キュヴェ タカ/cuvee taka 「酔哲湘南日記」

新鮮な山海の恵みを肴に酒を吞み、読書、映画・音楽鑑賞、散歩と湘南スローライフを愉しんでいる。 

「君主論」購入

2008年01月11日 | Weblog
本日新春の名古屋で仕事をしておりますが、お天気もよく背中がぽかぽか、睡魔という新手の敵と闘いつつ仕事をしております。こちらも穏やかな春を迎えて景気良く新たな年を迎えたようです。名古屋博、セントレアの開港、トヨタ本社の移転でここ数年活気を帯びている当地ですが、今年も相変わらず景気の良さは続きそうです。その景気の良い市場に青果を販売しているのですから、今年どれほど儲かるか夢は膨らむばかりです。

さて、先日購入した積読文庫の「私の出会った落語家たち」が存外に面白く、ざっと目を通すつもりが最後まで読み切ってしまい、積読文庫から完読文庫に格上げされ、本棚の中に堂々と収納されました。未読のものは本棚に置かれていても何処と無く肩身の狭い感じが拭い切れないものですが、居心地良く鎮座しております。彼は居心地が良さそうですが、私としてはついでに買ったものですから彼を見るたび後ろめたい気分があり、本来購入すべきであった「君主論」佐々木毅の事が気に掛かり何とも落ち着かない日々を過しております。

伊勢佐木町の有隣堂は我が社から歩いて五分の距離にあり、なるべく近寄らないようにはしているものの、昼をいただくときには前を通る事も多く、気が付くと店内に入っていたなんて事がしばしばで、買ってはいけない、これ以上積読本を増やしてはいけないというブレーキが掛かれば掛かるほど、手は自然に本に伸び勝手に財布を開いているという次第。本当にいけません。かつて井上ひさしさんはこのような状況を“書痴無し”と称しておられましたが、男特有の収集癖が本に向かい高じてくると碌な事ありません。財布が軽くなる事は止むを得ないとして、目はしょぼつき霞みだし、場合によって床は抜け寒風が吹き通り、最終的には部屋に居場所が無くなり無宿人と成り果てます。

食事に出るにも有隣堂に近づかないように気をつけて遠回りをしていたのですが、ついに「君主論」を買わなければ、イタリアワイン理解のための必須の参考書を買わずになんとする、仕舞いにはマキャベリの顔が白昼夢に出てくるまでになり、ついに禁を破って有隣堂へ駆け込んでしまった次第です。目指すは講談社学術文庫の背表紙の青色一面の棚。在りました「君主論」ついに手にしました。我ながら見事な使命感、自分で自分を誉めてあげたい。ここまでは良いんです。ええ、ここまでは。この先が問題なんです。碩学が一生を掛けて取り組んで、まだまだ全容が解明できず、評価も決まらないという高邁なる書籍、はたして私にどれほど理解が出来るのか、イタリアの歴史に疎く、文化にも疎く、イタリア文学作品の一つも読んだわけではなく、持っているのは最近買った伊和中辞典のみ、「君主論」は全文日本語に訳されているのにそんなもの必要が有るのかって、ええ横になって読むときの枕ぐらいにはなるんじゃないかと・・・。うーん、こんな調子でイタリアワインの研究開発本当に進むのでしょうか、ワインのほうは心配が膨らむばかりです。

コメント
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