キュヴェ タカ/cuvee taka 椿庵酔哲「湘南隠居日誌」

-湘南散歩に読書、映画はTVで、夜は酒、ワイン、ハードリカー、そして時々釣り-

ドンキホーテの旅

2018-06-24 | Weblog
こちらではワールドカップの試合が午後2時5時8時と三つの時間帯に分かれて放送されているが、例えば今日の5時からの日本対セネガル戦は、日本で観ようとすると夜中の0時から始まっていることにり、 サッカー好きにとっては辛い月曜日になるはずだ。
今日はこの試合を観るために、2時からの食事を 早めに切り上げて4時前からシエスタをして5時に目を覚して観ている。
いつもよりシエスタの時間が短いので多少眠たいが、ただそれだけのことで大した不都合はない。
しかも日本で試合を観ているのとちょっと違う感じがしてなかなか楽しいものだ。
ともあれ西野さんは運が強いなあと思った。
負け試合になるところを引き分けにしたのだから大したものだ。

サッカーの試合が終わってからビーチに出かけた。
もうあと月曜日を残すのみで、ここともお別れとなるので、もしかするとこれが最後の海水浴になるのかもしれない。
そう思うとなんだか感慨がこみ上げてきて 大西洋での泳ぎをたっぷりと味わおうと40分ほど水の中にいた。
帰りは自転車でぶらぶらとこのリゾート地の中を見ながら帰ってきたが、日本の悪平等社会とは違い、スペインはたぶんかなり格差のある階級社会なのだろうと思う。
貧乏人の僕なんかが来るようなところではないなぁと思いながら、ゴルフ場や高級レストランやビーチクラブなどを横目に見ながら走った。
ただし階級と教養は現在あまり関連しておらず、 日本においても一時よく見られた成金趣味のような人たちが多い。
見るからに羨ましくなるような優雅さを持った人たちはあまり見かけられない。
今から30年前にフランスのボルドーへワインの買い付けに行った時には、初めてそういった優雅な振る舞いをするお金持ちを見て目を瞠り、キスの仕方から違ってまごついたものだった。
公園のベンチでひとしきり休んで、日差しが弱くなってきた風景を眺め、9時に家に帰ってきた。

今朝、この旅に持ってきた西部邁の本3冊が読み終わり、本来この旅で読むはずだったドン キホーテ デ ラマンチャを読み始めた。
すっかり西部邁の文体と思考方法に慣れてしまったため、セルバンテスの世界に入るのに時間がかかりそうだ。
高校生だった頃に当時人気絶頂だったコント55号と中村晃子で、確かNHKが映像化したドンキホーテを観て、中村晃子のファンだったために強く印象に残った。
その後、岩波文庫で永田寛定訳を買い求め読み始めたが一冊目の途中で挫折した。
2001年に同文庫で牛島信明の新訳が出て、すぐさま買っておいたのだがそれっきりになっていた。
そのためドンキホーテは子供向けにリライトされたものしか読んでいない。
この旅に持ってきた前編3冊も旅の終わりまでに読み終わるとは思えないが、この機を逃してドンキホーテを読むことはないだろうから、帰国してからも読み続けるようにようにしたい。

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ヘレスの夜

2018-06-24 | Weblog
今回フラメンコが聴けないことを少し残念に思っていたことを友人が察してくれたのか、昨夜急にへレス行くことになり、早めに海水浴を切り上げ9時過ぎに車で街へ向かった。 ヘレスへは10年ほど前になるだろうか、甘口ワインの展示会で一度来たことがある、ティオペペの上のモニュメントが会場になり、郊外のホテルとそこの間を歩いて行き来したが、今回町に来てみて 前回街中を全く歩いていなかったことがわかった。 ワインの仕事をやっていた頃はワインに夢中で、その他のことにあまり興味がなかったが、シェリーが生まれた街の様子や背景を何故見ておかなかったのかと今になって思う。 多分当時はそのような余裕がなかったんだろう。今回休暇でスペインにやってきて今まで見なかった処を見ているし興味のあり所も変わってきている。 車をティオペペの工場の脇道に停め、大聖堂の脇を登り、ティオペペの銅像を眺め、街をぶらぶらと歩きかなり町外れのところにあるバーに入った。 オーナーの女性ミランダさんは、4、5年年前にバルセロナからやってきて、この店をオープンしたらしいが、たぶんフラメンコに魅せられて、わざわざこの街にやってきたのだと思う。フラメンコの方は10時過ぎにならないと始まらなかったが、それまでシェリーを飲んだ。セレクトは ミランダさんにおまかせで最初の一杯は12年熟成のピノ、それまで新しいピノを飲んでいたので強く感じていたが柔らかくて奥行きがあり飲みやすかった。 2杯目も熟成されたピノだったが、これもまた味わいがあるピノだった。 最後はアモンティリャードかオロロソでかなり長い熟成したものであったが、やはり味わいに深みがあり柔らかさを持っていたので飲みやすかった。シェリーは割と度数が高くて強いので、ビールも頼んでチェイサーとして飲んだ。 タパスはトルティーヤ、 トマトの上にオイルサーディンを燻製したもの、細かく切った野菜のオイル漬け、ムール貝、スペイン風の叉焼、小ぶりのエスカルゴ、マグロのジャーキーを食べた。 フラメンコは男性のギタリストと女性のボーカルで始まり、何しろスペイン語で歌っているので内容が 全くわからなかったが、手拍子が基本なんで合わせ叩いてみたが、いくつかのパターンがあるので気持ちよく合わせることができなかった。 文字がない頃から音楽に合わせて言葉を発して何事かを伝えようとしていたわけだから、人間の心の奥深いところまで迫ってくるものがある。 東北に民謡酒場や津軽三味線を聞かせる店があるがフラメンコはそれに一番近いような気がする。

0時近くに店を出て街中を歩いているとサンホアンの祭りに遭遇した。これはキリスト教がヨーロッパに入る前に夏至を祝って行われた祭りのようで、 その後キリスト教が入ってきてからサンホアンと融合した祭りとして行われるようになったらしい。 夏至から後に日が短くなるので太陽の力を弱らせないために火を焚いてその力を長らえさせようとした祭りだったらしいが、その名残があり蝋燭に火をかざし花火が打ち上げられていた。 女性の神様が神輿の上に乗り、20人ほどの若者がその神輿を担いでいた。 あの女性は、聖ヨハネの前に人々が信仰していた女神なのだろうか。 御神体を神輿あるいは鉾に乗せ、若者に担がせあるいは曳かせて巡航するというのは日本も同じだなあと見ていた。 日本だと鉾の前か後に笛と太鼓と鐘でお囃子を奏でるが、ここではブラスバンドが付いている。 以前アルマニャックの祭りに行ったことがあるが、そこで友人がホルンを吹いて隊列に参加していたので、今回懐かしさをを感じた。

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海老が美味い

2018-06-23 | Weblog
こちらへ来てわかったことだがカディスという大西洋に面したこの場所はやけに涼しい、内陸のコルドバが38℃の時にでも10℃以上低い気温で爽やかな風が吹いている。北向きの寝室でシエスタをしていても暑いと思ったことは一度もない。沖合を寒流が流れているのかと思って調べてみたが暖流が流れている。地中海に面した隣のムルシアのアリカンテはむちゃくちゃ暑いが、立体星を渡ってくる風が涼しさを運ぶのだろう。

今日は朝飯を食べてからシエスタをしていて西部邁のマスコミ亡国論を読んでいる。1990年に光文社のカッパブックスで発売されたものが、新装版で先日出たものだ。 西部によればマスコミは衆愚政治を先導する最大権力となっていて、当然忌み嫌っているが、これを是正するのは不可能でただ絶望する人間が増えることをもってよしとする。 昨日まで読んでいた二つの著書に比べてやはり密度が落ちるのは、その二つの著書が著者の集大成であったからで、 読了するのにやけに時間がかかったが、内容がぎっしり詰まっていたということだろう。今回の著書はあっという間に半分まで読み進んでしまった。ということは、保守の真髄と遺言を読んでおけば西部邁の思想体系のおおよそのことが了解できるということで、繰り返し読めば他の本にあたる必要がないのかもしれない。

昼は2時にお父さんの方の部屋で食べた。 昨日お父さんが言っていたアンダルシアのガスパッチョの伝統的な食べ方でガスパッチョにゆで卵とハムの細かくしたものを載せて頂いた。 だいわれるほど美味くはなく、ガスパッチョはやはり爽やかさを味わうために何も入れずに飲んだ方がいいと思う。既にスープの中にはパンが細く粉砕されて入っているので腹持ちもいいはずだ。 もう1品はレンズ豆と野菜の煮込み だった。 朝飯を10時に食べてしかも大量に食べてしまったので2時過ぎのお昼にはあまり腹が減っていなくて、美味かったがあまり食べることはできなかった。 食前に昨日の残りのランゴスチンの塩ゆでとバレンシアの白ワインを飲んだが、 ここへ来て何がうまいと言ってこの組み合わせが一番うまいと思う。 友人は小さめのエビをガンバ大きめの海老をランゴスチンと言っているが、通常ランゴスチンは歩行する海老のことで日本でいえば伊勢海老などをさすので本当のところはどうなんでしょうね。 いずれにしろそガンバよりやや大きめ
の海老が美味い。 毎日これだけを食っていても飽きないような気がする。 ここのワインのシェリーピノはどうも強くて僕には合わないのでバレンシアの柔らかめの白が良くあった。 日本にいる頃はたまに飲んだせいかピノにしろアモンティリャードにしろオロロソにしろ好みのワインであったが、毎日飲んでみるとやはり強い。




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フラメンコ

2018-06-22 | Weblog
6時過ぎに自転車でクジラ海岸に行ってきた。 今日は子供達の学校が休みに入ったので、お母さん達が子供達を連れて水遊びをさせていて賑わっていた。 スペインとは限らず子供達は水遊びが好きなので、お母さんが一生懸命海水浴に連れて来るようだが、僕も子供の頃に母に連れられてよく二宮海岸へ海水浴に行ったものだ。子供たちは楽しそうにみんなはしゃいで遊んでいた。
僕は1日に運動は水泳しかしないので、皆さんがやってるように甲羅干しなどはせず、すぐに水に入つてまず20分だけ泳いだ。遠浅のために泳げるところまでだいぶ歩き、連続的に風波のような波が来るので、波と戯れてことが多いが、それでも手を八の字に回しながら足をカエルのようにバタつかせて泳ぐ。 これは何という泳法かよく知らないが、日本古代泳法にあるような気がする。海で長時間浮いているのにいい。 一度浜に上って体を温めてからもう一度同じように泳いでシャワーを浴びて上がってくると7時40分だった。大した運動にはなっていないが、これ以上やると翌日全身が痛くなり動けなくなる。 若い頃は沖合にある定置網のブイまで泳いだものだが、情けないが仕方がない。
2日前チオピニで飲んだ時に眺めた月は、上弦の月であったが、小潮の潮回りで鯨海岸の潮が引いており、浜はやけに広く波打ち際まで100Mはあった。 西湘バイパスとダムのせいで侵食されてしまった二宮海軍を想うと、いかにも羨ましい。

今日の晩飯は、ご両親とは別で友人夫妻と僕と3人で食べたが、やはり父親というのは煙ったいやうで、のびのびとして食後にはウイスキーを出してきて飲みなから歓談し、友人の陶芸作品の動画やフラメンコの動画を視聴した。 今回フラメンコを見たいと思っていたがその機会はなく残念であったが、友人は商業ベースのフラメンコにあまり関心はなく、フラメンコが生活に一番根ざしているところはヘルスとのことで、沖縄で人が集まると三線と唄で楽しんでいるのと同様な感じらしい。 そういった本物を見るにはもう少し長く滞在して生活を共にしなければ、なかなか触れる機会もないだろう。 以前、イタリアのメーカーを試飲会に呼んだ時に、たまたま二日前に日本に入ったので、平塚のホテルに泊めて七夕祭を一緒に見たことがあるが、彼らは日本の神輿にやけに感動していた。 これも日本人が生活の一部としてやっている祭りに参加できたことが大きな喜びだったのだろう。

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鯨海岸 

2018-06-22 | Weblog
今朝は6時半に目が覚めて西部邁を読み始めた 9時半過ぎまで読んでいたが精読しているためになかなか前に進まない。 まともに本を読みだすと時間がかかるものなのだ。
今まで水道管の水垢理論で、あらゆる本を読み飛ばしていたが少し反省している。 というのも思ったより水垢というものがつかないようで、いい年をして頭の中が空っぽのままである。
今朝は朝食の後ベランダの椅子に座り、庭と目の前に広がるゴルフ場を眺めている。
庭は芝生が植わっており、左右の部屋と檜と思われる生垣で隔てられている、カンナ、ハイビスカス、キョウチクトウの花が咲いている。
ゴルフ場には松とオリーブが植わっており、思ったより多くのゴルファーがプレーしている。 フランスに行っていた頃はゴルファーの数があまりにも少ないし、近所の農家のおじさんが長靴姿でプレイしているのを見て驚いたが、考えてみればスペインの有名なゴルファーがかつて活躍していたことがあった。 たぶんゴルフが盛んな国柄なのだろう。
朝のうちは曇っていて涼しかったが10時を過ぎた辺りから陽が出てきて今日も海水浴日和になりそうだ。 しかしこの強い日差しの中で1日肌を焼いていて、若いうちはいいが中年になると象のような肌になっている。色が黒い方がモテるのかあるいは金持ちの証なのか知らないが、良い印象であることは間違いなく、皆さんせっせと肌の老化に勤しんでいらっしゃる。 日本のようにUVカットのクリームを塗り、黒い手甲脚絆のような手袋をして帽子を被り、日傘をさして歩いてるのも異様だが、日本では色白が好まれることの反映だろう。 ちなみに僕はTシャツ短パンサンダルで麦わら帽子を被って海岸に出かけている。もちろんUVカットのクリームは塗っているがこれは日焼けで翌日肌が火照って痛くなるのを防ぐためだ。まあほどほどというところで留めておきたいものだ。

昔誰かの本で文化というものは1日中ずっと座って部屋の中にいられることだと読んだことがある。年をとって身体が動かなくなると1日に一回軽い運動するだけで十分で、家の中に閉じこもって本を読んだり映画を観たり音楽を聴くことが多くなる。要は文化というものは歳をとることなのか。
若い頃は目的もなく何が何でも外へ飛び出してみたかったものだが、年を取ると用事があってもなかなか外へ出なくなる。若い頃無駄に各地を回った見聞や経験を子供達に話すことができればいいが、今の世の中そういう機会が与えられていない。老人にとっても子供達にとっても不幸なことだと思うが、受験戦争で幼い頃から学習塾へ通わせるというのは少子化と逆行した馬鹿げた行為ではないのか、少子化による学校閉鎖もよく聞くが、閉鎖する前に教室の一部を老人に解放して社交場とし、そこに子供たちが自由に出入りできるようにしたらいいのではないか、新たな試みをすると責任が発生し、そこで発生する危険に対する保障の問題をとやかくするが、アメリカの訴訟社会の後追いをしているようで息苦しい。 大まかに言って単一民族で長い歴史を有する日本には、共通の規範と良識があるはずで、アメリカのような歴史の浅い多民族国家と違い、訴訟による問題解決より慣習や常識による判断でおおよその問題が解決するべきではないのだろうか。
わざわざスペインのカディス鯨海岸まで来て読書に耽っている必要もないのだろうが、観光地を汗だくになって回るよりも、異国の地へ来てこういった生活をしているのが何とも贅沢で楽しいのだ。家族や友人たちから無駄だとよく言われるが、無駄をするのが贅沢というもので、効率一辺倒の生活から離れるのがいかに楽しいかやってみればよくわかる。仕事が終わってから飲み屋で、引き続き仕事の話をしている奴等がいるが、そういったところが世界の常識と食い違っていて、あいつらにはとりあえず金を出させておけよと馬鹿にされるが、話題の幅がいかに狭いか、つまり無教養ということを如実に表しているわけで、いつまでたっても12歳で大人になれない日本人と言われる所以の一つだろう。

友人が3台目の自転車を直して僕専用に乗れるようにしてくれた。ビーチに行って、ちなみにそのビーチは鯨海岸と云うのだが、泳ごうと思ったが日差しが強くなったのでやめて読書をすることにした。結局ベッドに横になったら寝てしまい2時半に昼飯だと起こされた。
昼飯は朝お父さんが今日はイワシを焼いて食おうと言ってた通りイワシの塩焼きだった。 これをガスパチョと一緒に食べるのがアンダルシアのやり方で、日本と同じように5月6月7月のイワシが最も美味いらしい、日本ではこれを梅雨イワシといったと思う。 隣のお母さんの食い方を見ていると、トーストしたパンに大蒜をこすりつけ、そこにオリーブオイルを垂らしほぐしたイワシを載せてかぶりついていた。 皆さんナイフとフォークで一生懸命やっていたが、僕は箸をもらい、やすやすとイワシをほぐして同じやり方で食べた。 大蒜とオリーブオイルでイワシの臭みを消しているんだね。醤油も用意されていたので、ほぐしたイワシに醤油をかけて食べたが脂が乗っていて美味かった。 バレンシアのロゼと赤ワインを飲んだがさすがに赤ワインは合わなかった。最後にスイカを食べたが皆さんうまいうまいと言って絶賛している、実はこのスイカ、グラナダの帰りに寄った八百屋で僕が選んで買ったものだ。スイカを選ぶことについては自信を持っているので、スペインのスイカも同じ要領で選んだが、やはり世界中果物の良し悪しは同じだ。

昼飯の後のシエスタだが午前中よく寝たので、さすがに眠ることが出来ずついに保守の真髄を読了した。 啓蒙的な本で、著者が考えてきたことをわかりやすい言葉で我々に伝えているのだが最後の数十ページについては、言論の虚しさすなわち著者が感じている絶望とこの世に対する未練のようなものを少し感じた。身体が頑健であれば虚しい言論の戦いをまだ続けていたであろう。若い人たちに著者の意志を継ぐ人たちもいるが、西部邁が残した最も優れた仕事はエッセイであり、論理は継承することができるが感性を引き継ぐことはできないわけで、もうこの人の仕事はこれっきりで終わったということだ。

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ガスパッチョとトルティーヤ

2018-06-21 | Weblog
ご両親が見えてからはご両親の部屋の方が広いので、友人夫婦と共にそちらで食事をとっている。
一般的な家庭なのかどうかは分からないが、ここ二日ばかり一緒に食事をしてみてわかったことは、朝及び昼はガスパッチョを食べるということ、昼と夜にはスープが付いている。
この家庭の場合のスープは海老を食べる頻度が高いためにエビの殻で取ったスープが多い。
今日の昼は近所の若奥様が4ヶ月の赤ん坊を連れてやってきていて、白ワインと茹で海老で両親が歓談していた。
この海老は前のスーパーでお父さんが買ってきたという冷凍の茹で海老らしいが、なかなか美味かった。
食事のテーブルに用意されていたのは、ガスパッチョと豚のタンと野菜の煮込み料理だった。
豚のタンとヒレとどちらがいいかと聞かれたのでタンを所望したが、冷凍のものを使って午前中煮込んだようだった。
なかなか美味しかったのでつくり方を聞いたら、玉ねぎ人参、ネギを炒めて、大蒜を丸ごと潰して入れタンを入れて炒め、ローレルと塩こしょうで煮込むらしい。
家で妻がやってるのとだいたい同じだが、最初に肉野菜を炒めるという点が違う、そこで味にコクが出るのかもしれない。
フルーツは昨日食べたブラックチェリーとストロベリーそれにスイカだった。
最後にミルク少なめのコーヒーを飲んだ。

二日酔いと寝不足で疲れていたので早々に引き上げてシエスタを取った。
ビーチに行かないかと誘われて起こされたのは6時半で、それまでぐっすり眠った。
ビーチへは先に行ってもらい7時過ぎてから一人ビーチへ行き泳いだ。
今日は風もなく波が引いて砂浜が広がった。
いつも陣取る場所の隣に中年の太ったおばさんがトップレスで寝そべっていた。
あまり美しい眺めではなかったんが、まあこういう日もある。
水に入る時はブラジャーをやっていたので、やはり運動の時に大きいおっぱいを持て余すのだろう。
帰りに一緒になりシャワーの所で少し話をしたが、近所から自転車で来ていて眼鏡をかけたその顔は、寅さんに言わせるとお前さしずめインテリだろう、というような感じだった。

初めて帰りがけにシャワーを浴びたが、パンツとサンダルに水が残るのは感じが良くないが、家に帰ってからシャワーを浴びる必要もなく、さっぱりとして気分が良かった。
ちなみに今日も普通のパンツで泳いだか、全く違和感もなく汚れも落ちて洗濯も楽だろう。

帰ってきたら9時近かったので着替えをしてすぐに晩飯となった。
晩飯はエビのスープとトルティーヤ、玉ねぎとジャガイモのシンプルなものと、それにハムが入った2種類だった。
トルティーヤはお父さんが作ったものだが、中がしっとりしていて美味しかった。
作り方を聞いたら、じゃがいもと玉ねぎを一度油で揚げるらしい。
昼に今夜は俺がトルティーヤを作ると言って、最近仕入れた上下に二つフライパンが合わさっているトルティーヤ専用のフライパンを見せてくれたが、フライパンをひっくり返せば確実に両面が綺麗に焼ける優れものだ。
食事の間にはアモンティリャードを軽く飲み、食後にはスイカを食べた。
サッカーはクロアチアが試合終了前に2点追加点を入れ、3対0でアルゼンチンに勝った。
かつてのサッカー王国と呼ばれるところは総じて弱くなってきているような気がする、日本のようなサッカー新興国が徐々に海外でプレーする選手たちによって相対的に実力を伸ばしているからだろう。
野球を見ているとわかるが瞬間的なスピードとパワーは劣るものの、繊細な技術と持久力については一日の長があるような気がする。
要は相手の力を空回りさせ疲れさせ、動きが止まった瞬間を見てゴールを決めることだ。

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チピオニの夜

2018-06-21 | Weblog
7時過ぎに車でチピオニの街へ出かけた。
友人夫婦がパン屋や金物屋や眼鏡屋で用を足してる間に海岸までの通りを散歩した。
古臭い街並みで、数十年前の江ノ島の街並みを彷彿とさせた。
ちょうどスペイン対イランの試合が始まる頃で、スペイン国旗を振りかざしたおっさんが店から飛び出してきたりした。
友人はサッカーにあまり興味がなく、海岸の目の前にある知人宅に赴き、家主の友人がテラスで飲んでいるのに合流した。
僕も西日を背にして座りビールを飲んだが 左に見える風景もまるで江ノ島のようだった。
今日は曇り空だったせいか、海水浴客たちもこの時間ですでに浜から上がり、家の前の道をそぞろ歩いていた。
道行く人を眺めながら、コルドバからやってきた英語を話す26歳の青年と話をした。
現在法律の勉強していて公務員になりたいそうだが、母親がやはり公務員で学校の先生をやっていたせいで、給与や定年後の待遇が非常に良いことをわかっていてプライベートの弁護士より公務員を目指している。
日本の漫画が好きで子供の頃から色々な物を読んでいたが、僕はあまり漫画を読まなかったので、彼のほうが数段詳しかった。
スペインの青年たちがサッカーに熱中しているのはキャプテン翼という日本の漫画の影響が大きいと言っていたが、周りの彼より上の年代のおじさん達も同意していた。
そして一人のおじさんが、球を蹴ってからゴールに届くまで一週間かかると言っていたが、確かにテレビで見た巨人の星でも星飛雄馬が、ボールを投げてベースにたどり着くまで一週間かかることがままあった。
北斗の拳という漫画で、お前はもう死んでいる、というセリフが印象的だったようで 日本人に正確な発音でこのフレーズを言ってほしいと頼まれてスマホにレコーディングしてあげた。
後からやってきた彼のお兄さんは、身長が192CMあり、かつてスペインのキックボクシングのチャンピオンだった精悍なハンサムボーイで、チャンピオン時代には女にすごくもてたらしい。
今は叔父さんの服装関係の店で働いているが、日本へ来たらファッションモデルで人気が出るに違いなく、服装関係のチェーン店の社長まで登りつめる可能性がある。
男の僕が見ても背が高く精悍でかっこいいので、日本人の女はイチコロだと思う、僕は暇なのでマネージャーに雇えば、いいところまで行けるぜと話した。
この二人叔父さんというのが、アルベルトといって洋服屋を経営していて、ちょっぴり太って赤ら顔の陽気なオヤジで、やけに面白い人だった。
家主もやはりコルドバの人で オリーブ園を経営していてオリーブオイルを販売している。
そのオリーブオイルをパンにつけて食べてみたが苦味があり、つかむ感じがあってとってもいいものだった。
コルドバの人が多かったのは、家主が友人を引き連れてやって来たからだが、もう一人オリーブの栽培をしている人がいた。
この人はかつてのプロレスラーのジプシージョーに似ていたが、本物のジプシーだと失礼にあたるので、この件は話さなかった。
人懐っこい感じで、スペイン語で一生懸命話しかけてくれたが、残念ながら何を言ってるのかわからなかった。
ビールから始め、ダブルブラックのジョニーウォーカー、カティサーク、マンサニージャ、ガルシア産のジン、最後はジントリックを飲んだ。
料理は電気プレートの鉄板で豚のヒレ、豚の肋骨の肉、牛肉を焼いて食べた。
こっちの連中がガンバと呼ぶ小型のエビと、それより大きい2種類の茹で海老が出たが、やや古く良くなかった。
多分この連中は朝から飲んでいて昼に出した時には2種類別々だっだろう、それを大小取り混ぜてしまっておいたのを出してきたので傷んでしまったのだ。
素晴らしい海老だったので是非昼に食ってみたかった。

サッカーが終わった頃からどんどん友達が帰ってきて、一番多い時には20人ほどいたが、姿形も性格もとりどりで、しかも全ての友達が親切で、言葉が通じないのが惜しまれたが楽しい時間だった。
海の上に浮かぶ上弦の月も素晴らしく綺麗で、それを見ながら飲む酒は格別であった。
1時半にバーへ行く皆さんと別れて友人夫婦と共にお暇した。
ビーチの前の家のテラスというのは最高の場所だか、 家主のおじいさんがフランコ政権の高官だった時に、胸を患い養生のために建てた別荘らしい、当時も不法建築だったが今も不法建築とのことだ。

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海老と鯛

2018-06-21 | Weblog
昼に友人のご両親がセビリアから車でやってきた。
お年は78歳と79歳で一つ年上の姉さん女房のご夫婦だった。
お父親の方はラマンチャでワインビジネスをやっていたが71歳でリタイア、現在はパルプにするユーカリを植えていて将来はアルゼンチンへ苗を持って行くとのくことだ。

このアパート二部屋はご両親の持ち物で、日頃は次男夫婦が住んでいて、夏には休暇を夫婦でで過ごすことになっている。
手土産に海老と黒鯛、フルーツを持ってきてくれたので、お昼はガスパチョと海老のアヒージョ、黒鯛の塩焼きになった。
黒鯛は40CM1kgのサイズが2匹、ちょうど食べごろのサイズで脂が乗っていてうまかった。
たぶん相当いいものを買ったと思うが、新鮮で古い魚の嫌な臭いは全くせず、スペインの魚も値段次第でいいものがあるんだなと思った。
レモンと醤油と箸があったのも美味しく食べるのに一役かった。
食後に頂いたフルーツはスペイン産のブラックチェリーとポルトガル産のストロベリーだったが、光をたっぷり浴びて果物本来の味があり美味かった。

コーヒーを飲みながらお父さんと一緒にポルトガル対モロッコ戦を観た。
残念ながら言葉が通じないので、20分ほどでポルトガル戦が終わって隣の部屋の寝室に引き上げたが、せっかくスマホを持ってきたので翻訳アプリでお父さんと会話ができると思いあれこれいじってみた。
シエスタの後、ビーチに行くのに昨日まで被っていた帽子を隣の部屋に置き忘れたので、ご両親のいる隣の部屋に思う行き、お父さんに帽子があるか翻訳機で聞いてみた。
多少時間がかかって面倒だったが全くコミュニケーションできなかったお父さんに帽子が欲しいことが理解され、部屋にあった麦わら帽子を貸してもらった。
時代の進歩は大変なものだなあと感嘆した。
テクノロジー一辺倒の近代主義に対する批判をしている保守主義者としては 一貫性がないようだが、本来言語によってコミュニケーションを取ることが不可能な関係を可能にしてしまうことは素晴らしい。
ただし本質的に異なる地域に根ざした文化伝統慣習をバックグラウンドに持っている人間同士が交流するわけだから、どこまで行っても本質的なコミュニケーションの成立はありえず言ってみれば単なる余興にすぎない。
翻訳機はどこまで行っても機械であり一本調子な翻訳しかできない、多少でもスペイン語を知っていれば修正できるが全く知らないのでかなり違った意味に翻訳されているに違いない。
簡単なコミュニケーションでもこれほど苦労するのだから、翻訳機が本格的に使えるようになるにはまだちょっと時間を要する、というよりも形式と数量を把握する能力には優れているが 人間が持っている有機的な能力に追いつくことは永遠にないのではないか。
それでも外国語を習得するのに膨大な時間を費やすことを考えると、これによって多くの時間を他の事に振り向けることができ、感情や情緒、あるいは経験や伝統の有機的な結合について補完的なことに費やせるわけで大いに活用すべきなのだと思う。

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旅に思うこと

2018-06-20 | Weblog
スペインのカディスのロタへやってきて、 暢気な話ではあるが、ここが海辺のリゾートだということが分かり、湘南の我が家に比較的近い環境で違和感なく暮らしていたが、山沿いのグラナダへ一泊二日の旅に出て帰ってきたら、元の生活に戻った気がするから不思議だ。
あと一週間ほどここで暮らし、ヘレス、バルセロナ、アムステルダム経由で成田へと帰るわけだが、海外で10日間同じ場所で暮らしたことは今までになく、それがどのような意味を持つのだろうと今回の旅に出たのだが、やっていることは家にいる時と同じで、夜が明ける頃に目を覚まし、読書をして、朝飯を食べ、家にいるときは散歩に出かけるのだが、ここでは日差しが強いために日中は読書をして、散歩の代わりに7時から2時間ほどビーチで泳いでいる。
基本的な日課は読書と軽い運動で、その軽い運動が散歩から水泳に変わっただけで、映画は観ないが日本にいる時と大して変わりない単調な生活をしている。
スペインだからとドンキホーテ デ ラマンチャを持ってきて読もうと思っていたが、西部邁に熱中していてそこから離れることができないでいる。
200ページ余の新書版を読むにも精読すると時間がかかるもので、まあ眠っている時間が多いのも一つの理由だが、一週間経っても2冊目を読み終えてない、何でも早く読めばいいってもんじゃないが、それにしてもじっくり読む楽しみというのは確かに大きくて、若い頃から学研の生活をしていればこういう楽しみに耽っていたことだろう。
今読んでいる新書の2冊というのは西部邁が最晩年に娘の智子さんに口述筆記させたもので、 保守の神髄と保守の遺言で内容は非常に似ている。
内容を要約してご紹介してみたいが中々難しい、何故かと言えば西部邁が一生かかって考えてきたことをこの小冊子に込めたものだから、書かれていることが濃厚でそれをさらに要約するとなると濃いコンクジュースを飲んでいるようで味が分からなくなってしまうからだ。
不人情のようだが価格も安いのでどちらの本でも構わないから、ぜひ買い求めて読んでいただきたいと思う。
僕は西部邁と巡り会うまでに60数年を要してしまったが、長すぎたなと思う。
それでも死ぬ前に巡り会えたのだから了としなければならないだろうが、若い頃に巡り会っていたならば会社勤めなどさっさと辞めて違う生活をしていたに違いない。

さて9時を過ぎたので起きだすとしよう、シャワーを浴びて髭を剃ったが今日は日差しがなくどうも曇り空のようだ。

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グラナダの朝

2018-06-19 | Weblog
グラナダの朝も素晴らしかった。
ホテルの部屋が4階にあり、バルコニーで朝食をとったが、目の前にグラナダの街が広がり、前方には尖塔が二つあるパレスらしきものがあり、いかにもスペインにいるんだなという気分にさせられた。
目の前ではツバメが飛び交い、昨日は午後から夜にかけて凄く暑かったが、朝の空気は涼しくて爽やかで気分が良かった。

10時に町の散歩に出かけ、 昨夜訪れたバーが並んだ小道を通り抜けたら、そこにもバーが並ぶ小道があり、町の中心へ向かっているようだった。
明るい広場に出たらそこが市庁舎で、その先の道がどうも町の繁華街の中心のようだった。
そのメインストリートを少し入ったところに大聖堂があり、開堂を待って同年配の日本人のおばさんがいて、やっぱりすごいもんだなぁと、そのバイタリティ羨んだ。
アルハンブラ宮殿を訪れる東洋人は日本人が少なく中国人や韓国人が多かったが、街中で見かける東洋人は、どういうわけ日本人がほとんどであった。

個人的な好みで言えば、アルハンブラ宮殿よりも大聖堂の方が見応えがあった。
酔っ払って喘いで見学したせいもあるが、アルハンブラ宮 殿はタイルの文様とレリーフの文様の繰り返しで、ちょっと見るとパターンが分かってしまい、あとは繰り返しに過ぎない。
大聖堂も中央の正面にキリスト像があり、その周りを聖人の部屋が取り囲んでいて、中央のドームの上部にはステンドグラスがあるという構造はどの聖堂も似ているが、制作の年代と様式に差があるために飽きないのかもしれない。
脇部屋の奥にキリストの磔刑像とそれを取り囲むように数多くのフレスコ画が飾ってあり、その中の一枚がレオナルドダヴィンチの作と英語の解説で聞きぶったまげたが、作者を聞かなければただのフレスコ画だと通り過ぎてしまっただろう。
要は大していい出来のものではなかったということか。

帰りは高速でグラナダからセビリアを通りロタに帰った。
途中でワールドカップコロンビア戦が始まりラジオとスマホで試合経過をおったが、予想に反して日本が先取点を取り、いいムードで試合が進んでいたので、レストランに入り試合を見ることにした。
レストランの前にはワールドカップキャンペーンで、ビール6本で5ユーロの看板が出ていたので勇んで入ってみたら、テレビはなく、なんでこんなキャンペーンをやっているのか理解に苦しんだ。
料理も不味く踏んだり蹴ったりだった。

日本の勝利はレストランから出てロタに帰る車の中で聴いたが、一番感じたのは西野さんの運の良さだ。
勝負事というのは強い方が必ず勝つとは決まっておらず、運に左右される部分が多いが、西野さんが持っている強運が日本を勝たせたとすれば今後も期待ができ、このワールドカップは面白くなりそうだ。

7時までシエスタをしてビーチに出かけた。
日曜日と比べて人出は少なく広い海岸にぽつんぽつんと海水浴客がいるのみだった。
前回までは海水パンツを履いて泳いでいたが面倒くさいのでパンツのまま泳ぐことにした。
二宮海岸で泳ぐとき短パンにTシャツで出かけて行って、気が向くと海の中に入っていたので特別に準備をして海水パンツを履いて泳ぐという分けでもなかった。
今日ちょっと気が付いたのは、胸に自信のある子がトップレスでいるケースが多いのかと思ったが、それは寝そべっている場合だけのことで、動く場合は巨乳の扱いに困るらしくブラジャーをして胸が無駄に動くのを止めているようで 、水に入って泳いだりする子は手のひらサイズの子が多いのに気がついた。
だが、
よく理解できないのは、帰る時にはブラジャーをしてその上からTシャツを着ている。
パンティーの方は紐で結んだタイプのやつを履いてきて、ズボンを履いて紐を解いて脱いでから帰っている。
とにかく行動様式の法則は理解不能だ。

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