生き甲斐の心理学

自分は何の為に生きているのか? 生き甲斐とは何か、自分の魂と成育史と身体を大事にしているか、を思索していきます。

自分は何処へ旅しているのだろう?:幸福な日々の為の自問自答

2018年09月15日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
視覚、聴覚、嗅覚、味覚、触覚は知恵の始まり、というお話。理性も大切ですが、生き甲斐相談をする人は五感を大切にしている人に絞り込んだ方が良いようです。特に<人間の愛>に五感を働かせるタイプのセラピストには深い味があります。美しいものを視覚で楽しみ、美味しいものをいただきながら料理人の努力を想う、野に咲く薔薇の香りに涙し、モーツアルトの曲や好きな音楽に感動する、赤ちゃんの手を愛撫しながら命の大切さを想う。五感を楽しむ、五感から沢山の愛を見つめる、五感から森羅万象の奥にある意味を哲学する、五感をフルに活動させる為には相当の知性が必要ですが、人生を賛美し、生きる喜びを知覚し、大地に足をつけた生き方、飽きる事のない人生を知る為にも、これから益々、五感を大切に生きていきたいもの:



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自分は何処へ旅しているのだろう?:幸福な日々の為の自問自答

2018年09月14日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
魂は最高の恋人、というお話です。日本人の美しい文化の一つに、お盆で、祖先の御霊を慰め、お墓をみんなで洗い清め、手を合わせてから、美味しい食事をする習慣があります。生き甲斐相談の相手もこのような習慣の人の方が実りある話が出来そうです。欧米の大学で学んだ魂の定義:「魂は愛そのもの、老いることもなく病むこともない、自由意志があり、感覚の理解している、臨終と共に、身体から離脱していく知的生命体である」という定義です。この人生を生き抜いて、その後に控えているのが何もない無の世界だ、と断言する学者も居れば、ノーベル賞クラスの大脳生理学者で<脳はいかにして神を見るか>を書いたユージン・ダギリのように魂の存在を確信している人も居ます。人は魂と心と身体から構成されていて、身体は死んでも魂は永遠に幸福に生きる、と信じた心理療法の方が、患者さんの中に新鮮で美しい魂を見る事が出来ます。セラピストが相手に美しいものを見れば見る程、真剣に対応するせいか、成功率も高くなります。これは互いの魂が連呼しあっているようです。
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自分は何処へ旅しているのだろう?:幸福な日々の為の自問自答

2018年09月13日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
委ねから、安らぎへ、、というお話。生活習慣病で苦しむ子供や大人が増えました。生活習慣病は<平素の考え方>が反映しています。相談に行った先の人が甘やかしタイプですと、その場は心地良いのですが、益々<生活習慣病の種>を植え付けられて帰宅してしまいます。<愛とは何か>をしみじみ考えさせられます。人間は愛する人には全てを委ねます。結果として本当の安らぎを五感と体感に感じます。委ねると危険がいっぱいの現実。いつのまにか委ねによる安らぎを体験出来なくなりました。神仏に委ねて生きている人、愛する人に委ねて生きている人は最高に幸せな人。<委ね>は自律神経を健康にする生活習慣病の妙薬、委ねから<生き甲斐の知恵>がこんこんと湧き出します。
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自分は何処へ旅しているのだろう?:幸福な日々の為の自問自答

2018年09月12日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
嫁さんは恐怖か、安心か、というお話。生き甲斐探索の旅で悩みを相談する場合、どんな人を訪ねたいですか?知識と体験は豊富だけれど、緊張する人、何となくぼーっとした感じだけれど、全てを委ねて安心出来る人。さて、答えを出す前に、<答えは問題意識を持っている人の中に存在する>と言う真実を知覚すると良いようです。安心して自問自答を促進させてくれる人を選びたいもの。自問自答を心地よくさせられる内に明快な答えが生まれてきます。医者の選択、女房の選択、恋人の選択、カウンセラーの選択、神仏の選択、職業の選択、迷いから脱出する場合の選択肢の選択、悔いのない選択は自分の心が、倫理道徳を超えて、安心出来る方向のもの、本心に忠実な方向を選ぶと悔いを残しません。悔いが出たら、また挑戦するだけ。安心して自分を委ねる愛を持つ人は幸せ:
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自分は何処へ旅しているのだろう?:幸福な日々の為の自問自答

2018年09月11日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
ここは何処?天国だよ、というお話。急な事故で亡くなられた沢山の人々の為に祈ります。大分前になりますが、鉄道事故で多数の方が突然死、という悲劇がありました。私の尊敬している修道女の話:鉄道事故で突然亡くなった沢山の人々が、ここは何処?と未だ、自分が死んだ事すら気づかないでさ迷う魂を感じた、と話して下さいました。明日は何が起きるか分からない私たちの人生。さて生き甲斐が無いと悩む人の相談で一番多いのが<どう生きたいか>が分からないケースが大半。<人は魂と心と身体>から構成されています。そして一番大切な魂をオカルト的な、迷信的なものからではなく、きちんとした宗教心理学の視点から考える。魂があるかどうか、を科学は答えてくれませんし無理です。それよりも<信じて見えてくるもの>を宗教心理学として学びます。深い愛ほど見えませんが両親が死んで、その愛を信じたらその深い愛が見えてきます。魂の存在を先ず信じてみると色々の真実が見えてきます。


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自分は何処へ旅しているのだろう?:幸福な日々の為の自問自答

2018年09月10日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
善玉か、悪玉か、というお話。歴史を見ても、身近を見ても、いつも善玉と悪玉の戦いです。或日、或時、或人に、私も悪玉と見られた事があります。大組織の中で動き回る時は、思わぬ悪玉扱いで苦しみます。善玉扱いにされて戸惑います。フランス革命、ロシア革命、色々の革命、その折々の善玉、悪玉を私たちは理解したような、理解していないような想いを持ったまま、生きて、そして死んでいきます。善玉でいくか、悪玉でいくか、人は時に迷います。人間は魂と心と身体で構成されています。呼吸を静かに整え、心には優しく綺麗な音楽を聴かせ、身体には美味しいものを食べさせる。あとは魂の判断を信じる。魂は愛し合うように出来ていますので、どんな状況、人生、苦悩が生まれてきても<自分の魂を意識>しますと、必ず明確な答えが明示されます。魂は愛し合う世界をいつも求めているようです。善玉、悪玉は永遠の謎。人の身体は神の神殿。自分の魂の声を信じて生きるのも知恵者の道の一つ。


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自分は何処へ旅しているのだろう?:幸福な日々の為の自問自答

2018年09月09日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
「真理とは何ぞや」.昔、ベンハーという映画がありましたが、映画ばかりでなく、古代から、この問いかけは人類を悩ましてきました。答えの選択に迷いに迷い、エイ、ヤアーと清水の舞台からひらりと飛び降りた先に真実の愛を持つ人がいたり、職業があったり、折々の人生が決まります。良き降下点だと信じて飛び降りた先が地獄だった事もあります。この選択肢の基準は私の人生体験によると、やはり古来から哲人が必死で助言する<真、善、美>に適った基準が最高のものでした。一人静かに部屋で座禅し、1日でなく、せいぜい30分、静かに、静かに、祈ります。どうか、私に相応しい答えをお示し下さい。そうして数十年過ぎました。悔いだらけでしが、今は悔いのない我が人生。天地万物の創造主を真理と信じた私の人生。愛する人々が沢山居て、大好きな職業を生き抜いて、大好きな研究テーマを追求している私は本当に幸せ。「真理とは何ぞや>、一見、難しそうですが、ふと、祈りますと、いとも簡単に答えが得られるのは、努力、というよりも何か、恩寵のような気がいたします。祈りの不思議な現象です。
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自分は何処へ旅しているのだろう?:幸福な日々の為の自問自答

2018年09月08日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
何んとお美しい方でしょう、と思って我が人生をゆだねたお話です。さて、少々照れくさい表現ですが、この言葉以外にないので書いていきます。さて、人は時々立ち止まり、何の為に生きているのかなあ、と思います。生きる目的について思索し、あれやこれやと自問自答したりしていますと、人の大脳は3つ4つの答えを誘惑気味に、ちらつかせてきます。そして、その浮かんできた想いを色々考えていきますと、よく分からないけれども、当分はこの線で、行こうと、人は、何となくですが、一つの方向を選択します。そのほうが心が安定するからです。しかし、その選択が、自分の運命を変えていきます。その選びで、日々の流れが決まりだし、おや、と変な方向に流れ出している事に気づきましたが、職業も決まり、収入も安定はしていますが、どうもこの人生では面白くないと思い出します。こうしてブログを書いていましても、自分の選択が適宜でなかったことから生まれた苦々しい選択を色々と想い出します。反省だらけの人生ですが、悔いのない選択の一つに私の美意識から選んだ決断がありました。それは高校生徒時代でした。神仏の研究をしていたのですが、ドイツの神父さんから教えていただいたローマンカトリツクの神様のことでした。世界にはギリシャ神話の美しい神々もいたのですが、キリスト教の神様のお話が、高校生徒の私には、何とも美しい神様だったのです。聖堂の片隅に座り、その神様を思索しているうちに、高校生徒の私の心が、何とも言えない感動と喜びに満ち満ちてきて、思わず心の中で叫んだ思い出があります。「あなたは、なんと美しく綺麗な方でしょう。この神様を選ぼう」と感じで私は洗礼を受ける決意をしました。あれから60年近く流れましたが、悔いがありません。信仰心は目に見えない美しさを垣間見させる不思議な世界です。



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自分は何処へ旅しているのだろう?:幸福な日々の為の自問自答

2018年09月07日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
「鎮魂歌」というお話です。親しい人の突然の死、仲良く人生の旅を共にしていた人間の突然の死は言葉にならない衝撃です。私の母の場合は3年間は、心は何となく虚しく、人生の生きる意味を少年なりに考えざるをえませんでした。どう生きるべきかの道筋は人によって違います。その道筋をどう見つけるべきか、心理療法での学問は、その辺りを、どう示唆しているのでしょうか?その答えは<その人の深層心理の世界には、1つではなく、必ず3つか4つの答えを敢えて存在せしめている>と言う仮説です。ここからが問題ですが、何故か<天地の創造者>は人間に<自由意志>を与えてしまいました。どれを選択するか、は本人の責任。この選択で運命が決まります。深層心理学はこの3つか4つの答えを意識の上に上昇させ、意識化させるのが限界でしょう。どう選択するかは、協力は出来ても、本人が決めるべき事。これから4回にわたり、この問題を御一緒に思索しましょう。





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自分は何処へ旅しているのだろう?:幸福な日々の為の自問自答

2018年09月06日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
「ケ・セラ・セラ」というお話です。生き甲斐探索の旅の途中で出会ったAさんは、どんな語りかけにも心を開いてくれません。しかも眠れない、食欲も無い、と言う身体症状も出ていました。さて、心因性の悩みは、ほぼ100パーセント、愛の孤独感が原因で病んでいきます。何故でしょう?人は<魂と生育史で培われた価値観(心)と身体>で構成されています。その中でも一番重要な魂は、愛し合う事をいつも求めています。ですから本物の愛が身近に無いと愛の孤独を感じるのは当然です。本当の愛に出会うコツは<ケ・セラ・セラ:全てを天に委ねて、なるようになれ>と居直って、本当に相性が合う人との出会いを待つのが最良なのですが、Aさんは相手から好かれようとして、人にすり寄ったり、機嫌をとったり、身体症状が出る迄、変な遠慮をして生きてきました。自分の個性(たとえ変人といわれようが)を大切にして堂々と生きる居直り<ケ・セラ・セラ>は素晴らし哲学。さあ、勇気を奮い起こして名曲ケ・セラ・セラを歌いながら生きていきましょう。Aさんはこれに気づき、自分に合った素敵な人を見つけました。天はいつも正直なあなたの味方。






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自分は何処へ旅しているのだろう?:幸福な日々の為の自問自答

2018年09月05日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
委ねる、という考え方のお話です。長い人生は疲れます。時々休息する必要があるのですが、深層心理学からの休息方法は赤ちゃん返りが一番でしょう。赤ちゃんが大好きな母の乳房を吸い、美味しい母乳を沢山飲んで、満足して寝ている表情は世界で一番美しい風景ですが、そのように、人生で戦い疲れた大人も、10分間、すべてを委ねて、心を解放し、魂も心も身体も、愛する人(神仏を含む)に委ねる方法が最大の休息でしょう。人間の大脳は、催眠療法のように、間違った情報でも、反応を示します。イメージ療法のつもりで、すべてをゆだねる習慣を日常生活で養うと、呼吸も心拍数も安定してきます。神仏へのゆだねも、愛する人へのゆだねも、生物学的に診断すると、類似現象が起きるのは何故でしょう?愛の孤独感の癒しはこの健全なゆだね、から始まります。委ねると緊張から解放され、何故か、心に生きるエネルギーが湧き出すようです。いつも緊張している日々は身心を害していきます。ゆだねた時の安心感を是非、追求したいものです。






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自分は何処へ旅しているのだろう?:幸福な日々の為の自問自答

2018年09月04日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
「私は菩薩」という方にお会いしたことがあります。さて私は寂しがりやです。すぐ寂しいなあ、と思ってしまいます。そんな時は、優しい言葉に触れると私は、相手を菩薩様,聖母マリア様のようだなあ、と感じることもあります。昔、<私は弥勒菩薩の生まれ変わりだ>と信じる患者さんに会った事があります。何故そうなったか、複雑ですが、やはり愛の孤独感が原因でした。環境と遺伝も関係していましたが、心の美しい人でした。純粋な霊的なものを追求する人に多いようです。その方は現実吟味力の訓練を正しく出来ない教育環境でした。理想と現実の混濁、わたしとあなたの混濁が始まると<俗称:菩薩病>になります。私は弥勒菩薩よ、と本気で信じている人は入院です。身近には<as if person:自分があたかも、誰それであるかのように>信じる事で、心の安定を図っている人が多いのです。軽いものは病的ではなく、厳しい人生で、なかなか理想が達成出来ない場合の、一時的な心の安定策だと思いましょう。<私は弥勒菩薩>と信じてしまう前に、厳しいあるがままの人生を肯定する努力が大切なようです。






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自分は何処へ旅しているのだろう?:幸福な日々の為の自問自答

2018年09月03日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
あの世に行きたい、というお話です。高齢者福祉施設、介護、病院で最近、訴えられる言葉が<あの世に行きたい>。相当慌てます。ほぼ間違いなくその愁訴の原因は愛の孤独感。静かにお見送りした方が良い場合と、一過性の事例がありますが、どちらにしても、人間の死を相互が考える場面が来たようです。何故、あの世にいきたいの?と勇気をもって傾聴する場面が来たようです。年齢を問わず、自殺願望の場合もそうですが、何故あの世に行きたいか、本気で優しく暖かく静かに傾聴に徹してみましょう。人間は魂と心と身体で構成されていますので、上手に傾聴していくと、本人が既に持っている答えを、本人が、静かに受け入れていきます。本人以外が、これが答えです、と言ったところで全く意味がありません。本人が既に持っている答えは、優しい人ほど、人に言えない答えです。ああ、私の母の時は私は高校生だったから悔いを残しましたが、父の時は私は50代でしたから、悔いがありません。これからの兄弟、親友、知人には悔いを残したくないので、勇気を奮い起こしてジワリと聞く覚悟です。








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自分は何処へ旅しているのだろう?:幸福な日々の為の自問自答

2018年09月02日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
お金が欲しい、というお話です。仕事で知り合ったアメリカの海運関係の知人宅はその敷地入り口の豪勢な鉄製の門から玄関口まで車で走行して約30分かかります。それでもお金が欲しいと言います。山谷で赤ひげ先生をしている知人からの話では、その日を食べるお金だけ欲しいというホームレスの人々が大半だそうです。さて人は何故、お金が欲しいのでしょうか?<欲しいから欲しい>のですが、生き甲斐支援活動で私が悩むのが<心の置き換え>をしている人があまりにも大勢いる、と言う現象です。不安感が無意識の世界に強く渦巻くと、物を食べ過ぎたり、余計な買い物をしたり、最悪の場合は無意識に盗みをしたりする<置き換え現象>と言われる<思考、感情、行動>が起きてきます。この現象は自分の心に今、起きているなあ、と気づけば治る現象ですから、自分を静かに優しく暖かく見守りつつ、自虐しないで、この現象を考えてみましょう。



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自分は何処へ旅しているのだろう?:幸福な日々の為の自問自答

2018年09月01日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
あなたを一番愛している人は誰?というお話です。人の心はまか不思議な世界ですが、ちょっと立ち止まり静かに自分の心の動きを楽しみながら観察すると、いつも自問自答している自分に気づきます。ああ、素敵な人が居ないかなあ、うーん、今は何となく寂しいんだ、自分は孤独な人間だと思うのもしゃくだしなあ、じゃあー、本でも読むか、等の自問自答です。さて、厳しい現実を生き抜く時、本当に頼りになるのは自分しかいません。自分を愛してくれている最大の人は誰でしょう?頼りになる人は誰でしょう?答えは自分。自己愛を健全に育てていれば、こんなに強い味方はありません。健全に育てるコツは<自己肯定、他者肯定>の基本さえ厳守していれば、必ずどんな問題、事件、苦難に遭遇しても切り抜けられます。間違いありません。自己否定、他者否定の自己愛は破滅への道、自己肯定、他者否定は傲慢な自己愛への道、自己否定、他者肯定は劣等感と挫折への道、苦しくても自己肯定、他者肯定の愛の関係への道が美しく暖かく、共存して幸福に生きていける道です。自問自答の会話であなたがあなたを自由に自然に愛する会話をしてみましょう。世界で一番、あなたを愛し、かつ、頼りになる人はあなた自身である事をお忘れなく。


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