山口百恵の「潮騒」1975年東宝を観た。
観たことがあると思っていたが、初めてだった。
以前観たのは誰のだったのだろう、1954年の東宝は、久保明と青山京子で、初江の父が上田吉二郎、新治の母が沢村貞子、渋いね。
1964年の日活は、浜田光男と吉永小百合、母親が清川虹子。
1971年東宝は、朝比奈逸人と小野里みどり、これは二人とも知らない。
1985年東宝は、鶴見辰吾と堀ちえみ。
これだけあるが女優に記憶が無いから、小野里みどりのを観たのかなあ。
山口百恵はこの時16歳だから、肌が綺麗なわけだ、背中のヌードは本人じゃないような気がしたけどね。
この年齢で恋する女の瞳の輝きを表現するんだから大したもんだなあと思って観た。
まあその年なら、女の子は恋の一つや二つしているから分かってるか。
昼のプレシネは、確かに2度目の1990年米の「Dances with Wolves」ケビン・コスナー主演の西部劇だったが、インディアンを皆殺しにして土地を奪ったことに対する鎮魂の映画か。
思えばアメリカの殺戮と略奪は今に始まったことではなく、建国以来の伝統であることが分かる。
自由と民主主義が建前の人口国家だが、実態は今回の人種差別を観ても分かる。
インディアンに対する謝罪は行われたと記憶しているが、広島長崎に対する謝罪をする気配は一向にない。
それより、悲惨な戦争は二度と繰り返しませんと言うが、日本はアメリカに対して謝罪を求めているのか。
朝ちょっとした事件があり、朝食はメロンを喰っただけで済まし、9時半過ぎにJA湘南へ向かった。
ピンクと赤の薔薇、胡瓜、白茄子、枝豆、ミニトマトを買った。
昼は最近妻がこれをよく作りたがるが、冷やし中華だった。
レタスと胡瓜がたっぷり入るから、健康にはいいが、近ごろ叉焼は飽きたと言われ、控えているらしく常備されてない、代替えのロースハムではちょっと弱い。
週に一度焼くならいいよと言ったら、早速豚肉の塊を大量に買って来て、つけ汁に漬けこんで冷蔵庫に入れて合った。
この素早さ、叉焼を作れないストレスが溜まっていたんだなあ。
錦糸卵は得意なので小まめに焼く。
デザートに娘の土産の上州の饅頭、かりんとう、チョコレートクッキー、アーモンドクッキーを食べた。食べ過ぎか。
プレシネを観て、そのまま母の部屋で1時間ほど、当山ひとみを聴きながら、西邊邁「流言流行への一撃Ⅰ」を読んだ。
5時に下の息子と散歩に出て、大磯方面へ葛川沿いを歩き、ゴルフ場のところを下りて海に出た。
昨日より波が弱く澄んでいたので釣り人が多かった。
オネエサンが、ロングキュロットのようなのを波で濡らしながら、盛んにメタルジグを投げていたので、連れのオジサンに声を掛けたら、娘さんとのことで、どうせ濡れちゃったんだからとことん投げろと言ったらしい。
厚木から父娘でやってきたとのことで、仲良しでイイカンジだったな。
昨日風呂に入らずに飲み始めて、あとが面倒だったので、とにかく風呂に入って汗を流した。
肴は枝豆、胡瓜糠漬け、夏野菜の酢漬け、焼き茄子、ブルーと白のチーズ、鰹の刺身で、ティーチャーズのソーダ割りを飲んだ。
先日の血液検査の結果が良かったので、妻はハイピッチでディエゴの白を飲み、その後ティーチャーズのオンザロックを煽っていた。
「潮騒」を観て、山口百恵が良かったなあと感動しながら二階へ上がり、南沙織を聴いた。
山口百恵を聴けばいいんだろうけど、音源のいいのを持ってないんだよね。
先週の「伊豆の踊子」は娘たちがやって来て飲んでいたので観逃した、もっとも既に2度観てる。
昭和8年田中絹代、昭和29年美空ひばり、昭和35年鰐淵晴子、昭和38年吉永小百合、昭和42年内藤洋子の踊子がある。
この「潮騒」「伊豆の踊子」に「野菊の墓」を加えて日本の三大純愛小説と考えているけど、繰り返し映画化される日本人好みの純愛のスタイルなんだと思う。
踊り子と野菊は悲恋だが、潮騒では恋が成就する。
ギリシャの物語をもとにした肉体と宗教、風習を賛美した観念的でない小説で、子供の頃の二宮にわずかに残っていた漁民の健康な生活が眩しい。
「潮騒」は初江と新治が、監的哨跡(砲撃観測塔)で嵐の日に逢引きし、水に濡れて焚火の前で裸になるが、ここが映画では新人女優のヌードが期待できるので話題になる箇所なのだが、海の町では女の子が裸になるのはさほど抵抗が無い、初江は海女だから当時は海に潜る時には乳房を出しているしね、二人全裸になり、初江が新治に火を飛び越して来いと誘うが、抱き合っただけで、初江が「今はいかん、私はあんたの嫁さんになることに決めたもの」と拒絶する。
これが噂になり、初江の父は娘を傷物にされたと村人に貶められ、初江に新治と合うことを禁じる、初江の父に新治が試されることがあり、憤慨した新治の母が新治の父のところへ「うちの新治はあんたの娘を傷物にするような男じゃない、みそこなってもらっちゃ困る」と怒鳴り込む。
これがこの漁村の伝統的な風習に根差した健全な倫理なんだなあと、ちょっと感動した。
三島由紀夫は優れた伝統、慣習、規範を失った戦後の日本に絶望したが、ギリシャの健康な精神に憧れていた、でもそのギリシャも遠い昔の事なんだけどね。
我がイナリヤト食文研のワインとビールはこちらからご覧になれます
観たことがあると思っていたが、初めてだった。
以前観たのは誰のだったのだろう、1954年の東宝は、久保明と青山京子で、初江の父が上田吉二郎、新治の母が沢村貞子、渋いね。
1964年の日活は、浜田光男と吉永小百合、母親が清川虹子。
1971年東宝は、朝比奈逸人と小野里みどり、これは二人とも知らない。
1985年東宝は、鶴見辰吾と堀ちえみ。
これだけあるが女優に記憶が無いから、小野里みどりのを観たのかなあ。
山口百恵はこの時16歳だから、肌が綺麗なわけだ、背中のヌードは本人じゃないような気がしたけどね。
この年齢で恋する女の瞳の輝きを表現するんだから大したもんだなあと思って観た。
まあその年なら、女の子は恋の一つや二つしているから分かってるか。
昼のプレシネは、確かに2度目の1990年米の「Dances with Wolves」ケビン・コスナー主演の西部劇だったが、インディアンを皆殺しにして土地を奪ったことに対する鎮魂の映画か。
思えばアメリカの殺戮と略奪は今に始まったことではなく、建国以来の伝統であることが分かる。
自由と民主主義が建前の人口国家だが、実態は今回の人種差別を観ても分かる。
インディアンに対する謝罪は行われたと記憶しているが、広島長崎に対する謝罪をする気配は一向にない。
それより、悲惨な戦争は二度と繰り返しませんと言うが、日本はアメリカに対して謝罪を求めているのか。
朝ちょっとした事件があり、朝食はメロンを喰っただけで済まし、9時半過ぎにJA湘南へ向かった。
ピンクと赤の薔薇、胡瓜、白茄子、枝豆、ミニトマトを買った。
昼は最近妻がこれをよく作りたがるが、冷やし中華だった。
レタスと胡瓜がたっぷり入るから、健康にはいいが、近ごろ叉焼は飽きたと言われ、控えているらしく常備されてない、代替えのロースハムではちょっと弱い。
週に一度焼くならいいよと言ったら、早速豚肉の塊を大量に買って来て、つけ汁に漬けこんで冷蔵庫に入れて合った。
この素早さ、叉焼を作れないストレスが溜まっていたんだなあ。
錦糸卵は得意なので小まめに焼く。
デザートに娘の土産の上州の饅頭、かりんとう、チョコレートクッキー、アーモンドクッキーを食べた。食べ過ぎか。
プレシネを観て、そのまま母の部屋で1時間ほど、当山ひとみを聴きながら、西邊邁「流言流行への一撃Ⅰ」を読んだ。
5時に下の息子と散歩に出て、大磯方面へ葛川沿いを歩き、ゴルフ場のところを下りて海に出た。
昨日より波が弱く澄んでいたので釣り人が多かった。
オネエサンが、ロングキュロットのようなのを波で濡らしながら、盛んにメタルジグを投げていたので、連れのオジサンに声を掛けたら、娘さんとのことで、どうせ濡れちゃったんだからとことん投げろと言ったらしい。
厚木から父娘でやってきたとのことで、仲良しでイイカンジだったな。
昨日風呂に入らずに飲み始めて、あとが面倒だったので、とにかく風呂に入って汗を流した。
肴は枝豆、胡瓜糠漬け、夏野菜の酢漬け、焼き茄子、ブルーと白のチーズ、鰹の刺身で、ティーチャーズのソーダ割りを飲んだ。
先日の血液検査の結果が良かったので、妻はハイピッチでディエゴの白を飲み、その後ティーチャーズのオンザロックを煽っていた。
「潮騒」を観て、山口百恵が良かったなあと感動しながら二階へ上がり、南沙織を聴いた。
山口百恵を聴けばいいんだろうけど、音源のいいのを持ってないんだよね。
先週の「伊豆の踊子」は娘たちがやって来て飲んでいたので観逃した、もっとも既に2度観てる。
昭和8年田中絹代、昭和29年美空ひばり、昭和35年鰐淵晴子、昭和38年吉永小百合、昭和42年内藤洋子の踊子がある。
この「潮騒」「伊豆の踊子」に「野菊の墓」を加えて日本の三大純愛小説と考えているけど、繰り返し映画化される日本人好みの純愛のスタイルなんだと思う。
踊り子と野菊は悲恋だが、潮騒では恋が成就する。
ギリシャの物語をもとにした肉体と宗教、風習を賛美した観念的でない小説で、子供の頃の二宮にわずかに残っていた漁民の健康な生活が眩しい。
「潮騒」は初江と新治が、監的哨跡(砲撃観測塔)で嵐の日に逢引きし、水に濡れて焚火の前で裸になるが、ここが映画では新人女優のヌードが期待できるので話題になる箇所なのだが、海の町では女の子が裸になるのはさほど抵抗が無い、初江は海女だから当時は海に潜る時には乳房を出しているしね、二人全裸になり、初江が新治に火を飛び越して来いと誘うが、抱き合っただけで、初江が「今はいかん、私はあんたの嫁さんになることに決めたもの」と拒絶する。
これが噂になり、初江の父は娘を傷物にされたと村人に貶められ、初江に新治と合うことを禁じる、初江の父に新治が試されることがあり、憤慨した新治の母が新治の父のところへ「うちの新治はあんたの娘を傷物にするような男じゃない、みそこなってもらっちゃ困る」と怒鳴り込む。
これがこの漁村の伝統的な風習に根差した健全な倫理なんだなあと、ちょっと感動した。
三島由紀夫は優れた伝統、慣習、規範を失った戦後の日本に絶望したが、ギリシャの健康な精神に憧れていた、でもそのギリシャも遠い昔の事なんだけどね。
我がイナリヤト食文研のワインとビールはこちらからご覧になれます