キュヴェ タカ/cuvee taka 「椿庵酔哲湘南日記」

気儘な湘南暮し ー散歩に読書、映画、酒、そして時々釣り-

湘南、冬の海

2008年12月31日 | Weblog
今朝の湘南も昨日に続き目の覚めるような好天、雲ひとつありません。七時過ぎから強い日が当たりだし、その暖かさにつられて大磯の海まで散歩に出かけました。冬の長閑な海は朝日が反射して煌いており、キス釣りのおじさんが海岸線に一定間隔を置いて陣取っておりました。大晦日のキス釣りは実に優雅でいいものです。ルアーマンも随分見かけ、マゴチの60センチほどをぶら下げた二人連れが引き上げてゆくところに遭遇いたしました。厚木から朝マズメを狙ってきたとかで、ここのところ鱸もいいと話しておりました。

昨夜、阿久悠さんの番組をテレヴィで見ておりましたが、平成もいよいよ20年が過ぎ、昭和は遠くになったなあと感慨にふけっております。果たしてあの頃は良かったのか、あの頃から時代が変な方向へ向かって行ったのではないのか、もし回顧するならその何処の部分が悪かったのかを見極めないと、単なる懐古で終わってしまいます。

十数年前の大晦日には正月用の刺身を確保しようと、黎明から平目、鱸を狙って息子と二人で寒い中出かけ、見事65センチの鱸一尾と35センチほどの平目二尾を釣上げました。狙い通りの結果に、二人悦に入っていた事を思い出しました。

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冬晴れの湘南

2008年12月30日 | Weblog
湘南は今日、目の覚めるような好天です。雲ひとつ無く晴れわたり、ベッドを書斎の南側に置いて寝ているのですが、そこで午前中日向ぼっこをしながら読書をしておりました。一週間ほど前から日差しが急に強くなり、裸足の足など火傷をしそうです。室温を観て見たら20℃を超えており、窓を開けてそよ風を通しているほどです。

これが一転日が翳ると冬真っ只中の陽気になり、陰鬱な気分になるものですが、湘南の明るい太陽は我々をノー天気な気質に育てもいたしますが、陰鬱な暗い性格よりはましなような気がしております。

今日は午後も日が出ている限りは、日向ぼっこをしながら読書をして、日が翳ったら街の散策に出かけることにいたしましょう。この間の休みに、庭木の剪定と家の掃除を少しやったお陰で、新年までだらっと過ごすことができそうです。蟻さんの心境もかくあったのでしょうか。
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宰相の器

2008年12月29日 | Weblog
今日は東海道線も空いていて、世の中は既に年末年始の休暇になっているようで、その中今年最後の出社を気分良くいたしました。このくらい空いているとストレスも無く一日の仕事も気分良く出来ますね。

昨日読売新聞を珍しく読んでおりましたら、麻生首相が東京駅近所の書店へ出かけ年末年始用読書のために7冊書籍を購入したとの記事が出ておりました。その書店が八重洲ブックセンターなのか丸善なのかは分かりませんが、双方とも書籍の数が多く数時間滞在する楽しても見飽きません。日本を代表する良い書店です。さてその7冊の明細が記事に出ておりまして、そんなところまで取材されるのは堪ったもんじゃないなあとの感想を持ちました。たまたま内二冊は私が購入しているもので、佐伯啓思「自由と民主主義をもうやめる」(幻冬舎新書)、福永文夫「大平正芳 戦後保守とは何か」(中公新書)ですが、双方とも優れた書籍です。「自由と民主主義をもうやめる」は簡潔にとても分かりやすく今という時代が書かれているので若い人に勧め、その方が興味を示されたので嬉しくなって差し上げてしまいました。「大平正芳」の方は戦後の自民党について書かれたもので、飯尾 潤 「日本の統治構造」北岡伸一「自民党―政権党の38年」(中公文庫)沢木耕太郎「危機の宰相」(文春文庫)など現在簡単に手に入る関連書籍と共に読んでおります。付け焼刃の観は否めませんが、遅まきながら政治音痴を多少でも解消したいと思っております。
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「大平正芳」に拠れば、大平は、どんなに忙しい時でも、毎週週に一度や二度は最寄の本屋に立ち寄っていたとの事、同時代の政治家、前尾繁三郎、宮沢喜一の三人は大の読書家でインテリであったと記載があります。読売新聞の記事の拠りますと、先回麻生首相が書店を訪れたのは11月3日とありましたから、かつての政治家とは大きな差があるわけで、読めない漢字があってもむべなるかなと納得した次第です。
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新たな櫃まぶし

2008年12月28日 | Weblog
新たといっても今までと違うお店で櫃まぶしをいただいただけで、画期的な新型櫃まぶしに遭遇したわけではありません。櫃まぶしにルールがあるのかどうか分かりませんが、お約束どおり、まずは薬味の葱とわさび、口直しの漬物が出てきました。そしてメインの大きなお櫃、続けて味噌汁、最後に出し汁。これを何時も行く直來の櫃まぶしと比べてみると、薬味に海苔が無いこと、味噌汁が吸い物であること、この二点が異なります。味わいのほうは鰻の焼きが強くカリカリとしていて口中でクリスピーな食感があり、茶漬けにしたときにもそのクリスピーナ感じが残り、好ましいと感じました。欠点として感じたのは、鰻が少し生臭いこと、焼きが強いために鰻の持ったりした風味が楽しめないこと、この二点です。

関東でも白焼きのとき生臭い臭いがするので、女を鰻屋へ誘うときには、それが臭わない部屋を選ばなけりゃいかんと、落語にあったような気がいたします。蒸しで生臭さは完全に取れてしまうのでしょうが、蒸しをしない名古屋では如何にこの生臭さを感じさせないように客に供するかが職人の腕の見せ所となります。

名古屋在住のアグリ女性社員がお客様との会食のために推薦してくれた櫃まぶしでしたが、私は何度かこのブログでもご紹介している「直來」をとります。しかし、このような機会が無いと中々新たな店の開発はしないもので、特に老境の食意地が張ったものは美味いとなれば同じ店にしつこく通う傾向があり、老いては社員に従えの格言通り、今後も脳の柔軟性を保つために、美味いといわれる店には素直について行く事にいたします。

冬至が過ぎ新たな年を迎える狭間ですが、湘南では蝋梅が先週から満開となり、ろうたけた艶やかさをふりまいております。日の光もすっかり強くなり、春が来るんだなあと感じさせ、随分と明るい気分で過ごしております。

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名古屋の酒

2008年12月27日 | Weblog
名古屋でアグリの本社員のかたたちと、昼食会をお取引先の料飲店で行いました。そばうどんのチェーン店で、アグリからは葱などの納品をしております。その折、この麺類のレストランで出されている酒に興味があったものですから、お銚子壱合430円と吟醸酒840円を頼んで飲んで見ました。

お銚子の酒は多分本醸造で、風味からしてこのあたりの酒ではないかと思いました。吟醸酒と謳われていたメニューの酒は、中埜酒造の「国盛」でした。名古屋近辺の酒の特徴は味の濃い料理にあわせて、まったりとした雑味を感じるものが多いような気がいたします。幾つかの料理屋と居酒屋を巡って飲んでみただけのことですから、結論を出すには早すぎますが、いつもの早急に物事を決め付ける性癖でこのように思い、一度こう思い込むと現実が見えなくなるもので、言葉とは裏腹に完全に信じ込んでおります。

先日お取引先の水博士から聞いたことから推理すると、名古屋の水は軟水との事ですから、伏見の酒同様にまったりとした酒質になっているのかなあと合点しております。しかし、この雑味のような厚みのような感じもやはり軟水の影響なのでしょうか。

夜、魚が美味しい「まいど屋」へ飲みに出かけました。そしてカワハギ、鯵の生き造り、ミル貝、鰯、鱸、サザエ、黒鯛の刺身で二合の燗徳利を三人で8本ほど空けました。酒も随分飲みましたが、お運びのおばさんが「あんたたちは刺身が好きだねえ」と思わず声を発したくらい、随分と刺身を胃の腑に納めました。おばさんは大間の漁師で、我々魚喰らいの健啖ぶりに大いに感激していたようです。鮪の目玉煮、大アサリ浜焼き、ホッケ、蛸わさなどもいただきましたが、燗酒にどれにも合っていて旨かったですね。

せっかく大枚をはたいて名古屋の酒の市場調査をしたのに、残念ながら燗酒の銘柄は地酒ではなく、ナショナルブランドとなっている松竹梅、名古屋の酒の秘密に近づく事が出来ずがっかりでした。しかしながら松竹梅の宝酒造は伏見の酒蔵、してみると水は軟水、理にかなった選択であったのかも知れません。
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言葉の達人と料理の達人

2008年12月26日 | Weblog
先日宇田川悟さんの「東京フレンチ興亡史」を読んでおりましたら、明治から戦後にかけての重要な人物として、“天皇の料理番”として名高い秋山徳三さんに関する記載が随分とあり、実は私この方に関して余り良く存じておりませんでしたので、今回中公文庫から“天皇の料理番が語る寄食珍味”の副題のもとに秋山徳三著「舌」と言う本が出ていたので、これ幸いと買い求めました。

私が存じ上げている事といえば、以前に堺正章主演で「天皇の料理番」というテレヴィ番組を観たような記憶がある程度で、調べて見ますとこのテレヴィ放映は1980年の事、その頃私は大阪の画家のもとに居候をして読書三昧をさせていただいており、まさか後年ワインを生業にするとも思っておりませんで、もっぱら居候先の画家が徹夜明けに大阪の鮮魚市場の鰻屋へ出かけるお供をして、早朝喰う鰻というものは美味いものだなあと思ったり、奥様が作って下さった関東炊きには、コロやスジといった初めて見る食材があるんだなあと感心したりしている程度のことでした。

テレヴィ版「天皇の料理番」は1993年にも高島政伸主演で再度製作されており、随分世間では人気のある方だったようです。このときの番組も記憶に無いところをみると観てなかったようです。しかし、昨年か一昨年この高島政伸さんが帝国ホテル総料理長村上信夫さんに扮した番組は観ており、ついでにその原作となった村上さんの半生記も読んでおりますので、生業に対する自覚は随分遅くになってから目覚めたようです。

さて、秋山最初の著作は「味」(中公文庫にあるのですが、書店で見かけません)でこの「舌」は二冊目の著作となり、一冊目の時はおずおずと吉川英治に序文を頼み込んでいたようですが、「舌」の序文を頼みに来たときには嬉々としてやってきたとみえ、最初のときは“何か昔の堅いお屋敷の用人が不義の子でも孕ませて始末に困ったような面目なさや途方にくれた顔してたのに”とその態度の変化について吉川英治が序文に書いております。料理の世界では人も畏れる秋山徳三が初めて書いたものを出版するに当たり、吉川英治に見せた素顔が見事に調理されており、この書を読んでみようという気にさせられます。序文を読んだだけで見事な和食を堪能したような気になっておりますが、ここまでの料理人は吉川英治なんですよね。

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ワインの参考書を一冊選べと言われたら

2008年12月25日 | Weblog
このような仕事をしている関係で、ワインについて知りたいが、何を読んだらいいかと問われる事があります。ワインの参考書として簡便なハウトゥー物が随分と出ておりますが、確かに初めてワインを飲んでみようという方には便利なのかも知れませんが、味覚という点で考えるならば、基本は自分の舌で判断するという事になり、万巻の書籍に当ってみたところで、一介の酒飲みの親父に中々敵うものではありません。それならばいっそうの事フランス、イタリア、スペインの小説や歴史書に当たってみたほうが面白い事になるんじゃないかと答えたりしております。

実は私若いときから記憶力が悪く、参考書の類は覚えたそばから忘れてしまうため、もう数十年の間、最初から内容を覚えようなどとの企図を抱かず読書をしております。既に何度かこのブログでもその事を表明しており「水道管の水垢理論」と称して、とにかく覚えようとしないで濫読をして、水道管に長年の間に付着する水垢の如く、こびり付いたものだけが自身に有用なものだと考えております。友人の中には辞書などをカメラの如く記憶出来る能力を持った者がおり、実に短期間に外国語をマスターしてしまうのをみて羨ましく思う事もありますが、そんなやつとは付き合いたくありませんよね。

ですから、そのような能力をお持ちの方にはまったくお薦めできないアプローチになりますが、フランスワインならば、スタンダールやゾラ、デュマなどをお読みになったらとか、イタリアならダンテ、スペインならばセルバンテスなどをお薦めしております。実際小説の中にワインが登場する事もありますが、無いこともあり、いい加減にしろよと仰る方もおられます。しかしです。ワインはその国の生活文化に根付いたものですから、ボトルを開けて飲んでみたところで、味覚についての経験は深まるものの、そのワインが置かれた場についての経験が深まる事は無いのじゃないかと負け惜しみで叫んでおります。

一本のワインを美味いか不味いかで判断する事も、生業の関係上重要な事なのですが、極論すればワインが如何に生きるかを左右するするケースは皆無といわないまでも希で、そんな事いい加減で良いんじゃないかとも思っております。そんなところをお含みいただいて、一冊何を推薦するかといえば、中公新書から出ている麻井宇介さんの「ワインづくりの思想」ですね。こんなことを言うと波紋が広がって余り好ましくないのですが、ワイン業界の中で尊敬できる方が少ない中、麻井さんとは生前親しくお付き合いさせていただき、その知識もさることながら優れた見識に大いに私淑いたしました。私がワインというものを仕事にしようとした契機は、まさに麻井さんという方との邂逅です。

そういえばある時麻井さんが仰られておりました。どんな人でもこの業界で働いている方に対して、ありがたいと思う気持ちで接する事が大切なんだと。だから私のようなものでも、親しくお付き合いいただけたんですね。
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クリスマス・イヴ雑感

2008年12月24日 | Weblog
「新編灯火頬杖 浅見淵随筆集」がウェッジ文庫より発売されているのを、伊勢佐木町の有隣堂で見かけましたが、よくぞ採算が取れそうも無いここのような書籍を出版してくれたなあと感激し、迷う事無く買い求めました。近頃このような契機で書籍を買い求める事が多いのですが、私設の積読文庫の蔵書はいや増すばかりです。しかしながらこの「灯火頬杖」には尾崎一雄、川崎長太郎という我が母校旧制小田原中学出身の作家に関する記載があり、積読文庫の目録からかろうじて免れる事になりました。

川崎長太郎に関する一文では、浅見淵が小田原に居る川崎のところまで逢いに行き、城跡や御幸が浜を散策したり、川崎の有名な海岸べりの小屋を眺めたりして、最後に川崎行き付けの“だるま”で早い夕食をとって、末廣の蒲鉾を土産に帰るまでが書かれております。

川崎は御幸が浜に近い網元の長男で、小説家を志願して徳田秋声を頼り上京、夢破れて小田原へ帰ったのですが、家業を継がなかった後ろめたさからか、実家近くの小屋に一生独身で住んでおりました。その小屋で執筆を続け、近所の私娼窟抹香町もので文壇に認められ、多少の鬱屈を晴らしたのではないかと思われます。この訪問記は抹香町物の成功の後の事で昭和31年のものです。

文中、小田原中学出身の当時農林大臣だったはずの河野一郎について、浅見があの人も網元の息子かと聞いたのに応えて、あれは地主の息子で親が県会議員をやっていて、ここら辺りのボスの息子だョ、俺より一つ上で、クラスにいた俺の稚児を奪いに来て大立ちまわりになった。と答えておりますが、この辺りが実に面白いですね。

浅見淵は文筆家にとって一番重要な事は、ユーモアがあるかどうかだと後年言っていたそうですが、昨年ベストセラーになった阿川弘之の「大人の見識」にも紳士の条件で最も重要な事はユーモアのセンスだとありました。昨今の暗い世相の中でこそユーモアを失わずやってゆきたいものです。
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水炊き

2008年12月23日 | Weblog
この頃は地鶏ブームで日本国内の名のある地鶏が簡単に手に入るようになっており、先日も青森のシャモロックを買い求め、水炊きを行いました。あまり細かく考えないで、骨付きのぶつ切りを湯引きして、土鍋でぐつぐつと煮込み、出汁が出てきた頃を見計らい、葱を浮かべ、豆腐を温め、適当に具を取り出しポン酢でいただくだけです。鳥屋で眺めたところ、秋田比内鳥、名古屋コーチン、霧島地鶏等並んでおり、次回は違う鶏で作ってみようと考えたりしております。かれこれ何十年もブロイラーが当たり前の日本で鶏を喰っていたものですから、すっかり鶏嫌いになっておりましたが、まともに飼育した地鶏というのは美味いもので、子供の頃庭で放し飼いにしてはつぶし、鶏鍋にしていた味わいを思い出しました。随分長い間日本という国は偽物を作ることに精を出し、進んだ技術は商品偽造の技ぐらいで、碌なもんじゃないと思っておりましたが、このようなまっとうな物を喰っていると捨てたもんじゃないと思え、暗い年の瀬の中でも新しい年を迎えるにふさわしい気分の高揚が感じられるものです。水炊きの効用です。


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出版業界は居酒屋ブーム

2008年12月22日 | Weblog
この週末例の如く街の散策をしておりましたら、平塚のさくら書店で「今宵も酒場部」という酒場めぐりの本が平台に大量に積まれているのを見かけ、懐が痛むのも厭わず買い求めました。それにしてもこの一ヶ月でこの手の本が目に付いただけで5冊も出版され、経済的閉塞感をアルコールのよって乗り越えようとのアイディアなのか、我々アルコール業界人としては大いに歓迎すべき現象が続いているようです。「今宵も酒場部」はコアな北区の居酒屋も掲載されているのですが、共著者の牧野伊三夫さんと鴨居岳さんが40代前半の方ゆえ、新味のある酒場がかなりの比率で紹介されております。既にご紹介した先の4冊と較べて新しい風を感じる事が出来る書籍でざっと半分ほど目を通してみたのですが、平塚からも一軒酒場が紹介されている辺り、大いに感服いたしました。

この手の書籍は元来酒が好きなために参考書を読む辛さは無く、大いに堪能して新たな発見などあると実地検証のためと称して出かけてみることもしばしばで、飽きるなんて事も無かったのですが、今回だけは多少食傷気味になっております。「今宵も酒場部」のすぐ側に積まれていた中公新書の「大平正芳 戦後保守とは何か」を同時に買い求めてみたのですが、夕刻からずっと燗酒を飲み続け米の風味が鼻についてきたときの、チューハイのような効果があり、実に爽やかに読み進める事が出来ております。

しかしながらこの書籍が心に染み入るように入ってくるのは、昭和の風情を残す居酒屋探訪の契機と同じく、遠くなってゆく昭和に対するノスタルジーがその大きな要因なのかもしれません。

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