キュヴェ タカ/cuvee taka 「酔哲湘南日記」

新鮮な山海の恵みを肴に酒を吞み、読書、映画・音楽鑑賞、散歩と湘南スローライフを愉しんでいる。 

送別の昼食

2018年10月31日 | Weblog
秋晴れの素晴らしい天気だ。
10月は日本の最も美しい季節だが、今年の10月は台風が来たり雨が降ったりで日本の秋を満喫できなかった。
湘南は11月もかなり暖かいので、まだまだこれから秋を楽しむことが出来るが、10月ももう終わりだな。

朝6時過ぎに起きて朝飯を作った。
息子が先に起きていたので、雨戸が開けてあり、風呂に入ろうと思ったが、上の方が風呂に入っていた。

昨夜の残りの豆腐、小松菜、えのき茸の鍋に味噌を入れて味噌汁とし、茄子のオリーブ焼き、鯵の煮たのを焼き、牛肉と小松菜とブロッコリーの炒めもの、納豆を食べた。

妻が体調が悪く痛くて夜眠れなかったとのことで、東海大病院へ連れて行ってと言われたが、症状を聞くと多分膀胱炎と思われ、早く消炎剤と抗生物質を飲んだ方がいいから、大学病院で待たされるより直ぐに薬を処方してくれる掛かりつけの医者がいいと8時半に病院へ連れて行き、医者の見立ても膀胱炎であった。

娘のパートナーが明日からタイ出張で送別の昼食会をするので、昨夜から妻がポテトサラダを作っていたが、胡瓜が無いので買ってきてくれと頼まれていた。
JA湘南へ行き、無花果、菜花(今年は早い)、柿、小菊、蒟蒻を買い、わくわくへ廻り、胡瓜、花柚子を買った。

帰りに娘のところへ寄り、珈琲を飲みながらパッチャと遊び、パートナーと話しをした。
行き先はチェンマイ大学で作品展示をし、3週間の予定とのこと、昼に作るサラダの素材の菜っ葉4種類を持たされて帰って来た。


妻の具合が悪いので、娘に早めに家に来て料理を手伝うように言っておいたので、11時過ぎにやって来てサラダを作り出した。
4種類の葉物に柿、ラディッシュ、ベーコンを加えてドレッシングを作っていた。
料理はポテトサラダ、イベリコ豚のカツレット、叉焼、鶏のから揚げ、鯛の炊き込みご飯で、イタリアの樽熟成の白ワインと、チリのカベルネソーヴィニョンを開けて飲んだ、カツレットと白ワインは絶妙の組み合わせで、実に美味かったが喰いすぎた。
この白ワインは、友人が気に入ってイタリアから輸入しているもので、知らない産地だが2015年のワインは熟成して飲み頃になっていて、酸が綺麗で奥行きがあって美味かったなあ、無名の産地だが友人は舌が抜群によく、何時でも実に素晴らしいワインをチョイスする。
鯛の炊き込みご飯は、昨夜食べた鯛の開きの骨で出汁を取って、炊き上がったご飯に焼いた鯛をのせて蒸し、身をほぐして混ぜ、生姜の千切りをのせたものだが、これも美味かった。
最後は娘と二人だけになり、乾きもののつまみで地元ライムでモヒートを作って飲んだが、ミントをたっぷり使ったので美味かった。
娘は僕に性格が似ていて若いころは反発して何時も喧嘩をしていたが、近ごろは一番話が合うので、周りに人が居なくなり二人っきりになってしまうことが多い。

4時まで飲んで、下の息子と大磯方面へ酔い覚ましに散歩に出かけた。
もっとも飲みすぎていたんで酔いが覚めることはなかったが、この秋一番美しい夕日を眺めながら帰って来た。
夕飯はイベリコ豚のしゃぶしゃぶをやるというので、昼に豚肉と鶏肉を随分食べたので、口を変えるのに栃木黒毛和牛の肩ロースとロースの薄切りを買ってきた。


6時半に娘たちが「箱根路」純米をぶら下げて再びやって来た、牛肉なので友人が造った1996年のジュブレ・シャンベルタンを開けて用意しておいたので、それから飲み始めた。
黒毛和牛の肩ロースとロースはさすがに美味かったが、北海道の国産牛も甘みがあって美味かった。
娘が持参したイベリコ太の薄切りと、妻が買ってきた豚ロースの薄切りも口が変わって美味かった。
ホンビノスも娘が持って来て砂抜きをしてあったので、入れて食ったがこれもなかなかのもので、前夜ワイン蒸し煮して食べたより、貝が開いた瞬間に食べたので柔らかくて美味かった。
この貝は大きいので、煮すぎると身が堅くなってしまうので、目の前で調理し、開くのを観ながらすぐに食べるのがいい。
肉を丸一日喰っていたが、肉の後には白菜、モヤシ、葱、椎茸などの野菜もたっぷり入れて食べ、饂飩を食べて、最後は雑炊にした。
「箱根路」にはカマンベールチーズと無花果のジャムを合わせて飲んだが、この酒は重くなくバランスが取れていて、味わいがあり毎日飲んでも飽きないスタイルで、家族みんなが気に入っている。

明日の一番電車で羽田へ向かうとのことで、9時過ぎに娘たちは引き上げていった。
その後、一人でモヒートを飲んで余韻を楽しんでいたが、朝体調が悪くて心配した妻が、薬を飲んだら痛みもなくなり、もう大丈夫だと昼と夜の食事の準備をして後片づけをしてくれた。
女は強いなあと、片付けをする後姿を目で追っていた。

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肉の日

2018年10月30日 | Weblog
29日は「肉の日」で、大磯のヤオマサで肉を売り出しているのだが、以前僕が散歩がてらに行っていたときは、普段高額なイベリコ豚がこの日は半額になるので、そいつを買っていたのだが、ここ数か月、妻が肉料理に熱中しだし、この日を心待ちにして大量の肉を買い求めるようになっていた。

今日も朝から買い出しに行くと張り切っていたが、上の息子が車で釣に出かけて戻ってこない、仕方なく娘に頼んで車を出してもらうことにしたが、二人でそろって駐車場に行ったら、パートナーが車で上野まで出勤していて、仕方なく歩いて出かけたらしい。
途中から荷物を運びに自転車でヤオマサまで迎えに来いと電話があった。
ヤオマサまでは歩いて25分の距離で、自転車だと10分以内で行けるので、店に着いたら連絡してくれと電話を切った。
店に行ってみたら、まだ二人で肉のケースの前であれやこれややっていて時間がかかりそうだったので、魚売り場に行ってO君と話しをしていた。
魚売り場からは、タイの開きを3枚、東京湾で採れるホンビスとかいう外来種の貝を3袋、ウルメ鰯を1袋買ったようだ。
僕が肉を嫌がるから、魚も大量に買ってごまかそうとしているのが見え見えなんだよね。

レジで買った肉を眺めたら、イベリコ豚、鶏肉、豚ブロックなどがかご一杯にあり、保冷バックを持ったら手にずっしりと来たから多分10㎏以上はあったと思う。
妻は思う通り肉が買えたのでニコニコしていた。

先に家に帰って来て妻と娘が歩いて帰ってくるのを待っていたが、1時近くになっても帰って来なかった。
ようやく帰ってきたら、タイ料理の店に寄ったらしく、カレーやタイの総菜、ランチボックスのようなものをぶら下げていた。
野菜を切ったからと言われ台所へ行ったが、ハムとソーセージなども用意されていてカンパーニュでサンドイッチにして喰えという事らしい。
昨日の昼食べたので、喰いたくないと言って小松菜を多量に入れ、叉焼、支那竹、蒲鉾、葱で青菜そばを作って食べた。
こんなことなら最初から自分で作って食べておけばよかった。
食後にシュークリームとドーナツを食べた。

プレシネはポール・ニューマンとロバート・レッドフォードの「スティング」1973年米映画、コンゲームは日本では小林信彦が幾つかの小説を書いているが、詐欺というのは傍から眺めていると痛快である。
またしても途中眠ったようで、話の筋が追いきれなくなってしまった。
映画が終わり台所へ行くと妻と娘がちゃっかり最後まで観ていて、あのFBIは偽物だったのかと言われたが、中抜きで観ていたので答えられず、映画を真剣に観たいからと言って一日何にもしないでいるんじゃないのと嫌味を言われた。
バッカ野郎、男のやることに口を出すんじゃねえ!!と叫んだ、もちろん心の中でだ。


3時半に下の息子と大磯方面へ散歩に行き、月京から南へ歩き、葛川沿いを歩いていたら翡翠に出くわした。
この鳥に出会うと幸せな気分になる。
帰って来てから風呂に入り、二階で横になって「魔界転生」を読了した。
次に何を読もうか迷ったが、納戸の書棚から「甲賀忍法帖」と「伊賀忍法帖」の二冊を持ってきた。

娘がやって来て、湯豆腐、鯛の開き、ウルメ鰯のマリネ、イベリコ豚グリルに合わせ「高砂純米」を丸工房で入手したぐい吞みで呑んだ。
肉にはテキーラとカボスのカクテルを合わせた。
7時から「日本の名曲」をやっていて、声楽家の人達が歌謡曲を歌っているのだが、一緒に歌いながら飲んだ。
8時過ぎ2階に上がり読書を試みたが、直ぐに寝たようだ、4時前に目が覚め「甲賀忍法帖」を読んだ。
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うつわの日最終日

2018年10月29日 | Weblog
最近上の息子が毎晩釣りに出かけているが、馬入川で釣っていることが多いらし区、鱸、真鯒、鮃、キビレなどが釣れているらしい。
川の魚なのでリリースしているらしいが、鯊などは天婦羅にして喰っているので、食えないことはないと思う。
本人が釣った魚は、僕の口に入らないが、知人が釣った鮪、鰹、カワハギなどは美味しくいただいている。
今は鱸が群れで海岸を回遊する季節なので、国府津よりの海岸で平鱸をあげて、ぜひ食わしてほしいものだ。


昨日の朝は、自転車で大磯のうつわの日の会場を二か所回った。
城山公園裏の金龍寺近くの若手の陶芸家の作品は、やや高めの普段使いで、もう少し安かったら買っていたものが幾つかあったが、あの価格だと本当に気に入ったものでないと買う気がしない。
大磯警察署の南、大磯プリンスホテルの北の陶芸家は、10年前にて大磯に帰って来て、家に電気窯を置いて作陶をしているとのことだったが、いただいたプロフィールを見たら、大磯生まれで、名古屋のセラミックの会社に勤め、40代で陶芸教室に通い、定年後専門高校に通ったそうで、専門的な理論に裏打ちされた作品を作っているように思われた。
作品は完全に普段使いで価格も安いので、近所の若い主婦が皿を買い求めていた。
うつわの日だけに販売しているのではなく、何時でも購入できるとのことで、こういった窯が近くにあると要望を言えばある程度それをかなえた陶器を入手でき、良い生活が送れるなあと思った。
焼酎の湯割り用のカップと珈琲カップを買った。

昼前に帰ったら、妻が下の息子のバザーに出かけていて、昼よろしくとのメールが来ていた。
勝手に行きやがってと頭に来たが、好きなのを喰えると思いなおし、母の昼飯には無花果とプリンとバナナを出して、僕の方はカンパーニュがあったのでサンドイッチを作ることにした。
ベーコンとソーセージがあり、それをフライパンで焼き、サラダ菜、胡瓜、ラディッシュ、バタ、マスタードを焼いたカンパーニュに載せた。
買ってきたカップは牛乳とアールグレイに使った。
のんびりと中々いい食事になった。

飯が喰い終わらないうちに妻と息子が帰ってきて、てもう食べちゃったのと、ソース焼きそば、鯵のフライ、ドーナッツなどを持ってきて、これから飯にするという。
鮭グラタンを温め、朝の残りの味噌汁を温めてやった。


午後は「魔界転生」を読んだが、少し眠ったのかも知れない。

3時に下の息子に散歩に誘われ、また富士吉田の酒を買うかと北に向かって散歩をした。
葛川沿いをイオンまで歩き、考えてみればロピアも西友もJA湘南も全て葛川沿いにあるが、二宮から秦野にかけては葛川に沿って秦野街道が通り、そこに人が住み着いた。
祖父が経営した湘南軽便鉄道も、この秦名街道を通っていた。
葛川沿いには断続的ではあるが桜並木が続き、遊歩道が完備されているので、散歩はどうしてもここを通ることになる。

帰りに友人がやっているお菓子の森で母にモンブランを買った。
奥さんが店に居て10分ばかり近況を話した。


風呂に入り、買ってきた富士吉田の酒を燗して呑みだした。
鰺の煮つけとけんちん汁が魚だったが、昼に身体がおかしくなるんじゃないかと心配するほど飯を喰ったので、妻は晩飯は喰えないと2品しか料理を作らなかった。
とんでもないやつで、もう離婚すると言ったが全く効果が無かったね。
こういった言葉は多用しているとだんだん意味が薄れて行く、言葉が持つ宿命だが気を付けないと。

8時に二階に上がり本を読み始めたが、直ぐに眠ってしまった。
11時に目が覚めて2時間ばかり読書をしたが、また眠ったようだ。
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秋深まる

2018年10月28日 | Weblog
朝、JA湘南へ行き、無花果、小松菜、茄子、柿を買って帰り、下の息子と大磯方面へ散歩に出かけた。
途中、陶器の展示会場があり中を覗くと、中井で陶器を焼いている女性と、大磯在住で松本で木工をやっている人の作品があり、しばし話をした。

ヤオマサでカマスを買ったが、O君に拠れば今年いちばんサイズがよいとのことで、確かに夜焼いて食べてみたら食べでがあった。

昼は、昨日妻が作った肉団子煮に小松菜を入れスパゲティと絡めたものを食べた。
娘が作ったので、まあまあ美味かったが、味が何時もより濃かった。
川崎大師の葛餅をヤオマサで買ったのでそれをデザートに食べた。
幼いころ川崎に勤めていた父が良く土産に買ってきたので懐かしく、見かけると必ず購入しているが、昔の味と変わらず郷愁をそそる。


娘に一緒に陶器を観に行こうと誘われたが、朝の散歩で疲れたので二階で休んだ。
ここのところ昔の恋の後悔で思い悩んで良く眠れなかったが、久し振りに昼寝が出来て少し寝不足が解消された。
先日観た映画「めぐり逢い」で主人公の祖母が、私はここで昔の思い出に浸っていればいいが、あなたは今人生を謳歌しなければと言っていた。
僕もこのオバアサン同様、昔の思い出を反芻して楽しみ時に反省する、そういう時期に来ているんだと思う。
間違ったことを残りの時間でいささかでも修正することが出来るんだろうか。


夕方の散歩は北へ向かった。
風呂に入り、ビールを飲みだす。
茹で落花生、湯豆腐、カマスの塩焼き、鮭のグラタン、ミートボールの甘酢かけ、ブロッコリーが出てきた。
そのうち娘もやって来て、麦焼酎の湯割りを飲む。
乾きもので娘と8時半まで飲み、母の着替えを手伝って、9時から北川景子のドラマを観た。






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秋晴れの大磯

2018年10月27日 | Weblog
朝からいい天気になった。
今日は大磯で陶器市があり、一昨年買った丸工房のぐい吞みが使うほどに良くなってきたので、また幾つか買い求めたいと思い出かけた。
いいものは早く行って押さえないと無くなってしまうので、下の息子と娘も行きたいというので3人で開店に合わせて大磯に10時少し前に降り立った。
丸工房の出店場所は一昨年と同じなので、そこへ直行した。

前に買ったぐい吞みは、電気釜で焼いたのと穴窯で焼いたもので、2年使っているうちに電気釜の物は飽きて、穴窯のものばかり使うようになった。
今回、陶芸家の方にその旨伝え、30個ほどあった穴窯のぐい吞みを眺め、大きさ、色合い、持った感触など、これしかないなあというものが一発で見つけられたので、迷うことなく購入した。
お代は2,500円で、会計をやっている奥さんのところに持って行ったら、このぐい吞みを買われた方には、おまけがあると、電気釜で焼いたぐい吞みから一つ選んでくださいと言われ、松の葉を釉薬に使った杯型のものをいただいた。
娘はここで皿を1枚買った。

家に帰って来てから、さっそくお茶を淹れて呑み、夜は酒を飲んでみたが、手にしっとりと包み込まれ酒と器と僕が一体になったような喜びを感じた。
こういった酒器に巡り合うことは滅多にないことなので、つい羽目を外して呑みすぎた。

娘はさらに、鴫立庵の隣のギャラリーで愛甲で焼いているという作家の丼と角平皿2枚を購入したが、10,000円でおつりが来ていたようなので、なかなかいいセンスじゃないかと思った。
武蔵美を出てチェンマイ大学の大学院でテキスタイルをやっていたので、美的センスの点で親を見下しているところがあり癪に障るが、大したもんだなあと思うこともある、まあ時々だけど。
この作家のものはどれも面白く、価格も普段使いの価格を外れておらず、オバサン連中が買い求めていたが、こういった器に料理を盛って毎日食べていれば感性も磨かれると思う。
普段使いの物は絶対に好みに合ったいいものを選ぶべきだ。

メイン会場と言う「ほっこり」の二階に行ったが、陶器は好みのスタイルではなかったものの、「パン蔵」の展示場へ行くと粗品をくれるというので行ってみた。
ちなみに、「パン蔵」は駅前にあったのが、少し下った裏通りの奥まったところへ移転している。
朝方オーナーに会ったら、もう年だからのんびりやりたいので裏に引っ込んだと言っていたが、その気持ち分かるねえ。
まあ、そんなわけで「パン蔵」に行ってみたら、井上の蒲鉾が入った揚げパンをくれ、さっそく食べてみたがアツアツで美味かった。


パン蔵を出たところで息子が、海岸にある倶楽部へ行くというので別れて、娘と二人5軒ほど展示場を回り、12時近くになったのでリーさんのところでカンパーニュを買って帰ることにしたが、大行列で予定の12:12の電車には乗れず、12:24になってしまった。
先週の港での出店もすぐに完売していたが、相変わらずの人気だ。

妻が鶏ガラと野菜でスープを取って、叉焼麺を作り我々の帰りを待っているので、12時半に帰ると言っておいた帰宅が遅れてチョット焦った。
お昼はその叉焼麺を食べたが、醤油の量を多くしたので汁が辛くなり失敗した。
毎週1回は叉焼麺を喰わされるので完全に飽きているが、妻の叉焼の品質向上の熱意が失われておらず、次の肉塊も砂糖と蜂蜜に漬けられて冷蔵庫に眠っていた。
最近では最初に糖分を肉に入れ、その後醤油、大蒜、生姜、紹興酒、葱などのたれに付け込んでいる。


食後、プレシネ「めぐり逢い」1957年米映画を妻と娘と台所で観ていたが、珈琲を淹れてくれと頼んで母の居間へ移動したが珈琲は来なかった。
後で聞くと、二人で最後まで観ていて、ラストでは涙を流していたようだ。
僕は途中眠ってしまい、7月1日の約束の逢瀬のところを観のがしたが、最後の場面でケ―リー・グラントがデボラ・カーの部屋を訪れ、自分が描いた絵が奥の部屋に飾られているのを観て、感極まるところで思わず落涙してしまった。
一緒に観ていなくて良かったが、僕も最愛の人と別れる前に逢っていたら、結ばれていただろうなあとケーリー・グラントの勇気が無かったことをつくづく悔やんだ。

「魔界転生」上巻が読み終わり、下巻に行く前に西部邁の「歴史の復権」に少し目を通した。
下の息子が大磯から帰ってきており、早めに散歩に出ようと3時過ぎに北へ向かって散歩に出た。
折角ぐい吞みを買ったから酒を買って帰ることにして、何時もと違う売り場の酒を観たくて、イオン迄足を延ばし、息子が妻に呑ませたいからと富士吉田の酒を買った。

家に帰ると妻がハンバーグの煮込みを作っていたので、今夜は酒を呑むからと言って、湯豆腐、鰯のなめろう、ひじきの煮物などを出してもらった。
穴窯のぐい吞みを僕が、電気釜のを妻が使い酒を呑んだ。
しかし、妻が本気で呑んだので4合瓶は一瞬で終わってしまった。
テキーラをカボスとソーダで割って飲み、妻は梅酒をソーダ割で飲んでいたが、9時過ぎに忽然と「侘助」の大山地鶏炒飯が喰いたいと叫び出し、「新日本風土記」を最後まで観たかったので、娘に電話して連れて行ってくれないかと頼んだが、こんな遅くに誰もそんなもの喰いたくないと拒否され、まあ当然なのだが、しょうがねえなあ、卵焼き作ってくれたら10時に連れてってやると交換条件を出し、10時まで飲んでから出かけた。

大山地鶏炒飯をたのみ、二人で「神亀」の燗を畳鰯を肴で呑み、妻が炒飯を喰っている間は、ラフロイグをちびりちびりクリームチーズを肴に飲んだ。

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秦野の寿司屋

2018年10月26日 | Weblog
朝飯は、ピーマンと挽き肉の卵炒め、蕪の糠漬け、納豆、鮭汁。

JA湘南へ自転車で行き、無花果、水菜、ラディッシュを買う。
娘のところで珈琲を飲みながらパッチャと遊ぶ、娘のところへきて2週間以上になり、よく食べるのでずいぶん大きくなったし太った。
午後病院で体重を測ったら2.2㎏あったとのこと、ちなみにマルは4.8㎏だったらしい。

秦野の寿司屋「千松」で妻と娘に奢ることになっているので、車で秦野へ行き、昼飯の前にJA秦野の「じばさんず」で野菜などを買い、BOへ行き西部邁「歴史の復権」東洋経済新聞社 1994年を購入、娘は川上弘美とレビ・ストゥロース「悲しき熱帯」を買っていた。
妻はどこかで失くしてしまったマンガを買っていた。

「千松」は住宅街の中にある寿司屋でJA湘南のKさんから、二宮の「三条寿司」で働いてた人が出した店だと聞いていた。
立派な作りの店で、入って右がカウンターで左がテーブル席になっていたが、何処の寿司屋もそうであるが、客は一人もおらず、左の部屋は暗かった。
カウンターに並んで座り、僕がちらし中1,600円、娘が握り中1,600円、妻が握り上1,900円をたのみ、白笹つつみを2合漬けてもらい、帰りの運転を妻に任せて娘と二人で呑んだ。
烏賊のゲソを茹でたのが出てきたので、そいつを摘まみながら呑んだ。
鮨は三条と同じく種がでかく、鮪はオーストラリアのメバチの冷凍だとのことで、三崎から仕入れていた。
本マグロの良いのを使ったらこの価格で出来ないし、それでなくても客が少なくなっているのに、高くしたら誰も来なくなってしまうから当然だろう。
ちらしには、鮪赤身、中トロ、玉子、小肌、蒲鉾、白身、海老、烏賊、奈良漬け、生姜が入っていた。
妻はお嬢様で義父が寿司好きで何時も近所の寿司屋で喰わせていたらしく、寿司が大好きで特にイクラが好きだ。
上握りにはイクラが入っていたので頼んだが、結局1人前では足りず巻物を後から頼んだりしたので、何を頼んでも同じような気がする。
僕はツーファーになってからは、イクラ、雲丹、数の子などが喰えないので、たいがい並みを喰っている。
シャリは酢が利いていて好みであったし、親方と随分話をして面白かった。
結婚前は駅前の「末廣」へ行っていたが、結婚してからは車が止められたので「三条」でよく食べたが、親方が秦野で独立したのは1987年で、ちょうど結婚した年なので、「三条」時代に握った鮨を食べてはいないことになる。

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25年振りの電話

2018年10月25日 | Weblog
早朝読書は半分眠りながらなので余り先へ進まないが、4時間程度は毎朝読むのでそこそこに読めている。
しかも、今朝からは楽しみにとっておいた山田風太郎の小説なので、なるべくゆっくり読むことにしている。
私小説の面白さと味わいも格別だが、ストーリーテラーの展開の妙は、ただただ作者に身を任せているだけで遠い所まで連れて行ってくれるから全く別の面白さだ。
自分で揃えたものと、海外へ移住した友人が置いて行ってくれた風太郎本が100冊近くあるので当分は楽しめる。

7時前に起きて雨戸を開けて、風呂に入り、朝飯を作る。
今朝は、昨夜の残りの鮭汁を温め、焼売、小松菜とブロッコリーと豚肉牛肉の卵炒め、納豆を食べた。


JA湘南へ自転車で行こうとしたら、下の息子が散歩に行きたそうなので、一緒に歩いてゆくことにした。
顔見知りの女性に、今日は遅いわね、Kさんが待っていたわよと言われた。
無花果、ピーマン、椎茸を買った。
ワクワクへまわり、胡瓜、春菊、薩摩揚、糠を買った。

中里口から吾妻山へ上り、展望台から曇っていたのに3分ほど冠雪した富士山が観えた。
相模灘は割と穏やかで釣り船が多く出ていた。
帰りにパートナーが風邪で臥せっているとのことで、娘のところへ見舞いに寄ったが、大したことなさそうだった。


昼は飯がたくさん残っているので、チキンライス、オムライス、炒飯のどれがいいと妻が言うので、脂っこいのは嫌だなといって雑炊にしてもらった。
椎茸、からし菜、大根菜を入れた雑炊を、葉唐辛子昆布、この夏漬けた梅干し、娘が作った2種の生姜の佃煮で食べた。
たまに食べると雑炊も美味い。
食後にオネエサンのところのあんぱんを食べた。


プレシネは市川崑監督「どら平太」2000年で、昨年観ているので2回目だったが、脇を固めた大瀧秀治、加藤武、本田専太郎などが良い。
映画の途中で、古い知り合いから電話がかかって来て25分中断した。
37年前の会社の同僚で元カノではないのが残念だったが、25年前に最後に会ったきりになっていて、直接会って話しておきたいことがあり、先ずは連絡が取れたので凄く嬉しかった。

「魔界転生」を読み、4時半に散歩に出る。
夕暮れが迫っていたので、大磯方面へ小一時間歩いた。

家に帰り風呂に入って汗を流し、晩飯を食べる。
上の息子が知人からもらってきた、三浦半島沖で釣ったカワハギを刺身と鍋にして食べた。
そうなるとどうしても酒を漬けて呑み始めることになり、何故か妻も呑むと言い出し、瞬く間に4合ほどあった酒が無くなる。
カボスを絞り、テキーラとソーダで飲む。
フランスの有機ビールを冷蔵庫に入れてあると妻に言われ飲んだが、よく熟成して絶品だった。
若いころはオレンジのような柑橘系の風味だったが、蜂蜜の風味に変わっていた。
酒が無くなったので、妻がCVSで酒とビールとつまみを買ってきた。
続けてビールを飲もうかと思ったら、妻がビールを飲んでしまい、急に飲みに行こうと誘われた。

駅前の「侘助」で埼玉の「神亀」をぬる燗にしてもらい、鮪の刺身、レバ、ヤゲン、ぼんぼち、モモ肉を焼いてもらい呑んだが、直ぐに2本目となり」、クリームチーズと酒盗を畳鰯に載せて肴にした。
止めろと言ったにもかかわらず大山鳥の炒飯を妻が注文し食べた。
これ以上太ったら離婚するぞという警告を完全に無視している。
本気であるのを分からせるにはどうすればいいのだろう。

月が見事だった。

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釣魚名著シリーズ

2018年10月24日 | Weblog
昼の雉焼き丼は娘が錦糸卵を焼き、海苔を切って、炊きあがった飯の上にちらし、鶏のもも肉をつけ焼きして最後に載せて完成したが、手間暇をかけたのでかなり美味かった。
久し振りに蜂蜜ヨーグルトを食べて居間に移動した。

プレシネは昨日に続き鈴木清順監督の「東京流れ者」1996年日活で、渡哲也主演、渡を狙う殺し屋が川地民夫、渡を助ける流れ者に二谷英明、渡の恋人が松原智恵子、ストーリーはありきたりのものだが、映像が鈴木清順独特なんだろうね「けんかえれじい」と似ていた。
川地民夫は逗子にスナックを持っていて、知人が親しく3年ほど前に美人二人を連れて一緒に呑んだがご機嫌だった。
去年かなあ亡くなられた。
二谷英明は顔が渋くて最も好きな日活の俳優だ。
松原智恵子は若いころはふっくらしていたんだなあと、後年のやせぎすな感じとは違っていて意外だった。
ちあきなおみの亭主だった郷暎治も出ていた。

平塚へ本を眺めに出かけたが、慌てて出たのでSuicaとカードを忘れてしまった。
さくら書店で新刊を見たが、文庫で新しく出ていたのが中公で、井伏鱒二の本に興味があったが、先日の古書販売でやっと15冊が売れただけなので自重した。
そうなると岩波新書の武蔵野についての新刊も行動の慣性に拠り自重した。

オネエサンのところへ久し振りに言ったら、ほとんどパンが売り切れていて、白、こし、粒の3種のアンパンを買った。
相変わらず元気で、5分ほど話をして別れた。

昔、日ごろからお世話になっていた父と父の同級生を奢ったことがあり、最後に横浜の行きつけの寿司屋の職人だった人の細君がやっていたスナックでカラオケを歌ったが、先日名刺の整理をしていたらその店が出てきて、その場所へ行ってみた。
だいたいの場所は分かっていたが、今では店が変わりはっきりしなかったのだが、やっぱりここだったかと20年の時を思った。
向かいに寿司屋、少し先に焼き鳥屋があり人気だ。

BOで小一時間本を見たが、星ものが無く諦めかけて単行本の高額な所を見ていたら、二見書房の釣魚名著シリーズが纏めて6冊あり、さすがに自重する気持ちはなく、山本素石「釣山河」昭和50年初版 昭和55年8刷、佐藤垢石「垢石釣游記」昭和52年初版 昭和55年4刷、滝井孝作「釣の楽しみ」昭和50年初版 昭和54年6刷の3冊を慎重に選んで買った。
昭和30年に1,600円は布張り箱入りとはいえ高価で、好事家しか買わないシリーズで、しかも版を重ねているから、高尚な趣味である釣をやっていた人が今より多かったのかも知れない。

平塚から帰ってくると妻が先日大量に買った挽肉で焼売を作っていた。
多分大振りのものを100個は作るだろう。
幾つかの料理は熱中して面倒をいとわずに作っているが、焼売は飽きたから肉まんを作ってくれと言うと、小麦粉にイーストを入れ半日醗酵させるのが手間なので嫌だという。
娘は去年中之条で肉まんを作っていたので、それじゃあ皮はオレが作ると言ったので、もう少し寒くなったらやってもらおうと思う。

晩飯は鰺と胡瓜の酢の物、大根と鮭人参と鮭と馬鈴薯の鮭汁だったので、酢鰺には酒を燗して呑み、焼売には紹興酒を燗して呑んだ。
7時半から母と一緒に「イッピン」を観て、その後観たい番組も無いので、2階に上がり横になって「魔界転生」を読み始めたが、数ページ読まずに寝てしまった。
途中一度起きたが、1時半に目を覚まし、続きを朝まで読んだ。
山田風太郎の小説は老後の楽しみに読まずにとっておいたが、忍法シリーズや明治ものなど滅法面白いことが分かっている。
最近飲みすぎのせいで頭がぼーっとしていて先が短いんじゃないかと思い読み始めたが、既に「魔界転生」の世界にどっぷり浸かっている。



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雉焼き丼

2018年10月23日 | Weblog
昨日までの秋晴れから一転、どんよりした曇り空で肌寒い朝となった。
昨夜は11時過ぎまでプレミアムシネマを観ていたので、もっとも居眠りしながらだが、零時前には寝たのだと思う、今朝は4時過ぎに目が覚めた。
久し振りにまともな時間まで眠れ、「花と龍」の最後のところを読み、上下巻読了してしまった。
火野葦平が両親について書いた小説で、若松という川筋気質が強い、前近代社会で暴力を避けて生き抜いた意志の強い二人の半生が描かれている。
惚れた女とだからやって来れたんだろうなと羨ましい。
主人公に思いを寄せる別の女の命を懸けた恋も凄いもので、男というものはそこまで惚れられると、その記憶だけで一生生きて行けるもんなんだよなあ。
恋女房がいて、さらに命の限り惚れてくれる女がいるんだから、男冥利に尽きるってやつで、何事かを成し遂げる男ってのはそういう女が必ずいる。


朝7時に起きて、雨戸、風呂、朝飯と何時ものようにお題をこなした。
朝飯は、昨夜の鶏団子と春様野菜スープに小松菜と豆腐を入れ、小松菜と蕪の挽肉卵炒め、茄子の糠漬け、鰤の照り焼き。

JA湘南へ自転車を飛ばしたが、長袖長ズボンだったが寒かった。
無花果、大根、椎茸を買った。

帰りに娘のところへ寄り珈琲を飲みながらパッチャと遊ぶ。
今日の珈琲は酸味が強く好みだったが、ステンレスサイフォンで淹れたからとのことだ。

妻と下の息子が平塚の医者へ出かけたので、帰りに彼らは好きなものを外で食べるので昼飯を考えないといけない。
昼、娘と雉焼き丼を作って食べることにしたので、米を2合洗い笊で水切りして炊き、残っていた鰻のたれ、本返し、水あめ、酒、醤油を配合してたれを作った。
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メアジと真鰺

2018年10月23日 | Weblog
ここのところ寝不足のせいか、飲みすぎのせいか頭がぼーっとしていてすっきりしない。
今朝も3時に起きて「花と龍」を読んでいるが、どことなく頭がぼんやりしている。

何時もより早く7時に起きて、雨戸を開け、風呂に入り、朝飯を作った。
南瓜と薩摩芋の味噌汁、鰤の照り焼き、胡瓜の糠漬け、納豆。

JA湘南へ自転車で行く、往きは秦野街道を北上するのでずっと登りとなり多少の運動になる、その代わり帰りはほとんど運動にならないが、爽快ではある。
やけに早くついて、農家の人達が後からやって来て商品を並べていたが、馬鈴薯、柿、小松菜、蕪を買った。
Kさんとしばし話をし、娘のところに寄って珈琲を飲みながら、パッチャと遊ぶ。

十三夜のお月見の後、家に入って飲みなおしたが、その折妻がパッチャを追いかけ回し、強引に捕まえて抱き上げたが、パッチャは抱かれるのが好きらしく、いったん胸に抱かれると気持ちよさそうにしていた。
妻は愛おし気に撫でたり摩ったりしていたが、娘が生まれた時に直ぐに胸に抱いて愛おし気にしていた様子を思い出した。
やっぱり女なんだなあ、僕はそんなふうに出来ない。

2階のベッドで読書をした。
昼は、昨夜夜遅く妻がトマトとセロリーを煮てソースを作ってあたので、スパゲティにすることになっていた。
娘にからし菜と柿のサラダを作るように、早めに来いよと言っておいたが、妻が白菜、レタス、キュウリなどでサラダの準備をしており、サラダ菜と柿を加えてもらった。
塩と香辛料、カボス、オリーブオイルを振りかけて混ぜておいた。
娘が粉チーズを作る機械と庭からバジルを持ってきたので、パスタのほうを作らせた。
ソースには牛挽肉、数種類の香辛料、庭から月桂樹を取ってきたり、ナツメグを摩っていれ、最後に小松菜を混ぜた。
サラダは大したことなかったが、パスタはかなり美味かった。


アールグレイを持って母の居間へ移動してプレシネ「けんかえれじい」を観た。
破綻していて面白くなかったが、脚本の新藤兼人は僕の作品じゃないと言っているらしく、鈴木清順の思い付きの演出が良くなかった。
浅野順子はどこかで観たことがある女優だと思っていたが、大橋巨泉の奥さんだったことを思い出した。
若いころの松尾嘉代綺麗だったんだな。


平塚へ出かけようかと思ったが、「花と龍」が面白くて2階で横になって読んだ。
3時半に下の息子が帰って来たので一緒に散歩に出かけた。
最近は午前中に買い物を兼ねて散歩をしなくなったので、手ぶらで経路を換えて歩いている。
でも基本的には大磯方面で車の通らない小道を選んで歩いている。

妻が午前中ヤオマサに行き、大量の肉と魚を買ってきた。
娘がそれを見て呆れていたが、年金収入しかないのでエンゲル係数は鰻登りだ、貯金を切り崩してやっているが、この間妻と外へ飲みに行った時、恐ろしいことに残高を聞いてしまった。
妻がシャネルやラルフローレンなどを買いあさっていたのは知っているが、まさかここまで使ってしまったとはねえ、この調子だとあと3年で0になる。
お嬢様で今までカネの心配をしたことが無かったが、さすがにここへきてちょっと心配をしているようだ、ざまあみろって気分だ。

ちなみに魚は、メアジ5尾、真鯵15尾で、メアジは全部、真鰺は半量刺身にしたが、先ずはものすごい量だった。
メアジはシマは鰺に似た身の質で美味かった。
鯵は何時もの味わいだったが、両方とも朝獲れたもので鮮度が良かった。
頭がぼーっとするので酒を控える予定であったが、刺身を前にして純米酒を湯飲みに入れて電子レンジで燗をして呑んでしまった。
刺身を取りに来た娘が、せっかくだからここで食べると言って刺身を摘まみ、酒を呑んだのもいけなかった。
鳥肉団子と春雨野菜スープ、鰤の照り焼きもいい肴になった。

9時から「追跡者」を観たが、英語が聞き取りにくかったのと、「逃亡者」の変奏曲のようで面白くなく、それに酔いのせいで半分眠っていたせいもあったろう。
いつの間にか終わっていた。




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