、多分飽きるとサミュエルのウイスキーに手が伸びるんだろうな。
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