キュヴェ タカ/cuvee taka 「椿庵酔哲湘南隠居日誌」

湘南気儘な隠居暮し ー散歩に読書、映画、酒、そして時々釣り-

横浜デイ&ナイトクルージング

2018年11月14日 | Weblog
昼前に関内について、「駒」でチラシを食べ、伊勢佐木町のBOへ向かい1時まで本を眺める、
至福の時間だ。

荒川洋治「過去をもつ人」みすず書房 2016年3刷
5ヵ月で3刷しているが、2,700円+税と高い本なんだよね、書評集なんだが、この人端正な素晴らしい文章を書くので、それを知っている人は読んでみたくなるんだろうな。

久し振りにTuesday Jazz Liveを聴いた、ピアノの楠さんとヴォーカルの詩織さんのデュオだった。
Song for Youを聴いていたら涙があふれてきて困った。
年を取ると幸福感と共に感受性も若いころに戻ったようで直ぐに涙があふれてきて困る。


2時半にかつての上司83歳になられた女性にお会いして、小説の掲載される「横浜文学」の出版の時期と㈱輸出入サービスセンターのOB会について打ち合わせをする。
思い出話や、昔の社員の消息などについて話すものだからつい長くなり5時になるのを見て暇を告げた。
かつての恋人もまさに小説の舞台の時期に会社に在籍していたが、申し訳ないが多分来ないだろうと、今まで誰にも話さなかった恋の成り行きと結末について初めて事実を話した。
付き合っていたことと分かれたことはご存じだったが、初めて経緯を聴いて、それでももう昔のことだから、誘ったら来るかもしれないよと慰められた。


桜木町まで歩き「美濃屋」で柿の種と拳骨煎餅委などを買い、「紀伊国屋書店」で新刊を眺め関内駅北口の6時半待ち合わせに行くと既に知人が待っていた。
9月に一度しか会ったことが無かったので、果たして分かるだろうかと心配したが、彼女のほうから声を掛けてくれた。
「鳥伊勢本店」に入ったら、何度か来たことがあるとのことで、枡酒を薬缶から注ぐところと認識していた。
久し振りにトウリョウに会い、目の前のカウンターに腰かけて、大関樽酒燗を4合呑んだ。
焼き鳥は、ヤゲン、葱肉、ぼんぼち、ハツ元。

彼女、逗子だと思っていたら、実家が逗子で金沢八景に住んでいて、飲むのが好きだから関内は詳しいわけで馴染みのイタリアンバーに移動した。
赤ワインを1本飲んだ。
10時にお開きにして12時前に家に着き、酔い覚ましにビールを飲んで寝た。




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最初のラヴレター

2018年11月13日 | Weblog
毎日blogを書いているが基本的には前日のことを書いている。
そして武田百合子の「富士日記」を倣って、何を買ったか、何を食べたかを基本に書くようにしている。
それはその記載が「富士日記」の中でも面白く感じるからで、山田風太郎の日記であれば、いかにして煙草を手に入れたかの毎日の記載が思いのほか面白いのだ。
まあそんなわけで、何を食べたのかを書いているが、最近毎晩の飲酒が度を過ぎているようで、脳の具合が悪くなり、前日に何を食べたのかを思い出せなくなっている。
これが高じると飯を食べたのかさえ分からなくなり、食前食後に飯を喰うはめになるのだろう。

さて、昨日の朝飯は何だったのだろう、 全く思い出せないでいてやばいなあと思ったが、一昨日の夜多量に作ったおでんを温めて食べたのだった。
昼は妻が帆立の炊き込みご飯を作り、二人で向かい合わせでおでんと豚カツを肴に食べたのであった。
そして夜もおでんを肴に燗酒を飲み、炭焼きの塩焼き、ブロッコリーとカリフラワーの茹でたのを食べた。
小振りのハンバーグにもあり、その時はイタリアとボルドーの赤を飲んだんだっけ。


JA湘南へは早めに自転車で行き、冬野菜が大量に出ていたので、ブロッコリー、カリフラワー、大根、薔薇、無花果を買って、帰りに娘のところへ寄って珈琲を飲んでパッチャと遊んだ。
もうスカイウォークに馴れて、一気にてっぺんまで登り回廊を伝わって歩く。
前夜、娘が吉祥寺の友達のところへ泊まり、餌をもらえなかったので今朝二皿喰ったらしい。
食欲旺盛で、来た時から1か月以上が経ち、体格は見違えるほど大きくなった。

㈱輸出入サービスセンターのOB会を行うにあたり、連絡のつく人に電話をし、知っている人の消息や古い社員名簿を送ってもらっているが、昔の手紙が入っている玉手箱を開けてみたら1981年当時ハワイに駐在していた頃の手紙があり、会社のや友人からの手紙が沢山あることに驚いた。
そして1981年暮れに一時帰国して、そのわずかの間に恋に落ちた会社の女性からの初めてのラブレターを見つけ、記憶から完全に消えていたが、読み進めていると涙が止まらなくなった。
1年間熱烈な恋をして、僕が馬鹿げた意地を張り破局したが、罪悪感と後悔と共に未練が強く残り、それを振り払うのにほとんどの手紙と写真を焼いてしまったが、3枚の写真と1通の手紙が今手元に残った。
意識の表からは振り払った苦い記憶が、心の奥深くに何時までも残っていることを象徴しているようだ。
凄い手紙を見つけてしまい、忘れていたことや、初めて分かったことが沢山あり、一日中眺めていたが、興奮で夜眠れなかった。

ご年配だった会社の先輩の小川さんからも手紙をいただいていて、彼女の近況がそれとなく書いてあり、御父上の心配を胸に仕事の負担が増えて毎日夜遅くまで仕事をしているが、私が彼女が帰るまで個人警護をしているから安心しなさい、「バレンタインデイに君が日本にいなかったのが残念」と告白をされたよとあり、またもやここで文字がにじんで見えなくなってしまった。
彼女はお父さんを亡くしていたが、僕が7月に帰国した時には既に亡くなっていたと思うが、2月には闘病していたんだなあと初めて分かった。

彼女が夫を亡くした母が、毎日会社から買ったホワイトホースを飲んでいることを心配していたが、そのことが彼女と破局した原因の一つでもあった。

今はそういった大人が少なくなってしまったが、当時は本当の大人がいて、若い人の恋を見守っていてくれた。
世代間の人間関係が結べないのは文化の衰退だが、貧富の分断を懸念するよりも、年代の分断を如何に修復すかのほうが大切に思う。

プレシネ「BIG」を観た。
トム・ハンクスが魔法の力で子供の心のまま大人になって恋をするが、やっぱり家庭に帰りたくなり、もう一度願をかけて元に戻ってしまうのを恋人が切なく見送る。
恋してる相手が消えてしまう悲しみを寓話で撮ったものだが、愛する人が居なくなるのは
嫌なもんだよね。

夜のプレシネは「LEON」で、無学の殺し屋と隣に住んでいた家族を麻薬捜査官に皆殺しにされた少女との交流を描いたもので、少女が人間の感情を孤独な男に呼び戻させる物語。
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粽を買う

2018年11月12日 | Weblog
今朝は何時もより遅く5時に目が覚めた、読書をしていたら下の息子が部屋に入って来て、散歩に行こうと言うんで大磯方面へ朝日を見ながら歩いた。
曇り空であったが、日が出るとまぶしかった、今日もいい天気になると思う。

7時過ぎに家に帰えり、朝飯を作る。
ブロッコリー、葱、美味菜の牛肉炒め、鰺の南蛮漬け、豆腐とホウレン草葱の味噌汁、納豆、茄子と蕪の糠漬け。


10時に娘のところへ珈琲を飲みに行き、パッチャと遊ぶ。
娘が気をのこぎりで切っていて、梁に斜めに渡すスカイウォークを作っていたが、最初躊躇っていたが、その内難なくそこまで登って行き歩くようになった。
チビでメスでなのに勇気があり羨ましいねえ、せめて僕にもこれほどの勇気があれば、もっとましな人生が歩めたのに。

ラディアンで行われている催しにKさんが出ているというので出かけた。
農産物の品評会と魚の販売、地場産業の紹介が行われている催しで、中華屋が出していた模擬店で粽を5ケ買って帰った。
粽好きの母が直ぐに食べ、息子と僕も烏龍茶を淹れて食べた。
鶏肉が入っていて、少し匂いがあったがまあまあだった。
夜のニュースでこの会場が映り、大磯警察署長が振り込め詐欺に注意を促していた。

昼は餡かけ五目焼きそばとのことで、そのまま烏龍茶を飲みながら食べればいいやと思ったが、出来上がったのが遅かった。


午後、横になって読書をして「西部邁の論争ふたたび」を読了した。
随分長い時間をかけて読み終えたが、書いてあることはこの本だけでなく出版年代の異なる本でも一定していて、かなり早い時期から思想を固めたことが伺われる。
その思想は、保守主義の神髄である進歩主義によって踏みにじられている、歴史、慣習、伝統から得られる叡智をきちんと見直して、日本の真の意味での国柄を確立し自立を促すものなのだが、肝に銘じるまで何度も西部の本を読みなおすことにしよう。

3時半に下の息子のランニングの伴走を自転車でする。
大磯方面へ行き、月京から南へ折れ、東海道線を折り返してくるコースだが、アップダウンがあり、自転車でのスピードがかなり変わるために、ペースチェンジのいい練習になっている。
30分ほどのコースだが汗だくになっている。
家に帰ってきたら妻が庭で草むしりをしていたので、トマトの製枝と生垣の剪定をついしてしまった。

大相撲初日を観る、稀勢の里は慎重にとりすぎたのではないか、爆発力が感じられなかった。
先場所10勝した手ごたえがあり、今場所は優勝への意識が強くなりすぎているような気がする。

朝から妻が大根を煮たり、午後ワクワクに小田原の練り物を買いに行って、夜はおでんだと、騒いでいたが、風呂に入り出てきたら息子と二人鍋をつついていた。

酒を呑むかと聞いたら、11時から「オクニョ」を観ながら一人酒をやるのを無上に楽しみにしているため、何時もは呑まない日曜日なのに呑むというので、チロリを出して急いで燗をつけた。
おでんに一番合うのは安酒の燗だねえ。
二人で4合ほど呑んだろうか、7時過ぎにヤオマサに散歩がてら買い物に行くというので、自転車で妻と息子の後を追って運送屋として出かけた。
8時前に帰って来て、母と少し日米野球を観て、2階に上がって西部邁「歴史の復権」を読んだ。

西部が自刃する前、これらの本はBOでよく見かけ、200円で購入できたのだが、今は本を見かけないし、価格を調べると異常に上がっているものが多い。
それだけ需要があり読んでいる人が多いという事だろう、いい世の中になればいいんだがなあ。





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小春日和

2018年11月11日 | Weblog
今朝は4時半に目が覚めた、大体この時間に目が覚めるようになってきたので、少しは精神が安定したのだろう。
それでも37年前の悔いがいまだに重く圧し掛かっていて、どうすればそれを軽減できるのかを思っているが、とことん向き合うことが肝心だんだろう。
でも、どうにもならないことってあり、耐えてゆくしかないんだろうなあ。

6時まで本を読み、下の息子を誘って大磯方面へ向かって散歩に出た。
夜、雨が降ったので道が湿っていて、雲も多かったが、やがて太陽が出てきてインディアンサマー小春日和になりそうな気配がした。

帰りに35年前に家を建ててくれた棟梁に会った。
今は大工を辞めシルバー事業で植木屋をやっているが、裏の家の庭をやりに来たということだ。
かつての弟子に屋根をやってもらうことになったので、その旨を話した。
本来の筋としては廃業しているとはいえ棟梁に頼んで、本人は出来ないからと弟子に仕事を回してもらうのが筋だが、まあ了解してくれたのではないかと思う。
白髪だが角刈りで顔色もよく、身体を使った仕事をしている人は若々しい。

朝めしは、獅子唐、ブロッコリー、美味菜の卵炒め、けんちん汁、納豆、鰤照り焼き、胡瓜と蕪の糠漬け。

9時にJA湘南に向けて、下の息子と歩いて出かけ、9時半前に到着、まだレジのオバサンが来ておらず、シャッターが閉まっていたが、早い納品をする農家の人たちは来ていた。
無花果、赤ホウレン草、ルッコラ、春菊、椎茸、ブロッコリーを買い終わったら、Kさんがやって来たので九条葱を買った。
皆さんの話で東大農学部農場跡で二宮市をやっているとのことで寄ってみた。
道中いよいよ日差しが強く顔が痛かった。
会場には100軒ほどの店が出ていて出品は様々だったが、こんな市にありがちなものだった。
吾妻山山麓の農園のパクチーとレタスを買い川勾神社の近くの蒸しパン屋で3種の蒸しパンを買う。
百合ヶ丘団地の活性化を行っている人たちが、その事業紹介で橘団地の近くで栽培した稲できりたんぽを作り振舞っていたのでいただいた。
50年以上前に分譲された団地で、とうの昔第二世代が巣立ち、残っている人たちも亡くなった方が多く、空洞化しているのをリノヴェーションして驚くほど安い価格で貸し出している。
今後ますます人口減少するので、何も手を打たなければ廃墟となってしまうだろう。
中学時代のガールフレンドもこの団地の天辺のほうの一軒家に住んでいたが、今はアメリカにいると聞いている、大学生の頃最後に会ったが美人だったなあ。

益子から陶器を持って来ている人がいて、焼酎や酒を呑むのに良さそうなカップと、当人はパスタ用と言っていたが白い三角形の皿を買った。

蜂蜜を持って来ているオネエサンがいて、十数種類試飲をさせてもらったが、北海道と伊豆の百花蜜が濃厚で奥行きがあり、大仁から来ているとのことで伊豆の百花蜜を選んだ。
桜の蜂蜜は香りが鼻に抜け素敵だったのでこれも求めた、この強い香りは大島桜から来ているとのことだ。
200gの瓶2本で2,800円の出費、色々な花の蜂蜜を味わうのは楽しいが、国産蜂蜜は最近養蜂家が少なくなり貴重になったので高いね。

散歩に出る前、妻から昼はカツ丼にするので卵を買ってきてくださいと頼まれたが、荷物が多くなり買わずに帰って来たら、何だかぶつぶつ言っていた。
妻はボーッとしていて気が利かないが、人柄はすごくいいので我儘な僕でも一緒に居られるんだなあと構えている。
汗をかいたので風呂に入った。

昼は予定通りカツ丼となった。
何時ものように各人好みで作ったが、玉葱に酒、味醂、醤油を入れて煮込み、カツを入れて少し温め、溶き卵を入れてとじた。
カツは小町ポークと、アメリカサンロースのを2種類入れたが、小町ポークは噛み応えと味わいがあり、アメリカンポークは柔らかくて、それはそれで美味かった。

食後2時間ばかり午睡を取った。
3時過ぎに下の息子がまた誘いに来たので、自転車で伴走して大磯方面へ出かけ、帰りに娘のところへ寄って珈琲を飲んでパッチャと遊んだ。
娘の幼馴染が来て金属アクセサリーの作品集をパソコンで作っていた。

家へ帰ると妻が鰺の南蛮漬けを作っていた。
午前中西友に買い物に行きいいのがあったからと鰺を買ったのに、午後ヤオマサで鯵が安かったからと2度買いしたらしいが、その量や莫大で、大ぶりの深皿につけ汁が見えないくらい盛り付けてあった。
南蛮漬けってのは、つけ汁に鰺が沈んで漬かってるもんじゃないのかと妻をからかったら、そのうち野菜から水が出てくるとのことだった。
でも、食べても食べても汁が何処にあるのか分からなかった。
この時期の鯵は大ぶりのものが多いが、いったい何匹鰺を買ったんだと聞いたが答えなかった。
多分20尾以上買ったのだろう、南蛮漬け以外にも刺身が出てきたから酒を呑むには悪くなかったのだが、この過剰によりダイエットが困難になってもいるんだよなあ。

娘もやって来て、銀杏を炒ったりして妻と3人で燗酒を呑んだ、「男山」「高清水」「桃川」が直ぐになくなり、妻の熱燗用の西友のPBの純米酒に手を付けた。
酔いが回ると妻が大山地鶏炒飯を喰いに行くと言い出したが、娘と二人強硬に反対して事なきを得た。

8時半に母の着替えを手伝い寝かせ、飲み食いし過ぎたなあと9時から自転車で大磯方面に出かけた。
帰って来てから、笠間焼を米のとぎ汁で煮て、カップの方で湯割りを作り飲んでみたが、持った感じ、口当たり、色合いと肌合いが中々良く気に入った。

10時に二階に上がり西部邁を読んだ。
西部は自刃する前に「言論は虚しい」と言っていたが、マスコミに出て来る多くの浅はかな専門家が主導する世間の認識とは異なる考えを持ち、それが日本にたいしてすこぶる有効な提言であったのだが、それに耳を貸す大衆はいなかった。
西部の孤立した戦いに賛同する人間もいたのだから、日本がそう簡単に変わることが無かったにしろ、生きていて欲しかったなあとつくづく思う。
残されたものは、少なくともその思想を継承し発言してゆくことをしなければいけない。
そんなことを考えていたら酔いも覚め目が冴えて眠れなくなってしまった。
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氷雨

2018年11月10日 | Weblog
4時前に目が覚めた。
「西部邁の論争ふたたび」を読んでいると、6時前に下の息子が散歩に行こうと部屋に入って来た。
直ぐに着替えをして東に向かい散歩に出たが、生憎小雨が降っていて傘を差しての散歩になった。
月京から不動川沿いに南下して、大磯警察署の脇を葛川方面へ下り、西へ向かって歩いた。
家に帰ると7時を過ぎていて、朝飯の支度をした。
牛肉と玉葱スープに豆腐を入れて温め、茄子のオリーブオイル焼き、カマスの塩焼き、納豆、胡瓜と蕪の糠漬けを食べた。

9時を過ぎたので少し早めにJA湘南へ出かけた。
雨は上がっていた。
かなりのんびりと自転車をこいで行ったが、まだ荷出しが済んでいなかった。
皆さんと少し話をしてから、無花果、蕪、ピンクのバラを買った。
帰りは何時ものように娘のところへ寄り、珈琲を飲んでパッチャと遊んだが、昨日作っていた柱につけた階段と、梁に渡したスカイウォークが出来上がり、パッチャが階段を上りスカイウォークまで登るのを眺めた。
家のマルは高いところが苦手で、タワーを買ってやっても一番上に登れないが、パッチャは平気で高いところに登る。
また、マルは何か失敗して我々が笑うと恥ずかしがって隠れてしまうが、パッチャは笑っても平気で遊び続けている、女の子は違うもんだね。


少しだけ本の整理をする、食い物、飲み物に関する本が多いが、次いで落語の本があり、映画の本が続く、飲み食いと芸能、要は遊びに関する本が多く、しかも読んでいるものが多い所を見ると、根が遊び好きなんだろうね。


昼、妻と息子二人で食い放題に出かけたので、娘とタンメンを作って食べた。
モヤシ、豚肉、ピーマン、小松菜を炒めて餡かけにして麺に載せたが美味かったね。
柿を食後に食べた。

EISCの元社員の電話番号を教えてくれたので電話をした。
30数年ぶりに声を聴いたが変わらないのと、途中の消息は分からないものの、昨日話した続きのように話すのは皆さん同じだなあ、そして長くなる。
37年振りにOB会を開くというのも感慨がある。

プレシネは「What Ever Happenned To Baby Jane?」で、名女優二人の共演で面白かった。
こういった映画が1962年、僕が小学校1年の時に作られていたんだなあと思うと、当時は文化的にアメリカも進んでいたのかなあと思ったりした。

娘は今日の夜から鎌倉のタイレストランでアルバイトをするので、食事の後、早々に引き上げて行った。
バイト初日が雨で可哀想だ。

映画が3時過ぎに終わり4時まで部屋の整理をしていたが、探していた1982年10月24日(日)に二宮海岸で撮った写真のネガが出てきた。
写真はアルバム4ページにわたり貼ってあったはずのものが2枚を残して全てなくなっていて、ネガが無いかなあと探していたがあっけなく出てきて凄く嬉しかった。

北に向かい合羽を着て散歩に出た、西友まで歩き「桃川 純米」を買った。
仕事をやっていた頃には度々蔵を訪れ、試飲をさせてもらったり、業務店で飲んだ酒で懐かしい。
5時過ぎに帰って来て風呂に入り、二階で休んでいたら眠ってしまったようで、晩飯が出来たと妻に起こされた。
台所へ行くと、けんちん汁、鰆の西京漬け、ブロッコリーがあったが、子供と妻の姿はなく、昼の食べ放題で晩飯は抜くらしかった。
昼に食べすぎると晩飯の手を抜くので、妻にその旨けん制しておいたら、真面目に作ったらしく、わざわざ傍へきて、けんちん汁は混合節で出汁を取り、それぞれの素材の味が綺麗に出て美味しいでしょうと言った。
確かに何時もと比べて味わいが洗練されていて美味かった。
鰆は数日前に買ってきて味噌に漬けて置いたらしく、味わいが濃厚で酒の肴に良かった。
酒は「桃川」を冷で呑んだ。
乾きもので3杯目を呑んで、柿と無花果を食べて終わりにした。

8時半前、自転車で大磯方面へ腹ごなしに出かけようとしたら、下の息子が走って一緒に行くというので、かなりのスピードでペースを変えて伴走したが、最後まで走りぬいたので驚いた。
去年105㎏から67㎏まで半年で減量したが、毎日このペースで走っていたら可能だなあ。

10時からの「新日本風土記」丸亀を観たが、一度観たやつで酔いと疲れが手伝って眠ってしまったようで、起きたら終わっていた。
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早朝のルアーマン

2018年11月09日 | Weblog
「西部邁の論争ふたたび 対米属国からぬけでる方法」をここ数日読んでいるが、昨夜新井将敬について書かれた章を読んで、こういった話だったのかと改めて了解した。
多分、この人については鈴木邦男の著書で読んだと思うのだが、その時は自殺の動機となった事柄について理解していたのかも知れないが、今回西部邁を読むまで全く忘れていた。

梨花に冠を正さずで、政治家は株をやるなと言われているので新井の行動は軽率の誹りを免れないが、検察がターゲットを決めて搦手で責めたら、罪の有無にかかわらず逃れられる人はいないのではないか、田中角栄、小沢一郎など同様の手口で権力の座から引きずり降ろされたが、その対抗権力は何だったのだろう、時の首相か。

まあ、それはともかくとして西部が最も恐れているのは、公務員の守秘義務がないがしろにされているのに、マスコミはその問題についての自覚がなく尻馬に乗ってリークされた事柄を騒ぎ立てているという点で、権力に物申すところにその存在価値があるマスコミが、御用学者と共に安易な論理のもとで権力に成り下がっていることであり、マスコミと大衆が世論を形成したらそれを覆すすべはないとオルテガも指摘しているように、今はその手の施しようがない時代なんだな、情けないことに。
では、そうでなかった時代と言うのはあったのだろうか。


朝4時過ぎに目が覚め読書をし、6時になったので炊飯器のスイッチを入れようと下に降りたら、下の息子が既に起きていて風呂に入ってた。
折角だから朝飯前に散歩をするかと、息子と二人で大磯方面へ朝日を眺めながら1時間歩く。
海岸に降りて相模湾に登る朝日を眺めたが、江ノ島、真鶴半島の先は煙って見えなかった。
ルアーマンが5人ほどキャストしていたが、声を掛けた人はノーフィッシュだった。

朝めしは、大根と牛筋の煮込み、小松菜と牛肉の卵炒め、鰤の煮焼き、胡瓜の糠味噌漬け、納豆。

息子は大磯のクラブへ出かけ、僕はYouTubeで音楽を聴いてから、JA湘南へ自転車で出かけた。
無花果、柿、ブロッコリー、ルッコラ、ピーマン2種を買う。
娘のところへ寄ったら、工具を出して板を切り、パッチャのスカイウォークを柱と梁に取り付けていた。
珈琲を淹れてもらい、ネズミのおもちゃでパッチャと遊ぶ、だいぶ慣れてきて膝の上に乗るようになった。
家に帰り昼まで調べ物や電話をして過ごす。

昼飯は逢引の色が変わって来たとかで、トマトを煮てソースを作り、スパゲティーに和えて食べた。
格別美味くもなかったが、不味くもなかった。
最後の紅茶を淹れて飲み、オネエサンのあんぱんを食べた。

プレシネは「ワーテルロー」だったが、戦闘場面が多く、途中眠ってしまったようだ。
映画としても面白くなかったのだろうと思う。

4時前、大磯方面へ散歩に出て、夕日と雲を眺めた。

帰って来て風呂に入り出てきたら、息子の誕生日のディナーが出来ていた。
「箱根路」を4人で乾杯して、リーフサラダと甲烏賊の刺身、カマスの塩焼きを食べた。
甲烏賊は午前中に妻が買ってきて、自慢してみせてくれたが、近くの漁港で朝上がったやつで歯応えが良く美味かった。
カマスは旬だなと思う、脂がのって美味かった。
リーフサラダは、赤ホウレン草、春菊、ルッコラ、小松菜にオイルサーディンを入れて作ったが、娘が作ったドレッシングが美味かったのか、花柚子の酸味が効いたのか、とにかく際立った味わいで美味かった。

牛肉を3種類買ったと妻が威張っていたが、煮物揚げ物は得意だが炒め物は苦手で、何時もオーヴァークックになってしまうため、娘に指示されながら妻が焼いた。
中がピンクでしかも温かくなっていて絶妙の焼き加減だったね。
娘がボルドーを持ってきたが、僕のストックのCantine Inocenti Vino Nobile di Monntepulciano 2007から飲んだ。
これは何度も呑んでいて美味いのが分かっていたので、安心して肉に合わせた。
他の2種類の牛肉は息子が焼いたが、まあまあいい焼き具合だった。
Ch.Brior 2013はアントル・ド・メールのDucourt家の所有で、ブリュッセルで金賞を取っている、フルーティで飲み口のいいAC Bordeauxだった。
普通なら逆に飲むが、ワインも一杯目、ステーキも一口目が美味いから、腹がくちくなる前に味わっておくほうがいいんだ。
娘が小早川君のところからケーキを買ってきてあり、シャトーボーロンXOを合わせて飲んだ。

少しの期間禁酒をして痩せようと思っているが、今夜も飲み食いしすぎた。
もうワインを生業としていないから、それを理由に無理に飲み食いして経験を積む必要もないのだが、人生この先そんなに長くないと思うと、不味いものは喰いたくないんだよねえ。

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今日は息子の誕生日だ

2018年11月08日 | Weblog
夜中に一度起きたが二度寝に成功して4時半に目が覚めた。
西部邁を読んでいて気が付いたら7時前になっていたので起き出したが、下の息子が既に起きて雨戸を開けていた。
風呂にゆっくりと浸かり、朝飯を作った。
ホウレン草の牛肉卵炒め、納豆、麩の味噌h汁、胡瓜とラディッシュ、蕪の葉の糠味噌漬け。

JA湘南まで自転車で行ったが昨日とは異なりいい天気になりそうだった。
美味菜、これは小松菜と青梗菜の掛け合わせらしい、小松菜、無花果、隠元を買った。
ブロッコリーがたくさん出ていたが、昨日の夜外食したので残っていて買わなかった。

娘のところで珈琲を飲んだが、昨日鎌倉で買ったコロンビアだったようで、苦みが良くなかった。
昨日まで飲んでいたタイの浅煎りのコーヒーが酸味と奥行きがあって美味かったと娘と話した。

妻が昨日の夜からでかいハンバーグのようなものを作って冷蔵庫に10個くらい塊があったので、きっと昼飯はそれになるのではないかと話したが、家に帰ってみるとそれはどでかいスコッチエッグだった。
珍しく昼に飯を炊いて、娘がやって来て3人で食べたが、半分を食べただけで腹いっぱいになり、さすがにそれ以上は喰えないと娘は半分残した。
僕は一応1個食べたが、とにかくでかいので揚げただけでは、しかも長時間揚げたとの妻の話だが、中まで火が通ておらず、電子レンジで1分半温めたが、それでも卵は半熟のままだった。
味わいは、ナツメグが利いて凄く美味かった。
最近、この系統の料理については妻は腕を上げ、かなり名の通った洋食屋のと遜色がない出来だが、あんまり褒めると連日同じ料理が続く可能性があるので、さらっと褒めた。

娘も心配しているのは、エンゲル係数の更なる上昇で、僕はもう破産するまで料理を作ったらと妻に言っている。
妻の計算ではあと3年で貯金が尽きるらしい、退職後は1年くらい一人で世界中を気ままに回ろうと計画していたので、実はその機密費がある。
母の介護で毎日手がかかり、月に数度は通院させなければならず、一人で旅に出るとは言い出しかねて行きそびれたが、6月にスペインへ2週間ほど遊びに行って、大して費用も掛からずとりあえずの記念の旅は終わった。

食後にオネエサンのところの餡パンと柿を食べて、プレシネを観た。
「Galaxy Quest」1999年米映画で、SFぽいがコメディの要素が強く、気軽に観られて面白かった。

ふたたび本の整理にとりかかったが、どうにも手ごわくて続かない。
どうしても今年中に机で本を読んで、きちんとした研究生活に入りたい、研究を発表するわけではなく、世の中というものはどうなっているのか自分で納得するためだけのことなんだけどね。


4時前に大磯方面へ散歩に出る、東の空に洗濯板のような雲が出ていたが、ここ数日この雲が出ている。
六所神社まで行き、東海道線と東海道を南へ突っ切り、もちろん地下道と横断歩道を通ってだけど、葛川の傍の道を夕焼けを観ながら歩いたが、今日はあまり綺麗じゃなった。
5時に家に着き、風呂に入って昔の葉書を調べて、かつて㈱輸出入サービスセンター(EISC)に関係のあった人の連絡先を捜した。

晩飯に呼ばれたが、酒を呑まないつもりなので、全く気合が入らない。
鰤のあら煮、これ肴にいいんだけどねえ。
ひじきの煮つけ、どうしてこんなものつくるんだ。
牛筋と大根の煮込み、他人をおちょくってるんじゃないのか。
ブロッコリーにマヨネーズをつけて味気なくいただく。
何だか物足りなくて、オネエサンのカレーパンを食べ、卑しげに落花生を齧った。
ものの20分で食事が済んでしまった。
酒のありがたみを感じるなあ、同じ食事で殿様気分になれるんだもんね。

はや7時にはやることが無くなったので、ゆっくり時間をかけて歯を磨く、歯科衛生士のオネエチャンに褒められるなあ。

EISC同窓会出席の意向を元社員の方に電話する。
お声を聴いて、ただただ懐かしいです。








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平塚ナイトクルージング

2018年11月07日 | Weblog
朝4時過ぎに起きて読書をして、5時半に下の息子が台所出ていたのでガタガタやっていたので起き出して、7:30に予約してあった炊飯器のスイッチを入れ早めに炊き上がるようにして、二人で散歩に出かけた。
薄暗さが残っていたが、出勤の人が駅に向かって歩いていた領収書り、お年寄りがかなりの人数散歩をして朝のラッシュの感があったので驚いた。

7時前に家に帰り、風呂に入って朝飯を作ってたべた。
小松菜、ブロッコリー、牛肉の卵炒め、豚肉と白菜の春雨スープ、胡瓜の糠漬け、納豆。


9時20分何時ものように自転車でJA湘南まで行くと、Kさんがレタスとブロッコリーの苗を持って待っていてくれた。
先週、苗をくれると約束たが、中々会えなかったらしい。
無花果、柿、ブロッコリー、春菊を買った。
娘のところに寄り、珈琲を飲んでパッチャと遊ぶ、下の息子の誕生日の前祝いの打ち合わせをした。
娘は鎌倉のタイ料理屋へ午後面接に行くので、その帰りに平塚で会うことにした。
いただいた苗を半分あげた。

10時半に家に帰ると、妻と下の息子は、母を東海大大磯病院へ連れて行っていて留守だった。
少し部屋の片付けをしてみたが、混乱が酷く手に負えないのでほんの30分で終わりにして寝転んだ。
毎回これで中々片付かないが、年内には机に座って本が読めるようにしたい。
昼に妻たちが帰って来たのでそのうち飯に呼ばれるだろうと思っていたが、何と勝手に食べ終っていた。
焼きそばを作って食べたらしいが、父権はとうの昔に地に堕ちているから仕方が無い、キャベツと小松菜、叉焼、支那竹をいれて札幌一番塩ラーメンを食べた。
前に食べた時にも感じたが、麺が昔と変わっていて、カップヌードルに入っているような麺だった。
インスタントラーメンとはいえ、かなりの量で腹いっぱいになった。

昨日の続編だったのでプレシネは観ないつもりだったが、食事が遅くなり、観るともなく観ていたら、以前観たやつだったので、なんとなく1時間だけ観てしまった。
どうも最近飲みすぎで脳の具合が悪く、記憶力が極端に落ちてもいたが、英語の速さについてゆけず何を言っているのか全然わからなかった。
酒毒が脳に回ってきているみたいだが、蔵書を読み終わるまではまっとうな脳でいなくちゃいけない、少し酒を控えるか。
でもまあ、27歳の時に人生終ってしまって、その後は恥を忍んで生きて来たようなもので、今は人生虚しかったなと思うだけ、明日死んでもいいけど、読み終えたい気もちょっとする。
そうやって生き延びて、さらに恥をさらすんだろうなあ。

3時に下の息子と平塚へ出る、雨の予報だったが小雨とのことで傘を持たずに行ったら、ずぶ濡れになった。
さくら書店を眺め、欲しい本が無いなあと残念だったが、2日に小田原で有隣堂に寄って見ていたので、そう新しい本が出るもんでもない。

南口に降りて、気になっていた焼き鳥屋を捜しに町へ出たら雨にやられてずぶ濡れになった。
マンションの入り口で20分以上雨宿りをしていたが、
姿のいい女がベンツか降りてこちらへやってきたので、半村良に「雨やどり」という小説があったのを思い出した。
水商売の小粋な女と雨やどりが縁で恋仲になった思い出を書いた小説だったが、昭和のどこか悲しい過去を持った女だからこそ成り立った小説で、ベンツで颯爽としたスタイルの美女は、むさい姿で雨やどりをしているオヤジを歯牙にも掛けないだろうから、そういった世界は成り立たないねえ。

一向に止む気配がなく駅ビルまで走り、地下の食料品売り場で魚を眺めたりして時間をつぶし、表に出たら小雨になっていた。
アーケードをたどってオネエサンのところへ行きパンを買った。
白餡パン2、漉し餡パン2、カレーパン2を買ったら、何時ものようにまけてくれた上に卵クッキーを一袋くれた。
気風がいいのは生まれつきなんだろうか、ほれぼれするね。


BOに行き本を眺めながら娘を待つ。
出久根達郎「朝茶と一冊」文春文庫 2000年
出久根さんの本は見掛けると買うようにしている。
茨城から出てきて古書店で勤め、自分の店を持ち分泌をはじぇめた方なので、本との縁が深い。
インテリは観念的だがたたき上げは現実に寄り添う、僕は似非インテリだが観念的で物事の本質を見失う事ばかり繰り返してきた。

萩尾望都「ピアリス」河出書房新社 2017年
SFは好きじゃないと言いながら買うのは、昔惚れていた女がSFが好きだったからだろう。
でも買うことはあっても滅多に読まない、例外は半村良。

西園寺金一「釣六十年」二見書房 昭和49年初版 昭和55年7刷
釣魚名著シリーズの1冊、この間、佐藤垢石、山本素石、滝井孝作を買ったが、買い足してしまった。
著者は西園寺公望の孫。
湘南は今、平目と鱸の盛期で、釣をやらなきゃいけないが、上の息子に頼んであるウエーダーが届かない。

5時に娘がやってきて「関」へ向かう。
娘が腹が減った問うので恵比寿ビールとメンチカツと煮込みを頼む。
汲み豆腐、蛸ぶつ、生ハムとチーズのサラダで、この間弟と来て美味いと思った栃木の「仙禽」を呑む。
2種類あって夫々美味かったね。
倉敷で良く呑んだ「神心」の純米吟醸を呑んだが、力強い酒で味わいが懐かしかった。

びしょ濡れになりながらも開いていることを確認してあった「大陸」へ移動して、酒をたのみ、かた五目焼きそば、餃子、かに玉を食べる。
一人家に残って、きっと怒っているに違いない妻に炒飯と餃子を土産にした。

誤解のなきよう書いて置くが、意地悪で妻を家に残しているのではなく、閉所恐怖症のため電車、バス、エレベーターなどに乗れず、歩いて行けるところでないと飲み食いできないのだ。









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呑みすぎで怠い

2018年11月06日 | Weblog
1時前に目が覚めて、いくらなんでも起きるには早すぎるので二度寝を試みたら、次は4時過ぎに目が覚めた。
「私の幸福論」を読んだが、色鉛筆で線を引きながら熟読しているので、中々前へ進まないが、物事の道理について詳しく書いてあり、往く売り読むのに値する本なのだが、これが僕が生まれたころ女性雑誌に連載されていたというから、その頃の女性はよっぽど優れたものを読んでいたわけで、多分読者は昭和一桁で僕の母の世代だったはずだ。
今の女性誌を読んだことないからこれほどのものが載っているのかどうかは分からないが、女性誌と限定しなくとも、これだけのものが載っていたら大いに啓蒙されるだろう。
恐れ入りました。

6時に起きて台所へ行ったら、下の息子が起きていたので、雨戸を開けてもらい、その間に風呂に入った。
朝めしは、昨日の昼のカレーを温めて食べることになっていたので、胡瓜の漬物と甘酢のラッキョウを出した。

JA湘南へ行くのに時間があったので、PCでメールのチェックをしたり、友人に電話をして彼が栽培している有機米のササニシキを送ってもらう手筈をした。
JA湘南へは自転車を飛ばし、無花果、柿、ブロッコリー、薔薇を買った。
ここ2,3回ブロッコリーを買っているが、いよいよこの野菜のシーズンだ、夏の枝豆と冬のブロッコリーは茹でて毎日食べても飽きない大好きな野菜だ。
半ば日課と化したパッチャとのお遊びのため、娘のところへ寄り珈琲を飲む。

家に帰ってからも「私の幸福論」を読んだが、よりゆっくりした読み方になっている。
妻が部屋にやって来て、これから西友に買い物に行くが何か欲しいものが無いかとのことで、牛乳を頼んだが、ヤオマサに行ったらしく大量の魚と肉を抱えて帰って来た。
O君に今日はご主人が好きそうな魚がたくさんありますよと言われ、サゴシ、相模湾の根付きの鯵、小型の鯵を買ってきたようだ。
肉は飲食店を始めるつもりかと言うほど買って来て呆れたが、先日買った10キロ近い肉を既に食べてしまったから、ダイエットどころか体重が増加傾向を示しているのだ。

昼飯は鍋焼きうどんを僕と娘がそれぞれ作り、妻は卵焼き、鶏のから揚げ、カレーを食べたが、多分晩飯が喰えない筈だから、魚の調理を真面目にやってくれるかどうか不安だ。

プレシネは「2001年宇宙の旅」1968年米映画で、評判の高い映画だったが、全く面白くなかった。

雨もよいの天気のため薄暗かったので4時前に大磯方面へ散歩に出た。
変電所前で同級生に会って、先週小田原高校の同級会があり75人集まったと聞いた。
1学年に400人くらいいたわけだからこういった集まりに思い入れがあるやつは少ないってことだね、高校時代の仲のいい奴らとの行き来も無いが、受験校だったので高校時代は面白くなかったなあ。
女子高だった城内高校が無くなり、今は女のほうが多いらしいが、当時は元男子校だったのでクラスに2,3人しか女がおらず、威張ってた。
男と女が半々の高校に行きゃよかったのに、わざわざ学区外で小田原高校へ行ったのが大いなる間違いだった、素直に湘南か江南へ行ってりゃよかった。
そうすりゃ女にいいとこ見せたいから、見栄で勉強したと思う、小田高では全く勉強しなかったが、授業中何をして時間を潰していたんだろう。


帰って来てチャイを飲んで、風呂に入り、二階で「私の幸福論」を読了した。
分かりやすい言葉で、重要なことを丁寧に書いてあるので680円+消費税はいかにも安い。
青年諸君ぜひ買って読みたまえと言いたくなるねえ。


晩飯は案に相違して、妻が鰺の刺身、なめろう、リーフサラダ、ブロッコリー、叉焼を真面目に作って食卓に出してあった。
連日酒を呑んできて、どうにも身体が怠いので肴があるけど酒を呑まないことにしたら、今日は誰も呑まないのと妻が僕と娘の顔を覗いた。
鰺の刺身は、朝相模湾で獲れた大型の根付きで、これが抜群に美味かったが、酒があれば味わいは倍増したのにね。
山葵醤油で当然美味かったが、酒が無いので塩胡椒を振ってリーフサラダと食べたが、新鮮で魚の臭みが全くなかったから格別だった。


食後、母と話しをしていなかったので、母の居間に行き日本の名曲を聴きながら少し話をして、8時過ぎに2階へ上がって西部邁を読みだした。
2時間ばかり読んだろうか、眠くなって寝たが、4時半まで眠ることが出来た。
酒を呑むと眠りが浅く短くなる、水分を取るので小便で起きてしまうことも一因だろうが、元々あまり家で酒を呑む習慣が無かったのに、父が亡くなってから呑みだしてかれこれ5年になる。
特に隠居してからは外に呑みに出るのが億劫になり、晩酌は習慣になってしまった。



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恋のはじめのときめき

2018年11月05日 | Weblog
今朝は4時頃起きて音楽を聴いていたが、下の息子が6時前に起き出して台所でガタガタやっていたので、僕も降りていった。
炊飯器のスイッチを入れて、先ずは風呂に入り、息子にお茶を淹れてくれるように頼み、新聞を眺めながらお茶を飲み、飯の炊き上がりに合わせて朝飯の支度をした。
昨夜の残りのきりたんぽ抜きの汁に豆腐と葱を入れ、ホウレン草の卵とじを作り、糠床から胡瓜、茄子、赤カブを出し、納豆の葱を刻み、昨夜もらってきた鰹を切った。
炊き立ての飯に刺身と言うのは実に美味いもので、夜は飯を食わないから、久し振りにこの味わいを堪能した。

息子は飯を食い終わると散歩に出かけると一人で出て行った。
曇り空で雨がぽつりと来るような空模様だったので、降りだしたらすぐに帰れるようにと自転車でそこいらをうろつくことにした。
東に向かい月京から中丸へ行き、城山公園の農産物直売所が開いていることを思い出し、行ってみたらオバサンたちが買い物籠一杯に野菜や花を抱えて並んでいた。
ここも8:30の開店前からオバサンたちがやって来て大量に商品を抑えているようで、人気の高い商品はあらかた売り切れになっていた。
胡瓜、獅子唐、春菊を辛うじて買った。

家に帰って部屋の整理を少しして、10時近くになったので娘のところへ珈琲を飲みに行き、パッチャと遊んだ。
おもちゃの動かし方のパターンを覚えてしまったので中々ついてこなくなり、工夫を加えた動きをしないと遊んでもらえなくなった。
未だ5ヵ月のちびのくせに本能で生きている奴は成長が早い、飼い猫にならなければ自分で餌をとり、危険から身を守らなきゃいけないから、人間みたいにぶらぶら時間をかけて大人になるわけにはいかない。
娘の友達がやって来て一緒に散歩に出かけたので、それを機に帰って来て、「私の幸福論」を読んだ。
仕舞の方から読んだので、あとがきが出てきて、また前に戻ったら読んだことのある文章が出てきた。
田舎の電車に乗ったら、あまり教育を受けているとは思えない農家のオバアサンに、窓を開けてもかまわないかと訊かれた。
大磯に住んでいて東海道線に乗るが、こういったことを訊かれたことはなく、これが教養というものだと書いているところだが、これで多分3度目だと思う。
三度目という縁もあるが、最初に読んだ時からこの話には強い印象を受けた。
こういったことは人に教わるでもなく、身に着いたたしなみの中ででてくることが文化であり教養だと実感した。
はたして僕はこのような教養を身に付けているのかどうか、はなはだ怪しいと思うし、本をたくさん読めばこのようなたしなみが身に着くものではなく、要は生まれついた資質であるとすれば、絶望的だなあと思う。
それでも、このようなオバアサンに出くわした時、凄いもんだなあと感じることができる人間でありたい。


久し振りに友人からもらった「日本の恋と、ユーミンと」を聴いた。
何時もユーミンを聴いていると妻が嫌がるので遠慮していたが、下で昼の支度をしているので鬼のいぬまのユーミンだなあ、ステレオ装置で聴くとやっぱりいいね。
妻は音大のピアノ科を出ているが、才能が無いことを自覚して、わざわざ家に持ってきたグランドピアノをほとんど弾かずに売ってしまった。
音楽を聴くならクラシックにしてと五月蠅いので、仕方なく好みのバッハやサティを聴くこともあったが、そんなに云うなら僕が詩を書くから、君が曲をつけてヒット曲を作ってみようと言っても拒否されている。
クラッシックがそんなに高級なもんなら、下賤なポップスくらいお茶の子さいさいで作れるんじゃないのかねえ、オネエサン。

午後は雨がやみ、3時に下の息子が散歩に誘いに来たので北へ向かって歩いた。
西友まで行き、秋物のズボンを買った。
行きも帰りも葛川沿いを着かず離れず歩いたが、妙見橋の下を飛翔する翡翠を観た、嬉しい。

娘のところ今日ふたたびパッチャと遊ぶ、家への帰り道は真っ暗だった。
秋は深まっている。

二階で休んでいたが6時を過ぎたので風呂に入りに下へ降りたら、息子と娘が台所で晩飯を食べていた。
風呂から上がり「男山」を燗にして、湯豆腐、鯖の味噌煮、鮪の刺身を肴に呑んだが、他に誰も呑むやつがいなかった。
刺身と湯豆腐があって酒を呑まないのは無粋だ、それでも飯が終わってから娘がオレも呑もうかなと備前のぐい吞みを出してきて呑みだした。
妻は日曜日は11時から「オクニョ」を観ながら熱燗を一人呑むのが楽しみなので、9時過ぎには風呂から上がり、肴を用意して呑みだしていた。
僕は「私をスキーに連れてって」を観るために、母の居間に場所を移していたが、途中で口寂しくなりコニャックを取りに納戸へ行って、妻の独酌を目撃した。
随分早くから飲んでいるので11時にはかなり酔いが回っているんじゃないかと思ったが、「私をスキーに連れてって」が終わり台所へ行ったら、すでに2合の酒を呑みつくしその次の杯に掛かっていた。

「私をスキーに連れてって」は観るの二度目だが、原田知世が可愛いねえ、三上博史とスキー場のゲレンデで知り合って、恋が始まるところは、他人の恋、それもドラマの中でのことだけど、やっぱりいねえ。
隠居をする年になっても、恋のはじめのあのときめきは、思い出すだけでも幸福感に満たされるもんですよ、終わりが苦い思い出でもね。
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