五感で観る

「生き甲斐の心理学」教育普及活動中。五感を通して観えてくるものを書き綴っています。

怒りの矛先

2013年09月13日 | 第2章 五感と体感
身体も心も成長する中学生の時期は、幼い頃からもやもやと持ち続けてきた感情が、だんだんと形に成って表われてくる頃でもあるようです。

それが思春期であるともいえるでしょう。

親の不和がどれだけ子供に影響するかも、この時期が大事な時期かもしれません。

両親の様子を子供はみています。
お母さんの不安感も感じ取っているでしょうし、お父さんの不安感も感じ取っていることでしょう。

家庭という世界を信じて生きている子供が家庭の中で不安を抱えている時、その子供はどこに不安感をどこにぶつければよいのでしょう。

不安感はいずれ怒りとなって、何らかの発散をし出すようです。他者に向く場合もあるでしょうし、自己否定に繋がる場合もあることでしょう。
その怒りの矛先が、怒りたい相手に直にぶつかっていればよいのでしょうが、どうもそうそう上手くはできないようです。

愛する親に「焦点の合った怒り」をぶつけることは、子供にとってはとても難しいことかもしれません。
大人になっても、いえることかもしれませんが。

怒りの感情表出をどこでどんなふうに「自分がおこなっているか」点検してみると、もしかしたら矛先違いに気付くかもしれません。

人生は修業であるな、と。

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湧き出す感情

2013年09月12日 | 第2章 五感と体感
湧き出す感情には必ず意味があります。

自分が反応する知覚する感情の傾向に気付いていることは、気付いていない人よりも数倍も自分の内の答えに近づいている人かもしれません。

自分を他者との関係においてどんなふうに守っているのか。
どんなふうに人と関わりたいのか。もしくは他者との関係で何が満たされれば自分は満足なのか。

とっさに湧き出す自分の感情に気付くと、自分の傾向が見えてきます。

たぶん、自分の傾向は死ぬまで変わりません。でも、体験の解釈を変える事はできます。

「自分の感情の傾向を知る」ことは、自分を諌める事ではありません。
むしろ、知ること=受容することに繋がるように思います。

自分の感情の傾向を知ることで、体験の解釈をどのように変えていくのかも、これまたその人の中に答えがあるはずです。

他者に叶えてもらう事を求めても、けっきょく納得する答えは得られません。

「答えは自分の内にある」ことの所以です。

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東日本大震災から二年半

2013年09月11日 | 第2章 五感と体感
本日は東日本大震災から丁度二年半の9月11日です。ニューヨークのあの事件の日でもあります。

我が家の萩と秋明菊は、暦通りに咲き出しました。

秋の花が咲き出すと、心が落ち着きます。気温がぐっと下がり、過ごしやすさが期待できると何となくのんびりした気分が芽生えてきたりします。

明後日13日から宮城県山元町に行きます。7か月ぶりの訪問先のNPO法人さんは7月に高台移転が叶い、新しい場所で業務が始まりまっています。
仕事に関わるスタッフの皆様や利用者の皆様がどのような心持で過ごしておられるかは、行ってみないと実際に感じる事はできないでしょうが、ともかく前に前に進んでいることは確かです。

被災地に住まうひとりひとりの人々が、自分の役割を担いながらよりよい方向へと向かわれていることに実際に触れると、私という小さなひとりの人間ができることなど本当に小さなものであることがよくわかるのです。
それでも、実際に関わりながら、一緒に働き、勉強会を通して現状を理解し、それらの様子を伝える事は、どんなに小さな行動であっても最大限の行動であると思っています。

「オリンピックムーブメント」という言葉を流行語にするがごとく軽く呼びかけていますが、「復興ムーブメント」は既にひとりひとりの私達が担っていることである事を忘れてはならない、と思うのです。

二つのムーブメントが幸福度に向かって重なり合う事を願わずにはいられません。


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幸福感

2013年09月10日 | 第2章 五感と体感
幸福感と幸福の条件は違います。

昨日の保護者勉強会ではその違いを体感していただきたく、二学期初日とはいえ、いきなり濃密な時間となりました。
参加者の皆様、お疲れ様でした。

自分や家族の健康、仕事があること、子育てがスムーズにいくこと、人間関係が上手くいくこと等、「自分が幸福を得るために必要な条件は何でしょう?」という問いかけをすると、スムーズに言語化できるひとがほとんどです。

でも、

「あなたの幸福感は?」と、問うと戸惑うのです。

幸福の条件が幸福感ではなく、幸福の条件と幸福感を分けることに「えっ?」ということに混乱するようです。

人の話を傾聴したり、自問自答をする時、この違いを知っていないと、どんどんとエンドレスな状態になっていきます。

「幸福の条件」が「自分の理想の領域」であることを期待し続けることをひたすら願い言語化しても、今抱えている不安感を解消することはできないのです。

自分の幸福の条件を言語化したら、次は、自分が体感する、つまり身体の奥底から自然と湧きあがる感情の幸福感は、どんな時に湧きあがるのか、意識化しておく必要があるのです。

その幸福感の体感は、幸福の条件が整えられているだけでは湧き出すものではないようです。

どんなに苦しい状況下においても、幸福の条件が整っていなくても、人は幸福感を得られるのです。
逆に、幸福感を得られない状態では、困難を乗り越える事は出来ないかもしれません。

理想と現実のギャップによる不安感を自分で取り扱う際、一体自分の統合した状態「感謝と満足」の感情の状態がどんなものでどんな時に起こるのかを意識化できている人と出来ていない人では、答えを出すためのプロセスの長さに違いが出るようにも思います。

幸福の条件のためのだらだらと想い描き話す事よりも、自分自身の幸福感を意識化したほうが、統合への近道であるように思います。

「傾聴」するには、まず「感情を聴きなさい」と、教えられています。「聞く」ではなく「聴く」のです。
自分の描いている幸福の条件が整わないことへの不安感が一体どんな不安感なのかが聴こえてくれば、幸福感への変換のキッカケになるはずです。

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和様の書展

2013年09月09日 | 第2章 五感と体感
墨の香り。
炭の香り。

堪らなく好きです。自分の好みに合った香りで生活することがいかに贅沢なことであるか、最近は、昔は当たり前であったことが遠い理想となりつつあることに憂いを感じることもあります。

昨日が最終日であった国立東京博物館開催の「和様の書展」を見てきました。

不思議なことに、東博の敷地に入ると、やっているはずのない焚き火の香りで迎えられました。
よくよく考えると芸大の学祭が真っ最中。きっと学生が何かを燃やしていたのでしょうか?それとも寛永寺?どこから香るものかは謎でしたが、ともかく思いがけない香りで歓迎されたわけです。

平安時代から江戸にかけての和様を一気に観る事がでいる機会は、たぶんこれからもそう無いことでしょう。
江戸時代に至るまでの洗練性を長谷川等伯や狩野派の初期の画と重ねながら、日本人が歩んできたものを能書として選ばれてきた人々の筆使いを通して、心から堪能させていただきました。
国宝だからどうのというわけではありませんが、古筆の名品を収めた手鑑(てかがみ・大きな画帖)を拝見することができたことも大きな収穫でした。
平清盛が厳島神社に奉納した納経の一巻をしげしげと拝見することもでき、歴史に登場する天皇、将軍の書もあり、私が描いてきた歴史上の人物と対峙することもでき、書を見て至福を感ずるという体験をしました。

筆を持つことを暫くしていないのですが、二カ月ほど前に頂いた未使用の筆と硯は友人のお母様の形見です。
「書く時間を持ちなさい」と背中を押されていることを改めて感じています。

字は、人によっての好みもあるでしょうが、その人の体(タイ)を表すと云うのは、ほんとうの事だと思います。

展覧会には、多くの老若男女がひしめいていました。書道部の高校生が真剣に草書を見ながら語り合っている姿、小学生が読める字を探している姿、杖をついた人生の先輩がゆったりと書を愛でている姿、、、鑑賞している人々の姿も美しく、総体的に上質な展覧会であると思いました。

ついでに、、、。。。
東博のミュージアムショップがリニュアル。「ルーブル美術館のミュージアムショップよりも面白いですよ!」と太鼓判を押しておきます。企業努力しています。よろしいことです^^//

中国風ではなく、日本風であることを和様と云うそうです。平安時代、流行りのことを今様(いまよう)と云った事と同じく、なるほど、「風ふう」ではなく「様よう」と云うのは、現代日本の「~系」への元祖てきな言い回しなのかもしれません。



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東京決定に感じている事

2013年09月08日 | 第2章 五感と体感
昭和三十年代に生まれオリンピックを経験した私達の世代は、高度成長の「やればできる」という確信をどこかに持ちながら育てられました。
同時に第二次世界大戦の終戦を小学生、高等中学在学中に体験した世代の両親に育てられた人が大半です。

「働く」ことに邁進した世代の親を見ながら、その恩恵を受けてきたことも多くありましたが、歪みを生じながらの親子関係に苦労した人も少なくありません。

戦後日本。そして、大震災後の日本にオリンピック開催が決まりました。

以前に体験した入道雲のような経済成長と丹下健三氏が建てたモニュメント的な構造物がニョキニョキ建つとは思いませんが、戦後68年以降、そして震災、原発問題という避けては通れない真実といかに真摯に向き合っていくかのテーマが、如実に露呈していくことは当然のことでしょう。

希望や期待は、現実をどう生き行動していくかで見えてくるものです。

陽が強ければ強いほど、陰も強くなります。陰陽は廻るだけではなく振り子のようでもあります。

最近になって、あの頃のコンクリートの建造物にやたらと哀愁を感じます。幼い頃は、打ちっぱなしの味気ないコンクリートの塊に美しさを感じませんでした。むしろカッコ悪いと思いながらそれらの建造物を見ていました。
でも、そのような建造が日常的な環境で育った私は、いつしか自分のアイデンティティにとって大切な存在となっていることに気付いたわけです。
東京に建つ大きな寺院にも同じ傾向を感じます。特に東京カテドラルの関口教会は、ダムの底に居る様な気分になります。以前なら気持が悪い環境と捉えていたのですが、今は確信的な安定感を感じるのです。

今日は上野に行きます。駅前の高度成長のシンボルである東京文化会館、西洋美術館を眺め、そして東京国立博物館、芸大と巡ります。
あと、7年後、どのような都市へと変化していくか興味津々です。

還暦一歩手前に開催する東京オリンピックを自分がどう捉えて行動するか、思索のテーマが改めて増えたことに、自分の人生がどんなふうに乗っかっていくかを楽しんでいきたいものです。

自分の謡いの声がもう少し理想に近付いていることを願いながら生きる事が私の7年の過ごし方になる事だけは、どうも確かなようですが。

できることなら私の両親も7年後の二度目の東京オリンピックを観て体感していただきたいものです。

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萩の花

2013年09月07日 | 第2章 五感と体感
今年も我が家「名物萩」の季節となりました。
今のところ、嵐の被害に遭わず、名物萩はノビノビと秋風に吹かれています。

夜には萩で一晩過ごす虫達が色とりどりの音色を奏でています。
例年よりも虫の音が多様であるように思います。

南側に向いている枝に花が咲き始めましたので2週間ぐらいで満開となり、たぶん秋分の頃が見頃になるのでは?と推測しています。

酷暑の夏を何とか乗り切り、秋の夜長で睡魔に襲われ快眠の環境が整い出してきました。
こんな時は、読書の秋などとカッコつけず、よくよく眠るべし。。。というのが私の体調の整え方です。
夏の緊張がほぐれる頃に病気が発症する事が多いと聞いています。

明日あたりが二十四節気の白露です。
夜に冷えた空気が朝露となり草木を濡らします。

草木の香りが薫る朝を迎える事がいっそう心待たれます。

牛車に揺られ嵯峨野で目にする風景を想い巡らすと、いにしえの風が私の元に届きます。

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自分の伝え方

2013年09月06日 | 第2章 五感と体感
私よりもちょっと年下ではあるけれど明らかに同世代である美容師さんとは、長年のお付き合いです。
読書好きであり、旅好き、美術好きと互いの嗜好が合うので、程好いスタンスで会話が弾みます。

その上、彼の美容室経営を長年見ていると、若いスタッフが素直に付いてくるのです。その彼らとの距離を置き方が上手であることに感心しています。

人生半世紀前後になると、荒波も体験し、仕事に対しての資質も問われ人を教育する立場としての人格も問われ、色々と揉まれてきます。
人生の行程で、人が離れていくような考え方、行動をしていれば、当然お店も成り立ちません。

若さとは森羅万象の解釈の浅さと比例しています。どんなに老成しているように見えても、歳を重ねる経験から得たものから醸し出す言葉には勝てません。
時には持って生まれた稀有の才能がある人もいますが、大抵はそんなものです。

ただし、人には歳を重ねる経験から、どんどん荒くなる人もいれば、凪ぐ人もいるわけです。

人が何らかの経験から自分を守らなくてはならない状況が長く続くと、その守りの傾向は自分の傾向として分化していきます。

言いたい事を言えず、言葉を飲み込むことは、とても不利なことです。泣き寝入りは禁物です。言いたい事は言えたほうが得です。

でも、解釈に偏りがあり、いつも過剰に解釈して反応し続けることは、本人は良いかもしれませんが、この感情を受けた相手はたまったものではありません。

どこまで自分の中に湧き出す理想と現実のギャップに折り合いをつけるかは、その人の気付き次第でありましょう。

先日、早朝に髪を上げてもらいながら、美容師さんと「スルーするとか飲み込んじゃうことが、段々と上手い塩梅でできるようになってきたよね」と云う会話で互いにニヤニヤし合う私達は、その言葉でちょっと大人になった気分を味わったわけです。

人生が修行行程そのものであることを何かのきっかけで知ると、じたばたしないで済むかもしれません。

もやもやした不安感が形になって見えてくると自分の孤独の取り扱い方がどんなものであるかが同時に見えてくるのも、これまた人生の面白さかもしれませんし…。

お天道様に手を合わせ頭を垂れる日常を大切にしたいものです。

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人付き合いのコツ

2013年09月05日 | 第2章 五感と体感
自分が所属するグループで何気なく発生する話題は、そのグループ独特の話題傾向があります。

落としどころは皆わかっているので、終始いつもと似たような話題で、しかも似たようなエンディングとなるわけです。

同じだと解っていても集まりたくなるグループもあれば、ちょっと避けたいと思うグループもあります。

この話題になると解っていて親しく集まる仲間同士でも自分が拘っている事と他者が拘っていることは決して同じではありません。
でも、似たような話題の内容に拘る者同士、互いの感情の良き理解者であれば、孤独感からの解放が一時でも得られるようです。

孤独感からの解放が一時でも感じる事で、「よし、明日からまたガンバロウ!」と元気が出るのであれば、とても良き理解者に巡り合えた証拠かもしれません。
逆に「何か違うのよ。。。」と、思うのであれば、それは自分の中に何らかのギャップが表われている証拠かもしれません。

提供する話題が、互いに似通っていても、自分とは違う解釈でストレスを抱えている人が傍にいれば、当然違和感を感じるはずです。

その違和感を自分は「好きなのか」「嫌いなのか」を感じ取るのは自分自身の問題です。

「私はあなたとは違う!」といちいち第三者に文句を云い放つのではなく、静かに撤退することも上手なお付き合いの方法であるやもしれません。それが他者に対する思いやりでもあります。

自分の気に入らないことをいちいち文句を口に出せば出すほど、何の罪も無い他者を追い込んでいくのです。

あなたと違う自分は、いちいち口に出さずとも当たり前のことなのですから。。。

自分と他者はそれぞれの魂と心と身体を持ち備えた個人なのです。

自分の心と身体と魂を大事にしている人は傍から見ていて魅力的です^^。
人付き合いの上手な人ほど、自分を大切にしているように私は思います。

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自分というモチモノ

2013年09月04日 | 第2章 五感と体感
どうやってあなたは生き延びていくのですか?

という質問よりも、

どうやってあなたは生き延びてきたのですか?

という質問のほうが、答えてみようという気持になります。

でも、

「どうやって生き延びていくか?」も「どうやって生き延びてきたか?」も、結局はどちらも自分の生き方であり、以前と今後の生き方が違っても、今の自分と違うものが入れ変わるわけではありません。

「自分」という一番厄介であり、尊い「もちもの」を「自分という管理者」がどう扱っていくかは、生きている人すべてに与えられているテーマなのです。

そういった意味で人はみな平等なはずなのです。

生きる抜くための自分を取り巻く条件が、それぞれ違うだけなのです。

「自分というもちもの」は、自分自身が取り扱うものであることに気付いている人は、きっと希望の見い出し方も知っているはずだと思います。


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アニメとマンガ世代の真善美

2013年09月02日 | 第2章 五感と体感
私はマンガ、アニメ全盛世代です。

ひょっこりひょうたん島でワクワクし、テレビアニメのアルプスの少女やムーミンは、私の素地を作っているといっても過言ではありません。

先日、「風立ちぬ」を観ました。

何故か、私自身とアニメの区切りをつけたような気分になりました。
宮崎駿さんが仕事に区切りをつける覚悟の作品であることは見れば直ぐに解ります。

私自身、実際よくよく考えてみると宮崎駿さんのアニメで育てられてきたようなものです。

今やマンガやアニメに触れてこなかった人の方が少数派でありましょう。

インターネットでのゲームやライン等の通信手段で、ますます変化していくことでしょう。

どんなものを使い、どんなものを見て、どんなもので満たされてきたかは、時代によって違うはずです。

人は、楽しいこと、楽なことに向いていきます。

その向いていく先にどのようなものが新たに生まれていくかはわかりませんが、現状のものが永遠に続いていくわけではありません。必ず何らかに連鎖していきます。

人は、身体と心と魂を持ち、普遍的な真善美を求めて命を繋いでいきます。

「自分は真善美のうちの何を大切にして生きているのか」?という問いに、私はいつも「美」と答えています。

この答えにしても、人の数ほどあるものですし、自分の変化によって答える内容が変わることだってあるはずです。

「美」と選び、「その心は?」を答えていくことが自問自答となります。

悔いなく風立ちぬを制作した宮崎駿さんの仕事に敬意を表し、幼い頃から触れてきた良質なアニメに心から感謝しています。

私の答えている「美」と、自分の生育史で見てきたものとが深いところで繋がっているはずなのですから。。。



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自分の解釈は案外狭い

2013年09月01日 | 第2章 五感と体感
ダメだダメだ。。。
と思っていると、ほんとうにダメな方向にいくようです。

私自身、自分の解釈にしても、解釈の傾向と方向性にはある法則があります。

だから身近な人の自分には思いもよらない解釈が飛び出すと、意味が解らないこともあります。

他者には意味のある解釈であっても、自分にはまったく意味を成さないものもあるということです。

身近な人であるからこそ、互いの個性の美を受容するには、かなりの経験と訓練の思考錯誤が必要かもしれません。

良い方向や都合の良い方向に自分を無理に意識化しようとしても、出来ない時は出来ません。

そんな時は、通り過ぎる事も必要でしょうし、無視することも大事なことです。

自分の解釈が相手を理解できないときは、たぶん、相手も自分の解釈を異なるものと捉えているかもしれないことに気付くことも、自分の解釈が多少広くなるきっかけとなります。

自分の解釈は、案外狭いところで解釈していることを納得できると、これまた多少受容度が増すかもしれません。

その上、案外「自分は狭まったコミュニティでしか動いていないかもしれない」事に気付いてみるのも、自分の解釈に広がりがもたらされるきっかけになるかもしれません。

9月が始まりました。新しい気分で、本格的に始まる仕事と向き合っていきたいと思います。

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