キュヴェ タカ/cuvee taka 「酔哲湘南日記」

新鮮な山海の恵みを肴に酒を吞み、読書、映画・音楽鑑賞、散歩と湘南スローライフを愉しんでいる。 

赤と黒に出てきたワイン

2008年01月21日 | Weblog
昨夜湘南地方は結局雪が降らず、今朝の通勤の混乱も無く事なきを得ました。どんよりと曇った空はまだ季節が寒の内にあり、冬来たりなば春遠からじとは言うものの、ひとたび空を冬の雲が覆うと新しい季節への出口が見つからない陰鬱な朝です。

夕刻から部屋を暖め「赤と黒」を読んでおりましたが、舞台がディジョンの東のフランシェ・コンテ地方ヴェリエール村であるにもかかわらず、期待していた近隣のブルゴーニュ、ボージョレ、ジュラのワインを飲む場面は出て来ませんでした。部屋の暖かさにつられ眠ってしまい物語が先へ進まなかったことも大いに関係するとはいえ、光文社古典新訳文庫の野崎歓訳の23章までに出てきた、ワインに関する記載は二箇所、国王がヴェリエール村へやって来て供したワインが10,000本という件と主人公のジュリヤン・ソレルが収容所閣下の午餐に招かれて振舞われたライン河流域産の1本9フランのワイン、野崎歓さんの巻末の解説に拠れば当時の1フランは約1,000円に換算できるそうなので、1本9,000円の高価なワインということになります。これを緑のグラスに注いで頂いております。この地は神聖ローマ帝国領であったため、ライン河流域産ワインはあるいは彼らには馴染みの深いワインであったのかも知れません。収容所閣下は平民から成り上がった成金と読めますので、ライン河流域ワインは当時も高級ワインとして認知されていて、成金趣味を満足させるワインであったのかも知れません。

19世紀前半のワイン事情を詳しく研究して見なければ何とも申し上げられませんが、この時代を代表する小説であるにもかかわらずそれほどワインが出てこないところを見ると、ワインはそれほど重要な役割を果していなかったか、パンと同じように当たり前すぎて記載する案件ではなかったのかも知れません。あるいはスタンダールはワインに対する興味が無かったか、下戸であったのかも知れません。

以前からみると名うてのスタンダリアンは少なくなっているとはいえ、ちょいと読んだだけでこんなことを書くと彼らから袋叩きに会う可能性があります。小説は三分の一が過ぎただけですし、ジュリヤン・ソレルの新たな恋物語が場面を替えてこれから展開いたしますので、ワインの場面を楽しみに読み進める事にいたします。
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湘南の雪

2008年01月20日 | Weblog
ここのところ短編小説を楽しんでいなかったので、久し振りに北村薫・宮部みゆき編「名短編、ここにあり」を読みました。ストーリーの展開が面白い長編も好きですが、最初の一行から最後まで神経が行き届いている短編の味わいは捨てがたく、色々な方のものが編まれているこのようなスタイルのものは単調にならないのでより好ましいです。毎年6月に前年の優れた短編を集めて編まれる徳間文庫の短編ベストセレクションも特に好ましいですね。聴いた事も無い新しい作家のものが読めたりしますから。

北村さんと宮部さんが選んだ作家は私が馴染んだ方が多かったですね、少なくとも名前だけは良く存じ上げている方ばかりでした。特に馴染みが深い作家は、半村良、吉行淳之介、山口瞳、かなり馴染んでいる方に、小松左京、吉村昭、松本清張、井上靖がありました。もっとも松本清張は宮部みゆき編集の傑作選を文春文庫で読んだくらいですから、ただし宮部さんの著書はほとんど読んだ事が無く、編集なさったものや推薦なさった、たとえば岡本綺堂「半七捕物帖」なんてのを好んで読む傾向にあります。宮部さんの解説を読んでおりますと、いかにも読んでみようかなという気分になりますので勧め上手なんですね。それとなんとなく彼女が好きです。

さて今日の夕刻から当地湘南でも雪が降るとの予想です。確かに午後になりましたら日が翳り陽気が締まってまいりました。早々に散歩に出なくてはいけません。運動がすんだら風呂に入り、相撲を観て、暖かくして「赤と黒」の続きを読むことにいたします。このところイタリア本読んでましたが、気がついたらフランス本を手にしていました。人間無意識に馴染みのあるものを選んでいるものですが、特に雪の夜には「赤と黒」は白に映えて何時もよりコントラストの妙を楽しめるかもしれません。
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湘南に陽光戻る

2008年01月19日 | Weblog
湘南に久し振りに陽の光が差し、日向はぽかぽか陽気になりました。と、同時に私の風邪も回復に向かい今朝からほぼ復調したと思われます。周りからもう若くは無いのだから治ったと思ったら、もう一日寝ていろだとか、自分が思っているより身体は回復していないから無理をするなだとか、色々ありがたいお言葉を頂戴していますが、病は気からとの格言もあり、無理に自ら老け込んではいけませんね。

今朝久し振りに軽い散歩で山に登り、といっても標高100メートル程度の丘といった方が良いような山ですが、東に真っ白な富士、南に春の陽に光る相模湾を観ました。富士はこれから2月いっぱいぐらいまでが見頃で、その後は春霞で見えにくくなります。冬枯れた近景の向こうにくっきりと白く見える富士は、静謐な感じがしてとても美しいものです。光る海は、既に光が春になっていることを知らせてくれており、ぎらぎらとした輝きはそこだけ季節が異なっているようで、とても好きな光景です。

先週同様、蝋梅、紅梅が見頃、白梅は咲き始め、木蓮のつぼみは大きく膨らんでおります。明日夜半から湘南も雪が降る予報ですが、雪の中で咲く赤い花、椿、紅梅は白い雪とのコントラストでさらに鮮やかで華麗です。足元のことを考えると歓迎ばかりしておれませんが、美しいものは多少の不便があっても観たいものです。


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風邪のため多くを語らず

2008年01月18日 | Weblog
昨夜名古屋から帰ってきて悪寒が酷く、今朝まで横になって会社へは行ったものの午後になると寒気がぶり返し、早々に家に帰ってきました。日頃薬を飲まない私は、風邪薬など飲むと劇的に効いてしまい気持ち悪くなるために、白湯を飲んで横になっているだけです。昨夜からかれこれ12時間以上の睡眠をとったために、いまさら眠る事も出来ず積読文庫から嵐山光三郎の「不良社員の条件」を引っ張り出して読んでます。食欲はといえば一向に衰える気配が無く、洟が少し出て喉が渇き熱があるといったところで、晩飯は何だろうかとそわそわしながら休養に勤めております。そんな訳で今日のところはこの辺で失礼して回復に努めることといたします。あしからず。
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天下人および芥川賞

2008年01月17日 | Weblog
昨日は名古屋勤務のため小田原から新幹線で名古屋へ、名鉄で西春、バスで砂場へと以前ご紹介いたしましたルートでやって来ましたが、日本海から吹き抜ける北風がやけに冷たく、とても寒い一日でした。寒い北風は昨年秋のブルゴーニュの地を思い起こさせる厳しいもので、なまくらな地湘南育ちの身としては、荒涼たる風土だなあと心持を変えて掛からないと風邪をひいてしまうと用心したのですが、本日は見事に風邪の症状を呈しております。昨日に増して今朝も寒い朝となっております。

この濃尾平野というところは天下人を三人も輩出した豊かな土地柄ではあるものの、冬の厳しさは半端でなく、豊かさと厳しさが同時にあって初めて天下人となれるんだなあと思い知りました。現代の天下人はこの濃尾平野の東、豊田の地から出ておりまして、日本平定のみならず世界平定が視野に入りかけております。かつての天下人も及ばなかったところまでその勢力範囲を伸ばし、アレキサンダー大王やチンギスハーンの勢力範囲も凌駕する広大なもので、我がアグリもどうにかしてその千分の一位で良いからあやかりたいものです。

さて、彼我の共通点は何かと考えたとき、カタカナ三文字の名前であることぐらいしかウイルスに犯された脳では思い浮かばず、こんな状態ではそれこそ一万分の一あやかることも危ういかも知れません。

ぜんぜん別の話ですが、昨日芥川賞の発表がありました。川上未映子「乳と卵」に決まりましたが、「めっちゃ、うれしい」とのコメントを出されております。「めっちゃ、きれい」、「白のミニスカートが素敵」この二つのフレーズが熱に侵された私の頭に浮かびました。
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タイヤメーカーとレストランガイド

2008年01月16日 | Weblog
暖冬といわれたり、世界中で平均気温が上昇しているのも事実なんでしょうが、さすがに寒の期間は寒さが身に染みます。記憶がある40数年間を思い起こしてみると、この期間太陽が出ない日が多いような気がいたします。節分まであと僅か、この寒さを楽しむ気持ちが無いと人生の多くの時間を無為に過ごしてしまう事になり、贅沢を言わせていただければ、仕事の合間に火鉢に手をかざして餅を焼いて磯辺巻きなんか作って食べたら楽しいでしょうね。そんなことを思っていたら、先週名古屋本社で鏡開きに遭遇、総務の人が作ってくれた磯辺巻きをいただきました。昼を食した後だったので一個しか喰えませんでしたが、知っていれば昼を抜き五個や六個いけたのに。火鉢で焼いたものではなく、ホットプレートで焼いたもので、さすがに手をかざし暖をとることはいたしませんでしたが、中々美味かったです。

ところで昨日の話の続きになりますが、長い間何故タイヤメーカーのミッシェランがレストランガイドなんか出しているのか大いに疑問でした。今回山本益博さんの本を読んで綺麗にその疑問が氷解いたしました。車が金持ちの贅沢品であった頃、修理工場、ガソリンスタンドはそう多くあるわけでなく、タイヤをすり減らしてもらうための長旅には、これらの在り処が明示されているガイドブックは必須アイテムであったとの事。車にはそれで良いんでしょうが、運転する人間の方としては当然ホテルとレストランが何処にあるかが関心事で、現在では観光案内の緑のガイドと人間の寝食ための赤いガイド、ギッドルージュがあるとの事です。この100年間、車は飛躍的な進化を遂げ、そのころの事を思うと隔世の感があり、このような理由でミッシェランがグルメガイドを作ったなどとは思いもよりませんでした。

しかしですねえよーく考えてみると、ミッシェランの戦略がそこにあるとすれば、彼らが最終的に狙うターゲットは東京などではなく、ここのところ車の所有者が著しく増え国土も広い中国に他なりません。とすれば今頃ミッシェランの調査員は北京、上海、香港に飛んで中華料理を喰いまくっている筈です。ミッシェランガイド北京、上海、香港が発売されて、中国のタイヤ市場を独占される前に、はたしてブリジストンの社員は鱶鰭、熊嘗、燕巣などを喰いまくっているのでしょうか。

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ミシュランガイド東京

2008年01月15日 | Weblog
ミシュランガイド東京の売れ行きが好調で売り切れ続出、時代遅れの私としても事食に関する書籍については一応押さえておくのが通例のため、伊勢佐木町有隣堂で初版二刷を昨年暮にどうにか入手し、デスクの後ろの本棚に飾っておきました。手に入れると内容を見ずに安心してしまう何時もの悪癖で、業界の友人知人から三ッ星レストランのあれこれについて聞かれると、いい加減に応えていたのですが、これほど反響が大きいとずっといい加減いしておくことも出来ないなあと、昨日山本益博さんの“「3つ星ガイド」をガイドする”を平塚の書店で見つけざっと目を通してみました。

山本さんは青森の取引先がディナーパーティーを行なった席で、イチローについての講演をされ、その後津軽三味線を聴きながら郷土料理をご一緒した事が有ります。朝から晩までハイカロリーの高級料理を食されているにしては小柄な方で、何処からその力が出てくるのだろうかと恐れ入った次第です。

著書を読んでみますと世界中のこれといったレストランをお若い頃から長い間食べ歩き、フランス、スペイン、イタリアのヨーロッパから、アメリカ、中国まで美味いといわれるレストランを制覇し、すきやばし次郎の著書もあるとおり、寿司和食にまで造詣が深く、特にミッシェラン東京で和食レストランに星がつく事を切に要望されております。事実、すきやばし次郎、水谷、神田、小十、濱田屋と五件のお店が三ッ星となりました。フランス人シェフのロブション、ロオジエに加えて日本人フレンチシェフの岸田周三さんのカンテサンスが三ッ星になった事も画期的で、パリの平松宏之さん、吉野建さん、ニースの三浦賢彦さんが一つ星ですから、三段跳びの快挙という事らしいです。

フレンチについて山本さんがマスコミ御用達有名フレンチシェフに対して苦言を呈しているのは、料理にエスプリや哲学が無い事で、私それほどこの業界に詳しくも無く、もちろんビンボーでマスコミ御用達有名フレンチシェフがものする料理を食した事もございませんが、フランスで1980年代に一つ星を獲得した中村勝宏さんの料理でディナーパーティーをした折、白ワインから赤ワインへと流れるステレオタイプのワインの流れに、白赤白赤という捻りを加えて料理を合わせていただいた事があり、エスプリとはこの事かと感心した事がございます。ちなみにカンテサンスは山本さんが二つ星に適うと予想したお店ですから、その上を行った岸田周三さんはエスプリの権化といった方なのかもしれません。美味しい料理に加えて驚きが想定されるわけですから、胃の腑と脳に刺激を与えるため、今から三ッ星貯金を始めることにいたします。この狂乱の時期が過ぎれば予約も可能になり、貯金も満期を迎える事でしょう。
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梅椿蝋梅

2008年01月14日 | Weblog
昨日は湘南は冬晴れの予想でしたが、生憎予想は悪い方に外れ雨もよいの底冷えのする陽気でした。それにもかかわらず北鎌倉は春秋の行楽シーズン並みの人出、円覚寺から建長寺そして鶴が丘八幡宮への道は防寒着の老若男女が数珠のように繋がっておりました。かくいう私もその数珠の玉の一つとなっていたわけですが、建長寺の手前で数珠から弾け、切通しを通って雪ノ下へ、八幡宮の池で遠景に冬牡丹を見ながら海猫を鑑賞し、小町の裏道を通って北条高時腹切の館後から祇園山へ、山の峰を八雲神社へと歩きました。要は人と同じ道を歩きたくないという天邪鬼、お陰で祇園山では山道の先に栗鼠を見ることが出来、静謐な散歩を楽しむ事が出来ました。

今年は季節が狂い、土筆が顔を出しているところもあるようですが、鎌倉の街では今を盛りの蝋梅をいたる所で愛でる事が出来、山では藪椿の濃い緑に隠れた紅の冬を耐えた美しさを楽しむ事が出来ました。鎌倉でも幾分季節は早く回っているのかもしれませんが、梅が一輪八幡宮で咲いているところは季節通りの感じでした。

我が家に帰ってみると、玄関先の梅が一輪咲き、赤白ピンクの椿、裏霞、窓の月、太郎冠者は見頃、玄関には近所の方にいただいた蝋梅の枝が生けられ春の芳香が立ち込めておりました。日頃から身の回りの季節を楽しむだけの心の余裕が無いようでは、碌な仕事も出来ないわけですね。



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誤読

2008年01月13日 | Weblog
翻訳物の文章で疲れたので、「雪国あそび」に帰って国産文学者の文章を楽しみました。やはり文章に色香が漂い脳の違う部分が働いている感じがします。どちらかというとこの脳の部分が良くつかっている所とみえ、疲れませんが、論理的なことを組み立ててゆくときに使う脳は使い慣れていないせいか疲れるし早く飽きが来ます。まあ訓練によってシナプスの電気信号の速さが増し、同時に有効回路の発見が早くなるものと思われますので、徐々に訓練する事にいたします。

雪国は主人公の島村がヒロインの芸者駒子と、閉ざされた雪国の高半という旅館の二階の一室でしっぽりと情を交わす物語で、芸者と二人炬燵に入って差しつ差されつ雪見酒、酒がこの情交を盛り立てる一つの道具になっているとばかり思っていたのですが、この島村酒が行けない口と分り驚きました。そう指摘されて見ると、酔っ払った駒子が島村の部屋にやってきて酔いを醒ますことが多かったのかもしれません。三十年間ぐらい勘違いをしておりました。

ことはこれですめば良いのですが、私にとってのこの三十年は大きな意味があり、現在では望むべくもありませんが、私が若い頃には駒子のような芸者は少なくなっていたとはいえ存在し、出来得れば島村のような目に合ってみたいものだと思っておりました。私としては随分色々な機会に、芸者に勧められ杯を重ねつつ幸運が転がり込んでくるのを待っていたのですが、そのやり方はまったく間違っていて、芸者に杯を勧め先方が酔ってこちらに転がり込んで来るのを待たなければいけなかったのです。どうりで長い間待っても芸者が部屋に転がり込んでくる事は無く、酔っ払った同輩が転がり込んで来るのが関の山だったわけです。書物は正確に読まないといけません。







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君主論を読む

2008年01月12日 | Weblog
こんな題名ですと、偉い先生が古典を解説しながら読み方を教えてくれるようにとられると困るのですが、要は積読の恐怖から逃れるために、無理にも読んでみたというだけのことです。ほんのさわりを読んだに過ぎませんが、ギリシャ・ペルシャ・ローマの歴史が分らないと理解できない部分が多く歯が立ちません。マキャベリの時代にはこの程度の教養が当たり前だったのでしょうが、我々現代人は彼らが死んでからの歴史500年分についても考慮しなけりゃいけないんで、一方的に彼らが教養人で我々が無教養とも言い切れません。しかしそうはいっても私が無教養であることからは逃れる事は出来そうにありません。西洋の思想の底辺を流れるものを理解しようとすれば、ギリシャ・ペルシャ・ローマを避けて通る事は出来ず、現代思想だけで西洋を理解しようとしても浅い理解になり、かえって彼我の理解の妨げになることが多く、現在日本が孤立して理解されない大きな要因であるとも考えます。先日読んだ猫も、漱石がそこのあたりに心を砕いた苦悩がうかがえ、あの天才にしてそれですから、凡才である私に何が出来るというものではありません。

しかし君主論というのは非常にプラクティカルな側面を持っており、分りやすい記載の部分もあり、西洋流の支配構造の一端をうかがう事が出来ます。日本の支配者は1,000年以上も中国の書籍を範として来ましたし、現在でも通俗的な経営に関する雑誌などでは三国志や水滸伝の事例が多く取り上げられており、現代の支配者すなわち会社の経営者である事が多いのですが、彼らの基本的な支配方法は東洋的であると思います。日本的な経営と西洋的な経営の優劣をここで論じる能力が私にはありませんが、君主論が西洋的な経営や外交戦略の根底原理を理解する書物の一つである事は間違いありません。

イタリアワインの理解のための参考書として購入いたしましたが、ワインに関する記載は今までのところ一切ありません。しかしながらルネッサンス後期の混迷の時代の権力抗争を知る上で面白いですし、この書物がメディチ家に捧げられたものであること一点をとっても、三月にはフレンツェを訪れる予定ですから読んでおく価値大有りです。

私が死ぬほど嫌いなワインスノッブが、日本で作り出したイタリアワインのイメージを唾棄し、新たなアプローチをしてゆく上で、歴史文化の理解が外せないのは言うまでも無く、遠い道のりといえどもこつこつと歩いて行くといたしましょう。


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