キュヴェ タカ/cuvee taka 「酔哲湘南日記」

新鮮な山海の恵みを肴に酒を吞み、読書、映画・音楽鑑賞、散歩と湘南スローライフを愉しんでいる。 

2011年を振り返る

2011年12月31日 | Weblog
2011年も大つごもり、この一年を振り返って見ることにいたしましょう。

今年の一大事はなんと言っても東日本大震災と福島原発事故でした。当日は横浜事務所で地震にあい、人生の中で一番大きく揺れた地震でした。初めは軽く見てましたが、強い揺れが長く続き恐怖を感じました。
若い社員が、ワインショップの棚を押さえてワインが落下しないように懸命でしたが、それどころじゃないから避難しろといっても最後まで押さえていて、結局棚から落下したワインは無く、ワインに対する愛情の深さに感動しました。
こういう人たちがやっていれば、当分会社が衰退することは無いだろうなと思いましたね。

交通機関が機能不能に陥り、普段は人通りの無い会社の前を歩いて寄託する人たちの群れが、夜の9時過ぎまで続いていました。
その夜は事務所にダンボールを敷いて、緩衝材のプチプチシートを体に巻いて寝ましたが、寒くて何度も目を覚ましました。これじゃあ家をなくした東北の人達はこれから大変だなあと、骨身に染みて感じました。

福島の原発事故に関しては最初、安全確保が出来ているからとか、距離があるから横浜は安全だとか楽観的なことを言う人たちが多かったですね。
理科系の勉強を大学時代に多少したお陰で、それらの言説には根拠が無いことが分かっていて、国内外から知りえた情報から判断して、最悪の場合は東日本は壊滅すると判断しました。
会社と社員の家族の安全確保のため、事務所を名古屋に移転し、東京にあるワイン在庫50,000ケースを神戸に移動する準備を慌しくしたのを思い出します。

幸いにも最悪の状況にはならずにすみましたが、これは単に運が良かっただけで、原子炉をコントロールしてここまでの被害で抑えたということではありません。
ただ、絶望的な状況の中で、生命をなげうって献身的に現場で働いていただいた作業員の方には心の底から感謝いたします。
原子力発電所は、現在の科学水準では、今後必ず全廃しなければいけません。

次に印象に残ったことは、フランスやスペイン、広州のワインコンベンションに参加して、ヨーロッパの経済の衰えと中国を中心とするアジアの台頭を肌身で感じたことです。
日本も停滞期に入っていてかつてのような高揚した気分は無く、急激な伸びを示しているアジア諸国のバイヤーの躍動感と自信を羨ましく感じました。
ここへ来て中国の伸びが鈍化して、中小企業の倒産も多くなっているようですが、そのようなことがあっても当分の間は相対的に右上がりの成長を続けることでしょう。
右上がりのときは、経済学者もモデルを提示するのが簡単ですが、充分成熟した資本主義社会のあり方については、きちんとしたモデルを明示した人は少ないと思います。
その中で佐和隆光がモデルを提示しているので研究してみる価値があると思います。

個人的には、日本という小さなまとまりで考えずに、欧米の影響を極力避け、アジア全体でどのようにしてゆくか考えるべきと感じています。
かつて日本は軍事力でその方向を目指しましたが、これからは話し合いでやってゆける、見識、包容力、人望を持った大きな人物が必要だといえます。

私事では、私小説作家と詩人の書いたものに感銘を受け、好んで読んだ年でした。
また、原稿を書いてお足を頂戴し、物書きとしてプロのお仲間に入れていただきました。
皆さんに分かりやすく、優れた文章を書いてみたいと思っていますが、それが大変難しい。

こんなところで今年最後のブログを終わりにしたいと思います。
皆さん一年間拙いブログを読んでいただきありがとうございました。
良い年をお迎えください。




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年末の風邪

2011年12月30日 | Weblog
四五日喉の調子が悪かったのですが、朝から声が出なくなり緑色の痰が出ます。本格的にウイルスか菌が喉にへばりつき抵抗勢力と戦っているようです。戦っている証拠に熱が出ていて、シベリアから寒気が来て絶対温度が低い上に、悪寒を感じ大いに不愉快です。まあ、熱が出なくなるようだと抵抗勢力がギブアップしたことになり、危機的な状況ですから、熱っぽいうちは良しとしましょう。

年末の二日で部屋の大掃除をしてしまおうと思ったのですが、風邪のせいで掃除が出来ません。無理して大掃除をやって、風邪をこじらせて正月を棒に振るようなことになったら何にもなりませんから、不本意ながらベッドに横になって読書をしていますが、書棚や周りを見廻すと、今年もばかばかしく本を買ったものだと呆れます。このまま行けば数年後には寝る場所がなくなってしまいますが、来年は思い切って書庫を新築でもしてやろうか、でも、二三百万円掛かるからその分好きな本を買ったほうが好いんじゃないかと、思い気持は千々に乱れます。

35年前、山口昌男の文化人類学が流行った頃、彼の本のなかに”病気には異化作用がある”と書いてあったことを思い出しました。日頃見慣れた風景が病気のときは異なって見え、新たな角度から異なった意味が見えてくることがあると、病気の効能について肯定的に解釈していて当時は斬新な考え方に思いました。

月曜から金曜までは会社に行き、社会に貢献できるような仕事はもちろん出来ず、昼に鮨を喰い、その足で本屋に行って本を買い漁り、夜になると灯りに誘われて蕎麦屋か焼鳥屋で無駄な酒を飲み、無為な時間を過ごす。週末には野菜や魚を買いに街歩きに出かけ、ついでに本屋に寄ってまたもや読まない本を買い漁る。この単調な日常から抜け出す隘路はひらかれるのだろうか、熱っぽい目で辺りを見回してみるが、異化作用は一向に起きているようには思えず、熱が下がったらまた単調な毎日の繰り返しになるのは必定、忙しい年末に病気になった甲斐が無いじゃないですか山口先生、一体どうなっているんでしょう。

12月28日に芳林堂で購入した書籍を記録しておかなくちゃ。
「浅草芸人 エノケン、ロッパ、欽ちゃん、たけし、浅草園芸150年史」 中山涙 マイナビ新書
最近の川向こうのテレビ塔の人気に便乗して浅草が注目されているらしいです。あそこへ行くには浅草から京成に乗って行きますからね。塔の下のチェーン店のレストランで不味くて高い飯を喰うなら、先に浅草で食べておくか、帰りがけにゆっくりと、蕎麦でも鮨でも天麩羅でも老舗のいい店が揃ってますからね。最も地上500メートルくらいの空中レストランで何か喰えるのなら、多少高かろうと不味かろうと文句は言いません。
さて、この本の著者の中山涙という人も知りませんし、マイナビ新書というのも初めてです。


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年賀状

2011年12月29日 | Weblog
年も押し詰まって来て年賀状を書かなきゃと気にはなっていたのですが、性格的に最後の瞬間まで引き伸ばす性向のため、昨日ようやく取り掛かりました。
私くらいの年になりますと、若年の頃お世話になった方は徐々に鬼門に入り、後年知り合った若い方は賀状を交換する習慣がありませんから、年々その枚数が減ってきて、今年はついに夕食後から初めて零時前に終わってしまいました。
楽になったのは嬉しいですが、寂しい気分もあります。

年賀状と云ったものは何時頃から始まったのでしょうか、今の形になったのは日本に郵便事業が根付いてからでしょうから、少なくとも明治以降、きっと戦後広まったと当たりをつけて見ましたが、調べてみましょう。
ざっと調べただけですが、年賀状の起源はどうも7世紀後半にあるようです。でも一部の人の間での事です。
江戸時代になって庶民が読み書きできるようになって急激に増えたようですが、今の形となるのは明治6年のはがき郵便制度が出来てからで、明治39年には年賀郵便制度が出来ています。
昭和24年にお年玉付き年賀はがきが発売されていますから、大体私の予想は当たっていたようです。

普段めったに行き来しない人に、強制的に年に一度連絡が取れる点はおおいにけっこうです。
しかし、しょっちゅう逢う人に形式的に出さなきゃいけないとなるとおおいに無駄です。
最近はEメールで賀状が送れますから、地球の有限な資源を無駄使いしない点では優れた方法です。
問題は、文明の利器の普及の過渡期にある人がいるので、PCを持ってない人には交信不能となります。
後20年もすれば、葉書での賀詞交換は無くなるのではないでしょうか。

私は旧世代の人間ですから、Eメールで海外からクリスマスカードやら新年の挨拶が送られてきても何ら感慨が無く、面白くもなんともありませんが、年賀状が一瞬で一斉に送られるとなれば、便利でいいなとおもいます。
きっと将来は年賀葉書を止めるでしょう。若しかするとPCも辞めちゃうかもしれません。
子供の頃の生活水準に戻って、世間との関係を絶ち、釣りと紙の本の読書生活を楽しんでから、この世からおさらばしたいものです。





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暮れの焼鳥屋に思う

2011年12月28日 | Weblog
暮れの鳥伊勢は活況を呈していて、80年代に帰ったようで、私自身が若返ったわけでないのについつい飲み過ぎました。あの頃は日本人が今の中国人のように変な自信を持っていて、世界は日本のためにあると勘違いしてました。ジャパン・アズ・ナンバーワンなんて煽てに乗って、その後酷い目に遭うなんて思いもしなかったですから、連日のように朝方まで飲んで遊んでました。

でも、最近では、若いうちはそれでいいのかもしれないと思うようになっています。今のように長く閉塞感が続くと気分も暗くなるし、実際より悪く現実を認識してしまうもので、経済も気分もデフレスパイラルの罠に嵌まってなかなか抜けられません。人間はちょっと好いと過度な楽天家になり、ちょっと悪いと過度な悲観主義者になるものです。

バブル期に就職した人達は、その後も有利な条件のまま就労しており、正規雇用に就けないでいる若い人たちと比べたら、不公平感は歴然で、この不公平を改善するのは政治の役割ですが、小人の嫉妬が金や女のスキャンダルで大きな人物を失脚させるので、無能な人物が政治を行わざるを得ず、二進も三進も行きません。政治家は本来政治能力についてだけ批判されるべきなのに、瑣末なことで批判され大人が潰されてしまいます。衆愚政治からの脱却を模索しなければいけませんが、この辺りは中国やフランスに見習うべき点があるような気がします。

そんなことを考えながら、ヤゲン、つくね、葱肉、手羽先を喰い、多少健康を考慮してエシャレットも頼み、大関樽酒の燗酒三杯を楽しみ、次なる利休庵では何も考えず、赤豆、エシャレット(ここでもまたエシャレットを食べているのは、そうとう好きなのかも知れない)の肴で菊正宗辛口燗を二本ひたすら楽しみ、仕舞いには定石のもりを手繰り、蕎麦湯を飲み暮れの一夜を楽しみました。













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寒い日が続きます

2011年12月27日 | Weblog
クリスマス前からの寒波は随分長く日本の上空に居座っているようで、寒い日が続いていますが、この分じゃあ寒の入り後の寒さはいかばかりかと恐ろしくなります。その寒さの中、月曜恒例のちらし鮨を喰いに鮨屋へ向かいましたが、途中温かい麺類か何かにしようかとよっぽど思いました。それでも習慣というものは恐ろしいもので、この寒さの中でもどこかで体が鮨を求め、結局鮨屋へ入りました。この寒さの中、店は随分盛況で暮れに鮨を喰っておこうとお考えのかたが多いのに驚きました。

酒を頼んで一杯やっている人もいて、こう寒いと熱燗の一本も欲しくなるのが人情というもの、このまま仕事を切り上げてチラシを肴にはじめるのも悪くは無いのですが、性格が余りにも真面目なため、ふいっと会社を辞することが出来ません。

鮨屋の後、何時もの芳林堂へは向かわず、有隣堂へ向かいました。同じ本屋だろう、余り代わり映えがしないじゃないかって、私にとっては大きな違いなんですがね。そこで「茨木のり子集 言の葉1」ちくま文庫を買い求め寒さも忘れて伊勢佐木町を闊歩して帰ってまいりました。

昼飲めなかった恨みは、夜、蕎麦と熱燗で晴らし、体を温めて帰りました。少し恨みを晴らしすぎたかもしれません。



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寒鰤の値段

2011年12月26日 | Weblog
三連休初日平塚の魚屋で寒鰤を買いましたが、産地失念しましたが柵で780円と実にリーズナブル、しかも美味くて感心しました。二日後同じ売り場で見たら、佐渡島産の同じくらいの柵で1,480円と二倍近くに跳ね上がっていました。年の瀬は魚の価格が跳ね上がりますが、佐渡は鰤の本場とはいえ余りにも高くて不愉快で買わずに帰ってきました。

この時期は脂の乗った天然物が滋味深く、こりッとした歯ざわりと共に酒の肴にはうってつけとなります。正月長火鉢で燗をつけながら、朝からちびりちびりと日が暮れるまで、おぼろげな気分で一日を過ごすのは格別ですが、するめやししゃも、河豚の干物などを火鉢の火で炙って肴にするのも楽しいです。しかし乾き物だけだとやっぱり飽きてきて、生ものが欲しくなります。そんなときに寒鰤があると最高ですが、この価格では来年の正月も無理ですなあ。




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三連休

2011年12月26日 | Weblog
年末の三連休というものはとても結構なものです。何かと気ぜわしく、暴飲暴食が続く後ですから、身体が休まり、最後の追い込みの飲み食いにも万全な体調で臨めます。この三連休、クリスマス寒波とやらで日本海側では大雪になったようですが、湘南のほうは初日に塩手陽気だったものの、あとの二日はぽかぽか陽気で実に気持ちのいい散策が出来ました。

庭木の剪定をやらなきゃいけないもので、午前中は梯子に乗ったり塀によじ登ったりしておりましたが、加齢によるバランス感覚の喪失は思ったより大きく、普段歩くだけでしか使わない筋肉以外のところ使いかなり疲れましたが、飲食による内臓疲労と違い気分のいい疲労感です。お陰で庭木の三分の二程度の選定が完了いたしました。

この三連休で買った書籍。前半3冊が新刊書、後半は古書。
「目白雑録3」金井美恵子 朝日文庫 さくら書店
「目白雑録2」金井美恵子 朝日文庫  藤沢ジュンク堂

この本が面白いと聞きましたので三冊揃えて読み始めようと思いましたが、とりあえず2と3を入手し読み始めました。

「シベリア抑留とはなんだったのか」畑谷史代 岩波ジュニア新書 藤沢ジュンク堂
石原吉郎について書かれた本で、新刊、古書と石原さんの本を探していますが、思ったように手に入りません。関連書物ですが押さえておきました。

「ぼくたち、Hを研究しています」鹿島茂×井上章一 朝日文庫 藤沢聖知文庫
2006年に出た本ですが、気がつかなかったですね。私もHに興味がありますが、実践からは遠ざかっており、どうもそうなると男は観念的に研究に走るようです。研究成果を読んでもああそうですかってな事で、実践に役立たないところが悲しくて好いですね。

「夜のある町で」荒川洋治 みすず書房 藤沢聖知文庫
荒川さんの「忘れられる過去」を読んで優れた文章家だなと感心し、集めようと思って古書店を探していたら、藤沢有隣堂5Fの古書店街にありました。言葉に真剣に取り組んでいると、味わい深い文章になることは分かりますが、私も駄文を労するだけでなく、そのようなものを書いてみたい。

「ぼくの浅草案内」小沢昭一 ちくま文庫 文雅新泉堂
この古書店も藤沢有隣堂5Fにコーナーを持っていますが、本店は相模原のようです。神奈川県中の古書店が集っているようですが、いい企画ですね。1978年講談社より出たものを2001年筑摩で文庫化したもので、2005年頃茅ヶ崎の長谷川書店で平台に並べてあったのを何度も手にとって買おうかと迷ったことを鮮明に覚えています。既に読み始めていますが、抜群に面白い。解説が坪内祐三であるところも好い。

今朝名古屋では8CMの積雪で、テレヴィ画面を見ると一面の雪化粧、あそこはシベリアからの寒風の通り道になっているので、太平洋側でも思わぬ雪が降ることがあります。見るからに寒そうですね。




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手帳のこと

2011年12月25日 | Weblog
今年はここ数年使っているみずほ銀行が手帳を作らなかったらしく、暮れも押し詰まって来年の予定を書くのに不便を感じ出して、使いやすそうなのを買う事にするかと考えていたら、DHLの担当者が年末の挨拶におみえになり、かくかくしかじかと事情を話したら、ちょうど手持ちがあるのでといただきました。実にいいタイミングでいただいたので、良い年が迎えられるんじゃないかと嬉々としています。

10年ほど前までは酒類手帳というのがあり、毎年顧問の税理士のかたからいただいて、すっかりそれに慣れていましたが、採算が取れないとの事で製造中止となり、みずほの手帳に替え、内容が似ていて使いやすかったので、これも長くお世話になりました。DHLの手帳はこの二つのものとは内容が少し異なり戸惑いますが、一年使っているうちには慣れるでしょうから、向こう何年かはお世話になることと思います。

15年前から5年間は、手帳にその日の釣果を手帳に書き記して、翌年の参考にしました。魚というものは毎年決まった時期に二宮海岸に接岸してくるようで、3年分くらいの手帳を並べて研究していると狙った魚種がかなり高い確率で釣れました。

アナログ人間には、仕事のアポイントを書いておくことが一番多いのですが、釣果が書いてあった頃の酒類手帳は開くのが楽しみで、今とはぜんぜん手帳の意味が異なってました。あの黄金の時代に、このDHLの手帳が戻してくれるのかなあと淡い期待を寄せています。



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暮の酒

2011年12月24日 | Weblog
暮の酒

暮になるとどういうわけか酒が美味く感じられ、どうも飲みすぎる傾向があります。これは年の残りが少なくなって、残された時間が濃密になるように感じ、酒を飲むのにも気合が入り、味わいの奥深いところまで感知出来るからのようです。酒質は暮れになったからといって急に変わるわけが無いので、暮れに飲む酒の美味さは飲む側に起因しています。きっと。

さて、この三連休を如何に過ごそうかと考えるとき、自ずと行く年を思いながら杯に手が伸びるわけで、そういった個人個人の思いが募って、集って飲むことになれば、それが忘年会という事になります。一人しみじみ飲む酒も美味いが、皆と騒いで飲む酒も実に楽しいものです。暮になるとどういうわけか酒が美味く感じられ、どうも飲みすぎる傾向があります。これは年の残りが少なくなって、残された時間が濃密になるように感じ、酒を飲むのにも気合が入り、味わいの奥深いところまで感知出来るからのようです。酒質は暮れになったからといって急に変わるわけが無いので、暮れに飲む酒の美味さは飲む側に起因しています。きっと。

さて、この三連休を如何に過ごそうかと考えるとき、自ずと行く年を思いながら杯に手が伸びるわけで、そういった個人個人の思いが募って、集って飲むことになれば、それが忘年会という事になります。一人しみじみ飲む酒も美味いが、皆と騒いで飲む酒も実に楽しいものです。







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詩人の散文

2011年12月23日 | Weblog
茅ヶ崎の本屋で吉川潮の「待ってました!」新潮社を平台で見つけたら、棚のほうに坪内祐三さんの新刊「探訪記者松崎天民」筑摩書房を見かけリアクションバイトで購入、新刊書は高い、特に坪ちゃんの本は固定客にしか売れないので更に高い。それでも同時代の作家のもので買いたいものがある幸せに感謝しないとね。

名古屋出張では紀伊国屋で荒川洋治「日記をつける」岩波現代文庫、三省堂で宮崎市定「中国文明論集」岩波文庫を買い求めました。こちらは新刊本といえども文庫本ですから、そこそこの出費で納まりました。

毎月書籍購入費は3万円以内に納めようとしていますが、どうも師走はボーナスを当て込んで本が出版されるのか、出版数が多いようで、ぐっと来ちゃうものの点数も多くなるわけですから、ついつい出費が重なり、とってもいけないことになってしまいます。

先週の読売新聞書評欄で紹介されていた荒川洋治「忘れられる過去」朝日文庫がとてもよかったので、「日記をつける」を買ってしまったわけですが、詩人の書く散文が何故好いか。詩は緊張感がありすぎて疲れてしまうのですが、散文は慎重に選ばれた言葉を適度な緊張の中で味わえるからではないかなと考えます。濃縮の極地のグランクリュが疲れるのに対し、軽さの中に味わいがあるワインが好ましいのと一緒のような気がします。石原吉郎さんの散文もとても魅力的です。

宮崎さんの本は幾つか持っているのですが読んだことありません。しかし、先月中国へ行って中国という国をもっと知らなきゃいかんなと痛切に感じ、この本をてにとって読んでみると読みやすいので買い求めました。

ところで朝日文庫は朝日新聞の書籍ですが、それを読売新聞の記者が書評して推薦したのは、ジャーナリストとしての良識でしょうか。朝日新聞は訳あって読むことがありませんが、書評欄で中公文庫を取り上げていることがもあるのかな。




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