昨夜は九時に寝て今朝六時に起きた。一昨日「宵山 むらさき」から「らんぷ」へナイトクルージングしたのが効いたのだろう。
「宵山 むらさき」では小倉山を燗につけて飲んだが二人で12本ほどを飲んだらしい。正一合入っていないとはいえ少ない量じゃない。「らんぷ」ではホットバタードラム、マティーニを飲んだ。
若い頃なら何て事ないのに、年を取ると出来なくなったり、疲れがたまってどうしようもないことが多い、逆は無いのだろうかと考えてみるが直ぐに何も思い付かないところをみると多分無いのだろう。
そうしてみると世間では年寄りを意味ないものと見なしているが存外はずれてないのかもしれない。知識や経験や技術が集積されて優れたものになるのは一部の限られた人だけだとなると小人とは悲しいものだ。
村松友視「大人の達人」を読んでいるが、大人の風情を持った年寄りが如何に少ないか、また大人であることの困難さが書かれている。
多分、私は幼児性を多く残していて立派な大人になることは出来ないだろうが、せめてどうにか大人に認識される程度の大人になってみたいものだと思っている。
年を取ってから大人になるために体力や知力が要求されるとは思わなかったが、「大人の達人」には見事に大人の風情を備えた人たちが出てくるので、じっくりとその人たちが辿った道を視てみることにしよう。
さて、立春も近く光は強く日照時間も長くなってきた。
「宵山 むらさき」では小倉山を燗につけて飲んだが二人で12本ほどを飲んだらしい。正一合入っていないとはいえ少ない量じゃない。「らんぷ」ではホットバタードラム、マティーニを飲んだ。
若い頃なら何て事ないのに、年を取ると出来なくなったり、疲れがたまってどうしようもないことが多い、逆は無いのだろうかと考えてみるが直ぐに何も思い付かないところをみると多分無いのだろう。
そうしてみると世間では年寄りを意味ないものと見なしているが存外はずれてないのかもしれない。知識や経験や技術が集積されて優れたものになるのは一部の限られた人だけだとなると小人とは悲しいものだ。
村松友視「大人の達人」を読んでいるが、大人の風情を持った年寄りが如何に少ないか、また大人であることの困難さが書かれている。
多分、私は幼児性を多く残していて立派な大人になることは出来ないだろうが、せめてどうにか大人に認識される程度の大人になってみたいものだと思っている。
年を取ってから大人になるために体力や知力が要求されるとは思わなかったが、「大人の達人」には見事に大人の風情を備えた人たちが出てくるので、じっくりとその人たちが辿った道を視てみることにしよう。
さて、立春も近く光は強く日照時間も長くなってきた。