キュヴェ タカ/cuvee taka 「酔哲湘南日記」

新鮮な山海の恵みを肴に酒を吞み、読書、映画・音楽鑑賞、散歩と湘南スローライフを愉しんでいる。 

湘南は終日晴れ

2014年06月30日 | Weblog
土曜日は一日雨で午後自転車で大磯まで雨中サイクリングを強行した。
途中プラムが赤く色づいていたのを何個かいただいた。
固くて酸っぱくて美味かった。

日曜日は朝早く雨が上がり午前中から日が差した。
わくわくまで下の息子と散歩をし、途中の農家でトマト、キュウリ、隠元、人参を買い、わくわくで、枝豆、玉蜀黍、茄子、夏蜜柑、フルーツトマト、葛桜を買った。

家に帰ってトマトを井戸水で冷やして食したが、抜群に美味かった。
やはり野菜は鮮度、そして夏の野菜の適温は14℃だ。

枝豆を茹でてオールフリーを飲んだが、ノンアルコールは暑くならないからい。
家でビールは飲まない。

午後自転車で平塚まで行きBOで、和田誠「日曜日は歌謡日」講談社文庫 昭和61年、池島信平「歴史好き」中公文庫 昭和58年、安岡章太郎「なまけものの思想」角川書店 1994年、丸谷才一「山といへば川」マガジンハウ 1991年、長田弘「人生の特別な一瞬」昌文社 2005年を買った。

「日曜日は歌謡日」は昭和51年に出たものの文庫化だから、歌謡曲が一番華やいでいた頃の歌が50曲ほど出てきて、その全てを知ってる。そんな時代があったのだ。

「歴史好き」は文藝春秋編集長から社長になった池島信平の本だが、こういった本を買う人は本が好きなんだろう、30年以上経ってるのにピッカピカだ。

「なまけものの思想」は昭和48年に角川文庫で出ていて、それを持っているが、字が大きいので買った。
あの頃は、吉行淳之介の軽薄、遠藤周作のぐうたらと、第三の新人のお陰で生きて行くのが楽だった。

「山といへば川」は、丸谷才一の最も面白いジャンルの書評集、まず最初の三行で面白いこと、貶さないで読みたいとおもわせること、内容を要約していることを旨に毎日新聞書評欄をリードした。
その遺伝子が鹿島茂に受け継がれている。

「人生の特別な一瞬」は詩集だ、詩を奉る傾向があり、見掛けると買ってしまう。
ただし単行本は高いので新刊で買うのは谷川俊太郎くらいで、他の気になる詩人の詩集がこうやって古書で安くなっていると嬉しくなってしまう。
2003年にハルキ文庫から出た自選詩集「長田弘詩集」は持っている。

五冊〆て540円、消費税が上がっても、たったこれだけだ。
基礎的な教養と見識を身に付けるのに、日本においては大した金が要らない。

本は高い金を出して失敗しないと身に付かないとの説もあり、確かにそうなのだが、毎年200冊21,600円、10年で2,000冊216,000円の投資をすれば、社会に出たとき、これで何に対してもどうにかやって行けるのだ。

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鮨屋から伊勢佐木町へ

2014年06月29日 | Weblog
井桁鮨で握りを食べた。昼に握りを喰ったのはもう三年位前になるし、夜に酒を呑みながら握りを喰ったのも1年以上になるので、何れにしろ久し振りであった。
先ず感じたのは酢の強さで、ここは男飯が特徴であり、夏の酢飯は特に酢を利かせてある。

このごろは座ると自動的にちらしが出てくるようになっているが、先回親方がたまには握りでもどうですかと云ってくれ、今日は握りにしましょうかといってくれたので、それに従った。
年を取ると行動パターンが画一化するので、たまには人の云うことを効いてみるのも良いもんだ。

白身、赤身の鮪、中トロ、子持ち昆布、小帆立煮、海老、蟹、玉子、干瓢巻、鉄火巻、沢庵巻に蜆の赤出汁。

伊勢佐木町まで歩き、大汗をかきながらBOで古本の探索をした。
中川一政「うちには猛犬がいる」中公文庫 1988年、都筑道夫「キリオン・スレイの敗北と逆襲」角川文庫 平成元年、常盤新平「山の上ホテル物語」白水社の3冊を買った。

中川一政美術館をどこかで見かけたと思ったら真鶴にあるらしい。
ずっと伊豆のどこかと思っていたが、こんな近いところにあったとは驚いた。
この人随筆をたくさん書いている。

都筑道夫はこのところ状態の良い本があれば何でも買い求めるようにしている。
店頭ゼ立ち読みした程度であるが、文体が軽妙で愉快である。

常盤新平は亡くなる前に何冊かの新書本を買って馴染んだが、「山の上ホテル」は吉行淳之介が執筆に利用していて、天麩羅が美味いとどこかに書いていた。池波正太郎もここの天麩羅を褒めていたと思う。 
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リタイアの年齢

2014年06月28日 | Weblog
30年来の友人であり取引先と野毛の福家で飲む。
今の厳しい状況を、この30年の酒類業界の移り変わりを思い返しながら話したが、小売り業者が巨大化して、尚且、物を売る能力が落ちているので価格訴求一辺倒に走る以外の策がない。
経費をかけずに商品を納入できる業者か、大資本で商品を占有出来る業者でないと利益を伴っての商いが困難になっている。

酒を飲みながらこのような話をしたが、輸入酒類問屋の社長である友人は、この状況の中で利益を出している優秀な男だ。
しかし、60才でリタイアしたいとも話していた。
父の世代に55才定年が60才になり、我々の世代に65才となったが、次の世代には70才になるのだろうか、この移り変わりを見るたけでも世の中が悪くなって来ていることが分かる。
キリスト教社会では、労働は神に与えられた罰の意識が強いと聞いている。
従って能力のある人は早く一生分の財を貯めてリタイアすることを目指すらしい。

日本においても、かつての隠居の年齢は低く、長生きの人は富を生む活動とは異なったことをして物事を極める機会があった。
このような社会こそ高い文化を有するわけで、この友人のように仕事で優秀なところを見せた人が、仕事ではないところにその優秀さを発揮してくれたら厚みのある社会になって行くに違いない。

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鯖・平目・イワナ

2014年06月27日 | Weblog
水曜日の夜、家に帰ったら鯖の味噌煮が台所のテーブルに載っていた。
家人が云うには上の息子が、早川で平目と鯖を釣ってきて、鯖は味噌煮に、平目は五枚に卸してあるから刺身にして喰ってくれということだった。
昨日朝、表側の女節に当たる部分の皮を引き、刺身にして喰った。
せっかく買った柳刃に錆が出ていたのでがっかりしたが、いまどき包丁の管理を期待するほうがいけないようだ。
飯のおかずにするより酒の肴にしたほうが好ましい、と思いながらも美味しくいただいた。
この時期までになると平目も体力が回復しており、世間で言われるほど不味くは無い。

好物の茄子のオリーブオイル焼きも生姜醤油で食べたが、こちらも美味かった。
一昨年までは、夜、煮干の頭と内臓を取って水に漬けて冷蔵庫で出汁をとって、翌朝茄子の味噌汁にして喰っていたが、去年からオリーブオイル焼きに変えた。
茄子は皮のところに栄養があるとのことだが、味噌汁にすると色が変わるので皮を剥いていた。どうにか滋養があるという皮を食べてやろうと、この調理方法に変えた。
ふた夏くらいは飽きずに喰い続けるだろう。

糠床を先月作ってみたが、どうも上手く行かず良い香りにならない。
鷹の爪と昆布を入れてはみたが、味のほうもいまひとつだ。
最初に入れた菌がラッキョウを塩に漬けていたときに出来た菌で、多分乳酸菌だと思うが、その株が余りよくなかったのかもしれない。

夏、朝飯で野菜を取るには、胡瓜の糠漬けと茄子のオリーブオイル焼きが簡便でよいのだが、糠漬けが上手く行かないので茄子ばかりになって少し飽きている。

紀伊国屋で、湯川豊「イワナの魔法」筑摩書房を買う。
この人の文体は好みだ、このくらいのものを書いてみたいと思うのだが、簡潔にしてこくがある、この文体は彫琢を重ねた結果だからそうやすやすと真似できるものではない。





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ほねぶと

2014年06月26日 | Weblog
昨夜久し振りに利休庵へ行ったら焼酎のボトルが流れていた。
質流れというが、こういった時も流れるを使う。
本来ならば在るべきものが、不本意ながら無くなってしまう時に使うようだ。

少しがっかりした。
以前なら間を開けずに来ていたので、お運びのおねえさんがたも顔見知りで具合良くなんでもしてくれたから、居心地も良かったが、顔見知りは一人だけになってしまった。
ともあれ商談をしながら酒肴を楽しみ〆に蕎麦を喰った。

消費税が上がってから世の中の動きが変わって、仕事が思いの外厳しい。
こういうときはアライアンスで困難に立ち向かって行くのがいい。
社外取締役の有効性は、狭い社内の常識が世間からずれているのを修正することにあるが、アライアンスにも同じ作用がある。
自分達では見えにくくなっている欠点が見えてくるし、時にはそれを補ってくれる。

さて、アベノミクスの第三の矢は果たして有効なのだろうか、ほねぶとのと言う言葉に惑わされてはいけない。
円を刷り、円安誘導をして輸出産業の利益を膨らましたが、企業はグローバル化に備えて利益を内部留保する。
刷った円のほとんどは銀行にあるのではないか。
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2014年06月25日 | Weblog
昨日は三鷹で雹が降ったようだが、30数年前に三鷹に住んでいた頃は穏やかな場所で、こんな椿事が起きるようなところとは思わなかったので、ほーっと云う感じだった。

今朝のサッカーは良く戦ったが、結局実力どおりの結果に終わった。
勝負事は運が大きく作用するものだが、今回はみんなに均等に運が行き渡ったようだ。

入江相政「味のぐるり」中公文庫 昭和57年を買って読んでいる。

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梅雨の晴れ間の休日

2014年06月23日 | Weblog
日曜日も午前中は下の息子とわくわくまで散歩した。
途中の農家でトマトを買った。
これを散歩から帰って井戸水で冷やして食べたが甘くて爽やかな酸味があって絶品だった。
採りたてのトマトはこれだから病み付きになる。
わくわくで、枝豆、ズッキーニ、茄子を買う。
西友で柿の種、バタピー、餡蜜、マンゴーゼリー、短い五本指の靴下と歯ブラシを買う。

昼、親子丼を作るがイメージ通り作れない、玉葱が新玉で水分が多いのがいけなかった。

午後茅ヶ崎まで行きイトーヨーカ堂、イオンワイン売り場の視察をする。
ついでにイオンで靴、ズボン、無添加ポトトチップ、マンゴーゼリーなどを買う。

久し振りの茅ヶ崎BOは棚の並び替えをしてあったが、目ぼしい本がなく都筑道夫「きまぐれ砂絵」光文社文庫1996年を買う。

川上書店でチャールズ・ディケンズ「二都物語」新潮文庫、吉越浩一郎「社長の掟」PHPビジネス新書を買う。
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BOの功罪

2014年06月22日 | Weblog
相変わらずの土曜日で、午前中わくわくまで下の息子と歩いた。
葛川の清掃で、ボランティアの皆さんが暑い中ウエーダーを履いて、ビニールやペットボトルを抱えて上がってきた。
定期的に清掃をしないと川は汚くなるばかりだ。
すれ違うときには労いの言葉をかけたが、こういった人たちに大いに感謝したい。

トマト、胡瓜、茄子、隠元、枝豆、蜀黍、オールフリーを買った。

午後自転車で平塚まで行き、BOで四方田犬彦「指が月を指すとき、愚者は指を見る」ポプラ社 2004年を買う。
こういった本が108円で買えてしまうから、新刊を買うときに躊躇することになる。
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草森紳一との出会い

2014年06月21日 | Weblog
昨日、日本対ギリシャの戦いがあったが、引き分けはしたもの第一戦のコートジボワール戦に比べたら随分といい戦いだった。
サッカーにたいして強い興味を持っているわけではないが、若い頃足が早かったので、遊び程度に楽しんだことがある。
その程度の人間が感じることだが、日本は一瞬のパワーとスピードが足りない。

古本を二冊買った。
吉行淳之介編「奇妙な味の小説」中公文庫 1988年、都筑道夫「まぼろし砂絵おもしろ砂絵」光文社文庫 2011年
「奇妙な味の小説」は、山田風太郎と星新一を読んだ。
吉行淳之介がこのアンソロジーを編んだのが1970年であるから、これらの小説はそれ以前の作で、懐かしい感じがどこかする。

家に帰ったら、楽天で新刊を買ったのが着いていた。
草森紳一「記憶のちぎれ雲」本の雑誌社 2011年、この本が出たときに名古屋の三省堂書店で何度も手にとって眺め、よっぽど買おうかと思って止めた。
その時に草森紳一の名前を初めて知ったのだが、優れた書き手であるとの勘が働いた。
その後古書で他の著作数冊を手に入れて読んだが、やはり面白かった。
そして今、きっかけとなったこの本が欲しくなった。
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書物の達人

2014年06月20日 | Weblog
「丸谷才一 書物の達人」を読んだ。

別のところにも書いてあり、読んだことのあるエピソードだが、何かの賞の選考会で、川本が小さな声で何かしゃべりだしたら、丸谷が「声が小さい」と大声で云ったんですね。
ちなみに文壇の三大音声は、丸谷才一、井上光晴、開高健の三氏。

これを前ぶりに、本題は丸谷の戦争忌避を取り上げて論じているんですが、夏目漱石の徴兵忌避について書いてあったのも興味深かった。

湯川豊は、丸谷の書評についての貢献を書いていた。
書評というものが面白いもので、芸の発揮されるものであることを広めた。
特に毎日新聞の書評欄を任されてからの活躍は目を見張る。

鹿島茂は丸谷が情緒や性的なものについて重要視していた事を指摘しているが、鹿島も毎日新聞の書評を書いていた。

丸谷才一のエッセイと書評しか読んでない。
どうも年を取ると小説が暑苦しく感じ読む気にならないのだ。
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