生物が生き延びる為には<他の生命を食べ合う>現象が何故、おきるのでしょうか?植物も動物も、生きている他種を食べないと、生きていけません。人間はそれに加えて更に愛や精神的分野でも互いに食べ合う現象もあります。その哲学的、宗教的、心理学的原因も、色々主義主張はありますが、これが真実だ、と誰もが納得する理由は、はっきりしません。互いに食べ合って生きて行く、この不思議な営みに対して、どうしたらいいでしょうか?人類発生以来、何となく神話が生まれてきて、この食べ合いへの対応も自然と生まれてきました。どの神話、習慣、文化、宗教を見ても、この食べ合いへの心の納めどころとして<手を合わせる>事で解決しているようです。<手を合わせてから食事をする>。心から他種の生命に対しても、人に対しても手を合わせた後、いただく文化は、その種族を永続させるようです。手を合わせない文化は滅びる傾向にあります。:<NPD6:褒めどき:48-5>:
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コメントにありました、「まま」 のまですが、 「ま」 は言霊では、まゆのように畏敬の対象に冠せられる美称として、人の上に立ち、名を知られる象とする。外から害を受ける兆しもあるので、争いは避けること。
マ行の音は唇音といわれ、哺乳類特有の象徴音といわれている。太占 (ふとまに)、 布斗麻邇 (ふとまに) の 「ま」 は霊の意味である。
太は美称で、占は 「任に・まに」 という意味で、神の御心を問い、その神慮に従うこと。
「布斗麻邇」 とは自らの霊魂が振動、凝止、鎮魂して大神の霊魂に調和し、大神の御心を伺い奉る神人合一の業である。
生命に繋がる手立ては、神聖なるもの。手を合わせ、食することを感謝しながら日々暮らしたいものです。