キュヴェ タカ/cuvee taka 「酔哲湘南日記」

新鮮な山海の恵みを肴に酒を吞み、読書、映画・音楽鑑賞、散歩と湘南スローライフを愉しんでいる。 

トランプとは何者か

2017年01月31日 | Weblog
昨日は暖かい春の一日だったが、今日からまた寒くなるらしい。
だが、春節を迎えており、節分、立春も間近だから、春めいてきても不思議はないし、湘南は既に日差しが強く、曇ったりしなければ冬の陰鬱な気分になることはない。

今日で一月も終わり、いよいよ横浜でのサラリーマン生活も後2ヵ月である。
81年に輸出入サービスセンターで働きだして、横浜スタジアムの脇のビルから西へ2度移動して大岡川の大江橋脇まで来たが、桜木町に近付いたわけだ。
お世話になったかたも大分亡くなってしまったが、今でも元気なかたたちにはお目にかかってお礼を言いたい。
きちんと順序立ててお会いしていかなければ、あっという間に2ヶ月が過ぎてしまうだろう。

昨日は昼「かつ半」に行ったが、バアサンがいないとやっぱり寂しいもので、商いと云えども、待ってくれてる人がいるってのは嬉しいことなんだなあと改めて思う。
帰りに有隣堂に寄ったが、芸能コーナーの音楽のところに書評の本が置いてあった。
不思議な気がしたが、手に取ってみると50冊の本の書評があり、本の選択も新刊ではなく、自在な選び方で面白く、買ってもいいなあと思ったが、荷物になるので次回に回した。

家にまっすぐ帰り、ミネステローネ、ヒレカツ、蕪の漬物、焼売、コンテ、落花生、サキイカ、ジャガリコ、ラーメンスナックを肴に残り少なくなった船渡純米吟醸を呑むが、プライムニュースを見ながら2時間呑んだので、ワイングラスに6杯くらいあったのかなあ、4合ほどを呑み干した。

ニュースはもっぱらトランプが発令した大統領令の事で、アメリカは具体的にでしゃばった役割を降りたわけだから、それを批難するだけではなく、各国は自分達のコストで新たな世界秩序を作らなければならない。
虎視眈々と膨張している中国やロシアに対して、各国が対応しなければならないが、日本もアメリカと協調して対応するのは当然であるが、自立国家としての自覚と覚悟を持ち、そのコストはアメリカ依存でなく支払わなければならないだろう。
評論家諸氏の発言は既存のバラダイムにとらわれて、今それが劇的に変化していることをもとに戻すべきだという論調だけでつまらない。
そんなことなど専門家に聴くまでもなく誰でも分かることで、政治、経済、社会、歴史の専門家なら新しいパラダイムのモデルを提示出来ないのか、バカタレがと思いながらテレビを観ていたものだからつい呑みすぎてしまった。

自由民主主義で金を儲けることが正当化され、土地を買うことも正当化されているのだから、例えば隠岐を韓国人が買い占めてしまえば、そこは日本と言えるのだろうか?
中国人が石垣島を買い占めてしまえばそこは中国ではないのか?

酔った頭でそんなことを心配していたが、移民の問題も人道主義だけでは終わらない問題を抱えている。
極端に収入の異なる人達が大量にやって来たら、治安は維持できるのだろうか?
その人達の生活のために自分の蓄えを与えることが本当に出来るのだろうか?
トランプは世界的な視野で見れば、やや富めるアメリカ国民が持つ不安に訴えて、短絡的で現実的な対応をしているだけなのだ。
その先のモデルを示さないで批判することしか出来ないならば、どのように現状を変えて行けばいいのか、きちんとした施策と将来のモデルを示して、世に問うべきで、それが出来無いなら私と一緒で、少し黙って見ているべきではないのか。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

笑いの質

2017年01月31日 | Weblog
小林信彦と萩本欣一の対談集を読んでいるが、同時代を生きていたので興味深い。
子供の頃、お昼の番組で前田武彦が司会をして、コント55号がかなり頻繁出でていた記憶があり、中村晃子がまだ若くて可愛かった。
その後、井原忠高が日テレで前田武彦と大橋巨泉が進行役を勤めて「ゲバゲバ90分」という画期的な番組をやったが、その打ち合わせにフィアモントホテルを使っていて、小林信彦がコント作者の一人として呼び集められていた。
そこへ欽ちゃんが番組制作の現場を見たいとやってきたのが、この二人の出会いらしい。
当時のバラエティー番組は井原忠高がアメリカヘ行って観てきたものを日本向けにアレンジしたものだったらしいが、毎週「ゲバゲバ90分」を心待ちにして、放映日の翌日はクラスの友人の小早川君とギャグを再現して笑い、どれがよかったか批評したものだった。
ゲバゲバという言葉は小林信彦が、当時流行っていた学生運動のゲバ棒などからの連想で作った言葉で、タイトルに使われ日テレから金を貰ったとのこと。

今のお笑いは、人を貶すパターンがほとんどで面白く無いだけでなく不愉快なものが多い。
質の高い笑いは放送作家や台本作家の力量にも拠るのだろうが、実演者の才能不足もあるんじゃないかと見ている。
演劇についても大宮デン助と藤山寛美がいた。
笑いを誘うパターンはいくつかに集約されたのかもしれないが、バカバカしく面白かった。

立川談志が今の若手のお笑い芸人に厳しかったが、ああいったことを言ってくれる目利きがいなくなってしまった。
それでも落語は現在史上最多の落語家の時代を迎え、一部の人気落語家しか食えないから、皆さんこつこつと芸を磨いて、玄人として恥じない芸を身につけようとしていらっしゃるかたが多いから、全体のレベルはすごく高くなると思いまうね。



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

冬の日の一日

2017年01月30日 | Weblog
昨日の朝の散歩ではあまり鳥を観なかった。
それでも雀、椋鳥、白セキレイ、セキレイ、目白、烏、鵜などを観た。
WAKWAKで、ほうれん草、葱、海老芋、菜花、セロリ、ブロッコリを買う。
西友で、ジャガリコ、手羽元、鶏股肉、ラーメンスナックを買う。

昼は、親子丼と菜花の味噌汁、白菜漬けを食べる。

2時過ぎの東海道線で平塚に行き、BOで、永田和宏「もうすぐ夏至だ」白水社 2011年 1,900円、井上ひさし こまつ座「菊池寛の仕事」ネスコ 文藝春秋 1999年 1,800円、冴月さくら「艶々日記」マガジン・ファイブ2007年 1,600円、須賀敦子「霧のむこうに住みたい」河出書房新社 2003年 1,200円、山田風太郎「わが推理小説零年」筑摩書房 2007年 1,900円、アンドリュー・ジェファード 中川美和子訳「ワインを楽しむためのミニコラム」阪急コミュニケーションズ 1999年初版 2010年4刷 1,600円、「向田邦子暮らしの愉しみ」新潮社 とんぼの本 2003年 1,400円を買う。

永田和宏の「もうすぐ夏至だ」は出てからもう6年も経っているのか、いつも思うが光陰は矢より速い。
奥さんの河野裕子の歌に惹かれてこのご夫婦のものに目を通すようになったが、優れた文章を残されている。

井上ひさし こまつ座「菊池寛の仕事」矢崎泰久の本を読んでから、井上ひさしが再び近しいものに感じるようになった。
「小林信彦・萩原欽一 ふたりの笑タイム」にも井上ひさしは出てくるが、高校生時代から大学生になる頃に直木賞を取って文壇の寵児となり随分と矢継ぎ早に中編小説を中間小説誌に載せていて、割りと熱心に読んだが、日本共産党新派となり、最初の奥さんのエッセイでDVがあったことを知ってから敬遠していた。

冴月さくら「艶々日記」は証券会社のOLから熱海の温泉芸者に転進した著者の官能小説で、団鬼六が絶賛していると言うから、筋のいい人なのだろう。
ちょっと読んでみたが、セックスの内容が事細かに書かれており、随分とお客と情交を重ねたんだろうね、湯の町の色っぽさが伝わってきて、老人介護施設が多くなった熱海温泉にもまだ色町の残り香が感じられた。
30年前に大先輩と共に熱海に宿を取り、もう芸者遊びなんて消滅してしまうだろうと芸者を呼んで散財したが、そのときは外のラブホヘ行き、一人宿に帰って寝た。
翌朝、相かたが朝飯の給仕に来てくれたのに情感をやっと感じたが、今はあの頃よりもう少し情緒があるのだろうか。

須賀敦子「霧のむこうに住みたい」はこれが3冊目だと思う。
もう買うのをやめようと思うが、須賀敦子に惚れちゃっていから、目に留まると買ってしまう。
いつも積読なので、今回は少し読んでみた。
知的で硬質な文体は、3冊買うのに価する優れたものだ。

山田風太郎「わが推理小説零年」は、この作家に夢中になって、文庫で小説以外を読んでいた後に出た単行本のエッセイのシリーズの1冊目で、あれから既に10年が過ぎたのか。
去年ちくまで文庫化されたので、シリーズのうち何冊かは持っているが、果たしてどの巻を持っているのか分らない。
友人の風ちゃん狂いと合わせると、山田風太郎で持っていない本は無いのだが、単行本で持っていたいからね、買い求めておいた。
そんな本ばかりだけど、同じ本を何冊も持つというのは実に贅沢なものなんだよ。

アンドリュー・ジェファード 中川美和子訳「ワインを楽しむためのミニコラム」は、ワイン業者として少なくとも出版された時に手にとって見ていなければならない本だが、記憶に無い。
初版が1999年だから、ちょうど98年の赤ワインブームの反動で売り上げが落ちたとしだ、息消沈して勉強どころじゃなかったのかな。
2010年に4刷が出ているから、ワイン本としてはロングセラーだ、20年前はワインがどのように見られていたのかを思い出すためにも読まなければならない。

「向田邦子暮らしの愉しみ」はとんぼの本で写真が多い、すごい美人じゃないけど魅力的なんだよね、向田邦子は。
山本夏彦が、向田邦子を評して、最初っから玄人だと書いたが、文章だけでなく、飲み食いするもの、服装、装飾品、行動などがかっこいいのだ。
不倫相手のカメラマンが撮った写真が素晴らしいのは当然だが、他の多くの写真が収められていて、見ているだけでも愉しい。
彼女が進めるグルメ本100冊が、表紙の写真で紹介されているのが視覚的にも面白いのだが、半分くらいは読んだ本で、好みが少し重なっているところが嬉しい。

パン屋のオネエサンのところで餡パンとクリームパンを買う。
相変わらず元気で気っ風がいい。
気っ風がいい女は、それだけでいいもんだねえ。

平塚駅ビルの地下で魚を観る。
小柴の太刀魚の刺身がよかったが、この日の夜、湯豆腐が決まっており、それに加える晩酌の肴を物色していたのだが、以前ここで良く買ったことがある河豚の一夜干しでに気持ちがいってたので太刀魚は買わなかった。
その河豚の一夜干しが無かったので、それならエイヒレがいいかと探したがそれも無かった。
あまり飲むなという啓示であったのか、こういう日もある。

5階のさくら書店で「小林信彦・萩原欽一 ふたりの笑タイム」集英社文庫 520円を買う。

明るいうちに帰って、柿の木の剪定を行う。
部屋の整理をしようか一寸迷ったが、本の始末に本棚を5本買わなきゃどうにもならないので、諦めて庭に出た。

夜、湯豆腐、手羽元の塩焼、白菜漬けで、渡舟純米吟醸を冷やでワイングラスに3杯呑み、マール、コニャックへと移る。
肴もコンテ、落花生、ジャガリコ、ラーメンスナックと変える。

テレビで八代亜紀の「なみだ恋」「舟歌」を聴く、この2曲が好きなんだなあ。
五木ひろしの「よこはまたそがれ」を久し振りに聴くが、山口洋子、平尾昌晃はよかったよなあ。

嵐山光太郎が20年ほど前に山口洋子にインタビューしているのを先週読んだが、夕刊紙に野球の観戦記事を書いてたんだよね、野球には諦感があるから好きらしいんだが、そんな視点は私には無かった。
ちなみに、ラグビーは女っぽくって嫌いだとのことだ、指摘されてみると確かにそうかも知れない。

女子スキージャンプを観たが、高梨沙羅は綺麗になったなあ、女は年頃になると尻もでかくなり、瞬発力が必要なこういった競技では勝てなくなるもんだ、だが強かったね。
ワールドツアー50勝だよ、小さな巨人だよなあ。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

冬の花火

2017年01月29日 | Weblog
二宮の小田原寄りの梅沢海岸で花火があった。
以前は二宮海岸沖の船から打ち上げた花火が七月下旬にあったが、台風で海岸がなくなって以来行われなかったので7,8年振りだろうか、朝、忽然と花火を打ち上げると放送があった。

6時から20分ばかりで、見物の人が500発だと言っていたが、短い時間というのが冬の花火には向いている、夏の花火もだらだらと長くやるより、この程度がいいような気がする。
空気が清洌で花火があざやかに見え、凪いだ海に光が反射し、花火の上に輝く金星、沖の漁火、小田原から伊豆にかけての街の灯が美しかった。

花火から帰り、大根とワラサのあら煮、がんもどきと豆腐と小松菜煮、ワラサの塩焼きで、石岡市の府中誉(株)渡舟純米吟醸五十五濾過前 短稈船渡55%を冷やで呑む。
少し火入れをしているらしいが、薫り高くフルーティで奥行きがあり美味かった。

母の着替えを手伝い寝かせ、9時からアド街を観る。
木曜に行った湯河原で昼飯を食べたラーメン屋がアド街に出ると、そこで知り合った若いやつに聞いたが、彼は何処でそんな情報を仕入れたのだろう、テレビに出たら混んで食べられなくなるので慌ててやってきたとのことだった。

そのときは10人ほどがならび20分待ちほどでラーメンにありつけたが、画面は週末でもあったのだろう、30人以上がとぐろを巻いて並んでいた。
スープは比内、名古屋コーチンなどのガラから取るらしいが、あの味は肉からもとっていると思う。
昔、横浜中華街の料理人に鳥でも豚でも肉を使って出汁を取り、上の方の汁10㎝くらいを思いきってとって捨てると上品で美味いスープがとれると聞いて家でやっているが、そのようなスープだった。
鶏の油が浮いていて、その臭いがしたのが気に入らなかったが、途中から豚の三枚肉2切れからの脂が出てきて、豚の臭いに変わった。
三つ葉が入っていたのは、鶏油の臭い消しなのかもしれない。

醤油は本醸造の手造りの物をいくつかブレンドしてるようだが、最近家でもラーメンを作るときには昔ながらの造りの醤油を使っているが、甘くてフルーティな味がする。
一昨日も書いたが、麺が一番特徴的で、イタリアの手打ちパスタのようにもっちリとしている。
私はラーメンの麺としては、横浜中華街の永楽製麺所に慣れているので、クリスピーなものが好みだが、それはそれで美味いと思った。

今日も朝からまぶしい春の日差しが差している。
葛川を上って鳥を観ながら散歩をするが、昨年買った鳥の図鑑が本の山に紛れて行くえが知れない。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

湘南は快晴

2017年01月28日 | Weblog
昨夕は茅ヶ崎で仕事を切り上げて、渚亭で大根と人参とバラ肉を煮込んだのとメンチカツ、モロキュウを肴に茨城の純米吟醸(銘柄を失念)をワイングラスで二杯(きっとたっぷり二合はあったと思う)飲んで切り上げ、BOに寄って、9時前に家に帰った。
9時からの新日本風土記を観ながら、落花生をつまみにスコッチとコニャックを飲んだ。

それまでは金曜の夜は紅灯の巷を徘徊していたのだが、去年9月に体調を崩して、二か月ばかりは金曜の夜9時から、この新日本風土記を観ていた。
昔嫌いだった松たか子のナレーションが魅力的で、人は年齢で好みが変わるもんだなあとつくづくと思ったが、日本の風土も懐かしく感じ、これも年を取ったせいかもしれないが、楽しみになっていた。

朝、新聞を見ると、新日本風土記「北酒場」となっていたので、時間を合わせて帰って来たのだ。
期待にたがわぬいい番組で、八戸、小樽、秋田などの雪国の酒場の風景は、酒飲みにとって堪えられない味があるもので、雪が外の世界を遮断して、酒に一直線に集中でき、あるいはそれが女のこともあるが、ひとたび外へ出ると全く異なる銀世界で、その落差が鮮やかなんだな。

福島の酒場もやっていたが、1F(原発1号機)の廃炉をやっている人たちが飲み屋に集まって飲んでいるのだが、誰かがやらなきゃいけないんだったら、俺がやると使命感を持った人、危険手当が高いのでと金が目的な人と様々で、それがアルコールでつながっているところがいい。
画面の中の酒飲みたちが楽しそうで、一緒に飲んでいるような気になり、こちらもつい飲みすぎた。
新日本紀行のあとボス潜入を観て、NHKの定点で72時間何かを撮影する番組を観て、今回は自由に弾けるピアノを撮影したが、これが結構面白くて、この番組に遭遇すると観ちゃうんだな。

BOでは、小沢昭一「句あれば楽あり」朝日文庫 2000年 500円、佐高信「タレント文化人200人切り」河出文庫 2015年 870円、辻嘉一「五味六味」中央公論 昭和60年 1,400円、阿久悠「文楽」河出書房新社 2000年 1,800円、矢崎泰久「人生は喜劇だ」飛鳥新社 2013年 1,429円を買った。

買った本の中から「人生は喜劇だ」を持ってベッドに横になったが、飲みすぎたせいですぐに寝てしまった。
朝5時に起きて続きを読んだが、めっぽう面白い。
矢崎泰久は、文壇があった最後の時代の編集、企画者だが、中年御三家の野坂、永、小沢はみんな死んでしまい、色川武大もとっくにいないし、この本に出てくる人でまだ残っているのは、五木寛之と和田誠、中山千夏くらいか。
前書きで、これが最後の本になるので、今まで付き合ってきた作家や漫画家、音楽家についてオブラートに包んンで書いてきたことを、すべてそのまま書いてやると宣言しているだけに、へえーこの人こんなことやったんだという凄いことばかりが出てくる。
己が恥ずべき人生なんて大したことないじゃねえかと安心し、それなら、これからもっと大胆にやってやろうと元気が出てきた。

今日は西高東低の気圧配置で、湘南は晴天ぽかぽか陽気になる。
散歩に出て光をたっぷり浴びて春を楽しむこととしよう。




コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

南風が吹く

2017年01月27日 | Weblog
昼、外へ出たら天気予報どおり南風が強く吹き暖かかったが、風で舞い上がった埃で目がクシャクシャした。
立春前だから、春一番とは言わないが、まさに春を思い起こさせる陽気だ。

先週行けなかった駒鮨へ行きチラシを食べた。
鮪、蛸、穴子、煮帆立、青柳、平貝、平目、平マサ、卵焼、蒲鉾、蟹、海老、絹鞘、山牛蒡、ガリと蜆の味噌汁。
久し振りに食べたので美味かった。

風が吹く中、馬車道を通り本通に出てセルテへ行き、芳林堂で、フリードリヒ・ニーチェ 森 一郎 訳「愉しい学問」講談社学術文庫 1,450円を購入した。

この本はアフォリズムなので読みやすいのだが、読み続けるのが難しい。
森一郎という人はハイデガーの研究者だが、どのような人なのかまるで見当がつかない。
だが、本を立ち読みしてみるとヴィヴィットな文体でちょっと面白かった。
それでつい買ってしまったが、ニーチェは若い頃、岩波文庫で揃えたが、揃えただけで全く読んでいない。
解説書のようなものを読んで分ったつもりになっているが、マルキ・ド・サドが実行したことを形而上で考えた人だという認識を持っているだけで、「神は死んだ」という思想の内実は全く分っていない。
この本により「永遠回帰」を高らかに歌い上げたことになっているが、果たして読了するかどうか疑わしい。

現在読んでいる本は、三遊亭圓生の「浮世にいい忘れたこと」であるが、技術というものは毎日こつこつとやって5年10年20年と上達してゆくもので、人様から金子をいただく技術を身につけたはじめていくばくかのものをいただけるもので、それまでは詰まらんことを考えずに餓死しなければ、こつこつと技術の習得だけを考えて生きてゆくべきなんだ、というようなことを書いている。

実に見事なものだなあと感心しているが、私なんぞ若い頃から、どうしたら楽をして一気に金が儲かるかなんてバカなことしか考えなかったもんだから、この体たらくである。

ニーチェでも圓生でもいいから、本は若いうちからきちんと読んでおくものだなあと思った。





コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

懐古趣味

2017年01月27日 | Weblog
早春の国府津の駅から眺める相模湾は穏やかでキラキラと輝いていた。
この海を観ると必ず「春の海のたりのたりかな」の句を思い出す。
実景に加えて過去のある瞬間を切り取った風景がかさなり、風景が深みをます。
日本人の感性が産み出した歌枕は、トポスに時間を加えた贅沢なものだ。
後世を生きる我々はただそれを味わうだけでもいいし、次の時代に何かを残してもいい。

大雄山鉄道に数十年振りに乗った。
高校生の頃、友人と二人でこの長閑な単線に乗り、終点近くの駅で降りて、水の無い春の田圃一面に咲いた蓮華の花畑で遊んだことがある。
もしかするとそれ以来45年振りなのかもしれない。

この日、飯田岡の駅で降り、酒匂川を渡り東に歩いたが、途中に富水小学校があった。
ここ出身の同級生が何人もいたが、初めて観る小学校に懐かしさを覚えた。

客先で用事を済ませ、小田原に戻り、湯河原に向かったが、下りの東海道線の本数が少なかった。
国府津小田原止まりの電車が多いためだが、平塚止まりが多く不便を感じている比ではない。
高校時代に小田原以西から通っていた旧友がよく街で時間潰しをしていたことを思い出した。
それでも30分に一本電車があるので地方都市のダイヤ状況より良いのかもしれない。

小田原から湯河原までは車窓から相模湾が綺麗に見えるが、この日の海は穏やかで深い青が美しく、魚道にそった定置網のブイがくっきりと見え、水面下の鰤の群を思い想像を逞しくした。

湯河原に降り立ったが、駅前は工事のため囲いが張り巡らされ、温泉町の風情を損なっていた。
5年ほど前までは、数年続けて幕山の梅を愛でに来ていたが、その後は曽我の梅林に場所を移し、ここ2年ほどは大磯の梅畑で観梅をしている。
年を取るにしたがい、段々横着になるものらしい。
その湯河原梅祭りは2月からしいが、今年の梅は早いので盛期に間に合うのだろうかと要らぬ心配をした。

この日の目的は駅から海の方へちょっと歩いたところにあるが、工事の囲いをぐるっと回り、坂の下に降りる途中、昔、恋人と来た割烹料理屋と寿司屋があり、当時はまだ意気盛んだったなあと懐かしい気分になった。
年を取ると昔覚えのある物を見るたびに、懐かしい気持ちがわいてきて、いい気分に浸れるのだが、若い頃に色々な方とお付き合いいただき、色々なところへ出掛け、今もその場所が残ってくれていることの有り難さをつくづく感じる。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

南高北低

2017年01月26日 | Weblog
どうもテレビばかり観て勉強をしなくてダメでね、毎晩BS8のプライムニュースを観るんだけど、今日は猪瀬さん怒ってたね、事情も知らないやつがコメンテーターになって、地上波は視聴率優先で、興味本位で煽るから豊洲市場の問題も実際とは違うほうに行っちゃってねと。
きっとそういうことなんだろうね、プライムニュースしか観ないのは。
最近だと佐藤優と鈴木宗男の北方領土、熊本県立大学の五百頭旗真のアメリカ分析等々面白かったな。

今日はえらい寒くて朝から暖房の温度を上げて読書をしていたが、全然温まらないので、朝風呂に入って温まったが、出てくるとすぐに冷めてしまう。
だが、日中は南高北低の気圧配置で南風が吹き込むから暖かくなるらしいが、そう願いたいものだ。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

TJLの幸せ

2017年01月25日 | Weblog
朝から日が出て青空のいい天気かと思ったが、とにかく寒かった。
車窓からの富士は見事に青空に映えたが、雪で覆われている部分が例年より少ないように感じる。

昼外へ出たが気温が上がっておらず、かなり寒かった。
火曜日なので何時ものように「敦煌」へ行き、三週連続酢豚を食べた。

JRAでは、つつがなくTJFが開かれていて、V福山詩織、G小田島伸樹、B小沢基康の何時ものトリオで演奏が行われていた。
二三回前からGの音量が変わって、小田島さんのギターが綺麗に響くようになり、聴いていて幸福感に包まれるようになった。
小柄で器用なのだろうか、実に繊細な音で、ロックのギターの音色がひじょうに好きなのだが、近頃ジャズギターの音に痺れるようになってきた。
年を取ると幸福感が増すというが、そういったことなのだろうか、近頃、何事によらず幸福感に浸っていることが多い。

横浜に3月末まで来るとすれば、TJLを聞けるのも10回ほどだなと思うが、去年の5月から始まったTJLを最後の一年に聴くことが出来幸せだったね、まだ、終わったわけじゃないけど。

家に帰って来てテレビを観るのだが、結局プライムニュースを観てしまう。
日本には優れた学者や官僚がたくさんいるんだなあと思うが、それを使う田中角栄がいない。

小沢昭一随筆随談選集3「慕いつづけたひとの名は」を読んでいるが、面白いねえ。
小沢昭一自体の存在も面白かったが、随筆も名文で面白いです。
人が面白くなきゃそこから出てくるものは詰まらんものなのは当たり前です。
文章も修業で得られる技はあるけれど、書いてる人物の面白さだね、最後は。
文は人なりとはよく言ったものだが、技を磨いて神業にまで持って行ける人はみんな面白い人なのか、あるいはみんな生まれつき面白いが、その面白さは芸を磨いて初めて出る場合があるのかなあ。

小沢昭一は生まれつき面白い子供で、若い頃からその面白さを磨いた気配がある、この本は全6巻であるが、新刊が出たときはあまりにも高いので買わなかった。
伊勢佐木町のBOで半額以下になってたのを3冊だけ買ったような気がする。
そして、折を見ては読み返してるから俺にとっては貴重な本だ。
3巻を読み進めた中で感じるのは、千田是也を師匠の一人と仰いでいるが、川島雄三とのやり取りが一番面白い。
これは川島雄三が面白いから共鳴するのかもしれないが、「幕末太陽傳」の面白さは、他の監督の比じゃあないからね。
藤本義一が書いた川島雄三も面白さが傑出しているものね。
小沢昭一と川島雄三の出会いは、タイプの異なる面白い人間のマリアージュで、単独ではあり得ない面白さなんだね、最近の人間はのっぺりしているから、混ぜたところでやっぱりのっぺりするだけで際立った面白さが生まれない、面白い人みんな死んじゃいましたね。
でも、ペン太郎っていいましたっけ、若くないけど未だ変な人がいましたね。

西高東低の冬型の天気が安定してるのだろう、今朝も冷え込んでるが快晴のいい天気だ。
車窓からの富士も今が一番いい姿だ。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

猫まんま

2017年01月24日 | Weblog
夕方4時に下の息子と二宮海岸を散歩した。
波が思ったより高く、釣り人の姿はなかったが、波のせいで平目も岸に寄ってないだろうし、鱸はこの時期産卵で沖に出てるので、1月の釣りは難しいんだよね。

南の大島、西の真鶴半島と伊豆半島はくっきりと見えたが、東の三浦半島と房総半島は重なって見えた。

市五郎丸のロープを見て、上の息子が小学校1年の頃、このロープの左側で初めてルアーで平目をつり上げた時のことを思い出した。
あの日は前日平目が釣れていたので、海が変わっていなければ平目が釣れる確率が高いと、家人に息子を連れて行ってやってくれといって、頼んでおいた。
当時、日があるうちに平目に一番効果的だと信じていたK-10の9㎝のシンキング、イワシカラーだった。
釣り上げた後、柳の下を狙って再度ルアーを投げて、ロープに絡めてロストしてしまったので、新しいのを買ってやったことを覚えている。
21年前のことだ。

市五郎丸のところで浜から上がり、二宮駅の方へ歩き、東海道沿いに昨年暮れに出来た、鰹節屋の田邊の店に寄って、特殊削り器削り立ての鰹節と昆布を買った。
鰹節屋のオジサンの説では、この削り節は猫まんまにすると最高とのこと。

5時過ぎに帰り、風呂に入って晩酌をする。
酒は日置桜の特別純米、冷やで味見をしたが、綺麗な造りで厚みもあり、辛口ではないが然程甘くもない好みの酒だ。
ストーブの上の鍋で燗をして、叉焼、白菜と蕪の漬物、卵焼き、海老芋の煮物、ほうれんそうのお浸し、落花生を肴に独りでチビリチビリと始めた。

その内家人が、岩漁港の真烏賊の刺身、マンボウの刺身、湯豆腐、厚揚げとぜんまいの煮物、新若布の茎などを作って出してきたので、四合瓶をほとんど呑んでしまった。

烏賊は前回も美味かったが、ちょっと黄色がかった半透明で、これは白く濁る前の鮮度が良いときの色合いで、実に美味かった。

マンボウは生き〆で血抜きをしたと魚屋のニイサンが自慢していたが、身が締まっていて歯応えがあり、味も水っぽくなくて絶品だった。
肝和えにしても食べたが、まんぼうの儚い繊細な風味を楽しむなら山葵醤油の方がいい。
高級魚でなくても、これからも獲れたら直ぐに処理をするべきだ。

ぜんまいは知人が岐阜の山中で採ったのを塩漬けにしたのを戻したのだが、生の時より風味がまして、酒の肴に堪らなくよかった。

削り節だが、一片が厚くてでかいので、チップのようにして酒の肴にして食べても美味かったが、家人と息子は猫まんまにして大量に食べていた。
鰹節屋のオジサンの言ったことは正鵠を射ていた。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする