近頃狂ったようにCDを買っていて、ボーナストラックという聴き慣れない言葉があり、一体何だろうと思っていたが、どうも正規のアルバムが売れなくなり、新たにテコ入れするために数曲加えてお買い得感をアピールするための追加曲の事らしい。
文庫本であれば、新規に短篇や解説などを加えるのがこれに当たり、版を重ね再販で活字を大きくするのが、リマスターなのか、何れにしろチョットおまけをつけて今まで持っている人にも新たに買ってもらおうとの需要喚起だ。
若い人たちはストリーミングが主流になり、アルバムでなくて単曲で聴いているらしいから、本の場合と同様にオッサン向けの販促なんだろうなあ。
2010年発売のHiromi「Place to Be」は安かったので輸入盤を買ったが、日本版にはボーナストラックが付いているようで、きっとライナーノートもついているんだろう。
まあそなことはともかく、昨夜じっくりとこのアルバムを聴いてみたが、ざっと聴いてみた時と印象が違って深みを感じた。
音痴で音楽の才が無く楽譜が読めないから分析的な楽しみ方が出来ないのが口惜しい。
言葉が分からないから原書で「赤と黒」が楽しめ無いのに似てる、でも言葉の無い芸術は万人が愉しめる利点がある。
とすればだ、音が直接僕の受容体を刺激して何かを喚起するってことも有り得るわけで、そう悲観することも無い。
まあ御託を並べず後10回くらいじっくりと聴いてみる事だ。
ところで、あまり好きじゃなかった蓮實重彦の「見るレッスン」を断続的に読んでいるが、著者80歳を過ぎても、こっちがまごつくような映画に対し溢れる愛情を表明した本で、出てくる映画が無声時代のものが多く、観たことが無いのが酷く残念だ。
丸谷才一が書評の本質について、読者が読みたくなるものに止めを刺すというようなことを言っていたが、映画批評も同様で、いいと感じた映画を全身全霊を揚げて褒め、観てみたいと思わせることが肝要だとすれば、この本は名著だ。
80歳を過ぎているので、過去の映画の話に終始しがちかと思うとそうじゃ無く、最近の映画についても目配りされていて、如何にも魅力的に紹介しているのも凄い。
4月から宮世話人をやるので、今日は10時に町内の会合に出かけなきゃいけなかったが、それまで笠井紀美子と安富祖貴子を聴いた。
安富祖貴子はGoToトラベルが中止になる前に沖縄へLiveを聴きに行き損ねたので、チョット遠ざかっていたが、久し振りに聴くといいねえ、要は好みなんだろうね。
美人の歌姫が好きだが、この人はそうじゃないのに好みだから相当好きなんだろうね。
昨日京都の友人に約束していたシシ鍋を喰いに行く約束が、このコロナ騒動で実現出来ないなあと電話したが、大学の研究室で一人暗く過ごしているらしい。
好みの音楽が友部正人とはぴいえんっどだったから、どんな奴か想像がつくだろうけど、今もって草木に夢中だから、時々人間らしい世界に引き戻す必要がある。
10時からの会合は初めてだったが、原田というこの小さな町内にも解決不可能な問題があり、歴史を感じたな。
それにしても皆さん結構手間暇が掛かる仕事を無給で感謝されることなくやっている。
昼は鶏飯を妻がやりたくて朝から騒いでいたが、かなり美味かったので喰い過ぎた。
烏龍茶が終わったので納戸から仲のいいフランス人が中国土産に持って来てくれたプアール茶の塾茶の塊を出して来て砕いて淹れた。
元々塾茶だったのを納戸で10年寝かしたからすっかり古茶になっていて、濃い味わいで美味かった。
午後は2階のベッドで本格的に昼寝をした。
5時過ぎに起きて、ゆっくり風呂に入った。
昼を随分食べたので、腹が減ってないかと思ったが、そんな事はまったくなかった。
金目の煮つけ、ポテトサラダ、栄螺壺焼き、落下生で「菊正宗生酛純米」を燗で3合呑んだ。
「男はつらいよ 拝啓車寅次郎様」は既に47作で、ラス前で寅さんもタコ社長もやつれてる。
牧瀬里穂は全然いいと思わなかったが、JR東海のCMを観てからすっかり好きになった。
江ノ電鎌倉高校前のプラットフォームでの光男と寅さんの別れがいい。
石原裕次郎の番組とザッピングしながら観たが、裕次郎に熱中した世代ではないので思い入れはない。
若い頃の北原三枝は綺麗だったと思う。