生き甲斐の心理学

自分は何の為に生きているのか? 生き甲斐とは何か、自分の魂と成育史と身体を大事にしているか、を思索していきます。

自分は何処へ旅しているのだろう?:幸福な日々の為の自問自答

2018年09月08日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
何んとお美しい方でしょう、と思って我が人生をゆだねたお話です。さて、少々照れくさい表現ですが、この言葉以外にないので書いていきます。さて、人は時々立ち止まり、何の為に生きているのかなあ、と思います。生きる目的について思索し、あれやこれやと自問自答したりしていますと、人の大脳は3つ4つの答えを誘惑気味に、ちらつかせてきます。そして、その浮かんできた想いを色々考えていきますと、よく分からないけれども、当分はこの線で、行こうと、人は、何となくですが、一つの方向を選択します。そのほうが心が安定するからです。しかし、その選択が、自分の運命を変えていきます。その選びで、日々の流れが決まりだし、おや、と変な方向に流れ出している事に気づきましたが、職業も決まり、収入も安定はしていますが、どうもこの人生では面白くないと思い出します。こうしてブログを書いていましても、自分の選択が適宜でなかったことから生まれた苦々しい選択を色々と想い出します。反省だらけの人生ですが、悔いのない選択の一つに私の美意識から選んだ決断がありました。それは高校生徒時代でした。神仏の研究をしていたのですが、ドイツの神父さんから教えていただいたローマンカトリツクの神様のことでした。世界にはギリシャ神話の美しい神々もいたのですが、キリスト教の神様のお話が、高校生徒の私には、何とも美しい神様だったのです。聖堂の片隅に座り、その神様を思索しているうちに、高校生徒の私の心が、何とも言えない感動と喜びに満ち満ちてきて、思わず心の中で叫んだ思い出があります。「あなたは、なんと美しく綺麗な方でしょう。この神様を選ぼう」と感じで私は洗礼を受ける決意をしました。あれから60年近く流れましたが、悔いがありません。信仰心は目に見えない美しさを垣間見させる不思議な世界です。



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