キュヴェ タカ/cuvee taka 「酔哲湘南日記」

新鮮な山海の恵みを肴に酒を吞み、読書、映画・音楽鑑賞、散歩と湘南スローライフを愉しんでいる。 

魚を買う

2017年11月30日 | Weblog
昨夜は疲れていたので9時頃に眠っちゃったのかなあ、目が覚めたのが2時45分で携帯で書き物をして、西部邁と佐高信の対談集を読んだ。
田中角栄に対する評価は二人とも悪くなく、ある意味教養がないので、演説の原稿を書いてあげたら名演説として後世に残ったろうなあと二人して話していたが、ひじょうに気配りがあり、政治家としての言葉を持っていたと評価している。
アメリカに逆らって失脚させられたが、日本を愛した政治家に対し、金権政治との批判をした立花隆などのような幼い知性の持ち主が知の巨人などとおだてられる日本のマスコミの見識は使い物にならない、鳩山一郎、石橋湛山など日本の真の独立を思った政治家を讃え、小泉や安倍などのアメリカの傀儡を切って捨てるだけの見識が欲しい。

5時にお寺の鐘を聴く、右足首の痛風の箇所が痛む。
押井守を読んでいたら、酒が痛風には良くないと書いてあったが、思えば40半ばから酒をのみだし、10年呑み続けた時に痛みが出てきた。
一般的にはビールがプリン体を多く含むので良くないと言われついるが、旨味が濃縮されているものも駄目だと言われている。
そうなると旨味がある酒と肴の組み合わせは一番悪いことになる。
医者や薬剤師になった同級の女連中は「高橋君ビールを飲まなきゃいいってもんじゃないのよ、酒全般が駄目なんだからね」とクラス会の度にやけに嬉しそうに忠告してくれるが、くそくらえと思っていられるのもそう長くなさそうだ。

朝方何となく寝たようで7:35に目が覚めて素早く起きる。
雨戸を開けて風呂に入っている間に、ヘルパーさんが来て母の着替えをして起こしてくれているので、大慌てでお粥を温め、薩摩揚とシシャモを焼き、美味菜の味噌汁を作り、無花果の皮をむいて居間へもって行く。
薩摩揚、メカジキのバター焼き、味噌汁、モツとキャベツ煮で朝飯を食べる。

10時の散歩は下の息子が久し振りに随行して、葛川沿いを下流に向かい、途中から針路を北に取り杉山のバアサンのところへ行き、母屋で炬燵に入っていたバアサンに店まで出てもらい絹ごし豆腐2丁を買う。
今日は息子が豆腐作りを失敗して柔らかくなったとのことだ、まあそういう日もあるだろう。

ヤオマサに行くと魚の担当者が待ち構えていて、キハダ鮪のカマと大トロの柵を持って来てくれたので買い求める。
夜、友人が中之条からやってくるので魚を喰わせろと言って娘が出かけたので、鰺を買いなめろうにしてバケットの薄切りをカリカリに焼いたのに塗って食べるように鰺を買う。
中之条では彼女がいた合宿所に泊めてもらっていたので酒が好きでワインに目がないことを知っているのでこのメニューにした。
大磯のリーさんのところにバケットを買いに行くか、山下に行くかで迷ったが、歩いて行って帰れる山下にした。
バケット2本、ソーセージとベーコン入りのワインのつまみにいいパンを買った。

昼、オムライスとスープ、紅茶、柿、蜂蜜ヨーグルト。

プレミアムシネマは「The Cassandra Ⅽrossinng」1976年 英・伊合作
ジュネーブ発ストックホルム行きの列車に最近の研究機関を襲い肺ペストに感染して逃亡したテロリストが乗り込むが、この不治の感染症を封じ込める物語。
乗り合わせた名医チェンバレン(リチャード・ハリス)と元妻ジェニファー(ソフィア・ローレン)らの活躍により、感染が収束に向かい、隔離のために行き先をポーランドに変更したために廃線を通り老朽化した橋を渡る寸前で車両を切り離し後部車両を止めることに成功した。
ソフィア・ローレンが顔と身体の造作が大きくて圧倒されるけど際立って綺麗だった
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日常生活に戻る

2017年11月30日 | Weblog
久し振りに自転車でJA湘南へ行く、無花果、蜜柑、小松菜とチンゲン菜のF1美味菜を買う。
散歩で葛川沿いを下流に向かいヤオマサに行く、休市日なので魚は期待していなかったが、29日は肉の日でイベリコ豚を安く売っていたので買い、冷凍饂飩、蒲鉾、落花生を買った。

杉山に行ったら玄関でバアサンが2人のオバサンと喋っていて、転んで手を10針縫ったので様子を見に来た親戚の人だった。
息子に店に出るなと止められていて家のほうにいたようだ。
それでも顔を見たらニコニコして店に出て豆腐を売ってくれた。
転んだときにはずいぶんと痛かったようだが、今は痛みもなく月曜に抜糸をするとのこと。

昼は妻が病院に母の診断書を取りに行くので、何か作ってとのことで、カレー饂飩を作った。
オールフリーの景品でもらったカレールー2袋、市販のルー2分の1箱、煮干と昆布出汁、エリンギ、葱、蒲鉾、豚ロース2枚で作ったが、ルーを入れすぎ濃くなってしまいあわてたが、湯がいた饂飩の水分で薄まり、ちょうどよい濃さになって美味かった。
食後にフルーツケーキと蜂蜜ヨーグルト。

プレシネも久し振りで「グレムリン2」を観たが、眠くなり半分は寝ていたようだ。
ネズミみたいな生き物が出てきて大騒ぎするのだが可愛かった。
繁殖したネズミがミュージカルをやる場面は流石にハリウッドは凄いなあと思った。
途中で何故かハルクホーガンが出てきたが、後年ビンスマクマホンJRのWWFで大スターになったのだが
猪木の新日本に出ていた若僧のイメージが強く、こんな昔の映画、確か1990年か91年に出ていて、ただただ時の移ろいの速さに愕然とするばかりだった。

2階に上がってベッドに横になり日向ぼっこをする。読書をしようとしたが集中できず、YouTubeで伊藤貫の動画を観るというか聞いた。
相手は水島総でこの二人で米国の日本に対する本音を話してるので、一般のTVに出ている、ご用評論家とタレントがいい加減な嘘話で時間潰しをしている番組とはまるっきり違う。
閲覧回数が7万回なので、本当の日米関係を知っている人がいかに少ないかが分かる。
別の見方をすれば、いかに新聞やTVによるマスコミが嘘話を撒き散らし根拠のない世論形成をしているかが分かる。
はたして戦前戦中の全体主義を批判するだけのコモンセンスが現代にあるのか?
まあ今TVでは日馬富士の暴行問題で持ちきりで、一億総白痴化が60年も続いて、ついに日本人の脳は腐ってしまったようだけどね。
この間のASEANでもトランプが南沙諸島の話を出さなかったが、既に中国の国力と軍事力は米を凌駕していて、2030年にはGDPが米の倍になり巨大国家となる、その時に日本の生きる道はあるのだろうか。
未だ生きていそうだから、母国の衰退を観て死んで行くのは忍びない。

晩飯に呼ばれ、湯豆腐、モツキャベツ煮、カジキバター焼き、落花生を肴に「箱根山」純米を冷やで呑む。
この酒は夏前に瓶詰めされたためか薄い黄金色をしていて、バランスがよく落ち着いた味わいで実に美味い。
店頭で秋上がりをした酒のようだが、あと1本店頭にあるので買っておこうかなと思う。
2合ほど呑んだが、深酒が続いたのでよく効いて酔ったね。
デザートに酔い醒ましにもなる柿を食べた。

水曜日は7時のニュースを観ると後は観るべきTV番組がない。
2階へ上がって本を読むが集中できず、チェスタトン、西部邁、小池昌代いずれも直ぐに放り出してしまった。
疲れているのだろう、こんなときは音楽なんだけど、オーディオが隣の息子の部屋なのでベッドを抜け出して行くのが面倒だ。
数年前まではスマホで聴いていたが、イヤホンで聴くのが嫌で何処かへやってしまった。
新たに音楽が聴ける環境を作らないといけないなあと思いながらそれっきりになっている。
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旅の後は疲れる

2017年11月29日 | Weblog
湯本と久野の旅から帰り、かなり疲れてベッドで横になっていたが、6時を過ぎて晩飯に呼ばれた。
つい先日食べたモツの煮込みがまたあったが、最近は脂のある白モツを使うので好みでない。
鯵の塩焼きさつま揚げを食べて、食後はフルーツケーキと柿。

母の居間でテレビを観る。
「イッピン」は仙台ガラスで、職人の工夫と技を見るのは楽しい。
いい仕事をしている人はいい顔をしている。
「世界町歩き」はコスタリカのサンホセだったが、この国は軍隊を持たないのを知って以外だった。
「アナザーストーリーズ」はゾンビだったが、名前は聞いたことがあったが、初めてどんなものか分かった。
特殊メイクを担当した人がベトナムに従軍カメラマンで参戦したが惨状を目にして精神を病み、帰国後も何年もそこから抜け出せず、突き動かされる衝動で作品を作っていった。
臆病なのでホラーは嫌いなのだが、後年ゾンビと呼ばれる作品の第1作は1968年に製作されていて、この年は若者にとって社会にNOを声高に叫び挫折した転機となった年で、映画製作の動機にには痛烈な社会批判があるのを知った。

10時過ぎに寝て5時前までぐっすりと眠った。
5時のお寺の鐘を聴きチェスタトンを読み出す。
3作読んだがこの人の思考方に少し馴れてきたが、まだ作品を楽しむところまでいかない。

6時半に起き出して風呂に入り、朝飯を食べる。
さつま揚げ2種、胡瓜の糠漬け、薩摩芋の味噌汁、モツ大根人参蒟蒻煮。

朝から日が当たり小春日和の一日になりそうだ。
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箱根湯本に泊まる

2017年11月28日 | Weblog
松本から大学時代の友人が車でやって来て、彼が作った無農薬米と蕎麦を持ってきてくれた。
そのまま友人の車で西湘バイパスを通り小田原の「だるま」迄行き千葉から来た友人と会い昼を食べた。
川崎長太郎が食べていたチラシを食べてみたが、蒲鉾、なると、煮椎茸、卵焼き、鮪赤身、小肌などが好みの男飯の上に乗り中々美味かった。
ただし椀ものが付かなかった。
小田原城へ行き、歴史館、常盤木門、天守閣を観て回ったが、早雲は韮崎城に居て小田原城を攻めて氏綱が居城とし、氏康、氏政、氏直と版図を広げといったようだ。
四公六民の善政を行い、総構えの城作りは他の大名の倣うところとなったようだ。
湯本の「祥月」に一泊したが、河鹿荘の川向かいで層雲寺の一軒置いた並びで、露天風呂が広くてよかった。
晩飯は和洋折衷で、前菜は少量多種、デザート10種が特徴で酒は龍勢純米、純米大吟醸、箱根山、モトックスのムスカデを飲む。
部屋に帰り近所のCVSで賀茂鶴純米を買って来て呑み、零時まで3人であれこれ話をした。

朝、温泉に入り、飯を食い、早雲寺、白山神社を散歩した。

箱根板橋で花と線香を買い求め、小田原駅で京都から来た友人を拾い久野に眠る友人の墓参りに行った。
未亡人と墓前で小一時間近況や友人の生前の事などを話し、町へ降りてきて「魚隆」で刺身定食を食べ亀齢の純米を呑む。

皆と小田原駅前で別れ、京都の友人と新幹線の時間まで珈琲を飲みながら話をしたが、トンボ返りでわざわざ墓参にやって来てくれて有り難かった。

友人を送り、駅ビルの有隣堂で本を観たが、創元推理文庫のチェスタトンのブラウン神父の本が揃っていて「ブラウン神父の知恵」を買う。

家に帰ってきて母の顔を観たが、TVでは相変わらず日馬富士の暴行事件について、タレントがああだこうだとやっていて、大宅壮一の一億総白痴化の嘆きは50年経っても全く変わることなく続いている。

ソファに座っている内にうたた寝をして、2階に上がってベッドに横になったら疲れが一気に出てきて身体がベッドに沈み込むようだ。
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吾妻山

2017年11月27日 | Weblog
昨夜は充分な睡眠を取らなかったが、どうにか1日持った。

朝飯はホッケの干物、さつま揚げ、蕪の味噌汁。

曇り空だったが雨の心配はなく、吾妻山に登った。
頂上の見晴らしは曇り空を反映して海が暗かったけれども、山々はくっきりとしていて、雪を被った富士山も見事であった。
1月の菜の花祭りに植えられた苗はまだ30㎝ほどだが、青々として葉が厚く照りがあって健康そうであったので12月月中旬には見事な花を咲かすであろう。
緑の葉に黄の花、青い空と海、白い富士山の彩りが鮮やかで美しい。
風が強かったが、思ったよりたくさんの家族連れが来ていてシートを広げていて、子供たちが小さかった頃に良く弁当を作ってここで過したことを思い出した。
今日は老人の散歩コースとして中里から登り、二宮駅裏に下りた。

昼は妻がヒレカツ、ロースカツ、ソーセージフライを揚げていて、味噌汁は玉葱と馬鈴薯、食後に蜂蜜ヨーグルトを食べた。
揚げ物の付け合わせのキャベツ、人参、胡瓜の千切りにライムを絞ってかけたら、もったいないからレモンを使えと思わぬことで娘にたしなめられた。
青いレモンかと思って使ったが、どうりで爽やかないい香りがした。
だが、この寒さじゃライムを使ったカクテルは飲む気がしないだろ。

午後はベッドで日向ぼっこをしながら西部邁「大衆への反逆」を読み始める。
単行本としては1983年文藝春秋で出された本で、まだ飛ばし読みをしただけであるが、基本的な論調は今と変りがなく、よく一貫して同じことを訴え続けていると評価されているが、その通りだなあと思った。

4時から相撲を観る。
もう優勝が決まってるからと、正面北の富士、向こう正面舞の海のゴールデンコンビでの脱線した掛け合いが炸裂して面白かった。
しかし大関1人横綱1人とは今年最後の場所があまりにも貧相だ、40回も優勝する横綱がいると若いものが育っても弾き返されて時代を築くことができないからこういったことになるんだが、大人物が出たときは繁栄するが、その後衰退する歴史のありようが分かるね。

風呂に入り2階でベッドにひっくり返りゆったり過ごしていると晩飯だと呼ばれる。
階下に行くと「箱根山」を買ったので、えりちゃんに呑ませてあげてと妻がいつになく殊勝なことを言う。
小生危険を察知し、ビクビクしながら燗につけ、妻、娘、私の猪口に酒を注ぎ呑み始めるも、ヤバイ雰囲気はなく気分よく杯を重ねる。
娘が平塚のパン屋nicoからバケットを買ってきていて、ワインは無いのかと言うので、南仏の赤を開けたが、軽くて味わいがあり美味い。
ワインを飲み始めたので酒派の妻は息子を連れて夜の散歩に出たが、つでにつまみを頼む。
そのつまみが到着した頃にはワインが空になりコニャックを飲んでいた。
結局毎晩飲んでいささか疲れたが、明日は大学時代の親しい友人と湯本に泊まり、翌日亡くなった同級生の墓参に行く予定だ。
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平塚へ行く

2017年11月26日 | Weblog
今朝は途中に一度目が覚めたが7時半までたっぷりと眠った。
お陰で多少呑みすぎた昨夜の酔いの残りもなく、小春日和をスッキリした気分で味わっている。
しかし、いい天気になった、これだから湘南を離れられない。
15年ほど前にフランスから仕事先の知人がやって来て、海岸段丘の上に建つフレンチでランチを共にしたが、12月の春というよりは夏のような天気に驚いていた。
まさにインディアンサマーだった。
つい先日散歩の途中で、かつてあったフレンチの廃屋を見たが、二宮で長尾シェフが営業したのはほんの10年のことであった。
シャトーダレムのブリジットとミッシェル、カスターニョのダニエル、娘がパリにいるの叔父夫妻、上の息子の成人祝いなどで料理とワインを楽しんだのが夢のようだ。
今も都内に移転して店を続けているらしいが、訪ねたことはない。
一期一会とはよく言ったものだが、人生の冬を迎えると寂しいもので時に小春日和があって欲しいね。

朝飯はカマスの干物、ボロニアソーセージ、キュウリの糠漬け、野菜ポタージュスープ。

娘がチャリでバイトに出掛けたので、JA湘南に行けず朝日が差し込むベッドにひっくり返り、わずかな時間小池昌代の「井戸のそこに落ちた星」を拾い読みした。
新鮮な言葉と表現に出合い朝の爽快さがいやましになり、頭と精神がピリッとする。
男の文章では味わえないよさが女の文章にはあり、敵わないなあと思う。
あまり長く読んでいると強い刺激に完全にノックアウトされるからそろそろ散歩に出よう。

散歩に出たはいいが、財布を忘れて出てしまった。
だが戻るのも面倒なのでそのまま歩いて、先ずは海に出て吃驚した。
西湘バイパスにくっついて土手のようになっていた山土の塊がすっかりなくなっていて、海の高さに砂浜が広がっている、この間の台風でそっくり浚って行ってしまったのだ。
ザマアミロッテンダという気分が込み上げてきて思わず笑った。
国土交通省のアホが8年ほど前に台風で浚われた砂浜に驚き、波消しブロックと山土を盛り上げ砂浜を消失させ海岸を台無しにしたのだ。
その波消しブロックが渚と西湘バイパスの中間辺りに残ってはいるが、来るべき台風で沖へ流されるか砂に埋没するだろう。
波は割りと高く、青々とした海の向こうに大島が見え、右の真鶴、伊豆半島、左の三浦、房総半島に囲まれるように遊漁船が相模湾に浮かんでいた。絶景かな。
東へ少し歩くと鱚釣師何人かと遭遇したが、どうも釣れていそうになかった。

右のポケットにある小銭を調べてみると618円あったので豆腐と野菜か、魚を買うことにして、ゴルフ場脇から陸に上がり、さらに不動川と東海道が交わるところまで東に歩き、50年前に中丸のバス停から祖母と一緒に公民館裏の祖母の家に歩いた道をたどった。
失われた時間は戻らないが、記憶とその時の感情は戻すことが出来る。
途中で農家が野菜を出していたので里芋を買う。
残518円。
ヤオマサに寄ったが残金で買えるいい魚はなかった。
杉山のバアサンのところへ行くまでの農家には胡瓜があったが残り物なのでパス、婆さんから絹ごし豆腐2丁と厚揚げ1ヶを買う。残128円。
その後二つの農家を覗いたが野菜の販売をしていなかった。

昼はオムライス、白菜と豚肉、茸のスープ、蜂蜜ヨーグルト。
最近息子二人がダイエットにいいとヨーグルトを食べだし、毎日2パックが無くなるので食べる分を確保するのが大変だ。

午後日が高い内に平塚に行き、先ずはBOで1時間半じっくり本を眺めてた。
橋本治「あなたの苦手な彼女について」ちくま新書 2008年1刷 2009年2刷
   「鞦韆」ちくま文庫 2006年

橋本治を2冊買ったが、最初の方は見たことのある題名だが、持ってないことを祈る。
次のは小説集で、内容は分からないが字ずらの割り振りを見ているだけでも面白い。
これは絶対に持っていない。

宇野信夫「今はむかしの噺家のはなし」河出文庫 昭和61年
この人の落語に関する本は数冊持っていて、しかも読んでいる。
たしか若い頃から親がかりで東京に下宿して、売れない落語家がそこへ出入りするという羨ましい環境にあったはずだ。
そんなことができたのはカネのせいより気質に拠るのだと思う。

西部邁「大衆への反逆」PHP文庫 1991年
   「保守思想のための39章」ちくま新書 2002年

前書はちくま文庫に今でもあるのを見たが、PHP文庫であるのを知らなかった。
1ページ18行と文字が小さくて読みにくいが、とりあえず購入した。
1983年文藝春秋から出た本で著者最初の評論集である。
後の本は前日中公文庫で読み終えて感銘を受け、その本に2002年にちくまで出た本の文庫化とあったが、当然単行本だとばかり思っていたので、まさか新書とは思わず見たときは驚いた。
手に取ってみると中公文庫より文字が大きく見やすいので再読用に直ぐさま購入を決めた。
中公文庫の方は夜、大竹伸朗の本と共に必ず読めと娘に譲った。

吉田秀和「ヨーロッパの響、ヨーロッパの姿」中公文庫 昭和63年
この著者の文章が素晴らしいと聞かされていたが、何しろ音楽は一番苦手なので、他の楽譜が記されている著書は完全にお手上げ、当書は少なくとも文字だけで成り立っているので購入してみた。
はたして読んで味わうことが出来るか。

赤江瀑「遠臣たちの翼」中公文庫 1989年
この日この店でこの著者の本を3冊見たが、こんなことは初めてで嬉しくなった。
この著者を好む人は限られていて見付けにくいのだが、他の2冊は確実に持っているので本書を購入した。
もう5年ほど前に最後の単行本を購入したが、それが最後の著作になったと思うのだが定かではない、きちんと調べて全体を整理しておかなければいけない。

井伏鱒二「厄除け詩集」講談社文芸文庫 1994年1刷 2011年26刷
詩集を見かけると見境なく買ってしまう悪い傾向があるが、多分これは持っていないだろう。
この文庫は高いので良書が揃っているが買いにくいのに26刷とは恐れ入った。

小栗虫太郎「二十世紀鉄火面」河出文庫 2017年
ハワイに駐在していた1981年、当地の白木屋で作品集を買って日本へ持って帰ったのでこの小説もあるはずだが、つい手が出てしまうのは過去への手触りを感じてしまうからなのだろう。

陸田幸枝「伝統食礼讚」アスペクト 2006年
これは日本各地で伝統的な食い物を作っている人を訪ねて話を聞き、時間を掛けて書いた本で、著者のことは初めてで知らないが、明らかにテレビや雑誌のお座なりのやり方とは異なり、読むに値する物だと直感した。


オネエサンのところへ行ったら、パンがほとんどなくクッキーやケーキばかりで、今日から店を開いたので売れちゃったとのこと、よく聞いたら店を閉めていたのは18日にお父上が亡くなったからであった。
お父上からも何度かパンを買っていて、お顔を覚えていて縁がありのでご冥福を祈りたい。
フルーツケーキを買った。

駅ビルへ向かい地下の食品売り場で魚を見るが、高いなあと感じた。
魚が取れなくなっているのと世界中に魚食が広まってきていることが高値の原因なのだろうが、この傾向が続き今までのような幸福な状態はもう夢となるだろう。
手が届く内に精々食べておこう。

酒売り場で「加賀鳶」の試飲をやっていたので、飲ませてもらった。
担当していたのは多分問屋の営業員だろうが、色々と話をしながら試飲をした。
女性客からイギリスに土産に持って行く酒を訪ねられ、太平山の純米大吟醸とマルスのウヰスキーを選んだが、酒全般に詳しい人だった。

5F「さくら書店」に上がり、石川桂郎「俳人風狂列伝」中公文庫を買う。
今月の中公文庫には見るべきものがあり、他にも買いたいものがあったが、新潮、文春文庫とは明らかに方針が違うのを感じる。
長期的に見たらこの方針がいいと思うが、紙の文庫本がいつまで続くかだなあ。
今月の中公新書ラクレも3冊買ってしかも読了したほど魅力的だった。
読売新聞の配下になって、経営が安定したのだろうか、腰を据えた出版になっているようで好ましい。
この本は昭和49年に角川選書で発売されたもので、著者のあとがきに拠れば、永井龍男から誉められたとのこと、きっと優れた本だろう。
あとがきは車谷長吉の妻、詩人の高橋順子で、著者の石川は明治42年東京生まれ、家業の理髪店を継ぐ、俳句は石田破郷、散文は横光利一に師事とある。

相撲に遅れないように早めに新刊逍遙を切り上げて帰る。
その相撲だが八角部屋の2敗の幕下二人が負けて、遠藤が白鳳に歯が立たずアッサリと優勝が決まってしまい、明日の千秋楽が消化試合となってしまった。
しかも残っている横綱大関各1人とは、なんとも情けない場所となった。

風呂に入り晩飯を食べる。
湯豆腐、がんもどき、さつま揚げ、竹輪麩の煮付け、中華風肉野菜炒め、麦乙湯割り、その後「寅さん」を観ながらオルホ、ホワイトアルマニャック、コニャックを飲む、つまみはチョコレート、フルーツケーキ、おかき。
「寅さん」は大原麗子が米倉斉加年の奥さんでマドンナを演じる、たしか1984年冬の公開作品。
寅が金がないのに上野辺りの焼鳥屋でのみ居合わせた証券会社の課長の米倉に払ってもらう、翌日会社に出向きお礼に同じ焼き鳥屋で呑んで酔っ払い、課長さんの牛久沼の家まで行き泊まる、そこで課長の奥さんの大原麗子に会う。
その後課長さんが仕事に行き詰まり蒸発し、故郷の薩摩へ寅と大原で当たりをつけて捜しに行くが、見事課長を見つけ出し何時ものように悲恋で終わる。
多分これが観るの4度目だと思うが、とにかく分かっていても笑ってしまうし、大原麗子が魅力的で綺麗だ。
途中で帰ってきた娘もコニャックを飲みながら一緒に観たが、寅の面白さが分からなかったろうね。
俺もつい4年前までは全く観る気もしなかったから。
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娘と呑む

2017年11月25日 | Weblog
4時に目が覚め暖房をつけて昨夜読了するはずだった西部邁「保守思想のための39章」中公文庫を読み始める。
昨夜は呑みすぎてしまい、論理的な思考を追って行くことができず、まあそういったときは各種の図鑑を眺めて楽しむのがいいのだが、それもせずに寝てしまった。
実は読み終わるのがもったいなくてずるずると延ばしている気味もあり、小林信彦の小説なども読んでいる。

今朝は比較的暖かいので、これなら明け方釣りに行くのも出来るなあなどと考えている。
今から1月上旬までが平目を狙う好機なのだ、ウエーダーを買わなきゃいけないが未だ買ってない。
伝統的な遠投鰌曳きスタイルなら長靴でもいいが、波裏をミノーで狙うとウエーダーが無いと釣りが成り立たない。
外道に鱸が掛かることがあるのと海と一体になる愉しさがあるので、渚に立ち込みミノーを投げるのだ。
しかし、22年前初めてplastic製の魚に鱸が掛かってきたときの驚きは忘れられない、心臓が高なりバラした後も3ヶ月間その興奮が覚めやらなかった。
今ではルアーに鱸や平目、真鯒、ホウボウ、ソーダ鰹、鰤の稚魚、シイラ、ダツ、カマス、鯖、鯵、鱚、石持、鯔、鰯、烏賊、環八などが掛かってくるのが当たり前になってしまって、驚きはなくなったが、それでも釣れると嬉しい。

朝方眠ったようで気が付いたら7時半、慌てて起きて何時もの朝の御勤めをして、朝飯を作る。
葱を入れてスクランブルエッグ、薩摩揚、ソーセージ、肉豆腐を食べる。

娘が平塚の坂間のほうのコヒー焙煎の店にバイトに行っているが、バスに乗り遅れたので、このバスが1時間に1本しかないやつで、仕方がないから車で送る。
帰りにヤオマサで岩で獲れた小肌の酢漬けを買ったが、これ店内で作っているのだろうか、時々干物や、カマスを開いたものを売っているが、現代ではよっぽど変わったやつが鮮魚部にいるらしい。
次回知り合いの担当者に様子を聞いてみよう、もしそんなことをやっているのだとすれば、昔の魚屋のようなもんだが、生産性を上げること一辺倒で来たスーパーマーケットの考え方を昔の商いの手法に変えるだけで集客力がアップすることになり、価格最優先でやって来た商いにの限界がはっきりしたことになり痛快だろう。
大手スーパーが郊外型大規模ショッピングセンターを作っているが、文化の継承という面では最低のシロモノで、品の良くない大量生産品の規制商品に消費者を麻痺させる装置だ。
トランプの主張はグローバリズムの限界を指摘して、リージョナリズムを考えてみようという事なのだが、商品の販売形態一つとってもその考え方が出てきているわけだ。
杉山のバアサンのところで絹ごし豆腐2丁を買う。
寒い寒いと言って震えていた。

車を置き北に向けて散歩をする。
JA湘南に寄ったが、さすがに時間が遅くめぼしいものは無かったが、それでもブロッコリーと蕪、蜜柑を買った。
わくわくで薩摩揚2種類を買う。
西友とロピアで麦焼酎乙の品揃えを観たが、クリエイトの品揃えが断然多かった。
西友は酒の品揃えが多く、ロピアはハードリカーの価格が断然安い。

昼は妻がスープから作ったタンメンを食べるが、何故緑の野菜を彩りに入れなかったのかが疑問だ。

プレシネは「Top Gun」1986年米映画、主演トム・クルーズ、映画の題名も主演の名前も知っていたが、初めて観てこんな映画だったのかと予想外だった。
昔から空戦記が好きでかなり読み込んでいたので、空戦シーンが楽しかったが、第二次世界大戦当時の零戦やグラマンなどのプロペラ機と違い、ジェット機に変わってスピードが全然違うし、出力が大きいので2人乗りで単座機ではなく、後方にレーダー要員が乗り込んでいて、戦法がかなり異なるなあと観ていた。
この時代のF14からまた30年経過しているので、戦闘機の性能も格段にアップしていて、さらに戦法は変化していると思う。
戦闘機乗りはパイロットの中でも最も優秀な奴らが選抜されるが、その中でも優秀なパイロットが入る学校の通称がTop Gunであり、そこでさらなるDog Fightの技術を磨いたらしい。
トムクルーズの恋の相手となる教官のシャーロット(Kelly MeGillis)は当時好まれたタイプの美人だと思うが美しかった。だが、今は見る影もない。

5時に母が帰ってきたのを迎え、そのまま二人で相撲を観る。
相撲も観るべきものがあったが、何より北の富士の解説が面白い、入院して病後は精彩を欠いたが、また再び融通無下の解説だ。

晩飯は湯豆腐、ブロッコリー、小肌の酢の物、それに8勺ばかりの「妙高山」を呑み、スペインマールと書いてあるがオルホだろう、を飲む。
7時のニュースを観ていたら娘が帰ってきたので、カレのボージョレヌーボー2015年を開ける、夏を2回常温で越したので強制高温熟成の典型的な風味があるが、有機で鍛えて作ったワインだけに崩れていない。
娘が美味いと言ったが、中々ワインが分かってきやがった。
つまみはろくなものがなく、かっぱえびせん、ラーメンスナック、カンパーニュ、チーズ、大豆、魚肉ソーセージ等を肴に、ホワイトアルマニャックを飲む。

テレビは7時半から「美の壺」肥後象嵌、8時から9時迄休み「新日本風土記」豆腐、10時からNHK総合の新しいドラマを観た。
思えば長々と娘と二人で呑んでいたわけだ。

肥後象嵌は前に見ていたが、金と銀の銀杏が黒に映えた図柄は素晴らしく、再度魅入った。
豆腐がハレの日の食い物で近所総出で作り、正月や祭りを祝うものだったのが意外だった。
毎日のように喰ってる庶民の食い物になったのは最近のことなのだろう。
ドラマはよくある設定で始まったが、既に長い間多くの人達が面白い物語を紡いできて、仮に新しい設定をするなら奇抜すぎるかグロテスクなものになり、物語を作る必要もないところまでいってしまう。
そうなると陳腐な物語を繰り返しても、女優を綺麗に見せるか、脇役のキャラクターを際立たせて面白くするかの手法になってしまう。

娘とは似すぎているから喧嘩ばかりしているが、違いは娘は無鉄砲で行動的、俺は臆病で人見知りだ。
12月上旬にミャンマーへ行き、大学の教授の美術展を手伝い、チェンマイへ回り、山岳民族のロア族のところへ行き、植樹した珈琲を収穫して1月中旬に帰って来るようだ。
水島総が、団塊の世代やバブル世代はダメだが、今の20代にインタビューすると、「もうあんた達に何を言っても仕方ないので、そのまま死んでください、俺達は俺達のやり方でやって行きますから」と、強い可能性を感じると発言していたが、モダニズムに捕らわれた私のような世代も物の価値を見失ってニヒリズムに陥った世代だ。
娘と噛み合わないところがあるのは、モダニズムの生産性や合理性に捕らわれていないところなのかもしれない。









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小雪

2017年11月24日 | Weblog
4時に散歩に出て海の中道を西湘二宮インターから梅沢方面に歩き、東海道沿いの骨董屋に寄り、ぐい呑みを買う。
家に帰り早々に「妙高山」純米を冷やで呑む。
まあ大したぐい呑みでもないのだが、大きすぎずたっぷりと酒が入り、サイズがぴったりで気に入った。
小振りの猪口で飲んでいると呑む量が多いので面倒なんだ。
叉焼、ピクルス、ラーメンスナック、落花生を肴に2合ほど相撲を観ながら呑んだが、散歩の仕上げで実に楽しかった。
相撲は白鳳が嘉風に負けたが、白鳳は立ち合いに当たらないので、嘉風が遅れて立って二本差しになったが、この手があるねえ、白鳳は立ち会いが合わずと判断して力を抜き押し出され、負けてから抗議をしたが、嘉風の作戦勝ちだな、見事な作戦だった。

晩飯は、白モツと大根、人参、蒟蒻を薄味で煮込んだのと鰊塩焼、叉焼、柿。

観たいテレビもないので、母のところでお茶をのみ2階へ上がる。
中学生の頃はアテストが1月か2月にあり、それに向けて冬の夜は勉強をしていたのでこの季節は孤独で寂寥感を強く感じたが、勉強はしないものの1人で読書をして同じ気分を味わって、ああ冬だなあとあの頃を思い出している。

8時過ぎに寝たのだろうか、0時半に目が覚める。
雨垂れが聴こえるが、そのせいか暖かい、夏目漱石に「武蔵野を横に降るなり冬の雨」があるが、さしずめ「湘南を暖かくして冬の雨」酔哲、と云うところか。
漱石の友人の子規は「寒椿力を入れて赤を咲く」と冬に咲く椿を見事に詠んでいるが、毎朝雨戸を開ける度に観る冬椿は、さしずめ「冬椿朝日に輝く赤を咲く」酔哲、とでもいたしましょう。
本句どりをしている内に句が捻られるようにならないものかと思うが、まあ無理でしょうな。
「横に降る」と「力を入れて」が両句の勘所ですものね。

西部邁「保守思想のための39章」を読んでいるが、何処で西部邁を知ったのであろうか、誰か知った学者との対談が知り染めた初めかなあ、兎に角なぜこの人を早く知らなかったのだろうかと悔やまれる。
若い頃から田中美知太郎、福田恆存、小林秀雄、三島由紀夫に馴染んでいたので保守思想の近くにいたのに、西部邁にまで辿り着かなかった。
今30章を読んでいるが、保守思想の核心はこの39章にコンパクトに纏められ、さらに深く研究をするならその道標は示されていて、優れた本だなあと感心している。
バーグ、トクヴィル、チェスタトン、オルテガと引用する思想家はこの4人が圧倒的に多く、そこに西部邁の思想の原点があるのは間違いないが、残念なことにそれを読みこなすだけの語学力がない。
せめて英語だけでも真面目にやっていれば、この内2人は読めたのになあと、そのくらいの事、50年前に気が付けよと後悔している。
世の中はどうなっているのか、もしそれが分かり、良くなる可能性があるならそれに少しでも手を貸したいのが人間だけど浅学菲才はいかんともしがたい。
近著2冊は随筆で瑞々しい文章で書かれていて、そこを充分楽しんだが、多分本書が西部邁の思想の核心が書かれている主著だと思う。
先週火曜日医者に行き、TJLを聴き、よくぞ辻堂BOに立ち寄り、この書に巡り会ったと天に感謝したい。
2冊も棚にあったのは、絶対に素通りするなとの天の采配だったのだなと思う。
これだから古本漁りは止められない、いつなんどき金鉱に巡り会うか分からないのだから。
だが西部邁はあとがきで「本人としては平易な言葉で保守思想の(真髄とはいかずとも)妙味を語り終えたと考えていたのに、世間はおろか周囲の友人からもなんの反応も寄せられないことに、少しがっかりしていたのである。(中略)保守思想のスタイルについて書いた本書がかくも徹底的に無視されるというのは、この列島から思想というものが蒸発してしまった一つの現れかもしれない」とあり、世間に認められておらず、マスコミ学者の言に左右される大衆も本書を紐解くことがないようで、この一匹狼の天才はアカデミズムを足蹴にしたせいで論壇から無視されているところは小室直樹似ていなくもない。
保守思想家が守るべき日本の伝統であり慣習でもある村組織に爪弾きにされているのは大いなる皮肉ではあるのだが。

4時頃寝て目が覚めたのが7時半だった。
直ぐに起きて雨戸を開け風呂に入り、出てきたら魚が焼いてあったので、小松菜で味噌汁を作り、焼売を温め、叉焼を切る。

雨が降っていたのでYouTubeで西部邁の対談を2本観る。
1本目は10月の総選挙前でこの20年構造改革、グローバリズム、郵政民営化、TPP、アベノミクス、1つとして上手く行ったものがなく、日本を衰退させせて来た責任は誰が取ったのか、保守思想家としては日本的な伝統と慣習を無闇に変えなくちゃという掛け声でズタズタにしてしまったことを怒っていた。
2本目は最新著書の「ファシスタたらんとしたもの」についての対談で、この本は読んでいるので話の内容は大方既知のことであったが、49歳の時に東大教授を辞めたのだが、その時に大学関係者が引き留めに来て、奥さんが、「この絶好なチャンスを逃すはずがない」と言ったことを受けて、それは西部邁にとっての絶好のチャンスではなく、奥さんにとって西部を喰わすことが出来るチャンスがようやく巡ってきたという意味だったのではないかと発言していたが、西部邁は奥さんあっての男じゃないかと、最新の2冊の著書を読んで感じていたが、本人も充分それを分かっているんだなと思った。
私が5年かけてようやく分かったことを一瞬で理解してしまうようなところが女にはあったと告白していた。
読後の感想として書いたことがあるが、保守思想家として優れてもいるが、何よりもいい女と巡り会った男だなあと羨ましく思う。

雨が上がり11時に散歩に出て、芦の屋で食パンを2斤買い、野菜スープとスクランブルエッグを作ってもらい、ソーセージ、叉焼、ブルーベリージヤム、ピクルス、ミルク、紅茶、蜂蜜ヨーグルトで昼食にする。

プレシネは「グラディエーター」で、才能と人望がないやつがローマ皇帝になった悲劇の物語。
2時間半の長丁場で、気晴らしに午後の散歩に出かけた。

帰ってきて相撲を観るが、若い人が力を付けてきていて、近い内に相撲が変わるなあと感じる。
最近、相撲がスポーツとして考えられているが、神事であったことを忘れたら詰まらないものになってしまうなあと心配もしている。

晩飯は、モツ煮込みの残り、肉豆腐、ピクルス、ソーセージ、支那竹、「妙高山」純米燗。

娘が帰ってきたので、コニャック、マールを飲みながら話をする。
築地市場では拉麺を食ったという、寿司は外人用で高くて美味くないことを知っていたのは褒められる。
関内の井桁が無くなったことを話す、留学から帰ってきて直ぐ、初夏に二人で行って娘は握りを食べたらしいが、すっかり忘れてた。
西部邁を読むように薦めた。
12月7日からミャンマーに行きチェンマイへ回り年明けに帰ってくるようだが、ぼつぼつ食って行くカネを稼ぐ仕事の方向を考えたほうがいいなあと思うが、全く本人にそのつもりはなさそうだ。
上の息子も何をやるべきか模索しているようだが、どんなことでも人様からお銭をいただくには10年1つことをやらないとものにならないからね、あんまり年を喰ってからだと辛くなる。
我が理想は、息子二人がそれぞれ寿司職人と蕎麦職人、娘が国際政治学者であったが、誰一人としてその望みをかなえてくれない。
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白菜

2017年11月23日 | Weblog
毎日、散歩、映画、読書、飲酒と規則正しい生活をしているが、時間が矢のように過ぎて行く。
充実した時間というものは早く時を刻むので、先が短いものにとってはあまり好ましくなく、退屈な時間が目の前に果てしなく広がっているほうが幸せを感じるかもしれない。
ゆったり散歩をして、のんびり映画を観て、遅読を心がけ、チビりチビり酒を呑むようにしなきゃいけないなあと思う。
隠居生活というのは飽きるほど時間があると思っていたが違ったね。

いつの間にか72候が「金盞香る」に変わっていた。
水仙が咲き香り漂うの意、月桂樹の黄色い花を観るが、水仙は気がつかない。
朝、庭の椿の赤が緑の樹に鮮やかに映えているのを四五日前に観て感じ入った。
夏生一暁の「日々の歳時記」は、俳句については門外漢の小生にも敷居が低い歳時記で2015年の夏に買ってから愛読しているが、今日の言葉の「白菜」に意外なことが書いてあったので紹介したい。
中国産のアブラナ科の野菜で江戸時代に入ってきたが、定着したのは明治後期。
江戸時代から白菜の樽漬けは冬の風物詩かと思っていたのに、最近のことなんですよ。

2時半に一度目が覚めて、寝直したら巧く眠られて、5時49分に目が覚めた。
身体を右下にして寝たが、寝違えたようで首が痛い。
年を取るとどうもスッキリと目が覚めることが少なくなるね、ああ嫌だ。
7時半迄はベッドの中で携帯を使ってなにか書いたり、読書をしているので暖房をつけるが、その内もっと寒くなるとタイマーをセットしておいて暖かい中で目を覚ますのだが、年を取ったら兎に角寒さが身に凍みるようになった。
父が若い頃は暑がりであったのだが、晩年寒がりに転じたのを驚きの目で見ていたが、自分がなってみると情けないほど当たり前に感じる。

さて今朝の読書だが、昨夜から引き続き西部邁「保守思想のための39章」を読んでいる。
未だ22章辺りを逍遙しているが、分かりにくい論旨の章があったり、柴山桂太のあとがきを読んだり寄り道をしているので中々先に進まない。
まあ保守とは過去の歴史や慣習から未来を予見する態度だから、どんどん前に進むより、確り後ろを眺めておくこともが大切だ。

何時ものように7時半に起き出し、雨戸を開けて風呂に入り、カンパーニュを焼き、スクランブルエッグと青梗菜の大蒜炒めを作り、ソーセージを焼いてミルクを温め、最後にリンゴ味の紅茶を飲んだ。

9時半の東海道で小田原へ行き、10時に開店と同時に駅ビルの有隣堂に入り本を眺めた。
だが先週とほぼ変わっておらず、10月に出た小堀桂一郎「和辻哲郎と昭和の悲劇」PHP新書を買う。
10時半から歯医者で治療を受け、11時半前に解放され少し駅ビルで魚を見たが欲しいものがなく帰って来た。
昼は、朝から妻が叉焼を焼きスープストックを作っていたので叉焼麺を食べて、柿、蜂蜜ヨーグルトを食後にいただく。

1時からのプレシネは「The Blindside」 2009年 米映画で、アメフットのマイケル・オファーのノンフィクションを映画化したもの、主演女優のSandra Annette Bulockが綺麗な事、映画は女優を綺麗に映すことが出来ればあとはどうでもいいところがあるが、サンドラ・ブロックという女優を初めて見たがすごかったね、多分撮影当時45歳だと思うが魅了されました。
というわけで、内容は他に当たってください、インターネットという便利なものがあるんでね。

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昼酒の愉しみ

2017年11月22日 | Weblog
月曜日の何時もの習いで9時からプレシネを観る。
先週の「The Mummy」の続きに当たる「The Mummy Returns」で、エジプトの伝説をでっち上げ、その呪いに対抗する物語だが、映画はフィクションではあるがCGは嘘っぽさをあからさまにするので面白くないもんだなと思う。
ヒーローは顔がでかくてアンチヒーローはムキムキマンで好みでないが、ヒロインの兄に非力なインテリがいい加減な男で、この男優ジョン・ハナーがボルドーの知り合いのネゴシアンに似ていて好みだ。
ふと久し振りにそいつに会いたいと思ったが、隠居後ボルドーに行くにはエコノミーはきついから、せめてビジネスで行き、そこそこのホテルに泊まり、会食の費用もあるから、200万円くらいは使うだろう、そうなると此処一か所じゃないから、こういった気紛れに対する蓄えを1億円くらい持ってなきゃいけなかったなあと大いに反省している。
まあ、そうはいっても蓄財にはどうも熱心にはなれなかったけどね。
隠居してじっとしてりゃカネなんか大して使わないと思っていたんだが、時間がふんだんにあり、その上呑み歩かないから健康状態も良くなってきて、体重が減り、血液、尿検査の数値も中性脂肪を除いてすべて適格の範囲に入ってしまった。
そうなると、気力体力充実してきて、だんだん若い頃回って世界各地にいる知人を訪ねて出発したい気分が高揚してきたな。

今朝は5時頃に起きて西部邁を読み、眠くなって二度寝をして7時半に起きて風呂に入り、朝飯を作った。
青梗菜と小松菜の交雑種に油揚げの味噌汁、カマスの干物、切り干し大根の煮つけを食べた。

下の息子と大磯方面に散歩に行き、昨日と同じところから海に出て大島とその右に浮かぶ小さな微かな島を眺めるが、多分、利島(としま)だと思う。
北東風が吹いていて風波であったが、鱚釣師が3名、平目釣師が3名が竿を出していた。
ゴルフ場の東側から海岸段丘を登り、大磯警察署へ出て、不動川沿いをヤオマサに向かう。
昼に五目鮨を作るので、岩のキハダ鮪の雄節、鱸の半身、岩の真烏賊1杯、鰺2尾、蒲鉾、生姜酢漬け、胡瓜を買う。
杉山のバアサンは日差しは暖かだったが北東の風が強くて冷たかったので本当に寒がっていた。
「寒いのによく来たな」と言っていた。
絹ごし豆腐2丁を買う。
Drugstore、名前を思い出した「クリエイト」だ、そこで「妙高山」純米の1升瓶、ラーメンスナック2種、かっぱえびせんを買う。

昼、「妙高山」を燗につけて、以下のゲソを焼いて呑み始める。
その内刺身が出てきたので、そいつを肴に呑んだが、昼の酒はいいもんだ。
飯の途中で娘が歯医者から帰って来たので、一緒に呑んだ。
キハダは新しかったので弾力があり、多分〆てから6時間くらいしか経っていないのだろう、実に美味かった。

烏賊も透明で歯応えが良く美味かったな。
鱸は実際はフッコサイズだが脂がのっていた、鰺も割とサイズが大きかったので脂がのっていて良かった。
酢飯は酢蓮、人参、椎茸、干瓢が入っていて、油揚げに入れて食っても美味そうだった。

プレシネは、「The Natural」で、1984年の米映画、ロバート・レッドフォード主演の野球映画、これで完全にロバート・レッドフォードの顔を覚えたが、あまり好きな顔ではない。
好男子なのだが、鰓が張っているところが嫌なのかもしれない。
ストーリーは途中昼酒の酔いで寝てしまったらしく、何故ロイが才能があったのに35歳になるまでプロ野球をやらなかったのか分からなかったが、プロテストを受けるときに事件に巻き込まれ、列車で女に撃たれてのが原因らしい。
35歳の新人として突然あらわれ大活躍をするが、野球賭博に巻き込まれ女の罠にはまる。
だが故郷を離れる前に付き合っていた幼馴染に助けられ、賭博の誘惑を振り切りチームを優勝に導く。
幼馴染にはロイの子供がいたという、ちょっと出来すぎたお話。

2階に上がると干したことをすっかり忘れていた布団を取り込み、ほっかほっかの中ですぐに眠りに就いた。
5時に起きて相撲を観るが、久し振りに遠藤の元気な相撲を観て気分をよくする。

風呂に入り晩飯を食べる。
湯豆腐、ホッケの干物、レンズ豆の煮込み、ブロッコリー、落花生、蜂蜜ヨーグルト。


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