キュヴェ タカ/cuvee taka 「酔哲湘南日記」

新鮮な山海の恵みを肴に酒を吞み、読書、映画・音楽鑑賞、散歩と湘南スローライフを愉しんでいる。 

潮騒

2020年06月30日 | Weblog
山口百恵の「潮騒」1975年東宝を観た。
観たことがあると思っていたが、初めてだった。
以前観たのは誰のだったのだろう、1954年の東宝は、久保明と青山京子で、初江の父が上田吉二郎、新治の母が沢村貞子、渋いね。
1964年の日活は、浜田光男と吉永小百合、母親が清川虹子。
1971年東宝は、朝比奈逸人と小野里みどり、これは二人とも知らない。
1985年東宝は、鶴見辰吾と堀ちえみ。
これだけあるが女優に記憶が無いから、小野里みどりのを観たのかなあ。

山口百恵はこの時16歳だから、肌が綺麗なわけだ、背中のヌードは本人じゃないような気がしたけどね。
この年齢で恋する女の瞳の輝きを表現するんだから大したもんだなあと思って観た。
まあその年なら、女の子は恋の一つや二つしているから分かってるか。

昼のプレシネは、確かに2度目の1990年米の「Dances with Wolves」ケビン・コスナー主演の西部劇だったが、インディアンを皆殺しにして土地を奪ったことに対する鎮魂の映画か。
思えばアメリカの殺戮と略奪は今に始まったことではなく、建国以来の伝統であることが分かる。
自由と民主主義が建前の人口国家だが、実態は今回の人種差別を観ても分かる。
インディアンに対する謝罪は行われたと記憶しているが、広島長崎に対する謝罪をする気配は一向にない。
それより、悲惨な戦争は二度と繰り返しませんと言うが、日本はアメリカに対して謝罪を求めているのか。

朝ちょっとした事件があり、朝食はメロンを喰っただけで済まし、9時半過ぎにJA湘南へ向かった。
ピンクと赤の薔薇、胡瓜、白茄子、枝豆、ミニトマトを買った。
昼は最近妻がこれをよく作りたがるが、冷やし中華だった。
レタスと胡瓜がたっぷり入るから、健康にはいいが、近ごろ叉焼は飽きたと言われ、控えているらしく常備されてない、代替えのロースハムではちょっと弱い。
週に一度焼くならいいよと言ったら、早速豚肉の塊を大量に買って来て、つけ汁に漬けこんで冷蔵庫に入れて合った。
この素早さ、叉焼を作れないストレスが溜まっていたんだなあ。
錦糸卵は得意なので小まめに焼く。
デザートに娘の土産の上州の饅頭、かりんとう、チョコレートクッキー、アーモンドクッキーを食べた。食べ過ぎか。

プレシネを観て、そのまま母の部屋で1時間ほど、当山ひとみを聴きながら、西邊邁「流言流行への一撃Ⅰ」を読んだ。
5時に下の息子と散歩に出て、大磯方面へ葛川沿いを歩き、ゴルフ場のところを下りて海に出た。
昨日より波が弱く澄んでいたので釣り人が多かった。
オネエサンが、ロングキュロットのようなのを波で濡らしながら、盛んにメタルジグを投げていたので、連れのオジサンに声を掛けたら、娘さんとのことで、どうせ濡れちゃったんだからとことん投げろと言ったらしい。
厚木から父娘でやってきたとのことで、仲良しでイイカンジだったな。

昨日風呂に入らずに飲み始めて、あとが面倒だったので、とにかく風呂に入って汗を流した。
肴は枝豆、胡瓜糠漬け、夏野菜の酢漬け、焼き茄子、ブルーと白のチーズ、鰹の刺身で、ティーチャーズのソーダ割りを飲んだ。
先日の血液検査の結果が良かったので、妻はハイピッチでディエゴの白を飲み、その後ティーチャーズのオンザロックを煽っていた。

「潮騒」を観て、山口百恵が良かったなあと感動しながら二階へ上がり、南沙織を聴いた。
山口百恵を聴けばいいんだろうけど、音源のいいのを持ってないんだよね。
先週の「伊豆の踊子」は娘たちがやって来て飲んでいたので観逃した、もっとも既に2度観てる。
昭和8年田中絹代、昭和29年美空ひばり、昭和35年鰐淵晴子、昭和38年吉永小百合、昭和42年内藤洋子の踊子がある。
この「潮騒」「伊豆の踊子」に「野菊の墓」を加えて日本の三大純愛小説と考えているけど、繰り返し映画化される日本人好みの純愛のスタイルなんだと思う。
踊り子と野菊は悲恋だが、潮騒では恋が成就する。
ギリシャの物語をもとにした肉体と宗教、風習を賛美した観念的でない小説で、子供の頃の二宮にわずかに残っていた漁民の健康な生活が眩しい。
「潮騒」は初江と新治が、監的哨跡(砲撃観測塔)で嵐の日に逢引きし、水に濡れて焚火の前で裸になるが、ここが映画では新人女優のヌードが期待できるので話題になる箇所なのだが、海の町では女の子が裸になるのはさほど抵抗が無い、初江は海女だから当時は海に潜る時には乳房を出しているしね、二人全裸になり、初江が新治に火を飛び越して来いと誘うが、抱き合っただけで、初江が「今はいかん、私はあんたの嫁さんになることに決めたもの」と拒絶する。
これが噂になり、初江の父は娘を傷物にされたと村人に貶められ、初江に新治と合うことを禁じる、初江の父に新治が試されることがあり、憤慨した新治の母が新治の父のところへ「うちの新治はあんたの娘を傷物にするような男じゃない、みそこなってもらっちゃ困る」と怒鳴り込む。
これがこの漁村の伝統的な風習に根差した健全な倫理なんだなあと、ちょっと感動した。

三島由紀夫は優れた伝統、慣習、規範を失った戦後の日本に絶望したが、ギリシャの健康な精神に憧れていた、でもそのギリシャも遠い昔の事なんだけどね。

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糸曼荼羅

2020年06月29日 | Weblog
朝から雨が降っている。
”いつも雨降りなの二人して待ち合わすとき 顔を見合わせたわしみじみと楽しくて”と「ひとかけらの純情」に歌われている。
雨が降っていても、顔を見合わせるとそれだけで楽しいと思えるような相手がいればいいが、そんな相手がいないと雨は陰鬱なだけだ。
やることもないので中野剛志「日本防衛論」の最後のところを読んだ。
こういった本の題名は、担当編集者がなるべく売れるように、時節にあったものや、挑戦的なものにするから、内容にぴったりしたものばかりではないが、状況判断と日本の取るべき道を示した著作だ。
「防衛論」と聞くと、軍事的な防衛に気持ちが走るが、確かに大した軍備もなく軍事大国になった中国の尖閣諸島進出に対する防衛をするのは不可能だから、何とかしなければならない。
長い間、こんなことを考えなくて暢気に構えられたのは、覇権国家アメリカの力が強大だったからだが、その力が衰えたとたんに中国が尖閣にやってきた。
すごく強いガキ大将のグループにいると、本人が弱くても別のグループからちょっかいを出されることが無い、そのガキ大将が上の学校に行ってグループからいなくなったら、途端にいちゃもんを付けられる。
この場合の対処の方法は、本人が力をつけて相手をぶちかますか、あるいは相手の軍門に下り、そのグループの一員となる事だ。
要は相手に拮抗するだけの軍事力を強化するか、中国の属国になり下がるかだ。
日本が民主国家であるならば、自国の事は自国で決められなければ自由と自立が確保できないから、取るべき道は決まっている。
ただし、防衛は国防に限ったことではなく、食料、エネルギー、水、自然災害に対する備えもあるわけだが、それについての本格的な論議もされていない。
国会では蕎麦屋と花見と麻雀が話題になっているだけで、我々が選んだ議員とはいえ、話にならないなあと呆れるばかりだ。

土曜日の9時からBSで昔のドラマ「天城越え」を観た。
最後の方で原作者の松本清張が巡礼姿で出てきたのに覚えがあったが、初めて観たドラマだと思う。
天城峠はトンネルが出来るまでは、峠の南が陸の孤島の様相を呈していた。
でも大島とは定期船があったから、海へは開いていた。
その頃について凄く興味を持っていて、もっと調べてみたいと思っているが、このドラマは天城トンネルが出来てからの話だ。
長岡の娼家を足抜けした大谷直子、若くて綺麗と下田の鉄工所から家出をした鶴見辰吾、まだ子供と流れ者の土工、佐藤慶が天城峠で出会い、土工が殺された。
直ぐに大谷直子が逮捕され厳しい取り調べに自供したが、裁判で無罪を主張し事件はお蔵入りした。
この事件を担当した刑事が数十年後に、下田へ行き鉄工所の少年が三島で印刷屋になっていることを調べ、この少年が犯人であったことを確信し、三島へ会いに行き娼婦を犯人と決めつけた捜査の初動のミスだったと話すが、問い詰めたりしないで別れる。
鶴見辰吾の晩年を宇野重吉がやり、刑事の晩年を中村翫右衛門がやったが、この掛け合いが見ものだった、特に翫右衛門は味わいがあり良かった。

天城峠を舞台に川端康成が「伊豆の踊子」を書いた。
湯ヶ島には井上靖の生家があり「しろばんば」の舞台になった。
高校1年の時に踊り子が歩いたルートをたどり、井上靖の生家を訪ねたので思い出深い。
15年ほど前に河津に用があったので1泊延泊してそのルートを再び歩いてみたが、感慨深かった。

今日は義理の妹が伊勢原の山の蕎麦屋で糸曼荼羅を展示している最終日なので、妻と下の息子と共に出かけて蕎麦を食べながら作品を観てきた。
11点展示されていて、その内1点が売れたらしい、売価も書いてなかったが、譲ってほしいという人がいて廉価で売ったようだ。
十割蕎麦大盛の鴨南汁、息子は十割蕎麦大盛、妻は鴨南うどん大盛を食べた。
何れも大盛であるところが、我が家のエンゲル係数の高さを示している。
この蕎麦屋は看板に讃岐うどんと書いてあるが、もとはうどん屋で、今は蕎麦が有名だがうどんも美味いらしいと妻に話したので、前回は鴨南蕎麦だったが、今回は鴨南うどんを試すことにしたようだ。
十割蕎麦大盛は今回で3度目だが、やっぱり美味い。
食べ終わってから店主と20分ばかり話をしたが、蕎麦を打っておいて、客からオーダーが入ると伸ばして機械で切っているが、切っておくとこの味わいは出ないらしい。
黒っぽい太麺の田舎蕎麦で、蕎麦の風味が強烈で、汁をたっぷりつけてよく噛んで喰う、江戸っ子の風上にも置けないスタイルだが、死ぬ間際に、一度でいいから汁をたっぷりつけて喰いたかったと、江戸っ子に言わせるに値するものだ。
白ポチャもいいけど黒スラも捨てがたいというのが人間の好みというものだから、蕎麦はこうでなくちゃと肩ひじを張らず、二枚腰、いや二枚舌でどちらも愉しめばいい。

蕎麦屋にいる間に雨が止み日が出てきた、伊勢原の駅のほうに回りBOに寄った。
小野リサ「O MELHOR DE LISA」1991年があったので買ったが、ジャケットの写真がふっくらとしていて如何にも若さが溢れている。
そういや僕は小野リサが好みだったことを思い出し、家に帰ってからベストアルバムを2枚ネットで注文した。
店頭ではなかなか見かけないが、ネットの中古市場にはたくさんあった。
何故好きかというと初恋の女性に似ているからというのがそもそもの理由だが、VOSSA NOVAが好きでもある。

西邊邁「流言流行への一撃」Ⅰ~Ⅳ ベストブック 2018年があったので思わず買ってしまった。
古書なのに3割引きにしかなっておらず、高いんじゃないのかと思ったが、お世話になった人物の本が4冊揃いで目の前にあるのも店の采配であることは間違いなく、この縁を無縁としてしまっては非人情の誹りを免れないと言い訳をしながら、実はほくそ笑みながら買った。
自死の後に出版された本で、遺言を自覚して書かれた本はあるが、無自覚の遺言が散りばめられていることだろう。

弟のところへ寄って珈琲を飲みながら糸曼荼羅の感想その他、2時間近く話をした。
帰りに自家農園のジャガイモとキャベツをもらった。

マサに寄ってマンボウと鰤の刺身を買った。
家に帰って早々に小野リサをPCに取り込み、直ぐに10Fロッドを担いで、下の息子と二人、市五郎丸のところへ行きロッドを振り回したが、いかにも波が荒く濁っていて青物の気配も無くボウズに終わった。
それでも日曜日とあって家族連れやルアーマンが3組ほどロッドを振り回していた。
袖ヶ浦公園に道具を洗いに寄り、蛯名から来た若いルアーマンと話をしたが、粘ったがボウズだったとのこと、先週はワカシが上がったらしいが、波さえ穏やかで澄んでいれば接岸するんだけどなあ。

家に帰って風呂にも入らずティーチャーズのソーダ割りを飲み始めた。
鶏のから揚げ、夏野菜のマリネ、ゴーヤチャンプル、マンボウと鰤の刺身、胡瓜糠漬け、茹で玉蜀黍、栗原はるみのチジミの様なもの、山葵漬け、ブルーと白カビチーズがあった。
料理が終わって妻がディエゴの白を開けたので1杯飲んだ。
母が30年前に漬けた杏の古酒、梅酒をレアチーズケーキを喰いながら飲んだ。

9時まで台所で下の息子と一緒に松原みきを聴きながら話をして、9時になったので2階へ上がり小野リサを聴いた。
ポルトガル語は全く疎いがO MELHOR DE LISAはリサの最高という意味で、ベストアルバムってことらしい。
歌詞カードには対訳があり、真面目に見ていれば1年後にはポルトガル語が分かるようになるかもしれないが、酔って聴いているのにそんな面倒くさいことするはずもない。

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湘南スタイル

2020年06月28日 | Weblog
先日、ブログを始めてから5,000日が経過した。
思えばこの秋で14年になるわけで、日記はすぐに中断するのになぜブログが長く続いたのかというと、当時ワインついて書かなければならなくなり、子供のころから文章を書くのが苦手で、多少でも文章が良くなればと思い練習のつもりで書きだした。
実は当初書きたいことがあったわけじゃなく、武田泰淳が妻の百合子に日々に食事を書いてみたらどうかと言って始まった「富士日記」を参考に毎日何を食べたかを記録した。
「富士日記」は現代女流日記としては最高峰だと思うが、退屈な泰淳の文章より百合子の文章の才が上の思え、ヴィヴィットで魅力的だ。
好きな女性作家は何人かいるが、この人がとにかく一番好きだ。
残念ながら僕には武田百合子のような才は無く、相変わらず文章が不味いなあと思うものの、言いたいことがある程度伝われば、それでよしとしている。
音痴だから音楽で自己表現が出来ないし、学生時代は絵画同好会に入って絵を描いてみようと思ったが、そこは酒を呑むことと、麻雀のメンツ集めの場所で、数枚描いてみたものの、すぐに技量が身に付くものでもなく、思い通りに描けないことにイライラして止めてしまった。
それでも一生の付き合いになる仲間が出来た。
文章も絵を描く技術と一緒で、思うように書けないでイライラしたが、ワインについて書かなければとの気持ちが強かったせいで、諦めないで続けられたんだろう。

まあそんなわけで、ブログには毎日何を食べたかを書くようにしている。
当初は書き溜めたワインに勘する文章をまとめて本にしようかと思ったが、世間にはワイン本が掃いて捨てるほどあり、中には素晴らしい本もあるので、僕が書いてもワインファンを増やすことに貢献できそうもなく、取りあえずワインに限定せずに次の世代に継承すべきものを書いておこうと思っている。

9時半に下の息子と二人でJA湘南まで散歩に出かけた。
10時過ぎに着いたので人気の野菜は無くなっていたが、茄子や胡瓜や隠元は今が盛期なのでいくらでもあって買った。
地元の韮があったのでそれも買った。
土曜はここのところワクワクの並びのcafeで珈琲を飲み菓子を買うことにしているが、今日の女性は初めての人で、二宮に住んでいて、この人の珈琲はドリップで、他の二人のより濃くてしっかりした味わいだった。
珈琲の値段は分かりやすく、誰の珈琲でも200円で、いずれも街角にあるチェーン店の珈琲よりよっぽど美味い。
日替わりでお菓子を作っている人が4人いて、来月からもう一人加わるそうだ。
焼きあがったマフィンが美味そうだったので、オレンジとチョコレートを買った。

家に帰ると妻に全く昼を作る予定がなく、本人は4日連続でカレーを食べるつもりだったらしいが、下の息子も高カロリーを気にしていて、そう連続的に食べるわけにもいかず、素麺で茄子と肉のつけ汁にしてもらった。
デザートはメロン。
午後はベッドで横になって音楽を聴いていたが、1時間ほど寝て、その後は「日本防衛論 グローバル・リスクと国民の選択」角川SSC新書2013年を読んだ。
5時半に下の息子と、大磯方面へ歩き、南へ出て葛川沿いを西へ歩いて帰ってきた。
家は二宮町の一番東寄りにあるので、東へ100メートル歩くと大磯町になり、このルートは車がほとんど通らず、よその家の庭木を眺めたり、北側に連なる山の緑を眺めて歩けるいいルートだ。
南へ7,8分歩くと海岸へ出るし、北へ7分歩くと秋葉山の山頂に出る位置にあり、海も山も楽しめるいいところなんだ。

湘南の話をすると面倒くさいことになりかねないが、このあたりの生活を理解してもらうのに分かりやすいから簡単に話すと。
古い資料を紐解くと湘南発祥の地は大磯と出ている。
馬入川を湖に見立ててその南側を湘南と称したから、今の地名でいうと平塚と大磯が湘南になる。
そのイメージが時代と共に東へ拡散して行き、今では逗子や鎌倉まで湘南と思われているが、湘南発祥の地の人間からするととんでもない事なのだ。
茅ケ崎は、その字が示す通り、昔は茅が生えていた湿地で、馬入川が暴れて流れを変えていた地帯なので、時には馬入川の南にあったので、湘南の呼称も間違いではない。
二宮は、縄文時代から集落があったことが分かっているが、半農半漁の集落で、大磯のように十数人の総理大臣が本宅や別荘を構えたハイカラな土地柄ではなく、年寄りはここが湘南だなんて考えたこともなかった。
若い人は湘南ボーイと言ったほうが受けがいいのと、車のナンバープレートが相模から湘南に変わってからは、堂々と湘南を名乗っている。
でもまあ、大磯から国府津までは、海岸線に山が迫った地形で、その海岸段丘と山の斜面に別荘が多く建てられたこともあり、その影響も受け、似たスタイルの生活をしている。
要は相模湾で取れた新鮮な魚と山で採れた新鮮な野菜を食べ、基本的にここで生まれ育ったやつが多いので、人生の一大事のマイホーム購入から免れているせいで、収入が多くなくても生活に余裕がある。
まあ、こういった生活を称して「湘南スタイル」と言っているわけで、カネを稼ぐ事に汲々とせず、着る物もあまりカネを掛けないカジュアルで、高価な食材じゃないが鮮度抜群の比較的美味いものを喰っている。
夏になると、ビーサン、短パン、Tシャツで、出勤前に浜で竿を振って、ワカシやソーダ鰹を釣り上げ、刺身にして朝飯を食ってから会社に出かけるわけだ。
自家農園を持っている人も多く、弟は、家庭菜園とは言えないほどの広い畑を持ち、自分で食べる野菜を多岐にわたり栽培しているが、例えばこの時期だと、枝豆は収穫して30分以内に喰わないと美味くないと嘯いている。
僕は糠床の管理をしているが、朝どれの胡瓜が入手できるから、収穫して丸一日経ったものは糠床に入れない。
気温が25度以上になると12時間で漬かるから、ローテンションが大変だが、きちんと鮮度管理した胡瓜は味わいが格段にいい。
「湘南スタイル」はファッション雑誌に載るようなものではなく、カネがかからず、質の高い生活をしようとする割とみみっちい試みだ。

娘は武蔵野美術大学でテキスタイルをやって、タイシルクに興味を持ちチェンマイ大学に行ったが、山岳民族と生活して、結局その様子を修士論文に書いて帰ってきた。
電気も水道もないところでの生活を苦ともしないワイルドなやつで、自給自足の生活に慣れ、それを志向している。
ちなみに僕は、タイの手織りの綿生地でシャツを作って着ているが、素朴な感じで悪くない。
村の娘さんが腰にかける織機で織った生地のバッグも素朴で中々いい、この機織り機を使えば家庭で織物が出来るので、その内着るものも自家製でやってみようかと思っている。
手織りの生地は使い込んだ時に柔らかくなり、風合いが魅力的だ。
綿の栽培はしないけどね。

今の世の中100%自給自足は無理だが、近在のものや、素材に少し手をかけて良い品質のものになるなら、それでやり繰りできないかという考え方でやっている。
イナリヤト食文研では、この「湘南スタイル」を先ずは飲み食いの部分で発信していこうと思って設立した。

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釣りはあきらめが肝心

2020年06月27日 | Weblog
毎日、机の前に座っては、さて何を聴こうかとリストを眺めていて、ここのところは南沙織を聴く頻度が高く、安定的に松原みきも聴くが、坂井泉水とユーミンもよく聴く。
サザンオールスターズは知ってる曲が少ないので、61曲の中から5曲くらい選んで聴いているが、要はすべて昔の曲なんだなあ。
晩年の父のところへ、知り合いのレコードショップのオーナーが、父が好きそうな新譜が入るとカセットを持ってやって来たが、付き合いもあったので勧められるままに購入していた。
そのカセットを聴いていただけでなくカラオケのレパートリーにしていたから、新しいものを取り入れようとの気力があったんだなあと、いまさらながらちょっと感心している。
この年になると、というよりもう相当前からだが、一回聴いてよっぽど気に入らない限り、新曲を聴こうなんて思わなから当然覚えない。

歌ばかり聴いているから読書が完全に疎かになっている。
感情を揺さぶられるとそこの脳が活発になって、論理をつかさどる脳が眠ってしまうんだなあと思う。
それでも、音楽の合間に時々本を読んでいる。
「資本主義の預言者たち」では、ハイマン・ミンスキー、ソースタイン・ヴェブレン、ルドルフ・ヒルファーディング、ジョン・メイナード・ケインズ、ジョセフ・アロイス・シュンペーターと5人の経済学者を解説したものだ。
僕は学生時代は園芸学部だったから、多少農業経済論などの講義で今では評判の悪い価格均衡論を齧った程度で、その後も経済を熱心には勉強しなかったから、この中で名前を知っていたのは、ヴェブレン、ケインズ、シュンペーターの3人で、その業績の内容を知ってるのはケインズだけだ。
中野剛志がこの本で、5人の学説を見事に分かりやすく解説してくれた。
この人はエキセントリックで、TVで大暴れをして、多分もう二度とは出演依頼が来ないと思うが、その点はTVで泥酔して暴言を吐いた小室直樹にそっくりだ。
ちなみに僕はこの小室直樹にケインズを教わった。
もちろん直接謦咳に触れたわけではなく、著書5冊くらいから学んだだけだが、天才的な人ってのは匂いが同じだなと思う。
この二人、論旨に曖昧なところが無いから、スーと入って来て、世界最高峰の頭脳が考えたことってこんな簡単なことなのかと思わせるから、タダ者じゃないって分かる。

経済学者としてのヴェブレンは何を言っていたのか知らないが、西邊邁が保守主義を説明するときに度々この名前が出てきたので覚えている。
西邊邁はもともと経済をやっていて、東大教授の時も経済を教えていたが、馬鹿らしくなってやめ、その後、野に下ってからは政治評論家の色合いが強かったが、経済についての見識も深い。
当然ヴェブレンも経済をやっているときに研究した対象だったんだろう。
西邊邁のすべての著作に目を通しているわけではないけど、ヴェブレンについてもう少し詳細な解説書があって、もう少し早く遭遇していればよかったと思う。
そうすれば、今になっては無駄としか思えない、いわゆる主流派経済学からとっくの昔に離脱できたのに。
まあ、勉強不足がいけなかったんだけど、巡り合いは運だからね。

「資本主義の預言者たち」を完全に理解したわけじゃないから軽々には言えないが、それでもこの5人の経済学者が言ったことを酷く簡単に言うと、資本と経営が、あるいは金融と産業が分離したことにより資本主義が不安定になり、危機を招いたということだ。
したがって処方箋はその逆をやればいい、だが日本では既得権益を持った人たちや専門馬鹿あるいは御用学者が権益を守ろうとするから、中々ことは進まない。
日本は高度成長の頃、年功序列や終身雇用、家族的な企業体質の日本的経営をやっていて上手くやっていた、財政政策でミスをしてバブルになったが、その対処に見当違いな構造改革とやらをやって、日本の財産だった日本的経営を破壊してしまった。
またすごく簡単に言うと、この5人の経済学者が提言したことは、目先の短期的な利益にとらわれず、長期的な展望に立った施策を行うべきだということで、それはほぼその日本的な経営であり、実は世界に先駆けて資本主義の欠点を補った日本型資本主義をやっていたんだ。
それぞれの人についてもう少し詳しく書きたいが、それでなくてもお前のブログは内容の無いことを延々と書き連ねていて読む気がしないと叱責を受けているから、このくらいで辞めるが、ぜひともこの本に直接当たってほしい。
ネットで600円位で買ったけど、街の古本屋なら200円~300円で買えるはず、そして出費と時間を費やすに見合うだけのことあります。

JA湘南では、ミニトマト、ピーマン、シシトウ、椎茸、隠元、茄子、胡瓜を買った。
昼は妻がマサで出来合いの天婦羅を買ってきたので、蕎麦を茹でて食べた。
プレシネはジョンウェインの西部劇で観たやつだったので、二階で横になって休んだ。
南沙織をかけていたが、いつの間にか眠っていて、目が覚めてもまだかかっていた。

3時半に10Fのロッドを持って海岸へ行ったが、潮が濁っていてサーフトローリングには向かず、多分石持が接岸してたので、エサがあれば竿を出したんだけど、諦めてそのまま帰ってきた。
そう、釣りはあきらめが肝心です。
帰りがけに見知らぬオバサンから、何か釣れましたか、と声を掛けられ、知り合いのオバサンからは、釣りもなさるんですね、と言われた。
出来ればオネエサンと会いたかったが、この時間にうろうろしているオネエサンはあまりいない。

午後急に蒸し暑くなり、歩いているだけで気持ち悪くなったが、汗を流し二階でひっくり返って扇風機を浴びた。
ZARDを聴いたが、このJBLのハンディスピーカーはロックに向いてるなあと思った。
中高音は弱いがやけに低音が強く、ドラムとベース音が気持ちよく響く。
年を取ると高温が聴こえ難くなるから、ジジイ向けに開発したスピーカーなのか。

6時半ころ飯になった。
何か正体不明の揚げ物があり、一つ食ってみたが美味くないのでそれっきりにした。
レシピー本が机の上にあったから、そこに載っていたんだろうが、もう少しましなレシピを作って本にしろと言いたい。
烏賊と本鮪の刺身、昼に見せられた首折り鯖を酢にした〆鯖、おでん、隠元、胡瓜糠漬け、胡瓜とパプリカとハムの酢の物、茹で玉蜀黍、ミニトマトにティーチャーズソーダ割り、トリプルで2杯。
鯖は夏鯖で脂が無かったが、血抜きが完全でさっぱりして美味かった。
本鮪はまあまあ、思いのほか烏賊が美味かった。

二階でグラッパを啜っていたら眠くなり、二時間ほど寝てしまい、目が覚めてからもベッドで横になったまま土岐麻子をかけて聴いた。
集中して聴くと子供っぽい歌い方が実は技巧的なんだと分かり、何故人気があるのか分かったような気がした。
持っているアルバムはオリジナルアルバムの最初から5枚だが、最近のアルバムも聴いてみなきゃね。
最後まで聴いてしまったので、寝たのは3時半過ぎだった。

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ピンクの薔薇を買う

2020年06月26日 | Weblog
昨日に続いてどんよりした梅雨空だ。
昨夜9時ころに寝てしまったようで、1時過ぎに目が覚めた。
4時間寝たならいいだろうと、音楽をかけて本を読みだした。
それでも4時頃眠くなり寝たが、1時間ほどで起きてしまい、久し振りに門あさ美を聴いた。
色っぽくていいんだけど、多分色っぽ過ぎて刺激が強いんだろうねえ、何日も聴いていられない。
でもたまに聴くとすごくいい。
越美晴も聴いたが、初めて夜のヒットスタジオに出たときの映像を観た。
凄く小柄で、身体全部でエネルギッシュにピアノを弾いていた姿に魅せられた。
小柄の女性ってあまり好みじゃないんだけど、時々小さいのにすごくエネルギッシュでビックリするような女性がいる、大橋純子もその一人だが好きだ。
CDを集めて聴いてみたいと思ったが、調べてみるとほとんどのアルバムが入手不能で、中古で買えるものもあるが凄く高い。

7時過ぎに起きて朝飯を作った。
シメジと茄子の味噌汁、茄子のオリーブオイル焼、納豆、小鰺の南蛮漬け、まだある、胡瓜の糠漬け、糠床の状態が最高で実に美味い。

2階に上がり、土岐麻子をかけて、メールのチェックなどをした。
松本の友人に米を頼んでおいたが、その返事と共に近況が綴られてきた。
コロナの影響で蕎麦屋が苦境に陥っていたが、5月中旬から昼だけ開店して少し売り上げがあり、国、長野県、松本市の援助でどうにか従業員に給与を払っているとのこと、優秀な経営者だ。
上場企業はコロナ対応ですぐにリストラを発表したところもある、そういった経営者を日本ではクズという。
人が財産だから彼らの生活を守るのが経営者の責任だし、そもそも人を大切しなけりゃ生きている意味が無い。
彼が友人であることが誇らしい、メールで喝采を送った。

9時半過ぎ、霧雨の中自転車を飛ばしてJA湘南へ向かった。
ちょっと遅れてしまったが、まだ野菜はあり、胡瓜、茄子、隠元、ミニトマト、枝豆とピンクのバラ2束を買った。
バラは、赤、オレンジ、白もあるが、ピンクの薔薇が可憐でいい。
「Love Trip」の影響もあるかもしれない。
   ちょっとピンクのバラを花束から抜いて えりもとにさしてくれる遊びなれた手つき
   ちょっとだけなら恋もあなたにまかせるわ 今夜だけあなたのペースに合わせて
ピンクの薔薇の花束が2つもあるのに、薔薇を挿す相手が一人もいない。

先日夏野菜の素揚げを出し汁に漬けたのを娘たちがやってきた夜に作ったが、その量たるや半端でなく、翌日から2日間食べたが、まったく減った感じがしなかったら、流石に妻がもう捨てましょうと言った。
大量に作っては捨てることを繰り返している無駄が身についたやつなんだけど、根は親切で、家族みんなにたっぷり食べてもらいたいとの気持ちが裏目に出る。
毎回作りすぎるなと非難しているけど、この時は、これカレーにすればいいじゃんと言ってしまった。
故に昨日からウキウキして、牛肉を入れて煮込んで、今朝ルーを入れて完成させた。
昼はミニトマトをサラダ替わりにして、ラッキョウの甘酢漬けを出し、福神漬け、胡瓜糠古漬けで食べたが、美味かった。
デザートに上の息子が買ってきたという、アマレット・ディ・サローノの風味のタルトをアールグレイを淹れて食べた。

プレシネは1966年の米映画「Grand Prix」で、当時のF!の連戦の様子を4人ノドライバーと横糸に女がらみの話を添えて展開する物語。
本田宗一郎と思われる役で三船敏郎が出ていた。
3時間近い長尺だったが、時間を感じさせず観てしまったから、面白かったということだ。

ここのところ松原みきの2枚組ベストアルバムを聴いていたが、オリジナルアルバムを聴いた。
全9枚のうち8枚までYouTubeで聴けるからCDを買うこともないのだが、コレクター心理として持っていたいんだなあ。

5時間から散歩に出かけた、南へ行き葛川沿いを歩いていたら新宿橋で雨が降ってきたので引き返してきた。
ちょっと歩き足りなかったが、風呂に入り、晩飯を食べた。
ギンダラ煮つけ、ミニトマト、揚げ豆腐とさつま揚げ、隠元の煮物、枝豆、胡瓜糠漬けにティーチャーズのソーダ割りダブルで2杯。

二階に上がり、引き続き松原みき「MY SELF」「彩」「REVUE」「COOLCUT」を聴いた。

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すいかの季節

2020年06月25日 | Weblog
二度目に目が覚めたら5時だった。
昨夜、ベッドで松原みきを聴いているうちに眠ってしまったようだ。
ベッドサイドにJBUスピーカーを置いているので、朝は間宮貴子「LOVE TRIP」レコードとCDで2度聴いた。
レコードはノイズがあり、これがいいんだという人もいるが、音痴の僕にははっきりした音質のCDのほうがいい。
中野剛志の「日本思想史新論」は最終章の福沢諭吉を読んで読了した。
古学から保守までの分かりやすい解説書が欲しかったが、「日本経済史新論」を読んで感動し、その勢いで姉妹編のこれをネットで注文して読んだが正解だった。
古学というのはプラグマティズムで、本居宣長の国学や朱子学を批判しているが、その論旨がくっきりと見えた。

昨夜、サザンオールスターズの「すいか」をPCに取り込んで気に入った曲だけを再生して聴いてみた。
このCDは3年半前に大磯を去った友人が置いて行ってくれたものだが、他の多くのCDと共に段ボール2箱に入れて納戸に放り込んであったものだが、先日ようやく整理をして内容を確認した。
ジャズと洋楽のCDがほとんどで、落語のCDもあったが、邦楽はサザンだけだった。
1978年から1988年までの全61曲が収録され、1989年に発売されたCD4枚組アルバムだ。
どういった趣旨で編集されたものかと調べたが、ベストアルバムで45万枚限定発売、予約だけで完売したので、中古でも状態が良ければ15,000円以上で取引されている、ファンなら欲しいアルバムのようだ。
缶の中にCDかカセットテープ+スイカ柄のトランクスとパンティーが入っていたらしい。
サザンの湘南サウンドは好きだが、CDを買って聴きこんだことはなく、いくつかのヒット曲しか知らない。
特に高田みずえが歌った「私はピアノ」と「そんなヒロシに騙されて」が好きだが、このアルバムでは原由子が歌っていて、知らないのは僕だけなんだろうけど、びっくりした。
多分1978年の事だと思うが、「夕焼けにゃんにゃん」という番組に出て、Tシャツ、ランニングパンツ姿で「渚のシンドバッド」を早口でまくし立てるように歌ったことを記憶している。

今日はどんよりとした梅雨空だった。
JA湘南へ行き、茄子、胡瓜、ミニトマト赤黄、ダリアを買った。
午前中の読書は中野剛志に敬意を表して「資本主義の預言者たち」角川新書2015年にした。
「日本経済史新論」が日本人のまっとうな経済人の系譜を書いたものだとしたら、これは外国のまっとうな経済人についての系譜の簡潔な案内書だ。

昼めしを妻が全然作る気が無く、冷蔵庫のあった出来合いのピザに、ミニトマトと隠元を載せてオーブンで焼いてミルクと一緒に食べた。
デザートはチョコレートムース。

プレシネはヒッチコックの「Torn Curtain」1966年米映画で、主演がポール・ニューマンとジュリー・アンドリュース、ここ数週間ヒッチコックをやっているがポール・ニューマンは始めてだ。
東独にスパイとして潜り込み、数学者から核ミサイルの数式を探り出してくる任務で、ハラハラさせるのが映画の狙いだから、結局は任務を遂行して帰還する。
娯楽映画だから素直に楽しめばいい。

5時まで午睡して、下の息子と散歩に出る。
プール下から海に降りて梅沢まで歩く、潮が澄んでいて青物が回遊していそうな感じだったが、5人の釣り人のうち4人がサーフトローリングをやっていた。
陸に上がって沖を眺めたら、なぶらが沢山出ていたから、少なくとも沖には青物が回遊している。

風呂に入って汗を流し、晩飯を食べる。
炒め過ぎの青椒肉絲、ミニトマト、白身魚の粕漬け、胡瓜糠漬け、焼き茄子、食べなかったが豚ヒレのソテがあり、ティーチャーズのソーダ割りをトリプルで2杯飲んだ。
海岸を歩いた後は疲れているようで、二階に上がって音楽を聴いていたらそのまま眠ってしまった。

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インカの目覚め

2020年06月24日 | Weblog
今日も一日が終わった。
毎日大したこともやらずに過ぎてゆくが、隠居生活ってこんなものなのか、3年前にこの生活に入ったときには慣れなくて、つい動いたものだが、今ではすっかり動かないことが心地よくなっている。
加えてコロナ禍で世間も動かないから余計静の生活になっている。

朝起きて朝飯を作る、昨日の残りの刺身が大量にあり、そいつと鰺の南蛮漬け、納豆、茄子の味噌汁で食べたが、結構満腹になった。
JA湘南へは9時半過ぎに出かけ、茄子、胡瓜、インカの目覚め、椎茸、ミニトマト、隠元を買った。
Kさんとインカの目覚めについてちょっと話をした。
このジャガイモは硬くて黄色くて味が濃い美味い品種だが、芋がなかなか大きくならないので効率が悪く、他の品種に比べて売価が高くなり広まらないらしい。
日曜日に大磯落語茶屋の女将直美さんから沢田研二のCDを借りたので、お礼にインカの目覚めを持って行き、焼き芋担当のダンナに試しに焼いてもらおうと思っている。
薩摩芋は甘くて滅茶苦茶美味いが、遠方より取り寄せた壺に入れて置けば出来上がると思っていたが、付きっ切りで芋をあれこれしないとあの味が出ないという。
その技でインカの秘宝を目覚めさせて欲しい。

妻はやけにちらし寿司が好きなんだけど、筍ご飯と余った飯でちらし寿司を作ったから昼にしようと言いに来た。
小田原の鰹を買ったので、それを切って食べるという。
炊きたての飯を酢飯にするならともかく、嫌だなと思ったが、海苔と茗荷、大葉、生姜をたっぷりとかけたらどうにか喰えた。
鰹は新鮮で美味かった、同じのを晩飯に喰ったが随分味が落ちていた。
鰹は佐島の漁師が〆てから6時間後が一番美味く、その後落ちてゆくと言っていたから、とにかく早く喰うことだ。

プレシネは二度目の「Witness for the Prosecution」1957年アメリカ、邦題「情婦」だった。
病み上がりのベテラン弁護士チャールズ・ロートンのところに、町で知り合った金持ちの夫人を殺した容疑で男が弁護依頼に来る、白だと判断した弁護士は弁護を引きうけ見事に無罪を勝ち取るが、実はこの男が犯人で情婦マレーネ・ディートリヒに泣きつき芝居を打って無罪を勝ち取った。
弁護士どうも引っ掛かるところがあり、あとですっかり騙されたことを知る。
この男には、芝居と偽証までして尽くした情婦とは別に愛人がいて、情婦を捨てるが、その時ナイフで情婦に刺殺されてしまう。
その場にいた弁護士はこれは殺人じゃない処刑だとつぶやき、情婦の弁護をすることになる。
マレーネ・ディートリヒも良かったが、何といっても死にそうなのに隠れて葉巻を吸いブランデーを飲むチャールズ・ロートンが最高だった。
マレーネ・ディートリヒの姿を拝んだのは最近で、もっぱらWhere have all the flowers gone?の歌手として記憶していた。
1961年にキングストン・トリオが歌ってヒットし、その後多くの人に歌われたが、68年にギターを買ってもらい、友人とグループを組んでこの曲をやった。
グループは長続きせず、高校時代まで一人でギターを弾いて歌っていたが、根が音痴だから上達せずそれっきりになった。

5時までJBLで松原みきを聴きながら、中野剛志「日本思想史新論」を読み、会沢正志斎まで読了した。
水戸学派については、5年前に高山彦九郎を調べる機会があり、彦九郎が影響を受けた水戸学派を少しだけ勉強したので、すんなり入ってきた。
伊藤仁斎の古学が荻生徂徠に繋がり、会沢正志斎を経由して福沢諭吉につながる流れを中野剛志が書いた本だが、保守主義について西部邁からかなり学んでいるので、その流れが分かっているので分かりやすいんだね。
福沢諭吉については啓蒙主義者とされているが、保守主義者であることを西邊邁が書いている。

下の息子と共に大磯方面へ散歩に出て、落語茶屋へ寄りCDとインカの目覚めをダンナに渡した。
生憎、直美さんはお出かけだった。

風呂に入って、股団扇で二階のベッドで涼んでいたら、ご飯だってばと妻が部屋にやってきた。
大きな音で音楽を聴いていたので聞こえなかった。
鮪と鰹の刺身がてんこ盛り、いったい何人分あるんだろう。
下の息子は三時にプチケーキ6個とプリンの類2カップを食べたので晩飯はいらないとのことで、妻と二人で食べたが、とても食べきれる量じゃない。
それに見ただけでうんざりするから余計食えない、それでも頑張って優に二人分は食い、残りを仕舞ってもらった。
生姜もどこにこれだけ使うのかと思うほど擦ってあり、隠元と鰹に使ったが、びくともしなかった。
その隠元の量も凄くて、5分の1をどうにか食べた。
昨日の残りの蛸とモッツァレラ、原形をとどめない宇都宮餃子、胡瓜の糠漬け、これはいたってまとも、焼売を肴に、ティーチャーズのソーダ割りを飲んだ。
巨人戦をチョットだけ観て、大黒摩季の「ら・ら・ら」を観て二階へ上がった。
1曲となると「ら・ら・ら」になっちゃうんだろうけど「ハーレム・ナイト」とか「チョット」を聴きたいなあ。

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蕎麦とケーキ

2020年06月23日 | Weblog
日曜日に下の息子と連れて「大磯落語茶屋〇直」に出かけた。
散歩がてら蕎麦を食べようとのたくらみだったが、酒を呑んで女将の直美さんの話を聞いていたら、随分長居をしてしまった。
朝7時からは朝食を出していて、近所のご老人がやってくる。
蕎麦は11時から2時までで、2時から4時はcafeになっている。
朝食には97歳のご老体もやってきたというから、一人暮らしのご老人にはすこぶる便利な店のようだ。
2月に引っ越してきたが、もう既に3年ぐらい住んでるような気がするというくらい馴染んでいて、店を始めたのは5月からだが、その前からご近所の人が、玉葱やその他の野菜を持ってきてくれて、こんな土地柄があったのかとびっくりしたそうだ。
このあたりの農家は、その昔は半農半漁だったから、農村地帯の農家より開かれた気風を持っていて、閉鎖的な感じがない。
僕も子供のころから、早朝法螺貝を聴いて地引網の手伝いに行くと、子供でも一人前の駄賃として獲れた魚が配分された。
いい事なのかどうかは別にして、気風を理解するのに書くと、その分博打も盛んで、小さい町なのに芸者がいて飲む打つ買うが揃っていた。
もちろん今では博打場も立たないし、芸者の姿もない。
だがかつてそのように暮らしていたというものが、まだどこかに残っていて、しかも首都圏に近いから最先端のものが選別されて入ってきて、ちょうどいい具合なんだよね。
ともあれ、女将の直美さんは若い頃オーナーパテシエとして八戸のホテルの菓子屋で腕を振るっていたので、ケーキも本格的で、レアチーズケーキとプリンを食べたが美味かった。
その後幾つかの仕事をして、何をやっても上手くいったのは実務能力に長けていたんだろうねえ、還暦を過ぎてから蕎麦屋で4年修業をして蕎麦打ちを覚えた。
江戸好みの細い白い麺で、付けだれも辛い。
黒くて太い蕎麦を噛みしめて風味を愉しむのもいいが、やっぱり江戸っ子及び似非江戸っ子は、蕎麦の先にちょっと汁を付けて、ずるずると飲み込んでしまうので、この細くて白い蕎麦がいい。
酒をたのんだら、ビールは飲むけど酒は呑まないから何がいいのか分からず「獺祭」をメニューにしたとのこと。
個人的には好みじゃないが、多くの人が呑みたがる銘柄だからいいんじゃないのと言って、冷やしたのをもらい、結局3合呑んじゃった。
茗荷、胡瓜、大根の漬物、牛筋煮をつまみに出してくれたが、いずれも自家製で、既に書いた通り何をやらせても巧く出来ちゃう質だから、変な飲み屋で呑むよりよっぽどいい。
先日の落語会で高座を作った部屋で、ドイツ製のソファーでゆったりと飲み食いしたが、音楽は最初中島みゆきがかかっていて、若い頃は沢田研二もカッコ良かったのよとジュリーに替え、スターなら年を取ってもイメージを維持してほしいと、でぶでぶしたジュリーにちょっと怒ってたね。
直美さんはジュリーより二つ下で、若い頃はきっとかなり入れ込んでたんだろうねえ、僕も武道館の3階で「勝手にしやがれ」を踊ったら周りの女の子に騒がれてね、そんな話で盛り上がり、結局3時間半の長尻になってしまった。

今朝は朝から雨で小止みのすきにJAに自転車を飛ばし、胡瓜、茄子、隠元、枝豆、赤とピンクの薔薇を買った。
町役場に行って介護保険、健康保険、固定資産税などを払った。
帰りに芦の屋でシュークリームを買った。

昼は妻が筍ご飯にするというので、土鍋で炊くのを担当した。
最近は水加減もいい加減でも大概うまく炊ける、要は実際の経験、荻生徂徠のいうところの義だねえ。
炊きあがる前の焦げの匂いが何時もと違ったが、妻が出汁を調えたので僕がやるより濃かった、そのせいかなと思い無視して続行したが、美味く炊けていた。
小田原で上がった鰹の刺身、新玉葱と鶏肉煮、筍と豆腐の汁で食べた。
食後にアールグレイを淹れてシュークリームを食べた。

午後は母のところへリモート面談に行くので、プレシネを観るのを止めて、朝着いたJBL Bluetoothスピーカーを試しに聴いてみた。
今は中国で作っているんだろうが、もとはアメリカのメーカーなので低音が強い、音の分離が良くないが携帯用の安いスピーカーなのでこれだけ音が鳴れば十分だ。
それにしても機械類は年々安く良くなっていて目を見張るばかりだ。
昔高かったのに、今は安くなった典型はバナナだが、これをバナナ現象と勝手に言っている。
松原みきを聴いたが、後藤利次のベースがいい。
年を取ると高音が聴きにくくなるから、ベースがボンボン鳴るのが愉しい。
それにしてもオヤジの形見のPanasonicのCDラジカセが、考えていたよりバランスのいい音を出しているので見直した。
今では中国にどっぷりつかって、コロナ後も中国生産を継続するというが、トランプのワッセナーアレンジメント(COCOMの現代版)の強化により、進退窮まることにならなければいいが・・・。

3時過ぎに下の息子と母のリモート面談のため渋沢の施設まで出かけたが、娘も面会したいとやって来て、玄関に置いた大型のスマホで面談をした。
足が痛くてどうにもならないから助けに来てくれと悲痛な顔で訴えられたが、直接の面会が出来ないから応えてあげることが出来ず切なかった。
リハビリの担当がいたので、この件を話して対処してくれるようにお願いをした。

帰りに久し振りに渋沢BOに寄り、ZARDの「もう探さない」を買った。
やっぱり坂井泉水の出身地の渋沢で買って、聴きながら帰ってくるってのは贅沢だ。
これ2枚目のオリジナルアルバムで、あと3枚で全部揃うけど、もう7.5時間だから、全11枚でプレイリストにすると10時間になるんじゃないかなあ。
全曲聴くのが一仕事になるね、大船の居酒屋の店主、発売されたCDは全部持ってると言っていたが、今も聴いているのかな。
この伝でいくと荒井由実はもっとすごいことになる、基本的には4枚目のアルバムまでが好きで、1982年までの楽曲に馴染みがあり、その後のオリジナルアルバムは聴いておらず、ベストに含まれる楽曲だけで、それ以上興味が無いから、どうにか最悪の事態が回避されている。
文学の場合、例えば夏目漱石を研究するとなると最低限全集を読まなきゃいけない、まあ、夏目は書きだしたのが遅く、早くに亡くなったから、それも可能だが。
多作で長生きした作家の研究をするとなると、これはもう目の前がくらくらする。
友人から「夏目漱石全集」と「永井荷風全集」をもらったが、まだ裏の物置に仕舞ったままになっている、日の目を見ることはあるのだろうか。
話は坂井泉水に戻るが、彼女は40歳で亡くなっているから、こんなもんで済んでるし、若くて綺麗な頃のイメージしかないからある意味永遠の歌姫だ。
同様に松原みきも44歳で早逝しているから、これ以外にアニソンやってるけど9枚のオリジナルアルバムを聴けば一応全容を把握できる。
まあ、今になって80年代と90年代の歌姫に惹かれて聴いているのも、この作品の少なさが一つの理由かもしれない。
40年間活動を続けている歌手の場合だと同時代に歌を聴いてないと全容を掴むのに物凄く苦労するし、きっと途中で挫折するだろう。

夜、娘たちが宮古島の古酒を土産にぶら下げてやって来た。
ディエゴのビールの品質チェックをするとのことで5種類のビールを飲んだ。
瓶内二次発酵ビールなので、炭酸圧が均一でなくものによっては開栓と同時に泡があふれる。
だが、味わいは落ち着いてきて丸くなり深みを増し美味かったなあ。
日本人は初物好きだから熟成したビールは中々受け入れられないが、ひとたびその味わいを知ると虜になる。
その後ディエゴのカバを開け、赤を開け、いよいよ「古酒」をロックで飲んだが、近ごろ売らんがための「古酒」表示で、聞けば3年で「古酒」になるというから、スコッチのストイシズムがいよいよ光る。
アルコールのつんとしたのが取れたところでフルーティ、4人で呑んだら一瞬にして空になってしまった。
最後はブラックニッカのオンザロックを飲んだ。
妻の力作は、朝どれ小鰺の南蛮漬け、美味、夏野菜の素揚げ出し汁漬け、茄子が美味、鰺の刺身、隠元の豚肉巻きソテ、食べなかった、枝豆、胡瓜に家漬け、トマト蛸モッツァレラのバジルサラダ、白カビチーズと青カビチーズ、柿の種。

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サオリストの時代

2020年06月22日 | Weblog
南沙織を聴くためにNHKのニュースをそこそこに二階へ上がり、PCをオンにしたらいきなり充電不足になり、何と二か所あるスイッチの大本のほうが外れていた、ということはPanasonicもこれが原因で・・・、お陰でスピーカーで聴くことができたが、明日来るというBluetoothが恥をかいた。
まあ、そんな珍事を吹き飛ばすように、南沙織の歌声が素晴らしい。
最近CITYPOPを聴いているが、80年代前後の曲とはいえ、その頃聴いていなかったので、曲調に懐かしさを感じるものの、僕にとっては初めてのものだ。
南沙織の大ファンで、当時サオリストって呼ばれていたから、涙が出るほど懐かしくて情感をすごく刺激された。
デヴュー曲の「17才」が1971年のリリースだから、もう49年前なんだなあ、1975年に大学に入り下宿にTVが無かったけど、それまでは夢中になって観ていた。
ナイーヴだったからコンサートには行けなかったが、大磯ロングビーチや駒ケ岳スケートリンクに会いに行った。
TVで観るより色が黒くて痩せていた。
そんなわけで高校時代は全く勉強する気になれず、3年間で400番近く成績が下がり、1年予備校に通って大学に入った。
高校の担任に合格の報告に行ったら、信じられないとびっくりしていた。
ざまあ見やがれってんだスットコドッコイって気分だったね、まあ、担任にとってはどうでもいいことだけど。
そのくらい南沙織に明け暮れていて、ワンレンロング、センター分けで浅黒い顔にキラキラ輝く目の女の子には滅法弱く、情けないくらいメロメロだった。
中学1年の時からの恋人が同じようだったから、そのせいで南沙織を好きになったんだけど、アイドルに夢中にならずに目の前の恋人を大事にすればよかったのにね。
若い頃ってどうやって愛情を表現したらいいか分からず、イライラして逆の事やって傷つけあうんだよ。
でも、彼女も僕をすごく好きだったから、素直に抱き合ってキスしたらセックスして、高校生の頃にはきっと子供が出来て大変だったろうなあ。
実は子供が出来たら一緒になって育てる覚悟はあったんだけど、世間知らずの向こう見ずってやつだ。
南沙織は、そっちに行きそうな僕を、ありきたりの道へ引き戻したんだね。
アイドルは嵐が吹き荒れる時期の若者を救う役割を担っているのかも、観念の世界にいれば現実で間違いを起こさないからね、嵐が去った後の若者は、まるで何事もなかったようにけろっとしている。

今回のCDには、シングル36曲がすべて入っているんだけど、「ひとかけらの純情」に特に心動かされた。
  あの恋のはじめの日を 誰かここへ連れてきてほしいの
  あの燃える目をしていた熱い人に もう一度会いたい
  あの恋のはじめの日を 誰かここへ連れてきてほしいの
  あの胸のうずくような 恋をしている人ならわかるわ

このサビがいいよなあ、恋のはじめのときめきは時間とともに失せてしまうけど、有馬美恵子が”あの”をこれだけ続けて、忘れてしまったときめきを鮮やかに表現したのが凄い。
僕みたいな年寄りでも、恋のはじめのうずくような気持ちが蘇るんだから。

南沙織の初期の楽曲は、カヴァーの「カリフォルニアの青い空」を除いて、15曲連続して有馬美恵子と筒美京平のコンビで、「日本初のアイドル」としてイメージを作り上げた。
だが、その陰で筒美京平のパクリ疑惑は長年付いて回っていて、確かに洋楽にそっくりなフレーズがあり、多分援用していると思うが、まったくのコピーではなく独創が入っているから堂々と発表しているんだろうと思う。
一番有名なパクリ疑惑はデヴュー曲の「17才」と「Rose Garden」で、確かに似ている。
でも、ファーストアルバムの「17才」のA面1曲目が「17才」、B面1曲目が「Rose Garden」で、パクリの意識があれば、こんなアルバム構成にはしないだろう。
”似てるでしょ、本歌取りの本歌はこれよ、でも僕の曲のほうがいいでしょ”と、宣言してるんじゃないかなあ。
それとも「Rose Garden」の出だしで、I beg your pardonと洒落たのか。

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修理か供養か

2020年06月21日 | Weblog
晩飯に顔を合せなかったので、箱根で何を食べたか良く聞かなかったが、前日からフレンチだからワインはムルソーかバタール・モンラッシュをグラスで飲みたいと言っていた。
一流ホテルだけど、流石にそんな高いワインはグラスで売ってないぞ、ボトルで頼んだら昼めし代の5倍はするぞと脅したら、どこの産地かは知らないが、慎ましくソーヴィニョンブランをグラスで1杯だけ飲んできたらしい。
結婚して間もない頃、知人がいたヒルトンホテルの「伊万里」へ連れて行ったのが最後で、妻にとっては久しぶりのフレンチだったから、好きなワインを飲ませてやればよかったなと反省した。
仕事柄フランスでも日本でもフレンチを食べる機会が多く、わざわざプライベートでフレンチを食べる気にならなかったし、ある時から妻が閉所恐怖症になり、電車に乗ってレストランまで行けず、まあ車でゆけばいいのだが、そうなるとワインが飲めないから、ワイン抜きのフレンチなんて山葵の無い鮨みたいなものでしょ。
最近変に料理に興味を持ち出し、”私は美味しい店に連れて行ってもらったことが無い”と叫び出したものだから、上の息子が見かねて知人がいる箱根のホテルへ連れて行ってくれたのだ。
お任せ料理で、色々沢山出てきたと言っていたが、折を見て詳細を聞くことにしよう。

さて、今朝6時に目が覚めて音楽を聴こうと思い、CDカセットに電源を入れたら一瞬明かりが点きそれっきり切れてしまった。
電源を確認して何度かトライしたがうんともすんとも言わない、いよいよ寿命が来てしまったのだろうか。
父が亡くなり6年半放置しておいて、その後急に酷使した亡くなりが、これが最後のお勤めと頑張ってくれたのだろう。
さて、如何がしたものだろうか、修理をするのか供養をして休んでもらうのか。

9時過ぎに下の息子と歩いてJA湘南へ行った。
隠元、茄子、ミニトマトを買い、ワクワクへ回り、胡瓜と草餅を買った。
脇にある商店街のcafeで珈琲を飲んだ。
スコーンを作ったというので食べてみたら美味かったので、帰りにタルトと一緒に包んでもらった。
この店は日によって店主が変わるが、この日のオネエサンは大磯の人で二度目、30分ばかり話をした。

昼はご飯が大量に余っているので炒飯にするという。
毎回毎回新たに炊かないでいればいいのに、5回分くらいのご飯が冷蔵庫に入っているのだ。
冷蔵庫は別名、食品腐敗製造機ともいうが、便利なものが出来ると精神が腐敗する。
隠元、水菜、搾菜、牛肉、葱を細かく切り、フライパンに溶き卵を入れ30秒後にご飯を入れてかき混ぜた。
何しろ量が凄いのでフライパンを振る技が使えない、当然ぱらっとした炒飯にはならないが、水菜が効果的に作用した。
ウーロン茶を入れて、タルト、スコーン、草餅を食べた。

午後はベッドに横になって休んだ。
スピーカーが使えないから、イヤホンで間宮貴子を聴いた。
夕方、南沙織のコンプリート・シングル・コレクションが着いたので、早速PCに取り込んだが、先日のよくない販売店と同じ所のだったので懸念したが、やっぱり音が飛んだ。
それでもPCに取り込むと情報を読むためか音が飛ばないので、まあいいやと思い、とにかくイヤホンで聴いた。
スピーカーで聴くのと違い、僕のために歌っているような気になるので、思わず涙がこぼれてきそうなくらい良かった。
ちなみに「オレオレ詐欺」は電話をスピーカーにしておくと、冷静に対処出来てかなり防げると言われているのは、これと同じ原理です。
母の部屋でCDの再生をすればいいけど、最近プレイリストで気に入った曲を連続して聴いているので、人間ひとたび楽をすると元に戻れないもので、一々CDを入れたり出したりするのが面倒になり、朝、Bluetoothの安いJBLのスピーカーをネットで頼んだ。
本格的なシステムは、もう少しじっくり考えてみたいと思うので、応急処置だが、どの程度の音が出るんだろうね。
去年は娘からもらったANKERで聴いてたが、聴き過ぎたせいか壊れてしまった。
PanasonicのCDプレーヤーも同じことか、でも朝から晩まで聴いたから、彼らも本望だろう。

夕方少しだけ読書をした。
中野剛志の本をいっぺんに2冊読んでいるが、経済書のほうが分かりやすくて捗る。
日本思想史は伊藤仁斎→荻生徂徠→会沢正志斎→福沢諭吉の流れで、以前からこの思想の流れを勉強したいと思っていたので、念願の案内書に出会ったわけだが、何しろ原文が江戸時代の書であるが読みにくい。

風呂に入って晩飯を喰った。
ブラックニッカのソーダ割りに、塩鯖、隠元、切り干し大根煮、ほうれん草の山葵和え、豚ロースソテデンマーク風、グリシーニ、ドライフルーツ、ミックスナッツ、ブルーチーズ。

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